スペイン君主一覧
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(アラゴン女王から転送)
スペイン王国 国王 | |
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Rey de España | |
在位中の国王 | |
フェリペ6世 Felipe VI 2014年6月19日より | |
詳細 | |
敬称 | 陛下 |
推定相続人 | アストゥリアス女公レオノール |
初代 | フェリペ5世 |
成立 | 1700年 |
宮殿 |
マドリード王宮 (公的) サルスエラ宮殿 (私的) |
ウェブサイト | The Spanish Monarchy |
称号:国王 | |
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敬称 |
陛下 His Majesty the King |
スペイン君主一覧(スペインくんしゅいちらん)では、スペインおよび現在のスペインにつながるイベリア半島の諸国を統治してきた君主の一覧を挙げる。
西ゴート王国
[編集]→詳細は「西ゴート王国」を参照
アストゥリアス王国
[編集]→詳細は「アストゥリアス王国」および「アストゥリアス王の一覧」を参照
ガリシア王国
[編集]→詳細は「ガリシア王国」を参照
グラナダ王国
[編集]→詳細は「グラナダ王国」を参照
レオン王国
[編集]ナバラ王国
[編集]カスティーリャ王国
[編集]→詳細は「カスティーリャ王国」および「カスティーリャ君主一覧」を参照
アラゴン王国
[編集]カタルーニャ君主国
[編集]カスティーリャ=アラゴン連合王国(1479年 - 1516年)
[編集]- トラスタマラ朝 (1479–1555)
1469年、カスティーリャ王女イサベルとアラゴン王太子フェルナンドの結婚により、1479年にカスティーリャ=レオン王国とアラゴン王国の同君連合が形成された。
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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イサベル1世 | 1451年4月22日 – 1504年11月26日 (53歳没) | 1474年12月11日 カスティーリャ女王 | 1504年11月26日 カスティーリャ女王 | カスティーリャ国王フアン2世とイサベル・デ・ポルトゥガルの娘 | トラスタマラ家 | |
フェルナンド5世および2世 | 1452年3月10日 – 1516年1月23日 (63歳没) | 1475年1月15日 カスティーリャ王 1479年1月20日 アラゴン王 | 1504年11月26日 カスティーリャ王 1516年1月23日 アラゴン王 | アラゴン国王フアン2世とフアナ・エンリケスの息子 カスティーリャ摂政、1504年 - 1516年 | トラスタマラ家 | |
フアナ
| 1479年11月6日 – 1555年4月12日 (75歳没) | 1504年11月26日 カスティーリャ女王 1516年1月23日 アラゴン女王 | 1555年4月12日 カスティーリャ=アラゴン女王 | フェルナンド5世および2世とイサベル1世の娘 1506年、正気を失う。 1516年以降、息子のカルロス1世が王を代行する。 | トラスタマラ家 | |
フェリペ1世
| 1478年7月22日 – 1506年9月25日 (28歳没) | 1506年6月27日 カスティーリャ王 | 1506年9月25日 カスティーリャ王 | 神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とブルゴーニュ女公マリーの息子 スペイン貴族の承認を得られず詐称した。 | アブスブルゴ家 |
スペイン
[編集]アブスブルゴ朝(1516年 - 1700年)
[編集]→詳細は「スペイン・ハプスブルク朝」を参照
→「en:Philippine Dynasty」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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カルロス1世
| 1500年2月24日 – 1558年9月21日 (58歳没) | 1516年3月14日 | 1556年1月16日 (譲位) | フェリペ1世とフアナの息子 兼神聖ローマ皇帝カール5世、1519年 - 1556年 | アブスブルゴ家 | |
フェリペ2世
| 1527年5月21日 – 1598年9月13日 (71歳没) | 1556年1月16日 | 1598年9月13日 | カルロス1世とイサベル・デ・ポルトゥガルの息子 兼ポルトガル王フィリペ1世、1581年 - 1598年 | アブスブルゴ家 | |
フェリペ3世
| 1578年4月14日 – 1621年3月31日 (42歳没) | 1598年9月13日 | 1621年3月31日 | フェリペ2世とアナ・デ・アウストリアの息子 兼ポルトガル王フィリペ2世、1598年 - 1621年 | アブスブルゴ家 | |
フェリペ4世
| 1605年4月8日 – 1665年9月17日 (60歳没) | 1621年3月31日 | 1665年9月17日 | フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリア=エスティリアの息子 兼ポルトガル王フィリペ3世、1621年 - 1640年 | アブスブルゴ家 | |
カルロス2世
| 1661年11月6日 – 1700年11月1日 (38歳没) | 1665年9月17日 | 1700年11月1日 | フェリペ4世とマリアナ・デ・アウストリアの息子 | アブスブルゴ家 |
ボルボン朝(1700年 - 1808年)
[編集]→詳細は「スペイン・ブルボン朝」および「en:Enlightenment in Spain」を参照
カルロス2世の死去に伴い断絶したアブスブルゴ(ハプスブルク)家に代わってボルボン(ブルボン)家のアンジュー公フィリップが祖父のルイ14世の後押しによって国王として即位、フェリペ5世と名乗った。これはスペイン継承戦争を引き起こし、オーストリア・ハプスブルク家のカール大公が一時「スペイン王カルロス3世」を称したが、王位が承認されてからは幾度もの中断期を挟みながらも現在に至る。
