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|ドラフト順位 = 大学生・社会人ドラフト4巡目
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交流戦の優勝をかけた1戦でリリーフ登板したが、かつて同僚であり、同期入団でもあった福田秀平に満塁ホームランを打たれたことにより引退を決意


== プレースタイル ==
== プレースタイル ==

2019年9月4日 (水) 11:08時点における版

森福 允彦
読売ジャイアンツ #13
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県豊橋市
生年月日 (1986-07-29) 1986年7月29日(38歳)
身長
体重
172[1] cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト4巡目
初出場 2007年3月31日
年俸 8,400万円(2019年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2013年

森福 允彦(もりふく まさひこ、1986年7月29日 - )は、愛知県豊橋市出身のプロ野球選手投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。

経歴

プロ入り前

豊橋市立栄小学校1年生時に花田フレンズで軟式野球を始めた。小学校6年生時に豊橋選抜の投手として全国制覇。中学校では豊橋スカイラークスで硬式野球を始めた[3]

豊川高等学校進学後は高校2年、3年ともに夏の愛知大会で2年連続準優勝。高校2年時には56イニング自責点ゼロの記録を樹立[4]。これは工藤公康の愛知大会記録を更新するもので[4]、当時は「三河のドクターK」として話題になった。準決勝では山内壮馬長谷部康平を擁する杜若高校にも完封勝利した。しかし決勝では堂上剛裕丸山貴史を擁する愛工大名電高校に0-3で敗れた。

2005年シダックスに入社し、3月に行なわれた東京スポニチ大会で好投して新人賞を受賞、武田勝と並んでシダックスの主力投手の1人となり、第76回都市対抗野球大会第32回社会人野球日本選手権大会出場の原動力となる。

2006年は、都市対抗野球東京2次予選では明治安田生命を相手に打ち込まれて予選敗退を喫し、JR東日本の補強選手として第77回都市対抗野球大会に出場。堀井哲也監督の指導の下でクローザーを務め、JR東日本のベスト4進出に貢献した。その後シダックスの廃部が決まり、日本選手権関東2次予選では東芝を相手に先発したものの集中打を浴びて敗戦。シダックスはこの試合の敗戦をもって活動を停止したため、シダックス最後の試合で先発した投手となった。シダックスの廃部に伴う特例で高卒2年目ながらドラフト対象選手となり、ドラフト指名されなければJR東日本への移籍が決まっていたが、2006年大学生・社会人ドラフト福岡ソフトバンクホークスに4巡目指名を受けて入団。

ソフトバンク時代

2007年3月31日に一軍昇格し、同日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の9回6点リードの場面からプロ初登板。塀内久雄橋本将を連続三振で抑え、青野毅に二塁打、早川大輔に四球を与えたものの西岡剛を三振に打ち取り無失点でのデビューだった。4月10日の対ロッテ戦、本拠地福岡 Yahoo! JAPANドームデビューの試合も9回12点リードから1回を無失点、4月11日北九州市民球場で行われた対ロッテ戦では9回4点ビハインド二死満塁からマット・ワトソンをファーストゴロに打ち取る。以降4月12日の対ロッテ戦から3点差以内のビハインドで3試合連続で好投、この6試合を無失点とした。4月21日対北海道日本ハムファイターズ戦で6回1点リードから初めてのホールド機会で登板、稲葉篤紀に死球を与えると、バントした小田智之をキャッチャーフライに打ち取る。ここで捕手が田上秀則から山崎勝己に変更され、右打者の小谷野栄一にヒットを打たれ一死一二塁で降板、しかし代わった佐藤誠鶴岡慎也に同点タイムリーを打たれ、ホールドとはならなかった。その後登板機会が無く、5月3日に二軍での再調整を言い渡された。7月11日に再昇格したが、出番無く7月28日に降格となった。一軍では7試合登板で佐藤によって付けられた自責1のみ、防御率1.50でシーズンを終えた。

