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くりぃむしちゅー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くりぃむから転送)
くりぃむしちゅー
メンバー 上田晋也
有田哲平
結成年 1991年
事務所 プライム(旧プライムワン)
ナチュラルエイト
活動時期 1991年12月 -
師匠 コント山口君と竹田君
出身 コント山口君と竹田君の付き人
出会い 熊本県立済々黌高等学校
旧コンビ名 島原火砕流土石流(結成当初)
海砂利水魚( - 2001年)
現在の活動状況 テレビ中心
芸種 漫才
コント
ネタ作成者 両者
現在の代表番組 しゃべくり007
今夜はナゾトレ
くりぃむクイズ ミラクル9
くりぃむナンタラ
過去の代表番組 銭形金太郎
くりぃむナントカ
笑いの金メダル
リチャードホール
シルシルミシルさんデー
ペケ×ポン
世界一受けたい授業
同期 オアシズ
やすずん
アニマル梯団
ココリコ
メッセンジャー
ジャリズム
水玉れっぷう隊
藤井隆
土田晃之
TKO
古坂大魔王ほか
公式サイト 事務所公式サイト
受賞歴
1994年 爆笑BOOING 5週勝ち抜きチャンピオン
1996年 第6回ニッポン放送高田文夫プロデュースOWARAIゴールドラッシュ年間チャンピオン
2004年 ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門)
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くりぃむしちゅーは、ナチュラルエイトに所属する上田晋也有田哲平からなる日本お笑いコンビ。コンビ名の由来は有田の好物であるクリームシチューから。略称は「くりぃむ」。旧コンビ名は「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)」(海砂利水魚の略称は「海砂利」)。当時キャッチコピーは「おとぼけツインターボ」「邪悪なお兄さん」であった。2人とも熊本県熊本市出身。

メンバー

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上田 晋也(うえだ しんや、1970年5月7日 - )(54歳)

ツッコミ担当、立ち位置は向かって左。
熊本県熊本市南区出身。熊本県立済々黌高等学校卒業、早稲田大学教育学部国語国文学科中退。既婚で1男1女の父。
血液型O型。身長172cm、体重63kg。顔にしわが多く、天然パーマ
たとえツッコミ、うんちくを得意としている。
好きな食べ物はお好み焼き。好きな女優は仲間由紀恵

有田 哲平(ありた てっぺい、1971年2月3日 - )(53歳)

ボケ担当、立ち位置は向かって右。
熊本県熊本市東区出身。熊本県立済々黌高等学校卒業、立教大学法学部中退。既婚で2女の父。
血液型O型。身長173cm、体重80kg。
プロレスラーものまねを得意としている。
好きな食べ物はクリームシチュー。好きな女優は菅野美穂

経歴

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2人は熊本県立済々黌高等学校の入学式当日に出会い、その後共通の趣味であるプロレスをきっかけに意気投合。揃ってラグビー部へ入部し親交を深める。2人の仲は非常に良く、ラグビー部ではコンビを組んで頻繁に部員を笑わせていた。顧問の先生や部員に面白いあだ名を付けたり、2人が「事件」と呼ぶ数々の笑える出来事が起こった済々黌ラグビー部こそが、くりぃむしちゅーの笑いの原点だったと後に2人は『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の中で回想している。当時の上田はいわゆる学校の番長的存在で、有田はその上田に付いていくような感じだった。有田曰く上田は硬派らしく済々黌で初の童貞番長だったとのこと。

有田は高校卒業後、現役で明治大学法学部二部へ合格。浪人が決まった上田から「一緒に早稲田に入ろう」と誘われ、有田は大学には入学せず2人別々の予備校へ通う。1年後に上田は早稲田大学教育学部国語国文学科へ合格するも、有田は早稲田大学には合格できなかった。有田は自分と同じように上田がまた浪人してくれると思っていたが、上田から「お前は立教がいい」と言われたことで上田は早稲田大学、有田は立教大学へ進学した。

