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ノート:曹操

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(2014年時点の話題)

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いつも思うのですが、歴史の記述をするときに三国志演義やゲームの攻略本を典拠に使うのはできるだけ避けた方がいいと思います。取り敢えずその手の記述は今回削りました。もっとも清朝考証学者ですら演義の影響が指摘されているわけですから仕方ないとは思いますが。--松平俊介会話2014年7月30日 (水) 00:56 (UTC)[返信]

同感です。三国時代の主要人物については演義や小説の話を史実であるかのように書いている記事が散見されます。さらに言えば、一個人の"新説"(妄想的な歴史修正を含む)を誰もが納得した決定的な史実であるように偽って書いているページも多いです。曹操は特に。修正の必要があると思います。--Light Y会話2022年12月16日 (金) 05:05 (UTC)[返信]

記事の分割

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「経歴」の191年から199年までの曹操が躍進して基盤を構築した一連の戦いですが、劉備の入蜀孫策の江東平定のように、曹操が基盤を構築するために起こした大規模な一連の戦いであるため、分割を行いたいと思いますが、いかがでしょうか。--58.138.3.151 2022年9月8日 (木) 00:15 (UTC)[返信]

保留(反対寄り) この時期に曹操が地位を高め、基盤が構築された(「自発 (文法)」要素強め)という以上のことを読み取りがたいのですが、当該期間を一つの塊として捉え、(Wikipedia:分割提案に書いておられるように)「曹操の躍進」と呼称することは中国史の世界において一般的なのでしょうか。より詳しく根拠を説明していただきたく思います。--YTRK会話2022年9月16日 (金) 14:13 (UTC)[返信]

徐州大虐殺の記載について

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曹操についてネット「徐州大虐殺」という行為を目にします。こちらが記載されていないのは史実があいまいだったり、信頼たる出典元がないからでしょうか?もし問題なければ記載しようと考えておりますので、反対意見がありましたら教えていただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。--クレイトスⅣ世会話2022年11月22日 (火) 11:53 (UTC)[返信]

曹操についてですか。「徐州大虐殺」は直近の史書の複数に記されていますから、”出典元”としては十分にあると言えます。ただ中国共産党が正統とする史書(陳寿『三国志』通称:正史)の本文には書かれていませんので、そのことを根拠として徐州住民虐殺を否定する論文が近代中国で大量に噴出しています。なおそれらの論文は毛沢東の政策に沿った結論ありきの"歴史修正"の側面が強く、解釈歪曲や屁理屈で事実を無かったことにする論調があります(背景の経緯は文化大革命参照)。日本では渡邉義浩など孔子学院の学者がその論を書籍で布教していて、無理くりな内容はコアな三国志マニアに鼻で笑われているのですが、漫画やゲームのイメージだけで曹操ファンとなった人には盲信する人も多いのが現状です。虐殺について書かれてもいいですが、今はそのような偏った曹操ファンが多く巡回しており自分たちの説を布教・押しつける活動をしているため中途半端な記述では削除される可能性が高いでしょう。見たところ「虐殺・粛清」の項目は不十分だと感じましたので、後ほど加筆させていただきます。--Light Y会話2022年12月16日 (金) 04:57 (UTC)[返信]
補足 "直近の史書"とはほぼ同時代の、という意味です。--Light Y会話2022年12月16日 (金) 04:58 (UTC)[返信]
宣言した通り加筆致しました。「虐殺・粛清」の項目はほとんど書き換えてしまいましたが(申し訳ありません)、徐州虐殺の年号など一部残させていただきました。また虐殺の史実はこの人物を語るためには欠かせない、非常に重要な事項と考えましたので、見出しを一段階上げ「事績」から分けました。ご確認のうえ誤字などありましたら修正いただけますと幸いです。削除された場合は復帰にご協力ください。--Light Y会話2022年12月18日 (日) 11:24 (UTC)[返信]
ご報告です。
残念ながら下記の会話でわかるように孔子学院生徒や工作員の人たちが集まって来ていまして、曹操様の都合が悪い史実(虐殺・修正の記録)の全面削除、つまり“焚書”に動き出しているようです。
中国共産党の指示による文化大革命、日本で遂行中って感じですね。
工作員は大量にいます。抵抗しても大人数の力で弾圧されるだけでしょう。
日本語圏のWikipediaでこのような歴史修正の犯罪が行われている現実。ここで行われていることが証拠ですよ。
この事実を記録して拡散してください。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 20:48 (UTC)[返信]

記事の改善に向けて

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ツイッターでこの記事の現状を知り、なんとかしないといけないと思われます。とりあえず「曹操の犯した虐殺、粛清、悪行」の節については全削除するのが適切と考えます。徐州の虐殺については特筆する価値があると思いますが、それ以外の誅殺などについては歴史の常であり、それを殊更に強調した文言は削除されるべきと考えます。
その他についても『世説新語』や『曹瞞伝』など依拠するべきではない野史に基づいた記述も全て削除されるべき(信用性の低い逸話として挙げられるならば許容できなくもない)。それ以外にも史料の独自解釈での記述が目立ちます。
で、私の結論としては全面的に改稿の必要な記事であり、近日中(今月中にできるように努力します)に改稿案を提示するつもりです。既存の文章を活かしたいとは考えますが、どうにも無理と思われ、一から作り直したほう楽と判断します。
曹操の評伝として定評のある石井仁や堀敏一を基に書き改めるつもりです。
でですが、繰り返しになりますが「曹操の犯した虐殺、粛清、悪行」の節について全削除するのが適切と考えます。一週間後を目処に実行します。--らりた会話2023年7月18日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

全て残すのが適切と考えます。単に歴史書の記述を並べただけです。
曹操の悪行の記述を見て判断するのが筋です。--Test3594会話2023年7月18日 (火) 12:46 (UTC)[返信]
> 依拠するべきではない野史に基づいた記述
何故曹操に都合の悪い時だけそれを言うのかがよく分かりません。
そして別に野史だけに書かれてるわけではありません。曹操の悪行は陳寿筆頭にたくさんあります。

別に『曹瞞伝』や『世説新語』は大した分量ではないのに全削除を言い出す正当な理由がありません そして野史の記述を載せるなという方針を曹操にだけ適用するのは不公平です

>曹操の評伝として定評のある石井仁や堀敏一を基に書き改めるつもり
陳寿三国志や裴注をさしおいて優先する理由がありません。--Test3594会話2023年7月18日 (火) 12:49 (UTC)[返信]
自由圏のWikipediaらしからぬ横暴な削除要請に呆れています。既にこの下の会話でTest3594さんは納得されているようですが、不可解な点が多いため意見を述べさせていただきます。
>誅殺などについては歴史の常
“歴史の常”だというだけの理由で虐殺行為を百科事典から削除するなどとは聞いたことがありません。他の歴史人物のページで「よくあることだから」との理由で虐殺の記録が削除されたことはありますか? 
もしあなたの主張が通るなら、ナチスの共産主義者虐殺も「よくあることだから」削除すべきということになりますがどう思われますか。
>『世説新語』や『曹瞞伝』など依拠するべきではない野史に基づいた記述も全て削除されるべき
都合の悪いことが書かれた歴史書を「信頼すべきではない記録書」とレッテル貼りして排除する行為は歴史修正でよく行われる犯罪手法。ナチスやソヴィエトも行いましたし中国共産党が現に行っている手法です。
そのような恣意的な記録の取捨選択を行うならば、ナチスと同等の“歴史修正”に相当する犯罪と言えます。
当然にWikipediaの公平性ルールに反しており、人類への犯罪ともなります。
“依拠すべきではない野史”とは個人や特定集団が決めることではなく読み手が決めるべきもの。信頼できないとする根拠があるならその点を注釈すれば足ります。
“権威ある学者の研究”も誰が決めたことでしょうか? “定評がある”の基準は何でしょうか? ここ十年や二十年に、特定集団内だけで支持され「定評」を得ていると主張されている研究を絶対的に正しいとする根拠はありません。
学者の研究も裏付け資料や科学的根拠がないなら、個人の解釈と同じレベルで排除すべきと思います。
定評を根拠として優位性を主張するなら、千七百年以上多くの人々から定評を得てきた陳寿『正史』はもちろん『世説新語』や『曹瞞伝』のほうが支持する人数は圧倒で多いでしょう。
あたかも共産国の広報誌のように、イデオロギーに基づき不都合な記録を改ざんするのはやめるべきでしょう。
ここは中国共産党が運営するサイトではなくwikipedia財団が運営する日本語のページです。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 19:46 (UTC)[返信]
運営者名“ウィキメディア財団”でした。訂正させていただきます。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 21:04 (UTC)[返信]
らりたさん、こんにちは。aozaiと申します。
私も外部サービスでこのノートの書き込みを知って訪問しました。三国志ファンではない部外者として読んでいて、とても問題がある場だと感じたのでコメントさせていただきますね。
本記事では“曹操”という人物に対して強い愛情をお持ちのグループと、そうではない方との間で意見の食い違いがあるように見受けられます。
まず皆さんに知っていただきたいのは、ウィキペディアは一般的な掲示板と異なり「ファンの集いの場」ではなく事実に基づく話を書く百科事典だということです。
歴史人物へファン感情をお持ちであるのは素晴らしいことですが、いくら好きだからといってその人物にとって都合の良い見解・特定の研究者の言説だけを書き連ねることはここでは許されません
「石井仁や堀敏一」という研究者がどれだけ偉い人なのか存じ上げませんが、学者であっても一個人ですから独自見解から逃れることはできませんよね。それにその学者の背景にイデオロギーがあったり、特定国家政府の指導を受けているかどうかを我々が客観的に知る手段がありません。
本文記事にも書かれているように1960年以降、文化大革命より後は中国共産党の指導のもとで改変された歴史学の本しか出版されていません。中華史において中国の指示にしたがわざるを得ない日本の学界も同様の事情でして、歴史学者たちは中華史に関して自分の本当の考えを書くことができずに共産党側が出してきた台本で書いている状況なのです。実際の現場では物騒な脅迫も飛び交っています。
だから1960年以降の中華史研究(始皇帝に関する書籍、三国志の論文・書籍)は信頼するに値しない資料と言えます。
しかしほとんどの三国志ファンはこのような近代史の背景をご存知ないでしょう。
だからこそ歴史家の研究はあくまでも個人の研究に過ぎないことを念頭において、ウィキペディアでは何よりもまず事実を記した史書の記録を最優先して列挙すべきです。特に最も近い時代の史書の記録文は、良いことも悪いことも全て漏らさず書くようにしなければいけません。その記録が信ぴょう性があるかないかは根拠とともに注釈で書いてください。
たとえば「曹操の犯した虐殺、粛清、悪行」は、タイトルのうち“悪行”との表現をカットすれば大変良い項目だと思いました。
たしかにジェノサイドは“反人道”の行為で一般的に悪と呼ばれますが、悪か善か判断することはウィキペディアの使命ではありません。
ただし、史書に書かれた事件というだけなら省略せずに必ず挙げるべきです。
また一人の人物が同じ行為(殺戮など)を何度も繰り返していた場合、それはその人物を特徴づけるのに重要な情報と言えます。
そのような重大情報は経歴に紛れ込ませるのではなく、整理のために列挙することは読者にとって有益です。この項目を最初に作られた方は整理の目的で行っていて、ことさらに曹操という人物を貶める目的で行ったとは見えません。
貶める目的の嵐ならば曹操にとって有利となる他の項目を削除していたはずでしょう? 曹操支持者ではない投稿者もそのようなことはされておらず、ただ史実を記しただけなのですから公平で中立と言えます。
表現は少し問題があるので修正の必要はあるでしょうが、最小限にとどめるべきです。
他の方も指摘しておられますが、“誅殺は歴史の常だから削除すべき”という理屈は全く意味不明で不当なものと言えるでしょう。そのような理由で事実を削除していたら、ウィキペディアの記事のほとんどはスカスカの空白だらけのページとなりますね。何故ならウィキペディアに書かれている事件のほとんどが「人類の歴史において常」に起きていることばかりだからです。
それにその人物や集団にとって都合の悪い事実を隠す行為は「ホワイトウォッシング」と呼ばれウィキペディアでも大変問題となる行為です。カタカナで書くと楽しそうですけど、これはいわゆる歴史修正主義のことですよ。
日本語版ウィキペディアにはこの「ホワイトウォッシング」が多いと言われています。外部リンク:日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策
らりたさん、その他の曹操支持者の皆さん、あなた方がしようとしていることは上記のホワイトウォッシング--立派な「歴史修正」であることご自覚ください。きっとここをファンの掲示板と間違って軽い気持ちで言論修正しようとしているのでしょうが、それをしてしまえばナチスや共産党と同等になってしまいます。
もし片方に都合の良い削除・修正が行われたら、もう少し客観的な話のできる公の場で本記事について討論することになると思います。
ホワイトウォッシングはアカウント停止の要件にもなり得るので、少し冷静になって考え直してください。
あともう一つ、修正履歴やここに書き込んだ意見が半永久的に残ることはご存知ですか? あなた方がどの文言を削除したのか、何を言ったのか行動全てが後の人にも観察されることになります。特に歴史修正主義を肯定するような意見を書き込むのは注意したほうがいいでしょう。
「日本語版のウィキペディアはレベル低い」と言われているのは不名誉なことです。もう少し史実に対して謙虚な姿勢を学び、改善していきませんか?--Aozai99会話2023年7月23日 (日) 17:14 (UTC)[返信]
上のLight Y氏よりはましなようですが、いきなり人のことを歴史修正主義者呼ばわりには閉口します。Wikipedia:礼儀を忘れないを参照・熟読願います。あなたが中国の曹操関連の研究・論文・日本の曹操関連の研究・論文にどのような感想を抱いているかは知りませんが、そのような「あなたの所感」を反映させることが独自の研究と言っているのです。以上、歴史修正主義その他の言説が撤回されない限り、あなたとの議論は拒否します。--らりた会話2023年7月24日 (月) 11:48 (UTC)[返信]
久しぶりに来たら曹操崇拝者の独占で修正祭りですか、ひどく偏った状況です。
あなた方は歴史修正主義の議論からは完全に逃げましたね? 何も答えず対話を完全に拒否する態度のほうがよほど失礼でしょう。
挨拶されてるのに挨拶すら返さない。礼儀がなっていない。相手を人間扱いしていない。「それってあなたの感想ですよね」とだけ言って一切の批判を封じる手法は幼稚過ぎる。とうていWikipediaの書き手とは思えません。
Aozai氏は中国共産党による事実の歴史修正行為を提示しているだけで個人の感想を述べているわけではないです。あなた方のほうが独自の所感だけで中国共産党とそれに従う研究者の論文をメジャーで正しいと言っていますよね。何の根拠もなく。
今回修正された記事本文も見ましたけど見事にホワイトウォッシングした歴史修正記事でした。私怨での誅殺とか粛清は完全にカットですか。曹操ページでは「誅殺はよくあることだからカットすべき」て、方針なんでしたっけ? それってWikipediaの方針ではなく中国共産党やナチスなど歴史修正主義者の方針ですよね?
参照。【歴史修正主義とは】“主流の歴史家が(例えば)正の力と捉えていたものが負の力として描かれるような、道徳的知見の逆転を含む議論は遥かに物議を呼ぶ。このような修正は、主流の見解の支持者から(特に激しい言葉で)異議を唱えられる。そして不適切な方法を用い、あるいは最初から事実と異なる言説を広めること、ジェノサイドの否定などを目的とする場合には、特に批判の対象とされる。”
これってまさにここで行われていることです。
それから「なので」との表現、「それらを廃した真の曹操像を復元することは難しいと言わざるを得ない」といった個人的感想(願望)はSNSのつぶやきのようで幼稚です。歴史修正主義とともに問題とすべきです。--Light Y会話2023年9月3日 (日) 14:56 (UTC)[返信]