2008年、開幕を一軍で迎え、3月29日から3点差以上の場面で6試合登板したものの与四球、被安打ともにかさみ、5月2日に再調整で二軍降格となった。ウエスタン・リーグでは5月14日の対中日ドラゴンズ戦を境に約2ヶ月間の公式戦欠場が続き、7月15日の対中日戦で実戦復帰。一軍には昇格することなくシーズンを終え、二軍でもわずか12試合の登板、防御率5.40だった。秋季キャンプから本格的にサイドスローに転身するため投球フォーム改造に取り組んだ。

2009年、4月21日に一軍へ昇格し、同日東京ドームで行われた対日本ハム戦で6回2点リードから登板し、3者連続三振でプロ入り初ホールドを記録した。2試合連続で走者ありからの勝ち継投で登板したものの四球絡みの途中降板を続けて5月1日に二軍へ降格。7月18日に一軍へ戻り、7月30日の対オリックス・バファローズ戦で福岡 Yahoo! JAPANドーム初のホールドを記録。8月3日の対ロッテ戦では3回3点ビハインド一死から7回一死まで自己最長の4イニングを投げ、無失点に抑えた。しかし、その後3試合連続で失点し再び二軍へ落ちた。9月25日に再昇格を果たすと主に大差でのワンポイントリリーフとして4試合投げてレギュラーシーズンを終えた。
クライマックスシリーズ第1ステージでは大差ビハインドで2試合登板し1回1/3を投げ無失点だった。

2010年、開幕を一軍で迎えたが、3月28日から3試合連続で失点し二軍へ降格、5月26日に昇格するも登板無く降格、6月18日に2度目の昇格を果たすと大差ビハインドながら6試合無失点と好投し、以降負け試合の中継ぎに定着。8月26日の対オリックス戦で11回同点から登板し、5者連続三振の2回3者凡退無失点に抑えて引き分けに持ち込んだ。この試合を境に重要な場面での登板が増加する。翌日8月27日対ロッテ戦では先発山田大樹の後を受け、5回一死満塁の場面で登板、3番井口資仁を空振り三振、4番金泰均を初球セカンドゴロに打ち取り、6回も無失点に抑え、プロ入り初勝利を挙げた[5]。8月15日から30日までに登板した6試合、11回2/3を投げた際のWHIPは0.343という数字を残している[6]。9月2日の対日本ハム戦で4回同点から登板、大野奨太に出会い頭のソロ本塁打を打たれ、2回を1失点に抑えたが味方の援護がなくプロ入り初黒星となった。9月7日から3試合連続のホールドを記録、9月19日から2連勝など、 甲藤啓介と共に攝津正ブライアン・ファルケンボーグ馬原孝浩からなるSBMに次ぐ存在となり、リーグ優勝に貢献した。3勝は全て先発の早期降板後に1回1/3以上を投げて無失点に抑えて得たものである。
クライマックスシリーズファイナルステージでは10月16日第3戦で6回1点リード2死1/2塁から1イニング無失点でポストシーズン初ホールドを記録。10月18日第5戦は8回4点ビハインドから登板し、9回二死二塁から清田育宏にツーランホームランを浴びてしまいチームは敗れた。4試合で4回を投げ防御率4.50だった。

