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阪急宝塚本線

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宝塚本線(たからづかほんせん)は、大阪府大阪市北区梅田駅から兵庫県宝塚市宝塚駅までを結ぶ阪急電鉄鉄道路線。宝塚本線自体を指して、またはその支線を含めて通称宝塚線と呼ばれる。

沿線は市街地・住宅地が続いており、大阪への通勤・通学路線となっている。当線と神戸線今津線で囲まれた、いわゆる阪急平野の北辺・東辺を成す。三国駅付近、曽根~豊中間、石橋~川西能勢口間、宝塚駅付近は高架化されている。


路線データ

  • 路線距離(営業キロ):24.5km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:19駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:
    • 複々線:梅田~十三間(東側複線は京都本線の列車が使用)
    • 複線:十三~宝塚間
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 最高速度:100km/h
  • 車両基地平井車庫

運行形態

梅田~宝塚間には普通のほか、朝夕に急行、昼間時間帯に快速急行が運転されている。平日朝夕には、他に梅田~能勢電鉄日生中央間直通の特急日生エクスプレス通勤急行準急通勤準急が運転されている。

以下に種別ごとの詳細を示す。停車駅は駅一覧を参照していただきたい。

特急日生エクスプレス
朝ラッシュ時に日生中央→梅田、夕ラッシュ時に梅田→日生中央を運行。
宝塚本線最優等種別で、平日に上下それぞれ7本ずつのみの運行。梅田行きの一部は、川西能勢口で増結し10両編成で運転される。
快速急行
昼間時間帯のみ設定されており、10分間隔で梅田~宝塚間に運転されている。川西能勢口以西では宝塚本線の最優等種別。2006年10月28日のダイヤ改正で運行中止となり、山本~宝塚間の各駅に停車する急行に格下げされる。
通勤急行
平日の朝ラッシュ時のみ運行で、快速急行と同様梅田~宝塚間で運転。
一部列車は10両編成で運転され、雲雀丘花屋敷で増結・開放が行われる。
急行
早朝および夕方以降の時間帯に運行。基本的に梅田~宝塚間で運転されるが、平日深夜には雲雀丘花屋敷行きも存在する。
通勤準急
梅田~箕面線箕面間での運転で、平日の朝ラッシュ時の時間のみ運行。宝塚線内の停車駅は急行と同じである。
準急
平日の朝ラッシュ時に宝塚→梅田方面のみに運行。全ての電車が曽根で普通に連絡する。
普通
昼間時間帯は梅田~宝塚、それ以外の時間帯(主に急行が設定されている時間帯)は梅田~雲雀丘花屋敷の運転が基本。その他梅田~箕面線の箕面を運転するものもあるほか、池田、豊中を終点とする列車もある。平日の昼間と土休日は毎時6本の運転。
2006年10月28日のダイヤ改正で昼間の梅田~宝塚間の普通列車(快速急行に雲雀丘花屋敷駅で追い抜かれている)は、梅梅田~雲雀丘花屋敷間の運転に短縮される。

2006年10月28日に神戸線系統のダイヤ改正と同時に行われるダイヤ改正では上記のほか

  • 宝塚駅における今津線との同一ホーム乗り継ぎを拡大。
  • 川西能勢口駅における能勢電鉄妙見線との接続を改善。

が行われる。

詳細:神戸線におけるATS(自動列車停止装置)の改良と、神戸線・宝塚線のダイヤ改正について(阪急ニュースリリース)

宝塚線の特急

かつて宝塚本線には定期運転の特急は設定されていなかったが、1995年から梅田~宝塚間で特急が走るようになった(停車駅:十三・石橋・川西能勢口)。その後、1997年のダイヤ改正で雲雀丘花屋敷を停車駅に追加、2000年のダイヤ改正で停車駅を十三・豊中・石橋・池田・川西能勢口・山本としてデータイムにも設定して増発され、ラッシュ時には通勤特急が運転されるようになった(停車駅:雲雀丘花屋敷・川西能勢口・池田・石橋・十三;梅田行きのみの運転)。しかし、2003年8月のダイヤ改正で特急の運行を休止し、蛍池と雲雀丘花屋敷を停車駅に加えた快速急行が登場してからは、日生エクスプレスを除いて、特急は運転されていない。その快速急行も2006年10月のダイヤ改正で運行休止予定であるため、事実上、約11年ぶりに石橋~宝塚間が(宝塚発着特急設定以前と同様の)全列車各駅停車区間と戻る。

これは宝塚本線にはカーブが多く、梅田・十三~宝塚間を移動する際に宝塚本線のみを利用する場合と、神戸本線(梅田・十三~西宮北口)と今津(北)線(西宮北口~宝塚)を乗り継ぐ場合とで所要時間がそれほど変わらないことに起因するとされる。この区間では、上り・下りともに多くの時間帯で、先に発車する列車が先に終点に到着する状態となっており、特に平日の朝夕の時間帯に至っては、宝塚線の列車の遅れが慢性化していることもあり、神戸本線と今津(北)線を経由するほうが先に終点に到着できる場合が多い。