皆様はじめまして。ぬこマニアと申します。現在の内容は一部の執筆者による虐殺家・虐殺王などとする独自介錯による偏執的な編集によりWikipedia:中立的な観点の原則が保たれているとは思えません。

一例として身長が低く歯が無かったことや、野史の通りであるなら歪んだ醜い顔をしていたために容姿に自信がなかったと考えられる。どなたの記述かは存じませぬが、考えられるなどという言葉はWikipediaの編集において用いられるべき言葉ではありません。これについてはWikipedia:言葉を濁さないを熟読いただきたく思います。

他にも申し上げたいことは色々ありますが、独自見解的内容が散見されると先にMuyo様が編集されておりましたが、大方その通りであると思います。独自見解だけならまだしも曹操という人物を偏狭的な視点で見ざるを得ない記事になりつつあるため、私はらりた様の提議に賛同いたします。 --ぬこマニア会話2023年7月18日 (火) 13:20 (UTC)[返信]

身長が低かったとかは、以前からあるものであり私の記述ではありません。
曹操が悪行だらけなのは客観的史実でしかありませんが、何故曹操の場合だけ歴史書の記述を並べただけで削除したがるのかが分かりません。
例えば劉備に都合の悪い史実(例: 張裕の処刑)などを一々削除しろとは思いません。
何故曹操の時だけそんなに騒ぎ立てるのでしょう?
それは「曹操は不当に貶められてきた」という被害者意識を持っているからではありませんか--Test3594会話2023年7月18日 (火) 13:25 (UTC)[返信]
>身長が低く歯が無かったこと
ご存知とは思いますが、これは2009年・2011年に行われた曹操高陵(2018年に曹操の陵墓と断定)発掘調査で判明した信憑性の高い事実です。
歴史家独自の解釈と異なり科学的根拠を持つ事実。これを「独自解釈」とレッテル貼りするのはイメージ操作ではないでしょうか。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 20:03 (UTC)[返信]
>曹操という人物を偏狭的な視点で見ざるを得ない記事
曹操に関して詩文の芸術性の高さ、屯田兵で国民を慰撫した功績?(これらこそ偏ったイメージを植える独自解釈うと思われますが)は残されています。中立で公平な記事となっていると思われますが、何故曹操にとって都合の悪い記録が少し掲載されただけで「偏狭」と呼ぶのか。
むしろ今まで虐殺の史実が排除されてきたことのほうが「偏狭」で不公平、Wikipediaのルールに反していたと言えます。
「曹操のページでは虐殺の記事は全削除しろ、良いことだけ掲載しろ」とは、偏った思想を持つ方の一方的な要求と見えますね。
とても自由圏の言論とは思えません。
中国共産党の支配下にあるのでしょうか。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 20:10 (UTC)[返信]
こんにちは、ぬこマニアさん。
あなたの書き込みについて思うことも、らりたさんへの返信で書かせていただいたことと同様です。繰り返し同じ投稿はできませんので、らりたさんへの返信をご参照くださいませ。
「現在の内容は一部の執筆者による虐殺家・虐殺王などとする独自介錯による偏執的な編集」偏執的かどうかはあなたや、あなた方特定の趣向を持つグループが裁定することではありませんよ。読者が判断することです。そしてたいていの読者の目には、あなた方熱狂的な曹操支持者のほうが偏執的に映るでしょう。
ここではTest3594さんという一人のユーザーに対し、曹操を熱狂的に支持する“ファン”が集団で攻撃しているように見えます。ファン同士の世界ではこのような吊るし上げ行為が当たり前になっているのですか?  
三国志のファン同士の場が環境であるのか部外者の私は知らなかったのですが、まあまあ想像ができてしまうほど恐怖を覚える光景でした。
ここはウィキペディアであって一般掲示板のようにファンが想いを書き込む場ではありません。まして大勢で誰か一人を取り囲んで吊るし上げ、罵詈雑言を浴びせて自分たちの思想を一方的に押し付ける場ではありませんよ。そのような文化大革命そのものの行いは人類社会のどこでも許すべきではありませんが。
確かにTestさんの表現には行き過ぎや独自見解もあるようです。熱意はお持ちと感じます。
しかし対立するグループの書き込みよりはよほど中立で控え目です。これまで故意に省かれてきたこの歴史人物に関する不利な事実を、史書から列挙しようとした試みはウィキペディアの中立性に近付くための勇敢な行いでした。
履歴を遡ってみましたが、むしろこれまでの記事のほうが明白にホワイトウォッシングされていてウィキペディアの中立性からかけ離れていたと言うべきです。
「Wikipediaは百科事典です。繰り返しになりますが、1人の思考や思想を他者に強要・誘導する記述を行うべき場所ではありません。」
これは失礼ながらブーメランになると思われます…。
「Wikipediaは百科事典」と仰るなら、まず大前提として直近の史書に書かれた事件は野史も含めて列挙すべきです。良い話も悪い話もぜんぶ。話はそれからです。
直近の史家が記した記録情報を読者へ一切与えずに、最近の共産イデオロギーに染まっているかもしれない(らりたさんへの返信で書いた通りその可能性は非常に高いです)研究者の意見だけ並べ立てるのはホワイトウォッシングであるだけではなく。歴史“改ざん”行為にも当たると思われます。
Testさんの投稿は偏りのある表現を修正するにとどめてください。列挙している史実の部分は決して削除すべきではありません。
もう一度初心者向けのガイドラインを読み返されてください。
「ウィキペディアは事実を書く百科事典です!」と書いてありますよ。
史書に書かれたことが事実そのものではないことは、大人であれば誰もがわかっていることです。事実にたどり着くのは難しい。真実に近づくのはもっと難しいです。
でも、史書の記録を恣意的に省いていたら事実にも真実にも絶対に近付けないのです。
当たり前のことを書いてしまいましたが、少しは伝わりましたでしょうか?
あなたに伝わらなくともここを眺めている外部の方々には伝わるだろうと信じます。--Aozai99会話2023年7月23日 (日) 18:12 (UTC)[返信]


曹操が悪行だらけなのは客観的史実先ず、この考え方が先に立って編集に当たっている時点で曹操1人に対する固定概念以外の何者でもなく、客観的などと言いつつ俯瞰的かつ公平性を持った視点ではありませんよね。

つづきまして、「曹操は不当に貶められてきた」という被害者意識を持っているからではありませんか 他の執筆者をこの様に断じている時点で前述した様に曹操と言う人物を一つの考えで捉えていることの証左であるかと感じます。虐殺王・虐殺者、悪辣と言う負の評価を断定的に用いようとしている時点で明らかかと思います。

WikipediaはTest3594さんの俺史観とやらを垂れ流す場所ではありません。1人の人物には100人が見れば100通りの意見や評価があると思います。それを一方的に負の印象付ける記事の書き方をしている時点でWikipedia:中立的な観点の原則が保たれていません。Wikipediaは百科事典です。繰り返しになりますが、1人の思考や思想を他者に強要・誘導する記述を行うべき場所ではありません。どうしても一個人の主観が多分に含まれることは避け得ないかも知れませんが、今の曹操の編集についてはあまりにも一方通行かつ誘導、出典の出し方などについてもTest3594さんの独自解釈が強い編集となっていることを自覚頂きたく思います。--ぬこマニア会話2023年7月19日 (水) 05:18 (UTC)[返信]

ぬこマニア氏のご意見はしかと受け止めました。指摘された中で確かに納得できる部分はございます。
しかし、曹操の悪徳な記述を削除することに執心している立場の人が、
「負の印象付けている」とどうしても言えるのでしょう。
私からすればぬこマニア氏の作業は「史実の負の印象を不当に消している」「なかったことにしている」と映ります。
曹操の悪辣具合がどれほどのものかは、実際の記述みた皆様が判断することではありませんか?
そして公平性のためには実際の歴史書の記述を用意するしかないと思われます。
それでも「不当な印象操作をされている」と感じるなら
逆に曹操の善良なエピソード集を用意される、のが良いかと思います。
そこに関して誰からも文句はないかと思います。
誰も出典付きのことには文句は言わないでしょう--Test3594会話2023年7月19日 (水) 06:17 (UTC)[返信]
>虐殺王・虐殺者、悪辣と言う負の評価を断定的に用いようとしている
どこにもそのような断定用語はなく、ただ記録された史実を列挙されているだけに過ぎませんが。むしろそう思う投稿者様のほうが偏見に凝り固まっているように思われますが。
ただ公平に史実を書いただけで大騒ぎするのは不可解です。
Test3594さんが仰る通り善行も悪行も全て列挙すべきです。
個人として、あるいは少数の思想集団として気に食わないからといって「この歴史人物のページでは善行のみ書くべき。イメージが落ちそうな史実は全削除せよ」との主張ってWikipediaで許されていましたっけ?
どう考えてもあなた方、削除派はおかしなことを言っていますがね。
恣意的な歴史修正は明白な規約違反であり人類への裏切り行為です。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 21:00 (UTC)[返信]

記事の改善について2

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歴史書の記述を載せただけでこんなに抵抗する方がいるとは驚きでした。

それだけ今まで曹操の悪行が見過ごされており、自覚されてないだけで曹操贔屓バイアスに陥ってる方が多かったのだと思います。


やりあってもしょうがないのでwikiをより良いものにするためのご提案ですが

単純に曹操の悪行も善行も正史野史問わず複数人で全部載せるようにすれば良いのでは?と思いますが

いかがでしょうか。どう見たって中立的で偏りも何もないですよね。


で記載する時は全て出典を付ける、それで如何でしょうか?