2011年、開幕戦から勝ちパターンで登板、4月17日にアレックス・カブレラの捕球エラーにより味方の走者を1人返したが、6月1日まで17試合連続無失点。その間の5月1日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で9回5点リード2死満塁から伊志嶺翔大をショートゴロに打ち取りプロ入り初セーブを記録した。同時にパシフィック・リーグ26人目となる1球セーブも達成した[7]。6月8日の対読売ジャイアンツ戦で6回2点リード一死一塁から2者を抑えた7回に小笠原道大へ同年初の自責となるソロ本塁打を打たれるが、後続を打ち取り4試合連続ホールドを記録。7月29日から再び4試合連続ホールド、8月16日から5試合連続ホールドを記録。7月19日から9月13日は前任の走者を1人返したものの20試合連続無失点を記録した。先発に転向した攝津、不調の馬原、故障の甲藤や藤岡好明などリリーフ陣が続々と離脱する中、彼らの穴を埋めるべくセットアッパーに定着し、チーム最多の60試合に登板してチームのパシフィック・リーグ連覇に貢献した。4つの救援勝利は全て同点から無失点に抑え、味方の援護により得たものである。
クライマックスシリーズファイナルステージでは11月4日第2戦で8回1点リードで登板し1回を無失点に抑えてホールドを記録、11月5日第3戦では10回1点日ビハインド二死満塁から星孝典をサードフライに打ち取り、援護により同点となった11回は3者凡退に抑えて後続へ繋ぎ、CS突破を決定付ける長谷川勇也のサヨナラ打を呼んだ。
日本シリーズでは11月15日の第3戦で2点リード二死から1人抑えてホールド、11月16日第4戦では6回1点リード無死満塁から登板、小池正晃を空振り三振、平田良介をレフトフライ、谷繁元信をショートゴロに抑え、7回までの6者連続の凡退とし、連日のホールドで勝利に導いた。これは後に森福の11球と言われた[8][9]。11月20日第7戦は9回3点リード無死一塁から森野将彦トニ・ブランコの2者を打ち取り、攝津へ繋いでチームの日本一に貢献した。5試合に登板し打者16人に投げ無失点に抑え、出塁を許したのは第5戦で三塁ベースに打球が直撃して内野安打となった荒木雅博のみだった。アジアシリーズでは11月25日の対統一セブンイレブン・ライオンズ戦で9回4点リード二死一二塁から登板し、陳ユン基にタイムリーを浴び、細川亨守備側の無関心により二三塁とすると、潘武雄の三塁打により1点差に詰め寄られて降板となった。11月26日の対サムスン・ライオンズ戦では8回9点リードから登板し、クリーンナップ朴錫珉崔炯宇、康奉珪を3者凡退に抑えた。
また、この年はオールスターゲームの中継ぎ投手部門でファン投票1位で選出され[10]、7月22日にナゴヤドームで行われた第1戦で7回4点ビハインドから4番手でプロ初の出場、ウラディミール・バレンティン坂本勇人から三振を奪うなど1回を無失点に抑えた[11]。7月24日にクリネックススタジアム宮城で行われた第3戦では7回5点リードから3者凡退に抑えた[12]

2012年、開幕から8回を担当し、16試合連続無失点のスタートを切った。クローザーを務めていたファルケンボーグには故障歴があり、3連投を避けるため連投翌日のセーブ機会には森福が代理で登板していたが、5月18日にファルケンボーグが右肩の張りを訴えて登録抹消されたことでクローザーを任される事になった。6月10日からは5試合連続のセーブを記録した。8月8日の対日本ハム戦では9回同点から登板し、四球を2つ与えて2死1/2塁とした所で代打の杉谷拳士に二塁打を打たれシーズン3度目のサヨナラ負けを喫した。8月12日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で9回2点リードから登板し、松井稼頭央に三塁打、牧田明久に二塁打と連打で1失点、二死一三塁とした所で聖澤諒に同点タイムリーヒットを打たれ初のセーブ失敗、9回裏には味方の援護が無く規定により引き分けとなった。これを機に4月から1失点自責0と好調を維持していた岡島秀樹がクローザーとなった。9月7日からリーグ戦終了までの14試合は点を与える試合もありながらも自責0で終えた。前年を上回るキャリアハイの65試合(チーム最多)に登板し、2勝5敗17セーブ24ホールド、防御率1.39を記録した。また、前年に引き続きオールスターゲームに出場、7月20日に京セラドーム大阪で行われた第1戦に5番手で登板し1回を無失点に抑えた[13]
クライマックスシリーズファーストステージは10月13日第1戦で9回2点リード無死満塁から登板、クリス・カーターのショートゴロ間に1人生還させたものの続く2者を抑えて、自身初のポストシーズンでのセーブを挙げた。10月15日第3戦では8回2点リードから1回を無失点に抑えてホールドを挙げファーストステージ突破に貢献した。ファイナルステージでは10月17日第1戦に7回同点1死1塁から二岡に決勝打となる勝ち越しタイムリーを打たれ、10月18日第2戦でも7回1点ビハインド一死二塁から糸井嘉男にダメ押し2ランホームランを浴びるなど要所で打たれチームのCS敗退の要因を作ってしまった。
オフのオフの11月6日に、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表が発表され[14]代表入りした[15]。第2戦に出場、6回同点から登板し、アレクセイ・ベルに安打を許したが、クリーンナップのユリエスキ・グリエルアルフレド・デスパイネフレデリク・セペダを凡退に打ち取り1回を投げ無失点だった[16]。12月27日の契約更改交渉では5000万円アップとなる年俸1億2000万円でサインした[17]
また、12月4日に、第3回WBC日本代表候補選手34人が発表され候補入りした[18]

