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[[2016年]][[12月5日]]に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した[[森福允彦]]と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は'''42'''。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、[[1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1967年のドラフト3位]]で入団した[[大隅正人]]が、[[1968年]]に短期間着用して以来49年振りである<ref>日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した[[新浦寿夫]]が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。</ref>。
[[2016年]][[12月5日]]に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した[[森福允彦]]と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は'''42'''。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、[[1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1967年のドラフト3位]]で入団した[[大隅正人]]が、[[1968年]]に短期間着用して以来49年振りである<ref>日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した[[新浦寿夫]]が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。</ref>。


'''{{by|2017年}}'''
[[2017年]]には、前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。公式戦の開幕に出遅れたものの、[[6月14日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦([[東京ドーム]])で、先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板した[[スコット・マシソン]]と[[アルキメデス・カミネーロ|アルキメデス・カミネロ]]もソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ公式戦史上初の継投による[[ノーヒットノーラン]]で移籍後初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|title=や~っと巨人デビュー!山口俊、マシソン&カミネロとセ初のノーヒッ投リレー|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20170615/gia17061505060001-n2.html|publisher=サンケイスポーツ|date=2017-06-14|access-date=2017-06-18}}</ref>。
:前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。公式戦の開幕に出遅れたものの、[[6月14日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦([[東京ドーム]])で、先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板した[[スコット・マシソン]]と[[アルキメデス・カミネーロ|アルキメデス・カミネロ]]もソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ公式戦史上初の継投による[[ノーヒットノーラン]]で移籍後初勝利を挙げた<ref>{{Cite web|title=や~っと巨人デビュー!山口俊、マシソン&カミネロとセ初のノーヒッ投リレー|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20170615/gia17061505060001-n2.html|publisher=サンケイスポーツ|date=2017-06-14|access-date=2017-06-18}}</ref>。


30歳の誕生日に当たる[[7月11日]]の未明に、[[東京都|東京都内]]の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを[[7月18日]]に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の[[予告先発投手|予告先発]]も回避された<ref>{{Cite web|title=巨人山口俊が予告先発回避 警備員を負傷させた疑い|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1857777.html|publisher=日刊スポーツ|date=2017-07-18|access-date=2017-06-19}}</ref>。
:その後も先発ローテーション入りしていたが30歳の誕生日に当たる[[7月11日]]の未明に、[[東京都|東京都内]]の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを[[7月18日]]に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の[[予告先発投手|予告先発]]も回避された<ref>{{Cite web|title=巨人山口俊が予告先発回避 警備員を負傷させた疑い|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1857777.html|publisher=日刊スポーツ|date=2017-07-18|access-date=2017-06-19}}</ref>。


== 選手としての特徴・人物 ==
== 選手としての特徴・人物 ==

2017年8月6日 (日) 04:57時点における版

山口 俊
読売ジャイアンツ #42
DeNA時代
(2013年3月17日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県中津市
生年月日 (1987-07-11) 1987年7月11日(37歳)
身長
体重
187 cm
97 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2006年6月29日
年俸 8,000万円(2017年)
※2017年から3年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、読売ジャイアンツに所属する大分県中津市出身のプロ野球選手投手)。右投右打。

2005年のプロ野球高校生ドラフト会議において、横浜ベイスターズから1巡目で指名され入団。2009年途中からはクローザーを務め、2012年には通算100セーブを達成する。2014年シーズン途中からは先発に転向し、このシーズンだけで2度の月間MVPを受賞した。また2016年にはベイスターズの選手会長を務めた。同年のシーズン終了後にフリーエージェント権を行使し、ジャイアンツに移籍した。

父は大相撲の元幕内力士谷嵐久[2]

経歴

プロ入り前

柳ヶ浦高等学校1年時の2003年に、第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場したが、初戦で常総学院高等学校に敗れた。

2004年は秋季九州大会、明治神宮野球大会で優勝。

2005年第77回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の天理高等学校戦では、初回に最速151km/hを計測(NHKの中継での表示は148km/h)したが、チームを勝利に導けなかった[3]。同年夏の第87回全国高等学校野球選手権大分大会では、準決勝の試合中に肘を痛めてしまい、緊急降板。チームも延長11回まで戦った末に敗れた。

