カスティーリャ君主一覧
本項では カスティーリャの伯、国王、女王を列挙する。
本項は部分的にはアストゥリアス王の一覧及びレオン君主一覧の続きである。
カスティーリャ伯
[編集]選ばれた伯
[編集]以下の伯は世襲ではなく、アストゥリアス王国東部の国王の代理人として指名された者である。早くも867年にはアラバ及びカスティーリャ伯領が創設され、カスティーリャは幾つかの小さな伯領に分割されて931年まで統一されることはなかった。
- ロドリゴ(860年–873年)、短期間アルバ伯。アストゥリアス王ラミロ1世の息子ともいわれる。
- ディエゴ・ロドリゲス・ポルセロス(873年–885年)、ロドリゴの息子
カスティーリャ
[編集](縮小された領域)
- ムニオ・ヌニェス(899年頃–901年頃)、レオン王ガルシア1世の義父。
- ゴンサロ・テリェス(901年頃–904年頃)、セレソ及びランタロン伯
- ムニオ・ヌニェス(復位、904年頃–909年頃)
- ゴンサロ・フェルナンデス(909年頃–915年)、ムニオ・ヌニェスの従兄弟
ブルゴス
[編集]- ゴンサロ・フェルナンデス(899年頃–915年)
そのカスティーリャの獲得はブルゴスと再統一する結果となり、以後は二つの称号は区別されずほぼ同じ意味で使用された。
カスティーリャ及びブルゴス
[編集]- フェルナンド・アンスレス(915年–920年)、レオン王ガルシア1世の未亡人でムニオ・ヌニェスの娘ムニアドナ(Muniadona)と結婚。
- ヌーニョ・フェルナンデス(920年–926年)、ゴンサロ・フェルナンデスの兄弟
- フェルナンド・アンスレス(復位、926年–929年頃)
- グティエル・ヌニェス(929年頃–931年)、恐らくはヌーニョ・フェルナンデスの息子
- ゴンサロ・テリェス(897年頃–913年)、短期間カスティーリャ伯を兼ねる
- フェルナンド・ディアス(913年–921年頃)、ディエゴ・ロドリゲス・ポルセロスの息子
- アルバロ・エラメリス(921年頃–931年)、アラバ伯を兼ねる。レオン王オルドーニョ2世の未亡人でナバラ王サンチョ1世の娘であるサンチャと結婚。
アラバ
[編集]- ロドリゴ(867年頃–870年)、カスティーリャ伯
- ベラ・ヒメネス(870年–887年頃)、パンプローナ副王ガルシア・ヒメネスの兄弟ともいわれる
- ムニオ・ベラス(887年頃–921年頃)、ベラ・ヒメネスの息子
- アルバロ・エラメリス(921年頃–931年)、セレソ及びランタロン伯を兼ねる
931年にフェルナン・ゴンサレスはグティエル・ヌニェス及びアルバロ・エラメリスの継承者に指名されたことで、分割していたカスティーリャ、ブルゴス、アラバ、セレソ、ランタロンを統一し、半自治的な世襲のカスティーリャ伯領とした。
- フェルナン・ゴンサレス(931年–970年)、ゴンサロ・フェルナンデスの息子。アルバロ・エラメリスの未亡人であるサンチャ・サンチェスと結婚。
- アンスル・フェルナンデス(Ansur Fernández)(944年–947年)、フェルナンド・アンスレスの息子。後の反乱中にフェルナン・ゴンサレスの対抗馬となる。レオン国王サンチョ1世の義父。
- ガルシア1世フェルナンデス(970年–995年)、フェルナン・ゴンサレスの息子
- サンチョ・ガルシア(995年–1017年)、ガルシア1世フェルナンデスの息子
- ガルシア2世サンチェス(1017年–1029年)、サンチョ・ガルシアの息子
- サンチョ3世(1029年-1035年) - ナバラ王
サンチョ3世が死ぬと、その息子がガルシア2世サンチェスの姉妹でサンチョ3世の妃であるムニアドナ(ラ・マヨール)により伯として任命された。
カスティーリャ国王
[編集]君主 | 肖像画 | 綽名 | 統治の開始 | 統治の終了 | 備考 |
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フェルナンド1世 | 大王 | 1037年 | 1065年12月27日 | レオン国王を兼ねる | |
サンチョ2世 | 強王 | 1065年12月27日 | 1072年10月6日 | ||
アルフォンソ6世 | 勇敢王 | 1072年10月6日 | 1109年6月30日 | レオン国王を兼ねる | |
ウラカ | 1109年6月30日 | 1126年3月8日 | レオン女王を兼ねる |
以下の王朝はウラカの最初の夫ガリシア伯ライムンドの男系子孫である。
君主 | 肖像画 | 綽名 | 統治の開始 | 統治の終了 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
アルフォンソ7世 | 皇帝 | 1126年3月10日 | 1157年8月21日 | レオン国王を兼ねる | |
サンチョ3世 | 強欲王 | 1157年8月21日 | 1158年8月31日 | ||
アルフォンソ8世 | 高貴王 | 1158年8月31日 | 1214年10月6日 | ||
エンリケ1世 | 1214年10月6日 | 1217年6月7日 | |||
ベレンゲラ | 女帝 | 1217年6月6日 | 1217年8月30日 | 最愛の息子であるフェルナンド3世に譲位する; 1246年死去 | |
フェルナンド3世 | 聖王 | 1217年8月30日 | 1252年5月30日 | 1230年以降はレオン国王を兼ね、以後の王は皆レオン王位を兼位する。 | |
アルフォンソ10世 | 賢王 | 1252年5月30日 | 1284年4月4日 | 1257年にローマ王に選出され、1275年に放棄するまでこの称号を請求した。 | |
サンチョ4世 | 勇敢王 | 1284年4月4日 | 1295年4月25日 | ||
フェルナンド4世 | 召集王 | 1295年4月25日 | 1312年9月7日 | ||
アルフォンソ11世 | 正義王 | 1312年9月7日 | 1350年3月26日 | ||
ペドロ1世 | 残酷王 | 1350年3月26日 | 1369年3月23日 |
カスティーリャ及びレオン王位の請求者
[編集]ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントはペドロ1世の娘であるコンスタンスとの結婚を利用してカスティーリャ及びレオンの王号を請求した。ランカスター公は王号を確固とするためロンドンから遠征を強行するなどして幾つかの軍事的行動を起こしたが、成功することはなかった。
