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ナバラ君主一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナバラ王国紋章

本項では、パンプローナ、後のナバラ王国の君主を一覧で列挙する。パンプローナはアラゴン王国1076年1134年)と合同する前の最初の王国の名前である。領域上の名称であるナバラが10世紀に代わって用いられるようになるが、パンプローナの名称は12世紀まで保持された。

イニゴ家 (824年?–905年)

[編集]

イニゴ家824年頃にフランク王国の権威に反旗を翻すことでナバラ(パンプローナ)王国の土台を築いた[1]

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
イニゴ・アリスタ
824年?–851/2年
Íñigo Arista 4人の子を儲ける 851/2年
ガルシア・イニゲス
851/2年–882年
イゴニ・アリスタの男子 5人の子を儲ける 882年
フォルトゥン・ガルセス
882年–905年
ガルシア・イニゲスの男子 オリア
5人の子を儲ける
(905年廃位)

ヒメネス家 (905年–1234年)

[編集]

905年、隣国との連携はフォルトン・ガルゼスの修道院への隠遁を余儀なくさせ、その後には新王朝ヒメネス朝の王統が続いた。新王朝のもとでナバラの名がパンプローナの名に取って代わった。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
サンチョ・ガルセス1世
905年–925年
ガルシア・ヒメネスとダディルディス・デ・パリャースの男子 トダ・アスナレス
6人の子を儲ける
925年12月11日
レサ
ヒメノ・ガルセス
925年–931年
ガルシア・ヒメネスとダディルディス・デ・パリャースの男子 サンチャ・デ・パンプローナ
3人の子を儲ける
931年5月29日
ガルシア・サンチェス1世
931年–970年
919年
サンチョ・ガルセス1世トダ・アスナレスの男子
アンドレゴト・ガリンデス
2人の子を儲ける
テレサ・ラミレス・デ・レオン
3人の子を儲ける
970年2月22日
51歳没
サンチョ・ガルセス2世
970年–994年
サンチョ・ガルセス2世 935年以後
ガルシア・サンチェス1世アンドレゴト・ガリンデスの男子
ウラカ・フェルナンデス
4人の子を儲ける
994年12月
ガルシア・サンチェス2世
994年–1000/1004年
サンチョ・ガルセス2世ウラカ・フェルナンデスの男子 ヒメナ・フェルナンデススペイン語版
981年
4人の子を儲ける
1000/1004年
サンチョ・ガルセス3世
1004年–1035年
985年
ガルシア・サンチェス2世ヒメナ・フェルナンデススペイン語版の男子
ムニアドナ・デ・カスティーリャ
1010年
4人の子を儲ける
1035年10月18日
ガルシア・サンチェス3世
1035年–1054年
1016年
サンチョ・ガルセス3世ムニアドナ・デ・カスティーリャの男子
エステファニア・デ・バルセロナ
1038年
9人の子を儲ける
1054年9月15日
アタプエルカ
サンチョ・ガルセス4世
1054年–1076年
1039年
ガルシア・サンチェス3世エステファニア・デ・バルセロナの男子
プラセンシア
1068年
3人の子を儲ける
1076年6月4日
ペニャレン英語版

サンチョ・ガルセス4世が暗殺されると、ナバラは従兄弟のカスティーリャ王アルフォンソ6世アラゴン王サンチョ1世の侵略を受け、後者がナバラ王になり、半世紀の間アラゴン王国の支配下に置かれた。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
サンチョ5世ラミレス
1076年–1094年
サンチョ5世ラミレス 1042年
アラゴン王ラミロ1世エルメシンダ・デ・ビゴーラの男子
イサベル・デ・ウルヘル
1065年
1人の子を儲ける
フェリシー・ド・ルシー
1076年
3人の子を儲ける
1094年6月4日
ウエスカ
52歳没
ペドロ1世
1094年–1104年
ペドロ1世 1068年
サンチョ5世ラミレスイサベル・デ・ウルヘルの男子
アニェス・ダキテーヌ
1086年
2人の子を儲ける
ベルタスペイン語版
1097年
子を儲けず
1104年9月28日
アラン谷
36歳没
アルフォンソ1世
1104年–1134年
アルフォンソ1世 1073年
サンチョ5世ラミレスフェリシー・ド・ルシーの男子
ウラカ・デ・カスティーリャ
1109年
子を儲けず
1134年9月8日
ウエスカ
61歳没

