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ブエルタ・ア・エスパーニャ2010は、ブエルタ・ア・エスパーニャ (Vuelta a España) の65回目の大会。2010年8月28日から9月19日まで行われた。
2010年6月14日、出場予定の22チームが決まった。UCIプロチームの中では、チーム・レディオシャックが招待されなかった[1]。
- 初日はグランツール初となるナイトチームタイムトライアルとなった。これはスペインがこの時期灼熱となるのも考慮されてのことだが、今までと違うスケジューリングと走り慣れない状況が一波乱起こす可能性は否定できない。
- 第2ステージからいきなり(ツールなら)中級山岳ステージと呼べるようなアップダウンのある展開。第3、第4と2連続で山頂フィニッシュに近い上りゴールが設定されるなど、序盤から気の抜けないレイアウトが連続する。
- ブエルタ名物となった3連続山頂フィニッシュは休息日前の第14~16ステージに設定。ここで総合争いが一気に絞り込まれると思われる。
- TTは初日のチームTTを除くと第17ステージの1度のみとなった。しかしアップダウンがほとんどない平坦ステージで距離も46kmと短くないことから、TTが苦手なクライマーはここまでにリードを保持することが優勝への最低条件である。
- 決戦の舞台は第20ステージのボラ・デル・ムンドとなった。登山距離21.6km、平均勾配6.3%とツールでよく見るようなダラダラと上がり続ける山に見えるが、やはりそこはブエルタ、ラスト3kmは平均12%+MAX20%というプロファイルがフィナーレを演出する。また山岳ポイントも特例で山頂フィニッシュの「15、10、6、4、2」ではなく「20、15、10、6、4、2」とされるため、総合勢だけでなく山岳賞争いの選手も一位を狙いにくる乱戦が期待される。
- 今年の世界戦(オーストラリア)が非常にスプリンターに有利だとされてきたため、一流のスプリンターが顔を揃えることとなった(実際には周回コース内に大きな起伏があるため、どちらかといえばパンチャー有利ではあるが、ミラノ〜サンレモ風とも言えなくはないのでスプリンターにもチャンス有り)。
- 去年のポイント賞アンドレ・グライペル(チーム・HTC - コロンビア)はオメガファーマ・ロットへの移籍発表も影響したのかメンバー落ち。代わりに絶対エースであるマーク・カヴェンディッシュがブエルタ初見参。今年も取れなかったツールをバネにし、今回こそポイント賞ジャージ獲得を狙う。不安要素はブエルタという山が多い舞台とリードアウト役がいつものマーク・レンショーではなくマシュー・ゴスであることか。
- そのカヴェンディッシュからマイヨ・ヴェールを奪い取ったアレッサンドロ・ペタッキ(ランプレ=ファルネーゼ・ヴィーニ)がブエルタにも登場。この勢いでシーズン2つめのポイント賞ジャージを目指す。
- カヴェンディッシュ同様そろそろタイトルが欲しいタイラー・ファーラー(ガーミン・トランジションズ)。山という舞台で利点を生かせるトル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)とダニエーレ・ベンナーティ(リクイガス・ドイモ)、元トラックスターで平地でのスプリントには自信を見せるテオ・ボス(サーヴェロ・テストチーム)、昨年0勝に終わったオスカル・フレイレ(ラボバンク)など、見方によっては総合より豪華な面々がグリーンジャージを狙う。
- 3年連続の山岳王を目指すダヴィ・モンクティエ(コフィディス)がやはり大本命。今年もジロ・ツールは眼中に無く、厳しく短い峠がメインとなるブエルタに併せてきた。
- 他は09ツールで好成績をあげたエゴイ・マルティネス(エウスカルテル・エウスカディ)、ジロの難関ステージを制したヨハン・チョップ(Bbox ブイグテレコム)らがあげられるが、やはり21ステージをトータルで通して見るとモンクティエと総合勢の争いが見られるか。
- 第3・第4ステージは連続上りゴール。第3ステージは圧倒的な加速を見せたフィリップ・ジルベールが圧勝し、マイヨ・ロホを奪取。第4ステージは勾配27%区間で渾身のアタックを決めたイゴル・アントンが制した。
- 第8ステージからは休息日を挟んで山岳4連戦。第8ステージは最後の激坂で飛び出したダヴィ・モンクティエが3年連続のブエルタステージ優勝を達成。マイヨ・ロホは僅差の争いの末アントンへ移動。第9ステージはゴール手前の下りで飛び出したダビ・ロペスが逃げ切り勝ち。
- 休息日明け第10ステージは逃げ集団からの単騎飛び出しに成功したイマノル・エルビディが独走勝利。連日積極的な走りを見せていたホアキン・ロドリゲスが中間スプリントポイントのボーナスタイムを利してついにマイヨ・ロホを奪取。しかし、初の山頂ゴールとなる第11ステージでロドリゲスは失速、アントンが2勝目を挙げて1日でマイヨ・ロホを奪還した。
- 第12ステージはここまで好位置に付けるもなかなか勝てなかったマーク・カヴェンディッシュがようやく初勝利。カヴェンディッシュは勢いに乗って第13ステージも連勝。
