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[[2016年]][[12月5日]]に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した[[森福允彦]]と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は'''42'''。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、[[1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1967年のドラフト3位]]で入団した[[大隅正人]]が、[[1968年]]に短期間着用して以来49年振りである<ref>日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した[[新浦寿夫]]が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。</ref>。 |
[[2016年]][[12月5日]]に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した[[森福允彦]]と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は'''42'''。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、[[1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1967年のドラフト3位]]で入団した[[大隅正人]]が、[[1968年]]に短期間着用して以来49年振りである<ref>日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した[[新浦寿夫]]が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。</ref>。 |
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:前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。公式戦の開幕に出遅れたものの、[[6月14日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦([[東京ドーム]])で、先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板した[[スコット・マシソン]]と[[アルキメデス・カミネーロ|アルキメデス・カミネロ]]もソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ公式戦史上初の継投による[[ノーヒットノーラン]]で移籍後初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|title=や~っと巨人デビュー!山口俊、マシソン&カミネロとセ初のノーヒッ投リレー|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20170615/gia17061505060001-n2.html|publisher=サンケイスポーツ|date=2017-06-14|access-date=2017-06-18}}</ref>。 |
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30歳の誕生日に当たる[[7月11日]]の未明に、[[東京都|東京都内]]の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを[[7月18日]]に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の[[予告先発投手|予告先発]]も回避された<ref>{{Cite web|title=巨人山口俊が予告先発回避 警備員を負傷させた疑い|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1857777.html|publisher=日刊スポーツ|date=2017-07-18|access-date=2017-06-19}}</ref>。 |
:その後も先発ローテーション入りしていたが30歳の誕生日に当たる[[7月11日]]の未明に、[[東京都|東京都内]]の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを[[7月18日]]に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の[[予告先発投手|予告先発]]も回避された<ref>{{Cite web|title=巨人山口俊が予告先発回避 警備員を負傷させた疑い|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1857777.html|publisher=日刊スポーツ|date=2017-07-18|access-date=2017-06-19}}</ref>。 |
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== 選手としての特徴・人物 == |
== 選手としての特徴・人物 == |
2017年8月6日 (日) 04:57時点における版
読売ジャイアンツ #42 | |
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DeNA時代 (2013年3月17日、横浜スタジアムにて) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県中津市 |