正月三が日(暦の関係で1月4日あるいは5日までの年がある。また、2004年までは十日戎の時期の週末にも実施されていた)は、正月特別ダイヤで運行する。かつては「初詣特急」と名付けられた臨時特急(停車駅:十三・石橋・川西能勢口・中山・清荒神)が運転されていたが、現在は昼間時10分間隔で急行宝塚行き・普通宝塚行きが交互に発車する(快速急行は運休)ダイヤとなっている。他に、かつては春秋の行楽期の日曜・祝日に、午前と夕方のみ臨時特急(停車駅:十三・石橋・川西能勢口)が、1980年代初頭までは箕面線直通の臨時準急も運転されていた。

過去の運行概況

なお、2000年6月4日から2003年8月29日までの停車駅についても記載しておく。

また、2003年のダイヤ改正で以下の列車種別を新設した。

  • 快速急行:改正前の特急停車駅に蛍池駅、雲雀丘花屋敷駅を追加。
  • 急行:改正前の急行停車駅に蛍池駅を追加。改正前の準急と同じ。
  • 準急:改正前の準急停車駅に曽根駅、岡町駅を追加。

歴史

JR福知山線の前身で、尼崎を起点とし福知山舞鶴方面への鉄道路線を営業していた阪鶴鉄道の大阪直接乗り入れ計画を、同社国有化の際に引き継いだ箕面有馬電気軌道が1910年に梅田~宝塚間を開業させたのが始まり。阪急電鉄のルーツというべき路線である。当初はその名の通り、宝塚からさらに西進し有馬温泉のある神戸北郊の有馬まで敷設する計画だったが、宝塚~有馬は六甲山系の起伏のある地形であり、建設コストもかかることから1913年に断念している。

開業当初、阪神本線京阪本線のように2大都市間を結んでいるわけでも沿線に大きい都市があるわけでもないこの路線は、畑以外何も無いようなところを走ることから「ミミズ電車」と皮肉られて採算性に疑問の声も多かったが、同社の専務(実質の会社代表で、後に社長となる)であった小林一三は、路線が開業するやいなや沿線開発を積極的に推し進め、住宅地や遊楽施設をつくり上げて乗客獲得に成功する。これは、日本の私鉄経営モデルの模範となった。

戦後は急増する沿線人口に輸送力が追いつかず、250%を超える殺人的な混雑に悩まされることになった。このため、戦前からある伊丹線の延伸計画や後述の新線計画などバイパス路線の建設構想がいくつか持ち上がった。しかし、これらが実現することはなく、カーブの改良と長編成化で乗り切った。その後、国鉄福知山線が複線電化され、民営化して輸送力を大幅につけてからはライバルとしてしのぎを削ることになる。

宝塚本線では、正月の初詣輸送で臨時に運転されるものを除いては、特急の設定がなかったが、1995年に十三・石橋・川西能勢口に停車する特急が梅田~宝塚間で運転開始された。平日ラッシュ時間帯に4本(朝・上り2本、夕・下り2本)設定された。1997年には、能勢電鉄に直通運転する特急日生エクスプレスが新設された。その代わり本線特急は平日2本(朝・上り2本)に減便されている。列車は8、10両編成で運転されている。

2000年、三国・豊中駅付近の高架化が完成したことを機に行われたダイヤ改正では、最高速度も100km/hに引き上げられ、特急の運転時間帯が全日の昼間に拡大された。停車駅に豊中・池田・山本を追加し、20分間隔の運行となった。また、梅田~宝塚間で、十三・石橋~雲雀丘花屋敷間の全駅に停車する通勤特急を平日朝のラッシュ時間帯に上り2本運行開始した。

2003年のダイヤ改正では本線特急と通勤特急が廃止され、急行を通勤急行に、準急を通勤準急に改称し、朝ラッシュ時のみの運転に変更された。十三・豊中~山本間の全駅に停車する快速急行、旧急行の通勤急行の停車駅に蛍池駅を追加した急行、中津・十三・曽根~宝塚間の全駅に停車する準急を、それぞれ梅田~宝塚間で運転開始した。

