コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/馬超 20240925

選考終了日時:2024年10月9日 (水) 22:45 (UTC)

  • (推薦)自薦です。古代中国の人物についての伝記記事です。歴史的な事象については複数の文献を参照、かつ日・中・英の異なる言語圏の学術文献を用いることで記述の偏りや齟齬をできるだけ減らし、さらに特殊な社会的背景についても記述しました。文化面においても主要なものをおおかた説明できたと思います。良質な記事の目安を満たすものと考え、推薦いたします。査読依頼にも出していますが、そちらであらかじめ自己指摘した懸念についてもある程度解決できたと思われます。--胡馬会話2024年9月25日 (水) 22:45 (UTC)[返信]
  • 賛成 :推薦者票。--胡馬会話2024年9月25日 (水) 22:45 (UTC)[返信]
コメント三国志の有名な武将について創作と史実を整理しつつ、丁寧に記述されている記事だと思います。気になった点としては「関連作品」節に馬超を主題としていない作品が複数含まれていますので、整理した方が良いように思いました。また「評価」節については諸外国(特に日本)からどのような評価を受けているのかなどもあれば知りたいです。--Gurenge会話2024年10月3日 (木) 12:13 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。漫画・ゲームの節には、横山三国志(連環画に基づく装備)やコーエー発のゲームなど、日中両国におけるビジュアル面での影響が強いと感じたものを載せたのですが、いかんせん出典を記しようがないので、さきほどの編集で削除しました。日本での評価については、小説や歴史読み物以外を避けた上で、研究者が書いたものを一般書から探すとなると、井波律子か渡邉義浩くらいしかないという状況です。手元にある日本語文献で評価らしいものを追加しましたが、渡邉に関してはふさわしい文献を持っていないので、目星をつけている文献に評価らしい記述が載っていた場合は改めて加筆したいと思っています。また飯田(2022)や中国の各文献などに共通して見られるのですが、「隴右集団群」(飯田による呼称)や「涼州軍閥」に分類される人物たちは、個人に対する評価というよりも集団全体としての評価・分析を下される傾向にあり、そこで提示された特有の性質や方針などを馬超個人に対する評価として取り上げるのは不適当だと思ったため、そういったものはすべて背景節にまとめてしまいました。それから高島俊男『三国志 きらめく群像』(2000)には「曹操と違って劉備は軍人の人材が極端に不足しているから、馬超クラスならA級である」(203)、「やはり韓遂にくらべると、馬超はまだまだ小粒だなあ、の感はまぬがれない。まあ年の差もある」(208)とありましたが、ほとんど感想のようで、評価として取り上げることに躊躇を覚えています。英語圏での評価ですが、『ケンブリッジ中国史』第2巻の蜀漢に関する章では、亡くなってしまった "several of Liu [Bei]’s top civil and military officials" (72)、つまり劉備の文・武における最高幹部のひとりとして挙げられているのですが、これだけの記述を評価と数えていいのかわかりませんでした。そもそも三国志に関連する書籍が少なく、ましてや馬超に関するものとなると、だいぶ探すのが難しいという状態です。--胡馬会話2024年10月3日 (木) 21:56 (UTC)[返信]
返信 (胡馬さん宛) 賛成 早速ご対応いただきありがとうございます。当方の懸念点はおおむね解消されたため賛成票とさせていただきます。なお、「関連作品」の整理については、「主題とする作品」「登場する作品」で分類するのもひとつの手段かと思います。これだけ有名な人物の場合、放っておくとそのうち色々な登場作品(馬超を主題としない作品)が加筆される可能性があり、あらかじめ受け皿を作成しておくことで、記述の混乱を回避できる可能性があります。(例えば葛飾北斎の場合は関連作品節を「北斎を主題とした作品」という節名とし、主題としない作品の記述を「葛飾北斎が登場する大衆文化作品一覧」へ案内することで混乱が防止されております。)一般的に知名度のある偉人の伝記をまとめるには並々ならぬご苦労があったかと思いますが、良い塩梅でまとまっているものと思います。お疲れさまでした。--Gurenge会話2024年10月4日 (金) 12:06 (UTC)[返信]