生年月日 | 1987年7月11日(37歳) |
身長 体重 |
187 cm 97 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2006年6月29日 |
年俸 |
8,000万円(2017年) ※2017年から3年契約[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属する大分県中津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
2005年のプロ野球高校生ドラフト会議において、横浜ベイスターズから1巡目で指名され入団。2009年途中からはクローザーを務め、2012年には通算100セーブを達成する。2014年シーズン途中からは先発に転向し、このシーズンだけで2度の月間MVPを受賞した。また2016年にはベイスターズの選手会長を務めた。同年のシーズン終了後にフリーエージェント権を行使し、ジャイアンツに移籍した。
経歴
プロ入り前
柳ヶ浦高等学校1年時の2003年に、第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場したが、初戦で常総学院高等学校に敗れた。
2005年の第77回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の天理高等学校戦では、初回に最速151km/hを計測(NHKの中継での表示は148km/h)したが、チームを勝利に導けなかった[3]。同年夏の第87回全国高等学校野球選手権大分大会では、準決勝の試合中に肘を痛めてしまい、緊急降板。チームも延長11回まで戦った末に敗れた。
2005年のプロ野球高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。契約金9,000万円、年俸870万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は11。
横浜・DeNA時代
- 公式戦の開幕を二軍で迎えたが、6月23日に一軍へ初昇格。同月29日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(横浜スタジアム)で両親も観戦する中、初登板初先発。5回表2死まで走者を1人も出さないほど好投し、6回を投げて被安打2、四死球0、1失点の内容で勝利投手になった。ウイニングボールはスタンドで見守った両親にプレゼントした。以降は、登板間隔を10日以上空けることを条件に、一軍先発陣の一角へ定着。5試合に先発したが、被本塁打や与四球が多く、1勝2敗、防御率6.43という成績でシーズンを終えた。
- 一軍公式戦で4試合に先発したが、勝ち星を挙げられず、0勝3敗、防御率6.30でシーズンを終えた。
- 二軍で先発・中継ぎ・抑えの全てを経験すると、シーズン終盤の一軍公式戦に中継ぎとして16試合に登板。四球は多かったものの、イニング数を超える奪三振を記録するなど好投し、防御率0.76、被打率.154[4]を記録した。
- 公式戦の開幕から、セットアッパーとして一軍に定着。救援で公式戦10試合に登板した4月には、投球イニング14回ながら14奪三振、防御率0.64、2勝5ホールドを記録した末に、セントラル・リーグの月間MVPを初めて受賞した[5]。さらに、シーズンの途中からはクローザーに転向。一軍公式戦通算では、51試合の登板で、5勝4敗18セーブ、防御率3.27という成績を残した。
- 球団がクローザー候補としてクリス・ブーチェックを獲得したことから、春季キャンプでは、先発投手への再転向を視野に調整していた。しかし、ブーチェックがオープン戦で不振だったことから、公式戦の開幕直前でクローザーに復帰。前半戦では同点の場面で登板する機会が多く、敗戦投手になることも多かった。セントラル・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、「2試合を通じて最も印象的な活躍を見せた選手」としてマツダ・プレマシー賞を受賞した。さらに、後半戦で本来の調子を取り戻すと、自身初の30セーブを記録した。
- 前半戦に一時1点台の防御率を維持するなど好調だったことから、2年連続でオールスターゲームに出場。後半戦でやや精彩を欠いたものの、2年連続で30セーブを記録するとともに、前年から防御率や負け数を改善させた。
10月22日の巨人戦(東京ドーム)にて、長野久義に日本プロ野球史上8人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びた。
- 開幕前から金髪にしていたが、シーズンに入ると打ち込まれるケースが目立ち、反省の意味をこめて丸刈りにした。9月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)で、NPB史上25人目の通算100セーブを達成。25歳と53日での達成は史上最年少であった(それまでの最年少記録は赤堀元之の26歳と55日)。防御率もクローザー定着後では最も低い1.74を記録したが、同点や敗戦処理での登板機会が多かった影響で、セーブ数は前年から減少した。シーズン終了後の「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」では日本代表[6]に選出され、クローザーとして全2試合でセーブを記録[7]。12月13日の契約交渉では、早ければ翌シーズンの終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグ球団への移籍を目指す意向を球団側に伝えた[8]が、実現には至らなかった。
- 一軍公式戦では、5月の時点で4勝を記録。44試合に登板したが、救援失敗を繰り返したため、二軍への降格を3回経験した。ホルヘ・ソーサがクローザーに定着したシーズン途中に1勝を上乗せしたが、一軍公式戦全体では、7セーブ、防御率5.40と低迷した。
