メゾン=アルフォール
Maisons-Alfort | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | ヴァル=ド=マルヌ県 |
郡 (arrondissement) | クレテイユ郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 94046 |
郵便番号 | 94700 |
市長(任期) |
ミシェル・エルビヨン (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
53,233人 (2006年) |
人口密度 | 9 895人/km2 |
住民の呼称 | Maisonnais, Maisonnaises |
地理 | |
座標 | 北緯48度48分21秒 東経2度26分16秒 / 北緯48.8058333333度 東経2.43777777778度座標: 北緯48度48分21秒 東経2度26分16秒 / 北緯48.8058333333度 東経2.43777777778度 |
標高 |
平均:m 最低:24 m 最高:47m |
面積 | 5.38km2 |
公式サイト | http://www.maisons-alfort.fr |
メゾン=アルフォール (Maisons-Alfort)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、ヴァル=ド=マルヌ県のコミューン。パリ郊外の南東約3キロメートルのところにある。マルヌ川の南岸に位置する。北をA4、南をA86といった主要道が通るため、イル=ド=フランス内の移動が非常にしやすい。
交通
[編集]由来
[編集]地名はマルヌ川とセーヌ川の合流地点に最初に住んだ人々と事実上つながりがあり、時を経て変わっていった。コミューンの名であるメゾンは複数形であるles Maisonsの一部であり、これはかつてのローマ街道沿いにあった休憩所、mansioに由来する。Alfortとは、コミューンの中にあった村Harefortが原型である。このHarefortとは、ヘリフォード(英語でHareford)司教ピーター・オブ・エグブランチがこの地に所領を持っていたことにちなむ。HarefortとはHarefordのフランス語形である。時がたつにつれ名前は変化し、1612年にはHallefortとなり18世紀以降Alfortとなった。
歴史
[編集]1994年、メゾン=アルフォールで旧石器時代、新石器時代の遺物の出土が見られた。マルヌ川右岸一帯では、墓地や巨石記念物が見つかっている。
988年の憲章の中で、Mansionesという名の村の記述が見られる。この憲章では、ユーグ・カペーがマンシオネスの土地をサン=モール=デ=フォッセの修道院へ寄進する内容が書かれていた。これにより4年後の992年、ローマ教皇ヨハネス15世はecclesium Mansionibusという教会を建てた。
シャラントンの橋に近いメゾン=アルフォールは、百年戦争、ユグノー戦争で戦場となった。この時代のメゾン=アルフォール住民の暮らしについてははっきりとわかっていない。
1814年3月、アルフォール獣医学校(fr。ルイ15世時代につくられた世界最古の獣医学校。現在はフランス農業省管轄の高等教育機関)がメゾン=アルフォールの軍事キャンプ内へ移転した。半ば軍人としての教育も受けていた学生たちは、敵がシャラントン橋を狙えばその防衛に駆り出されていた。
1885年4月、メゾン=アルフォールの面積約4割を占める部分が分離され、アルフォールヴィルとなった。
1988年6月27日夕方に発生した、パリのリヨン駅での列車衝突事故は死者56人、負傷者57人を出す惨事となった。メゾン=アルフォールを経由してムランとの間を走る通勤列車と衝突したため、電車の運転手を含む大勢の犠牲者がメゾン=アルフォールの住民であった。
みどころ
[編集]- シャラントン砦 - アドルフ・ティエールの首都防衛構想に添って1842年に作られた。現在はフランス国家憲兵隊が管理。
- フラゴナール博物館 - 獣医学校に併設されている。動物の剥製などを展示。
- サン=レミ教会 - 教区教会。
メゾン=アルフォールは、一般に開放されている緑地が34ヘクタールある。歩行者道がマルヌ川沿い4kmにわたって続く。メゾン=アルフォールは、2006年度の花のまちコンクールで花4つを獲得している。
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サン=レミ教会
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シャラントン砦
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マルヌ川に浮かぶシャラントンノー島
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フラゴナール博物館