--Test3594会話2023年7月19日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

とりあえず双方ともに一旦編集の手を止めていただけないでしょうか?このままだとWikipedia:保護依頼に出さざるを得なくなります。
でですが、まずWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点のウィキペディアにおける三本の柱の文章を熟読してください。
曹操が善良であったか悪徳であったかなどは我々ウィキペディアンが判断するべきことではなく、歴史上に名のある歴史家あるいは権威ある専門家が分析した結果を乗せるべきであり、Test3594さんが取捨選択したエピソードを連ねていくことは正しくありません
正史に記載されているエピソードだからといってそれをいちいち取り上げる価値があるとは限りません。正のであれ負のであれ「エピソードを並べることは記事の充実に繋がらない」ということを理解してください。
先にも述べたように専門家の「分析」を記載するべきであり、あなたの「分析」「取捨選択」によって記述することを謹んでください。
とりあえずは以上です。
と書こうとしたところで競合しました。
「悪行も善行も正史野史問わず複数人で全部載せるように」
などということは絶対に止めてください。Test3594さんは百科事典の記事を書くということを根底から理解できてないようです。--らりた会話2023年7月19日 (水) 12:11 (UTC)[返信]
コメント依頼に出しました。--らりた会話2023年7月19日 (水) 12:14 (UTC)[返信]
らりた様。ご面倒おかけして大変申し訳ございません。先程、武帝紀より原文を出典として追記しましたが、何れかの裁定・判断が下るまでこれを最後に一旦編集を止めさせて頂きます。--ぬこマニア会話2023年7月19日 (水) 12:21 (UTC)[返信]
皆様ご返信・ご指摘ありがとうございます。
言葉遣い・ルール含めペーペーでございました。
> 「エピソードを並べることは記事の充実に繋がらない」
こちら盲点でした。全て書けば良いと思っておりました。
助言通り専門家の分析を待つため編集辞めるに致します。--Test3594会話2023年7月19日 (水) 13:09 (UTC)[返信]
こちらの提案を受け入れていただきありがとうございます。次いで私からTest3594さんに対して行き過ぎの言葉があったことを謝罪します。大変申し訳ありませんでした。
先に上げた石井・堀両氏作の伝記を元にした改稿案もできる限り早く上梓できるように努力します。--らりた会話2023年7月19日 (水) 13:23 (UTC)[返信]
こちらこそ申し訳ございませんでした。ありがとうございました。--Test3594会話2023年7月19日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
(Test3594さんへ)らりたさんのおっしゃるとおりで、ウィキペディアは史料(ウィキペディア用語の一次資料)を出典に書くのではなく、信頼できる専門家(歴史学者)の記述(WP:RS#歴史参照)をもとに書く必要があります。これは生涯や人物も評価の記述も同様です。手前味噌ですが、たとえば良質な記事となっている「織田信長」をご参照ください。--伊佐坂安物会話/履歴2023年7月19日 (水) 12:32 (UTC)[返信]
伊佐様、ありがとうございます。wikiのルール盲点でした。
ご助言ありがとうございます。--Test3594会話2023年7月19日 (水) 13:11 (UTC)[返信]
Test3594様が納得されているのですが、ここは公共の場であり数人で決めるべきことではないと思うため傍から見た意見を追加させていただきます。
>曹操が善良であったか悪徳であったかなどは我々ウィキペディアンが判断するべきことではなく、
ここは全く同感です。だからこそ『正史』等、有名な史書に記録されている史実とされてきた話は全て掲載すべきでしょう。
史書に疑義を挟むのは注釈ですべきことであって、個人的願望あるいは現代少数から指示されている“権威ある歴史家”とやらの独自解釈によって史書を排除すべきではありません。それがナチスやソヴィエトの行った「歴史修正」というもの。焚書という行いに等しいでしょう。
>歴史上に名のある歴史家あるいは権威ある専門家が分析した結果を乗せるべきであり、Test3594さんが取捨選択したエピソードを連ねていくことは正しくありません。
あなたが「権威ある専門家」を定めて取捨選択するのは正しいのですか?
三国志関連人物の研究では最も名があり、権威ある歴史家とは陳寿ということになります。その次に裴松之注の記録となります。何を根拠にか“信頼できない”とレッテル貼りされていますが。
その長い歴史で定評を得てきたそれらの記録文を排除し、現代歴史家の研究のみを正当として書き連ねる行為は偏狭です。
少人数の判断だけで
“排除すべき記録書”
など存在するのでしょうか?
“権威ある歴史家”
の定義とは何ですか?
繰り返しとなりますが歴史・支持者の数で優位性を決めるなら上記の古典となるでしょう。
古典を排除し現代研究者の文だけ載せようとするのは恣意が過ぎます。
このような少人数での恣意的な修正を認めれば、イデオロギーを背景として歴史修正する集団の犯罪を認めることになります。Wikipediaとしても問題視すべき件でしょうね。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 20:37 (UTC)[返信]
訂正:現代少数から指示されている →支持 の誤変換でした。そのほか繰り返しが多い文で失礼しました。--Light Y会話2023年7月21日 (金) 20:52 (UTC)[返信]
とりあえずWikipedia:礼儀を忘れないを参照・熟読をお願いします。現時点ではあなたと議論する気は起きません。--らりた会話2023年7月22日 (土) 11:26 (UTC)[返信]
らりた様にご質問です。
改稿案が発表されてない段階で言うのもアレですが
他の歴史上の人物のwikiページ(例: 劉備や諸葛亮)は
毎度専門家の分析(1次資料を分析した二次資料)を
下にして書かれているのでしょうか?
正直、70,80%ぐらいは一次資料(陳寿三国志や裴注)を和訳したもの
を乗っけてるだけのように思いますが、
実は載せている情報の取捨選択を専門家の分析を基に行われているのでしょうか?
後学のために教えていただければ幸いです。
また、以下記事を読みました。
https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E8%BC%89%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84#%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%B3%87%E6%96%99%E3%81%A8%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E8%B3%87%E6%96%99
> ウィキペディアの記事は、公表ずみの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。二次資料や三次資料は、記事の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。
> ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり
「曹操の犯した虐殺、粛清、悪行」欄は二次資料に基づいていないというのは重々承知しており
さらに関係ない話や「解釈」を加えてる部分はあり改善の多々必要であるかと思います。
ただ、「独自研究」でも「分析」でもない単に一次資料の提示レベルにとどまっている部分も多いと思うのですが
それでも全削除すべきでしょうか。
ダメな逸話ばかり採用するのは「"分析"に当たるからダメ」ということかもしませんが、
「だったら他の逸話も採用すれば良いやん」は通用しないんですよね。一体どうすれば良いんでしょうか。
例えば曹操ページの「逸話」欄やら劉備やら諸葛亮のページやらの採用基準なんてあるんですかね。
一次二次問わずとりあえず目についたのをピックアップしてる感じのように思います。
https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E4%B8%AD%E7%AB%8B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A6%B3%E7%82%B9
> ウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな信頼できる情報源を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平に、各観点の比重に応じて
中立性のページに関してですが、結局のところ全部の逸話を載せないのと各観点の比重は分からず
「中立」は成せないのではありませんか?
らりた様を批判してるのではなく、wikiページはどうあるべきなのかよう分からんので教えて欲しいだけです。できれば回答いただけると幸いです。--Test3594会話2023年7月23日 (日) 21:15 (UTC)[返信]
たしかに現時点で中国史の記事でそういったことがきちんと出来ている記事はごく少数と言わざるを得ません。挙げられた諸葛亮については大昔に書いた私の文章が元になっており、汗顔の至りであります。
でですが。
>全部の逸話を載せないのと各観点の比重は分からず
という考え方は百科事典の編纂ということに対しての姿勢として完全に間違いと私は考えますので、ぜひ改めてください。Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるも参照の程をお願いします。
前にも言った通り、「エピソードを並べることは記事の充実に繋がらない」ということです。
例えば三国時代 (中国)の記事(こちらも私が昔書いた文章が元になっていますがちゃんと出来ていません)で官渡の戦い赤壁の戦い夷陵の戦いなどの三国時代の画期になったと考えられる重要な事項と例えば曹操が梅林があるといって兵士を騙したとか孫権が宴会で「酔った時に言ったことは無効だ」とかのエピソードを三国時代に関係あるからといってずらずら並列に並べる記事が果たして百科事典として良い記事でしょうか?
私にはとてもそう思えません。資料にある逸話を全部載せるという方向であれば、結局「資料のコピペ」にしかなっておらず、それは百科事典とは言えません。
百科事典である以上、事項の重要性に基づいて取捨選択が必要であります。そしてその取捨選択は我々ウィキペディアンがなすべきことではなく、専門家による取捨選択を参考にすべきであると私は考えます。
で、前にも挙げた諸葛亮などの記事では私自身の考えによる取捨選択をしており(専門家の書籍は参考にしていたはずですが記憶の彼方です)、その点で前に述べた「Test3594さんが取捨選択したエピソードを連ねていくことは正しくありません。」などとはまさしく「お前が言うな」であり、謹んで謝罪と発言の撤回をさせていただきます。--らりた会話2023年7月24日 (月) 12:28 (UTC)[返信]
で蛇足ですが。私は「曹操に関する悪エピソードを全削除する」などとは思っていません。特に徐州大虐殺については前述の石井氏の著作で節名として「徐州大虐殺」として付けられており、大虐殺によって当地の士大夫の失望を買ったことが呂布・張邈らの兗州奪取に繋がったとはっきりと書かれています。上に挙げたWikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避けるに書かれているように大虐殺はもちろん誅殺その他についても曹操の生涯の本文中に組み入れるつもりです。--らりた会話2023年7月24日 (月) 12:37 (UTC)[返信]
さらに蛇足。郭沫若氏による曹操再評価に中国共産党のイデオロギーが影響したことは明らかです。これも前述の堀氏の著作にはっきり書かれています。しかしだからといって郭氏による論が排除されるべきではありません。人間による言説にバイアスがかかっているのは当たり前であり、それは大前提です。そしてそれを踏まえた上で(専門家のまとめを基として)研究史を書いていくのが百科事典というものです。私も同じような過ちをノート:唐の高句麗出兵でやらかしてしまったわけですが。それの反省を込めて。
それと同じく渡邉義浩氏らによる現代の研究は当然彼らのバイアスがかかったものでありますが、それを前提として動くのが学問というものであり、その成果を研究史として反映させるのが百科事典というものです。「これらの研究はバイアスがかかっているから排除」などというのは正しくありません。--らりた会話2023年7月24日 (月) 12:52 (UTC)[返信]
ご丁寧な返信・まことにありがとうございます。
疑問に答えていただきありがとうございます。
諸葛亮の記事、とても良記事だと思います。
> エピソードを三国時代に関係あるからといってずらずら並列に並べる記事が果たして
百科事典として良い記事でしょうか?
関係者のwikiページの「逸話」欄とかにずらずら並べてある分には
記事の充実に繋がるんじゃないかと(個人的には)思いますが
wikiルール的には非推奨?なんですよね。難しいですね。
> 大虐殺はもちろん誅殺その他についても曹操の生涯の本文中に組み入れるつもりです
誠にありがとうございます。--Test3594会話2023年7月24日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