- 第14ステージからは勝負の山頂ゴール3連戦。初戦の第14ステージでは残り6.5km地点でアントンが落車。アントンは右肘を骨折してしまい、マイヨ・ロホ着用のまま無念のリタイアとなった。ステージは最後に切れ味鋭い飛び出しを見せたロドリゲスが制し、マイヨ・ロホは僅差でヴィンチェンツォ・ニバリに移動。第15ステージは地元でのレースとなったカルロス・バレードが独走勝利。第16ステージはミケル・ニエベがアントンのリタイアに沈むチームを勇気づける勝利。ニバリがラスト1kmで失速してしまい、マイヨ・ロホはロドリゲスが奪取した。
- 休息日を挟んで今大会唯一の個人TTとなった第17ステージは風向きも味方につけたペーター・ヴェリトスがファビアン・カンチェラーラ等を破る大金星。ロドリゲスはヴェリトスから6分以上遅れ、マイヨ・ロホを失うどころか、表彰台圏内からも転落。ニバリはパンクのアクシデントを乗り越えてマイヨ・ロホに再び袖を通した。第18ステージはカヴェンディッシュが3勝目。第19ステージはまたも圧巻の上りスプリントを見せたジルベールが2勝目。
- 最後にして最大の勝負所となるボラ・デル・ムンドがゴールとなる第20ステージは、ラスト3kmでのエセキエル・モスケラとニバリの壮絶な一騎討ちの末、モスケラが優勝、ニバリも差を1秒にとどめてマイヨ・ロホを確定させた。
- 最終第21ステージはファーラーが2勝目を挙げて有終の美を飾った。
- ステージ優勝こそ挙げられなかったが、大会を通じて大崩れすること無く安定した走りを見せたヴィンチェンツォ・ニバリ(リクイガス・ドイモ)が自身初のグランツール総合優勝を成し遂げた。チームもジロの時のような圧倒的なチーム力は無かったが、今シーズン限りでチームを離れるロマン・クロイツィガーが献身的なアシストを見せ、自身も個人TTでのパンクというアクシデントを乗り越えての栄冠となった。リクイガス・ドイモは年間で2つのグランツールを制覇、イタリア人のブエルタ総合優勝は1990年のマルコ・ジョヴァンネッティ以来20年ぶりとなる。
- 3年連続で総合トップ5入りを果たしてきたエセキエル・モスケラ(シャコベオ・ガリシア)が自身初の表彰台&自己最高位となる総合2位に入った。モスケラは大会序盤は目立たなかったものの、大会中盤以降は積極的なアタックで何度も見せ場を作り、苦手としていた個人TTでも好走。ボラ・デル・ムンドがゴールとなる第20ステージではニバリとの死闘の末、自身初のステージ優勝を果たした。
- これまでグランツールでこれといった実績の無かったペーター・ヴェリトス(チーム・HTC - コロンビア)が総合3位と大健闘。山岳ステージで健闘を見せると、第17ステージの個人TTでは気象条件も味方に付けてファビアン・カンチェラーラを破ってステージ優勝という快挙を成し遂げた。スロバキア国籍の選手としては、史上初めてグランツールの表彰台となる。
- ツールに続いてチームのエースとして出場したホアキン・ロドリゲス(チーム・カチューシャ)は第14ステージを制し、2日間マイヨ・ロホを着用したが、第17ステージでの個人TTで大崩れしたのが響いて表彰台にあと一歩届かない総合4位、大会前は総合優勝有力候補の1人とされたフランク・シュレク(チーム・サクソバンク)は、ツールでの鎖骨骨折以来、レースをあまりこなしていなかった影響か大会序盤は精彩を欠き、第16ステージでは力強いアタックでステージ2位に入ったが、結局総合5位に終わった。チーム・サクソバンクとしても休息日にアンディ・シュレクとスチュアート・オグレディが不祥事でチームから追放される、ファビアン・カンチェラーラが最終日目前で途中棄権する等、シュレク兄弟が新チームに移籍する前の最後のグランツールは少々後味の悪いものとなった。その他ニコラス・ロッシュ(Ag2r・ラ・モンディアル)とルイス・レオン・サンチェス(ケス・デパーニュ)が自身初のグランツール総合トップ10入りとなるそれぞれ総合7位、総合10位、トム・ダニエルソン(ガーミン・トランジションズ)は自身3度目のブエルタ総合トップ10入り(総合9位)を果たした。
- カルロス・サストレ(サーヴェロ・テストチーム)は総合順位こそ8位だったが、2006年以来2度目となる年間グランツール全完走を達成(ジロ…総合8位、ツール…総合20位)。2010年においてはサストレが唯一の達成者となった。チームメイトのシャビエル・トンドが初のグランツール完走で総合6位に入っている。
- 一方、参加選手中唯一のブエルタ総合優勝経験者で、下馬評でも総合優勝最有力候補とされてきたデニス・メンショフ(ラボバンク)は、第8ステージで落車に巻き込まれて膝を負傷したことが原因か山岳ステージで走りに精彩を欠くなど、第17ステージの個人TTで2位に入った以外は全く見せ場無く総合41位に終わった。
- 第4ステージと第11ステージを制し、5日間に渡ってマイヨ・ロホを着用したイゴル・アントン(エウスカルテル・エウスカディ)は大会序盤~中盤にかけての主役となったが、第14ステージで落車した際に右肘を骨折。マイヨ・ロホ着用のままリタイアという結果に終わった。
- これまでジロとツールでステージ優勝を量産しながら、ポイント賞に縁の無かったマーク・カヴェンディッシュ(チーム・HTC - コロンビア)がブエルタ初参加となった今大会で悲願の初ポイント賞ジャージとなるマイヨ・プントスを獲得した。大会序盤は欠場のマーク・レンショーに代わって発射台役を担当するマシュー・ゴスとの連携がうまくいかず、なかなか勝利を挙げられなかったが、大会中盤以降はゴスとの連携が冴え渡り、第12、13、18ステージを制してステージ3勝。優勝できなかったステージでも大崩れせずステージ上位を積み重ねて(2位3回、3位1回)、タイラー・ファーラー(ガーミン・トランジションズ)との熾烈な争いを7ポイント差で制した。