- 開幕からソーサにつなぐセットアッパーを任されたが、5月終了時点の防御率が7.62に達したため、先発へ再び転向すべく二軍で調整[9]。6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来7年振りの一軍公式戦先発登板を果たすと、6回2被安打無失点の好投でシーズン初勝利を挙げた[10][11]。一軍公式戦での先発登板で勝利投手になったのは、2006年の一軍デビュー戦以来8年振りであった[9]。この月には、先発登板4試合で3勝1敗、防御率0.99という好成績を残したため、自身2度目の月間MVPに選ばれている[12]。さらに、7月1日の対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)では、3回表の第1打席で一軍公式戦初本塁打を記録[13]。9月には、3日の対阪神タイガース戦(甲子園球場)に11奪三振の力投で一軍初の完投勝利を果たす[14]と、さらに9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)では4安打無四球でプロ初完封勝利を挙げた[15]。9月は2完封を含む3完投でリーグトップタイの3勝を挙げ、自身3度目の月間MVPに選ばれた[16]。
- シーズン全体では、月間MVPを2度獲得したほか、リーグ最多の3完投を記録。8勝5敗3ホールド、防御率2.90という好成績を残したことから、12月11日の契約交渉後の記者会見では、翌2015年も先発投手に専念することを明かした[17]。
- オープン戦の開幕投手を任された[18]後に、公式戦の開幕を一軍の先発投手として迎えた。開幕後は、4月25日の対中日戦(横浜)でチームのシーズン初完投勝利を挙げるなど、自身3連勝を記録。ただし、試合途中の6回に失点を重ねる傾向が見られた[19]ほか、好調な打線の援護にも恵まれていた。5月中旬から不調に転じると、7月4日の対阪神戦でシーズン初黒星。7月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン3敗目を喫してからは、一軍と二軍を何度も往復した。結局、一軍公式戦では3勝を挙げただけで、7月以降に6連敗を記録。防御率も4.49にとどまった。
- 下園辰哉に代わって、球団の選手会長に就任。球団の仕事始めであった1月4日には、かつてのチームメイトでもあった新任のアレックス・ラミレス一軍監督から、公式戦の開幕投手に初めて指名された[20]。オープン戦では3試合の登板で12イニング連続無失点と好調だったが、調整の目的で登板したロッテとのイースタン・リーグ公式戦(3月12日)で、一塁へのベースカバーへ入った際に右足首を捻挫。この事態を受けて、首脳陣は開幕投手を井納翔一へ急遽変更した[21]。
- 4月9日の対ヤクルト戦(横浜)で一軍公式戦へのシーズン初登板・初先発を果たすと、自身2年振りの本塁打を放ってシーズン初勝利を挙げた[22]。さらに、セ・パ交流戦の期間中には、セ・リーグ球団の投手で初めて2試合連続完封勝利を記録[23]。7月上旬の時点で両リーグ単独トップの3完封勝利を記録する[24]ほどの好調を背景に、オールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として第2戦(7月16日・横浜)での先発が内定していた[25]。しかし、7月9日の投球練習中に左足首を捻挫。その後の診察で左前距腓靱帯(じんたい)および脛腓靱帯(じんたい)の損傷が判明した[26]ため、オールスターゲームへの出場を辞退するとともに、井納が代替選手として出場。山口と共に監督推薦選手へ選ばれていたチームメイトの石田健大が、第2戦の先発を務めた[25]。
- 8月3日に一軍へ復帰してからも、右のエースとして好調を維持。9月3日の対阪神戦(甲子園)で自身初のシーズン10勝に到達する[27]など、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦19試合の登板にとどまりながらも、11勝5敗、防御率2.86という好成績をマーク。完投試合数(5)と完封試合数(3)はリーグトップであったが、先発で登板した9月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)後に右肩痛を発症したため、レギュラーシーズンの残り試合やポストシーズンでの登板機会はなかった[28]。
FA宣言
2016年のレギュラーシーズン中に国内FA権を取得[29]。ポストシーズン終了後の11月8日には、「選手としてせっかく取れた権利なので、『プロ野球選手としての評価を聞きたい』という気持ちが強くなった」という理由で、権利を行使する意向を涙ながらに表明した[30]。
2016年11月10日付でNPBからフリーエージェント宣言選手として公示される[31]と、翌11日には、巨人が3年契約を条件に山口への入団交渉を開始[32]。同年にナゴヤドームでの主催公式戦で山口に2戦全敗を喫した中日も、契約期間5年規模・年俸総額10億円以上という条件で交渉に入った[33]。FA宣言選手の残留を認めているDeNAでも、契約期間3年・年俸総額5億円以上という条件で残留交渉を続けていたが、同月29日の交渉中に山口が他球団へ移籍する意向を表明[34]。12月1日には、巨人が山口から入団の意向を伝えられたことを公表した[35]。
なお、山口は2016年に、推定年俸8,000万円という条件でDeNAと契約していた。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がBランク(同年にDeNAへ在籍していた日本人選手の上位4位以下10位以内)に該当するため、巨人にはDeNAに対する人的(または金銭)補償の義務が生じる[36]。このため、巨人は12月12日までに、DeNAが人的補償措置で獲得できる選手の名簿を同球団へ提出[37]。2017年1月5日に人的補償選手として平良拳太郎をDeNAが獲得した[38]。