返信 (Gurengeさん宛) 投票ありがとうございます。さらに関連作品の整理方法について、具体例も含めとても参考になるご意見をありがとうございました。今回の整理は我ながら姑息だと思ったので、本格的に「関連作品」節を整理する段階できちんと反映させたいです。なお先ほどの編集で、渡邉義浩の評価も追加してみました(差分)。--胡馬会話2024年10月5日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
  • コメント 主要な部分については、一次資料と二次資料(WP:PSTS)を合わせて出典に示すというスタイルで構成され、ウィキペディアの方針を満たしており、良質な記事と言えると思います。ただ、一次資料(歴史資料)だけを直接の出典とする記述がほとんどという箇所もあり(「後世の評価」節、「墓所」節の「勉県(沔県)の墓所」の項、「伝承」節など)、この部分は独自研究という判定をされるかもしれません。また、漢文の翻訳が長く書かれている箇所も多いですが、原則的には、その漢文の内容に対する現代の学者の研究をもとに記述するべきで(この研究が日本語・中国語なのかは問いません)、その研究がない漢文は引用しない方がベターだと思います(合わせて、原典の漢文に対する言葉の注釈も多いですが、これも二次資料の出典がない場合は独自研究とされ得るでしょう)。全体として、馬超の記事だからと言って、馬超に関わる歴史記述の全てを収集する必要はなく(WP:SURPLUS)、二次資料から可能な限りの記述をすればよいのでは、というのが私の意見です。ただ、記事の骨格の部分は二次資料からできていますし、積極的に反対とはせず、コメントだけに留めておき、他の方の意見に任せようと思います。--Gynaecocracy会話2024年10月4日 (金) 14:56 (UTC)[返信]
    コメントありがとうございます。先ほど編集しまして(差分)、墓所と語義には出典を足し、一部は削除しました。抜けがあったらすみません。漢典というオンライン中国語辞典は東京大学中国思想文化学研究室でも紹介されているので、信用できると思います。また、ひとまず二次資料のない『耳談』の引用はやめにして、あらすじ形式に書き換えました(Gynaecocracyさんの指摘されたことの内容を取り違えていた場合は申し訳ないです)。後世の評価については、個人的に面白いと思った評価を載せたので、なんとかして先行研究を見つけられればと思うのですが、ややマイナーな人物によるマイナーな記述部分を取り上げてしまったため、自分でもあまり先への期待ができません。伝承節は本来、時折ゲームに採用されているのを見かける出手法を出典つきで示したいがために作成したはいいものの、それだけでは貧相なので、ほかの古蹟を賑やかしとして載せたというのが正直なところです。今はとりあえずそのままにしていますが、本音を言えば内容的にもそれほど重要でない事柄だと思うので、節ごと削除しても(されても)特に問題ない気がします。あまりご指摘を反映できた実感がありませんが、またご意見をいただければ幸いです。--胡馬会話2024年10月5日 (土) 14:05 (UTC)[返信]
    返信 修正ありがとうございます。以上の私のウィキペディアの方針の理解がどれほど正しいかは自信ないので、間違っていたらごめんなさい(そしてそれは以下の意見も同じです。ですので、他の方の意見を待ってから修正した方がいいかもしれません。私は専門が近すぎて、また過去似た分野のウィキペディア記事の執筆をやってきたこともあり、変にこだわって感覚的な意見を言っている気がするからです。)
