島田紳助
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島田紳助 | |
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本名 | 長谷川 公彦(はせがわ きみひこ) |
生年月日 | 1956年3月24日(68歳) |
出身地 | 日本 京都府京都市南区 |
血液型 | AB |
身長 | 170cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 京都弁 |
最終学歴 | 京都学園大学中退 |
師匠 | 島田洋之介・今喜多代 |
コンビ名 | 紳助竜介(解散) |
相方 | 松本竜介 |
芸風 | ボケ(漫才師時代) |
立ち位置 | 右(漫才師時代) |
事務所 | 吉本興業 |
活動時期 | 1974年 - 現在 |
同期 |
明石家さんま 関根勤 オール巨人 |
現在の代表番組 |
行列のできる法律相談所 人生が変わる1分間の深イイ話 クイズ!ヘキサゴンII ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ 開運!なんでも鑑定団 クイズ!紳助くん オールスター感謝祭 M-1グランプリ他多数 |
過去の代表番組 |
サンデープロジェクト 嗚呼!バラ色の珍生!! オレたちひょうきん族 紳助の人間マンダラ他多数 |
作品 | 映画「風、スローダウン」 |
他の活動 |
(株)ディンプス相談役 京都市特別観光大使 |
配偶者 | 既婚 |
弟子 | 島田まさし ほか |
受賞歴 | |
・1984年 花月大賞 マンスリーよしもと賞 ・1991年 日本映画批評家賞 特別賞 |
島田 紳助(しまだ しんすけ、本名:長谷川 公彦(はせがわ きみひこ)[1]、1956年3月24日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、作詞家、音楽プロデューサー、歌手、実業家。株式会社ディンプス相談役。京都市特別観光大使。漫才コンビ「紳助・竜介」の元ボケ担当。
プロフィール
- 京都府京都市南区出身。京都市特別観光大使を務めている。
- 大谷高校卒業、京都学園大学入学であるが、大学には親が入学金を支払った直後弟子入りしたため、通っていない。このことと本人から自身の大学についてのエピソードが語られることも無く、学歴は高卒である(一般教養課程を修了する2回生まで終了して、初めて中退扱いとなる)。
- 吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。これとは別に、「有限会社オフィス百三十アール」(通称 「130R」)という個人事務所を設けている。事務所の名前は鈴鹿サーキットにあるコーナーの名称に由来している。ちなみに、板尾創路はこの「130R」という名前を気に入り、島田の了承を得て、「130R」という名前をほんこんと自身のコンビ名にした。
- 自称身長170cm、体重70kg、血液型はAB型。
- 高校生の頃の車上荒らしと後述の傷害罪の前科がある。
- 弟子に島田まさしらがいる。また土建屋よしゆきは高校の同級生である。
- 多くの芸能人からは「紳助さん」、同期の明石家さんまと和田アキ子や坂田利夫ら先輩芸能人からは「紳助」、くりぃむしちゅーら中堅芸人からは「紳助さん」と呼ばれている。また、『クイズ!ヘキサゴンII』や『人生が変わる1分間の深イイ話』などで作詞家として活動する際の名義は「カシアス島田」である。ただし、紳助本人は「遠い親戚」と主張している。
- 妻は一般人で娘が3人いる。
- トマトジュースが大の苦手である。
来歴
芸能界入りまで
- 父親が国鉄職員(南満州鉄道の職員歴もある)の家庭に生まれ育つ。「松本紳助」で紳助本人が語ったところによると「鳩みたいに真面目で温厚な性格で、自分が警察に補導されても『話し合いで解決できる』と言って一度も激怒しなかった」とのこと。
- 中学生の時は学校の窓ガラスを割ったり、教室で盗品を売りさばいたりしており、高校生の頃に車上荒らしで補導されて少年鑑別所に送致された経験がある。少年時代は暴走族であったと語っており、現在も当時の話をしばしばネタにしている。高校のとき教師から叱責されたのを機会に「おもろい不良になろう」と改心(?)する。高校時代のあだ名は、泣きながら熱く語ることから「泣き虫みー君」。高校の三者面談で「公彦君はこの学校のゴミです。」と言われたことがあった。また、高校時代に生徒会長に立候補しようとしたところ、教職員一同に「頼むからやめてくれ」と言われたという。後年、芸能界で大成した後に学校へ行くと「君はこの学校の誇りだ」と言われ、それに対して、「ゴミと誇り(埃)やったら変わらへん」と冗談めかして話している。
- 10代の頃は大場政夫に憧れ、ボクシングジムに通っていた。1973年には京都府高校フライ級1位を獲得(ただし紳助いわく出場者は3人)また、料亭に勤めていたことがあり、将来は寿司屋か競艇の選手か漫才師かと考えていた。
10代 芸能界入り
- 18歳の時、B&Bに憧れ、B&Bの師匠である漫才コンビの島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に入門。同期に明石家さんま、オール巨人、桂小枝などがいる。「島田洋七を倒すことに俺の青春を賭けよう」と誓ったが、「結局何もしてないのに勝手に倒れた」と当時を振り返っている。
- 「島田紳助」という芸名の由来は、「島田」は師匠の島田洋之介一門から、「紳助」という名前はいくつかの芸名候補の中から、師匠の島田洋之介が「『紳助』でいいやん」という一言で決まった。ちなみに紳助本人は数ある芸名候補の中で「けんじ」という芸名にしたいと思っていたが、反対に「紳助」が一番嫌だと思っていたという。理由は、子供の頃に同じ「しんすけ」という名前の友達がおり、その友達があまり良い印象ではなかったためだという。ちなみに、同期の杉本高文に「島田紳助」という芸名が決まった時に「その名前じゃ絶対に売れない」とからかわれ、紳助は落ち込んだが、逆に杉本が「明石家さんま」という芸名をもらったと聞いた時、紳助は「こいつ(芸能人として)終わった」と大笑いしたというエピソードがある。
- 弟子入りしてから竜介に出会うまでの2年間は別の芸人と2回コンビを組んでいるがどれも全くうまくいかず、すぐに解散している。この2年間にキャバレーの呼び込みのバイトをしたり、緻密な研究ノートを書いたり、海原千里・万里、夢路いとし・喜味こいし、B&Bら既にテレビで活躍している漫才コンビのレギュラーの本数の推移のグラフなどを書き、部屋いっぱいに貼っていた。トップホットシアターなどの劇場に通い漫才を生で研究。1977年9月にNGKで進行をしていた松本竜介(解散後松本竜助に改名)と漫才コンビ紳助・竜介結成。つなぎ作業着風の衣装を着てリーゼント姿の紳助が竜介と絡む芸風は「ツッパリ漫才」と呼ばれ、若い男性を中心に爆発的人気を得る。
20代 漫才師としての繁栄と終焉
- 1980年頃からの漫才ブームでは、関西の雄として一角を担った(詳細は紳助・竜介の項目を参照)。1981年には、井筒和幸監督の映画『ガキ帝国』で竜介とともに映画初主演を果たした。
