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昱子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
てる子内親王から転送)
昱子内親王
続柄 後堀河天皇第三皇女

全名 昱子(いくし/てるこ/あきこ)
身位 内親王
出生 寛喜3年(1231年
死去 寛元4年8月15日1246年9月26日)(享年16)
父親 後堀河天皇
母親 藤原兼良
役職 伊勢斎宮
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昱子内親王(いくし(てるこ/あきこ)ないしんのう、寛喜3年(1231年) - 寛元4年8月15日1246年9月26日))は、鎌倉時代中期の皇族後堀河天皇第3皇女、母は藤原兼良伊勢斎宮

生涯

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嘉禎3年(1237年)11月24日、四条天皇即位に伴い7歳で斎宮卜定暦仁元年(1238年)9月8日、左近衛府初斎院入り。同月22日、野宮に入る。延応元年(1239年)9月16日、伊勢群行仁治3年(1242年)1月11日、四条天皇崩御により13歳で退下。寛元4年(1246年)8月3日に落飾し、15日に16歳で薨去

参考文献

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