ソフトバンク時代
(2013年9月1日 福岡ヤフオク!ドームにて)

2013年2月20日に、第3回WBC日本代表選手28人が発表され代表入りした[19][20]。この大会では、WBC第1ラウンドでは3月6日の対キューバ戦で7回3点ビハインドから登板して死球を1つ与えたものの1回を無失点に抑えた。WBC第2ラウンドでは3月12日の対オランダ戦では7回7点リードから登板し、無死2・3塁とするとザンダー・ボガーツのタイムリー内野安打で1失点、ランドルフ・オドゥバーにも犠牲フライを打たれ1回2失点だった[21][22]。3月15日に左肩痛を発症し、同日の強化試合を回避した[23]
レギュラーシーズン開幕には左肩が完治し、3月30日の対楽天戦で9回2点ビハインドから登板し3者凡退に抑えた[24]。4月10日を境に不安定な投球が続き、5月3日の対埼玉西武ライオンズ戦で8回4点リードから登板、2者を打ち取った後に連打と四球で満塁とすると浅村栄斗にスライダーを左翼席に運ばれ、同点満塁本塁打(プロ入り初)を浴びた。大隣憲司の急な腰の張りにより[25]、5月6日の千葉ロッテ戦で自身通算200試合目の節目で7年目にしてプロ初の先発を経験したが、2回に捕まり二死満塁から根元俊一のタイムリー内野安打で先制され、56球を投げ2回1失点で降板、敗戦投手となった[26][27]。その後は点差に関係ないワンポイントリリーフとなるが、6月2日、6月8日と連続で先頭打者に安打を許すなど役目を全うできず6月10日に二軍へ降格。7月3日に一軍へ戻ると7月10日から8月22日まで間、金子圭輔のタイムリーエラーで前任の走者を返した試合があったものの16試合連続無失点、8月31日からの10試合も無失点と後半戦は立て直した。ホールドは15(チーム2位)と減ったものの、この年は前任者が残した走者を36人背負い(得点圏からの登板は16試合)ながら、生還させたのはわずか3人と要所で相手の勢いを止める役としてチームに貢献した。