- 同年、後に伝説のバラエティ番組となるフジテレビの『オレたちひょうきん族』にコンビ揃ってレギュラー出演。この番組で紳助は、『ザ・ベストテン』のパロディコーナー「ひょうきんベストテン」の司会を務めたり、同期のさんまの恋人役で女装をしてコントを演じたりなど、竜介とのコンビにとらわれない形での出演が増え、紳助個人の才能を見せるようになる。また同時期、日本テレビ系音楽番組『歌のトップテン』で和田アキ子と共に2代目司会を担当。この番組で紳助は和田から司会術を学び、「ひょうきんベストテン」とこの『歌のトップテン』で司会者としての礎を築いた。
- 漫才ブームが次第に沈静化する中、1985年5月、紳助・竜介は解散。その際、「このままでは太平サブロー・シローやダウンタウンには勝てない」と発言した。
- ちなみに、現在は司会者としての活躍がメインであり、パネラーとしての出演は滅多にないが、この頃には『クイズ!!ひらめきパスワード』、『わくわく動物ランド』(共にTBS系列)、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ系列)には解答者として出演していた。
30代 - 現在 司会者としての地位を確立
- 1990年代の紳助は、お笑いにとらわれない形での仕事が増えていった。特に1990年に、テレビ朝日系報道番組『サンデープロジェクト』の司会に起用されたことは話題を呼び、2004年まで14年も続く仕事となり、その間にタレントとしてのイメージを大きく変えることになった。
- 以降、司会者としての出演が増え、司会を務めた『EXテレビ』、『嗚呼!バラ色の珍生!!』(共に日本テレビ系列)、『ダウトをさがせ!』(TBS系列)、『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系列)などが人気番組となる。特に、1991年秋には現在も続いているTBSの春・秋の名物大型特番『オールスター感謝祭』がスタートし、毎回200人もの芸能人を3〜5時間半の長時間仕切り上げ、司会者としての地位を不動のものにする。
- こうした司会業の中で、若手の芸能人や素人の出演者を「いじる」才能が徐々に注目されるようになった。それまでバラエティ番組とは無縁だった歌手や俳優のバラエティ番組との相性を見抜いて自分が司会する番組に出演させることが多く、円広志や高木美保、misono[2]のように、それをきっかけに活動の幅を広げていく芸能人も存在する。
- 2000年代に入ってからはプロデュース業にも進出。関西ローカルの番組『紳助の人間マンダラ』(関西テレビ系)では、吉本興業のお笑いコンビであるランディーズ、ロザン、キングコングの3組によるアイドルユニット「WEST SIDE」をプロデュース。関西圏ではジャニーズ事務所のアイドル達をも凌駕するほどの大人気グループに成長させた。
- 2001年には漫才大会であるM-1グランプリを企画。大会委員長として審査にも参加している。
- 2004年10月から2005年1月までの間は傷害事件により一時、テレビから姿を消していたが、その後2005年からの『クイズ!ヘキサゴンII』ではPaboや羞恥心といったユニットをプロデュースし、ブームを巻き起こす。
- 2005年、石垣島に喫茶店「TOMURU(トムル)」をオープン(紳助の個人事務所が経営)。同年、京都で料理店を営んでいた古塚健一と共同で株式会社はせ川を設立。11月に大阪・東心斎橋に「寿司 はせ川」をオープンし、2007年9月には東京・西麻布にもオープン。しゃぶしゃぶ屋やバーなど展開する。
- 2009年6月14日放送のNHKの番組「MUSIC JAPAN」にコメント出演した。それが15年ぶりのNHKの番組になった。
- 2009年と2010年、毎年夏にFNS系列で放送されている大型長時間番組/FNSの日(2009年は『FNSの日26時間テレビ2009超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』/2010年は『FNSの日26時間テレビ2010超笑顔パレード 絆 爆笑!お台場合宿!!』)の総合司会を2年連続で務めた。
- その中でFNS局対抗企画として2年連続で開催した三輪車12時間耐久レースで大会委員長を務めた。
- オリコン調査による「好きな司会者ランキング」では2009年・2010年で2年連続1位を獲得している。
芸能観
- ダウンタウンが全国区の芸人となって以降、ダウンタウンの漫才のスタイル(テンポを遅くした調子でしゃべる、ダラダラ舞台に出る、など)を真似る若手が多数現れた。それについて紳助は、「ダウンタウンは、それまでの漫才をこなした上で、あのスタイルにたどり着いている。彼らはピカソだ。それを漫才の基本もなってない若手が、ただスタイルだけダウンタウンをまねしても面白いはずはない。」と批判している。
- M-1グランプリの立案理由について、「世の中、テレビはおろか、劇場に立ったことすらほとんどない、売れない芸人はたくさんいる。それでも、そういう子らは夢を見てやってるから辞めようとしない。そこで、M-1に出られる期限を結成10年にしたら、まあそこで芽があれば、準決勝に出てテレビに映る。運のエエ子らはそこ以外で世に出られる可能性もあるけど、基本的には10年やって芽が出なんだら、お笑いをやめるべき。周りを不幸にする。そのための区切り。」と語っている(2008年7月28日、『人生が変わる1分間の深イイ話』での発言)。
政治について
- 『サンデープロジェクト』や『サルでもわかるニュース』の出演を機に予習として政治や時事問題について独学で勉強する。この頃から大阪府知事選挙や国政選挙での出馬の可能性についてしばしば報道される。
- 東国原英夫は、紳助が「オレは政治家じゃなくて、商人だ。豪商の立場から政治家を応援する」と自らに語ったことがあるとし、転身の可能性について否定している[3]。他タレントから政治活動への転身を勧められた際「賄賂でも持って来られたら言下に断れず、お礼を言ってそのまま貰ってしまう」と客観的に自身の性格を分析している。
- 『サンプロ』降板後、2004年参院選で、民主党から出馬した尾立源幸の選挙運動の応援演説に駆けつけた。尾立はこの選挙でトップ当選を果たした。同時に「民主党候補を支援したのは強力な2大政党制をつくるため。民主党が政権を取ったら今度は自民党を応援する」と語った。投開票日の夜、選挙事務所で朝日放送などのインタビューで「サンプロをしてきた事への恩返し」と発言。
- 2008年4月27日放送の行列のできる法律相談所にて、橋下徹大阪府知事による4年間の府政によって結果(大阪府の債務など)が出なかった場合、自らが出馬して同知事と争うと冗談で言っていた。また、同日に橋下府知事より、選挙戦での演説におけるアドバイスを求めていたことを同知事によって明らかにされた。作戦は「情に訴える」だったという。
- 政治信条に関しては保守主義で、読売テレビ「今夜はシャンパリーノ」で憲法9条がテーマとして取り上げられたとき、「改正したほうが良い」と発言している。
エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 1986年から1995年までの10年間、レーシングチーム『チーム・シンスケ』の監督として、鈴鹿8時間耐久ロードレースや全日本ロードレース選手権に参戦した。NHKのスポーツ番組でインタビューが放送されたこともある。1980年代後半はバブル景気の絶頂期であり、モータースポーツ界には各方面のタレントをお飾りで監督に仕立てた(つまりサーキットに来てもレース関係の仕事は何もしない)レーシングチームが2輪・4輪を問わず乱立していたが、紳助は自ら企画書を作成してスポンサー企業を回ったり、レース当日は自分で作戦を立ててライダーやスタッフに指示を出したりし、他のタレント監督とは完全に一線を画していた。その時の活動を書いた著書『風よ、鈴鹿へ』は、小説ではあるがノンフィクションに限りなく近い作品である。
