勝利の方程式
この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
全角チルダ「~」や波ダッシュ「〜」を使用せず、ハイフンマイナス「-」を使用してください(参照)。 |
プロ野球における勝利の方程式(しょうりのほうていしき)は、リードしている試合において、そのリードを最後まで守りきるためにとられる、チームの定石となっているリリーフ投手(中継ぎ投手、抑え投手)の継投策、および継投パターンのことを指す。
競馬をはじめとした野球以外のスポーツや投資、ビジネス、ギャンブルなどにおいても、必勝パターンの意味で使用されることがあるが、キャッチコピーとしての面が強く野球ほど定着はしていない。
概要
[編集]由来は当時読売ジャイアンツの監督であった長嶋茂雄が1993年、1994年に橋本清→石毛博史の必勝継投策を「勝利の方程式」と銘打った事によりこの語が広まったといわれる[要出典]。ほぼ同時期に横浜ベイスターズの当時の監督であった近藤昭仁も盛田幸妃→佐々木主浩への継投策を「勝利の方程式」と呼んでいたこともあった。
その後、1998年に五十嵐英樹→佐々木主浩の継投策を確立して横浜が38年ぶりの日本一に輝く大きな原動力となった[1]ほか、2000年の阪神タイガースは、当時の監督、野村克也監督の下、遠山奬志、葛西稔、伊藤敦規を相手打者や試合展開に応じてセットアップ及び抑えとして使い分ける独特の継投策を取ったことで注目を集めたり[2]、2002年-2003年のヤクルトスワローズは、「ロケットボーイズ」の愛称で親しまれた石井弘寿、五十嵐亮太を中心に、抑えの高津臣吾を含めた強力な方程式を確立して注目された[3]。
「勝利の方程式」の構築の流れに大きな影響を与えたのが、2005年に中継ぎ投手を称える指標に両リーグ統一して新規定であるホールドの採用[4]、及び、同年に阪神がいわゆる「JFK」(ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之)を確立して、リーグ優勝に輝いたことである。この「JFK」、及び同年の千葉ロッテマリーンズにおける「YFK」と2つの方程式に愛称されて浸透し、他球団も追随して球界全体に普及した。
基本的に、「勝利の方程式」に組み込まれている投手たちはクオリティ・スタートとしての役目を果たした先発投手の後を引き継ぐことから7回以降に登板することが多い。
「勝利の方程式」と同様にリードを最後まで守りきる意味で「守護神」の語も使われるが、一般的に「勝利の方程式」が中継ぎ投手(セットアッパー。主に8回を担当)から抑え投手(クローザー。主に9回を担当)につなぐ継投策を指すのに対して、「守護神」はクローザーを務める投手個人を指すことが多い。近年は、(主に7回を担当する)準セットアッパーも、勝利の方程式の一翼を担うケースが出てきている。
「勝利の方程式」の主な一覧
[編集]- 球団創立順。原則として、「特定の愛称が命名及び浸透」「複数年にわたり機能」「球団の躍進への貢献」のいずれかに該当し得る、何らかの特筆性を有する「勝利の方程式」を下記にて記載する。
- 原則として、2005年の「JFK」以後に確立された「勝利の方程式」を記載。必ずしも全てを網羅している訳ではないことに留意されたい。
- ※印は、現在も継続中であることを意味する。
セントラル・リーグ
[編集]主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
山口鉄也 越智大祐 M.クルーン |
2008年-2010年 | 「風神雷神」 | 前年度中継ぎ投手として飛躍した山口と越智のコンビ名がスポーツ報知上で公募され、応募総数1290通の中から二人が選んだ「風神雷神」に決定された。山口は「疾風スライダー」で打者を斬る「風神」、越智は「雷電フォーク」で打者をねじ伏せる「雷神」とされた。 抑えを務めたクルーンは、2008年に41セーブを挙げて最多セーブ投手に輝くなど、2010年までの3年間で連続して25セーブ以上を記録した。 |
山口鉄也 S.マシソン 西村健太朗 |
2012年-2013年 | 「スコット鉄太朗」 | 安定した投球を披露して2012年日本一、2013年リーグ連覇に貢献した。特に抑えを務めた西村は、2013年に42セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 日刊スポーツの金子航記者が「スコット鉄太朗」と命名[5]。 |