大学在学中だった上田は芸人を志す。芸能事務所に送付するための履歴書を書こうと思っていた日に、たまたま同級生(ラグビー部 N氏)の家で有田と再会。話が弾む内に大学の仲間と行った合コンで馴染めなかった愚痴をこぼすように。その中で有田が「こんなことならお笑いでもやってればよかったな」「俺、お笑いやりたい」と言い始め、上田は「マジで言ってんの? 実は俺、今日にでも履歴書を書いて明日お笑い事務所に送るところだった」と偶然の一致により、2人で履歴書を書いて送付することにした。

後日、2人は山口ひろかず(コント山口君と竹田君)が当時代表を務めていた芸能プロダクションを訪ねる。そこで山口は「大学中退して芸能界に入るか、卒業後に改めてチャレンジするか、どっちかに決めたほうがいい」と2人にアドバイスした。その言葉を受けて2人とも大学を中退。上田は竹田高利の、有田は山口の付き人として芸能活動を始める。1991年12月、コンビ『海砂利水魚』を結成。

1992年から放送開始された『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに出演し、爆笑問題ネプチューンなど多くの芸人と共に人気を博す。

2001年10月にコンビ名を『海砂利水魚』から現在のものへ改名(詳細は後述)。

転機となったのは2000年に有田が東貴博Take2)脚本・主演の東八郎十三回忌追悼公演に出演した際、演出の萩本欽一に自身の不真面目な態度を肯定的に捉えられたことがきっかけでテキトーなキャラクターを確立したことである[1]。更には2003年に上田がバラエティ番組『虎の門』(テレビ朝日)の1コーナー「うんちく王決定戦」で優勝、一躍脚光を浴びる。以降上田は「うんちく王」の称号と共に、薀蓄芸と呼ばれる芸風で数々のメディア出演や執筆活動を行う。「たとえツッコミ」も知られるようになった[注 1]。有田は上田のブレイクに腐ることなくテキトーキャラでバーター出演をこなしてコンビの露出を増やすとともにピン芸人としての仕事でも認知度を上げていった[2]。そして、再度訪れたお笑いブームの波にも乗って、2004年には多数のレギュラー番組を抱える売れっ子となった。

2004年、ゴールデン・アロー賞放送賞(バラエティー部門)受賞。

2004年10月5日、改名後初の冠番組『くりぃむナントカ』(テレビ朝日)が放送開始。

2004年12月14日、上田が同郷の女性と入籍。『踊る踊る踊る!さんま御殿スペシャル』(日本テレビ)の収録中に発表された。第一子誕生は『おしゃれイズム』(日本テレビ)で藤木直人の口からフライング気味に発表された[3]

2005年7月5日、改名後初の冠ラジオ番組『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)が放送開始。

2006年7月13日、ゴールデンタイムでの初の冠番組『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』(日本テレビ)が放送開始。

2006年には『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(日本テレビ)のチャリティパーソナリティに初めて抜擢された。

2008年7月、先輩のネプチューンや後輩のチュートリアルと共に出演する『しゃべくり007』(日本テレビ)が放送開始。

2008年12月だけで、ピンとしての出演を含めた11本のレギュラーを合わせると27本もの番組に出演したと報道された。この年以降は自分たちがMCを務める番組が増え、他番組にゲスト出演する機会は少なくなった。

2009年9月、当時所属していたプライムからチーフマネージャー・大橋由佳が設立した芸能事務所「ナチュラルエイト」へ移籍。

2016年12月5日、有田が『しゃべくり007』にて11月29日付で一般女性との入籍を発表した。

芸風

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デビュー当初はコント重視の作家志向な芸風だった。後に漫才も演じるようになり、コントと漫才を平行する。改名以降はネタ披露の場が減少。単独コントライブも行ってはいたが、ほとんどが海砂利水魚時代の持ちネタであり2003年にファンクラブ解散と同時に中止となる。以降のくりぃむしちゅーのネタは元日放送の『初詣!爆笑ヒットパレード』(フジテレビ)でしか見られないが、それも2008年を最後に行われていない。

