若林正恭
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若林 正恭 | |
---|---|
本名 | 同じ |
生年月日 | 1978年9月20日(46歳) |
出身地 | 日本 東京都中央区 |
血液型 | O |
身長 | 169cm |
言語 | 日本語 |
方言 | 共通語 |
最終学歴 | 東洋大学第二部 |
出身 | 現事務所直入 |
コンビ名 |
オードリー (旧コンビ名:「ナイスミドル」) |
相方 | 春日俊彰 |
芸風 | 漫才(ツッコミ)※ナイスミドル時代はボケ |
立ち位置 | 左 |
事務所 | ケイダッシュステージ |
活動時期 | 2000年-現在 |
同期 |
U字工事 NON STYLE ダイアン など |
現在の代表番組 |
スクール革命! オードリーのシャンプーおじさん オードリーのオールナイトニッポン など |
過去の代表番組 |
キャンパスナイトフジ 潜在異色など |
配偶者 | 未婚 |
公式サイト | 公式ブログ |
受賞歴 | |
『ダイナマイト関西 2010 first』優勝 |
若林 正恭(わかばやし まさやす、1978年9月20日 - )は、日本のお笑い芸人。所属事務所はケイダッシュステージ。東京都中央区出身。 お笑いコンビオードリーのツッコミ担当(当初はボケだった)。相方は春日俊彰。
身長169cm、体重65kg。 血液型はO型。兄弟姉妹は姉が一人いる。
略歴
東京都中央区立明石小学校、日本大学第二中学校・高等学校、東洋大学第二部[1]卒業後に春日俊彰と「ナイスミドル」を結成。
2008年2月、『R-1ぐらんぷり』2008準決勝進出。ネタの内容は野球のスイングを山手線で説明するというもの。
2009年8月、『ドリームマッチ09 真夏の若手芸人祭り!!』 で石田明(NON STYLE)と組んで優勝。
2010年2月、『言語遊戯王6』優勝。 キャッチフレーズは「日本一アクティブなひきこもり」[2]。
2010年3月、『IPPONグランプリ09-10春の陣』、準優勝。
2010年5月、『ダイナマイト関西2010 first』優勝[3]。
人物
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芸人
立ち位置はカメラから向かって左側。
漫才を披露する際には必ずスーツ姿で出るが、ネクタイを結ぶのが非常に苦手である。一日に何度も同じネクタイで舞台に上がることを嫌っており、いつも複数のネクタイを持参している。
芸は多才であり、藤岡弘、、窪塚洋介、立川談志、長州小力、矢沢永吉、郷ひろみ、IKKOなどの物真似をすることができる。2008年のR-1ぐらんぷりでは、野球のスイングを山手線で説明するというピン芸で準決勝にまで進出した。
お笑いをやりたいと父に告白したところ大反対され2007年に勘当されたが、2009年正月には実家に帰り、父とも打ち解けた。
GyaOジョッキー『そらを見なきゃ困るよ!』から、若林のツッコミは的確だと評判であった。また、当時から大喜利でも力を発揮していた。
2007年初頭、「ラ・ママ新人コント大会」のネタ見せで渡辺正行からは「頑張ればM-1の準決勝に行けるレベルだよ」とネタを褒められ、それから毎月ネタ見せに呼んで貰えるようになった。もしここで認められなかったら芸人を辞めていたという。また、若林はその際、帰りの原付を運転しながら泣き、ヘルメットの内側が曇ったという。『行列のできる法律相談所』では恩人である渡辺正行が登場し、改めて当時のエピソードを披露した。
お笑い芸人であることに誇りを持ち、生まれ変わってもお笑いをやりたいと思っている程である。
新宿区にある「ショーパブ・キサラ」を自らのホームと位置づけるほど、重要視している。最近では地上波の番組出演が増えてきているため出番が少なくなりつつあるが、鍛錬のために月5日は出たいと思っている。
圧倒的なキャラクターを持つ春日俊彰を相方に持つため、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』においては、「じゃない方芸人」として出演し、自身の目立たないエピソードを披露した。 また、同じく『アメトーーク!』において、「人見知り芸人」をプレゼンし採用され、さまざまなエピソードを披露した。
クイズや勉強は少々苦手である。パブリックイメージでインテリに思われることもあるが、実は春日の方が勉強の成績や学力が高く、『オレたち!クイズMAN』などのクイズ番組や、『ネプリーグ』内で、しばしば自分はポンコツだとで話している。
