コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「西都市」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Nalc (会話 | 投稿記録)
161行目: 161行目:
* [[西都古墳まつり]]([[11月]])
* [[西都古墳まつり]]([[11月]])
* [[銀鏡神楽]]([[12月]])
* [[銀鏡神楽]]([[12月]])
* [[都於郡城址]] 都於郡城址祭り(11月第2日曜日頃)都於郡小学校の児童が手作りの鎧兜を身にまとって都於郡城本丸跡に向かう登城行列(都小っ子祭り)は見ものである。
* [[都於郡城|都於郡城址]] 都於郡城址祭り(11月第2日曜日頃)都於郡小学校の児童が手作りの鎧兜を身にまとって都於郡城本丸跡に向かう登城行列(都小っ子祭り)は見ものである。
* [[日向国分寺]]
* [[日向国分寺]]
* [[西都原古墳群]] 周辺には逢初川や八尋殿の跡、無戸室など[[日本神話]]の[[瓊瓊杵尊]]と[[木花開耶姫]]にちなんだ伝承地も多い。
* [[西都原古墳群]] 周辺には逢初川や八尋殿の跡、無戸室など[[日本神話]]の[[瓊瓊杵尊]]と[[木花開耶姫]]にちなんだ伝承地も多い。

2010年3月14日 (日) 00:54時点における版

さいとし ウィキデータを編集
西都市
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
市町村コード 45208-4
法人番号 4000020452084 ウィキデータを編集
面積 438.79km2
総人口 27,053[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 61.7人/km2
隣接自治体 高鍋町木城町新富町西米良村
宮崎市国富町美郷町椎葉村
市の木 ヤマモモ
市の花 ミツバツツジ
市の鳥 ウグイス
西都市役所
市長 橋田和実
所在地 881-0015
宮崎県西都市聖陵町二丁目1番地
外部リンク 西都市

西都市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

西都市(さいとし)は、宮崎県のほぼ中央部に位置し、日本最大級の古墳群である「西都原古墳群」で知られるである。

地理

宮崎県で5番目の面積を持つ市であり、市域の7割が山岳地帯である。

市を北西から南東に向かって、一ツ瀬川が貫流している。上流部では無数の小川が渓谷を刻み、それらの流れが集まって、九州最大の貯水量を誇る一ツ瀬ダム(米良湖)となっている。下流は宮崎平野が広がり、園芸農業、畜産業が盛んであるほか、西岸の洪積層台地には西都原古墳群が広がる。

中心市街地は都萬(つま)神社の南方に広がる妻(つま)地区。

隣接している自治体

歴史

記紀によると、天照大神の孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が日向の高千穂峰に降臨の後、居を構えたのが現在の西都市であったとされる。

西都は日本最大の古墳集積地帯であり、日本有数規模の古代国家がこの地に存在したと推定される。

律令期には現在市の中心部となっている妻(つま)地区に日向国国府、日向国分寺、国分尼寺が置かれ、日向国の中心地として栄えた。室町時代~戦国時代には日向国の地頭、伊東家が市南部に都於郡城を構え本拠地とし、領国経営の拠点とした。天正少年遣欧使節正使としてヨーロッパに渡った伊東マンショは伊東家の一族である。伊東家没落後、都於郡城には島津義久が入城し、豊臣秀吉九州征伐、高城の戦いにおける前線基地となったが、戦後廃城となった。

江戸時代は、穂北に幕府の番所が設けられ妻・穂北(ほきた)・地区は幕府の天領となり、三財(さんざい)・三納(みのう)・都於郡(とのこおり)地区は佐土原藩島津家2万7千石に組み入れられた。この時期には赤江・城ヶ崎(現宮崎市)が江戸上方との物流拠点としての性格を備え、西都地区は日向国の拠点としての機能を次第に失ったようである。また、市の中心に横たわり、市名の由来でもある西都原(さいとばる)台地は、古代より斉殿原(さいとのはる)と呼ばれていたが、江戸時代に西都原(「さいとのはる」から「さいとばる」へ)の呼称が定着したとされる。