漫才では2人で「僕たち、くりぃむしちゅー! あちちっ」と言いながら熱いものを触って耳で冷やす仕草を掴みとして用いる。かつてのツカミは有田が「○○(海砂利水魚に無関係な雑学やあるあるネタ)でおなじみ、海砂利水魚です」というものだった。

漫才やトークの場では有田の「引いたようなボケ」と上田の「たとえツッコミ」「説明ツッコミ」が特徴的。有田の繰り出すボケは少しぼんやりとしていて、それを上田がやや説明的にツッコんで笑いを獲るというパターンが多い。有田のボケは「やや足りないボケ」で、上田のツッコミは「やや過剰なツッコミ」だと言える[4]。デビュー当初はボケとツッコミが逆だった。

冠番組では企画にも参加している。

近年では2人ともコンビ仕事と並行し、それぞれがピン芸人としての活動も行っている(詳しくは上田晋也有田哲平の項目を参照)。

改名の経緯

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改名に至った発端となったのは2000年、『新・ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)におけるさまぁ〜ず(当時バカルディ)との改名対決[5]

バカルディとは改名対決の前からライバル関係且つ犬猿の仲という設定で、お互い「もう二度と出てくるな」「一緒に出ると好感度が下がる」などと散々言い合っていた。そこで内村光良ウッチャンナンチャン)により、「それならいっそのこと勝負をつけよう、負けた方には罰を」との提案がなされ、「対決をして負けた方は改名」という対決企画が組まれる運びになった。最初はバカルディが敗北し『さまぁ~ず』に改名させられる。しかし改名後さまぁ~ずは徐々にブレイクし、期間限定改名だったはずがさまぁ~ずとして定着。再びコンビ名改名を懸けたビーチバレー対決が行われるが今度は海砂利水魚が敗北し、『くりぃむしちゅー』にこちらも期間限定で改名する運びとなった[注 2]

名前の由来は有田の好物であるクリームシチューから。当初は2人が共通で好きなものを取る選択肢も出たが、字面で一番面白かったためこれを採用した。

さまぁ~ずほど改名は徹底されず、改名後も2つのコンビ名が併用されていた。その半年後に上田がコンビ名をあまり気に入っていなかったことや、コンビ名を変える責任の重さを感じ始めて本人たちも元の名前へ戻すかどうかを迷い始める。ファンを集めた討論会が同番組で行われたものの結局結論は出ず、最終的には内村がビリヤードで落とした球の数字が偶数だったら現状維持、奇数だったら『海砂利水魚』に戻すというゲームを行い、結果14番が落ちてそのまま『くりぃむしちゅー』を名乗ることとなり現在に至っている。

なお、お笑い芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えさせてしまった内村はその責任を感じ、その後は両コンビ(特にさまぁ~ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクを後押しする形となった。なお、「改名でブレイクした」という世間の認識に対して本人たちは『日経エンタテインメント』(日経BP)のインタビューなどにおいて「改名前から売れ始めていた」と強調。実際、有田のキャラ変によるブレイクは2000年7月の東八郎十三回忌追悼公演『86の13』がきっかけである。上田も『虎の門』のうんちくでブレイクしたため、改名がブレイクには直接つながってはおらず、上田は「さまぁ〜ずはすぐ改名してからブレイクはしてたけども、自分たちのコンビは改名してから仕事は増えず、1年程踠いていた時期はあって周囲から『君らが改名したとしても二番煎じだからどうせ売れないよ』と言われてたけど、『虎の門』辺りで仕事が増え始めた」と述懐している(2021年5月、『太田上田飯尾和樹出演回より)。また、さまぁ〜ずは逆に「俺たちは改名してから仕事が増えたけど、くりぃむしちゅーは改名してから仕事が増えるまで1年くらいかかったから苦労したと思う」と指摘している。