巨人時代
2016年12月5日に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した森福允彦と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は42。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、1967年のドラフト3位で入団した大隅正人が、1968年に短期間着用して以来49年振りである[39]。
- 前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。公式戦の開幕に出遅れたものの、6月14日の対福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)で、先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板したスコット・マシソンとアルキメデス・カミネロもソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ公式戦史上初の継投によるノーヒットノーランで移籍後初勝利を挙げた[40]。
- その後も先発ローテーション入りしていたが30歳の誕生日に当たる7月11日の未明に、東京都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを7月18日に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の予告先発も回避された[41]。
選手としての特徴・人物
打者に対してやや左足をファースト方向へずらしてセットするスリークォーターからリリーフ時代の平均球速約148km/h[42]、最速157km/h[43]のストレートと落差の大きいフォークボールを軸に、縦横のスライダー、カーブを織り交ぜて勝負する速球派投手。先発転向後はシュート、SFFも使用し始めた[44]。さらに、2016年からはワンシームを習得している[45]。
その一方で、2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康への頭部死球によって球審から危険球退場を宣告。危険球宣告による退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を浴びて先制点を許すと、4番打者・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」というNPB一軍公式戦史上最短記録を残す羽目になった[46]。ちなみに、NPBの一軍公式戦で1死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった[47]。
2014年12月25日に、グラビアアイドルの加織と結婚した。この時点で加織が芸能活動を事実上休止していたことから、当初の発表では、結婚相手を「一般女性」と表現。加織自身も、同日付の公式ブログで結婚と懐妊を伝える記事を掲載した際に、山口への配慮などから結婚相手の氏名を伏せていた[48]。しかし、夫が山口であることを一部の週刊誌が報じたことから、2015年3月14日に公式ブログを通じて山口との結婚を正式に公表[49]。同月21日には、前日(20日)に第1子(長女)を出産したことを報告した[50]。2016年には、山口の先発が予告されていた8月20日の対中日戦(横浜)試合前に、加織が第2子(長男)を出産。山口自身も、当時の自己最多記録に並ぶシーズン8勝目を挙げている[51]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 横浜 DeNA |
5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 93 | 21.0 | 22 | 8 | 8 | 0 | 2 | 17 | 0 | 0 | 15 | 15 | 6.43 | 1.43 |
2007 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 94 | 20.0 | 21 | 4 | 10 | 0 | 1 | 14 | 1 | 0 | 16 | 14 | 6.30 | 1.55 | |
2008 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 96 | 23.2 | 10 | 1 | 16 | 0 | 1 | 28 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0.76 | 1.10 | |
2009 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 18 | 7 | .556 | 223 | 55.0 | 44 | 7 | 17 | 0 | 4 | 68 | 5 | 0 | 22 | 20 | 3.27 | 1.11 | |
2010 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 30 | 2 | .200 | 282 | 68.2 | 57 | 6 | 24 | 5 | 1 | 78 | 3 | 0 | 20 | 20 | 2.62 | 1.18 | |
2011 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 34 | 1 | .250 | 253 | 61.1 | 46 | 5 | 19 | 1 | 4 | 48 | 3 | 0 | 20 | 17 | 2.49 | 1.06 | |
