コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

チェーザレ・プランデッリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
チェーザレ・プランデッリ
2012年のプランデッリ
名前
本名 クラウディオ・チェーザレ・プランデッリ
Claudio Cesare Prandelli
ラテン文字 Cesare Prandelli
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1957-08-19) 1957年8月19日(67歳)
出身地 ロンバルディア州ブレシア県
オルツィヌオーヴィ
身長 176cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1974-1978 イタリアの旗 クレモネーゼ 88 (7)
1978-1979 イタリアの旗 アタランタ 27 (3)
1979-1985 イタリアの旗 ユヴェントス 89 (0)
1985-1990 イタリアの旗 アタランタ 119 (7)
通算 323 (17)
監督歴
1990-1997 イタリアの旗 アタランタ (ユース)
1993-1994 イタリアの旗 アタランタ (暫定)
1997-1998 イタリアの旗 レッチェ
1998-2000 イタリアの旗 エラス・ヴェローナ
2000-2001 イタリアの旗 ヴェネツィア
2002-2004 イタリアの旗 パルマ
2004 イタリアの旗 ローマ
2005-2010 イタリアの旗 フィオレンティーナ
2010-2014 イタリアの旗 イタリア
2014 トルコの旗 ガラタサライ
2016 スペインの旗 バレンシア
2017-2018 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル
2018-2019 イタリアの旗 ジェノア
2020-2021 イタリアの旗 フィオレンティーナ
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラウディオ・チェーザレ・プランデッリClaudio Cesare Prandelli1957年8月19日 - )は、イタリアロンバルディア州ブレシア県オルツィヌオーヴィ出身のサッカー指導者、元サッカー選手イタリア代表監督などを歴任した。

人物

[編集]

ストライカーの育成に実績がある監督でアルベルト・ジラルディーノアドリアン・ムトゥ、を覚醒させた人物として知られる。ドゥシャン・ヴラホヴィッチの覚醒も彼の手腕とされる。その一方で日本ではパルマ時代に中田英寿と起用法を巡って対立したことで話題を集めたことでも知られている。

来歴

[編集]

サッカー選手時代はミッドフィールダーとしてアタランタBCユヴェントスFCなどでプレー。ユヴェントスでは3回のスクデットをはじめ、タイトル獲得に貢献している。1985年には、選手としてヘイゼルの悲劇に遭遇している。引退後、アタランタの下部組織のコーチなどを経て、1998-99シーズンにエラス・ヴェローナの監督に就任。1年でチームをセリエA昇格に導く。続く1999-2000はセリエB降格最有力候補と見られていたが、シーズン後半から快進撃を見せて、最終的に9位という好成績を残した。

その後、ヴェネツィアパルマASローマ(家庭の事情で短期間で辞任)の監督を歴任し、2005-06シーズンにACFフィオレンティーナの監督に就任。辛うじてセリエB降格を免れた前シーズンから一転してリーグ4位の好成績を収め、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。しかし、シーズン終盤に発生した八百長疑惑に関わっていたとされ、勝点は30の減点。UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を剥奪された。

だが、プランデッリが指揮するフィオレンティーナは翌シーズン、翌々シーズンともチャンピオンズリーグ出場圏を常に争う快進撃を見せ、イタリアでは珍しい長期政権となった。なお、フィオレンティーナではアレッサンドロ・ガンベリーニリッカルド・モントリーヴォマヌエル・パスクアルジャンパオロ・パッツィーニら将来のイタリア代表を担うと目される逸材を短期間で次々に才能開花させた。

2010年5月にワールドカップ南アフリカ大会の大会終了後にマルチェロ・リッピ監督の後任としてイタリア代表の監督に就任することが決定し、イタリアサッカー連盟(FIGC)と4年契約を交わした。

イタリア代表では、ジャンルイジ・ブッフォンアンドレア・ピルロといったベテランを引き続き軸としながらも、マリオ・バロテッリら若手やモントリーヴォ、パッツィーニら自らが育てた中堅を招集し、伝統の堅守だけでなくパスをつないで攻撃も重視するスタイルに転換を図った。EURO2012予選を無敗で1位通過し(8勝2分)、順調な滑り出しをみせる。だが、EURO2012本大会直前には、イタリアサッカー界は八百長問題で大きく揺れ、代表においても捜査を受けたドメニコ・クリッシトを外さざるを得なくなるなど影響を受けた。その中でプランデッリはチームをまとめ、低かった前評判を覆し決勝まで導いた。決勝ではスペインに0-4という大敗を喫したが、南アフリカでの惨敗と八百長問題という暗雲を吹き飛ばしたとしてイタリア国内でも評価された[1]

2013年、イタリア代表はFIFAコンフェデレーションズカップ2013に出場し、3位に入る。

ワールドカップブラジル大会予選も無敗で1位通過し(6勝4分)、プランデッリとFIGCはEURO2016本大会まで2年の契約延長に合意していたが、2014 FIFAワールドカップ本大会ではグループリーグで敗退したため代表監督を辞任した[2]

