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レガシーワールド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レガシーワールド
1995年10月8日 京都競馬場
欧字表記 Legacy World[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1989年4月23日[1]
死没 2021年8月18日(32歳没)
モガミ[1]
ドンナリディア[1]
母の父 ジムフレンチ[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 へいはた牧場[1]
馬主 (株)ホースタジマ[1]
調教師 戸山為夫栗東
森秀行(栗東)
[1]
競走成績
生涯成績 32戦7勝[1]
獲得賞金 4億2377万4000円[1]
勝ち鞍
GI ジャパンC 1993年
GII セントライト記念 1992年
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レガシーワールド(欧字名:Legacy World1989年4月23日 - 2021年8月18日)は、日本競走馬[1]

1993年ジャパンカップ(GI)を優勝し、日本調教の騸馬として初となるGI競走勝利を成し遂げた。その他の勝ち鞍に、1992年セントライト記念(GII)。近代日本競馬におけるセン馬の地位向上に貢献した[2]

経歴

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3歳

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レガシーワールドを管理する事になる調教師戸山為夫と当時戸山厩舎所属の調教助手だった森秀行が、入厩する前のレガシーワールドを見に牧場を訪れた際に「この馬は走る」と断言していた。

入厩後の普段は大人しかったが、レースの日になると落ち着きが無くなり、ゲートに行く頃には興奮して何割かのエネルギーを使ってしまいまっすぐ走れず、[3] ゲート下手だった[4]レガシーワールドは3歳時は出遅れ癖が酷くて勝てず5戦未勝利に終わり、おまけに骨折するなど散々だった。

調教では良く走る為に出るたびに人気になるが、この状態ではファンに迷惑がかかると考えた戸山は休養中にレガシーワールドを去勢する荒療治に出る事にした。[3]

この気性難について母母ダイゴハマイサミも管理した戸山は「血統的には父と母にそういう所は無く祖母にちょっとその傾向が有ったが、それ程酷いものではない。」と評している。[3]

4歳

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去勢が良かったのか、しなくても時期になればよくなったのか戸山にも分からなかった[5]が、去勢後のレガシーワールドは才能が一気に開花した[6]

復帰初戦こそ騎手を振り落として競走除外になったものの、未勝利戦から500万下条件、900万下条件と夏の間に3勝を挙げた。そして、菊花賞トライアルのセントライト記念[7]では、逃げを打つと前半5ハロン60.6のペースで進み、直線一度はライスシャワーに交わされたのをアタマ差差し返して勝利し[4]、重賞初制覇を遂げた。 福島の未勝利を勝ち函館のUHB杯2着を経て2週間後のセントライト記念(G2)に出走させると聞いた時、セントライト記念出走するにはまだ力が足りないと思った幣旗は「いいかげんにせい!」と言った。だが戸山は「何言うてんねん。一緒に応援に行くぞ!」と自信満々であった。幣旗は言われた通り応援しに行っ[8]た。

その後、レガシーワールドは騸馬ゆえに菊花賞には出られず、東京スポーツ杯とドンカスターステークスのオープン特別を連勝してジャパンカップに出走したが、トウカイテイオーの4着に敗れた。続く有馬記念では、直線で内を突いて追い込んできたが、メジロパーマーにハナ差届かず、2着に終わった。

5歳

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年が明けて、5歳になったレガシーワールドはAJC杯では圧倒的な1番人気になったが、ホワイトストーンに逃げ切りを許し、2着に敗れた。その後、レガシーワールドは再度の骨折により秋まで休養に入る事になる。休養期間中に今まで管理していた戸山調教師が死去し、森厩舎所属となった[9]