2014年、開幕から一度も抹消されること無く一軍で過ごし、5年連続となるWHIP1未満を達成。前年後半と同様「火消し」を中心とした便利屋的起用法で、前任者が残した走者を43人背負い(得点圏からの登板は24試合)、生還させたのは7人だった。5月5日対日本ハム戦では5回同点二死満塁から登板し、西川遥輝からストレートで見逃し三振を奪い、6回も無失点に抑え、長谷川勇也の勝ち越し二塁打を呼んでシーズン1勝目を手にした。8月は8月31日の対楽天戦でサヨナラ負けするなど同点からの登板で3度の救援失敗とやや調子を崩した。9月2日本拠地福岡 ヤフオク!ドームでオリックスを迎えた首位攻防戦では延長11回同点から登板し2イニングを6者連続の凡退に抑え、引き分けに持ち込んだ。9月9日の対日本ハム戦で8回3点ビハインド無死一二塁から敬遠などで満塁とし、大引啓次に走者一掃二塁打、西川遥輝の二塁打で大量5失点でイニング途中に降板という失態はあったものの、9月11日から9月28日までチームが1勝9敗と苦しんだ期間は5試合に登板し全てビハインドからの登板だったが走者を1人も生還させなかった。
クライマックスシリーズファイナルステージは10月15日第1戦に9回1点ビハインド一死から登板し、5番大谷翔平から空振り三振を奪った。10月18日第3戦では6回2点リード二死一二塁から西川遥輝に四球を与えたが、中島卓也は空振り三振に切ってホールドを挙げた。4試合を投げ2ホールド、防御率6.75だった。日本シリーズ阪神甲子園球場で行われた10月25日第1戦で5回5点ビハインド二死二塁から登板したが福留孝介に二塁打を浴び走者を返してしまい、その1試合の登板に終わった。12月26日の契約更改交渉では4年連続の50試合以上の登板が評価され、年俸1億6000万円でサインした[28]

2015年、一軍公式戦で14ホールドを挙げたが、0勝2敗、防御率5.82、対右打者の被打率が.455を記録するなど不振。登板数も32試合にとどまったため、5年連続の50試合登板を逃した。8月17日に出場選手登録を抹消されてからは、一軍から遠ざかる一方で、ウエスタン・リーグの公式戦や三軍戦[29]への調整登板を経験した。9月20日には、ウエスタン・リーグの対阪神戦(守山市民球場)で最後に登板。チームがこの試合の勝利によって同リーグ史上初の4連覇を決めたことから、胴上げ投手になった[30]。一軍も日本シリーズを連覇したものの、森福自身にはポストシーズンでの登板機会がなかった[31]

2016年、 一軍公式戦では2年振りに50試合へ登板。もっぱら対左打者用のワンポイントリリーフとして起用されたため、通算の投球イニングは27回にとどまったものの、7月と8月に4連投、9月に5連投を経験。通算で2勝1敗16ホールド、防御率2.00という成績を残すなど、前年の不振を脱した[32]
レギュラーシーズン中の8月上旬に、国内FA権を初めて取得[32]。ポストシーズン終了後の11月4日には、「ソフトバンクでなければ今の自分はいない」としながらも、「(対左打者用のワンポイントリリーフという)自分の置かれている立場に満足していないので、一番輝ける場所で野球がしたい」という理由で権利の行使を表明した[33]

2016年11月10日付でNPBからフリーエージェント宣言選手として公示される[34]と、翌11日には、巨人が複数年契約を条件に森福への入団交渉を開始[35]。FA宣言選手の残留を認めているソフトバンクも、複数年契約を提示しながら、森福への残留交渉を続けていた[32]。しかし、森福は12月1日に、ソフトバンク球団の幹部に対して巨人へ移籍する意向を表明。巨人への入団が決定した[36]

なお、森福は2016年に、推定年俸1億2,000万円という条件でソフトバンクと1年契約を結んでいた。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がCランク(2016年にソフトバンクへ在籍した日本人選手の上位11位以下)に該当することから、巨人にはソフトバンクに対する補償義務が一切生じない[32]

巨人時代

2016年12月5日に、巨人が森福の入団を正式に発表。森福自身も、DeNAからFA権の行使で移籍した山口俊と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は13