近現代

近代以降は宮崎-妻・杉安(すぎやす)間に鉄道(後の国鉄妻線・1984年廃止)が敷設され一ツ瀬川流域の農産物・木材の集散地として栄えた。1955年に児湯郡妻町・上穂北村が合併し、西都町が置かれ、1958年に三納村・都於郡村を統合し市制施行、1962年に三財村・東米良村を合併し現在の市域を持つに至った。1960年代には一ツ瀬ダムが建設され、この時期に市の人口は5万人を超え、杉安地区の一ツ瀬河畔は日向の嵐山と呼ばれ屋形船が行き交った。

80年代前半には市街地再開発等が行われ、一時期は地方小都市における再開発成功事例として注目を集めるも、その後の過疎化少子高齢化の進展、郊外型店舗の進出によって、現在中心市街地は衰退している。

宮崎都市圏の拡大・道路等の整備による市南部の宮崎市のベッドタウン化がわずかながら見られるが、人口減少がある。

2001年に東九州自動車道、清武-西都間が開通した。

行政区域の変遷

  • 1889年5月1日 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。
    • 児湯郡上穂北村・下穂北村・都於郡村・三納村・三財村・東米良村
  • 1924年4月1日 【町制施行】下穂北村⇒下穂北町
  • 1924年8月1日 【改称】下穂北町⇒妻町
  • 1955年4月1日 【対等合併】妻町・上穂北村⇒西都町
  • 1958年4月1日 【編入】三納村・都於郡村⇒西都町
  • 1958年11月1日 【市制施行】西都町⇒西都市
  • 1962年4月1日 【編入】三財村・東米良村の一部⇒西都市(東米良村の他の地域は木城村へ編入)

行政

県の行政機関

国の行政機関

経済・産業

農林畜産業が中心

主な産物

農産物
ピーマン(生産量日本一)、しいたけニラマンゴーなど

地域

人口

西都市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 38,509人
1975年(昭和50年) 37,054人
1980年(昭和55年) 37,836人
1985年(昭和60年) 38,370人
1990年(平成2年) 37,218人
1995年(平成7年) 36,331人
2000年(平成12年) 35,381人
2005年(平成17年) 34,087人
2010年(平成22年) 32,614人
2015年(平成27年) 30,683人
2020年(令和2年) 28,610人
総務省統計局 国勢調査より

教育

高等学校

中学校

市立

小学校

市立
  • 妻北小学校
  • 妻南小学校
  • 穂北小学校
  • 茶臼原小学校
  • 三納小学校
  • 都於郡小学校 [1]
  • 都於郡小学校山田分校
  • 三財小学校
  • 銀上小学校

専修学校

  • 宮崎医療福祉専門学校

学校教育以外の施設

職業訓練

交通

空港

最寄の民間供用空港は宮崎空港である。

  • 宮崎交通の路線バスで直通
  • 佐土原駅より、JR特急で22分

鉄道路線

現在は市内に鉄道路線はない。現在の最寄駅は、佐土原駅(佐土原町)、日向新富駅(新富町)、高鍋駅(高鍋町)。いずれもJR九州日豊本線。市中心部より各駅まで車で30分弱。

廃止路線

路線バス

妻地区の妻駅跡付近に宮崎交通のバスターミナル「西都バスセンター」があり、宮崎市街地・宮崎空港へ直通バスがあり、利用も多い。

  • 宮崎交通
    • 西都 - (高速道経由) - 宮交シティ - 宮崎空港
    • 西都 - (一般道経由) - 宮交シティ - 宮崎空港 - 国立東病院
    • 西都 - 宮交シティ
    • 西都 - 工業団地 - 宮交シティ
    • 西都 - 一丁田 - 高鍋駅

道路

市中心部を通る国道219号
高速道路
地域高規格道路
一般国道
都道府県道

船舶

  • 宮崎港(宮崎市)まで車で40分
  • 細島港(日向市)まで車で60分
  • 通浜漁港(川南町)まで車で40分

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

西都市出身の有名人

関連項目

外部リンク

');