また、一緒に仕事をさせて貰っている先輩は、全て他事務所であるにも関わらず優しく接してくれるが、一人だけ、キャイ~ンの天野ひろゆきが、若林のクイズの出来を憂いて、本気で叱ってくれたという。「『キャイ~ン』というコンビとしては、ウド鈴木の芸風を考慮し、天野自身は『ツッコミ』であるという自覚から、常にウドを上回る知識や学力を得ようと努力している。なぜならば、ツッコミはボケを『是正する』役割であるため(またお互いの相方の共通項として、いわゆる"モンスター"である、という点も加味して)、ツッコミに説得力がなくなってしまう。だから勉強するという努力も怠らないことが大切だ」という趣旨のアドバイスを受けたという[4]。
なお、天野は、『高須光聖の御影流』にゲスト出演した際、高須の「今若手で一番ツッコミがうまい関東芸人は?」との問いに、「若林ですね」と即答しているが、その後に「クイズがバカなんですよね…」と上記同様のコメントをしながら惜しんでいた[5]。
だが一方、大喜利は得意であり、『IPPONグランプリ』、『ダイナマイト関西2010 first』、『言語遊戯王』等では好成績を残している。
ライバルとして、ナイツ・土屋伸之の名を挙げている(当然、お互いが売れない頃からの交友関係があり、また当時、『キャンパスナイトフジ』で共演していた、という事を加味しての人選である)。理由として、「ガヤが高度である」「同じ"じゃない方"芸人として負けたくない」などと述べた(『ロンドンハーツ』などで発言)。また、当時共演していた『キャンパスナイトフジ』のMCでもあるケンドーコバヤシも、若林・土屋両者のガヤは面白い、と評価している(同じく『ロンドンハーツ』にて)。
交友関係
自他共に認めるマシンガンズのファンであり、滝沢秀一とは親交がある。 また、U字工事の二人とは、マシンガンズとともに、オーディションを受けている時期から親交がある。
他に親交のある芸人仲間は、佐藤満春(どきどきキャンプ)、浜谷健司(ハマカーン)、くじら、HEY!たくちゃん、ちゅうえい(流れ星)、塙宣之(ナイツ)、ガンバレイ・シウバ(ダブルネーム・城 且智)、川島章良(はんにゃ)、石田明(NON STYLE)。
親しい先輩芸人は原口あきまさ、前田健、大輪教授、TAIGA、はなわ、じゅんご。
いきものがかりの水野良樹がオードリー、特に若林のファンであり、Music Loversで共演した際、メールアドレスを交換した。
また、『いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン』にオードリーとしてゲスト出演した際、「水野さんとは、一度飲みに行ったら絶対に生涯の親友になれる自信がある」と、改めて仲良くなりたいとコメントした。
趣味・嗜好
趣味は散歩、ランニング、バッティングセンター通い、裁判傍聴、人間観察、映画鑑賞、書籍の帯収集、サービスエリア巡り。
村上龍の熱烈なファンである。『 カンブリア宮殿』にて、「僕らオードリーのこと、知っていますか?」とおそるおそる尋ねると、村上は、「だって知りたくなくてもTVを付けたらいつも出ているんだもん」と返し、その言葉に大感激した旨をラジオにて紹介した。QuickJapan 87号で初めて、小規模ではあるが『ぜんぶウソ』のプロモーションのため、オードリーが取り上げられた際にも、同様の紹介をされた。
「迷い吹き飛ばすパワー」と題して、売れるまで新幹線代すら稼げず、会いたくても会えなかった、売れない頃からの"恩人"と崇めている、岡本太郎の作品・太陽の塔を、大阪での仕事の際、宿泊先を抜け出して初めて見に行ったエピソードを紹介したコラムが、読売新聞にて掲載された。
若林は「オードリーの95%は太郎さん」とコメントしている。
そして「若林はいまも太郎の本を開く。『気を抜くと、臆病者の自分に戻ってしまう。だから太郎さんが必要なんです』」という本人の言葉を引用し、記事は締めくくられている。[7]
音楽では、チャットモンチー、アナログフィッシュ、エレファントカシマシ等の大ファンである。
売れていない頃には、新譜も買えず、レンタルや動画サイトで賄って涙を飲み、チャットモンチーが日比谷野音でライヴを行った際は日比谷公園まで行って耳をすませたりしていた(日比谷野音は音は良くないが大音量なので外には余裕で聞こえる)。
また、アナログフィッシュの「夕暮れ」のPVを一日中動画サイトにて、オートリピートで鑑賞していたりしていた。