    1. まず、二次資料に書かれていないことは、原則的には記述するべきではないというのがウィキペディアの方針だと私は考えています(特に歴史関係の記事では)。一次資料から探し出せる全ての情報を網羅する必要はないのであって、先行研究がないなら、私なら「書かない」という判断をします。言い換えると、ウィキペディア執筆は、「一次資料を探す→それに対応する二次資料(先行研究)を探す」という手順というよりも、「そもそも二次資料を元手に書くもの」だという感覚を私は持っています(これはあくまで私のイメージです。どんな感覚で記事を書いても、最終的に基準を満たすものになれば何でもよいので、一次資料から探していってもいいと思いますが)。
    2. また、作品のあらすじは例外として一次資料を用いてよいとされますが、この場合、元の作品が漢文ですから、執筆者が解釈を加えたもの(独自研究)と指摘されるかもしれません(WP:PSTS)。
    3. これも判断が分かれるかもしれませんが、「検証可能かどうか」という観点から考えると、原漢文への言葉の注釈は、「その漢文における「〇〇」という語彙の出典は「△△」である」という出典でなければならず、単に「「〇〇」という語彙の出典は「△△」である」という出典でよいのか、判断に迷います。というより、こうした問題をクリアできるぐらい先行研究で細かく分析されてきた原文ではないのなら、そもそも直接の引用が必要なほど重要な原文ではない、と私なら判断します。つまり、原文を丸々掲示して細かく注釈をつけるのではなく、その要約を作って説明する方がよい部分が多いのではないか、というのが私の意見です(そもそも漢文の翻訳が正しいのかという問題も出てきますので、これを回避する意味合いもあります)。--Gynaecocracy会話2024年10月5日 (土) 17:28 (UTC)[返信]
    返信 (Gynaecocracyさん宛) いただいたご意見を参考に、檄文は専門家の訳文を参照しながら修正し、墓誌記の本文と伝承節は省きました(差分)。--胡馬会話2024年10月8日 (火) 14:20 (UTC)[返信]
    返信 賛成 修正ありがとうございます。少しだけ一次資料のみの箇所も残っていますが、全体の骨格が二次資料ベースになったので、良質な記事としては十分なものと思います。賛成票を入れさせていただきます。中国史分野は、出典のない記事や出典が一次資料だけの記事も多く、まだまだ改善の余地がありますので、ぜひ今後の執筆に期待しております。--Gynaecocracy会話2024年10月8日 (火) 15:46 (UTC)[返信]
  • 賛成 :蜀の五虎将の一人として勇名を轟かしているわりに、書ける内容が少なそうな印象のある人物ですが、今回拝読したところ大変詳しく書かれていて驚きました。力作で、文献の多さには圧倒される思いです。現状で良質であることに異論はありません。が、今後の検討課題として4点ほど挙げさせていただきます。
  • 冒頭:有名のもととなっている演義での扱いについても案内として簡潔に触れておくとよいと思います。例として、「後に成立した小説『三国志演義』においては、馬超は蜀の五虎将として物語でも有数の武勇に優れた武将として描かれ、その風采については錦馬超と称えられている。」など。
  • 生涯節:例えば「潼関の戦い」節の冒頭に「詳細は潼関の戦いを参照」とされていますが、本記事の方が詳細であり実態が逆です。これ以外にも全体的に詳細にすぎると感じるところがあります。記事主題である馬超自身のこと以外はもう少し簡潔にして、詳しい内容は「潼関の戦い」をはじめ個別記事に移してはいかがでしょう。また、掲載地図について、潼関の位置や各部隊の進軍経路、戦闘場所などが図示されておらず、戦いの前半の舞台であろう「黄河南岸」と後半の「渭南」の位置関係もわかりにくいです。おそらくは、潼関の西に布陣していた馬超・韓遂軍の背後に曹操軍が回ったものかとは思いますが。
  • 背景節:涼州とその地で成立した軍閥全般についての解説であり、この中で馬超に直接関係するものは限られています。涼州軍閥といえばまず董卓が挙げられるということもあり、興味深いとはいえ馬超の記事にこれほどの内容が詰め込まれているのはいささかテーマが大きすぎ、バランスを欠く印象があります。したがって、例えば「後漢末」に一節設けるとかあるいは「(後漢末の)涼州軍閥」など別記事としてまとめることを検討していただけないかと思います。もちろん馬超をそうした軍閥の系列として見ることは重要ですから、すべて他に移せということではありません。記事主題に焦点を絞って濃淡をつけるべきということです。
