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Wikipedia:コメント依頼/GustafYasmin

利用者:GustafYasmin会話 / 投稿記録 / 記録さんの、記事半ズボンおよび利用者‐会話:GustafYasminにおける言動について、コメントを依頼します。--Aoioui. 2022年1月31日 (月) 09:26 (UTC)[返信]

これまでの経緯

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編集経緯としては半ズボンにおける編集がすべてで、対話経緯としては利用者‐会話:GustafYasminのものがすべてです。

  1. まず、わたしが「半ズボン」にて除去編集を行いました(特別:差分/87784545)。出典の明記テンプレートから数年経過していることもあり、無出典や一次資料を出典とした記述を除去しました。
  2. 次に、GustafYasminさんが「出典を確認できた」「専門家による出典明記が期待される部分には、こまやかに用出典マークを付しました」として大部分の記述を復帰しました(特別:差分/87789324)。
  3. 出典のリンクがつながらず、明らかに確認されていなかったこと、また要出典であったから除去した文章を再度要出典として大部分戻していることから、先に利用者‐会話:GustafYasminで説明した上で、GustafYasminさんの編集を取り消しました(特別:差分/87792690)。
  4. GustafYasminさんが再度、リンクを修正した一次資料を用いて、一部記述を戻しました(特別:差分/87793093)。

以降は会話ページでの話し合いになります。この話し合いが不調に終わっているため、コミュニティーの意見をいただきたく思います。

依頼者のコメント

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わたしが求めていることを一言でいうと、一次資料の使用をやめてほしいです。

もちろん例外があることは承知していますし、GustafYasminさんが突いているのもそこでしょう。しかしGustafYasminさんのやっていることは、一次資料を用いて「一部の中学校では……」という記述をしたいということなので、明白に独自研究です。この点を説明しているのですが、二次資料を用意するのは「悪魔の証明」だとか、英語版ではどうだとか、本筋ではないことを仰るばかりで、「二次資料を使う」ということをどうしても納得していただけません。

対話の態度も問題です。要出典だから除去したものを要出典で戻すとはどういうことか質問すると「私の論点の対象外でした」という。出典のリンクが未確認だったことも含めれば、このような態度は極めて雑としか言いようがありません。またそのリンクに関して、わたしが答えなかったとして、GustafYasminさんから明示的に「リンク切れとなっている出典のリンクを貼り直してくださらなかったのは何故ですか?」と質問されたため、わたしは「リンク切れを直してから除去するのですか? それは意図不明というものでしょう。リンク切れを直しても一次資料は一次資料です。一次資料として使えない出典として除去するのですからリンク切れを直す必要はありません。」と返答しました。これに関してGustafYasminさんが「仔細な返信は致しません。」と応じたことからわたしが抗議したところ、「「続きは後で書きます」という趣旨を記した通りです。」と発言なさいましたが、このあとのコメントでリンク切れの話は出てきませんでした。このように、ひとには「質問に答えないのか」と迫りながら、自らは質問をかわし続けるという態度は、対話をするにあたって極めて不誠実です。

さらに、個人攻撃の問題があります。わたしは当初、GustafYasminさんが出典を確認せずに「確認した」とした要約欄の記述を「虚偽」であるとして差し戻しました。これについて、GustafYasminさんが不快感を示されたため、わたしはそれに関して謝罪をしました。しかしながらその後の発言でGustafYasminさんはわたしを「正気の沙汰ではない」と個人攻撃しました。これに関して抗議したところ、「申し訳ありませんでした」とする一方、「「非常に能力が高い」という意味合いの賛辞」だなどと言い、撤回しないばかりか、「今後の参考までにお伺いしたいのですが、Aoiouiさんは、文脈により相反する意味を持つ単語は苦手ですか?」と当てこすりまで行ってきました。「AoiouiさんにとってWikipediaの編集はライフワークなのですね」等もそうです。問題を解決するべく議論を行う場において、このような発言はまったく必要ありません。このような発言を見るに及んで、これ以上の対話は無理であると感じ、このコメント依頼を提出しました。--Aoioui. 2022年1月31日 (月) 09:26 (UTC)[返信]

