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カスティーリャ君主一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本項では カスティーリャの伯、国王、女王を列挙する。

本項は部分的にはアストゥリアス王の一覧及びレオン君主一覧の続きである。

カスティーリャ伯

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選ばれた伯

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以下の伯は世襲ではなく、アストゥリアス王国東部の国王の代理人として指名された者である。早くも867年にはアラバ及びカスティーリャ伯領が創設され、カスティーリャは幾つかの小さな伯領に分割されて931年まで統一されることはなかった。

カスティーリャ

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(縮小された領域)

ブルゴス

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そのカスティーリャの獲得はブルゴスと再統一する結果となり、以後は二つの称号は区別されずほぼ同じ意味で使用された。

カスティーリャ及びブルゴス

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アラバ

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カスティーリャ王国紋章

931年フェルナン・ゴンサレスはグティエル・ヌニェス及びアルバロ・エラメリスの継承者に指名されたことで、分割していたカスティーリャ、ブルゴス、アラバ、セレソ、ランタロンを統一し、半自治的な世襲のカスティーリャ伯領とした。

サンチョ3世が死ぬと、その息子がガルシア2世サンチェスの姉妹でサンチョ3世の妃であるムニアドナ(ラ・マヨール)により伯として任命された。

カスティーリャ国王

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君主 肖像画 綽名 統治の開始 統治の終了 備考
フェルナンド1世 大王 1037年 1065年12月27日 レオン国王を兼ねる
サンチョ2世 強王 1065年12月27日 1072年10月6日  
アルフォンソ6世 勇敢王 1072年10月6日 1109年6月30日 レオン国王を兼ねる
ウラカ   1109年6月30日 1126年3月8日 レオン女王を兼ねる

以下の王朝はウラカの最初の夫ガリシア伯ライムンドの男系子孫である。

君主 肖像画 綽名 統治の開始 統治の終了 備考
アルフォンソ7世 皇帝 1126年3月10日 1157年8月21日 レオン国王を兼ねる
サンチョ3世 強欲王 1157年8月21日 1158年8月31日  
アルフォンソ8世 高貴王 1158年8月31日 1214年10月6日  
エンリケ1世   1214年10月6日 1217年6月7日  
ベレンゲラ 女帝 1217年6月6日 1217年8月30日 最愛の息子であるフェルナンド3世に譲位する; 1246年死去
フェルナンド3世 聖王 1217年8月30日 1252年5月30日 1230年以降はレオン国王を兼ね、以後の王は皆レオン王位を兼位する。
アルフォンソ10世 The Learned 賢王 1252年5月30日 1284年4月4日 1257年にローマ王に選出され、1275年に放棄するまでこの称号を請求した。
サンチョ4世 勇敢王 1284年4月4日 1295年4月25日  
フェルナンド4世 召集王 1295年4月25日 1312年9月7日  
アルフォンソ11世 正義王 1312年9月7日 1350年3月26日  
ペドロ1世 残酷王 1350年3月26日 1369年3月23日  

カスティーリャ及びレオン王位の請求者

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カスティーリャ連合王国紋章
(カスティーリャ及びレオン)

ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントペドロ1世の娘であるコンスタンスとの結婚を利用してカスティーリャ及びレオンの王号を請求した。ランカスター公は王号を確固とするためロンドンから遠征を強行するなどして幾つかの軍事的行動を起こしたが、成功することはなかった。

アルフォンソ11世の庶子であるエンリケ2世に始まり、トラスタマラ公を創立する。

君主 肖像画 綽名 統治の開始 統治の終了 備考
エンリケ2世 庶子王 1369年3月23日 1379年5月29日 1366年から王位を請求
フアン1世   1379年5月29日 1390年10月9日  
エンリケ3世 病弱王 1390年10月9日 1406年12月25日  
フアン2世   1406年12月25日 1454年7月21日  
エンリケ4世 無能王 1454年7月21日 1474年12月11日  
イサベル1世 カトリック女王 1474年12月11日 1504年11月26日 夫のアラゴン国王 フェルナンド2世と共同統治
フェルナンド5世 カトリック王 1475年1月15日 1504年11月26日 en:jure uxoris 王、妻のイサベル1世と共同統治
フアナ 狂女王 1504年11月26日 1555年4月12日 名目上時は夫のフェリペ1世が代行(1504年–1506年)。
幽閉時はフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス摂政として代行 (1506年–1516年)。
幽閉時は息子のカルロス1世が代行 (1516年–1555年)。
君主 肖像画 綽名 統治の開始 統治の終了 備考
フェリペ1世 美王 1506年7月12日 1506年9月25日 en:jure uxoris 王として妻のフアナの半分を統治。
カルロス1世   1516年5月13日 1556年1月16日 母のフアナが幽閉された1555年から共同統治、
1556年に最愛の息子に譲位、1558年9月21日に死去。

以後の君主はスペイン君主一覧を参考のこと。最初にスペイン国王の称号を用いたのはカルロス1世(自身はカスティーリャ、アラゴン以下その他スペインの領邦の王であった)の息子であるフェリペ2世である。それにも係わらず、カスティーリャ王国はスペイン連合王国内部で独自の権利を有し、それはスペイン継承戦争後のボルボーン朝まで続いた。

系図

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  •   カスティーリャ王


カスティーリャ家
 
 
 
ムニア・エルビラ
(カスティーリャ伯
サンチョ・ガルセス娘)
 
ヒメノ家
サンチョ3世
ナバラ王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチャ
レオン王
アルフォンソ5世娘)
 
フェルナンド1世
レオン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ2世
レオン王
 
アルフォンソ6世
レオン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ボルゴーニャ家
ライムンド
ガリシア伯
 
ウラカ
レオン女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アルフォンソ7世
レオン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ3世
 
 
 
 
 
フェルナンド2世
レオン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アルフォンソ8世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
エンリケ1世
 
ベレンゲラ
 
アルフォンソ9世
レオン王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フェルナンド3世
レオン王[1]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アルフォンソ10世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
サンチョ4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フェルナンド4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
レオノール・
デ・グスマン
 
アルフォンソ11世
 
マリア・デ・
ポルトゥガル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
トラスタマラ家
エンリケ2世
 
 
 
ペドロ1世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フアン1世
 
 
 
コンスタンス
 
ジョン・オブ・ゴーント
(王位請求者)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フェルナンド1世
アラゴン王
 
エンリケ3世
 
カタリナ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フアン2世
アラゴン王
 
 
 
フアン2世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フェルナンド5世
アラゴン王[2]
 
イサベル1世
 
エンリケ4世
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハプスブルク家
フェリペ1世
(王位僭称)
 
フアナ
カスティーリャ・
アラゴン女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カルロス1世
カスティーリャ・
アラゴン王
(スペイン王)
 
 
 
 
 
 
 
スペイン王

脚注

[編集]
  1. ^ フェルナンド3世以降はすべてのカスティーリャ王がレオン王を兼ねる。
  2. ^ アラゴン王としてはフェルナンド2世。

参考文献

[編集]
  • Barton, Simon. The Aristocracy in Twelfth-Century León and Castile. Cambridge University Press, 1997. Appendix I: "The Counts of Twelfth Century León and Castile", pp. 235–302.

関連項目

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