ティム・ハーベイ
ティム・ハーベイ Tim Harvey | |
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ティム・ハーベイ(2014年) | |
基本情報 | |
国籍 | イギリス |
生年月日 | 1961年11月20日(63歳) |
出身地 | イングランド・ファーンバラ |
ティム・ハーベイ(Tim Harvey、1961年11月20日 - )は、イギリスのレーシングドライバー。イギリスツーリングカー選手権で1987年と1992年に、ポルシェ・カレラカップのイギリス選手権を2008年と2010年にチャンピオンを獲得したことで知られている[1]。BTCCでは16レースで優勝した。BMW、ルノー、ボルボ、プジョーのワークスチームに在籍した。
経歴
[編集]イギリスツーリングカー選手権(BTCC)では、1987年からローバー・ヴィテスでAクラスに参戦しており、この年のクラスチャンピオンを獲得した。翌1988年からはフォード・シエラをドライブ。1989年と1990年はクラス3位に入り、表彰台の常連になる。この間ル・マン24時間レースや世界スポーツカー選手権などの国際レースにも参戦している。
1991年にBTCCは大幅な規定変更を受け、一つのクラスに統一されたスーパーツーリングと呼ばれる規定のレースに変更された。ハーベイはこの年BMWに移籍。ドライバーランキングは8位だったが、最終戦のシルバーストン・サーキットで優勝を飾った。翌年もBMWに残留。この年5勝する好成績を残し、最終戦までトヨタのウィル・ホイとボクスホールのジョン・クレランドとタイトル争いを展開した。チームメイトのスティーブ・ソパーの援護もありこの年シリーズチャンピオンを獲得した[2]。
1993年はルノーに移籍し、ルノー・19で参戦。ランキングは10位と振るわなかったが、開幕戦のドニントン・パークで優勝した。1994年はマシンがルノー・ラグナに変更され、チームメイトのアラン・メニュがシリーズ2位を獲得した。一方でハーベイはリタイアも多く、ラグナ投入後初の優勝をシルバーストン・サーキットにてチームにもたらしたものの、この年のノックヒル・サーキットでの第1レースではアルファロメオ・155のガブリエル・タルキーニに追突。横転させて走行不能にしてしまい、失格となるなどこの年は荒い場面も背景された。またこの年の全日本ツーリングカー選手権(JTCC)の富士スピードウェイで行われた最終戦インターTECにスポット参戦し、約2年振りにBMWをドライブした。
1995年はボルボに移籍し、優勝2回、2位を2回、3位を4回獲得する好成績を収め、シリーズ5位となった。尚、ボルボに在籍したのはこのシーズンのみとなった。この年ハーベイは南アフリカのキャラミで行われたキャラミ・ツーリングカー・インターナショナルにも参戦。現地の日産チームから日産・プリメーラでジニエル・ド・ヴィリエとコンビを組んで参戦した[3]。このレースには、ハーベイと同じく同時期のBTCCに参戦していた、アンソニー・レイド(オペル)やジュリアン・ベイリー(トヨタ)らも参戦し、同チームがもう1台走らせたプリメーラをドライブしたのはBTCCでも日産のドライバーとして参戦していたティフ・ニーデルだった。また日本からも関谷正徳が出場している[4]。
1996年と1997年のBTCCには、プジョーのワークスから参戦[5]。チームメイトのパトリック・ワッツと共にプジョー・406を運転したが、この2シーズンはアウディとルノーの2ワークスの善戦となり、プジョーは苦戦。未勝利に終わり、ハーベイの表彰台は1997年の2位2回のみとなった。
1998年も引き続きプジョーのワークスドライバーとして参戦を続け、この年は昨年までフォードチームに在籍していたポール・ラディシッチを新たにチームメイトに迎えたが、この年もボルボや日産、ホンダの3ワークスが力を付けて善戦する一方で、プジョーチームはこの年も苦戦を強いられ、シルバーストン・サーキットでのラディシッチの4位入賞がプジョーのこの年のベストの成績となり、ハーベイもこの年は参戦以来ワーストのランキング17位と低迷した。
またこの頃のBTCCでは、マシンの開発費が高騰したり、大会数増加によるチーム出費の増加などが問題になり始めた時期でもあり、1995年以来の参戦を検討していたアルファロメオも参戦を取り止めるなどワークスチーム、プライベートチーム問わず参戦を取り止めたり、撤退するチームが相次いだ。プジョーはこの年限りで撤退を決め、アウディと共に撤退。ハーベイもこの年で一旦BTCC参戦を終了した。
参戦を休止した2年間はインディペンデントチームとして参戦しているマット・ニールのチームダイナミクスのマネージャーを務めた。ニールは他のワークスドライバーと競り勝って、インディペンデント勢初の優勝も記録し、2年連続でインディペンデント部門のタイトルを獲得した。