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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フェリペ5世
| 1683年12月19日 – 1746年7月9日 (62歳没) | 1700年11月16日 | 1724年1月14日 (譲位) | フェリペ4世の曾孫 フランス王太子ルイとマリー・アンヌ・ド・バヴィエールの息子 | ボルボン家 | |
ルイス1世
| 1707年8月25日 – 1724年8月31日 (17歳没) | 1724年1月14日 | 1724年8月31日 | フェリペ5世とマリア・ルイサ・デ・サボヤの息子 | ボルボン家 | |
フェリペ5世
| 1683年12月19日 – 1746年7月9日 (62歳没) | 1724年9月6日 | 1746年7月9日 | 復位 | ボルボン家 | |
フェルナンド6世
| 1713年9月23日 – 1759年8月10日 (45歳没) | 1746年7月9日 | 1759年8月10日 | フェリペ5世とマリア・ルイサ・デ・サボヤの息子 | ボルボン家 | |
カルロス3世
| 1716年1月20日 – 1788年12月14日 (72歳没) | 1759年8月10日 | 1788年12月14日 | フェリペ5世とイサベル・デ・ファルネシオの息子 | ボルボン家 | |
カルロス4世
| 1748年11月11日 – 1819年1月20日 (70歳没) | 1788年12月14日 | 1808年3月19日 (譲位) | カルロス3世とマリーア・アマリア・デ・サホニアの息子 | ボルボン家 | |
フェルナンド7世
| 1784年10月14日 – 1833年9月29日 (48歳没) | 1808年3月19日 | 1808年5月6日 (退位) | カルロス4世とマリーア・ルイーサ・デ・パルマの息子 | ボルボン家 |
ボナパルテ朝(1808年 - 1813年)
[編集]→詳細は「ジョゼフ・ボナパルト治世下のスペイン」を参照
→「ボナパルト朝」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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ホセ1世
| 1768年1月7日 – 1844年7月28日 (76歳没) | 1808年6月6日 | 1813年12月11日 (廃位) | フランス皇帝ナポレオン1世の兄ジョゼフ・ボナパルト 元ナポリ王ジュゼッペ1世 | ボナパルテ家 |
ボルボン朝〔第1次復古〕(1813年 - 1868年)
[編集]→詳細は「半島戦争」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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フェルナンド7世
| 1784年10月14日 – 1833年9月29日 (48歳没) | 1813年12月11日 | 1833年9月29日 | 復位 | ボルボン家 | |
イサベル2世
| 1830年10月10日 – 1904年4月10日 (73歳没) | 1833年9月29日 | 1868年9月30日 (廃位) | フェルナンド7世とマリア・クリスティーナ・デ・ボルボンの娘 | ボルボン家 |
サボヤ朝(1870年 - 1873年)
[編集]→詳細は「スペイン名誉革命」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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アマデオ1世
| 1845年5月30日 – 1890年1月18日 (44歳没) | 1870年11月16日 | 1873年2月11日 (退位) | 議会により選出 イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世とマリーア・アデライデ・ダズブルゴ=ロレーナの息子 | サボヤ家 |
第一共和政(1873年 - 1874年)
[編集]→詳細は「スペイン第一共和政」を参照
ボルボン朝〔第2次復古〕(1874年 - 1931年)
[編集]→詳細は「スペイン王政復古」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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アルフォンソ12世
| 1857年11月28日 – 1885年11月25日 (27歳没) | 1874年12月29日 | 1885年11月25日 | イサベル2世とフランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボンの息子 | ボルボン家 | |
アルフォンソ13世
| 1886年5月17日 – 1941年2月28日 (54歳没) | 1886年5月17日 | 1931年4月14日 (退位) | アルフォンソ12世とマリア・クリスティーナ・デ・アブスブルゴ=ロレーナの息子 | ボルボン家 |
第二共和政(1931年 - 1939年)
[編集]→詳細は「スペイン第二共和政」を参照
フランコ政権(1939年 - 1975年)
[編集]→詳細は「フランコ体制下のスペイン」を参照
1947年、スペインは国王空位のまま王国とされ、フランシスコ・フランコ総統を終身摂政とした。
ボルボン朝〔第3次復古〕(1975年 - 現在)
[編集]→詳細は「スペインの民主化」を参照
君主名 | 生没年月日 | 即位 | 退位 | 補足 | 家系 | 画像 |
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フアン・カルロス1世