GustafYasminさんのコメントに対して これはGustafYasminさんの対話コストの高さを示しています。ただ「一次資料を使わないでほしい」ということを納得してもらうのに、これほど長い文章を費やさねばならないとは思えません。--Aoioui. 2022年1月31日 (月) 15:10 (UTC)[返信]

 追記 GustafYasminさんの履歴を目視ですべて確認しましたが、二次資料を使っている様子はこれ(特別:差分/43564686)以外見つかりませんでした。目視で見落としがあったとしても、GustafYasminさんが使っているのはほぼすべてが一次資料(あるいは無出典)です。しかもここ数年の編集で目立つのは制服のリスト作り。出典は一次資料であるばかりか、その中には写真がメインということもある(特別:差分/49380809特別:差分/43571560等、直近なら特別:差分/87788514)。こういう場合、写真を見て、ここに写っている子はこういう制服を着用しているな、とGustafYasminさんが判断しているとしか考えられません。GustafYasminさんがこういうことを継続するために、下にあるコメントのような長大な文章に基づく議論が必要なのですか? わたしはそうは思いません。--Aoioui. 2022年1月31日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

2022年2月1日 (火) 12:30 (UTC)のGustafYasminさんの発言宛つきまといの被害」とは何でしょうか? 勝手に加害者にしないでください。失礼な「仮説」だとか、類語辞典を引きましただとか、こういう、人を小馬鹿にした態度で議論が本筋から逸れてしまうのは時間の無駄なので今は我慢しますが、その履歴の精査がなければGustafYasminさんがほぼ一次資料しか使っていないことは分からなかったわけです。その一次資料の使用をやめてほしいと言っているのに、どうしてほかの話ばかりするんですか。約束できませんか? どうして我々が、世界中のサイトから半ズボンやセーラー服姿の子供の写真を探して、Wikipediaに制服のリストを作っているGustafYasminさんの編集に付き合わなければならないんですか?--Aoioui. 2022年2月1日 (火) 16:42 (UTC)[返信]

>Aoiouiさん、紅い目の女の子さん
さきほど紅い目の女の子さんへの返信に書きましたように、私は大変有意義な知見をえることができました。それに照らし合わせて今までの議論を見返すと、なんと回りくどいことをしていたのか、と恥ずかしくなるほどでした。私は今まで、Wikipedianとしての自分になりきれないまま議論を繰り広げておりました。(もちろん、Wikipedianとしての自分がまだ極めて未熟な状態であったことも、いけませんでした。)それゆえに、現実世界の自分の興味のままに、Aoiouiさんからの問いかけにはなかった話題を盛り込んでみたり、不要なたとえ話を挿入したりしたのです。本題に絞ってまっすぐお話をされるAoiouiさんにとって、私からの返事が議論の拡散や詭弁に見えたことを、今の私は理解できます。

「半ズボンを見て半ズボンだと認識してはいけない」「出典」「一次資料」「二次資料」については、おかげさまで、納得することができました。Wikipediaの制服リストについては、現時点でのリストは、二次資料に基づいていないこともわかりました。「ブロック依頼」および「コメント依頼」での議論が終結次第、対処させていただければと考えています。

Aoiouiさんとの今までの議論についても、自分に対して寄せられた文章を、Wikipedianとしての自分が読み、解釈すれば、もっとスリムに行えたに違いない、と反省しております。
また、Wikipedianとしての自分を挟まずに解釈したため、Aoiouiさんに対して私が誤った感情を持ってしまった場面もありました。たとえば「つきまといの被害に遭っているような感情」の部分です。今の私が思うには、Aoiouiさんが私の過去の投稿を確認したのは、あくまで事実確認をおこなっただけでした。私の投稿内容を、編集基準に沿ったものに改善するためのプロセスの一つでもありました。Wikipedianの私はそれに対して被害感情は全く持っておりません。そして、連動する現実世界の私も同様に、被害感情は全く持っておりません。

>人を小馬鹿にした
についても、Wikipedianとしての今の私に言わせれば、私の投稿は不適切でした。

>半ズボンの記事に関して申し上げれば、「リンク切れを修正して再掲載しないのですか?」という趣旨の私の発言に対するAoiouiさんの応答も、いまならよく理解できます。