さまぁ〜ずとは改名対決終了後はほどなく和解したという設定。敵対関係というのはあくまでも番組上での演出またはネタであり、2組は実際に仲が悪いわけでなく『内村プロデュース』『ミドル3』(テレビ朝日)など他の番組では仲良く絡んでいる。2005年4月10日にはTBSで両コンビをメインとした冠特番『世界最強ありえねェ~奇跡の映像バトル!!』(TBSテレビ)で共演。両コンビが改名に揺れていた2001年8月23日には、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)にさまぁ〜ずと海砂利水魚が揃ってゲスト出演し、お互いのトークで盛り上がっていた。

エピソード

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  • 2人の出会いは、番長になることに憧れていた有田が高校へ進学して体育館で隣にいた生徒に意味もなく裏拳を食らわせ、その食らった生徒が上田だったというもの。直後、有田はすぐさま上田のパシリにさせられてしまった。上田はこのエピソードを「あくまでも『』だ」としている[6]
  • 以前のコンビ名である海砂利水魚は、コント山口君と竹田君によって名付けられたもので、当時伊豆にあったカレー屋さん「海砂利水魚」から。店名の由来は落語であるが、コンビ名の由来に落語は直接関係ない[7]
  • 1991年12月デビューであるため、他の芸人(特に4月にデビューすることが多い吉本所属の芸人ら)との芸歴が曖昧である。そのため、デビューした年でいえばナインティナイン宮川大輔NSC大阪校9期生や、よゐこ日村勇紀バナナマン)らと同期になるが、比較的芸歴が近いのは1992年デビューのNSC10期生(ジャリズムメッセンジャーなど)、ココリコオアシズなどである。
  • デビュー当時に体験した営業の中には、生物展示会でのウーパールーパーの前座があった。
  • 元気がない2人に元気な名前をということで、最初は『島原火砕流土石流』というコンビ名を付けられていた。しかし流石にテレビには出られないため、海砂利水魚となった[8]
  • 上田がボケで有田がツッコミを担当していた時代の漫才の映像が流れることがあるが、大抵は1992年に放送された『笑売繁盛!』(日本テレビ)のもの。ネタのツカミは上田が『ムーミン』の主題歌のパロディを歌う内容。
  • 海砂利水魚時代、デビューして2〜3か月の営業で楽屋のドアの張り紙に「海砂利水魚 先生」と書かれていた。
  • 以前、有田は上田のピン活動を「こそピン(こっそりピン活動の略)」と称してネタにしていたが、有田もピン活動をやるようになってからは以前ほどこのフレーズを使わなくなった。
  • 大変コンビ仲が良いコンビとしても知られる。カメラの回っていない楽屋でも2人で会話を交わしたり、コンビ結成以来互いの誕生日にプレゼント交換を行っていたりする[9]
  • テレビ番組での衣装はほとんどの場合スーツ。「普通の服だと華がないから」という理由で制作スタッフやスタイリストから義務付けられているらしい。単発番組や深夜番組などではスーツでない場合もある。
  • 2人ともものまねを得意とする。上田は松田優作大木こだま・ひびき内田裕也など。有田は長州力アントニオ猪木アニマル浜口などプロレス関係の人物が多い。
  • かつて『ズバリ言うわよ!』(TBSテレビ)で共演していた細木数子から『グリーン&ピンク』への改名を勧められており、細木はすでに日常においてニックネームとして利用していたとされる。当人たちに変える意思は全くなく、上田が「番組を降りてやる」と激怒しているという記事が一部週刊誌に掲載された。
  • 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)において上田の長女の名前を募集するも、結局リスナーから送られたもの(千都里(「ちづり」と読ませるがせんずりとも読める)、素股デリヘルなど)は採用しなかった。
  • 1994年から1995年頃、地元熊本の情報誌(月刊タウン情報クマモト、通称タンクマ)に2ページにわたり連載していた時期がある。
  • 2003年7月から『痛快!明石家電視台』(毎日放送)の準レギュラーを務めているが、2010年3月8日放送分までほぼ1年間出演がなかった時期もある。その理由は新番組『SUPER SURPRISE』(日本テレビ)が収録日と重なって番組を降板していたため。新番組が1年で終了したことで再び準レギュラーとして復帰している。ちなみに『SUPER SURPRISE』については、「1年しかもたない」と明石家さんまから予言されていた[10]
  • 2004年7月21日に発売された餓鬼レンジャーのアルバム『ラッキー・ボーイズ』の1曲目「THE INTRO」でfeat.くりぃむしちゅーとして参加していて、餓鬼レンジャーをネタに漫才のようなものを披露している。8曲目「Call (skit)」では有田が高田延彦のものまねを披露している。
  • 2007年秋に地元の焼酎メーカーである高橋酒造のCMに出演。「地元・熊本県知事選立候補を打ち明けた上田は有田に諭されてお笑いに専念すると約束するが、翌日のテレビ番組で有田が県知事選立候補を発表した」という内容。上田本人は「絶対に出ないし、出ても落ちる」と苦笑している。2008年3月に熊本で県知事選が行われるため、不謹慎との理由から九州地区内での放映が自粛されることになった。3月から選挙と無関係な新バージョンが開始された。
  • 2011年3月11日に発生した東日本大震災の義捐金を寄付した[11]
  • 2012年夏、熊本大会で優勝した済々黌野球部に甲子園への金300万円を寄付した。
  • 2016年4月14日に発生した熊本地震への義援金を寄付するために熊本復興支援チャリティトークライブを不定期開催している[12]
  • 冠番組やMCの番組を数多く持ってからは明石家さんまや島田紳助[注 3]といった関西お笑い界の名司会者との共演は少なからずあったものの、ダウンタウンとの共演は遠ざかっている。なお『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)のコーナーの1つである七変化に有田が挑戦したことはある。2021年10月2日放送の『お笑いの日』(TBSテレビ)では有田がダウンタウンと16年振りに共演を果たした[13]