- 逸見政孝がTBSで1993年4月3日に放送された紳助司会の『オールスター感謝祭』に出演。紳助は逸見に向かって「実は癌なんです」とか「もうすぐ死にますよ」などと冗談交じりに言った。皮肉にも逸見はその半年後の9月に癌である事を公表し、闘病生活の末同年12月に逝去した。紳助は自らの語った冗談が本当だった事に相当ショックを受けたという。そして逸見の亡くなった日の夜に紳助はインタビューで「癌という重病を抱えているのに何で仕事してたんですか。ドアホですよ、逸見さんは」と泣きながらコメントを述べていた。
- 1995年から約10年間、家族で大阪府能勢町に引越し、著書名を引用すると「えせ」田舎暮らしの日々を過ごす。そこでの日々はトークのネタとなっていた。
- 海外旅行は、絶対にグアムしか行かないことを90年代のバラエティ番組『メトロポリタンジャーニー』で明らかにしていたが、その後『クイズ!紳助くん』のロケで韓国に行ったことからそのポリシーを変え始めている。また1990年代末頃からグアムに代わって沖縄へ旅行する。2004年の謹慎期間は石垣島などに滞在していた。2009年は休日を沖縄・石垣島で生活する。
- 数多くのレギュラー番組を持っているが、それらの収録は週末に集中しており、平日の3日か4日は休み。2008年7月7日放送の番組内では火・水・木の3日間は定休日で、以前までは月も休み。稀にゲスト出演する場合、定休日でも仕事をすることがある、と話す。2009年7月26日放送の26時間テレビでは月・火・水・木曜日は休みであるため、沖縄に帰って過ごしていると明かしている。最低でも1年間は沖縄と東京を行き来する生活を送ろうと思っているとも語った。
- 2008年の後半頃にフジテレビ系『めざましテレビ』内で行われた大塚範一の対談にて、「現在の自分は芸人とは思っていない」と語っている。また、同時期に『一攫千金!日本ルー列島』にて「娘の結婚相手に芸人は許さん」とも言っていた。
- 日本テレビ系『行列のできる法律相談所』にて『開運!なんでも鑑定団』の出演者・スタッフで行った忘年会時のビンゴ大会のエピソードを取り上げ、目玉商品がウーパールーパーとなり、参加者一同が「ウーパールーパーなんかいらない」という雰囲気でビンゴになっても誰も「ビンゴ!」と言わない事態となったと話した。さらに、他の商品には良い歳した鑑定士達やスタッフが持ってきた『新世紀エヴァンゲリオン』などのアニメグッズが並び、この状況に石坂浩二が「本気か?」と言ったとのこと。紳助はこの有様に「テレビ東京はオタク」と言い放った(なお、このトークは日本テレビ側が「テレビ東京に申し訳ない」との理由で当初はお蔵入りし、その後、2005年8月28日放送分で数ある未公開トークを一挙公開した際に初放映された)。
- 『NHK紅白歌合戦』は若い頃から全く興味がなかったが、自身がプロデュースした羞恥心とPaboが紅白出場したことに感激し、紅白に関心を抱くようになり、最近では出演番組内で「紅白の司会がしたい」と語ったこともある。
- 目標であり尊敬する司会者は草野仁だと話しており、『行列のできる法律相談所』など出演番組で度々草野のものまねをしている。なお、紳助の草野のものまねは出演者から不評を買っている。
- 音楽好きであり、それが自身の歌手活動や、作詞・プロデュース業をやるきっかけとなっているが、自身の歌唱力には否定的な発言をしている。
- 老眼の年齢に差し掛かったこともあり、『一攫千金!日本ルー列島』や『クイズ!ヘキサゴンII』の初期には眼鏡を着用して番組に出演することもある。特に、『オールスター感謝祭』では200人もの芸能人を仕切らなければならないため、毎回眼鏡を着用し司会を務めている。
- 芸能人は知らない人から物をタダで貰うコツがあるという。自身の経験談としてある漁港に立ち寄った際にその関係者に魚類など食品を差してまず「これなんですか?」と聞き、「~です」と返された後に「これ食べれんの?」と問うて、(自身が有名芸能人であるが故に持っていかせたい雰囲気にし)その関係者から「持っていきます?」と言われタダ貰いしたことがあると『行列のできる法律相談所』の第1回放送で話した。さらにその場でこの方式を「芸能人は皆でこれやろう」と推奨した(出演した小林幸子には「私だったらやだ」と敬遠された)他、自身の番組で出演タレントに実践させることもあり、基本的には成功している。
- 極度の高所恐怖症である。ある番組でリフトに乗った際、2mの高さで本気で怖がっていた。また『松紳』で、脚立の一番上にも立てないことを明かした。
- 妻は紳助の事を「みー君」(本名の公彦から)と呼んでいる。紳助は「人前では絶対に言うな」と注意するも、自宅に後輩芸人が遊びにきた時に言ってしまうことも多く、その後輩芸人達は猫がいるのかと勘違いし、辺りを探しだすという。
- 娘(3人娘の何番目かは不明)は破天荒な部分があると磯野貴理が『行列のできる法律相談所』で話した。それは磯野が紳助の自宅ですき焼きを御馳走になった時に居合わせた、すき焼きに使った牛肉の牛を育てた農家の人に対し(皆で「おいしい」と話しているにも関わらず)「自分で育てた牛食べるのってどんな気分なんですか?」と質問し紳助が止めたが、それでも治まらずしばらくしてから「牛の名前とかって覚えているんですか?」と聞き出したという。
- 高齢となった両親は2007年3月18日放送分の『行列のできる法律相談所 「紳助と行くとっておき裏京都の旅スペシャル」』に出演したことがあり(磯野貴理が京都にある両親の自宅を訪れる形)、「紳助が司会を務める番組を常に観ている」とコメントした他、母親は紳助について「言葉遣いが悪いところを気にしている」と話していた。
- 元相方の松本竜助について、著書に「彼が居たから8年もの間漫才が出来た」と記してある。また、竜助に対し「俺は司会者になるために漫才をしている」と話していたとのこと。2006年3月に竜助が倒れた際には東京での仕事を全てキャンセルして大阪へ駆けつけた。同年4月1日に竜助は亡くなったが、通夜と葬儀には参列しなかった。
- 長年多くの番組で司会を勤め、数多くの芸能人と共演しているが、とんねるずとは一度も共演したことがないと語っている。しかし実際は『歌のトップテン』などで共演している。本人は『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に出たいと『行列のできる法律相談所』で語ったことがある。
- ボクシングの亀田一家への理解が高く、『行列のできる法律相談所』において、面識のない亀田一家に対する意見を語ったところ、亀田興毅から丁寧なお礼のメールが来た。ちなみに亀田興毅は、たむらけんじから紳助のメールアドレスを聞いたとのこと(たむけんの焼肉屋が亀田家のスポンサーを務めた縁から)。
- 苦手な食べ物はパン、ホルモン[4]。
- 関西出身であるためプロ野球は阪神タイガースファンである。ただその一方で、近鉄バファローズの選手に「目標を達成できなければ、丸坊主にする公約を誓わせたり、千葉ロッテマリーンズの外国人選手が活躍できるかどうか?」予想したりするなど、他球団の選手に関してもほぼ公平に接している。このように、阪神ファンによくありがちな、「他球団の選手をほとんど知らない」比較的良識のあるファンであるといえる。また、「阪神ファンだが、若くて野球の実力があったならば巨人に入る」とも話している。阪神関係者では掛布雅之や金本知憲と交友がある。
