マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン
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マリア・ルドヴィカ・フォン・シュパーニエン Maria Ludovika von Spanien | |
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神聖ローマ皇后 | |
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在位 | 1790年 - 1792年 |
出生 |
1745年11月24日 ナポリ王国、ポルティチ |
死去 |
1792年5月15日(46歳没) 神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、ホーフブルク宮殿 |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 オーストリア大公国、ウィーン、カプツィーナー納骨堂 |
結婚 | 1765年8月5日 インスブルック |
配偶者 | 神聖ローマ皇帝レオポルト2世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | スペイン・ブルボン家 |
父親 | スペイン王カルロス3世 |
母親 | マリア・アマリア・フォン・ザクセン |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
マリア・ルドヴィカ(ドイツ語名:Maria Ludovika von Spanien, 1745年11月24日 - 1792年5月15日)は、神聖ローマ皇帝レオポルト2世の皇后。父はスペイン王カルロス3世、母はポーランド王兼ザクセン選帝侯アウグスト3世の娘マリア・アマリア。スペイン語名はマリーア・ルイサ・デ・エスパーニャ(María Luisa de España)。
生涯
[編集]カンパニア地方のポルティチで生まれた。当時、父カルロスはナポリ王国とシチリア王国の王であった。
1764年にハプスブルク=ロートリンゲン家のレオポルト大公と結婚、翌1765年にレオポルトが父である皇帝フランツ1世からトスカーナ大公国を相続したことでトスカーナ大公妃となった。
1790年にはレオポルトが兄ヨーゼフ2世から帝位を継承したため皇后となったが、1792年に夫と死別後間もなく自身も死去した。
子女
[編集]夫のレオポルト2世との間に16子をもうけた。
- マリア・テレジア(1767年 - 1827年) - ザクセン王アントン妃
- フランツ(1768年 - 1835年) - 神聖ローマ皇帝フランツ2世、オーストリア皇帝フランツ1世
- フェルディナント(1769年 - 1824年) - トスカーナ大公フェルディナンド3世
- マリア・アンナ(1770年 - 1809年)
- カール(1771年 - 1847年) - チェシン(テシェン)公
- レオポルト・アレクサンダー(1772年 - 1795年) - ハンガリー副王
- アルブレヒト(1773年 - 1774年)
- マクシミリアン(1774年 - 1778年)
- ヨーゼフ・アントン(1776年 - 1847年) - ハンガリー副王
- マリア・クレメンティーネ(1777年 - 1801年) - 両シチリア王フランチェスコ1世妃
- アントン・ヴィクトール(1779年 - 1835年) - ロンバルド=ヴェネト副王
- マリア・アマーリア(1780年 - 1798年)
- ヨハン(1782年 - 1859年) - アンナ・プロッフルと貴賎結婚
- ライナー・ヨーゼフ(1783年 - 1853年) - ロンバルド=ヴェネト副王
- ルートヴィヒ(1784年 - 1864年)
- ルドルフ(1788年 - 1831年) - オルミュッツ大司教