幣原内閣
幣原内閣 | |
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内閣総理大臣 | 第44代 幣原喜重郎 |
成立年月日 | 1945年(昭和20年)10月9日 |
終了年月日 | 1946年(昭和21年)5月22日 |
与党・支持基盤 | 貴族院(研究会・同和会・同成会・無所属倶楽部、衆議院日本進歩党 |
施行した選挙 | 第22回衆議院議員総選挙 |
衆議院解散 |
1945年(昭和20年)12月18日 終戦解散 |
内閣閣僚名簿(首相官邸) |
幣原内閣(しではらないかく)は、元外務大臣の幣原喜重郎が第44代内閣総理大臣に任命され、1945年(昭和20年)10月9日から1946年(昭和21年)5月22日まで続いた日本の内閣。
概要
1945年(昭和20年)10月5日の東久邇内閣の総辞職を受け、昭和天皇の依頼を受けた内大臣木戸幸一が中心となり、平沼騏一郎、吉田茂らの協力により幣原喜重郎が首相候補となり、10月6日に組閣の大命が幣原に下り10月9日に内閣が成立した。当時の日本はアメリカ合衆国ら連合国の占領下にあり、10月11日には幣原の訪問を受けたダグラス・マッカーサーにより五大改革と憲法の自由主義化が示唆されるなど、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の強い影響下にあった。
幣原内閣は憲法改正や社会立法に取り組む一方、12月18日に衆議院を解散した。これは戦時色の一掃を図ったものとみなされているが、GHQは幣原内閣の改革の取り組みが消極的だとして、同年のうちに財閥解体などの急進的な改革や戦犯逮捕、総選挙期日の延期などを指示した。1946年(昭和21年)1月4日には公職追放令が発布され、これにより内閣自体の総辞職の危機を迎えたが、1月13日に一部の閣僚を入れ替える[1]ことにより内閣は存続し、総選挙の時期も3月15日以降の実施の許可をGHQより得た。この間に内大臣府が廃止され、また陸軍省と海軍省もともに廃止されて、これを改組した第一復員省と第二復員省が新たに設置されている。
憲法改正問題において幣原内閣が当初作成した松本試案が退けられ、マッカーサー草案をベースとする憲法改正草綱を3月6日に採択した。この他、インフレと食料難の解決のための経済措置法も成立した。
4月10日に第22回衆議院議員総選挙が実施されたが、単独で過半数を制した政党は出なかった。進歩党に幣原が入党することにより内閣を存続させる動きもあったが、他の政党の猛反発を受けて倒閣運動にまで発展し、閣内からも離反者が出た幣原内閣は5月22日に総辞職をした。
閣僚
職名 | 代 | 氏名 | 出身等 | 在職期間 | 備考 | |
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内閣総理大臣 | 44 | 幣原喜重郎[A 1] | 男爵 貴族院 同和会 →日本進歩党 |
1945年(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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外務大臣 | 73(74) | 吉田茂 | 官僚:外務省 →貴族院 無所属 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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内務大臣 | 70 | 堀切善次郎 | 貴族院 研究会 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日 |
公職追放 | |
71 | 三土忠造[A 2] | 貴族院 研究会 |
1946(昭和21年)1月13日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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大蔵大臣 | 49 | 澁澤敬三 | 子爵 貴族院 研究会 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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陸軍大臣 | 57 | 下村定 | 陸軍大将(陸士20期) | 1945(昭和20年)10月9日 - 1945年(昭和20年)12月1日 |
再任 | |
廃止 | 1945年(昭和20年)12月1日 - | |||||
第一復員大臣 | 未設置 | - 1945年(昭和20年)12月1日 | ||||
1 | 幣原喜重郎[A 1] | 男爵 貴族院 同和会 →日本進歩党 |
1945(昭和20年)12月1日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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海軍大臣 | 52 | 米内光政 | 海軍大将(海兵29期) | 1945(昭和20年)10月9日 - 1945年(昭和20年)12月1日 |
再任 | |
廃止 | 1945年(昭和20年)12月1日 - | |||||
第二復員大臣 | 未設置 | - 1945年(昭和20年)12月1日 | ||||
1 | 幣原喜重郎[A 1] | 男爵 貴族院 同和会 →日本進歩党 |
1945(昭和20年)12月1日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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司法大臣 | 46(48) | 岩田宙造 | 貴族院 同和会 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
再任 | |
文部大臣 | 59 | 前田多門 | 貴族院 同成会 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日 |
再任 公職追放 | |
60 | 安倍能成 | 貴族院 同成会 |
1946(昭和21年)1月13日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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厚生大臣 | 14 | 芦田均 | 衆議院 日本自由党 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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農林大臣 | 2 | 松村謙三 | 衆議院 日本進歩党 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日 |
再任 公職追放 | |
3 | 副島千八 | 民間 証券取引所 |
1946(昭和21年)1月13日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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商工大臣 | 27 | 小笠原三九郎 | 衆議院 日本進歩党 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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運輸大臣 | 3 | 田中武雄 | 衆議院 日本進歩党 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日 |
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4 | 三土忠造[A 2] | 貴族院 同和会 |