- 2007年の日本シリーズ第5戦において、中日ドラゴンズの落合博満監督が行った、完全試合目前だった山井大介から岩瀬仁紀への継投(2007年日本シリーズにおける完全試合目前の継投の項も参照)について批判的な見解を2008年1月1日付けのスポーツ報知に掲載された宮崎県の東国原英夫知事との対談内で述べた。
- 明石家さんま司会のフジテレビ『ホンマでっか!?TV』でコメンテーターを務める金子哲雄は、さんまに容姿が紳助に似ていると「紳助」と呼ばれている。
- 2009年の『26時間テレビ』内の「ネプリーグスペシャル」で、森光子の名前を間違え、「森紳助に改名します!」と発言。直後の「ひょうきんベストテン2009」では、テロップに「森紳助」と表示されていた。
- 2005年の日本テレビ系『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』にゲスト出演した際、テーマソングの『サライ』が全く歌えなかったそうで、「(同曲に対し)酒のつまみか」と直後に引き続き日本武道館(ただし、武道館内の武道室)から生放送された『行列のできる法律相談所』内で述べた。その2年後の2007年の回に2度目の出演を果たした際には、1回目の経験で歌詞を覚えたため歌う事ができたと直後の『行列-』生放送で話し(実際、紳助が同曲を口ずさむ姿が映っており、磯野貴理も「紳助さんが『サライ』を歌っているのを初めて見た」とした。さらに、松本志のぶによると武道館の武道室に移動中の廊下でも「桜吹雪の~♪」と歌詞を口ずさんでいたという)、続けて「若いタレントは『24時間テレビ』を観てこの世界に入っているからこの歌が歌えるが、そうでないベテランのタレントは、仕事の都合等で『紅白歌合戦』同様、『24時間テレビ』を観ていられないので歌えない」と発言した。この発言と同じ趣のものを2009年7月に放送されたフジテレビ『クイズ!ヘキサゴンII』(同番組をベース(紳助が総合司会)にフジテレビ『26時間テレビ』を同月末に放送する事が決定し、それに関したトークの最中に紳助が『24時間テレビ』出演時のこのエピソードを紹介した)内でしたところ(ベテランタレントの域に当たる)渡辺正行に「『サライ』を知っている」と反論された。
- 2010年の『26時間テレビ』内の「さんま・中居の今夜も眠れない」にゲスト出演した際、さんまに「日テレの『24時間テレビ』の方の司会も狙ってるやろ」と指摘された(紳助が総合司会の立場として『26時間テレビ』内で出演者による駅伝を企画するなど、番組を『24時間テレビ』を意識したとも取れる感動路線に持っていったため)。また、放送内でさんまと腕相撲対決をし、敗れた。悔しさの余り「(互いに)60歳になった時にもう1度やろう」とリベンジを誓った。
- 沖縄(石垣島)で生活する時の名前は、「マイク与那嶺」である。また、「宅配便が届いた時に、マイクさ~んと言われるのがうれしいが、与那嶺という漢字が難しい。」と発言[5]。
- 『クイズ!紳助くん』での竹内ゆうじ追悼番組では、ゆうじに宛てた熱のこもったメッセージを送った。
- 自身が出演する番組はほとんど見ない。この考えはタモリと共通し、自身の出演番組を全てチェックする明石家さんまとは対照的である。
- 禁煙に成功してからは、「ノドの通りがよくなって声が出るようになった」と語っていたが、2010年『26時間テレビ』内の「さんま・中居、今夜も眠れない」で明石家さんまと共にタバコを吸っているシーンが放送されており、現在は喫煙状態なのが確認されている。
他の人物との関係
- 和田アキ子は紳助がタレント活動を始めた初期に態度が悪かったため、自らしつけ係を買って出た。このことがきっかけで和田は自他認める姉貴分という意味も込めた親友的存在となり、和田から自身の悩み等いろいろと相談を受けたりもしている。その関係故、紳助の暴行事件による謹慎時に「早く復帰してほしい」とコメントし、和田に批判の目が向けられたという事もあった。また、『歌のトップテン』、『B.C.ビューティー・コロシアム』では司会コンビを組んだ他、『毛髪クリニックリーブ21』のCMでも共演している。同期の明石家さんまに2009年の『26時間テレビ』内の「さんま・中居の今夜も眠れない」にて「和田アキ子さんに似てきたな」「一緒にコマーシャルやってるから似てきたんや」と言われていた。
- 飯島愛がAV女優を引退してバラエティ番組に進出し始めた頃自分の番組に飯島をレギュラーとして出演させていたりとても可愛がっていた。一時期飯島愛との交際も噂になったが両人とも否定している。
- 徳光和夫は紳助の司会ぶりを「天才」と評している他、紳助出演の『人生が変わる1分間の深イイ話』にゲスト出演した際、自身の葬式の弔辞は紳助に読んでもらう事で決めていると話した。
- 磯野貴理とは元々ほとんど接点がない関係だったが、紳助が『行列のできる法律相談所』を開始するに当たりスタッフに磯野の準レギュラー起用を打診し、それが叶い磯野の番組出演が実現したとの事。以後磯野は同番組での紳助との絡みが話題となり、好感度調査で上位に食い込むという事態となった。
- X JAPANのYOSHIKIと親友だとかつてから『行列のできる法律相談所』、『世界バリバリ★バリュー』 などで度々語っていた。その後、2009年初頭の『行列-』にYOSHIKIがゲスト出演し、親友であるとYOSHIKI本人も認めている。
- 高原兄はアラジン時代に『オレたちひょうきん族』に出演したことがきっかけで親交があった。その後も『スーパーギャング』(TBSラジオ、1988年4月~1989年3月)のレギュラーや、1990年に結成された島田紳助&バスガス爆発楽団への加入でそれを深め、近年では『クイズ!ヘキサゴンII』や『人生が変わる深イイ話』で紳助がプロデュースしたユニットの楽曲の作詞(紳助)・作曲(高原)コンビを組む事が多くなっている。
傷害事件
2004年10月25日大阪・朝日放送社内にて『クイズ!紳助くん』収録前、同じ吉本興業に所属する勝谷誠彦の女性マネージャー(当時40歳)が紳助の尊敬する会社の社長や上司を呼び捨てにして話すのを聞き、さらにその女性が会社に入ってすでに5年目と知り、その女性を別室に無理やり連れ込み説教をしたが、反省の様子がまったくないため、拳や物で殴る、髪をつかんで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治一週間の頸椎ねんざを負わせた[2]。
女性が部屋を飛び出した後、紳助は「こいつおかしいねん。殴ってもないのに大声出しやがって」と周囲に怒鳴りちらし、それに対し女性は「あなたに殴られて左耳が聞こえないんですよ。一生聞こえなかったらどうしてくれるんですか!」と反論したが、紳助は「な?こんな口答えする女やから、殴られても当たり前やろ」と周囲に言ったといわれている。
すぐさま被害者である女性は大阪府警大淀署に診断書を提出し、10月28日付で傷害容疑で告訴した。紳助は警察に訴えられたと知ると同日に吉本興業の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、TVカメラの前で「100対0で僕が悪いです」、「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」といって泣きじゃくって反省している様子をみせた。