2005年のプロ野球高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。契約金9,000万円、年俸870万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は11

横浜・DeNA時代

2006年

公式戦の開幕を二軍で迎えたが、6月23日に一軍へ初昇格。同月29日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(横浜スタジアム)で両親も観戦する中、初登板初先発。5回表2死まで走者を1人も出さないほど好投し、6回を投げて被安打2、四死球0、1失点の内容で勝利投手になった。ウイニングボールはスタンドで見守った両親にプレゼントした。以降は、登板間隔を10日以上空けることを条件に、一軍先発陣の一角へ定着。5試合に先発したが、被本塁打や与四球が多く、1勝2敗、防御率6.43という成績でシーズンを終えた。

2007年

一軍公式戦で4試合に先発したが、勝ち星を挙げられず、0勝3敗、防御率6.30でシーズンを終えた。

2008年

二軍で先発・中継ぎ・抑えの全てを経験すると、シーズン終盤の一軍公式戦に中継ぎとして16試合に登板。四球は多かったものの、イニング数を超える奪三振を記録するなど好投し、防御率0.76、被打率.154[4]を記録した。
2009年4月30日、阪神甲子園球場にて

2009年

公式戦の開幕から、セットアッパーとして一軍に定着。救援で公式戦10試合に登板した4月には、投球イニング14回ながら14奪三振、防御率0.64、2勝5ホールドを記録した末に、セントラル・リーグ月間MVPを初めて受賞した[5]。さらに、シーズンの途中からはクローザーに転向。一軍公式戦通算では、51試合の登板で、5勝4敗18セーブ、防御率3.27という成績を残した。

2010年

球団がクローザー候補としてクリス・ブーチェックを獲得したことから、春季キャンプでは、先発投手への再転向を視野に調整していた。しかし、ブーチェックがオープン戦で不振だったことから、公式戦の開幕直前でクローザーに復帰。前半戦では同点の場面で登板する機会が多く、敗戦投手になることも多かった。セントラル・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、「2試合を通じて最も印象的な活躍を見せた選手」としてマツダ・プレマシー賞を受賞した。さらに、後半戦で本来の調子を取り戻すと、自身初の30セーブを記録した。

2011年

前半戦に一時1点台の防御率を維持するなど好調だったことから、2年連続でオールスターゲームに出場。後半戦でやや精彩を欠いたものの、2年連続で30セーブを記録するとともに、前年から防御率や負け数を改善させた。

10月22日巨人戦(東京ドーム)にて、長野久義に日本プロ野球史上8人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びた。

2012年

開幕前から金髪にしていたが、シーズンに入ると打ち込まれるケースが目立ち、反省の意味をこめて丸刈りにした。9月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)で、NPB史上25人目の通算100セーブを達成。25歳と53日での達成は史上最年少であった(それまでの最年少記録は赤堀元之の26歳と55日)。防御率もクローザー定着後では最も低い1.74を記録したが、同点や敗戦処理での登板機会が多かった影響で、セーブ数は前年から減少した。シーズン終了後の「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」では日本代表[6]に選出され、クローザーとして全2試合でセーブを記録[7]12月13日の契約交渉では、早ければ翌シーズンの終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグ球団への移籍を目指す意向を球団側に伝えた[8]が、実現には至らなかった。

2013年

一軍公式戦では、5月の時点で4勝を記録。44試合に登板したが、救援失敗を繰り返したため、二軍への降格を3回経験した。ホルヘ・ソーサがクローザーに定着したシーズン途中に1勝を上乗せしたが、一軍公式戦全体では、7セーブ、防御率5.40と低迷した。