1946(昭和21年)1月13日 - 1946年(昭和21年)1月26日 |
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5 | 村上義一 | 官僚:鉄道院 日本通運株式会社社長 |
1946(昭和21年)1月26日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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戦災復興院総裁 国務大臣 |
未設置 | - 1945年(昭和20年)11月5日 | ||||
1 | 小林一三 | 貴族院 無所属倶楽部 |
1945(昭和20年)11月5日 - 1946年(昭和21年)3月9日 |
公職追放 | ||
空席 | 1946年(昭和21年)3月9日 - | |||||
国務大臣 | - | 次田大三郎 | 貴族院 同成会 |
1945(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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国務大臣 (憲法問題調査委員会代表兼任) |
- | 松本烝治 | 貴族院 無所属倶楽部 |
1946(昭和21年)1月13日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
- | |
国務大臣 | - | 楢橋渡 | 衆議院 無所属 |
1946(昭和21年)2月26日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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国務大臣 | - | 石黒武重 | 衆議院 無所属 |
1946(昭和21年)2月26日 - 1946年(昭和21年)5月22日 |
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発足当初
1945年(昭和20年)10月9日 - 1946年(昭和21年)1月13日
- 内閣総理大臣
- 男爵幣原喜重郎(貴族院同和会→日本進歩党)
- 外務大臣(再任)
- 堀切善次郎(貴族院研究会)
- 子爵澁澤敬三(貴族院研究会)
- 陸軍大臣(再任)
- 下村定(軍人:陸軍大将)
- 1945年10月9日 - 同12月1日
- 1945年12月1日、陸軍省廃止。
- 幣原喜重郎(兼任)
- 1945年12月1日 - 1946年1月13日
- 1945年12月1日、陸軍省残務処理のため設置。
- 海軍大臣(再任)
- 米内光政(軍人:海軍大将)
- 1945年10月9日 - 同12月1日
- 1945年12月1日、海軍省廃止。
- 幣原喜重郎(兼任)
- 1945年12月1日 - 1946年1月13日
- 1945年12月1日、海軍省残務処理のため設置。
- 1946年6月15日、第一復員省と第二復員省を統合して復員庁を設置。
- 司法大臣(再任)
- 岩田宙造(貴族院同和会)
- 文部大臣(再任)
- 前田多門(貴族院同成会)
- 農林大臣(再任)
- 松村謙三(衆議院日本進歩党)
- 小笠原三九郎(衆議院日本進歩党)
- 田中武雄(衆議院日本進歩党)
- 小林一三(貴族院無所属倶楽部)
- 1945年11月5日 - 1946年1月13日
- 1945年11月5日、戦災処理のため新設。
- 次田大三郎(貴族院同成会)
- 国務大臣(憲法問題調査委員会代表兼任)
- 松本烝治(貴族院無所属倶楽部)
改造後(公職追放後)
1946年(昭和21年)1月13日 - 同5月22日
- 内閣総理大臣
- 男爵幣原喜重郎(日本進歩党)
- 外務大臣(留任)
- 吉田茂(官僚:外務省)
- 内務大臣
- 三土忠造(貴族院研究会)
- 大蔵大臣(留任)
- 子爵澁澤敬三(貴族院研究会)
- 第一復員大臣
- 幣原喜重郎(兼任)
- 第二復員大臣
- 幣原喜重郎(兼任)
- 司法大臣(留任)
- 岩田宙造(貴族院同和会)
- 文部大臣
- 安倍能成(貴族院同成会)
- 厚生大臣(留任)
- 芦田均(衆議院日本自由党)
- 農林大臣
- 副島千八(民間・証券取引所)
- 商工大臣(留任)
- 小笠原三九郎(衆議院日本進歩党)
- 運輸大臣
- 戦災復興院総裁・国務大臣(留任)
- 小林一三(貴族院無所属倶楽部)
- 1946年1月13日 - 同3月9日
- 内閣書記官長・国務大臣
- 楢橋渡(衆議院無所属)
- 1946年2月26日より国務大臣兼任。
- 国務大臣(憲法問題調査委員会代表兼任・留任)
- 松本烝治(貴族院無所属倶楽部)
- 国務大臣(無任所・留任)
- 次田大三郎(貴族院同成会)
- 国務大臣(法制局長官兼任→無任所)
- 石黒武重
- 1946年2月26日 - 同5月22日
- 法制局長官
- 内閣副書記官長
政務次官
- 外務政務次官
- 内務政務次官
- 川崎末五郎:1945年10月31日 - 次政権(1946年6月4日)
- 大蔵政務次官
- 由谷義治:1945年10月31日 - 次政権(1946年6月4日)
- 陸軍政務次官
- 宮崎一:1945年10月31日 - 1945年11月30日
- 第一復員政務次官
- 宮崎一:1945年12月1日 - 1946年1月16日
- 海軍政務次官
- 田中亮一:1945年10月31日 - 1945年11月30日
- 第二復員政務次官
- 田中亮一:1945年12月1日 - 1945年12月26日
- 司法政務次官
- 手代木隆吉:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 文部政務次官
- 三島通陽: 前政権(1945年8月20日) - 1946年1月26日
- 農林政務次官
- 紅露昭:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 商工政務次官
- 木暮武太夫:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 運輸政務次官
- 新井尭爾:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 厚生政務次官
- 矢野庄太郎:1945年10月31日) - 1946年1月26日
参与官
- 外務参与官
- 内務参与官
- 中助松:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 大蔵参与官
- 山本粂吉:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 陸軍参与官
- 野口喜一:1945年10月31日 - 1945年11月30日
- 第一復員参与官
- 野口喜一:1945年12月1日 -
- 海軍参与官
- 星野靖之助:1945年10月31日 - 1945年11月30日
- 第二復員参与官
- 星野靖之助:1945年12月1日 -
- 司法参与官
- 渡邉昭:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 文部参与官
- 森田重次郎:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 農林参与官
- 北条雋八:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 商工参与官
- 山根健男:1945年11月6日 - 1946年1月26日
- 運輸参与官
- 白川久雄:1945年10月31日 - 1946年1月26日
- 厚生参与官
- 田中和一郎:1945年10月31日 - 1946年1月26日
出典
参考文献
- 国史大辞典第6巻 901-903頁(古屋哲夫執筆部分)
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。