これを受けて吉本興業では11月4日まで紳助を謹慎処分とし、期間中のレギュラー番組については、各局ともテロップ(収録した日付など)を挿入して通常通り放送した。ただし『行列のできる法律相談所』については法律をテーマに扱っているだけにテロップ挿入で放送というわけにはいかず、緊急生放送として事務所の後輩で準レギュラーである東野幸治を代理司会に立てて放送した。
大阪府警大淀署は11月4日、紳助を「加害者」として傷害罪の疑いで書類送検、検察が略式起訴を請求し、大阪簡易裁判所において「罰金30万円」の略式命令が下された。
前述の謝罪会見で紳助は「髪をつかんで座らせ、平手で一発」と述べていたが、その後の略式起訴の際には「右手やリュックサックで頭を殴ったほか、髪をつかんで壁に打ちつけ、唾を吐きかけるなどの暴行を加え、約2ヶ月の怪我を負わせた」という犯行事実を認めたことが分かっている。
なお、紳助は、当初の11月4日までの芸能活動自粛期間の無期限延期を表明し、11月8日の『キスだけじゃイヤッ!』を最後にブラウン管から一時期姿を消した。被害者からは「芸能界を辞めて」と引退を要求されていたが、わずか2ヶ月ほどの謹慎ののち、2005年1月2日『行列のできる法律相談所』内の生放送にて復帰の挨拶と事件についての謝罪を改めて行って復帰した。ダウンタウンらが紳助のレギュラー司会の代行を務め、紳助の復帰まで繋いだ。
被害女性は事件後休職していたが、2006年6月限りで休職期間満了として退職扱いとなった。しかし、同年8月4日には被害女性が加害者の紳助と吉本興業を相手取り、4400万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こしている。また、仕事ができなくなったのは首の捻挫やPTSDなどが原因であるとして、退職扱いの無効と雇用関係の確認も求めている。賠償請求訴訟は2010年9月21日、原告主張が認められ1000万円の賠償命令が下った。
書類送検時のメディアの呼称 紳助が書類送検されたことをメディアが報じた際、フジテレビや新聞各社は「島田紳助容疑者」、日本テレビは「島田紳助さん」、NHKは「島田紳助所属タレント」、TBS・テレビ朝日・テレビ東京は「島田紳助司会者」、共同通信は「島田紳助タレント」と呼称が分かれる形となった。在京キー局で唯一「容疑者」呼称をしたフジテレビは「(逮捕ではなく)書類送検ではあるが、紳助が記者会見で罪を認めたため、容疑者扱いとした」としている。他のメディアが「容疑者」呼称を避けたのは吉本興業への配慮とされる。また、「容疑者」呼称をしたメディアも芸名の「島田紳助容疑者」とし、本名の「長谷川公彦容疑者」とはしなかった。
出演
レギュラー番組
- 行列のできる法律相談所 日曜日21:00 - 21:54(日本テレビ系)
- 人生が変わる1分間の深イイ話 月曜日21:00 - 21:54(日本テレビ系)
- クイズ!紳助くん 月曜日23:17 - 24:17(朝日放送系、関西ローカル)
- 紳助社長のプロデュース大作戦! 火曜日19:00 - 19:56(TBS系)
- 開運!なんでも鑑定団 火曜日20:54 - 21:54(テレビ東京系)
- クイズ!ヘキサゴンII 水曜日19:00 - 19:57(フジテレビ系)
- ホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっ 金曜日19:57 - 20:54(フジテレビ系)
- 日立 世界・ふしぎ発見!:草野仁のピンチヒッター 土曜日 21:00 - 21:54(TBS系)
単発・不定期番組
- オールスター感謝祭(TBS系/春・秋の年2回期首特番)
- M-1グランプリ(朝日放送系/年1回特番)
- ZERO×選挙 (日本テレビ系/衆議院選挙もしくは参議院選挙実施時に放送)
- 行列のできる芸能人通販王決定戦(日本テレビ系/不定期特番)
- 世界1のSHOW TIME〜ギャラを決めるのはアナタ!〜(日本テレビ系/不定期特番)
- ザ・爆笑王 2010春 激突!夢のベストテン(日本テレビ系/2010年3月16日放送)
ゲーム
- クイズ!ヘキサゴンII(2010年/バンダイナムコゲームス)本人役
CM
現在
過去
- ブルーレット(1986年/小林製薬)
- ナムコ『さんまの名探偵』
- ナムコ『デジタル・デビル物語 女神転生』
- 1988年、アシックス
- 日清焼そばU.F.O.(1989年)
- 誌上対談(1989年/日産自動車)
- ラガービール(1990年/キリンビール)
- C1000タケダ(1990年/武田薬品)
- 1991年-1992年/大信販(現:アプラス)
- 吟生(1992年/サントリー)
- 不老林(メイグイファ/1994-1995年/資生堂)
- アーモンド・チョコレート(1994-1995年/江崎グリコ)
- 関西風味(1995-1996年/キリンビール)
- ボンゴ・フレンディ(1995年/マツダ)
- NEXT(1998年/フィリップモリス)
- NTTパーソナル関西
- 伊藤ハム(2005年)
- ジョージア(2006年1月)
過去の出演番組
- オレたちひょうきん族(フジテレビ)
- ひょうきんミニ放送局(フジテレビ)
- ひょうきん予備校(フジテレビ)
- 紳竜・さんまのスクープ一直線(1983年 関西テレビ)
- 紳助・ケントの世界がお呼びです!(毎日放送/1988年4月-1990年9月)
- 紳助のMTV倶楽部→CLUB紳助(朝日放送/1988年4月12日 -1996年9月)
- クイズ仕事人(朝日放送/1988年10月-1991年3月/『クイズ!紳助くん』の前身番組)
- サンデープロジェクト(テレビ朝日・朝日放送/1990年4月-2004年3月まで出演。番組は2010年3月まで続いた)
- 新伍・紳助のあぶない話(関西テレビ/1990年-1996年)
- EXテレビ 火曜日(読売テレビ/1990年4月-1994年4月)
- 紳助のサルでもわかるニュース(読売テレビ/1994年4月-1997年9月)
- キスだけじゃイヤッ!(読売テレビ/1997年10月-2006年3月)⇒以後はスペシャル番組として放送予定。
- 芸恋リアル(読売テレビ/2006年4月-2007年7月)
- 今夜はシャンパリーノ(読売テレビ/2007年7月-2008年2月)
- 紳助の人間マンダラ(関西テレビ/1991年4月-2002年3月)
- 太っ腹!紳助ファンど(関西テレビ)
- クイズ!当たって25%(TBS/1991年10月 - 1992年3月/『オールスター感謝祭』の原型番組)
- ダウトをさがせ!(毎日放送/1992年4月-1993年9月)
- ダウトをさがせII → ダウトをさがせR(毎日放送/1994年10月-1995年6月)
- クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ/1992年4月-1994年3月)
- 嗚呼!バラ色の珍生!!(日本テレビ/1994年10月 - 2001年3月)
- メトロポリタンジャーニー(フジテレビ/1996年4月-1997年3月)
- コロンブスのゆで卵(TBS/1996年4月-1997年9月)
- カジノザウルス(関西テレビ/1996年7月-1997年3月)
- 特捜!芸能ポリスくん(TBS/1998年4月-1999年3月)
- ウォンテッド!!(フジテレビ/1998年4月-1999年3月)
- 走れ!!しあわせ建設(フジテレビ/1999年4月- 8月)
- 松紳(広島テレビ・日本テレビ/2000年10月-2006年3月/ダウンタウンの松本人志と共演)