アルフォンソ1世の死はアラゴンを王位継承危機に導き、ナバラ貴族が暗殺されたサンチョ4世の大甥(庶兄弟を介する形となる)を王位につけることで王国の再建独立をするのに有利に働いた。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
ガルシア・ラミレス
1134年–1150年
ガルシア・ラミレス ラミロ・サンチェスクリスティーナ・ロドリゲス英語版の男子 マルガリータ・デ・ライグレ
1130年
4人の子を儲ける
ウラカ・デ・カスティーリャ
1144年6月24日
2人の子を儲ける
1150年11月21日
ロルカ
サンチョ6世
1150–1194
サンチョ6世 1133年
ガルシア・ラミレスマルガリータ・デ・ライグレの男子
サンチャ・デ・カスティーリャ
1157年
6人の子を儲ける
1194年6月27日
パンプローナ
サンチョ7世
1194年–1234年
サンチョ7世 1157年
トゥデラ
サンチョ6世サンチャ・デ・カスティーリャの男子
コンスタンス・ド・トゥールーズ
1195年
6人の子を儲ける
1234年4月7日
トゥデラ

シャンパーニュ家 (1234年–1284年)

[編集]

最後のヒメノ朝の君主サンチョ7世の死で、ナバラ王位はその妹ブランシュの男子であるブロワ家シャンパーニュ伯ティボー4世(テオバルド)に移り、ブランシュは長い間摂政を務めた。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
テオバルド1世
1234年–1253年
テオバルド1世が用いた国璽 1201年5月30日
トロワ
シャンパーニュ伯ティボー3世ブランシュ・ド・ナヴァールの男子
ゲルトルート・フォン・ダグスブルク
1220年
子を儲けず
アニェス・ド・ボージュー
1222年
1人の子を儲ける
マルグリット・ド・ブルボン
1232年
6人の子を儲ける
1253年6月8日
パンプローナ
52歳没
テオバルド2世
1253年–1270年
1238年
テオバルド1世マルグリット・ド・ブルボンの男子
イザベル
1255年4月6日
子を儲けず
1270年12月4日
トラーパニ
32歳没
エンリケ1世
1270年–1274年
ナバラのシャンパーニュ家の紋章 1244年
テオバルド1世マルグリット・ド・ブルボンの男子
ブランシュ・ダルトワ
1269年
2人の子を儲ける
1274年6月22日
30歳没
フアナ1世
1274年–1305年
フアナ1世 1271年6月14日
バル=シュル=セーヌ英語版
エンリケ1世ブランシュ・ダルトワの女子
フィリップ4世
1284年8月16日
7人の子を儲ける
1305年4月4日
ヴァンセンヌ城
34歳没

カペー家 (1284年–1349年)

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エンリケ1世の急死後、残された女子のフアナが唯一の後継者となり、その母ブランシュ・ダルトワが10年間摂政となった。1284年にフアナがのちのフランス国王フィリップ4世と結婚したことでブランシュの摂政統治は終わり、フィリップ4世はフランス国王即位後に「フランスとナバラの国王」を称した。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
フェリペ1世
1284年–1305年
1268年
フォンテーヌブロー
フィリップ3世イザベル・ダラゴンの男子
フアナ1世
1284年8月16日
7人の子を儲ける
1314年11月29日
フォンテーヌブロー
46歳没
ルイス1世
1305年–1316年
ルイス1世 1289年10月4日
パリ
フェリペ1世フアナ1世の男子
マルグリット・ド・ブルゴーニュ
1305年9月21日
1人の子を儲ける
クレマンス・ド・オングリー
1315年8月19日
1人の子を儲ける
1316年6月5日
ヴァンセンヌ
26歳没
フアン1世
1316年
フアン1世 1316年11月15日
パリ
ルイス1世クレマンス・ド・オングリーの男子
未婚 1316年11月20日
パリ
誕生とともに即位、5日後に没
フェリペ2世
1316年–1322年
1292年
リヨン
フェリペ1世フアナ1世の男子
ジャンヌ・ド・ブルゴーニュ
1307年
7人の子を儲ける
1322年1月3日
ロンシャン
29歳没
カルロス1世
1322年–1328年
カルロス1世 1294年6月19日
クレルモン
フェリペ1世フアナ1世の男子
ブランシュ・ド・ブルゴーニュ
1307年
2人の子を儲ける
マリー・ド・リュクサンブール
1322年
4人の子を儲ける
ジャンヌ・デヴルー
1326年
3人の子を儲ける
1328年2月1日
ヴァンセンヌ
34歳没
フアナ2世
1328年–1349年
フアナ2世 1312年1月28日
シャラントン=ル=ポン
ルイス1世マルグリット・ド・ブルゴーニュの女子
フェリペ3世
8人の子を儲ける
1349年10月6日
シャラントン=ル=ポン
37歳没