最近、念願叶ってチャットモンチーのライヴに行けたが、同行者が「楽屋に挨拶を…」とのくだりで、チャットモンチーが「好きすぎる」ため、一瞬人見知りが「発動」してしまうが、同行者のうながしや、何よりチャットモンチーのメンバーが喜んでくれたことも幸いして、無事に挨拶して一緒に写真を撮ることが出来た喜びをラジオで熱く語っていた。
また、グランジ・オルタナティヴ・ムーヴメントの頃には、カート・コバーンの影響を受け、ボロボロのネルシャツにダメージデニム、そしてVANSのスニーカー、そして眼鏡でキメるのがお気に入りだった。だが、カートのように長髪にもしようと思ったが、くせ毛のため、みうらじゅんのようになってしまい断念したという[8]。
少年時代
幼少時代はよく過呼吸の発作を起こしていた。先天性の心房中隔欠損を患っていた為[9]。
幼稚園、小学校時代の愛称は「まーくん」「わか」「わかば」「はやし」「はーや」と多数あり、時期にもよって様々だったが、「まーくん」と呼ばれることが最も多かった。中学・高校時代の愛称は「ジャリ」。理由は担任の教師が大阪出身で大阪弁で「子供」「小さい」などの意味を示す事から。中学・高校の6年間はずっと、教師も先輩も同期も皆、本名を忘れてしまうほど、定着していたという[10]。
少年野球チームや剣道チームにも所属し活動していたが、5年生になる前に家の事情で杉並区へと引越すことになったため、練習に通うことが不可能となり退団を余儀なくされた。
少年野球チームを退団する前まで将来は、プロ野球選手になって女性アナウンサーと結婚するという夢を想い描いていた。その後、野球からアメフトやラグビーに興味を持つようになった。
小学生の時からお笑い芸人を目指していて、小学生の頃の夢は「お笑い芸人かプロ野球選手」、中学の卒業文集「立つんだジャリ」に書いた将来の夢は、「日本一の漫才師になる」だった[11]。
前出の通り杉並区に引越してからも転校はせず、小学校卒業までの2年間、電車で築地~杉並区間を通学していた。だが塾は変えざるをえなかったので、その時期から人見知りを覚えるようになった。
その他
また、学生時代から芸人を志しており、授業中の合間もネタを書いていたため、成績はあまり良くなかったと発言している。高校卒業後は進学するつもりはなく、春日と共にお笑いの養成所に入ろうと思っていたが、春日が「大学に行きたい」と言ったため、本人も慌てて大学に進学した。大学生時代は毎日スケボーとナンパ三昧だった。その頃からの友人曰く、「お笑いにも、ナンパにも真面目。ただし繁華街や渋谷方面ではなく、いつも国分寺や立川のロータリー」。『スクール革命!』の内村先生曰く、「荻窪から都心には行かないんだね。」(『おしゃれイズム』、『スクール革命!』などにて)。
中高一貫校だったこともあり、仲の良い友人や部活の仲間に囲まれていたため、周りの友人に変化がなく、人見知りを覚えることはなかったが、大学に入ってから、環境の変化に馴染めず、人見知りも昂じて、大学ではほぼ一言も話すことが出来ず、サークル活動などにも積極的に参加できなかったという[12]。
マネージャーが記述していたブログによると、天然な部分も持ち、服は脱ぎっぱなしで楽屋にてんてんと落としていったり、思い出し笑いを30分間一人でしていたりしている事がで明らかになっている[13]。
いわゆるオンチであり、『めちゃ²イケてるッ!』の「歌がへたな王座決定戦」では毎回音程を外した歌声を披露している。
以前は喫煙者であったが、2006年頃から禁煙している。禁煙し始めてから太りやすくなり、常に体型を気にしている。
また、三十路を迎える前から加齢臭を気にしているとネタにしている。
痔持ちのため、TOTOの携帯ウォシュレットを携帯している[14]。
幼少期に犬に噛まれたことがトラウマになっており、動物や猛獣に触るのが苦手。動物番組のロケではビビる若林を弄るのが定番となっている。
2004年に失恋をしたのが原因で過呼吸に陥ったことがある[15]。携帯で春日に助けを求めた所、春日は話の内容から過呼吸とすぐ分かり、更にビニール袋に口を当てて呼吸するという対処法を聞いて治まった。春日がこの対処法を知っていた理由は、医療を題材にした漫画「スーパードクターK」を読んで覚えていたからであった[16]。
好きな女性のタイプは「バンドエイドを常に持っているような子」、「白いブラウスにパステルカラーのカーディガンが似合う子」「セントフォース系」。
ライブが終わった後にファンから本気の告白をされたことが5回あるが、本人は「普通は芸能人に告白しようとは思わない。同級生に告白するような感覚、つまり自分はタレント扱いされていない。」と分析している[17]。