S.マシソン 澤村拓一 |
2015年-2016年 | 前年まで先発投手を務めていた澤村が抑えに転向することで、この方程式が結成された。澤村は2015年に36セーブ(リーグ4位)を挙げ、2016年は37セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 セットアッパーを務めるマシソンは、2015年に28ホールド(リーグ5位)を挙げ、2016年は41ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝いた。 2015年は山口鉄也も準セットアッパーとして29ホールド(リーグ4位)を挙げて、8年連続で「50試合登板、20ホールド」を同時到達する偉業を成し遂げた。 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
J.ウィリアムス 藤川球児 久保田智之 |
2005年-2008年 | 「JFK」 | 久保田が抑えを務めていた2006年までは「7回藤川 - 8回ウィリアムス - 9回久保田」の順、それ以降は「7回久保田 - 8回ウィリアムス - 9回藤川」の順番に登板することが多い。 彼ら3人のイニシャルを取ってこの通称を「JFK」と命名、いつしか定着して、その後の日本球界全体への「勝利の方程式」波及への大きな影響を与えた。 |
榎田大樹 藤川球児 |
2011年-2012年 | ||
福原忍 呉昇桓 |
2014年-2015年 | ||
桑原謙太朗 M.マテオ 髙橋聡文 岩崎優 R.ドリス |
2017年 | 「マクド」 | 桑原が67試合、マテオが63試合、高橋が61試合、岩崎が66試合、ドリスが63試合にそれぞれ登板し、NPB史上初となる「1チーム5選手による60試合登板」を達成。全員が防御率2点台以下・チーム救援防御率2.68(12球団1位)の好成績を残し、前年にはリーグ4位に沈んだチームの2位躍進を支えた[6]。 基本的に7回のマウンドを担った桑原、8回のマウンドを担ったマテオがともに43HPを挙げ最優秀中継ぎ投手賞を、9回の抑え役を担ったドリスが37セーブを挙げ最多セーブ投手賞をそれぞれ受賞[7]。ともに左投手である高橋と岩崎は相手打線との兼ね合い、もしくは桑原やマテオの登板状況に応じて登板する役割を担うことで、役割を厳密に固定しない柔軟な起用が可能となり選手にかかる負担を軽減させることができた[8]。 メディアではレギュラーシーズン終盤頃からこの5選手を「60試合クインテット」と称すようになる[9][10]。おもに大差の試合やビハインド時に登板した藤川球児も52試合登板を記録。「1チーム6選手による50試合登板」も同じくNPB史上初の事態であった[8]。 |
岩崎優 ロベルト・スアレス |
2020年-2021年 | ||
浜地真澄 湯浅京己 岩崎優 |
2022年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
浅尾拓也 岩瀬仁紀 |
2008年-2013年 | 落合博満、高木守道監督の下で、強力な方程式を形成して、中日の黄金期を築く大きな原動力になった。特に2010年、2011年のリーグ優勝に大きく貢献した。 セットアッパー役の浅尾は2010年に21試合連続ホールドポイントや日本記録のシーズン47ホールドを達成。2011年には45ホールド(2年連続のホールド王)を記録して、リリーフ投手としては史上2人目の最優秀選手に輝いた[11]。 抑え役の岩瀬は、2005年-2013年にかけて、9年連続30セーブ到達の偉業を果たす。この他にも、15年連続50試合以上登板(歴代1位)、史上初めての400セーブ到達などのを打ち立てた。 2010年は、左腕投手の髙橋聡文も、31ホールドを記録して勝利の方程式の一翼を担った。 2012年及び2013年は、浅尾が負傷離脱することが増えるようになったが、田島慎二が勝利の方程式の一翼として台頭。特に2012年は30ホールド(リーグ2位)を挙げて、クライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。 | |
祖父江大輔 福敬登 R.マルティネス |