アルフォンソ11世の庶子であるエンリケ2世に始まり、トラスタマラ公を創立する。
君主 | 肖像画 | 綽名 | 統治の開始 | 統治の終了 | 備考 |
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エンリケ2世 | 庶子王 | 1369年3月23日 | 1379年5月29日 | 1366年から王位を請求 | |
フアン1世 | 1379年5月29日 | 1390年10月9日 | |||
エンリケ3世 | 病弱王 | 1390年10月9日 | 1406年12月25日 | ||
フアン2世 | 1406年12月25日 | 1454年7月21日 | |||
エンリケ4世 | 無能王 | 1454年7月21日 | 1474年12月11日 | ||
イサベル1世 | カトリック女王 | 1474年12月11日 | 1504年11月26日 | 夫のアラゴン国王 フェルナンド2世と共同統治 | |
フェルナンド5世 | カトリック王 | 1475年1月15日 | 1504年11月26日 | en:jure uxoris 王、妻のイサベル1世と共同統治 | |
フアナ | 狂女王 | 1504年11月26日 | 1555年4月12日 | 名目上時は夫のフェリペ1世が代行(1504年–1506年)。 幽閉時はフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロスが摂政として代行 (1506年–1516年)。 幽閉時は息子のカルロス1世が代行 (1516年–1555年)。 |
君主 | 肖像画 | 綽名 | 統治の開始 | 統治の終了 | 備考 |
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フェリペ1世 | 美王 | 1506年7月12日 | 1506年9月25日 | en:jure uxoris 王として妻のフアナの半分を統治。 | |
カルロス1世 | 1516年5月13日 | 1556年1月16日 | 母のフアナが幽閉された1555年から共同統治、 1556年に最愛の息子に譲位、1558年9月21日に死去。 |
以後の君主はスペイン君主一覧を参考のこと。最初にスペイン国王の称号を用いたのはカルロス1世(自身はカスティーリャ、アラゴン以下その他スペインの領邦の王であった)の息子であるフェリペ2世である。それにも係わらず、カスティーリャ王国はスペイン連合王国内部で独自の権利を有し、それはスペイン継承戦争後のボルボーン朝まで続いた。
系図
[編集]- カスティーリャ王
(カスティーリャ家) | |||||||||||||||||||||||||||||||
ムニア・エルビラ (カスティーリャ伯 サンチョ・ガルセス娘) | (ヒメノ家) サンチョ3世 ナバラ王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
サンチャ (レオン王 アルフォンソ5世娘) | フェルナンド1世 レオン王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ2世 レオン王 | アルフォンソ6世 レオン王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(ボルゴーニャ家) ライムンド ガリシア伯 | ウラカ レオン女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ7世 レオン王 | |||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ3世 | フェルナンド2世 レオン王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ8世 | |||||||||||||||||||||||||||||||
エンリケ1世 | ベレンゲラ | アルフォンソ9世 レオン王 | |||||||||||||||||||||||||||||
フェルナンド3世 レオン王[1] | |||||||||||||||||||||||||||||||
アルフォンソ10世 | |||||||||||||||||||||||||||||||
サンチョ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||
フェルナンド4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||
レオノール・ デ・グスマン | アルフォンソ11世 | マリア・デ・ ポルトゥガル | |||||||||||||||||||||||||||||
(トラスタマラ家) エンリケ2世 | ペドロ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||
フアン1世 | コンスタンス | ジョン・オブ・ゴーント (王位請求者) | |||||||||||||||||||||||||||||
フェルナンド1世 アラゴン王 | エンリケ3世 | カタリナ | |||||||||||||||||||||||||||||
フアン2世 アラゴン王 | フアン2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||
フェルナンド5世 アラゴン王[2] | イサベル1世 | エンリケ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||
(ハプスブルク家) フェリペ1世 (王位僭称) | フアナ カスティーリャ・ アラゴン女王 | ||||||||||||||||||||||||||||||
カルロス1世 カスティーリャ・ アラゴン王 (スペイン王) | |||||||||||||||||||||||||||||||
(スペイン王) | |||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Barton, Simon. The Aristocracy in Twelfth-Century León and Castile. Cambridge University Press, 1997. Appendix I: "The Counts of Twelfth Century León and Castile", pp. 235–302.