影響

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出演

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以下、くりぃむしちゅーとしての出演番組を記載。個別での出演番組は、上田晋也有田哲平の項目を参照。

テレビ番組

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レギュラー番組

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現在の出演番組
過去の出演番組

特番

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現在の出演番組
過去の出演番組

テレビドラマ

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ラジオ番組

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テレビCM

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ラジオCM

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  • 「羽田へ直結、京急。」 ロケ移動編(2004年 - 、京浜急行電鉄)
  • 米焼酎 白岳・しろ(2007年12月 - 2008年9月、高橋酒造)- 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』の生放送当日にニッポン放送のスタジオで収録。2007年の福岡国際マラソン実況中継で全国で放送されたこともある。月曜日から金曜日までの各5バージョンがあり、各曜日に対する有田のグチ・ぼやきに上田がツッコむのがパターンになっている。

映画

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音楽

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著書・DVD・ゲーム・ディスコグラフィ

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著書

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  • 海砂利水魚の作文(1998年7月発売、双葉社
  • 海砂利水魚の教科書(1999年6月発売、ソニー・マガジンズ
  • くりぃむしちゅー語入門(2004年9月発売、アスコム
  • くりぃむしちゅーのあなたはどっち? (2004年9月発売、マガジンハウス
  • くりぃむしちゅーの人間関係のゴタゴタをまる〜くごまかすお笑い護身術(2005年7月発売、ソニー・マガジンズ)

DVD

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  • 海砂利水魚 単独LIVE 「アントニオ」 (2007年4月発売、ジェネオン エンタテインメント
  • 海砂利水魚 単独LIVE 「ジャイアント」 (2007年4月発売、ジェネオン エンタテインメント)

ゲーム

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ディスコグラフィ

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脚注

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注釈

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  1. ^ その1つである「これロッキーの撮影じゃないのよ」は、Yahoo! JAPAN検索急上昇ワードランキングの2008年2月14日付けで第3位にランクインするほどだった。
  2. ^ 同番組では対決企画が3回行われたが、仮に1回戦で負けた場合はコンビ名を『ザ☆トライ』に改名させられていた。
  3. ^ 2011年8月に芸能界を引退。