2020年 | 「大福マル」(大福丸) | 祖父江大輔、福敬登、R・マルティネスの名前のネーミングを組み合わせたものである[12]。7回の祖父江が準セットアッパーとして28ホールド(リーグ2位)を、8回の福がセットアッパーとして25ホールド(リーグ3位)を挙げ、いずれもヤクルトの清水昇と並んで最優秀中継ぎ投手を受賞。9回抑えのマルティネスも21セーブ(リーグ2位)を挙げたが、終盤にコンディション不良で戦線離脱して以降は祖父江と福が交互に抑えを務めた。谷元圭介もビハインド時に加えて6回の勝ちパターンとしても起用されて13ホールドをマークし、4人でチームの8年振りとなるAクラス入りに貢献した。 |
清水達也 Y.ロドリゲス R.マルティネス |
2022年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
加藤武治 木塚敦志 川村丈夫 M.クルーン |
2005年-2007年 | 「クアトロK」 | 4人のイニシャルが共にKであることから「クアトロK」と呼称された。 球団が「クアトロK」と公式に呼称するのは2006年である。 |
三上朋也 山﨑康晃 |
2015年-2018年 | 2015年シーズン、前年までクローザーの三上が故障で開幕に間に合わず、当時大卒1年目であった山崎が開幕から抑えに抜擢され大車輪の活躍を見せる。8月には三上が戦列に復帰しセットアッパーを務め「三上 - 山崎」の方程式が結成、定着した。山崎は2015年に37セーブ(リーグ3位)、2016年に33セーブ(リーグ3位)を挙げ、プロ入り1年目から2年連続で30セーブ以上を記録(史上初)。主にホームゲーム(横浜スタジアム)での9回の登板時における「康晃ジャンプ」と称される独特の応援は、チームの名物になっている。 2016年は右腕の須田幸太、左腕の田中健二朗が準セットアッパー的役割を担い、三上を含め3投手が20ホールド以上を記録、山崎とともに強力な救援陣を形成した。 2017年は三上が不調だったものの、新外国人のS.パットンが代わりに8回に定着。62試合に登板して27ホールド、抑えの山崎も序盤はセットアッパーでの登板が中心になりながらも、交流戦以降はストッパーとして再定着。チームの日本シリーズ進出に大きく貢献した。2018年は三上が復調して準セットアッパーとして活躍した。 2019年はパットンが不安定な投球を繰り返し、三上も故障離脱する中、E.エスコバーがセットアッパーとして躍進。33ホールドを挙げた。 2020年は山崎が不振に陥ったが、三嶋一輝がクローザーに定着し、18セーブ(リーグ5位)をマーク。石田健大が7回のマウンドに定着し、25ホールド(リーグ3位)をマークした。オフにパットンが退団した。2019年以降、三上はビハインドでの登板を主としている。 | |
伊勢大夢 E.エスコバー 山﨑康晃 |
2022年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
今村猛 B.ヘーゲンズ J.ジャクソン 中﨑翔太 |
2016年-2017年 | 2015年シーズンに29セーブ(リーグ5位)を挙げて、抑え(クローザー)の座を手中にした中崎につなぐ中継ぎ陣の整備がチームの課題であった。この課題の解決のために、オフにジャクソン、ヘーゲンズを補強。 2016年シーズン、「ジャクソン - 中崎」と勝利の方程式を形成。これはシーズンを通して不動であり、そしてエクトル・ルナの故障で一軍に昇格したヘーゲンズ、更に彼の先発転向後は主に今村が準セットアッパー的役割を担うようになった。 中崎は防御率1.37・34セーブ(リーグ2位)、ジャクソンは37ホールド(リーグ2位)を記録。ヘーゲンズは19ホールド(リーグ9位)、今村は22ホールド(リーグ7位)をそれぞれ記録。この4人による強力な救援陣は、25年ぶりの悲願のリーグ優勝の原動力の大きな一つになった。 | |
島内颯太郎 | 2023年 | 島内はセットアッパーに定着し、42HPで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。矢崎は調子の上がらない栗林良吏に代わり抑えに定着し、24セーブを挙げた。 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
石井弘寿 五十嵐亮太 高津臣吾 |
2001年-2003年 | 「ロケットボーイズ」 | |
押本健彦 松岡健一 林昌勇 |
2008年-2011年 | 「MOL」 | |
O.ロマン L.オンドルセク T.バーネット |