2014年

開幕からソーサにつなぐセットアッパーを任されたが、5月終了時点の防御率が7.62に達したため、先発へ再び転向すべく二軍で調整[9]6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来7年振りの一軍公式戦先発登板を果たすと、6回2被安打無失点の好投でシーズン初勝利を挙げた[10][11]。一軍公式戦での先発登板で勝利投手になったのは、2006年の一軍デビュー戦以来8年振りであった[9]。この月には、先発登板4試合で3勝1敗、防御率0.99という好成績を残したため、自身2度目の月間MVPに選ばれている[12]。さらに、7月1日の対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)では、3回表の第1打席で一軍公式戦初本塁打を記録[13]9月には、3日の対阪神タイガース戦(甲子園球場)に11奪三振の力投で一軍初の完投勝利を果たす[14]と、さらに9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)では4安打無四球でプロ初完封勝利を挙げた[15]。9月は2完封を含む3完投でリーグトップタイの3勝を挙げ、自身3度目の月間MVPに選ばれた[16]
シーズン全体では、月間MVPを2度獲得したほか、リーグ最多の3完投を記録。8勝5敗3ホールド、防御率2.90という好成績を残したことから、12月11日の契約交渉後の記者会見では、翌2015年も先発投手に専念することを明かした[17]

2015年

オープン戦の開幕投手を任された[18]後に、公式戦の開幕を一軍の先発投手として迎えた。開幕後は、4月25日の対中日戦(横浜)でチームのシーズン初完投勝利を挙げるなど、自身3連勝を記録。ただし、試合途中の6回に失点を重ねる傾向が見られた[19]ほか、好調な打線の援護にも恵まれていた。5月中旬から不調に転じると、7月4日の対阪神戦でシーズン初黒星。7月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン3敗目を喫してからは、一軍と二軍を何度も往復した。結局、一軍公式戦では3勝を挙げただけで、7月以降に6連敗を記録。防御率も4.49にとどまった。

2016年

下園辰哉に代わって、球団の選手会長に就任。球団の仕事始めであった1月4日には、かつてのチームメイトでもあった新任のアレックス・ラミレス一軍監督から、公式戦の開幕投手に初めて指名された[20]。オープン戦では3試合の登板で12イニング連続無失点と好調だったが、調整の目的で登板したロッテとのイースタン・リーグ公式戦(3月12日)で、一塁へのベースカバーへ入った際に右足首を捻挫。この事態を受けて、首脳陣は開幕投手を井納翔一へ急遽変更した[21]
4月9日の対ヤクルト戦(横浜)で一軍公式戦へのシーズン初登板・初先発を果たすと、自身2年振りの本塁打を放ってシーズン初勝利を挙げた[22]。さらに、セ・パ交流戦の期間中には、セ・リーグ球団の投手で初めて2試合連続完封勝利を記録[23]。7月上旬の時点で両リーグ単独トップの3完封勝利を記録する[24]ほどの好調を背景に、オールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として第2戦(7月16日・横浜)での先発が内定していた[25]。しかし、7月9日の投球練習中に左足首を捻挫。その後の診察で左前距腓靱帯(じんたい)および脛腓靱帯(じんたい)の損傷が判明した[26]ため、オールスターゲームへの出場を辞退するとともに、井納が代替選手として出場。山口と共に監督推薦選手へ選ばれていたチームメイトの石田健大が、第2戦の先発を務めた[25]
8月3日に一軍へ復帰してからも、右のエースとして好調を維持。9月3日の対阪神戦(甲子園)で自身初のシーズン10勝に到達する[27]など、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦19試合の登板にとどまりながらも、11勝5敗、防御率2.86という好成績をマーク。完投試合数(5)と完封試合数(3)はリーグトップであったが、先発で登板した9月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)後に右肩痛を発症したため、レギュラーシーズンの残り試合やポストシーズンでの登板機会はなかった[28]

FA宣言

2016年のレギュラーシーズン中に国内FA権を取得[29]。ポストシーズン終了後の11月8日には、「選手としてせっかく取れた権利なので、『プロ野球選手としての評価を聞きたい』という気持ちが強くなった」という理由で、権利を行使する意向を涙ながらに表明した[30]

2016年11月10日付でNPBからフリーエージェント宣言選手として公示される[31]と、翌11日には、巨人が3年契約を条件に山口への入団交渉を開始[32]。同年にナゴヤドームでの主催公式戦で山口に2戦全敗を喫した中日も、契約期間5年規模・年俸総額10億円以上という条件で交渉に入った[33]。FA宣言選手の残留を認めているDeNAでも、契約期間3年・年俸総額5億円以上という条件で残留交渉を続けていたが、同月29日の交渉中に山口が他球団へ移籍する意向を表明[34]12月1日には、巨人が山口から入団の意向を伝えられたことを公表した[35]