2017年、公式戦を一軍でスタート。セットアッパーとして期待されたが、開幕から7試合に登板して0勝2敗、防御率5.40と散々な結果となった。対右打者の被打率が.389だったのに対して、本来得意であるはずの左打者に対する被打率がそれを上回る.400という不調で、4月24日に出場選手登録を抹消された。5月16日に再び登録されると、5月24日の対阪神戦(甲子園)6回裏2死から登板。1回1/3を無失点に抑える好投で、セントラル・リーグ公式戦初勝利を挙げた[37]。しかし6月1日の楽天戦で1回2/3を投げて敗戦投手になると、それ以降はソフトバンク時代と同様、左打者に対するワンポイント起用に戻され、7月中旬からは登板機会が減少。8月11日に同じ中継ぎ左腕の山口鉄也と入れ替わる形で再び1軍登録を抹消され、以降昇格することはなかった。2軍では安定した投球を続けていたが、ファーム日本選手権では左打者の坂倉将吾に決勝となる勝ち越し3ランホームランを打たれた。結局セットアッパーとして期待されたが、移籍初年度は30試合の登板で6ホールドに終わった。

2018年、開幕は二軍となり、6月13日に初めて一軍に昇格。チームに不足する中継ぎ左腕として期待されたが、昇格初日の古巣ソフトバンク戦で2点ビハインドの9回に登板し、打者3人を4球で打ち取るなどしたが[38]、6月26日の広島戦では鍬原拓也の後2番手で登板も1回でサビエル・バティスタの本塁打を含め4安打3失点で降板[39]、7月2日に2軍落ちとなる[40]と、シーズンオフまで1軍昇格はなく2試合で投球回2回で勝敗セーブホールドのいずれもなく、防御率13.50で終えた[41]

2019年、開幕は二軍で迎え、4月25日に一軍昇格[42][43]

プレースタイル

森福の投球フォーム

高校時代はスライダーのキレとカーブの変化で三振の山を築くスタイルで、プロ入り前はストレートの最速が143kmで遠投は100メートルだった。プロ入り当初はスリークォーターで、オーバースローサイドスローの二刀流になり、2008年の秋季キャンプからフォームを改造し、サイドスロー一本となった[44][9]。2008年10月時点では緩いスライダー、スラーブを投げていた[45]

2010年に、投球開始までの静止時間が長いフォーム、及びサインの交換が終わってから投球モーションに入る際に左手を高く上げる独特の動作を特徴とするサイドスローへ転身。平均球速約134km/h[46]、最速140km序盤の速球と真横に滑るスライダー・シュートを投げ分け、[4]凡打の山を築く投球スタイルとなってから才能が開花した。

リリーフで登板する際、ファウルラインの手前で帽子を取りグラウンドに向かって一礼してからマウンドに上がる。

人物

愛称は山城新伍の「チョメチョメ」を真似したことに由来する「張明[9]

ホークスの背番号19は、シダックスの監督であった野村克也が現役時代に付けていた番号である。野村は当時第一印象として身体も小さい上、球速も速くはないため「しんどい」と思ったそうで、プロから声がかかったときは大変驚いたという。そこで、困ったときに外角高めでストライクを取れるコントロールを磨け、球種はストレートとスライダーしかなかったためシュートを身につけろと教えたという[47]

プロ入り前に目標としていた投手は、身長160センチ台後半で当時5年連続2桁勝利を継続していた石川雅規と、シダックスの先輩であり、チームを日本一に導くために「チームのために身を削った」武田勝の2人である[48]

ファンサービスを大切にしており、2012年2月のバレンタインデーでチームトップの200個のチョコレートを貰うなど人気がある[49]

2012年には、オールスターゲーム出場の際に将来的なメジャー挑戦志向もあることを明らかにした[50]