2015年 | 「ROB」 | 大車輪の活躍で2015年のリーグ優勝の大きな原動力になった。 バーネットは41セーブ(リーグ1位)を記録。球団のシーズン最多セーブ記録を更新し、最多セーブ投手にも輝いている。 オンドルセクが33ホールド(リーグ1位)、ロマンが23ホールド(リーグ6位)、秋吉亮が22ホールド(リーグ7位)と、3投手が20ホールド以上を記録した。 それぞれの頭文字から勝利を「強奪する」意味の「ROB」と呼ばれた[13]。 同じく活躍した秋吉の背番号14を14年ぶりの優勝に見立てて「14ROB」といった呼び方もあった。 |
今野龍太 清水昇 S.マクガフ |
2021年-2022年 |
パシフィック・リーグ
[編集]主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
加藤大輔 菊地原毅 大久保勝信 |
2005年-2006年 | 「KKO」 | |
平野佳寿 岸田護 |
2010年-2012年 | ||
馬原孝浩 佐藤達也 平野佳寿 |
2014年 | 大車輪の活躍で2014年のクライマックスシリーズ進出の大きな原動力になった[14]。 平野は40セーブ(リーグ1位)を記録。球団のシーズン最多セーブ記録を更新し、最多セーブ投手にも輝いている。 セットアッパー役の佐藤が42ホールド(リーグ2位)、準セットアッパー役の馬原が32ホールド(リーグ4位。登板数55試合)の活躍。比嘉幹貴が20ホールド(リーグ11位)を挙げて、3投手が20ホールド以上を記録した。 比嘉を含めた4投手のフル回転ぶりは登板数の多さや防御率にも示されており、佐藤は登板数67試合(リーグ1位)で防御率が1.09、比嘉が登板数62試合(リーグ6位)で防御率が0.79、平野が登板数62試合(リーグ6位)と、3投手が60試合以上に登板したことになる。 | |
宇田川優希 山崎颯一郎 J.ワゲスパック |
2022年 | 「USJ」 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
攝津正 B.ファルケンボーグ 馬原孝浩 |
2009年-2010年 | 「SBM」 | 3人の頭文字とソフトバンク系列会社のソフトバンクモバイルのもじりで「SBM」(B=ブライアン)と呼ばれた。 2010年は、この3人に背番号48の甲藤啓介を含めた「SBM48」といった呼び方もあった。 |
五十嵐亮太 D.サファテ |
2014年-2015年 | 前年のオフに、広島、西武で実績を積み重ねていたサファテが加入したことで結成された。抑え役のサファテは2014年に37セーブ(リーグ2位)を挙げ、2015年は41セーブを挙げて最多セーブ投手に輝いた。 セットアッパー役の五十嵐は、2014年に44ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に輝き、2015年は31ホールド(リーグ3位)を挙げた。 この2人の大車輪の活躍は、チームの2年連続の日本一の大きな原動力になった。 | |
森唯斗 岩嵜翔 D.サファテ |
2017年 | この年、抑え役のサファテは1シーズンあたりのセーブ数をNPB記録の54まで伸ばし、セーブ失敗もわずかに1回のみ。 セットアッパー役の岩嵜はリーグ最多となる72試合に登板し、6勝3敗、40ホールドを挙げて最優秀中継ぎ投手に。 | |
L.モイネロ 森唯斗 |
2019年-2020年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
武田久 MICHEAL |
2006年 | 「HAMの方程式」 | 「Hisashi And Micheal」の略を親会社の「日本ハム」に引っかけた名称で、命名はJFKなどと同じく日刊スポーツの記事による。 前年終盤に頭角を現した武田久と交流戦で片鱗を見せていたMICHEALが開幕から好投、長年の課題だった中継ぎ問題が解決、打力走力守備力のバランス整備や、新庄剛志の引退宣言の後押しにより、夏場以降からポストシーズンまで快進撃を続け25年ぶりの優勝と日本一に貢献。初めて北海道に優勝旗と日本一旗が渡った。 愛称には加わっていないが巨人から移籍した岡島秀樹も左のセットアッパーとして活躍。しかし岡島はオフにフリーエージェント権でボストン・レッドソックスに移籍し、1年限りで見納めとなった。 |
宮西尚生 増井浩俊 武田久 |
2011年-2013年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
薮田安彦 藤田宗一 小林雅英 |
