クリス・カーター (1982年生の外野手)
ニューヨーク・メッツでの現役時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州フリーモント |
生年月日 | 1982年9月16日(42歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 230 lb =約104.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 2004年 MLBドラフト17巡目(全体506位)でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名 |
初出場 |
MLB / 2008年6月5日 NPB / 2012年6月23日 |
最終出場 |
MLB / 2010年10月3日 NPB / 2013年9月19日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ウィリアム・クリストファー・カーター(William Christopher "Chris" Carter , 1982年9月16日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
経歴
[編集]プロ入りとダイアモンドバックス傘下時代
[編集]2004年のMLBドラフトでアリゾナ・ダイヤモンドバックスから17巡目指名を受け、スタンフォード大学を飛び級で3年で卒業して[1]入団。
レッドソックス時代
[編集]2007年8月21日にトレードでボストン・レッドソックスに移籍。
2008年6月5日のタンパベイ・レイズ戦でジェームズ・シールズに殴りかかって退場となったココ・クリスプの代走でメジャーデビューを果たす。
2009年はメジャーでは4試合の出場に終わるが、傘下のAAA級ポータケットでは116試合の出場で打率.294、16本塁打、OPS.823の成績を残す。
メッツ時代
[編集]2009年10月7日にビリー・ワグナーとのトレードでニューヨーク・メッツに移籍。
2010年は対右投手のスタメンとして自己最多の100試合に出場した。
レイズ時代
[編集]2011年1月6日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結ぶ。6月16日にフリーエージェント(FA)となる。
ブレーブス時代
[編集]2011年6月18日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級グウィネットでは23試合の出場で打率.338、4本塁打、OPS.974の成績を残すがメジャー昇格には至らなかった。
西武時代
[編集]2011年12月21日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表した[2]。
2012年は、オープン戦で膝の故障が悪化し、3月に右膝の手術を行った[1][3]。シーズンでは主に代打として59試合に出場。代打打率.333、代打出塁率.438、得点圏打率.359を記録するなど勝負強さを発揮し、チームの3年連続となるクライマックスシリーズ出場に大きく貢献した。しかし、シーズン終盤に右膝の状態が悪化し、指名打者での出場も困難な状態であったため、10月31日に球団からウェーバー公示されたことが発表された[4]。その後、11月7日に自由契約公示された[5]。西武退団後は現役を引退し、アメリカ国内で就職していたが[6]、日本国内の球団にスカウト打診されて現役復帰[6]。
独立リーグ時代
[編集]2013年は日本国内の独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)に加盟する石川ミリオンスターズ主催のトライアウトへ参加し、2013年4月5日に石川ミリオンスターズへの入団が発表された[7]。メジャー経験者がBCリーグへ入団するのは2012年のフランシス・ベルトラン(群馬)以来2人目。
西武復帰
[編集]2013年6月16日に石川ミリオンスターズと西武ライオンズの間で譲渡に関する合意が成立し、ライオンズに復帰することとなった[8][9]。2012年に付けていた背番号2は金子侑司が2013年から使用しているために、背番号は10となった。しかし、わずか14試合の出場にとどまり、打率.133と結果を残せなかった。10月4日にウェーバー公示にかけられ[10]、10月11日にNPBより自由契約が公示された[11]。
メキシコ時代
[編集]引退後
[編集]2014年12月29日付日刊スポーツによると、アメリカのヘッジファンド会社「ブリッジウォーターアソシエーツ」でプロジェクトマネージャとして働いていた。その後、2018年時点ではジョージア州アトランタのiFOLIO社にて、スポーツ奨学金のサポート業務に従事している[12]。
選手としての特徴
[編集]マイナー通算の四球率9.8パーセントの選球眼とメジャーで15本塁打を期待できる長打力を持ち味とするが左投手を苦手とし、メジャーでは主に対右投手で起用された[13][14]。毎打席打つ方向を決めているという極端な決め打ちをしており、外野守備の名手として知られる岡田幸文からは「ある程度球種とコースで打球を予測できるけど、カーターはできない。気持ち悪い打者」と畏怖されている[15]。
マイナーでは一塁手と左翼手で起用されることが多く、メジャーでは右翼手と左翼手で出場経験があるが、守備には難を抱える[14]。NPB(西武)では右膝手術の影響からか、一軍での試合は全て代打か指名打者として出場し、守備につく事は一度もなかった。なお二軍では2013年には一塁手として出場している[1]。
人物
[編集]スタンフォード大学を飛び級して3年で卒業しており、人間生物学を専攻 (pre-med (学部卒業後の医学大学院志望コース)) していた。医者家系に生まれたが、子供の頃から野球選手を目指していたという[16]。
西武入団後は、都内から本拠地である西武ドームまで電車通勤していた[3]。熱血漢な一面も持ち合わせ、キャプテンである栗山巧が怪我で離脱し、チームも2連敗している中で迎えた8月23日の対ソフトバンク戦の試合前ミーティングで「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない。」と熱弁を奮ってナインを鼓舞し、チームを勝利に導いた[17]。
引退後も西武ファンを公言しており、2018年に西武が優勝マジックを5にまで減らした際には、着ていたYシャツを破り中から自身の2012年度のユニフォームを見せるパフォーマンスと共に激励のコメントを寄せた[12]。また元チームメイトの秋山翔吾がシンシナティ・レッズと契約した際には、twitterにてエールを送った[18]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | BOS | 9 | 20 | 18 | 5 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | .333 | .400 | .333 | .733 |