文案

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大幅に遅刻しましたが、とりあえず文案の完成です→利用者:らりた/sandbox/下書き4。まだ推敲してないので粗い出来ですが、読んでおかしなところがあればご指摘願います。--らりた会話2023年8月19日 (土) 09:16 (UTC)[返信]

らりた様
お疲れ様でした。個人的に気になった箇所が一つ。
後漢末黄巾の乱以来の群雄割拠を勝ち抜き、華北での覇権を確固たるものとしたが、中国を統一することは出来ず魏晋南北朝時代の分裂時代の端緒を作った。
この箇所の魏晋南北朝時代の分裂時代の端緒を作ったと言う箇所についてですが、晋朝が内乱の果てに五胡十六国時代を招いたのは晋朝の初代皇帝・司馬炎からの国造りや後継問題が大きく、220年に亡くなった曹操に起因を求め記載するのは違うのではないかと思います。如何せよ中国王朝が再統一を経て分裂するのは60年から先の話ですから。--ぬこマニア会話2023年8月19日 (土) 09:40 (UTC)[返信]
ぬこマニアさん、早速の査読ありがとうございます。
ご指摘の箇所については、私自身にはその記述を書いた理由もあるのではありますが、そもそも独自研究的ですし、特にこだわりがある訳でもないので削除してしまっても構わないかと思います。明日、修正しようと思います。これ以外にも随時修正を加えたいと思いますので、皆様方には最新版の参照をお願い致します。
そして私の文案に対する反対意見がないようであれば、一週間後(8月26日)以降にこの文案を本文に反映したいと思います。よろしくお願いします。--らりた会話2023年8月19日 (土) 11:38 (UTC)[返信]
実行しました。--らりた会話2023年8月27日 (日) 04:22 (UTC)[返信]
らりた様、ご苦労様でした。本日気付きました。
「1次資料の切り貼りではなく主に石井氏、田中氏等の研究者の著作に基づいて書かれてある」
「wikiに載せてある内容は調整されている(曹操に関する全てが載ってるわけではない)」的な文言を見やすい位置に追加いただくことはできますでしょうか
パット思いついたのは曹操の扱いの変遷欄にある献帝春秋ではなく漢晋春秋かと思います。--Test3594会話2023年8月28日 (月) 09:36 (UTC)[返信]
ミスを指摘いただきありがとうございます。修正しました。
「文言を見やすい位置に追加」というのはこの曹操の記事中に文言を追加ということでしょうか?
「石井氏、田中氏等の研究者の著作に基づいて書かれてある」については脚注を用いてそれはすでに示しておりますし、
「wikiに載せてある内容は調整されている(曹操に関する全てが載ってるわけではない)」については
そもそもWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに「ある情報が事実である、または有用であるとしても、それだけではウィキペディアという百科事典に掲載すべきだという根拠にはなりません。百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです。」とあるようにウィキペディアの方針の一つです。記事中に描くべきこととは思えません。
--らりた会話2023年8月28日 (月) 10:04 (UTC)[返信]
ご訂正ありがとうございました。
>「文言を見やすい位置に追加」というのはこの曹操の記事中に文言を追加ということでしょうか?
はい、そうです。
wikiの方針については承知の上で
そんな細かいルール知りませんよ、
という方が一見さんを含め多いと思われます。
そして曹操の記事に関しては他の三国志の人物と一線を画してます。
1次資料(正史三国志)を基にした記述を脚注で示せばOKというページが大半の中
曹操はそうではないです。(諸葛亮のページも曹操と似てるかもしれませんが)
曹操の全ての記述と言わないまでも大半のことはwikiを見れば載ってるだろうと考える人もおります。
1次資料の出典はwiki見りゃ見つかるかな、という感覚で見てる方もいます。
注意書きぐらい入れても
良いんじゃないでしょうか。
私のような「1次資料を全分量書くのが公平ですよ」派が書き込むのを事前に抑止したいなら尚更必要な注意書きかと思います。--Test3594会話2023年8月28日 (月) 14:27 (UTC)[返信]
らりたさん、ありがとうございました。素晴らしい記事になっていると思います。Test3594さんの提案に関連して、織田信長の記事があまりに無出典加筆されるので、私は「{{Notice|記事に加筆する際は「[[Wikipedia:信頼できる情報源#歴史]]」を満たす情報源を本文中の脚注で明記ください([[WP:INCITE]])。}}」と冒頭に書き込んでいまして、この種の文言を掲載しても良いかと思いました。--伊佐坂安物会話/履歴2023年8月28日 (月) 14:34 (UTC)[返信]


今さらとなりますが、記事はwikiのルールに沿ってるとは思いますが、 本当の意味での中立公平な記事だとは思ってません。 正直なところ、曹操の具体的悪行(一次資料付き)はほとんど削除されてます。曹操は徐州や官渡以外でも殺戮だらけです。処刑数も圧倒的一位です。 悪徳さが論じられてきた人の膨大な悪行に大して触れずに「英雄か奸雄か」を論じるのは(研究者含め) どうなのかな、と思います。まあ、これは個人的意見です。


他の一次資料レベルでOKの人物の記事と違い、一次資料の提示レベルの記述を突っぱねたからには 「一次資料を直接載せるのではなく研究者の著書を基にしてます」 「wikiルールを厳格に適用した結果、一次資料提示レベルの記述を削除したことがあります(今後はルールに従い研究者の著書基準で書いてください)」 的な文言を入れるべきかと思います。 これは誠実さの問題かと思います。--以上の署名のないコメントは、Test3594会話投稿記録)さんが 2023年8月29日 (火) 03:19 (UTC) に投稿したものです(ぽん吉会話)による付記)。[返信]

どう返事して良いのか迷うのですが、「一次資料を直接載せるのではなく研究者の著書を基にしてます」「wikiルールを厳格に適用した結果、一次資料提示レベルの記述を削除したことがあります(今後はルールに従い研究者の著書基準で書いてください)」などは前にも書いた通り、ウィキペディアの方針に則ったものであり、それに対していちいち文言を入れる必要性を感じません。それが誠実さの問題とされるのは私は納得しかねます。
そして
>一次資料レベルでOK
などとは言っていません。前にも書いた通り、それら一次資料レベルを基にした記事は『ウィキペディアの記事として「ちゃんと出来ていない」』(記事として未成熟)なのであります。本来ならばどの記事も二次資料を基として書かれるべきであると考えます(ただしそもそも二次資料が存在していない・ごく限られている記事もあるでしょうし、そこを一次資料で書くことは否定しません。)。先述の諸葛亮にしても本来なら二次資料を基に書き換えるべきでしょうが、現時点では手が回りません。
>一次資料の提示レベルの記述を突っぱねた
繰り返しになりますが、私個人の見解で「突っぱねた」訳ではなく、ウィキペディアのルールを基に「突っぱねた」のです。
私自身の考えとしては記事中に「編集者向けのメッセージ」を記載することは、あまり好ましくないと考えています(あくまで個人の好みとして)。百科事典の記事は閲覧者のためにあるのであって、編集者のためにあるのではないはずです。
案を示して頂いた伊佐坂安物さんに対して失礼であるとは思いますが、私自身は記事冒頭に文言を追加することはやりたくないです。他の方がそれを行うことを妨げる意思はありません。
で、この下の節で「『意見』としてページに載せても良いかのような記述がありますが」と書かれていますが、Wikipedia:信頼できる情報源に示されている「意見」はあくまで「専門家による意見」であり、同じページに「一次情報源を独自に調査したウィキペディアン自身の意見は書くべきでないです。」と書かれています。
以上が私の現時点での意見となります。今回の改稿で私が使用したのは堀氏・石井氏・三国志学会など限られた文献によるものであり、本文中にも挙げた『曹操論集』や中国における曹操評伝も多数ありますし、曹魏政権論や屯田や兵戸制についてもまた大きな広がりを持った研究があります。現在のこの記事にはまだまだ改稿の余地が多くあります。今後、研究者の著作を基とした改稿は大歓迎ですが、一次資料を基とした改稿は謹んで頂きたいと考えます。--らりた会話2023年8月31日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

曹操の具体的所業 議論

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参考資料

筑摩書房 正史三国志 三国志 中華書局 後漢書 中華書局

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E8%BC%89%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84

方針:他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。一次資料に記載されている情報の解釈には、信頼できる二次資料が必要です。ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみであり、特殊な知識を持たない、普通の教育を受けた人が、その資料を参照して検証できる場合に限られます


上記ページには「信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用がゆるされます」「事実について率直な記述を行う場合」としてページに載せて良いかのような記述があります。

以下は追加案なのですが「考察」「分析」「評価」を加えず、「事実について率直な記述を行っている」と考えられますが、 この段落を追加でページを載せようとした場合、wikiルールに抵触しているものはなんでしょうか。

分量云々も、整理してみればそうでもありません。

野史ではなく正史をベースに『曹瞞伝』やら山陽公載記やら 逸話っぽいものは排除し、否定し辛い具体的人名や地名の残ってるものを採用しました。

2023/10/8 追記 虚偽の出典云々言われてますので一応

当初は以下を参考にしてました。パブリックフリーな感覚で使ってましたが、個人サイトと言われればそうかもしれませんね。

https://www.seisaku.bz/sangokushi.html

https://ctext.org/hou-han-shu/zh

三国志と後漢書に関するwikiソースは以下

https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E5%BF%97

https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8

句読点レベルの違いは確かにあるのですが、記述はほとんど同じです。 全てwikiソースに変えることには抵抗はありませんよ。

で、再三の繰り返しになりますが、別に今更曹操ページwiki本文を更新する予定はありません。

そこが誤解されてるのか、ノート内に史料掲示レベルの内容を残すのさえ嫌なのか、やたら絡まれますので、削除したほうが良いでしょうか・・? --Test3594会話2023年10月8日 (日) 11:10 (UTC)[返信]



【曹操の行った具体的所業】-----------

[戦争での殺戮]

・徐州虐殺[太祖擊破之、遂攻拔襄賁。所過多所殘戮(三国志武帝紀)]

・官渡の戦いにおける捕虜生き埋め [餘衆偽降、盡坑之(『三国志袁紹伝』)] 

・張超滅亡時の屠城 [太祖攻圍數月、屠之(三国志呂布伝)] 

・呂布討伐時の屠城 [屠彭城(三国志武帝紀)] 

・鄴攻略時の屠城[曹操攻屠鄴城(後漢書孔融伝)] 

・鳥丸征伐時に屠城[太祖征三郡烏丸、屠柳城(三国志公孫度伝)]

・夏侯淵の屠城1[淵與諸將攻興國、屠之(三国志武帝紀)]

・夏侯淵の屠城2[夏侯淵自興國討之。冬十月屠枹罕斬建(三国志武帝紀)]

・氐王討伐時の屠城[氐王竇茂衆萬餘人恃險不服、五月公攻屠之(三国志武帝紀)]

・曹仁による宛城の屠城[仁屠宛斬音(三国志武帝紀) ]


[朝廷での大量処刑]

・議郎趙彥らの朝臣の大量処刑[議郎趙彥嘗為帝陳言時策,曹操惡而殺之。其餘內外,多見誅戮(後漢書伏皇后紀)]

・董承らの処刑[五年春正月、董承等謀泄。皆伏誅(三国志武帝紀)]

・伏皇后等の処刑[十一月、漢皇后伏氏坐、昔與父故屯騎校尉完書、云帝以董承被誅怨恨公、辭甚醜惡。發聞、后廢黜死、兄弟皆伏法(三国志武帝紀)]


[個人に関する処刑]

・辺譲の処刑(後漢書辺譲伝、『曹瞞伝』)

・華佗の処刑(『三国志華佗伝』)

・孔融の殺害(『後漢書』孔融伝)

・崔琰の処刑(三国志崔琰伝)