プロレスラーの吉野正人と親交がある[51][52]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2007 ソフトバンク 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 24 6.0 3 0 1 0 2 7 0 0 1 1 1.50 0.67
2008 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 33 6.2 9 0 6 0 0 3 1 0 5 5 6.75 2.25
2009 13 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 49 11.0 12 1 3 0 1 11 0 0 7 6 4.91 1.36
2010 36 0 0 0 0 3 1 0 5 .750 188 48.2 34 5 10 1 3 45 0 0 17 14 2.59 0.91
2011 60 0 0 0 0 4 2 1 34 .667 211 55.2 38 3 10 2 1 45 0 0 7 7 1.13 0.86
2012 65 0 0 0 0 2 5 17 24 .286 235 58.1 40 1 17 3 3 55 0 0 12 9 1.39 0.98
2013 57 1 0 0 0 3 2 0 15 .600 207 52.1 37 3 10 3 4 51 0 0 15 15 2.58 0.90
2014 58 0 0 0 0 2 1 0 15 .667 186 47.2 32 2 14 3 3 47 0 0 17 16 3.02 0.97
2015 32 0 0 0 0 0 2 0 14 .000 79 17.0 25 2 3 0 0 16 0 0 11 11 5.82 1.65
2016 50 0 0 0 0 2 1 0 16 .667 105 27.0 23 1 2 0 3 23 0 0 7 6 2.00 0.93
2017 巨人 30 0 0 0 0 1 3 0 6 .250 87 20.2 23 3 7 0 0 18 0 0 8 7 3.05 1.45
2018 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.0 4 1 0 0 0 0 0 0 3 3 13.50 2.00
NPB:12年 416 1 0 0 0 17 17 18 131 .500 1414 353.0 280 22 83 12 20 321 1 0 110 100 2.55 1.03
  • 2018年度シーズン終了時

表彰

記録

初記録
  • 初登板:2007年3月31日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、9回裏に塀内久雄から空振り三振
  • 初ホールド:2009年4月21日、対北海道日本ハムファイターズ4回戦(東京ドーム)、6回裏に3番手で救援登板、1回無失点
  • 初勝利:2010年8月27日、対千葉ロッテマリーンズ18回戦(福岡Yahoo!JAPANドーム)、5回表1死に2番手で救援登板、1回2/3を無失点
  • 初セーブ:2011年5月1日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
  • 初先発:2013年5月6日、対千葉ロッテマリーンズ9回戦(福岡 ヤフオク!ドーム)、2回1失点で敗戦投手
その他記録
  • 1球セーブ:2011年5月1日、対千葉ロッテマリーンズ5回戦(QVCマリンフィールド)、9回裏に伊志嶺翔大を遊撃ゴロ ※パ・リーグ史上26人目(28度目)
  • オールスターゲーム出場:2回 (2011年、2012年)

背番号

  • 19 (2007年 - 2016年)
  • 13 (2017年 - )
    • 21WBC2013)※正式メンバー34人

登場曲

  • 国道二号線ガガガSP(2007年 - 2009年秋頃)
  • ソウルメイト』華月祥(2009年秋頃 - 2010年夏頃)
  • 『Try again』ビーグルクルー(2010年夏頃 - 2013年)この『Try again』のシングルCDジャケットには、森福の写真が使用されている。
  • 『STAND UP』ビーグルクルー(2014年 - )

