コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

イザベル・ドゥルジェイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イザベル・ドゥルジェイ
Isabel d'Urgell
アラゴン王
在位 1065年 - 1070年

出生 1048年ごろ
死去 1071年以降
結婚 1065年1070年離婚)
配偶者 サンチョ1世
子女 ペドロ1世
家名 バルセロナ家
父親 ウルジェイ伯エルメンゴル3世
母親 アデライダ・デ・バザルー
テンプレートを表示

イザベル・ドゥルジェイカタルーニャ語:Isabel d'Urgell, 1048年ごろ - 1071年以降)は、アラゴン王サンチョ1世の最初の妃。

生涯

[編集]

イザベルはウルジェイ伯エルメンゴル3世とその最初の妃アデライダ・デ・バザルーの娘である[注釈 1][1]

イザベルは、兄のエルメンゴル4世の遺言で名前が挙げられている[2][3][4]

1065年にアラゴン王サンチョ1世と結婚し、イザベルはアラゴン王妃となった。2人の間には1男ペドロ1世が生まれた。ペドロ1世は後に父の跡を継いでアラゴン王およびナバラ王となったが、1104年に嗣子なく死去した。1070年にイザベルとサンチョ1世は離婚した。イザベルは1071年にサルダーニャ伯ギリェルモ1世の2番目の妃となった可能性がある。

注釈

[編集]
  1. ^ アデライダがエルメンゴル3世の2番目の妃であったという説もある。

脚注

[編集]
  1. ^ de Vajay, Szabolcs (1978). “Contribution à l'histoire de l'attitude des royaumes pirénéens dans la querelle des investitures: de l'origine de Berthe, reine d'Aragon et de Navarre”. Estudios Genealógicos, Heráldicos y Nobiliarios, en honor de Vicente de Cadenas y Vicent. vol. 2. Madrid: Ediciones Hidalguia. pp. 375-402, 396 
  2. ^ Gesta Comitum Barcinonensium
  3. ^ Monfar y Sors, Diego de (1853). Historia de los condes de Urgel, escrita por Diego Monfar y Sors, y publicada de real órden por Próspero de Bofarull y Mascaró. Vol. I, En el estab. lit. y tip. de J.E. Monfort , p. 357
  4. ^ Zurita, J. (1669). Anales de la Corona de Aragon. vol. I, Zaragoza: Diego Dormer, lib. I, p. 31