- ザ! キャッシュマン(フジテレビ・関西テレビ/2001年4月-8月)
- B.C.ビューティー・コロシアム(フジテレビ/2001年-2003年。2004年から放送開始したスペシャル版には第1回のみ出演し、以後は降板した)
- ジョン万次郎(TBS、2002年10月-2003年3月)
- クイズ!ヘキサゴン(フジテレビ/2003年4月-2005年10月)
- 世界バリバリ★バリュー(毎日放送/2003年4月-2008年3月)
- 明日使える心理学!テッパンノート(毎日放送/2008年4月-9月)
- 謎を解け!まさかのミステリー(日本テレビ/2003年10月-2006年3月)
- 島田検定!! 国民的潜在能力テスト→島田検定SUPER!!(TBS/2005年4月-2006年2月)
- アスリート応援TV! ニッポン!チャ×3(TBS/2006年4月-2007年2月)
- 美味紳助(テレビ朝日/2007年4月-2007年9月)
- 一攫千金!日本ルー列島(フジテレビ/2008年4月-2009年2月)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ/ゲスト出演)
- 笑っていいとも!増刊号(フジテレビ)
- 今夜は最高!(日本テレビ/ゲスト出演)
- SMAP×SMAP(関西テレビ・フジテレビ/「BISTRO SMAP」ゲスト出演)
- クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ/逸見政孝の代理司会)
- 歌のトップテン (日本テレビ)
- クイズ!!体にいいTV(日本テレビ)
- 全国高等学校クイズ選手権 事前番組(日本テレビ/1987年-1996年)
- クイズ三角関係 (TBS)
- わくわく動物ランド (TBS)
- ムーブ・島田弁護協会(TBS/1992年10月-1993年3月/『沼島の春よふたたび!お見合い大作戦』はこの番組から誕生)
- ムーブ・テレビ進学塾(TBS/1993年5月- 9月)
- 青春!島田学校(TBS/1990年)
- 海岸物語 昔みたいに…(TBS/1988年)- 郷原進 役
- TV-JACK(朝日放送)
- 誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ)
- 紳竜・さんまのスクープ一直線(関西テレビ)
- ヤングプラザ(朝日放送)
- 夢々夢中組(毎日放送)
- 紳助の狼が来た〜(読売テレビ)
- 24時間テレビ 「愛は地球を救う」(日本テレビ/2005年・2007年・2009年)
- スーパークイズスペシャル(日本テレビ)
- おとうさんの時間(NHK総合)
- 料理の鉄人(フジテレビ/1996年9月28日放送/陳建一と対戦したが負け)
- MBSヤングタウン木曜(MBSラジオ/1984年4月-1987年7月)
- ハイヤングKYOTO土曜(KBS京都)
- プロ野球珍プレー・好プレー大賞(フジテレビ)
- 人形劇三国志(NHK教育テレビ/1983年)
- 島田紳助のスーパーギャング(TBSラジオ/1988年4月-1989年3月)
- 熱血!島田塾〜おれたちホンキ宣言〜(テレビ朝日)
- HEARTに聞け(TBS)
- 和田アキ子物語(フジテレビ/2008年6月20日/特別出演)
- ザ・ディール(TBS/不定期特番)
- 恐怖の食卓(フジテレビ/不定期特番)
- しゃべくり007(日本テレビ/ゲスト出演)
- 行列のできる芸能人通販王決定戦(日本テレビ)
- 島田紳助がオールスターの皆様に芸能界の厳しさ教えますスペシャル!(読売テレビ)
書籍
- 紳助の青春の叫び PART5(1980年11月 レオ企画)
- 風よ、鈴鹿へ(1991年7月 小学館 ISBN 978-4-09-363291-1)
- 風が、止まる時(1990年9月 小学館 978-4-09-363292-8)
- こんな僕でよかったら(毎日新聞社)
- 「いつも心に紳助を」シリーズ(毎日新聞社)
- いつも心に紳助を(1994年10月 ISBN 978-4-620-31030-5, 小池書院 ISBN 978-4-88315-737-2)
- いつも心に紳助を 2
- 新 いつも心に紳助を(1996年11月 ISBN 978-4-62-031144-9)
- いつも心に紳助を ファイナル(1997年5月 ISBN 978-46-2031174-6)
- ラスト・ラン~おっさんたちの青春が終わった~(1995年8月 小学館 ISBN 978-4-09-363293-5)
- 紳助のH・愛・ジョーク(1995年9月 毎日新聞社 ISBN 978-4-620-31076-3, 1998年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-781-5)
- メッセージ(1996年3月 毎日新聞社 ISBN 978-4-620-31106-7)
- 紳助の「メッセージ」 たった一回の人生やもん!(同上の本、1999年4月 小池書院 ISBN 978-4-88315-789-1)
- えせ田舎暮らし(1997年9月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-053-7)
- 知識ゼロからの金儲け(2000年6月 幻冬舎 ISBN 978-4-87728-970-6)
- ぼくの生きかた(2001年3月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-205-0)
- 天下の廻りモノオカネの正体(2001年6月 幻冬舎 ISBN 978-4-344-40115-0)
- いつも風を感じて (2004年11月 KTC中央出版 ISBN 978-4-87758-335-4)
- ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する -絶対に失敗しないビジネス経営哲学- (2007年5月 幻冬舎新書 ISBN 978-4-344-98038-9)
- ニッポンを繁盛させる方法(2007年11月 共著:東国原英夫 角川書店 978-4-04-710121-0)
- 自己プロデュース力(2009年9月 ワニブックス ISBN 978-4-84-701819-0)
- 松本竜助との共著
- 『紳助・竜介のツッパリ魔:反抗の悪知恵』(1981年5月 ワニブックス ISBN 978-4-584-20021-6)
- 松本人志と共著
- 松本紳助(2002年1月 ワニブックス ISBN 978-4-8470-1415-4)
- 裏松本紳助(2002年11月 ワニブックスISBN 978-4-8470-1473-4)
- 哲学(2003年3月 幻冬舎 ISBN 978-4-344-40332-1)
- 松紳(2004年7月 ワニブックス ISBN 978-4-8470-1559-5)
映画
- じゃりン子チエ(1981年/東京ムービー新社)マサル役で声の出演
- ガキ帝国 (1981年/ATG)リュウ役で映画初出演、スクリプター
- マンザイ太閤記(1981年/東京ムービー新社)
- 次郎長青春篇 つっぱり清水港 (1982年/松竹)森の石松役
- 逃がれの街(1983年/日本テレビ、田中プロ)米倉役
- 瀬戸内少年野球団(1984年/ヘラルド・エース)正木二郎役
- 星くず兄弟の伝説(1985年/「星くず伝説」プロジェクト)「ひょうきんベストテン」司会