秋になり、骨折が癒えたレガシーワールドは京都大賞典から復帰した。このレースから森の意向により、河内洋に乗り替わる事になったが、レコード勝ちしたメジロマックイーンに3馬身半差の2着に敗れてしまう。それでも、次走のジャパンカップではケント・デザーモのゴール板誤認ミスで直線で伸びを欠いたコタシャーン以下を封じて、初のGI制覇を達成した。しかし、これがレガシーワールドの生涯最後の勝利になった。 同レース前、「失礼な事を言うかもしれませんが、あの馬は調教しているのですか?」と質問した英国人記者がおり、「ハードなトレーニング調教をしているんですよ。」と答えられると、信じられないという表情で去って行ったが、先頭でゴールを果たした後の祝賀会にその英国人記者が現れ「先ほどは失礼な事を言ってしまってごめんなさい。」と謝罪したエピソードが[10]ある。同レースの勝利で日本最強セン馬という異名を得た[11]

有馬記念では2番人気で出走したが、トウカイテイオーの5着に終わった。

2007年4月22日 東京競馬場特別展示

6歳以降

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その後、レガシーワールドは米国遠征も取りざたされたが、その直後に屈腱炎を発症、皮膚病にもかかり長期休養に追い込まれた。長期休養から復帰したのは20ヶ月休養後の函館記念の事だった。函館記念ではそれまでの実績が買われ2番人気に支持されたが、最下位に大敗。その後、レガシーワールドは8歳まで現役を続けたが、GI優勝馬らしい走りを見せる事ができず、1996年宝塚記念8着を最後に引退した。

引退後

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生まれ故郷、北海道新ひだか町(旧静内町)のへいはた牧場にて功労馬として余生を送っていた。2007年4月21日22日の2日間、東京競馬場のグランドオープン記念としてウイニングチケットとともに特別展示が行われた。2021年8月18日早朝、老衰のため死亡した[12]。32歳没。

「32歳、GI馬レガシーワールド亡くなる 相棒と暮らした穏やかな余生」という記事によると、【 競走馬引退後、生まれ故郷のへいはた牧場へ戻ったレガシーワールドは功労馬としてゆったりと暮らしていた。「ものすごく寂しがりやだし、元々気性が荒かったので、馬房でポニーと一緒にさせていました。それが合っていたようで、いつも相棒と一緒にいましたね。」(幣旗さん)一緒に過ごしたポニーは2頭。初代のパピーちゃんは早くに亡くなったが、二代目のハニーちゃんは2019年に亡くなるまでずっとずっと一緒にいたそうだ。「ハニーがちょっと離れただけでワールドはとても寂しがっていました。その後はアポロアミという牝馬と一緒に過ごさせるようにしていました。さすがにサラブレッド同士なので馬房は別々ですが、一緒に放した放牧地ではいつも一緒にいましたね。」(幣旗さん)】とある[13]


