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ショーン・ケリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ショーン・ケリー
Sean Kelly
基本情報
本名 John James Kelly
ジョン・ジェームズ・ケリー
愛称 ショーン・ケリー
生年月日 (1956-05-24) 1956年5月24日(68歳)
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
身長 180 cm
体重 77 kg
選手情報
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 スプリンター
オールラウンダー
プロ経歴
1977-1978
フランドリア・ベルダ
1979-1981
スプレンダー
1982-1983
セム・フランス・ロワール
1984-1985
スキル
1986-1988
カス
1989-1991
PDM
1992-1993
フェスティナ・ロータス
1994
カタバナ
監督経歴
2006-2011
ショーン・ケリー・チーム
2014-2016
アンポスト・チェーンリアクション
グランツール最高成績
ジロ・デ・イタリア DNF (1992)
ツール・ド・フランス 総合4位 (1985)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合優勝 (1988)
主要レース勝利

グランツール

ツール・ド・フランス
ポイント賞 (1982, 1983, 1985, 1989)
中間スプリント賞 (1982, 1983, 1989)
区間5勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ
総合優勝 (1988)
ポイント賞 (1980, 1985, 1986, 1988)
複合賞 (1988)
区間16勝

ステージレース

パリ〜ニース (1982, 1983, 1984, 1985, 1986, 1987, 1988)
ツール・ド・スイス (1983, 1990)
バスク一周 (1984, 1986, 1987)
ボルタ・ア・カタルーニャ (1984, 1986)
クリテリウム・アンテルナシオナル (1983, 1984, 1987)

ワンデーレース

ミラノ〜サンレモ (1986, 1992)
パリ〜ルーベ (1984, 1986)
リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ (1984, 1989)
ジロ・ディ・ロンバルディア (1983, 1985, 1991)
ヘント〜ウェヴェルヘム (1988)
パリ〜ツール (1984)

その他

スーパープレスティージュ (1984–1986)
UCIロードワールドカップ (1989)
獲得メダル
アイルランドの旗 アイルランド
ロードレース
世界選手権
1982 グッドウッド ロードレース
1989 シャンベリ ロードレース

ショーン・ケリー(Seán Kelly、1956年5月24日 - )はアイルランド生まれの元自転車ロードレース選手。1980年代に最も活躍したロードレース選手の一人であり、史上最高のクラシックライダーの一人でもある。1977年にプロに転向し、1994年に引退するまで、モニュメントで9回、プロレースで193回の優勝を果たした。パリ〜ニースでは7年連続で優勝し、1989年にはUCIロードワールドカップで初優勝。1988年にはブエルタ・ア・エスパーニャを制し、ジロ・ディ・ロンバルディアミラノ〜サンレモパリ〜ルーベリエージュ〜バストーニュ〜リエージュでも複数回の優勝を果たした。その他、クリテリウム・アンテルナシオナルグランプリ・デ・ナシオンツール・ド・スイスバスク一周ボルタ・ア・カタルーニャなどのステージレースでも優勝している。

ケリーは世界選手権自転車競技大会ロードレースで2度の銅メダル(1982年、1989年)を獲得し、1987年には同胞のステファン・ロシュが金メダルを獲得した年に5位入賞を果たした。1984年シーズン、33勝を挙げ、1984年3月にFICPランキングが導入された際、初めて1位を獲得し、その後、5年間1位をキープした。キャリア通算のランキングポイントでは、エディ・メルクスに次ぐ歴代2位。

経歴

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アイルランドのロード選手といえば、1987年ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランス世界選手権自転車競技大会の三冠王に輝いたステファン・ロッシュが一般的に有名だが、ロッシュが選手生活の中で本当に輝きを放ったシーズンはほぼこの年だけといっていいのに対し、ケリーは現役時代、毎年のようにタイトルを獲得したばかりか、数多くの年間表彰も受けた。

とりわけ、パリ〜ニースの1982年から1988年までの総合7連覇という記録はステージレースにおける同一大会連覇記録である。同様の記録として後にランス・アームストロングがツール7連覇を達成したものの、ドーピングが発覚して全成績を抹消されている。また、年間表彰制度であるスーパープレスティージュUCI・ロードワールドランキングスにおいても長らく1位を記録しており、ベルナール・イノーグレッグ・レモンといった選手たちの追随を許さなかった。

当初はスプリンター型の選手で、1982年のツールでは同タイプの名選手であったベルギーフレディ・マルテンスを大きく引き離しポイント賞マイヨ・ヴェール)を受賞するなど、第一人者としての地位を固める。その後はオールラウンダー型の選手に変貌した。しかし難度の高い山岳コースは苦手としており、そのためか、グランツール総合優勝としてはブエルタ・ア・エスパーニャにおける1回(1988年)があるのみである。

また、モニュメント通算9勝を始めとするクラシックレースでも数多くの勝利を挙げているが、ロンド・ファン・フラーンデレンだけは2位が3度あるものの遂に優勝を果たせず、リック・ファン・ローイエディ・メルクスロジェ・デフラミンクに次ぐ史上4人目のモニュメント完全制覇は果たせなかった。

スプリント力が注目されがちであるが、1992年のミラノ〜サンレモではモレノ・アルゼンティンが直前のレースで事故を起こした記憶から危険な下り坂で失速することを予想、ゴール手前の丘「ポッジョ・ディ・サンレモ」でのアタックをあえて放置し下りで差を詰めゴール直前で差し切るなど、心理・戦術面での巧みさが目立つ。

現役時代の主な実績

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グランツールでの実績

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ツール・ド・フランス

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  • 1978: 総合34位; 第6ステージ優勝
  • 1979: 総合38位
  • 1979: 総合29位; 第19・21ステージ優勝
  • 1981: 総合48位; 第17ステージ優勝
  • 1982: 総合15位; ポイント賞(初); 第13ステージ優勝
  • 1983: 総合7位; ポイント賞(2回目)
  • 1984: 総合5位;
  • 1985: 総合4位; ポイント賞(3回目)
  • 1987: 途中リタイア
  • 1988: 総合46位;
  • 1989: 総合9位; ポイント賞(4回目。史上最多〈当時〉。)
  • 1990: 総合30位
  • 1991: 途中リタイア
  • 1992: 総合43位

ブエルタ・ア・エスパーニャ

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  • 1979: 第1・5ステージ優勝
  • 1980: 第1・2・14・17・19ステージ優勝
  • 1985: 第2・9・15ステージ優勝
  • 1986: 第10・13ステージ優勝
  • 1987: 第1・3ステージ優勝
  • 1988: 総合優勝; 第11・20ステージ優勝

主要ワンデイレース優勝

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主要ステージレース総合優勝

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年間表彰第1位受賞記録

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外部リンク

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