エヴルー家 (1328年–1441年)

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名前 肖像画 誕生 結婚 死去
フェリペ3世
1328年–1343年
エヴルー家の紋章 1306年3月27日
エヴルー伯ルイマルグリット・ダルトワの男子
フアナ2世
8人の子を儲ける
1343年9月16日
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
37歳没
カルロス2世
1349年–1387年
エヴルー家の紋章 1332年10月10日
エヴルー
フェリペ3世フアナ2世の男子
ジャンヌ
7人の子を儲ける
1387年1月1日
パンプローナ
54歳没
カルロス3世
1387–1425
エヴルー家の紋章 1361年7月22日
ナント
カルロス2世ジャンヌの男子
エレオノール
1375年
8人の子を儲ける
1425年9月8日
オリテ
64歳没
ブランカ1世
1425–1441
エヴルー家の紋章 1385年
カスティーリャ
カルロス3世エレオノールの女子
シチリア王マルティーノ1世
1402年12月26日
1人の子を儲ける
フアン2世
1420年6月10日
4人の子を儲ける
1441年4月3日
サンタ・マリア・ラ・レアル・デ・ニエバ英語版
56歳没

トラスタマラ家 (1425年–1479年)

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名前 肖像画 誕生 結婚 死去
フアン2世
1425年–1479年 (デ・ファクト)
1425年-1441年 (デ・ジュリ)
フアン2世 1397年6月29日
メディナ・デル・カンポ
アラゴン王フェルナンド1世レオノールの男子
ブランカ1世
1419年11月6日
4人の子を儲ける
フアナ・エンリケス
2人の子を儲ける
1479年1月20日
バルセロナ
81歳没
レオノール
1479
ナバラ=アラゴンのトラスタマラ家の紋章 1425年2月2日
オリテ
フアン2世ブランカ1世の女子
フォワ伯ガストン4世
11人の子を儲ける
1479年2月12日
トゥデラ
54歳没
フアン2世に対する王位請求者 1441年–1464年

フアン2世は妻の没後もナバラ王位を保持したが、長男と長女は王位請求者かつ事実上の君主であった。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
カルロス4世
1441–1461
ビアナ公カルロス 1421年3月29日
ペニャフィエル
フアン2世ブランカ1世の男子
アニェス
子を儲けず
1461年9月23日
バルセロナ
40歳没
ブランカ2世
1461–1464
Aragon Navarre 1424年
オリテ
フアン2世ブランカ1世の女子
カスティーリャ王エンリケ4世
子を儲けず
1464年12月2日
オルテズ
40歳没

フォワ家 (1479年–1518年)

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名前 肖像画 誕生 結婚 死去
フランシスコ1世
1479年–1483年
ナバラのフォワ家の紋章 1469年4月18日
ビアナ公ガストンマドレーヌの男子
未婚 1483年2月12日
ポー
13歳没
カタリナ
1483–1517
ナバラのフォワ家の紋章 1468年
ビアナ公ガストンマドレーヌの女子
フアン3世
13人の子を儲ける
1517年2月12日
モン=ド=マルサン
49歳没

アルブレ家 (1518年–1572年)

[編集]

フアン3世1512年にアラゴン王フェルナンド2世に敗北したが、この時フェルナンド2世はナバラ南部を征服してナバラ国王として戴冠した。フェルナンド2世以後はアラゴン君主一覧及びスペイン君主一覧を参考のこと。1512年以降のナバラの君主は単にピレネー山脈以北の低ナバラ(バス=ナヴァール)一帯を支配するに留まった。

名前 肖像画 誕生 結婚 死去
フアン3世
1484–1516
ナバラのアルブレ家の紋章 1469年
アルブレ伯アラン1世フランソワーズ・ド・シャティヨン=リモージュ英語版の男子
カタリナ
13人の子を儲ける
1516年6月14日
ポー
47歳没
エンリケ2世
1517年–1555年
エンリケ2世 1503年4月18日
サングエサ
フアン3世カタリナの男子
マルグリット
1526年
2人の子を儲ける
1555年5月25日
アジェトモーフランス語版
52歳没
フアナ3世
1555年–1572年
フアナ3世 1528年1月7日
サン=ジェルマン=アン=レー
エンリケ2世マルグリットの女子
アントニオ
1548年10月20日
5人の子を儲ける
1572年6月9日
パリ
44歳没