競走成績

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年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手 斤量 距離馬場 タイム
上がり3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1991. 8. 18 函館 3歳新馬 7 2 2 13.5(4人) 4着 小島貞博 53 芝1200m(良) 1:12.1 (36.3) 1.0 ハヤノキック
8. 24 函館 3歳新馬 9 6 6 3.2(2人) 2着 小島貞博 53 芝1200m(良) 1:11.8 (36.2) 1.5 エアジョーダン
9. 7 函館 3歳未勝利 10 4 4 2.9(1人) 5着 小谷内秀夫 53 芝1200m(不) 1:14.0 (37.6) 0.8 スターポジション
10. 26 京都 3歳未勝利 16 4 7 8.1(3人) 3着 小島貞博 53 芝1600m(良) 1:37.4 (48.5) 0.2 ダイナスプレンダー
11. 16 東京 3歳未勝利 18 3 5 4.5(2人) 4着 小島貞博 54 芝1800m(良) 1:50.6 (36.5) 0.9 パーシャンスポット
1992. 6. 28 福島 4歳未勝利 15 2 3 - 小谷内秀夫 55 芝1800m(良) 競走除外 - コスミックレイズ
7. 11 福島 4歳未勝利 16 7 14 4.2(2人) 1着 小谷内秀夫 55 芝1800m(良) 1:52.0 (38.3) -0.0 (ニシノマシーン)
7. 25 新潟 三面川特別 500万下 13 7 10 5.4(2人) 3着 小谷内秀夫 55 芝2200m(良) 2:14.6 (48.5) 0.1 ミュゲルージュ
8. 15 函館 奥尻特別 500万下 8 4 4 9.1(5人) 1着 小谷内秀夫 55 芝2000m(重) 2:04.4 (38.3) -2.1 (チアズモアー)
8. 22 函館 松前特別 900万下 10 5 5 1.8(1人) 1着 小谷内秀夫 54 芝2500m(良) 2:38.4 (37.0) -0.1 (ミスコチョウラン)
9. 13 函館 UHB杯 OP 13 2 2 6.4(2人) 2着 小谷内秀夫 53 芝1800m(重) 1:52.1 (38.9) 0.6 ジャニス
9. 27 中山 セントライト記念 GII 14 6 9 7.3(4人) 1着 小島貞博 56 芝2200m(良) 2:13.6 (37.0) -0.0 ライスシャワー
10. 25 東京 東京スポーツ杯 OP 10 3 3 1.8(1人) 1着 小谷内秀夫 56 芝2400m(良) 2:26.1 (34.8) -0.1 (ヘイアンワッスル)
11. 8 京都 ドンカスターS OP 10 5 5 3.8(2人) 1着 小谷内秀夫 57 芝2400m(良) 2:24.8 (48.0) -0.1 ヒシマサル
11. 29 東京 ジャパンC GI 14 4 6 17.9(10人) 4着 小谷内秀夫 55 芝2400m(良) 2:25.4 (37.6) 0.8 トウカイテイオー
12. 27 中山 有馬記念 GI 16 3 6 13.4(5人) 2着 小谷内秀夫 55 芝2500m(良) 2:33.5 (34.8) 0.0 メジロパーマー
1993. 1. 24 中山 AJCC GII 9 3 3 1.4(1人) 2着 小谷内秀夫 57 芝2200m(稍) 2:15.4 (37.0) 0.4 ホワイトストーン
10. 10 京都 京都大賞典 GII 10 8 9 4.4(2人) 2着 河内洋 58 芝2400m(良) 2:23.3 (36.3) 0.6 メジロマックイーン
11. 28 東京 ジャパンC GI 16 4 8 12.5(6人) 1着 河内洋 57 芝2400m(良) 2:24.4 (36.1) -0.2 コタシャーン
12. 26 中山 有馬記念 GI 14 6 9 4.9(2人) 5着 河内洋 57 芝2500m(良) 2:31.7 (35.9) 0.8 トウカイテイオー
1995. 8. 20 函館 函館記念 GIII 16 8 15 5.7(2人) 16着 河内洋 58 芝2000m(重) 2:05.3 (39.8) 2.9 インターマイウェイ
9. 18 中山 オールカマー GII 10 5 5 9.1(5人) 9着 河内洋 59 芝2200m(稍) 2:18.1 (36.5) 1.8 ヒシアマゾン
10. 8 京都 京都大賞典 GII 13 7 10 13.0(6人) 13着 武豊 59 芝2400m(良) 2:28.0 (37.9) 2.7 ヒシアマゾン
10. 28 東京 アイルランドT OP 11 7 9 9.5(3人) 11着 蛯名正義 59.5 芝1600m(良) 1:35.6 (36.7) 2.3 トロットサンダー
11. 19 京都 マイルCS GI 18 2 4 40.4(11人) 13着 村本善之 57 芝1600m(良) 1:35.0 (35.7) 2.0 トロットサンダー
12. 9 阪神 鳴尾記念 GII 12 4 4 22.0(7人) 9着 河内洋 58 芝2500m(良) 2:32.9 (36.5) 1.6 カネツクロス
1996. 1. 24 川崎 川崎記念 12 5 6 -(4人) 9着 河内洋 55 ダ2000m(良) 2:10.8 (----) 3.3 ホクトベガ
2. 19 東京 目黒記念 GII 14 1 1 17.2(7人) 8着 的場均 56 芝2500m(良) 2:34.6 (36.8) 0.6 ユウセンショウ
3. 20 船橋 ダイオライト記念 8 6 6 -(3人) 6着 M.ロバーツ 55 ダ2400m(良) 2:34.1 (----) 2.8 ホクトベガ
4. 6 阪神 大阪城S OP 13 7 11 5.6(3人) 4着 南井克巳 56 芝2500m(良) 2:32.7 (35.8) 0.1 ダイタクサージャン
5. 11 京都 京阪杯 GIII 16 1 1 12.1(6人) 16着 河内洋 56 芝2200m(良) 2:15.4 (36.3) 2.6 ダンスパートナー
5. 25 東京 メイS OP 13 6 8 12.0(4人) 7着 的場均 56 芝2400m(良) 2:26.6 (35.8) 0.4 ダイゴウソウル
7. 7 阪神 宝塚記念 GI 13 2 2 35.4(9人) 8着 芹沢純一 58 芝2200m(良) 2:13.1 (35.6) 1.1 マヤノトップガン