2012 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 22 | 3 | .333 | 258 | 62.0 | 46 | 1 | 22 | 4 | 5 | 62 | 2 | 0 | 13 | 12 | 1.74 | 1.10 | |
2013 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 7 | 6 | .714 | 202 | 46.2 | 46 | 6 | 16 | 1 | 2 | 48 | 5 | 0 | 28 | 28 | 5.40 | 1.33 | |
2014 | 33 | 17 | 3 | 2 | 1 | 8 | 5 | 0 | 3 | .615 | 536 | 124.0 | 107 | 5 | 60 | 0 | 3 | 96 | 5 | 0 | 58 | 40 | 2.90 | 1.35 | |
2015 | 20 | 20 | 2 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 508 | 114.1 | 127 | 13 | 42 | 0 | 3 | 119 | 6 | 1 | 67 | 57 | 4.49 | 1.48 | |
2016 | 19 | 19 | 5 | 3 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 570 | 138.2 | 112 | 10 | 44 | 0 | 4 | 121 | 5 | 0 | 48 | 44 | 2.86 | 1.13 | |
通算:11年 | 367 | 65 | 10 | 5 | 1 | 39 | 44 | 111 | 24 | .470 | 3115 | 735.1 | 638 | 66 | 278 | 11 | 30 | 699 | 37 | 1 | 309 | 269 | 3.29 | 1.25 |
- 2016年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
表彰
- 月間MVP:3回 (投手部門:2009年4月、2014年6月、2014年9月)
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板・初勝利:2006年6月29日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回2安打1失点[52]
- 初奪三振:同上、2回表に李承燁から空振り三振[52]
- 初ホールド:2008年9月23日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点[53]
- 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[54]
- 初完投・初完投勝利:2014年9月3日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、9回5安打1失点11奪三振
- 初完封勝利:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、9回4安打5奪三振無四球
- 打撃記録
- 初安打:2006年7月15日、対広島東洋カープ9回戦(横浜スタジアム)、2回裏に大島崇行から中前安打[55]
- 初打点:2010年7月17日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、8回裏に久保裕也から右前2点適時打[56]
- 初本塁打:2014年7月1日、対中日ドラゴンズ9回戦(石川県立野球場)、3回表に朝倉健太から左越ソロ
- 節目の記録
- 100セーブ:2012年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上25人目[57]
- その他の記録
- 先発投手最短危険球退場:2014年7月21日、対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)、1回表に5球目を和田一浩へ頭部死球
- オールスターゲーム出場:2回 (2010年、2011年) ※2016年は選出されるも出場辞退
背番号
- 11 (2006年 - 2016年)
- 42 (2017年 - )
登場曲
代表歴
脚注
注釈
出典
- ^ “陽岱鋼が巨人入り FA選手動向/19日現在”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2017年4月1日閲覧。
- ^ “横浜・山口の父、元幕内力士の久さん死去”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン) (2010年10月20日). 2016年11月9日閲覧。
- ^ 春の選抜 2日目・第3試合 天理4―0柳ヶ浦2005年3月25日
- ^ 被打率から見る変化球 プロ野球データスタジアム、2009年02月20日
- ^ “横浜 山口、中継ぎでは8年ぶりの受賞”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年5月9日) 2013年8月1日閲覧。
- ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
- ^ 山口2試合連続S「結果出た」/強化試合スポーツニッポン、2013年1月5日
- ^ DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指すスポーツニッポン、2013年1月5日
- ^ a b DeNA山口、先発再転向で8年ぶり白星日刊スポーツ2014年6月2日配信