なお、山口は2016年に、推定年俸8,000万円という条件でDeNAと契約していた。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がBランク(同年にDeNAへ在籍していた日本人選手の上位4位以下10位以内)に該当するため、巨人にはDeNAに対する人的(または金銭)補償の義務が生じる[36]。このため、巨人は12月12日までに、DeNAが人的補償措置で獲得できる選手の名簿を同球団へ提出[37]2017年1月5日に人的補償選手として平良拳太郎をDeNAが獲得した[38]

巨人時代

2016年12月5日に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した森福允彦と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は42。巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、1967年のドラフト3位で入団した大隅正人が、1968年に短期間着用して以来49年振りである[39]

2017年

前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。公式戦の開幕に出遅れたものの、6月14日の対福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)で、先発投手として移籍後初めての一軍公式戦登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板したスコット・マシソンアルキメデス・カミネロもソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ公式戦史上初の継投によるノーヒットノーランで移籍後初勝利を挙げた[40]
その後も先発ローテーション入りしていたが30歳の誕生日に当たる7月11日の未明に、東京都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。さらに、山口が負傷後に訪れた都内の病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団では、事態の全容が判明するまで山口の公式戦登板を見合わせることを7月18日に決定。同日の対中日戦(ナゴヤドーム)の予告先発も回避された[41]

選手としての特徴・人物

山口の投球フォーム
(2012年3月20日、横浜スタジアム)

打者に対してやや左足をファースト方向へずらしてセットするスリークォーターからリリーフ時代の平均球速約148km/h[42]、最速157km/h[43]ストレートと落差の大きいフォークボールを軸に、縦横のスライダーカーブを織り交ぜて勝負する速球派投手。先発転向後はシュートSFFも使用し始めた[44]。さらに、2016年からはワンシームを習得している[45]

その一方で、2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康への頭部死球によって球審から危険球退場を宣告。危険球宣告による退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を浴びて先制点を許すと、4番打者・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」というNPB一軍公式戦史上最短記録を残す羽目になった[46]。ちなみに、NPBの一軍公式戦で1死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった[47]

2014年12月25日に、グラビアアイドル加織と結婚した。この時点で加織が芸能活動を事実上休止していたことから、当初の発表では、結婚相手を「一般女性」と表現。加織自身も、同日付の公式ブログで結婚と懐妊を伝える記事を掲載した際に、山口への配慮などから結婚相手の氏名を伏せていた[48]。しかし、夫が山口であることを一部の週刊誌が報じたことから、2015年3月14日に公式ブログを通じて山口との結婚を正式に公表[49]同月21日には、前日(20日)に第1子(長女)を出産したことを報告した[50]2016年には、山口の先発が予告されていた8月20日の対中日戦(横浜)試合前に、加織が第2子(長男)を出産。山口自身も、当時の自己最多記録に並ぶシーズン8勝目を挙げている[51]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2006 横浜
DeNA
5 5 0 0 0 1 2 0 0 .333 93 21.0 22 8 8 0 2 17 0 0 15 15 6.43 1.43
2007 6 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 94 20.0 21 4 10 0 1 14 1 0 16 14 6.30 1.55
2008 16 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 96 23.2 10 1 16 0 1 28 2 0 2 2 0.76 1.10
2009 51 0 0 0 0 5 4 18 7 .556 223 55.0 44 7 17 0 4 68 5 0 22 20 3.27 1.11
2010 54 0 0 0 0 2 8 30 2 .200 282 68.2 57 6 24 5 1 78 3 0 20 20 2.62 1.18
2011 59 0 0 0 0 2 6 34 1 .250 253 61.1 46 5 19 1 4 48 3 0 20 17 2.49 1.06
2012 60 0 0 0 0 1 2 22 3 .333 258 62.0 46 1 22 4 5 62 2 0 13 12 1.74 1.10
2013 44 0 0 0 0 5 2 7 6 .714 202 46.2 46 6 16 1 2 48 5 0 28 28 5.40 1.33
2014 33 17 3 2 1 8 5 0 3 .615 536 124.0 107 5 60 0 3 96 5 0 58 40 2.90 1.35
2015 20 20 2 0 0 3 6 0 0 .333 508 114.1 127 13 42 0 3 119 6 1 67 57 4.49 1.48
2016 19 19 5 3 0 11 5 0 0 .688 570 138.2 112 10 44 0 4 121 5 0 48 44 2.86 1.13
通算:11年 367 65 10 5 1 39 44 111 24 .470 3115 735.1 638 66 278 11 30 699 37 1 309 269 3.29 1.25
  • 2016年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

