エルメシンダ・デ・ビゴーラ
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エルメシンダ・デ・ビゴーラ Ermesinda de Bigorra | |
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アラゴン王妃 | |
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在位 | 1036年 - 1049年 |
出生 |
1015年 |
死去 |
1049年12月1日 |
埋葬 | アラゴン王国、サンタ・クルス・デ・ラ・セロス、サン・フアン・デ・ラ・ペーニャ修道院 |
結婚 | 1036年8月22日 |
配偶者 | アラゴン王ラミロ1世 |
子女 |
テレサ サンチョ・ラミレス サンチャ ガルシア ウラカ |
家名 | コマンジュ家 |
父親 | フォワ伯・ビゴール伯ベルナール1世・ロジェ |
母親 | ビゴール女伯ガルサンド |
エルメシンダ・デ・ビゴーラ(スペイン語:Ermesinda de Bigorra, 1015年 - 1049年12月1日)は、アラゴン王ラミロ1世の妃。結婚前の名はジェルベルジュ・ド・ビゴール(フランス語:Gerberge de Bigorre)またはジズベルガ(Gisberga)[1]。
生涯
[編集]エルメシンダはフォワ伯・ビゴール伯ベルナール1世・ロジェとビゴール女伯ガルサンドの娘である。兄弟には、ビゴール伯ベルナール2世、フォワ伯ピエール=ベルナールがいる。また、ナバラ王ガルシア3世と結婚したエティエネットも姉妹である可能性がある[2]。
エルメシンダは1036年8月22日にアラゴン王ラミロ1世と結婚した[3]。結婚後に名前をジェルベルジュからエルメシンダに改名した。夫妻の結婚生活は13年間続き、その間に夫ラミロ1世は、ハカ周辺に散らばる領地を所有する家臣の身分から、かつてのアラゴン、ソブラルベ、リバゴルザの伯領にまたがる小王国の事実上の支配者となり、それにより最初のアラゴン王であると考えられている。2人の間には以下の子女が生まれた。
- テレサ(1037年生) - プロヴァンス伯ギヨーム・ベルトランと結婚
- サンチョ・ラミレス(1042年頃 - 1094年) - アラゴン王[4]
- サンチャ(1045年頃 - 1097年) - ウルジェイ伯アルマンゴル3世と結婚
- ガルシア(1086年7月17日没) - ハカ司教
- ウラカ(1077年没) - 修道女
エルメシンダは1049年12月1日に死去し、サン・フアン・デ・ラ・ペーニャ修道院に埋葬された[5]。夫ラミロ1世はその4年後にアニェス・ダキテーヌと再婚した。
脚注
[編集]- ^ Crónica de San Juan de la Peña
- ^ Márquez de la Plata 2009.
- ^ Durán Gudiol 1978, pp. 36–40.
- ^ Salas Merino 2007, p. 220.
- ^ “TOULOUSE - LANGUEDOC”. Medieval Lands. 2022年11月12日閲覧。
参考文献
[編集]- Márquez de la Plata, Vicenta María (2009). Los españoles de hace 900 años
- Durán Gudiol, Antonio (1978). La familia de Ramiro I. Ramiro I de Aragón. Zaragoza: Guara editorial. ISBN 84-85303-07-5
- Salas Merino, Vicente (2007). La Genealogía de los Reyes de España. Visionnet