出典

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  1. ^ 有田哲平「ぶっちゃけ師匠なのよ、実は」初めて明かしたレジェンド 人生の大きな転機に”. スポーツニッポン (2022年4月5日). 2022年4月7日閲覧。
  2. ^ 有田哲平、萩本欽一からの「驚きの一言」に感銘「マジで師匠。ジーンと来た」”. Smart FLASH (2022年4月6日). 2022年4月7日閲覧。
  3. ^ ZAKZAK (2004年12月15日). “くりぃむ上田…深夜2時に婚姻届、昼には挙式→発表”. 2008年9月14日閲覧。
  4. ^ “くりぃむしちゅー有田哲平が見せる「引き芸の境地」”. 日刊サイゾー. (2008年10月). https://www.cyzo.com/2008/10/post_1057_entry.html 
  5. ^ くりぃむしちゅーの誕生秘話 ブレイクのきっかけは改名だった!?”. エキサイトニュース. 2021年2月1日閲覧。
  6. ^ 『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』2008年12月16日放送分
  7. ^ 上田晋也『激変 めまぐるしく動いた30代のこと』ポプラ社、2022年、22頁。 
  8. ^ 『太田と上田』第1話(BeeTV
  9. ^ 2008年4月23日放送『徹子の部屋
  10. ^ 『痛快!明石家電視台』2010年3月8日放送分
  11. ^ 熱い魂で復興支援 お笑いコンビ・サンドウィッチマン Archived 2011-05-23 at the Wayback Machine.河北新報、2011年5月1日閲覧
  12. ^ “くりぃむしちゅー、故郷熊本へのチャリティライブを丸3年欠かさず開催中!”. ニッポン放送 NEWS ONLINE. (2019年6月16日). https://news.1242.com/article/177553 2021年8月11日閲覧。 
  13. ^ キングオブコント2021、審査員は松本人志“以外”変更に 生特番の総合MCはダウンタウン
  14. ^ “YELL 部活応援プロジェクト[エール”]. YELL 部活応援プロジェクト[エール]. http://5yell.jp/athlete/2285/ 2021年8月11日閲覧。 
  15. ^ “「太田上田」オードリー若林がゲスト出演、“逆オファー”がきっかけ”. お笑いナタリー. (2019年9月30日). https://natalie.mu/owarai/news/349510 2021年8月11日閲覧。 
  16. ^ “フジ改編でくりぃむ、タカトシ、柳原可奈子の新番組、又吉の冠特番も明らかに”. お笑いナタリー. (2016年9月5日). https://natalie.mu/owarai/news/200627 2016年9月5日閲覧。 
  17. ^ 「総力特集 くりぃむしちゅー 変身したバラエティ・スター」『QuickJapan』vol.55、太田出版、2004年7月28日、43頁。 
  18. ^ “新火7バラエティーのビジュアル初公開!人気者の成功の秘訣をどんどんホメまくる!”. とれたてフジテレビ. (2016年4月18日). https://web.archive.org/web/20160421091952/http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2016/160418-152.html 2016年4月20日閲覧。 
  19. ^ くりぃむZONE”. tv asahi GO. テレビ朝日. 2019年1月26日閲覧。[リンク切れ]
  20. ^ 「総力特集 くりぃむしちゅー 変身したバラエティ・スター」『QuickJapan』vol.55、太田出版、2004年7月28日、65頁。 
  21. ^ “上田のわかりやすい解説が炸裂、くりぃむしちゅー出演「ソニー損保」新CM”. お笑いナタリー. (2016年7月22日). https://natalie.mu/owarai/news/195359 2016年7月22日閲覧。 
  22. ^ ロデオOFFICIAL WEB SITE

関連項目

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外部リンク

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