- タイラー・ファーラーは初のグランツールポイント賞こそ成らなかったが、第5ステージとマドリードゴールとなる最終第21ステージを制してステージ2勝。後者ではカヴェンディッシュを力でねじ伏せるなど、カヴェンディッシュとスプリント勝負で互角に渡り合える存在であることを改めて示す形となった。この他にヤウヘン・フタロヴィチュ(FDJ)が第2ステージ、トル・フースホフト(サーヴェロ・テストチーム)が第6ステージ、アレサンドロ・ペタッキ(ランプレ・ファルネーゼ=ヴィーニ)が第7ステージを制している。
- フィリップ・ジルベール(オメガファーマ・ロット)上りスプリント勝負となった第3ステージと第19ステージを制し、マイヨ・ロホを5日間着用。それ以外のステージでも積極果敢なアタックを何度も見せるなど、今大会の主役の一人となった。マイヨ・プントス争いでも5位に入っている。
- マイヨ・モンターニャはダヴィ・モンクティエ(コフィディス)が3連覇を達成。過去2年見せてきたような1ステージでの派手なポイント稼ぎは見られず、最終ポイントも過去2年の半分以下の51ポイントであったが、3年連続のステージ優勝も達成して快挙に華を添えている。
- マイヨ・コンビナダは目まぐるしく持ち主が変わったものの、第20ステージでのステージ2位でスプリントポイントと山岳ポイントを大幅に稼いだことが決定打となってニバリが獲得。これで総合優勝者の複合賞獲得は7年連続となる。
- 大会序盤から謎の体調不良が蔓延していたチームスカイはリタイア者が続出。さらに帯同していたマッサーが急死するという事態となり、大会から撤退するという結果となった。
- 前述のチームスカイの大会撤退はあったものの、大会閉幕から世界選手権までの期間が例年より長めの2週間だったこともあって、出場198名中、完走は156名と昨年から大幅に完走者数が増加する結果となった。
- 8月27日現在[2]
- ゼッケン(ナンバーカード)はチームのUCIコードのアルファベット順となっているが、今回優先的にゼッケン1番を着用できる前回大会個人総合優勝のアレハンドロ・バルベルデは前述の理由により欠場となっている。ゼッケン1番は41歳の大ベテランにしてブエルタ17年連続出場となるイニィーゴ・クエスタに与えられ、これに伴いサーヴェロ・テストチームがゼッケン一桁となる。
- 太字はUCIプロチーム、中字はUCIコンチネンタルプロチーム
- 完走順位以外の特記事項
- DNF - 途中棄権 (did not finish)
- DNS - (当該ステージ)不出走 (did not start)
- DSQ - 失格 (disqualified)
- HD - タイムオーバー
- ^ RadioShack miss out on Vuelta a España invite - cyclingnews.com 6月14日付記事(英語)
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2010年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e f 大会に帯同していたマッサーの急死に伴い、チームが大会撤退を決定したため棄権。
- ^ 8月16日のレース外ドーピング検査で、EPO陽性反応が検出されたため。
- ^ a b チーム内規定に違反したため、チームから棄権を命じられた。
- ^ ポイント賞首位のマーク・カヴェンディッシュがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ 複合賞首位のマーク・カヴェンディッシュがマイヨ・ロホ、同2位のペーター・ヴェリトスがマイヨ・プントスを着用のため、繰り下げの繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ a b ポイント賞首位のフィリップ・ジルベールがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ 複合賞首位のセラフィン・マルティネスがマイヨ・モンターニャ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ a b ポイント賞首位のフィリップ・ジルベールがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ 複合賞首位のダヴィ・モンクティエがマイヨ・モンターニャ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ ポイント賞首位のイゴル・アントンがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ a b c 複合賞首位のイゴル・アントンがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ 複合賞首位のホアキン・ロドリゲスがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。
- ^ 複合賞首位のヴィンチェンツォ・ニバリがマイヨ・ロホ着用のため、繰り下げで翌日ジャージを着用した。