ブルボン家 (1572年–1620年)

[編集]
名前 肖像画 誕生 結婚 死去
アントニオ
1555年-1562年
アントニオ 1518年4月22日
ラ・フェールフランス語版ピカルディ
ヴァンドーム公シャルル・ド・ブルボンフランソワーズ・ダランソンの男子
フアナ3世
1548年10月20日
5人の子を儲ける
1562年11月17日
レザンドリウール
44歳没
エンリケ3世
1572年–1610年
エンリケ3世 1553年12月13日
ポー
アントニオフアナ3世の男子
(1) マルグリット・ド・ヴァロワ
1572年8月18日
子を儲けず
(2) マリー・ド・メディシス
1600年12月17日
6人の子を儲ける
1610年3月14日
パリ
57歳没
ルイス2世
1610年–1620年
ルイス2世 1601年9月27日
フォンテーヌブロー宮殿
エンリケ3世マリー・ド・メディシスの男子
アンヌ・ドートリッシュ
1615年11月24日
6人の子を儲ける
1643年5月14日
パリ
41歳没

ナバラ国王エンリケ3世がフランス国王アンリ4世になったことで、ナバラ王位は再びフランス王位と合一した。1620年にナバラ王国はフランスに併合されたが、フランス国王は1791年までナバラ国王の称号を用い続け、1814年から1830年までの復古王政期に復活した。

カルリスタのスペイン王位請求者はカルリスタ戦争中にスパイン・ナバラで勢力を誇ったが、その一派の請求は普通はスペイン全土の王号であった。

系図

[編集]
  •   ナバラ(パンプローナ)王


イニゴ家
イニゴ・
アリスタ
 
 
 
ガルシア・
イニゲス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フォルトゥン・
ガルセス
 
 
サンチョ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オネカ
 
 
アスナール・
サンチェス
 
 
 
ヒメネス家
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トダ
 
 
 
 
サンチョ・
ガルセス1世
 
 
ヒメノ・
ガルセス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガルシア・
サンチェス1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ・
ガルセス2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガルシア・
サンチェス2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ・
ガルセス3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガルシア・
サンチェス3世
 
 
 
 
 
ラミロ1世
アラゴン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ・
ガルセス4世
 
サンチョ・
ガルセス
 
 
 
サンチョ5世
ラミレス

アラゴン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ラミロ・
サンチェス
 
 
 
ペドロ1世
アラゴン王
 
アルフォンソ1世
アラゴン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガルシア・
ラミレス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ6世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ7世
 
 
 
ブランシュ
 
シャンパーニュ家
ティボー3世
シャンパーニュ伯
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
テオバルド1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
テオバルド2世
 
エンリケ1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カペー家
フェリペ1世
フランス王
(フィリップ4世)
 
 
 
フアナ1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ルイス1世
フランス王
(ルイ10世)
 
フェリペ2世
フランス王
(フィリップ5世)
 
カルロス1世
フランス王
(シャルル4世)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フアン1世
フランス王
(ジャン1世)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エヴルー家
フェリペ3世
エヴルー伯
 
フアナ2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カルロス2世
 
 
 
 
 
 
 
カルロス3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ブランカ1世
 
トラスタマラ家
フアン2世
アラゴン王
 
 
フアナ・
エンリケス
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カルロス (4世)
ビアナ公
(王位請求者)
 
ブランカ (2世)
(王位請求者)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フォワ家
ガストン4世
フォワ伯
 
 
 
レオノール
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ガストン
ビアナ公
 
 
ジャン
ナルボンヌ子爵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フランシスコ1世
 
 
 
ジェルメーヌ
 
フェルナンド2世
アラゴン王
 
イサベル1世
カスティーリャ
女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カタリナ
 
 
アルブレ家
フアン3世
 
 
フアナ
カスティーリャ
女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エンリケ2世
 
 
 
 
(スペイン王)
 
 
 
 
 
 
 
ブルボン家
アントニオ
ヴァンドーム公
 
フアナ3世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エンリケ3世
フランス王
(アンリ4世)
 
 
 
 
 
 
 
ルイス2世
フランス王
(ルイ13世)
 
 
 
 
 
 
 
(フランス王)


現在の君主および王位請求者

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ J.E.モービー『オックスフォード世界歴代王朝王名総覧』東洋書林、1993年、p.156
  2. ^ 90th birthday of Infanta D. Alicia, Princess of Bourbon-Parma, Dowager Duchess of Calabria” (英語). ブルボン=シチリア家公式サイト. 2023年10月24日閲覧。

関連項目

[編集]