表彰

  • 月間MVP:3回 (投手部門:2009年4月、2014年6月、2014年9月)

記録

投手記録
  • 初登板・初先発登板・初勝利:2006年6月29日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回2安打1失点[52]
  • 初奪三振:同上、2回表に李承燁から空振り三振[52]
  • 初ホールド:2008年9月23日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点[53]
  • 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[54]
  • 初完投・初完投勝利:2014年9月3日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、9回5安打1失点11奪三振
  • 初完封勝利:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、9回4安打5奪三振無四球
打撃記録
節目の記録
  • 100セーブ:2012年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上25人目[57]
その他の記録
  • 先発投手最短危険球退場:2014年7月21日、対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)、1回表に5球目を和田一浩へ頭部死球
  • オールスターゲーム出場:2回 (2010年、2011年) ※2016年は選出されるも出場辞退

背番号

  • 11 (2006年 - 2016年)
  • 42 (2017年 - )

登場曲

代表歴

脚注

注釈

出典

  1. ^ 陽岱鋼が巨人入り FA選手動向/19日現在”. 日刊スポーツ (2016年12月19日). 2017年4月1日閲覧。
  2. ^ 横浜・山口の父、元幕内力士の久さん死去”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン) (2010年10月20日). 2016年11月9日閲覧。
  3. ^ 春の選抜 2日目・第3試合 天理4―0柳ヶ浦2005年3月25日
  4. ^ 被打率から見る変化球 プロ野球データスタジアム、2009年02月20日
  5. ^ “横浜 山口、中継ぎでは8年ぶりの受賞”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年5月9日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/09/kiji/K20090509Z00002260.html 2013年8月1日閲覧。 
  6. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
  7. ^ 山口2試合連続S「結果出た」/強化試合スポーツニッポン、2013年1月5日
  8. ^ DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指すスポーツニッポン、2013年1月5日
  9. ^ a b DeNA山口、先発再転向で8年ぶり白星日刊スポーツ2014年6月2日配信
  10. ^ 先発マウンドで山口汚名返上「ここ2年間ふがいないピッチングで…」スポーツニッポン2014年6月1日配信
  11. ^ 山口7年ぶり先発で6回零封DeNA3連勝 ロッテは3連敗スポーツニッポン2014年6月1日配信
  12. ^ DeNA山口が月間MVP「うれしい」日刊スポーツ2014年7月8日配信
  13. ^ 山口 プロ初本塁打も6失点で黒星「粘れなかった」スポーツニッポン2014年7月1日配信
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  26. ^ DeNA山口練習中に足首負傷 球宴にも影響か練習中に足首負傷 球宴にも影響か日刊スポーツ2016年7月9日配信
  27. ^ DeNA山口、初の2桁勝利に「先発として憧れだった」デイリースポーツ2016年9月4日配信
  28. ^ DeNA山口、CS第1ステージは登板回避へ日刊スポーツ2016年9月30日配信
  29. ^ DeNA山口、FA権行使も…残留か他球団か、揺れるエース右腕スポーツニッポン2016年10月15日配信
  30. ^ DeNA山口が涙のFA表明日刊スポーツ2016年11月8日配信
  31. ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手日本野球機構
  32. ^ DeNA山口 巨人と初交渉「先発で評価してくれた」スポーツニッポン2016年11月11日配信
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関連項目

外部リンク

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