・婁圭の処刑(三国志崔琰伝)

・許攸の処刑(三国志崔琰伝)

・楊脩の処刑 (『後漢書』『三国志曹植伝』『典略』)

・侍中の臺崇の諸兄(後漢書献帝紀)

・尚書の馮碩の処刑(後漢書献帝紀)

・琅邪王の劉熙の処刑(後漢書献帝紀)

・王模の処刑(三国志陳羣伝)

・周逵の処刑(三国志陳羣伝)

・周不疑の殺害(『零陵先賢伝』)

--Test3594会話2023年8月29日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

曹操の具体的所業として曹操の悪行を並べることは、「解釈」に相当すると考えられます。であるのでWikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料に基づいてそのようなことは不可であると私は考えます。--らりた会話2023年9月2日 (土) 10:55 (UTC)[返信]
さすがにそれは暴論ではないですか。
解釈でもなんでもないでしょう。
事実について率直なことを述べてるだけかと。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 09:07 (UTC)[返信]
これらの逸話を「悪行じゃない」と考える人だってウヨウヨいるんですから、解釈、分析には当たらないと思われます。
悪行かどうかは閲覧者や研究者やらが判断することです。私の案は事実について率直に述べたに過ぎません。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 09:37 (UTC)[返信]
何を百科事典として載せるに値するか、というのはそれ自体が価値判断、解釈に当たりますから、掲載すべき事柄については二次資料から判断するのがウィキペディアのルールだと思います。曹操の行った処刑。というような形で段落を作ることが、解釈であり、独自研究ということです(WP:WEIGHTWP:SYN)。たとえば類似の記事では、「織田信長#残虐性」では、織田信長の残虐性に触れています。これは、どの一次資料(史料)に載っている記述をもとに、研究者がどう取り上げたか、その事柄についてどう解釈するかについて述べているもので(私が書いたのですが)、こういう感じで書くことが望ましいと思います。つまり、Test3594さんがそうした事実を「悪行」としてまとめて書きたいのであれば、WP:RS#歴史を満たすような、学者が書いた二次資料を見つけてくることが必要だと思います。--伊佐坂安物会話/履歴2023年9月3日 (日) 10:02 (UTC)[返信]
余談、という欄に逸話、という形に追加する形態を取る予定てす。
またここには一次資料だけが出典のものが記載されてます。
なので独自研究ではなく、あくまで事実を記してる範疇になるかと。
また、そもそも曹操の行った殺戮や処刑に評価を加えたものではありません。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 10:12 (UTC)[返信]
>何を百科事典として載せるに値するか、というのはそれ自体が価値判断、解釈に当たりますから、掲載すべき事柄については二次資料から判断するのがウィキペディアのルールだと思います
失礼なからそれは「信頼できる公表ずみの一次資料」で「事実について率直な記述を行う場合」には記載しても良い、というwikiルールに反するのでは?--Test3594会話2023年9月3日 (日) 10:13 (UTC)[返信]
WP:PSTSには「他の方針によって制限されるのでない限り、信頼できる公表ずみの一次資料はウィキペディアでの使用が許されます。しかし、誤った使い方がされやすいので、取り扱いは注意深くする必要があります。(中略)一次資料から得られる情報について、あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません。」とあるとおりで、「事実について率直な記述を行う場合」であればどんな場合でも使用が許されるわけではありません。曹操の残虐行為を列挙するのは、「他の方針」、すなわち「WP:SYN」の禁止している「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にあたりますし、そういう目的があるなら「率直」とも言い難いと考えられます。余談、逸話という節はそもそも百科事典的でないので、本来であれば削るべきものです(織田信長の記事では削った上で良質な記事に認定されています)。--伊佐坂安物会話/履歴2023年9月3日 (日) 10:23 (UTC)[返信]
それは結局、他の観点を加えて「曹操=残虐」という印象を抱かせないのであればOK、ということだと受け取りますが、違いますでしょうか。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 10:33 (UTC)[返信]
そもそもですが、曹操の行いを
ほとんど削除している記事は
ホワイトウォッシュ、という特定の観点を推進するかのような記事には当たらないのでしょうか?--Test3594会話2023年9月3日 (日) 10:36 (UTC)[返信]
>「新たな叙述あるいは歴史解釈」を生む「ある観点を推進するような、発表済みの情報の新たな合成」の典型であり、独自研究に相当します
wikiページを読みましたが曹操に悪徳さが含まれるのは多くの著名人や研究者が指摘してることですから、
今更具体的事実を記したところで「新たな叙述あるいは歴史解釈」は生みません。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 11:05 (UTC)[返信]
ウィキペディアにおいて適切な観点は信頼できる研究者によって担保されるもの(WP:V#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」WP:SOURCES)で、それ以外の事実(すなわち二次資料=外部の権威で重要とみなされていない事実)を書かなかったからといって、ホワイトウォッシュには当たりません。「曹操に悪徳さが含まれるのは多くの著名人や研究者が指摘」していることがすでに記載されているのであれば、その範囲での記述で問題ないです。追加で事実を追加するのは必要ないのでは? 何のために追加するのでしょう?--伊佐坂安物会話/履歴2023年9月3日 (日) 12:33 (UTC)[返信]
例えばです。
>>
「曹魏の悪は子供でも知っている」と述べる[201]。蘇軾は「赤壁賦」で曹操のことを英雄として評価しているが[198]、曹操の残虐さを批判もしている[75]。
具体的な逸話をほとんど削除した状態で
「曹操は悪だと評価されてる」とだけ書かれても説得力がないからです。
曹操の功績は具体的な話が紹介されるのに対し曹操悪徳論はプロパガンダ臭がする、と感じることが多いかと。--Test3594会話2023年9月3日 (日) 12:57 (UTC)[返信]
これについても一言。このあたりの曹操悪人説というのは『東坡志林』の原文を読むと分かりますが、演義のもとになった講談を聞いた子どもたちが「曹操ってなんて悪いやつだろう!」「劉備かっこいい!頑張れ!」と言っているだけですので、この当時の講談で曹操がどう悪く言われていたのか実はわからないんですね。--薩摩の黒白波会話2023年9月17日 (日) 14:01 (UTC)[返信]
『東坡志林』巻一、塗巷小兒聽說三國語
「王彭嘗云:「塗巷中小兒薄劣,其家所厭苦,輒與錢,令聚坐聽說古話。至說三國事,聞劉玄德敗,顰蹙有出涕者;聞曹操敗,即喜唱快。以是知君子小人之澤,百世不斬。」彭,愷之子,為武吏,頗知文章,餘嘗為作哀辭,字大年。」
引用元原文は 
https://zh.wikisource.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%9D%A1%E5%BF%97%E6%9E%97/%E5%8D%B7%E4%B8%80#%E5%A1%97%E5%B7%B7%E5%B0%8F%E5%85%92%E8%81%BD%E8%AA%AA%E4%B8%89%E5%9C%8B%E8%AA%9E
実はこの話はこれで全部です。蘇軾は君子劉備に対して小人曹操という評価は何年経っても変わらないねー、と言っているだけですね。これ、魯迅の『中国小説史略』(ちくま文庫)でも出てきてたと思います。それから、蘇軾の史論で三国時代を扱ったものは西上勝氏『蘇軾の史論について』東北大學中國語學文學論集,10,1-15 (2005-11-30)によるとどうもなさそうですが。弟の蘇轍『三国論』の間違いではないでしょうか。ただこれも劉備を批判したもので、曹操については「世にこれを言う者曰く、孫は曹に如かず,而して劉は孫に如かず。」と三国志の英雄の中では曹操が一番評価が良いです。 --薩摩の黒白波会話2023年9月17日 (日) 11:52 (UTC) ※一部修正[返信]
  • Test3594さん、
鄴攻略時の屠城[曹操攻屠鄴城(後漢書孔融伝)] 
これは、どこが残虐行為なのでしょうか。これ原文を見たところ虐殺ではないですよ。
攻屠は攻め落とす意味です。虐殺では有りません。(本田済『漢書・後漢書・三国志列伝選』平凡社)
大変申し訳無いのですが、あなたが挙げられた例はこういうことがあると、一つ一つ信憑性を見ないといけなくなってしまう。
『後漢書』の原文をなぜここで切りましたか?
あなたはこの原文を見たときに、殺されたはずの城内の人の話がその後出てくるのは変だと思われなかったですか?
あまりこういうことを考えたくないのですが、史料で曹操に都合の悪いところだけ抜き出そうとしませんでしたか。ミスであってほしいですね。
『後漢書』中華書局版だと『後漢書』孔融伝第六十の原文は「初,曹操攻屠鄴城,袁氏婦子多見侵略,而操子丕私納袁熙妻甄氏。」ですね。
(初め曹操、鄴城を攻屠するや、袁氏の婦子多く侵略されると見えたり,而して操の子丕の、私に袁熙の妻甄氏を納む。)
「曹操が鄴城を攻め落とした時、袁紹の婦女子がさらわれるのではないかと思われた、それで曹操の息子の曹丕が勝手に袁熙の妻の甄氏を保護してしまった(とってしまった?)」でしょう。『正史三国志』后妃伝だと、曹丕が殺されると思っていた袁紹の妻と甄氏を保護した話が注に細々と書かれています。落城時に妻子が処刑されるのがこの頃の常ですが保護したので特筆されているらしい。
侵略多しなら婦女略奪だから残虐行為と言えなくはないんですが、侵略多しと見えたりですよ。なお、本田済氏は「婦女子が犯された」(『漢書・後漢書・三国志列伝選』平凡社)と誤訳していますが、「見」の見落としでしょう。本田先生のような、大学者でも一字見落とすと全く意味が変わってしまう。難しいところです。
また鄴城は『正史三国志』武帝紀・『資治通鑑』卷六十四・漢紀五十六によると城内の武将・審栄の内通による開城ですよ。陳寿も裴松之も一貫して「鄴を定め、文帝始めて甄后を納める」としか書いていないのですが。『後漢書』鄭孔荀列伝の攻屠は、「定鄴」という表現になっています。
降伏による開城ですから、これを残虐というのは変です。
水攻めで城内の人口半分が亡くなった戦争被害が出たそうですが、これを虐殺というのなら秀吉の高松城水攻めだって、そうなってしまう。戦争というのは悲惨なものです。これも元々袁紹軍のこの城の城主・審配が徹底抗戦を選択したからですね。通鑑を見るとこの周りの城の城主はみな降伏しているのです。
皆殺しにしたはずの曹操は生け捕りにした審配に配下になれと勧めたりしており、袁紹の墓参りをして袁紹の遺族に物をあげているようです。これは残虐行為と云うには不適切ですね。
これを曹操の残虐行為だと原文を誤読していうのであれば、まだ王夫之『読通鑑論』の徐州の虐殺を批判した「曹操の父、殺さるると見えたれば兵を興してこれを報ずるは是(ぜ)也。男女數十萬人を泗水に於いて阬殺し、徧ねく城邑を屠るは、則ち慘毒不仁にして、(曹操)の悪は天に滔(は)びこれり。」でも書いたほうが良かったんじゃないでしょうか。
他の件についても原文をちゃんと読めているかどうかご確認されたほうが良いと思います。董承の件も『読通鑑論』で董承側に問題があったのではないかと指摘されています。『読通鑑論』は「国訳漢文大成」に入っていますから、大きい図書館であれば訳文が見れるはずです。--薩摩の黒白波会話2023年9月18日 (月) 02:57 (UTC)[返信]
ご返信どうもです。
>皆殺しにしたはずの曹操は
えっと・・まず
「屠城=皆殺し」とかそんな定義は一言も言ってませんよね?
人を沢山殺す、という屠の字義に沿ったまでですけども・・
「皆殺しではないなら残虐行為ではない」とかそういう考え方をお持ちなのでしょうか?
それだと原爆投下だって虐殺ではありませんね。
> 降伏による開城ですから
これは違うでしょう。内通者が出て城内に雪崩れ込んで戦闘が行われてます。降伏決着では全然ないです。
> 董承側に問題があったのではないか
そういう説があるご指摘はありがたいですが、陳寿三国志において董承の死に関して献帝が曹操が恨んでいた、という記載もあります。
で、今さらですが、そんな評論をする気はないのですよ。単に事績に書く書かないの問題です。
曹操が董承を処刑した、というのは単なる事績ですよね?
「董承を処刑したのは悪い事だ」と書くなら価値判断の部類になりますが。--Test3594会話2023年9月18日 (月) 08:12 (UTC)[返信]
とりあえず一点だけ
>皆殺しにしたはずの曹操は生け捕りにした審配に配下になれと勧めたりしており、袁紹の墓参りをして袁紹の遺族に物をあげているようです。これは残虐行為と云うには不適切ですね。
袁紹の墓参りをした、審配に帰順を勧めた。袁紹の遺族を妻子にした。
そんなことは残虐行為の有無とは別ベクトルで全然関係ない話ですよね?
関係ない話を混ぜないでください。
沮授に帰順を勧めたからと言って官渡の捕虜生き埋めがなくなるわけではなく
日本人の子供が米軍に「ギブミーチョコレート」と言ったからと言って東京大空襲の存在がなくなるわけではない、という話です。
> 殺されたはずの城内の人の話がその後出てくるのは変だと思われなかったですか?
全然全く思いませんよ。そもそも皆殺し、だと定義してませんので--Test3594会話2023年9月18日 (月) 09:57 (UTC)[返信]
ご返答ありがとう。
色々書かれてますが、私の質問にはお答えいただけていませんね。
私の質問は下記です。これに答えてください。
  • あなたは虚偽の出典を元に、虚偽の残虐行為の主張をなされたのですか。
  • 『後漢書』孔融伝の鄴城の話のくだりに、曹操が虐殺をやったことなど全く書かれていません。
鄴城の戦いの戦闘について書いてあるのは『三国志』魏書武帝紀ですよね。
なんで出典を『後漢書』孔融伝にしたんですか。
あなたは史料で曹操に都合の悪いところだけ抜き出し、
『後漢書』孔融伝の「初め曹操、鄴城を攻屠するや」を「鄴攻略時の屠城」と改変していますね。
そこを突っ込まれたら「「屠城=皆殺し」とかそんな定義は一言も言ってませんよね?
人を沢山殺す、という屠の字義に沿ったまでですけども・・」と言われるのはどういうことでしょうか。
私の方も訂正して謝罪すべきところはあります。確かに降伏ではなく内通が正しい。そこは認めてお詫びします。
しかし、
>「史料の提示をしましょう」が「自己の見解・独自研究」扱いされるのであれば、
もうどうしようもないのです。
と言われるのであれば、史書の文言の改変はなぜされたのですか。--薩摩の黒白波会話2023年9月18日 (月) 10:54 (UTC)[返信]
>『後漢書』孔融伝の鄴城の話のくだりに、曹操が虐殺をやったことなど全く書かれていません。
おっしゃるように三国志武帝紀の方が細かく書かれてるとは思います。
屠、と付くこと自体がある程度の残虐度合いを示すので後漢書の記述を出したまでです。
詳細な光景が書かれてないから残虐ではない、
他の表現(平定、降、抜、略・・等)と何も変わらない。
それはちょっとどうなんでしょうね。
例えば後漢書溤異伝には屠城は「平定」に比べたら凄惨だから辞めよう、と当時の人がやり取りしてる逸話があります。
さらに後漢書光武帝紀には「吳漢屠成都」とだけ書かれてますが、「詳細な光景がないから凄惨度合は他と変わらない」とかそういう主張をされるのでしょうか。
呉漢の行為は一般的には凄惨な行為として認識されており、
光武帝紀に「呉漢屠成都」と書かれてるのは簡潔にまとめるとそういう記述になる、というだけでしょう。--Test3594会話2023年9月18日 (月) 11:16 (UTC)[返信]
お疲れ様です。
何度も同じことをお伝えするのは忍びないのですが、私の質問に答えてください。
あなたは虚偽の出典を元に、虚偽の残虐行為の主張をなされたのですか。
この質問を無視するのはどういうことですか。
論点をずらして別の話をしないでください。--薩摩の黒白波会話2023年9月18日 (月) 11:26 (UTC)[返信]
>あなたは虚偽の出典を元に、虚偽の残虐行為の主張をなされたのですか。
>なんで出典を『後漢書』孔融伝にしたんですか。
>あなたは史料で曹操に都合の悪いところだけ抜き出し、>『後漢書』孔融伝の「初め曹操、鄴城を攻屠するや」を「鄴攻略時の屠城」と改変していますね。
すみません、そんなに拘るところなんですか?
確かに、他の伝記では別の表現になってたりはするのは確かにその通りですが、
虚偽というほどではないのでは?
そんなこと言えば徐州虐殺だって裴注では屠城、と書かれることもありますが、陳寿三国志そうでないときもありますよね?
官渡の戦いに関して諸葛亮が「操遂能克紹」と言ってるからと言って、捕虜生き埋めした事実は変わりませんよね?
「克」とだけじゃ残虐度合いは分からないけど三国志袁紹伝で「餘衆偽降、盡坑之」とあるから生き埋めの事実が分かるのですよね?
単に別の伝記で書かれ方が違うことをもって
虚偽の出典だなんだと騒ぐのはおかしくありませんか?--Test3594会話2023年9月18日 (月) 11:45 (UTC)[返信]
鄴の屠城は虚偽だなんだ、と騒がれるので
もう一点出典をだします。
(wikiソースとか精査は必要かもしれませんがおおむね間違いではないと思います)
公前屠邺城,海内震骇,各惧不得保其土宇,守其兵众(後漢書荀彧伝)
あくまで後漢書ですが、荀彧の発言にあるんですよ
屠城したこと
その屠城に大して国中が衝撃を受けたこと
自分たちの土地を守れないのではないかと感じたこと
だから後漢書孔融伝だけに書かれてあることではありません。--Test3594会話2023年9月18日 (月) 12:17 (UTC)[返信]
>攻屠は攻め落とす意味です。虐殺では有りません。
後漢書の注釈者である李賢は光武帝紀にて
例曰:「多所誅殺曰屠。」
とその字義を説明してます。
https://zh.wikisource.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8/%E5%8D%B71%E4%B8%8A
挙げられた本田済氏の書籍がどういうものか分かりませんが、李賢の字義を否定する研究が証明された、とか
査読が通った、ということでしょうか?--Test3594会話2023年9月18日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
残念ながら、中国の学者の恵棟氏(清代の人)が「李賢の『多所誅殺曰屠』という主張は顔師古の『漢書注』から持ってきたものだ」と言っており、どうもこの箇所は機械的に他の人の本を写しただけのようです。(『後漢書補注』中国広雅書局、1921)
高島俊男氏は「こういう史書の注釈は字面からなんとなくこう思った、みたいな『望文生義』も多いから、基づくところがない限り余り信用できない」と言っています。(『三国志きらめく群像』ちくま文庫、2000)この箇所は過去の注釈の丸写しのようですから、根拠はないようです。
渡邉義浩先生の『後漢書』日本語訳(2022、早稲田大学出版部・早稲田文庫)でも、この箇所は「陥落する」ですので、学界ではもう随分前に否定されています。渡邉先生は李賢注も別途訳していますが、本文には反映されていません。
そもそも李賢注については学界では「亡くなった書物の引用が多いので貴重」という理由で評価はされていますが、文字の読解については評価されていません。
というわけで本田済先生もあなたの主張にそぐうような訳文にはしていないのでしょう。
学界の多数派の意見を信じるべきだと思います。--常陸のクマさん会話2023年10月8日 (日) 03:00 (UTC)[返信]
なるほど情方帝京、素直にありがとうございます。
wikiルールで原則採用される学界の見解がどう、というのは確かに知りません。
ただ。屠の字義、については別に後漢書の李賢注意外にも多数あります。
例えば、以下
「屠,杀也。自古以来,以攻下城而尽杀城中人为屠城,亦曰洗城 」 --资治通鑑 胡三省注
https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%92_(%E8%83%A1%E4%B8%89%E7%9C%81%E9%9F%B3%E6%B3%A8)/%E5%8D%B7005
この胡三省注の字義解説もおかしい、ということでしょうかね。