  • 1910年(明治43年)3月10日 箕面有馬電気軌道が梅田~宝塚間を開業。
  • 1910年(明治43年)4月25日 蛍池駅開業。
  • 1912年(明治45年)5月30日 曽根駅開業。
  • 1913年(大正2年)4月8日 能勢口駅開業。
  • 1913年(大正2年)9月29日 豊中駅開業。
  • 1914年(大正3年)3月21日 売布神社駅開業。
  • 1916年(大正5年)8月5日 雲雀ヶ丘駅開業。
  • 1925年(大正14年)11月4日 中津駅開業。
  • 1926年(大正15年)7月2日 中津~十三間の新淀川駅廃止。
  • 1926年(大正15年)7月5日 梅田~十三間が高架化。複線の別線を新設し神戸線と分離。旧地上線の梅田駅から北野駅までを北野線とする。
  • 1944年(昭和19年)9月1日 雲雀ヶ丘~山本間の平井駅廃止(現在でも山本駅の駅名標には「山本(平井)」と書かれている。画像を参照)。
  • 1949年(昭和24年)1月1日 北野線休止。
  • 1951年(昭和26年)5月15日 庄内駅開業。
  • 1959年(昭和34年)2月18日 北野線跡地を使用し梅田~十三間を複々線化。新設の東側2線を京都線が使用開始。
  • 1961年(昭和36年)1月16日 花屋敷~山本間の雲雀ヶ丘駅を廃止し、雲雀丘花屋敷駅開業。
  • 1962年(昭和37年)5月1日 能勢口~雲雀丘花屋敷間の花屋敷駅廃止。
  • 1965年(昭和40年)7月1日 能勢口駅を川西能勢口駅と改称。
  • 1969年(昭和44年)8月24日 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
  • 1978年(昭和53年)3月10日 全線を軌道法に基づく軌道から地方鉄道法に基づく鉄道に変更。
  • 1995年(平成7年)6月4日 特急を梅田~宝塚間で平日ラッシュ時間帯に運転開始。
  • 1997年(平成9年)11月17日 特急日生エクスプレスを運転開始。
  • 2000年(平成12年)3月20日 三国駅移転により、全線で0.1km短縮。
  • 2000年(平成12年)6月4日 特急を全日昼間運転に。平日朝ラッシュ時に通勤特急を運転開始。
  • 2003年(平成15年)8月30日 本線特急と通勤特急の運転を休止。
  • 2006年(平成18年)10月28日 快速急行の運行を中止予定。

新線計画

終戦直後、十三~豊中間の輸送力増強のため、神戸本線神崎川~曽根間に新線を建設して宝塚線の急行線とすることが計画され、1948年4月19日に神崎川~曽根間4.0kmの軌道事業特許を取得した。しかし、1960年代に、千里山線(現在の千里線)を延伸して箕面線と連絡する方針に転換し、急行新線建設の計画は中止された。

1970年代に梅田と大阪空港とを結ぶ空港線が計画され、神崎川~曽根間の軌道特許をそれに生かすことも検討されたが、空港線の計画は中止された。同線の軌道特許は廃止されずに保持されたままであったが、2005年2月23日に阪急が工事施行認可申請を取り下げ、軌道特許が失効した。

駅一覧

●:停車、|↑:通過、↑:片方向のみ運転。
特急日生…特急日生エクスプレス:平日朝夕のみ運転。
準急:梅田行きのみ運転。
*印の駅は、列車待避が可能な駅。
駅名 営業キロ 普通 準急 通勤準急 急行 通勤急行 快速急行 特急日生 接続路線 所在地
梅田駅 0.0 阪神電気鉄道:本線
大阪市営地下鉄:御堂筋線谷町線東梅田駅)、四つ橋線西梅田駅
西日本旅客鉄道:東海道本線JR京都線JR神戸線JR宝塚線)・大阪環状線大阪駅)、JR東西線北新地駅※※)
大阪府 大阪市北区
中津駅 0.9  
十三駅 2.4 阪急電鉄:神戸本線京都本線 大阪市淀川区
三国駅 4.4  
庄内駅* 6.0   豊中市
服部駅 7.5  
曽根駅* 8.7  
岡町駅 9.5  
豊中駅 10.5  
蛍池駅 11.9 大阪高速鉄道:大阪モノレール線
石橋駅 13.5 阪急電鉄:箕面線 池田市
池田駅 15.9 箕面方面  
川西能勢口駅 17.2 能勢電鉄:妙見線
西日本旅客鉄道:福知山線(JR宝塚線)川西池田駅
兵庫県 川西市
雲雀丘花屋敷駅* 18.2 日生中央方面   宝塚市
山本駅 19.7  
中山駅 21.5  
売布神社駅 22.4  
清荒神駅 23.3  
宝塚駅 24.5 阪急電鉄:今津線
西日本旅客鉄道:福知山線(JR宝塚線)

※なお、大阪市営地下鉄との連絡切符(天神橋筋六丁目駅経由指定のもの)を使う場合、梅田駅(含・東梅田駅西梅田駅)、南方駅(含・西中島南方駅)の地下鉄線との乗り継ぎは出来ない。

※※梅田駅ではJR東西線北新地駅との乗り換えには20分程度かかる。それでも、東京駅新幹線ホームや中央線ホーム~京葉線ホーム間での乗り換えよりは便利である。

関連項目

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