- ゴルフ夜明け前(1987年/東宝)桂小五郎役
- 死霊の罠(1988年/ジャパンホームビデオ)
- 佐賀のがばいばあちゃん(2006年)スポーツ用品店店主役(友情出演)
脚本・監督
Vシネマ
- 新・童貞物語2 Close to you あなたのそばに (1991年/バンダイビジュアル)
- 殺しやPAZUZU (2000年/ミュージアム)
受賞歴
- 第1回 日本映画批評家賞 特別賞(映画「風、スローダウン」)
- 第17回おおさか映画祭 新人監督賞(映画「風、スローダウン」)
- 卒煙大賞(2004年、過去にthe brilliant greenやaikoらが受賞した賞)
雑誌記事
- 月刊現代 (講談社)
- 2005年9月号 - 本誌〔現代〕独占!120分 復帰から7ヶ月--吉本女性社員「暴行事件」を初めて語った 島田紳助 涙!--あの事件のこと、芸人とは、そして僕の未来 (共著:中田カウス・増田 晶文)
- 週刊文春 (文藝春秋)
- 2008年8月14日・21日夏の特大号(2490号) - [独占告白]スキあらばエッチするという姿勢は一パーセントでも持ち続けたい 独占告白 島田紳助「視聴率王」の苦しみ--「羞恥心」成功から、株、不動産、"黒い交際"まで、すべてを語った
CD
- 1981年ごろ、島田がボーカルを務める「SHINSUKE-BAND」(ギターを弾けない村上ショージ、ベース・Mr.オクレ)として活動。
- 時間だけがロックンロール(1981年。作詞も)
- 東京コミュニケーション(作詞。紳助バンド)
- 1982年 『い・け・な・い・お化粧マジック』(明石家さんまとデュエット)
- 1990年には「島田紳助&バスガス爆発楽団」を結成する。
- 1991年 ダウンタウンのアルバム『万力の国』に楽曲提供。
- 1999年7月28日 島田紳助プロデュースの演歌「大阪の女」で島谷ひとみがデビュー。
- 紳助の人間マンダラの企画から。
作詞
- 2006年8月30日 島田紳助作詞の演歌、香田晋のシングル「おかあさん」がリリース。
- カシアスRECORDSの企画から。
- 2007年1月7日 RYOEIのアルバム『DEAI』がリリース。
- アルバム内の「我が敵は我にあり」を作詞。
- 2007年9月26日 島田紳助作詞の曲、Paboのシングル「恋のヘキサゴン」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年4月9日 島田紳助作詞の曲、羞恥心のシングル「羞恥心」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年6月25日 カシアス島田(島田紳助)作詞の曲、羞恥心のシングル「泣かないで」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年10月22日 カシアス島田作詞の曲、ヘキサゴンオールスターズのアルバム「WE LOVE ヘキサゴン」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。アルバム内に入っている曲すべてを作詞。
- 2008年10月29日 misonoのシングル「家族の日/アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-」がリリース。
- シングル内の「アブラゼミ♀(大阪バージョン)-ピアノ・バージョン-」をカシアス島田名義で作詞。
- 2008年11月7日 島田紳助作詞の曲、RYOEIのシングル「我が敵は我にあり」がリリース。
- 2008年11月12日 カシアス島田作詞の曲、里田まい with 合田兄妹のシングル「もうすぐクリスマス」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2008年12月10日 カシアス島田作詞の曲、羞恥心のシングル「弱虫サンタ」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年1月14日 カシアス島田作詞の曲、里田まい with 合田兄妹のシングル「バイバイ」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年3月25日 カシアス島田作詞の曲、矢口真里 VS エアバンドのシングル「青春 僕/青春 俺」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年4月22日 つるの剛士のアルバム「つるのうた」がリリース。
- アルバム内の「何もかもが君だった (つるの剛士version)」をカシアス島田名義で作詞。
- 2009年5月20日 カシアス島田作詞の曲、トモとスザンヌ/部長と部下のシングル「出会えてよかった/お台場の女」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年6月17日 カシアス島田作詞の曲、南明奈のスーパーマイルドセブン/里田まい with 合田家族のシングル「I Believe 〜夢を叶える魔法の言葉〜/Don't leave me」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年7月15日 カシアス島田作詞の曲、フレンズ&ヘキサゴンオールスターズのシングル「泣いてもいいですか」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年8月26日 カシアス島田作詞の曲、RYOEIのシングル「ひらり」がリリース。
- 2009年9月30日 カシアス島田作詞の曲、スベラーズのシングル「ひとつ500円で買い取らせていただきます」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2009年10月14日 カシアス島田作詞の曲、新選組リアンのシングル「男道」がリリース。
- 人生が変わる1分間の深イイ話の企画から。
- 2009年10月21日 カシアス島田作詞の曲、ヘキサゴンオールスターズのアルバム「WE LOVE ヘキサゴン2009」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。アルバム内に入っている曲すべてを作詞。
- 2009年12月9日 カシアス島田作詞の曲、里田まい with 合田家族のミニアルバム「里田まい with 合田家族」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。アルバム内に入っている曲すべてを作詞。
- 2010年1月13日 カシアス島田作詞の曲、矢口真里とストローハットのシングル「風をさがして」がリリース。
- 2010年1月20日 カシアス島田作詞の曲、RYOEIのアルバム「ブーゲンビリア」がリリース。
- 2010年2月10日 カシアス島田作詞の曲、サーターアンダギーのシングル「ヤンバルクイナが飛んだ」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年2月24日 カシアス島田作詞の曲、新選組リアンのシングル「本当に僕でいいんですか」がリリース。
- 人生が変わる1分間の深イイ話の企画から。