ワタナベ氏の後漢書訳は私も持っています。確かに本文は「陥落する」とだけ訳して注のほうで李賢注の説明をしてますが、その陥落時に多数の殺害があったことまで否定してるものでしょうか? 字義を明確に否定したものでしょうか?

また、高島氏の書籍も確かに見ておりませんが、引用された箇所は屠の字義をピンポイントで否定する文脈で出されたものでしょうか?


最大公約数的なwiki的書き方、という意味なら以下のように注釈欄に字義を書くぐらいなら問題ない範囲ではありませんか? (再三言いますが、今更曹操wikiページ本文は更新する気はありません。単にやりとりをしてるだけです )


・○○城を陥落させた(後漢書李賢注やでは原文の屠には多数誅殺の意味がある、としてる(後漢書李賢注訳より)。 资治通鑑 胡三省注でも似たような意味が記載されている、等)


--Test3594会話2023年10月8日 (日) 10:57 (UTC)[返信]


まあ、別に今更更新しようとも思わないので、お時間のある時にでもご解説いただければ--Test3594会話2023年10月8日 (日) 04:44 (UTC)[返信]
インデントを戻します。薩摩の黒白波改め、常陸のクマさんです。改めてお見知りおきください。
まず大前提として、Test3594さん。これはあなたの文章ですか?
あなたの会話ページでもお伝えしましたが、ご返答がないのでこちらでも書きます。
この文章はあなたの調査ではなく、
「我らの三国志」という掲示板の「関羽の末裔」さんというかたの文章を改変したものではないのでしょうか。内容が酷似しています。
「関羽の子孫」さんの「侍中の臺崇の諸兄」という誤字までそのまま引用されていましたね。
しかもあなたの文章ではないから、著作権も侵害しているのではないでしょうか。
つまりあなたは自分の嫌いな曹操の悪事をウィキペディアに載せたいのでしょうが、あなたの意見を尊重しようにも、著作権侵害と出典がいい加減なのでは、もう信頼することが出来ないですし、ウィキペディアにまさか掲示板の内容を載せるわけにもいかないです。自主的にお取り下げになったほうがいいのではないでしょうか。
あなたはさんざん、「史書にあることを記載しろ!記載しないのは言論弾圧だ!」と言われていましたが、掲示板の内容を歴史書だと言われてもこちらも困惑するばかりですし、ウィキペディアの方針上、自主公表された掲示板の内容を典拠にするのは「WP:SELFPUBLISH」以外の何物でも有りません。
また、掲示板に書いてある内容の検証もまるでされていません。別途書きますが、『後漢書』の「屠」の件も学界でだいぶ前に否定されていますので、それを元にしている「関羽の末裔」さんの説はもう論破済みの話の蒸し返しでしか無いと思います。--常陸のクマさん会話) 2023年10月8日 (日) 02:43 (UTC)誤字修正--常陸のクマさん会話2023年10月8日 (日) 04:13 (UTC)[返信]
https://ctext.org/hou-han-shu/xiao-xian-di-ji/zh
出典は↑ですね。
「曹操殺侍中臺崇」の部分
確かに諸兄、処刑というのは誤字ですね。知ってるかは分かりませんが、linuxの文字コード(Anthy)によっては「諸兄」が
まず一発目に変換に出てくることもあります。今書いてる時もそうです
「侍中の臺崇の殺害」とでも言えば良いですかね。

>「侍中の臺崇の諸兄」という誤字まで

どうでも良いことですか、クマ氏の挙げられたサイトに「侍中の臺崇の諸兄」という文言はありません。事実誤認です。--Test3594会話2023年10月8日 (日) 15:20 (UTC)[返信]

>自主的にお取り下げになったほうがいいのではないでしょうか。
もう取り下げられていますよ。というより、未発表の案の段階でそんなこだわることですかね。--Test3594会話2023年10月8日 (日) 04:36 (UTC)[返信]
大量の投稿をなさっていますが、ノートページの目的外利用ですので、ご返答は貴殿のノートにて行います。--常陸のクマさん会話2023年10月9日 (月) 04:00 (UTC)[返信]