2001年より2年振りにドライバーとしての参戦を再開し、プライベーターチームからアルファロメオ・147をドライブ。スポット参戦だったがシリーズ8位となり、元BTCCチャンピオンの貫禄を見せる形となった。翌年もプライベートチームから参戦。この年限りでBTCC参戦を終了した。
BTCC参戦終了後もイギリスのレースに引き続き参戦。ポルシェ・カレラカップのタイトルを2008年と2010年に獲得している。現在もイギリスのモータースポーツイベントに出場している他、テレビ番組の解説者やレースリポーターとしても活動。ドライビングコーチとして後輩の指導にも携わっている。
レース戦績
[編集]イギリスツーリングカー選手権
[編集]- ^ – レースは大雨の為、途中で中止され、ポイントは付与されなかった。
‡ エンデュランスドライバーの為、ポイント獲得の対象外。
全日本ツーリングカー選手権
[編集]年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
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1994年 | BMW・318i | OAR 1 |
OAR 2 |
SUG 1 |
SUG 2 |
TOK 1 |
TOK 2 |
SUZ 1 |
SUZ 2 |
MIN 1 |
MIN 2 |
TAI 1 |
TAI 2 |
TSU 1 |
TSU 2 |
SEN 1 |
SEN 2 |
FSW 1 17 |
FSW 2 16 |
世界スポーツプロトタイプカー選手権
[編集]年 | チーム | 車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
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1990年 | スパイス・エンジニアリング | スパイス・SE90C | C1 | SUZ Ret |
MNZ | SIL Ret |
SPA 4 |
DIJ | NÜR | DON 3 |
MTL | MEX | 15位 | 7 |
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回数 | 総合順位 | クラス順位 |
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1988年 | チャールズ・アイヴィ・レーシング チーム・イステル |
クリス・ホジェッツ ジョン・シェルドン |
タイガー・GC287 | C2 | 301 | 20位 | 3位 |
1989年 | スパイス・エンジニアリング | ソーキルド・サイリング ウェイン・テイラー |
スパイス・SE89C | C1 | 150 | DNF | DNF |
1990年 | フェルミン・ベレス クリス・ホジェッツ |
スパイス・SE90C | C1 | 308 | 18位 | 18位 |
世界ツーリングカーカップ
[編集]年 | 国籍 | チーム | 車両 | 1 | 2 | 総合順位 |
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1994年 | イギリス | ルノー・ディーラー・レーシング | ルノー・ラグナ | Ret | NC | |
1995年 | ボルボ・850レーシング | ボルボ・850 | 18 | 20 | 26位 |
脚注
[編集]- ^ “Tim Harvey | Racing career profile | Driver Database”. www.driverdb.com. 2019年11月5日閲覧。
- ^ “TouringCarTimes - The no 1 resource for Touring Car news since 1995 - DTM - WTCC - BTCC - STCC”. web.archive.org (2007年3月22日). 2021年2月13日閲覧。
- ^ “Tim Harvey” (英語). Super Touring Register. 2020年3月4日閲覧。
- ^ “1995 Kyalami Super Touring International” (英語). Super Touring Register. 2020年3月4日閲覧。
- ^ “Autosport Podcast: Untold stories from the BTCC with Tim Harvey” (英語). Autosport.com. 2020年1月26日閲覧。