- 2010年3月17日 カシアス島田作詞の曲、南明奈のスーパーマイルドセブン/Paboのシングル「幸せになろう/恋」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年4月21日 カシアス島田作詞の曲、フレンズのシングル「Dear Friends-友へ-」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年5月26日 カシアス島田作詞の曲、サーターアンダギーのシングル「沖縄に行きませんか」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年6月23日 カシアス島田作詞の曲、品川祐とスベラーズ/エアヴィジュアバンド/スザンヌ×スザンぬのシングル「サラリー☆マン/第三の男/レッド・アイ」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年7月14日 カシアス島田作詞の曲、ヘキサゴンオールスターズ/ツバサのシングル「僕らには翼がある〜大空へ〜」がリリース。
- クイズ!ヘキサゴンIIの企画から。
- 2010年8月4日 カシアス島田作詞の曲、新選組リアンのシングル「愛の唄」がリリース。
- 人生が変わる1分間の深イイ話の企画から。
- 2010年8月4日 カシアス島田作詞の曲、崎本大海のシングル「サヨナラ」がリリース。
- 2010年9月1日 カシアス島田作詞の曲、新選組リアンのアルバム「上京物語」がリリース。
- 人生が変わる1分間の深イイ話の企画から。
- 2010年9月1日 カシアス島田作詞の曲、渡り廊下走り隊のシングル「ギュッ」がリリース。
プロデュースしたユニット
- WEST SIDE…ランディーズ、ロザン、キングコング
- 2001年デビュー。紳助の人間マンダラの企画から。
- 新選組リアン(平成の新選組)…森公平、山口純、榊原徹士、関義哉、國定拓弥
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。人生が変わる一分間の深イイ話の企画から。
クイズ!ヘキサゴンIIでのユニット
- Pabo…里田まい(カントリー娘。)、スザンヌ、木下優樹菜
- 2007年デビュー。
- 羞恥心…つるの剛士、上地雄輔、野久保直樹
- 1st『羞恥心』は、島田紳助の名義で、2nd『泣かないで』からはカシアス島田名義でプロデュース。2008年デビュー。
- ラクダとカッパ…クリス松村、山根良顕(アンガールズ)
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- アラジン…羞恥心、Pabo
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- misono&ヒロシ…misono、品川祐(品川庄司)
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- エアバンド…岡田圭右(ますだおかだ)、庄司智春(品川庄司)、アンガールズ、波田陽区、金剛地武志
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- 一発屋2008…ダンディ坂野、小島よしお、波田陽区、金剛地武志
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- 里田まい with 合田兄妹…里田まい(カントリー娘。)、misono、藤本敏史 (FUJIWARA)
- カシアス島田名義で。2008年デビュー。
- トモとスザンヌ…庄司智春(品川庄司)、スザンヌ
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- 部長と部下…牧原俊幸(フジテレビアナウンサー)、中村仁美(フジテレビアナウンサー)
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- 南明奈のスーパーマイルドセブン…南明奈、崎本大海、波田陽区、FUJIWARA(藤本敏史、原西孝幸)、小島よしお、クリス松村
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- 里田まい with 合田家族…里田まい(カントリー娘。)、misono、藤本敏史 (FUJIWARA)、神戸蘭子
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- フレンズ…つるの剛士、崎本大海
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- スベラーズ…岡田圭右(ますだおかだ)、小島よしお、波田陽区
- カシアス島田名義で。2009年デビュー。
- 矢口真里とストローハット…矢口真里、品川祐(品川庄司)、大沢あかね、さとう里香、岡田圭右(ますだおかだ)、元木大介、クリス松村、原西孝幸(FUJIWARA)、山根良顕(アンガールズ)
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- サーターアンダギー…山田親太朗、森公平、松岡卓弥
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- まいける&はなか…まいける、附田花香
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- 品川祐とスベラーズ…品川祐(品川庄司)、岡田圭右(ますだおかだ)、小島よしお、波田陽区
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- エアヴィジュアバンド…庄司智春(品川庄司)、アンガールズ、RYOEI、波田陽区
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- スザンヌ×スザンぬ…スザンヌ、榊原徹士(声は、大沢あかねが担当)
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
- ツバサ…つるの剛士、里田まい、misono、RYOEI
- カシアス島田名義で。2010年デビュー。
脚注
関連項目
外部リンク
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期間 | 男性 | 女性 | |||||||||||||||||
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1989.4 - 1990.3 | 島田紳助 小西克哉 |
磯部典子 | |||||||||||||||||
1990.4 - 1993.3 | 島田紳助 | 畑恵 | |||||||||||||||||
1993.4 - 1995.3 | 勝恵子 | ||||||||||||||||||
1995.4 - 2001.12 | 宮田佳代子 | ||||||||||||||||||
2002.1 - 2002.6 | 中井亜希 | ||||||||||||||||||
2002.7 - 2004.3 | 宮田佳代子 | ||||||||||||||||||
2004.4 - 2006.9 | うじきつよし | ||||||||||||||||||
2006.10 - 2007.9 | 寺崎貴司 | 赤江珠緒 | |||||||||||||||||
2007.10 - 2010.3 | 小川彩佳 |