  • 評価節:現状はほぼ一次資料からの言及の羅列になっているようですが、最初にまとまった記述がほしいです。例えばですがもし私が手を入れるとしたら、性格面では井波律子の評を、軍事面では渡邉義浩の評を、日本のというより現代の評価として代表させたいところです。満田と関尾の評は、軍閥に関係しますから背景説に取り込んで「日本での評価」はなくすかな、と思いました。--みっち会話2024年10月9日 (水) 12:42 (UTC)[返信]
返信 (みっちさん宛) コメントならびに投票ありがとうございます。ご指摘を受けた部分について、ほとんど言い訳のようなものですが、今思いつけた分だけ回答します(過去の編集について語尾に「〜と思います」とあるのは、該当箇所を書いた当時の自分の思考を覚えていないためです)。
  • 冒頭についてはおっしゃる通りだと思います。自分の興味関心が歴史上の人物としての馬超に偏ったがために、『演義』などの文化的側面をなおざりにしていたきらいはあります。以後の編集で反映させたいです。
  • 潼関の戦い以前は、父の馬騰の動向に付随するような形でしか馬超が登場しないので、生涯節の序盤が馬騰についての説明にならざるを得なくなっています。また史実の馬超は訳もなく反乱した(それにより親兄弟を死なせた)、行動が意味不明などと言われがちなので、そういう認識にならないような説明をしようと執筆時に心がけた結果、馬超との関係がやや薄い他勢力の動きなどについての記述が増えてしまったのだと思います。加えて、馬超の影響力の大きさを示したかったのかもしれません(人口の流動など)。以前、馬超の記事にあった曹操の用兵に関する記述を削除した記憶がありますが、潼関の戦いの記事をもっと細かく記述すればいいだろうかと今考えました。地図の情報不足に関しては、完全に私の怠慢および能力不足が原因です。ないよりマシだろうという意識で既存のものを追加しました。進軍経路などを書き込める地図が作成が可能ならば、喜んで作りたいところです。
  • 涼州軍閥や羌胡化については日本であまり紹介されていない印象を持っており(特に後者)、ただ「馬超は羌胡化したので、こういう行動をとったようです」というだけでは、それらについて知らない読者には説得力の欠ける印象論にしか見えないのではと考え、「馬超の羌胡化→羌胡化の概説→その変化が起きた理由や時代背景→そもそも涼州・(漢族にとっての)羌族とは」という風に、芋づる式に増えていったのだと思います。この部分に限りませんが、私の情報の取捨選択の神経症的傾向や要約力不足によって、ご指摘の通りところどころ記述が重くなってしまいました。涼州軍閥に関しては、別記事の作成を検討したいと思います。
  • 「最初にまとまった記述」を載せるというのは、たとえば「卓越した武力を賞賛される一方、難点として冷酷な面を指摘されることが多い。曹操(朝廷)への反逆に対する認識も、時代や評者によって異なる」というような文を評価節の冒頭に書くといったものでしょうか(即興で考えたので的確か否かは不問としてください)。井波律子の評は、掲載元が学術的なものではないとはいえ正直あまり深みがなく単純化が過ぎると思い、代表とするのに気が引けた記憶があります。
今後の編集方針や改善点を具体的に把握できました。重ねて感謝いたします。--胡馬会話2024年10月9日 (水) 22:33 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。「最初にまとまった記述」とは、総論的な文章という意味でした。私は井波律子を知らず、記事の情報のみから述べているため、なにを重視されるかは執筆された胡馬さんの判断を尊重します。--みっち会話2024年10月10日 (木) 14:40 (UTC)[返信]

選考終了時点で、賛成4票、反対0票より、通過。--Family27390会話2024年10月10日 (木) 14:32 (UTC)[返信]