『侍チュート!』で、ロシアンパブにはまり、お気に入りのホステスに花札を教え込んでいたことを、春日に暴露された[18]。
関口宏の東京フレンドパークIIに出演時、賞品として三菱・パジェロを獲得した。
相方の春日俊彰は、若林の性格を(その日のゲスト、スザンヌが『インサイド・ビューティー』であると春日が形容し、それと対極的に)『インサイド・クズ』と形容している[19]。
そして、自身の内面を洞察した上で、『性根が腐っている』ということを"自覚"し、公言している。
またしばしば、さまざまな番組において、占い師の島田秀平(元漫才師・号泣)には「人前に立つ仕事をしているのが奇跡的なぐらい、ガラスのハートの持ち主。一見、春日が破天荒、若林が常識人というイメージだが、実際は正反対で、春日が常識人、若林が破天荒。」と言われ、『キャくれ家』(朝日放送)では、天野ひろゆきに、「お前の願望を具現化したのが春日だろ」また、「春日は若林のスタンド」とまで言わしめた[20]。
ちなみに島田とオードリーは、お互い島田がまだ号泣の頃から親交がある。
出演
若林単独での主な出演
バラエティ
- とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ系列、2004年6月10日・2008年3月27日)[* 1]
- Hi! Hey! Say!(テレビ東京系列、2008年4月5日)
- 雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(テレビ朝日系列、2009年4月9日・11月19日・2010年4月1日・15日・22日)「じゃない方芸人」「人見知り芸人」「立ちトーーク5」
- 人志松本の○○な話(フジテレビ系列、2009年4月14日・18日・6月16日・8月25日・9月1日・2010年2月2日・9日)
- 人志松本のすべらない話ザ・ゴールデン(フジテレビ系列、2009年6月27日)
- ざっくりマンデー!!(TBS系列、2009年7月20日・9月28日)
- めちゃ²イケてるッ!(フジテレビ系列、2009年9月12日)
- ホリさまぁ〜ず(TBS系列、2009年12月15日)
- IPPONグランプリ〜開幕戦〜(フジテレビ系列、2009年12月28日)
- IPPONグランプリ〜春の陣〜(フジテレビ系列、2010年3月30日・準優勝)
- 学生才能発掘バラエティ 学生HEROES!(テレビ朝日、2010年4月7日・以降は春日のみ)
ラジオ
- オードリー若林はフリートーカーキング
- オードリー若林のフリートーカーJ
- ナインティナインのオールナイトニッポン(ニッポン放送、2009年6月4日)[* 2]
- オードリーのオールナイトニッポン
テレビドラマ
脚注
出典
- ^ 学部非公表(「社会学部ではない」とだけ発言している。)
- ^ 優勝は若林!雪の東京で白熱のZepp「言語遊戯王」開催
- ^ 優勝は若林!「ダイナマイト関西2010 first」レポート
- ^ 2010年6月7日『お笑いさぁ〜ん』より
- ^ 『高須光聖の御影流』TOKYO FMより
- ^ TVでは、『未来創造堂』や『ざっくりマンデー!!』等でも熱く語っている
- ^ 2010年1月14日 読売新聞より
- ^ オードリーのオールナイトニッポン
- ^ 『絆』より
- ^ 2009年3月13日放送「さんま&くりぃむの第2回芸能界(秘)個人情報グランプリ」より
- ^ 『絆』、『スクール革命!』より
- ^ 『いきものがかり吉岡聖恵のオールナイトニッポン』にゲスト出演した際などにて
- ^ DVD発売における販促の一環としてマネージャーが記述していたブログより
- ^ 2009年7月16日放送『ダウンタウンDX』より
- ^ 2008年12月12日放送「恋するハニカミ!」より。また、「FUJIWARAのありがたいと思えッ!」でこの記事が再現ドラマをつけて紹介されたことがある。
- ^ 2009年12月9日放送「ザ!世界仰天ニュース」より
- ^ 2009年3月30日放送『レコメン!』の「ハッキリ言います!オードリーの若林さんは地味だと思います!SP」より
- ^ この話は既に2009年12月29日放送『アドレな!ガレッジ復活SP』において本人から詳細が語られている
- ^ 2010年3月16日放送『オードリーのシャンプーおじさん』(文化放送)より
- ^ 2010年5月15日『キャくれ家』(朝日放送)より
- ^ リレー式ケータイ小説、ドラマ「LOVE17」にM-1ファイナリスト・オードリー若林が出演!!