2005年-2007年 | 「YFK」 | 2005年に結成された阪神の「JFK」から、おもにマスコミから「YFK」と呼ばれた。「JFK」同様、実際には藤田のほうが薮田より最初に登板することが多い。 3人の大車輪の活躍で、特に2005年、チームの悲願であった31年ぶりの日本一の大きな原動力になった[15]。 「JFK」及び「YFK」の成功は、その後の日本球界全体への「勝利の方程式」波及への大きな影響を与えた。 |
大谷智久 西野勇士 |
2014年-2016年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
森慎二 豊田清 |
2001年-2005年 | ||
増田達至 髙橋朋己 |
2014年-2015年 | ||
森脇亮介 平良海馬 増田達至 |
2020年-2021年 | ||
水上由伸 平良海馬 増田達至 |
2022年 |
主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
片山博視 青山浩二 小山伸一郎 |
2010年-2012年 | 「スリーマウンテンズ」 | |
福山博之 松井裕樹 |
2015年-2017年 |
KBOリーグ
[編集]主な該当選手 | 主な該当年 | 命名された主な愛称 | 主な特徴、特記事項 |
---|---|---|---|
高昌成 林泰勳 李在雨 李庸燦 |
2009年 | KILLライン | 名前の由来は構成メンバー達の苗字のイニシャルからとられており、全員が右投手である。 高昌成が防御率1.59、林泰勳が11勝、李在雨がメンバー最多の97.1イニング消化、李庸燦が26セーブを上げるなど活躍。 特に李庸燦は同年のセーブ王となり最優秀新人賞を受賞した。 |
脚注・出典
[編集]- ^ セットアッパーのヒゲ魔人・五十嵐、抑えの大魔神・佐々木が活躍し、1998年の横浜の日本一に大きく貢献した。この年の佐々木は当時の日本記録45セーブを達成して、リリーフ投手として史上3人目の最優秀選手に輝いた。MVPを受賞した他の救援投手に江夏豊(1979年、1981年)、郭源治(1988年)、浅尾拓也(2011年)、デニス・サファテ(2017年)がいる。この2人に加えて島田直也も中継ぎの一翼として重要な役割を担い、島田は1999年にオールスターゲームへ出場した。
- ^ 特に左投げの遠山と右投げの葛西を相手打線の左右に応じて一方が一塁手として待機することで遠山-葛西-遠山-葛西のような継投を行い、「遠山・葛西スペシャル」、または「勝利の連立方程式」と呼ばれた。
- ^ 特に、2002年の防御率は、石井:1.51、五十嵐:2.08、高津:3.89で、3人合計の防御率2.19(209 1/3回、自責点51点)に高い成績を残した。
- ^ 抑え投手を称える指標であるセーブは、1974年シーズンから採用されている。
- ^ “「スコット鉄太朗」がトリオでトリプル30”. 日刊スポーツ. 2016年10月26日閲覧。
- ^ 『60試合クインテット』が2チームも…“継続”することの難しさ BASEBALL KING 2017年12月19日
- ^ 史上初5人60登板…常識覆す阪神「1度」の肩作り 日刊スポーツ 2017年12月16日
- ^ a b 金本虎が誇る最強リリーフ陣!60試合登板の五人衆 Baseball Crix 2017年10月8日
- ^ 阪神、高橋が到達で60試合カルテット達成!ドリスも達成すれば史上初5人大台 SANSPO.COM 2017年9月26日
- ^ 阪神・ドリス、「60試合クインテット」へフル回転誓った! SANSPO.COM 2017年9月27日
- ^ リリーフ投手として史上初めての最優秀選手に輝いたのは、1998年の佐々木主浩(横浜)である。
- ^ “中日・鉄壁リリーフトリオの愛称は「大福丸」 – 東京スポーツ新聞社”. 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社. 2020年11月7日閲覧。
- ^ “ヤクルトを変えた“ROB”の誕生 救援陣の再建に腐心しつかんだV”. スポーツナビ. 2016年10月26日閲覧。
- ^ “12球団ナンバーワン!オリックス中継ぎ陣の作り方”. 週刊ベースボールONLINE. 2016年10月27日閲覧。
- ^ 特に、2005年の防御率は、薮田:3.07、藤田:2.56、小林雅:2.58で、3人合計の防御率は2.77(139 2/3回、自責点43点)の高い成績を残した。