- ^ 先発マウンドで山口汚名返上「ここ2年間ふがいないピッチングで…」スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ 山口7年ぶり先発で6回零封DeNA3連勝 ロッテは3連敗スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ DeNA山口が月間MVP「うれしい」日刊スポーツ2014年7月8日配信
- ^ 山口 プロ初本塁打も6失点で黒星「粘れなかった」スポーツニッポン2014年7月1日配信
- ^ DeNA・山口がプロ初完投勝利!「連敗したらずるずる行くと…」サンケイスポーツ2014年9月3日配信
- ^ DeNA 2試合連続完封勝ち!山口 プロ9年目初のシャットアウトスポーツニッポン2014年9月10日配信
- ^ 山口、ロサリオ、金子、銀次が月間MVP日刊スポーツ2014年10月7日配信
- ^ DeNA山口800万増「沢村賞目指す」日刊スポーツ2014年10月7日配信
- ^ 藤浪、菅野ら/2015年オープン戦開幕投手一覧日刊スポーツ2015年2月20日配信
- ^ DeNA山口完投3勝目、嶺井リードに感謝日刊スポーツ2015年2月20日配信
- ^ DeNA山口にラミレス監督直電 開幕指名伝える日刊スポーツ2016年1月7日配信
- ^ DeNA山口 開幕回避濃厚 代役候補は井納か久保康日刊スポーツ2016年3月20日配信
- ^ DeNA山口やっと開幕 今季初登板で1号&1勝日刊スポーツ2016年4月9日配信
- ^ DeNA山口セ初の交流戦連続完封 単独2位浮上日刊スポーツ2016年6月13日配信
- ^ DeNA山口3度目完封、両リーグ単独トップ日刊スポーツ2016年7月5日配信
- ^ a b DeNA山口が球宴辞退、井納が補充選手に日刊スポーツ2016年7月11日配信
- ^ DeNA山口練習中に足首負傷 球宴にも影響か練習中に足首負傷 球宴にも影響か日刊スポーツ2016年7月9日配信
- ^ DeNA山口、初の2桁勝利に「先発として憧れだった」デイリースポーツ2016年9月4日配信
- ^ DeNA山口、CS第1ステージは登板回避へ日刊スポーツ2016年9月30日配信
- ^ DeNA山口、FA権行使も…残留か他球団か、揺れるエース右腕スポーツニッポン2016年10月15日配信
- ^ DeNA山口が涙のFA表明日刊スポーツ2016年11月8日配信
- ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手日本野球機構
- ^ DeNA山口 巨人と初交渉「先発で評価してくれた」スポーツニッポン2016年11月11日配信
- ^ 中日5年総額10億円超提示へ、FA山口獲り本気日刊スポーツ2016年11月30日配信
- ^ DeNA山口 他球団移籍伝える 高田GM「うちは無理」スポーツニッポン2016年11月29日配信
- ^ DeNA山口俊が巨人へFA移籍の意向伝える日刊スポーツ2016年12月1日配信
- ^ 【巨人】山口俊&森福に続き陽も!FAで獲得できる選手数は?スポーツ報知2016年12月5日配信
- ^ DeNA、巨人プロテクト28人以外の名簿受け取る日刊スポーツ2016年12月13日配信
- ^ 平良拳太郎選手 獲得のお知らせ 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2017年1月5日) 2017年1月5日閲覧
- ^ 日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した新浦寿夫が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。
- ^ “や~っと巨人デビュー!山口俊、マシソン&カミネロとセ初のノーヒッ投リレー”. サンケイスポーツ (2017年6月14日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “巨人山口俊が予告先発回避 警備員を負傷させた疑い”. 日刊スポーツ (2017年7月18日). 2017年6月19日閲覧。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ “DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指す”. スポニチ Sponichi Annex. (2013年1月5日)
- ^ “DeNA・山口、守護神失格も7年ぶり先発で勝利 豊富な球種で生まれ変わった”. 夕刊フジ. (2014年6月3日)
- ^ “DeNAの山口、新球ワンシーム習得 右打者えぐる!!”. 中日スポーツ. (2016年1月24日)
- ^ DeNA・山口 1死も奪えず5球で危険球退場スポーツニッポン2014年7月21日配信
- ^ 山口先発最短5球で危険球退場日刊スポーツ2014年7月22日配信
- ^ “山口投手と菊地投手”. 加織、結婚お相手はDeNA山口俊投手 昨年報告も氏名明かさず. (2015年3月14日)
- ^ “皆様へ”. 加織オフィシャルブログ『kaori's diary』. (2015年3月14日)
- ^ “Hello Baby”. 加織オフィシャルブログ『kaori's diary』. (2015年3月21日)
- ^ DeNA山口に第2子長男が誕生、吉報祝う8勝日刊スポーツ2016年8月20日配信
- ^ a b 神奈川新聞、2006年6月30日。
- ^ 神奈川新聞、2008年9月24日。
- ^ 神奈川新聞、2009年5月6日。
- ^ 神奈川新聞、2006年7月16日。
- ^ 神奈川新聞、2010年7月18日。
- ^ 神奈川新聞、2012年9月4日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 山口俊 - NPB.jp 日本野球機構
- 山口俊オフィシャルブログ「いまがしゅん」
- 山口俊 (@shun_yamaguchi11) - Instagram