2014-15シーズンからはトルコの強豪クラブであるガラタサライの指揮を執ることが決定[3]。しかし、UEFAチャンピオンズリーグ 2014-15 グループリーグで最下位で敗退したため、11月27日に解任された[4]。 解任されたハビエル・アギーレの後任監督として日本代表監督の要請を受けたが辞退した[5]

2016年9月には、パコ・アジェスタラン監督の後任として、バレンシアの監督に就任。自身初めてリーガ・エスパニョーラで指揮を取ることとなったが、成績不振やクラブとの衝突があり、わずか3ヶ月で監督を辞任した[6]

その5ヶ月後の2017年5月、アラビアン・ガルフ・リーグアル・ナスルの監督に就任[7] 。しかし、開幕から12試合でAFCチャンピオンズリーグ出場圏内との勝点差が8に開くなど成績が上向かず、約半年後の2018年1月に解任された[8]

2018年12月7日、ジェノアCFCの監督に就任したことが発表された[9]。シーズン終了と同時に退任した。

2020年11月9日、低迷するフィオレンティーナの監督に再就任した[10]。ストライカー育成の手腕を発揮しドゥシャン・ヴラホヴィッチを覚醒させるも成績自体は向上せず2021年3月23日に自らフロントに辞任を申し入れると同時に監督業からの引退を示唆した[11]

エピソード

[編集]

獲得タイトル

[編集]

選手時代

[編集]
クレモネーゼ
ユヴェントスFC

監督時代

[編集]
エラス・ヴェローナ
個人
  • パンキーナ・ドーロ:2回(2005-06、2006-07)
  • セリエA最優秀監督賞:1回(2007-08)
  • プレミオ・インテルナツィオナーレ・ジャチント・ファケッティ:1回(2009)
  • エンツォ・ベアゾット賞:1回(2011)

監督成績

[編集]
2021年3月21日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
アタランタ (暫定) イタリアの旗 1993年11月2日 19945月2日 26 3 10 13 22 47 −25 011.54
レッチェ イタリアの旗 1997年6月18日 1998年2月2日 24 5 4 15 17 41 −24 020.83
エラス・ヴェローナ イタリアの旗 1998年6月20日 2000年5月20日 78 30 26 22 107 92 +15 038.46
ヴェネツィア イタリアの旗 2000年5月20日 2001年10月9日 53 23 17 13 77 66 +11 043.40
パルマ イタリアの旗 2002年5月16日 2004年5月28日 85 38 24 23 138 104 +34 044.71
ローマ イタリアの旗 2004年5月28日 2004年8月27日 0 0 0 0 0 0 +0 !
フィオレンティーナ イタリアの旗 2005年6月7日 2010年6月3日 240 117 56 67 357 250 +107 048.75
イタリア代表 イタリアの旗 2010年7月2日 2014年6月24日 56 25 17 14 81 58 +23 044.64
ガラタサライ トルコの旗 2014年7月8日 2014年11月28日 16 6 3 7 15 29 −14 037.50
バレンシア スペインの旗 2016年10月3日 2016年12月30日 10 3 3 4 17 17 +0 030.00
アル・ナスル アラブ首長国連邦の旗 2017年5月25日 2018年1月19日 19 8 4 7 30 21 +9 042.11
ジェノア イタリアの旗 2018年12月7日 2019年5月26日 24 4 11 9 20 28 −8 016.67
フィオレンティーナ イタリアの旗 2020年11月9日 2021年3月23日 23 6 6 11 27 35 −8 026.09
合計 654 266 185 203 908 788 +120 040.67

脚注

[編集]
  1. ^ Napolitano a Prandelli "Se andava via mi sarei arrabbiato"
  2. ^ 敗退イタリア、プランデッリが辞任 連盟会長も Goal.com 2014年6月25日閲覧
  3. ^ ガラタサライ新監督にプランデッリ氏 UEFA.com 2014年7月8日付
  4. ^ ガラタサライ、プランデッリ監督を解任 UEFA.com 2014年11月28日付
  5. ^ プランデリ氏、就任打診を辞退=サッカー日本代表監督-伊通信社報じる 時事通信 2015年2月8日付
  6. ^ バレンシアのプランデッリ監督がわずか3ヶ月間で電撃辞任! 補強面でクラブと衝突か FOOTBALL CHANNEL 2016.12.31
  7. ^ 元伊代表監督プランデッリ氏、UAEのアル・ナスル指揮官に就任 サンケイスポーツ 2017年5月26日付
  8. ^ プランデッリ監督、わずか半年で解雇… qoly 2018/01/20
  9. ^ ジェノアが今季2度目の監督交代! ユリッチ解任で元イタリア代表監督のプランデッリ招へい”. 超ワールドサッカー (2018年12月8日). 2018年12月8日閲覧。
  10. ^ フィオレンティーナが監督交代…プランデッリ氏が11シーズンぶりに指揮官復帰”. サッカーキング (2020年11月10日). 2020年11月10日閲覧。
  11. ^ 今季フィオレンティーナを指揮したプランデッリ氏が辞任「指揮官としてのキャリアを終える可能性もある」”. サッカーキング (2021年3月24日). 2021年3月24日閲覧。
  12. ^ フィレンツェの親子鷹 calcio2002,2010-1-3閲覧

外部リンク

[編集]