| 1938年1月5日(86歳) | 1975年11月22日 | 2014年6月19日 (譲位) | アルフォンソ13世の孫 バルセロナ伯フアンとマリア・デ・ラス・メルセデス・デ・ボルボーン=ドス・シシリアスの息子 | ボルボン家 | |
フェリペ6世
| 1968年1月30日(56歳) | 2014年6月19日 | 在位 | フアン・カルロス1世とソフィア・デ・グレシア・イ・ディナマルカの息子 | ボルボン家 |
系図
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イサベル1世 カスティーリャ女王 | フェルナンド2世 アラゴン王・ カスティーリャ王[注釈 1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(ハプスブルク家) フェリペ1世 カスティーリャ王 (王位僭称) | フアナ カスティーリャ・ アラゴン女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス1世 (神聖ローマ皇帝 カール5世) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェリペ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェリペ3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェリペ4世 | マリア・アンナ | フェルディナント3世 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス2世 | レオポルト1世 神聖ローマ皇帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カール6世[注釈 2] 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー・テレーズ | (ブルボン家) ルイ14世 (フランス王) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェリペ5世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイス1世 | フェルナンド6世 | カルロス3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス4世 | マリア・ ルドヴィカ | レオポルト2世 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェルナンド7世 | カルロス | フランシスコ・ デ・パウラ | ラニエーリ | (ボナパルト家) ホセ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
(カルリスタ系) | マリーア・ アデライデ | (サヴォイア家) ヴィットーリオ・ エマヌエーレ2世 イタリア王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
イサベル2世 | フランシスコ・ デ・アシス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アマデオ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ12世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ13世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(バルセロナ伯)フアン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フアン・カルロス1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フェリペ6世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
称号
[編集]レコンキスタとスペイン統一、十字軍、スペイン継承戦争、かつてのスペイン帝国などの歴史的経緯や王室の婚姻関係などから、スペイン王は長大な正式称号を有している。王の称号の法的根拠は1978年憲法第56条2項であり、そこでは「スペイン国王」のみが明記されているが、同時に「国王は王位にふさわしいその他の称号を用いることができる」とも記されている。
スペイン王室公式サイトでは「スペイン国王」以外の称号の例として1805年時点でのカルロス4世の称号が紹介されている[1]。以下にその各称号を挙げる。
- 王 : カスティーリャ、レオン、アラゴン、両シチリア(ナポリ及びシチリア)、エルサレム、ナバラ、グラナダ、トレド、バレンシア、ガリシア、マヨルカ、メノルカ、セビーリャ、サルデーニャ、コルドバ、ムルシア、ハエン、アルガルヴェ、アルヘシラス、ジブラルタル、カナリア諸島、東インディアス及び西インディアス、大洋の島嶼及びティエラ・フィルメ(islas y Tierra Firme del Mar Océano)
- 大公 : オーストリア
- 公 : ブルゴーニュ、ブラバント、ミラノ
- 伯 : ハプスブルク、フランドル、チロル、バルセロナ
- 領主(Señor) : ビスカヤ、モリナ (en) ;
前国王フアン・カルロス1世はコルシカ王の称号も有していたが、フェリペ6世は継承しなかった[要出典]。
また、以下の称号が使われることがある。
- カトリック王(Rey Católico)
- 国軍最高司令官(Capitán General de las Fuerzas Armadas, de las que ostenta el mando supremo);
- 金羊毛騎士団総長(Soberano Gran Maestre de la Insigne Orden del Toisón de Oro);
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ "La Monarquía en la Historia de España"、スペイン王室公式サイト。2023年5月25日閲覧