2009 | 4 | 6 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2010 | NYM | 100 | 180 | 167 | 15 | 44 | 9 | 0 | 4 | 65 | 24 | 1 | 2 | 0 | 0 | 12 | 0 | 1 | 17 | 2 | .263 | .317 | .389 | .706 |
2012 | 西武 | 59 | 138 | 126 | 9 | 37 | 8 | 0 | 4 | 57 | 27 | 0 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | 1 | 22 | 3 | .294 | .348 | .452 | .800 |
2013 | 14 | 34 | 30 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 11 | 2 | .133 | .206 | .133 | .339 | |
MLB:3年 | 113 | 206 | 190 | 20 | 50 | 9 | 0 | 4 | 71 | 28 | 1 | 2 | 0 | 1 | 14 | 0 | 1 | 26 | 2 | .263 | .316 | .374 | .689 | |
NPB:2年 | 73 | 172 | 156 | 9 | 41 | 8 | 0 | 4 | 61 | 30 | 0 | 0 | 0 | 2 | 13 | 0 | 1 | 33 | 5 | .263 | .320 | .391 | .715 |
記録
[編集]- NPB
- 初出場:2012年6月23日、対オリックス・バファローズ6回戦(西武ドーム)、6回裏に星秀和の代打で出場
- 初打席:同上、6回裏に小松聖から三飛
- 初安打・初打点:2012年7月1日、対北海道日本ハムファイターズ11回戦(西武ドーム)、7回裏に宮西尚生から左前適時打
- 初先発出場:2012年7月2日、対福岡ソフトバンクホークス7回戦(東京ドーム)、5番・指名打者で先発出場
- 初本塁打:2012年8月7日、対千葉ロッテマリーンズ13回戦(QVCマリンフィールド)、9回表にカルロス・ロサから左越ソロ
独立リーグでの打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
犠 飛 |
盗 塁 |
失 策 |
併 殺 打 |
残 塁 |
打 率 |
長 打 率 |
出 塁 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 石川 | 29 | 91 | 11 | 31 | 2 | 0 | 3 | 47 | 17 | 8 | 25 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 29 | .341 | .516 | .487 | 1.003 |
通算:1年 | 29 | 91 | 11 | 31 | 2 | 0 | 3 | 47 | 17 | 8 | 25 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 29 | .341 | .516 | .487 | 1.003 |
背番号
[編集]- 51 (2008年)
- 54 (2008年 - 2009年)
- 23 (2010年)
- 2 (2012年)
- 7 (2013年)
- 10 (2013年)
脚注
[編集]- ^ “新外国人選手獲得のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ・オフィシャルサイト (2011年12月21日). 2011年12月22日閲覧。
- ^ a b “「お疲れちゃーん」カーター全4打点! 西武首位返り咲き”. スポニチ Sponichi Annex (2012年9月13日). 2012年9月15日閲覧。
- ^ “埼玉西武ライオンズ選手契約について”. 埼玉西武ライオンズ (2012年10月31日). 2012年10月31日閲覧。
- ^ “2012年度 自由契約選手”. 日本野球機構 (2012年11月7日). 2012年11月7日閲覧。
- ^ a b 前西武・カーター、BC石川入団内定!13日開幕戦出場目指す - スポーツ報知(2013年4月4日) 2013年4月4日閲覧
- ^ “2選手の入団のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ・オフィシャルサイト (2013年4月6日). 2013年5月3日閲覧。
- ^ “クリス・カーター選手 譲渡のお知らせ”. 石川ミリオンスターズ・オフィシャルサイト. (2013年6月17日) 2013年6月17日閲覧。
- ^ “新外国人選手獲得のお知らせ”. 埼玉西武ライオンズ・オフィシャルサイト. (2013年6月16日) 2013年6月17日閲覧。
- ^ 埼玉西武ライオンズ選手契約について西武球団公式サイト2013年10月4日配信
- ^ 2013年度 自由契約選手NPB公式サイト
- ^ a b “ガンバッテ!クリス・カーターからライオンズ、ファンへ魂の激励”. プロ野球速報・ライブ中継 パーソル パ・リーグTV. 2018年9月27日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2009』廣済堂出版、2009年、66頁頁。ISBN 978-4-331-51370-5。
- ^ a b 『月刊スラッガー』2008年2月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-2、76頁。
- ^ 西武のカーター大統領 4打点!首位ハムに2.5差スポニチ2012年8月11日
- ^ 西武の新外国人カーターは頭がいい人日刊スポーツ、2012年1月27日。
- ^ “西武を演説で奮起させたC・カーター。熱パに轟く“文武両道”助っ人の咆哮。”. Number Web (2012年8月30日). 2012年10月31日閲覧。
- ^ “レッズ移籍の秋山は「手本になる選手」 元西武助っ人エール「Ganbatte!!!!」”. Full-Count (2020年1月8日). 2020年1月8日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 クリス・カーター - NPB.jp 日本野球機構
- クリス・カーター (@carter_animal) - X(旧Twitter)