「事実について率直に記す」レベルのことを「独自研究」扱いするのは止めて欲しいです。解釈でも合成でもありません。

https://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%81%AF%E8%BC%89%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84#:~:text=%E7%8B%AC%E8%87%AA%E7%A0%94%E7%A9%B6%20(original%20research)%20%E3%81%A8,%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81%E3%80%81%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82


独自研究と認定される編集は、以下のようなものです。

・新しい未発表の理論や解決法を加筆する。

・オリジナルのアイデアを加筆する。

・新しい用語を定義する。

・既存の用語に新たな定義を与える。

・他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。

・編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、解釈、定義、評論、考察、推測、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。

・新しい造語を、その造語が何らかの評判の良い資料に由来することを示さずに、導入したり使ったりする。

上記どれにも当たらないと思われます。

「曹操に残虐性がある」ことは認められているのに、具体的記述を記すのがなぜ「独自研究」に当たるんでしょう・・ --以上の署名のないコメントは、Test3594会話投稿記録)さんが 2023年9月3日 (火) 15:08 (UTC) に投稿したものです(ぽん吉会話)による付記)。[返信]


> 事実を「悪行」としてまとめて書きたいのであれば

前にも言及しましたようにそもそも「悪行をまとめてる」(解釈を行っている)のではなく 事実を率直に記しているだけです。現に「これは悪行です」という書き込みなど一言も書いてません。 悪行かどうかを判断をするのは編集者のすることではありません。事実を記載するのみです。


--Test3594会話2023年9月4日 (月) 05:30 (UTC)[返信]

横から失礼します。私、昔松平俊介と名乗っておったものですが、この書かれ方はいささかどうかと思います。ただ、あなたのお気持はわかりますよ。
私だって高校時代に『三国志演義』を読んで献帝の伏皇后を曹操が無慈悲に殺す下りを読んだときは猛烈に腹が立ちましたからね。
私も曹操よりは孫権のほうが個人的には好きです。
ただ、らりたさんの改稿は私が見たところ今の学界のコンセンサスが取れた中庸を得たものでしょう。
らりたさんのご尽力をあなたのお気持ちだけで覆そうという物言いに見えてしまいました。(そういうおつもりではないのかもしれないですが)
あまりにも相手に失敬ではないかと思った次第です。
徐州の虐殺もしっかり書かれていますね。わたしはらりたさんの文章で問題ないと思いますね。
私も失敗はしましたし人にお説教できるほど偉くはないのですが、穏やかにお話されたほうが宜しいかと。たとえあなたの意見が正しいとしても、相手を尊重すべきだと私は思いますね。そうしないと皆さん納得されないと思う。
あなたの意見も取り入れられたのですから、まずらりたさんにお礼を申し述べたほうが良いのかなと思いました。老婆心ですが。
さて、あなたは「事実を記載するのみです。」と言われますが、そのあなたの言う事実なるものは果たして信じられるものでしょうか?
今のまま書かれますとやはり独自研究になってしまうのではないかしら。私も正史を勝手読みして新説を唱えて消えていった、そういう人を多く見てきました。もうすこし正史『三国志』以外の本もご覧になったほうが良いのかなと思います。石井仁先生にしても正史の当人の列伝に書いていない裏の裏まで調べて書かれていますから…(例えば『後漢書』曹騰伝に具体的記載がないことでも、他の伝から拾ったりして書かれている)
あなたのいう「具体的記述」なるものが中国歴代政府によって都合よく書かれたもので、専門家の間ではそのままではそもそも信じがたいと言われていることはご存知でしょうか。
正史『三国志』『三国志注』『後漢書』いずれもそのまま信じるには信憑性には問題があるものばかりです。
  • 正史『三国志』は曹操の悪事だけではなく司馬昭の悪事(魏の四代皇帝の高貴郷公曹髦の暗殺)についても隠蔽していていることは既に本田済氏(『漢書・後漢書・三国志列伝選』平凡社)の指摘もあります。
  • 逆に『後漢書』の南朝宋の范曄は曹操憎しのあまり様々な雑説をこじつけています。これは中村愿氏(『三国志逍遥』山川出版社)の指摘です。
  • 裴松之注の記事は陳寿が捨てたものだから元より信用できないものが多い、というのも元の馬端臨『文献通考』以来言われていることです。
そもそも中国北朝の政府は曹操を持ち上げ、逆に南朝方は曹操にケチを付ける、というスタンスです(清『四庫全書総目提要』三国志条)。
「正統」という概念がありますからね。
中国の正史というのは自分たちの政府の「正統」性を主張するプロバガンダがまず行われるものでして、そこに書いてあるものが事実ばかりとは限らない、そこで歴史学者が史料を元に「これは本当なんだろうか、手前勝手な話をしてるんじゃないか」と色々議論して定説が形成されているわけです。だからいきなり正史を見て「ここにこうあるだろう」と言っても必ずしもそれが正しいかといえばまだ議論があるわけです。この辺りおわかりいただけるとありがたいのですが。
わかりやすい歴史学者の概論書で言えば岡田英弘『だれが中国をつくったか 負け惜しみの歴史観』PHP新書がこの「正統」問題を扱っていますので一度ご覧になったほうが良いと思いますね。
正史『三国志』の本文の信憑性についてはそれこそ清の頃から様々な研究が出ています。
あなたが危惧されるように毛沢東が曹操を褒め称えたというのも随分前の話ですから、それも当てはまらないでしょう。文化大革命の頃の話で、いまは習近平氏の体制になっていますから毛沢東の個人崇拝はむしろ薄熙来失脚を見ても分かるように中国共産党は警戒しています。
私も正史の翻訳は昔から色々してはいますし歴史ものの原稿で商業出版物になったものもありますが、ウィキペディアでは独自の説は書かないようにしています。なぜかといえばそれは私個人の説であって学界のコンセンサスを全く得ていないからです。以上愚見を申し述べました。--薩摩の黒白波会話) 2023年9月17日 (日) 11:38 (UTC) 誤字一部修正--薩摩の黒白波会話2023年9月17日 (日) 11:43 (UTC)[返信]
薩摩氏、ご返信どうもです。
>『三国志演義』を読んで献帝の伏皇后を曹操が無慈悲に殺す下りを読んだときは猛烈に腹が立ちましたからね。
>徐州の虐殺もしっかり書かれていますね
いやその演義云々とかではなくて史実の時点で徐州以外でも具体的な残虐行為がたくさんあるよね、という話です。曹操に対する評論ではなく、事績の問題です。
>あなたが危惧されるように毛沢東が曹操を褒め称えたというのも随分前の話ですから
私が危惧してるというよりは以前ブロックされた方が危惧されてることかと思います。
>中国歴代政府によって都合よく書かれたもので、専門家の間ではそのままではそもそも信じがたいと言われていることはご存知でしょうか。
もちろん知っておりますよ。で他のページでは正史や裴松之注、
後漢書でも特に断りなく引用されてることも知ってますよね?
で何故か、曹操のページの時だけわざわざ言い出す人が出てきますね?
>私も正史を勝手読みして新説を唱えて消えていった、そういう人を多く見てきました。
ここは全く違いますので誤解なさらぬように
「勝手読み」でも「説」でもありません。史料の内容を掲示しようとしたに過ぎません。
どうもここでは「史料の内容掲示=独自研究」という扱いになってしまうようですが・・
>あなたの意見も取り入れられたのですから
いや、取り入れられてはませんよ。そこは誤解しないでください。
二次資料優先ルールの原則論がここでは強固に適用され排除されました。
※場合によっては1次資料を載せてもOK,というwikiルールにギリギリ抵触してないのでは?と今でも思ってはおりますが。
> そうしないと皆さん納得されないと思う。
原則論を主張したり、史料掲示レベルのことさえ「独自研究に当たる」と考える人が多数派である以上はどうしようもありません。どうしようもないので諦めております。
らりた氏や他の人の書いてる内容自体を今さら変えようとは思いませんし
wikiの原則論に従って二次資料メインで書くのは問題ないと思います。
らりた氏などと相談しながら加筆されればよろしいかと思います。--Test3594会話2023年9月17日 (日) 20:07 (UTC)[返信]

Test3594様ご返答ありがとうございます。 申し訳ないのですが、私のご忠告は聞き入れて頂けてないようですね。 Wikipedia:礼儀を忘れないをもう一度読まれたほうが宜しいかと思います。 『礼記』にも、「敬せざることなかれ、ことばを安定にせよ、志は満たすべからず」(どんな人にも敬意を持ち欺いてはいけない、落ち着いた言葉遣いをしなければいけない、全てのことについて満足行くまで求めないように…諸橋轍次『中国古典名言事典』より)とありますね。 そこをまずやって頂けないと、議論の入り口に立つことすらできないです。 では各論に参りましょう。

>いやその演義云々とかではなくて史実の時点で徐州以外でも具体的な残虐行為がたくさんあるよね、という話です。曹操に対する評論ではなく、事績の問題です。

あなたはあまり「史実」という言葉を使わないほうが良いでしょう。この当時の史書に書いてあることがそもそも信じられるかどうか、という話が歴史学界で何度も出ていることは申し上げたつもりです。だから歴史学者があれほど四苦八苦しているのです。曹操に対する事実の確定って私は完全にはできないと思います。

昨日は岡田英弘氏の『だれが中国をつくったか』という本の話をしましたが、あれは新書で出ていて、五百円程度の電子書籍です。正史の立ち位置が分かる上では、一番手近なものです。著者も中国史の権威で、かつ保守系言論人で、中国共産党の支配下にない人です。お読みになりましたか。

岡田氏の本もに書いてあるように、『後漢書』にせよ『三国志』にせよ正史というのは理想を書いてあるものであって、その正史が主張する理想に合わなければ事実を曲げるのです。曹操の話だって、まるきり根も葉もない話もあるでしょうし、あれより数段酷いことをしているのかもしれないのですがね。でもそんなことを一々ここに書くのも変ですから、最大公約数的なことを書くことになっているのです。

>史料の内容を掲示しようとしたに過ぎません。


と言われるのであれば、そもそも史料をちゃんと提示して頂けないでしょうか。 二次資料ルール以前の問題として、原文を引用しているところで史料を勝手に改ざんして自己の説に都合よく書いてないですか。 これはウィキペディアの「証拠の悪用」になってしまいかねないですね。 そもそも「『後漢書』孔融伝にある」とかでは、他の方の検証のしようがないでしょう。もう少し他の方のことも考えられたほうが説得力がありますよ。

あそこでも書きますが、あなたは史書の原文をちゃんと読めているかどうか、これで相手が説得できるのか、もう一度胸に手をおいて考えてください。

いささかきつい言い方かもしれませんが、段落の切り方が間違っていますね。『後漢書』翻訳も二種類(抄訳も含めると三種)ありますが、ご覧になった形跡がなく、誤読ではないかと思います。史実だと言われるのであれば、まず史書の引用と解釈を正確にしていただきたいですね。

屠城(皆殺し)と思われるところであなたは原文を故意に切ってませんか。あれは良くないです。漢文は途中で切ると意味が変わってしまう。 それから評論の話はそもそも私はしていません、歴史書以外の歴史学者の研究はすべて評論だと思われているのかもしれないのですが、そこはちょっと違うのです。『後漢書』は大抵の場合曹操を悪く書くので、他の史書との比較検討も必要です。

いずれにせよ、あなたはもう少し冷静になり、方針を熟読する、歴史学者の本を読んで自己の見解と照らし合わせる、史書がちゃんと読めているかどうかもう一回見る、そういうプロセスを経た上で議論に参加されたほうが良いと思います。今ですと、方針の腕ずくで解決しようとしないで戒められている方向に言ってしまっています。これはマズイですよ。

再度いいますが、私はあなたの気持ちはわかるのですよ。三国志好きの人は多いですが、後漢書も見ている方はなかなか少ないのです。Test3594様はなかなか勉強家だと思います。だからこそ惜しむのです。皆さんと仲良く、穏やかに自己の主張を述べてくださいね。あと、先哲の残された業績(現代の歴史学者の研究結果)はやはり敬意を払ってまずそこから謙虚に学ばせていただく、そういうふうにしましょう。

