アラゴン連合王国
- アラゴン王国
- Corona d'Aragón
Corona d'Aragó
Corona Aragonum
Corona de Aragón -
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←1162年 - 1716年 →
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→(国旗) (国章)
アラゴン王国の領土(1443年)-
公用語 カタルーニャ語、アラゴン語、ラテン語 言語 オック語、サルデーニャ語、コルシカ語、ナポリ語、シチリア語、カスティーリャ語、バスク語[1]、ギリシャ語、マルタ語、アル=アンダルス・アラビア語、モサラベ語 宗教 多数派
カトリック
少数派
イスラム教スンナ派、ユダヤ教、ギリシャ正教首都 サラゴサ、フラガ、カラタユー、タラソナ、モンソン、ナポリ、他 - アラゴン王、バルセロナ伯
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1137年 - 1162年 ペトロニラ、
ラモン・バランゲー4世1162年 - 1196年 アルフォンソ1世 1396年 - 1410年 マルティン1世 1412年 - 1416年 フェルナンド1世 1479年 - 1516年 フェルナンド2世 1516年 - 1556年 カルロス1世 1700年 - 1716年 フェリペ5世 - 面積
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1300年 120000[2]km² - 人口
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1,000,000[2]人 - 変遷
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アラゴン王国とカタルーニャ君主国の王朝連合成立 1137年 アルフォンソ1世のアラゴン王およびバルセロナ伯即位 1162年 マヨルカ島征服 1231年 バレンシア地方征服 1238年 - 1245年 サルデーニャ島征服 1324年 - 1420年 カスペの妥協 1412年 ナポリ王国征服 1435年 - 1442年 フェルナンド2世とイサベル1世の結婚 1469年 ナポリ王国再征服 1501年 - 1504年 新国家基本法制定 1716年
アラゴン連合王国(カタルーニャ語: Corona d'Aragó、アラゴン語: Corona d'Aragón、スペイン語: Corona de Aragón、イタリア語: Corona d'Aragona、ラテン語: Corona Aragoniae)は、アラゴン王国(アラゴン語: Reino d'Aragón)およびカタルーニャ君主国(カタルーニャ語: Principat de Catalunya)を中心とする複数の君主国の同君連合として構成された中世南ヨーロッパの国家である。イベリア半島東部に興り、西地中海の島々や南イタリアを領有するなど、地中海国家としても発展した。日本語訳は一定せず、アラゴン=カタルーニャ連合王国、アラゴン地中海帝国などとも呼ばれるが、単にアラゴン王国と呼んでこの連合王国を指す場合も多い。
歴史
[編集]起源
[編集]1137年にアラゴン王国のラミロ2世王の一人娘ペトロニラ女王とカタルーニャの君主であるバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世の結婚によって、王朝連合が成立した。これはアラゴンによるカタルーニャの併合でもその逆でもなく、両者がそれぞれの政治制度を維持したまま対等な連合関係を結んだものである。ラモン・バランゲー4世はカタルーニャとともにアラゴンの統治も行い、ペトロニラとの間の息子アルフォンソ2世はアラゴン王とバルセロナ伯を兼ねた。
勢力拡大
[編集]カスティーリャとの連合
[編集]カスティーリャの女王イサベル1世の夫で共同君主であったフェルナンド5世がアラゴン王フェルナンド2世として即位した1479年に、スペイン王国へと統合されたと見なすことができる。これもまた各国が政治制度を維持したままの連合であったが、実態としてはカスティーリャを中心とするものであり、スペイン継承戦争を経てスペイン・ブルボン朝の支配が確立した18世紀初めには、新国家基本法により旧来の政治機構は解体されて中央集権化が図られた。
解消
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主な領域
[編集]イベリア半島および周辺
[編集]- アラゴン王国(1137年 - 1710年)
- カタルーニャ君主国(バルセロナ伯領など)(1137年 - 1714年)
- マヨルカ王国(1231年 - 1276年、1349年 - 1715年)
- バレンシア王国(1238年 - 1707年)
- ナバラ王国(1458年 - 1479年、1512年 - 1516年)
イタリア南部および島嶼部
[編集]フランス南部
[編集]その他
[編集]脚注
[編集]- ^ Jimeno Aranguren, Roldan; Lopez-Mugartza Iriarte, J.C. (Ed.) (2004). Vascuence y Romance: Ebro-Garona, Un Espacio de Comunicación. Pamplona: Gobierno de Navarra / Nafarroako Gobernua. pp. 250–255. ISBN 84-235-2506-6
- ^ a b Reilly, Bernard F. (1993) (英語). The Medieval Spains. Cambridge University Press. p. 139. ISBN 9780521397414 11 October 2019閲覧. "The new kingdom of Castile had roughly tripled in size to some 335,000 square kilometers by 1300 but, at the same time, its population had increased by the same factor, from one to three millions [...] In the new Crown of Aragon of 120,000 square kilometers the population density would have been about the same for its numbers reached about 1,000,000 in the same period."
- ^ “Ducat de Neopàtria | enciclopedia.cat” (カタルーニャ語). www.enciclopedia.cat. 2024年2月4日閲覧。
参考文献
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