代表歴

脚注

  1. ^ 森福 允彦(読売ジャイアンツ) | 個人年度別成績 | NPB.jp 日本野球機構” (2019年6月26日). 2019年6月27日閲覧。
  2. ^ 巨人 - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2018年11月21日閲覧。
  3. ^ 2006年12月8日 日刊スポーツ紙面
  4. ^ a b c 日刊スポーツ紙面 2011年11月17日
  5. ^ “森福がきらりと光る好救援 プロ4年目で初勝利”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月27日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/27/kiji/K20100827Z00001270.html 2013年5月14日閲覧。 
  6. ^ 日刊スポーツ2010年8月31日紙面 「プロ野球メジャー流で見るセイバーメトリクス」
  7. ^ “森福1球で初セーブ!史上7人目の珍事”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2011年5月2日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/02/kiji/K20110502000742490.html 2013年5月14日閲覧。 
  8. ^ ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史、2013年、ベースボール・マガジン社、P106
  9. ^ a b c 【巨人】森福の11球「違う伝説」作る「打者1人では物足りない。タイトル取る」 スポーツ報知 2017年2月14日
  10. ^ マツダオールスターゲーム2011 ファン投票結果
  11. ^ 2011年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第1戦)
  12. ^ 2011年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第3戦)
  13. ^ 2012年度マツダオールスターゲーム 試合結果(第1戦)
  14. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト 2012年11月6日 2015年4月14日閲覧
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  20. ^ 2013 WORLD BASEBALL CLASSIC 日本代表メンバー 日本野球機構 2013年2月20日 2015年4月2日閲覧
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  22. ^ 侍ジャパン、1位で米国へ/WBC詳細 2013年3月12日 日刊スポーツ
  23. ^ 森福左肩痛…登板を回避/WBC 2013年3月17日 日刊スポーツ
  24. ^ ソフトB、森福復肩でゆとりの方程式完成 2013年3月31日 日刊スポーツ
  25. ^ 森福6日プロ初先発!ソフトB駒不足 2013年5月5日 日刊スポーツ
  26. ^ 森福 プロ7年目で初先発も…2回で降板 2013年5月6日スポニチ
  27. ^ 一球速報 | 福岡ソフトバンクホークス
  28. ^ ソフト森福1.6億円「タイトルほしい」 2014年12月26日 日刊スポーツ
  29. ^ 森福「試した」バリオス「100%に近い」 3軍戦に登板し手応えつかむ2015年8月27日 Yahoo!JAPANニュース
  30. ^ <ホークス2軍>史上初V4だ! 胴上げ投手は森福2015年9月20日 Yahoo!JAPANニュース
  31. ^ 悔しさをバネに再起!森福、坂口らチームを支える“復活組”2016年4月21日 BASEBALLKING
  32. ^ a b c d ホークス森福FA決断 巨人が強い関心2016年11月3日 西日本スポーツ
  33. ^ ソフトバンク・森福がFA宣言 「一番輝ける場所で」2016年11月5日 朝日新聞
  34. ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手日本野球機構
  35. ^ 森福、巨人と初交渉=プロ野球・FA 2016年11月11日 時事通信
  36. ^ FA森福、巨人移籍表明「自分の挑戦をしたいと思った」2016年12月1日 スポーツニッポン
  37. ^ “巨人・森福 移籍1勝「緊迫した場面でありがたい」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2017年5月25日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2017/05/25/kiji/20170524s00001173249000c.html 2017年5月25日閲覧。 
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  39. ^ 巨人が三回までに10失点 鍬原&森福が広島打線にめった打ち 2018年6月26日 デイリースポーツ
  40. ^ DeNA浜口、巨人森福ら抹消/2日公示 2018年6月13日 日刊スポーツ
  41. ^ 選手プロフィール 13 森福 允彦読売ジャイアンツ 2018年10月31日閲覧
  42. ^ 【巨人】森福が今季初の1軍昇格、2軍で防御率0・75…吉川光がファームへスポーツ報知(2019年4月25日)
  43. ^ 巨人森福ら登録、中日アルモンテら抹消/25日公示日刊スポーツ(2019年4月25日)
  44. ^ 選手ニュース 森福投手が新フォーム習得の手応えを語る 2008年11月21日配信
  45. ^ 森福投手、フリー打撃に初登板 ニッカンニュース2008年11月20日配信
  46. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、9頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8 
  47. ^ 2006年11月22日 日刊スポーツ紙面
  48. ^ 2006年11月30日 日刊スポーツ紙面
  49. ^ ソフトB森福 チョコ200個チーム1位だ 2012年2月15日 日刊スポーツ
  50. ^ ソフトB森福「将来はメジャー」明かす日刊スポーツ
  51. ^ ドラゲー・吉野 V1でソフトバンク・森福にパワー送る”. 東京スポーツ (2015年7月3日). 2016年2月10日閲覧。
  52. ^ ソフトB・森福 ドラゲー吉野のエールに応えた”. 東京スポーツ (2015年7月13日). 2016年2月10日閲覧。
  53. ^ “【ソフトB】森福がベンツ納車セレモニー”. 日刊スポーツ. (2012年1月25日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20120125-894703.html 2018年10月31日閲覧。 

関連項目

外部リンク

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