血統

[編集]
レガシーワールド血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リファール系
[§ 2]

* モガミ
Mogami
1976 青鹿毛
父の父
Lyphard
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
父の母
* ノーラック
No Luck
1968 黒鹿毛
Lucky Debonair Vertex
Fresh as Fresh
No Teasing Palestinian
No Fidding

ドンナリディア
1983 栗毛
* ジムフレンチ
Jim French
1968 鹿毛
Graustark Ribot
Flower Bowl
Dinner Partner Tom Fool
Bluehaze
母の母
ダイゴハマイサミ
1966 栗毛
* チャイナロック Rockefella
May Wong
ハマイサミ * ヴィーノーピュロー
ミスヒガシ
母系(F-No.) プロポンチス系(FN:F4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 なし [§ 4]
出典
  1. ^ [14]
  2. ^ [15]
  3. ^ [16][14]
  4. ^ [14]
近親
祖母の半兄イチハマイサミ(中央名ダイヨンハマイサミ)は報知グランプリカップの勝ち馬[16]
6代母パシフイツク(競走馬名クヰンフロラー)は1926年帝室御賞典勝ち馬。さらに牝系を遡ると、小岩井農場の基礎輸入牝馬の一頭であるプロポンチスにたどり着く。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o レガシーワールド”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年10月7日閲覧。
  2. ^ 【1992年・セントライト記念】菊花賞には出られないけど…セン馬の地位向上にひと役買ったレガシーワールド”. 東スポ競馬 (2022年9月16日). 2024年10月3日閲覧。
  3. ^ a b c #鍛えて最強馬をつくる、179頁。
  4. ^ a b 『優駿』1992年11月号、日本中央競馬会、144頁
  5. ^ #鍛えて最強馬をつくる、180頁。
  6. ^ 但し、気性の悪さは相変わらずで引退するまで騎手が騎乗する返し馬はできず、曳き馬で発走地点に向かった。パドックでも汗をダラダラと垂らしながら鼻息荒くのしのしと歩くという状況で、原るみかが漫画作品中でこれを指して「怪獣」と形容したほどであった。
  7. ^ 通常、クラシックレースのトライアルレースは騸馬は出走できないが、このセントライト記念は出走可能である。
  8. ^ レガシーワールドを訪ねて~へいはた牧場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2024年9月5日閲覧。
  9. ^ 戸山厩舎の解散後、一時的に鶴留明雄厩舎所属となったが、出走する事なく森厩舎の開業に伴い、移籍した。
  10. ^ レガシーワールドを訪ねて~へいはた牧場 | 馬産地コラム | 競走馬のふるさと案内所”. uma-furusato.com. 2024年7月16日閲覧。
  11. ^ 『週刊100名馬 42』産業経済新聞社。 
  12. ^ ジャパンC覇者レガシーワールドが死亡、32歳 日本調教馬初のセン馬のGIウイナー”. netkeiba.com. 2022年2月5日閲覧。
  13. ^ 32歳、GI馬レガシーワールド亡くなる 相棒と暮らした穏やかな余生(花岡貴子) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2024年6月8日閲覧。
  14. ^ a b c 血統情報:5代血統表|レガシーワールド|JBISサーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2015年6月18日閲覧。
  15. ^ レガシーワールドの血統表|競走馬データ - netkeiba.com”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2016年7月29日閲覧。
  16. ^ a b 『優駿』1992年11月号、日本中央競馬会、145頁

参考文献・出典

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外部リンク

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