--薩摩の黒白波会話) 2023年9月18日 (月) 01:51 (UTC)一部修正--薩摩の黒白波会話2023年9月18日 (月) 03:14 (UTC)[返信]

ご返信どうもです。
> 議論の入り口に立つことすらできないです。 では各論に参りましょう。
>そういうプロセスを経た上で議論に参加されたほうが良いと思います。
>これで相手が説得できるのか、もう一度胸に手をおいて考えてください。
申し訳ございません。議論や説得をする気はありません。
史料提示レベルの記載はダメ、という多数派の認識がある以上はどうしようもないので、
もうやる気はないのです。これ以上やれば議論の蒸し返し、になってしまうでしょう。
黒白波様が返信してくれたのにそこに関する部分だけ少し会話をさせていただきます。
>そもそも史料をちゃんと提示して頂けないでしょうか
>そもそも「『後漢書』孔融伝にある」とかでは、他の方の検証のしようがないでしょう
中華書局評点本(1959年)とかそういう意味ですか?
まあ、ここに書かれてあるのは草案ですから、確かにそこは細かく書いてませんね。
具体的にどこから、という意味であれば以下等から引っ張ってきております。
https://www.seisaku.bz/sangokushi.html
https://ctext.org/hou-han-shu/zh
>曹操に対する事実の確定って私は完全にはできないと思います。
>その正史が主張する理想に合わなければ事実を曲げるのです。
>最大公約数的なことを書くことになっているのです。
そうですね。全くその通りだと思います。
最大公約数的なことが書かれてある他のwikiページ(一次資料の訳・切り貼りレベル)
でもそういうご意見を出し、どう書かれるべきかご意見をだされてはいかがでしょうか。。
皮肉ではなく真面目な話です。
>皆さんと仲良く、穏やかに自己の主張を述べてくださいね。
ご心配ありがとうございます。
しかし前にも申し上げた通り、議論はする気はないのです。
「史料の提示をしましょう」が「自己の見解・独自研究」扱いされるのであれば、
もうどうしようもないのです。--Test3594会話2023年9月18日 (月) 08:50 (UTC)[返信]
Test3594様
お疲れ様です。
大変恐縮でございますが、そういう電子テキストに従って投稿するのはご勘弁ください。
そこを使った感じウィキソースより校訂が十分な感じがしないですし、特に2つ目のサイトは本をOCRで取り込んだときの誤字があるようです。
1つ目ののサイトに「評点本」とあるのを見て驚きましたが「標点本」の誤字でしょうね。
電子テキストはこういうところがありますので…
他の方が検証も出来ないですし、かつ、真正性に問題があります。
Wikipedia:信頼できる情報源をもう一度見ていただきたいのですが、
「信頼できる公刊された情報源」に基づいて書いてくださいとありますよね。
ネット上の電子テキストは「信頼できる公刊された情報源」でしょうか。
「「同一内容の記録物」には、改変が加えられておらず原本と比べて真正であること、著作権を侵害していないこと、他の編集者が内容を確認する際に利用可能であることなどが求められます。」というルールもあるのですが。あなたがご覧になっているサイトはそこのところは問題ないのでしょうか。
また「特別な主張には特別な証拠が求められる」という箇所ももう一度見て頂けますでしょうか。
何度もすいませんがよろしくお願いいたします。--薩摩の黒白波会話2023年9月18日 (月) 11:23 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。
なるほど、wikiソースは盲点でした。素直にとても助かりました。
ただ、何度も申し上げているように、結局は一次資料掲示はアウト、
という部分を突破できないので、
私はwikiページに載せることに関して・議論・編集する気はございません。--Test3594会話2023年9月18日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

一次資料排除ルールについて

[編集]

そもそも論ですが、西晉時代に編纂された陳寿三国志は一次資料扱いで良いのでしょうか?


> 今後、研究者の著作を基とした改稿は大歓迎ですが、一次資料を基とした改稿は謹んで頂きたいと考えます。

以前らりた氏がこのようにおっしゃられておりましたが、研究者の著作が基となりますと 多様な観点が損なわれてしまいます。


例えば孔融の殺害ですが、二次資料を基にした現記事になりますと 孔融殺害に関して、 (華佗等の殺害と違い)曹操に責がない(孔融の自業自得)かのような印象を与える文面になっておりますが、 一次資料で孔融殺害が天下で非難されてた史実(三国志虞翻伝)がまるっきり削除されてるからこうなるのです。 この状態で一次資料の内容を追記するのは良くないことでしょうか? もしこれで追加したら私の[解釈]や独自研究に当たりダメ、となりますでしょうか?


そもそも論になってしまいますが、織田信長と比べたら論文数も少ない三国志の登場人物で二次資料のみを出典とするのは如何なものでしょうか。

--Test3594会話2023年9月4日 (月) 13:26 (UTC)[返信]


Test3594様
貴台が以前より発起されている議論につきましては未だに議論相手であるらりたさんや他の方との合意形成に至っていないように思います。合意に至らないままの編集はWikipedia:妨害的編集に当たる可能性があるのではないでしょうか?
またこのノートページを見返したて思うに一度らりたさんの編集に対する合意形成があった様に思いますが、それを覆して堂々巡りの議論を繰り返そうとしている様にも思います。これも先の妨害的編集に当たるのではないでしょうか?
私自身はらりたさんの編集に同意いたしましたし、Test3594さんが追記しようとしている内容【曹操の行った具体的所業】-----------の多くはらりたさんが記載した内容と重複した点が多数あり、改めて強調させるかのように書く必要の無いものではないかと感じます。
以上、個人的に感じたことを書かせて頂き、形成合意に至って無いと思われる議論中の編集を2編差し戻しさせて頂きました。--ぬこマニア会話2023年9月4日 (月) 13:52 (UTC)[返信]
問題提起のために一行追加してみただけで妨害の意図はありません。
しかしっしゃられることはごもっともですので取り消し了解しました。


> らりたさんが記載した内容と重複した点が多数あり
そんなにないです。
> らりたさんの編集に対する合意形成があった様に思いますが
らりた氏の書いてる内容を削除しようなどとは思いません。
> それを覆して堂々巡りの議論を繰り返そうとしている様にも思います。
一次資料の記載は場合によっては可能なのを、後から知りました。ゆえに今も疑問提起しております。
①私の追記しようとしてる内容が、「事実を率直に記してる」ことに反するとか
「独自研究に当たる」のは違うと判断しました。
②そもそも二次資料だけ、というルールを二次資料の少ない三国志の人物に適用するのが妥当なのか
wikiの素人で疑問に思ったことを述べてるだけですので、何卒ご容赦ください。--Test3594会話2023年9月4日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
とりあえず曹操の二次資料が少ないということはありません。本文中に使用した石井2000・堀2001・三国志学会2019の他に、ちょっとだけ使用した好並1970(これは曹操評伝よりも曹操の実施した政策・曹魏政権についてのものですが)、『三国志研究入門』(渡邉義浩編・三国志学会監修)が挙げる中国の歴史学者による曹操の評伝として王仲犖『曹操』(1956年)・邱復興『曹操今論』(2003年)・章映閣『曹操新伝』(1989年)・張亜新『曹操大伝』(1994年)・張作耀『曹操伝』(2000年)などがあります(これら中国の歴史学者による曹操の評伝は私は未見です)。他に曹魏政権論・兵戸制・屯田制についても広がりをもった研究があります。と上に既に述べているとおりですが。
こちらも繰り返しですが、二次資料の少ない・あるいは最初から無い主題の記事を書く際に一次資料を基に書くことは否定していません。ですが曹操には上に挙げたような二次資料が多数あるのであり、一次資料を基とした記述は極力慎むべきであると考えます。--らりた会話2023年9月5日 (火) 11:30 (UTC)[返信]
少し本筋から外れますが、Test3594様の登録当初からこの度に至る行動につきまして、Wikipedia:コメント依頼/Test3594を設けさせて頂きました。wikipediaの素人を称されるのは結構ですが、以前らりた様から強い言葉で指摘があったかと思いますが、wikipediaを編集する者につきましては素人などと言う言葉を盾にwikipediaの編集方針に背く編集を行うことは度し難い行為であるかと私は思います。
少なくとも、Wikipedia:中立的な観点にも記載された検証可能性独自研究は載せないと言った三原則に基づき編集を行わねばなりません。
現在、Test3594様が行おうとしている編集は果たして第三者から見てどの様に感じられる物でしょうか?wikipediaの編集方針に適したものでしょうか?曹操の編集並びにTest3594様が訴える編集方針と並行しまして、Test3594様含めこのページを目にする多くの方に議論に参加、コメント、今後の対処についてのご意見を頂ければと思います。よろしくお願いします。--ぬこマニア会話2023年9月5日 (火) 14:45 (UTC)[返信]


ぬこマニア様どうも、ご連絡ありがとうございます。

そうですね。多数派から見れば、中立的ではない、とかルールスレスレのところに拘り、ゴネてるように見える、と思います。 ※ゴネてるのは事実ですね


コメント依頼の箇所を見ましたが、いつブロックされるかも分かりませんので所感を


正直なところスルーされがちな(一次資料に基づく)事実を告発意識で書いたつもりでした。 人気人物の不都合な部分を抉りだしてしまうのは反発を生みやすいですし

ただでさえ曹操はファンを今まで貶められてきた、という冤罪意識が共有されてる人物です。 「こいつは中立的ではない」と言われるのは覚悟しておりました。


ただ、調べてみたら殺戮・処刑数が圧倒的に多かった、というのが実状です。 ※野史を除いても 曹操が(偉大な功績はあるにしても)殺戮王であることは(思想とかではなく)否定できない事実やん・・・とはずっと思っております。 もちろん、今更殺戮王云々を書こうとは思いませんがね。


(二次資料優先ルールなのは重々承知の上で) 私が提出してる追加案は「独自研究ではない」「信頼できる一次資料で事実を率直に記した」範疇(だからwikiルール的にもギリギリ載せても良いだろう)という認識は恐らく変わりません


それで、ですが原則論に基づいておられるらりた様や伊佐坂安物様が折れることがなく、また、支持も付くだろうというのも想像が付きます。 ご賛同いただけず残念です。


色々とwikiを荒らした?と見られてる私がブロックされる可能性は高いですし 仮にブロックされずとも、一次資料掲示を強行しても多数派に押さえつけられるのも目に見えてますね。


らりた様、数多くの二次資料のご掲示ありがとうございました。wikiルールに限らず勉強になりました。

伊佐坂安物様、専門外の中、前向きなご提案とルール掲示ありがとうございました。


最後にそもそも論ですが、西晉時代に編纂された陳寿三国志は一次資料扱いで良いのでしょうか?

--Test3594会話2023年9月5日 (火) 18:06 (UTC)[返信]

横から失礼します。観点にはよりますが、中国正史は手紙や日記や起居注のような一次資料ではないでしょう。現存していないだけで、正史を書く上で参照された原史料があるのは確実とみなされており、二次編纂物には違いないはずです。伝世文献を一次資料とみなし、研究者の著作を二次資料とみなすらりたさんのような見解もありえますが、現在通行している正史のテクストも研究者の校勘を経ており、原文そのままではない二次的なものです。……とはいえ正史の記述を全て載せるなどということには私は反対です。Wikipedia:過剰な内容の整理をご参照ください。--Nagaichi会話2023年9月6日 (水) 05:27 (UTC)[返信]
Nagaichi様 ご返信ありがとうございます。 正史がそもそも二次編纂物、とのご指摘ありがとうございました。--Test3594会話2023年9月6日 (水) 06:17 (UTC)[返信]
「史料」と「資料」は定義上、わけて考える必要があります。学術用語でいう「一次料」と「二次料」([1])はいずれもウィキペディアでいう「一次料」(WP:PSTS)に含まれているという認識です。つまり、中国正史は「二次史料」ですが、ウィキペディアにおいては「一次資料」です。--伊佐坂安物会話/履歴2023年9月6日 (水) 07:22 (UTC)[返信]