さて、Aoiouiさんが最初に投稿してくださった「半ズボンにおける編集について」に対して、今の私から返信をさせてください。「承知しました。リストを記事に戻したのは、出典についての理解の乏しかった私の不手際でした。二次資料を見つけるまでは、いちど記事から削除させていただきます。」です。

今回仲裁に入り、私を成長させてくださった紅い目の女の子さんさんに、重ねて御礼申し上げます。--GustafYasmin会話2022年2月3日 (木) 11:58 (UTC)[返信]

GustafYasminさんのコメント

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Aoiouiさん、コメント依頼を作成してくださったのですね。ありがとうございます。

第三者の皆様におかれましては、実際のコメントのやりとりについて、https://ja-two.iwiki.icu/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:GustafYasmin をご参照ください。

まず、最初に申し上げたいことがございます。私は、常にWikipediaをモニターしているわけではありません。本日のやりとりも、休憩時間や移動中の合間に返信させていただいておりました。(だからこそ、「後で書きます」というくだりも含まれていたわけです。)私の最終返信から3時間弱にわたり私からの返信が途絶えたこと根拠にして「この話し合いが不調に終わっている」とAoiouiさんが断言されてしまいますと、私としては心が乱れてしまいます。もしAoiouiさんが早めに返信が欲しいのでしたら、その旨を投稿文中に記載していただければよろしかったとおもいます。私も、「すぐには書けません」という短い返信を送れたかもしれません。

さて、
■「これまでの経緯」について。
1. Aoiouiさんが1万文字を超える内容を削除した理由は了承できました。Aoiouiさんの理解されている編集指針に反していたからです。「一次資料」の定義およびその扱いについては、私とは意見を異にしております。それについては、Wikipedia編集全般に関わる一大事ですので、後の項目を立てて議論させてください。

2, 3.「出典を確認できた」については、私の確認不足がありました。(各学校のホームページが存在していること、およびそのホームページでかつては事実を確認できる状態にあったことは知っておりました。ページを差し戻した時点では、学校のページは存在するものの、該当ページはリンク切れの状態になっていました。その確認が不十分であったため、差し戻しおよび再掲載の回数が多くなっています。)そのため、第三者から見ると経過がややわかりにくくなってしまっています。「出典」についての定義および取り扱いについては、後の項目で議論させてください。
「専門家による出典明記が期待される部分には、こまやかに用出典マークを付しました」については、私の認識がAoiuoiさんの求める基準に達していたなかったようです。個人的には、「興味深い内容なので誰かに出典を伏して頂きたい」「もしかするとこの項目を記載した人は出典を知っているのではないか?そのひとがこの要出典マークを見れば出典を記載してくれるのではないか?」と期待して、本文に復帰させました。この復帰方法は、適切ではありませんでした。
※「私の論点の対象外でした」については、本文をご覧いただければ分かりますように、
『「子供服としての位置付け」「普及から衰退までの経緯」については、私の論点の対象外でした。
 それらの項目に付けられた「要出典」に関しましては、Aoiouiさんご自身で削除してください。』
という文脈で用いています。
「子供服としての位置付け」の項目は、Aoiuoiさんの削除を受けておらず、私も手は加えてませんでした。ですので、私にとっては意識の対象とはなっていなかったのですが、Aoiuoiさんは「半ズボン」という記事全体に対する責任を私に求めていらっしゃったようです。なお、「普及から衰退までの経緯」は、後半部分(「サッカーやバスケットボールの影響から・・」以降)がAoiouiさんにより削除されていたようです。その削除部分を私が不用意に復帰させたことも、Aoiouiさんを混乱させたのかもしれません。
私は、Aoiouiさんほど厳密な人間ではないゆえ、このようなことが生じるのかもしれません。どうか強く非難するのではなくて、温かくご指摘いただければ、私としてもありがたいです。


■「依頼者のコメント」について
>一次資料の使用をやめてほしい
この主張を理解するには、「一次資料」の定義や取り扱いについて議論を行う必要があります。

そしてAoiuoiさんは2つの誤解をしているのではないかと私は推測しています。
(もちろん、私が誤解している可能性もあります。それは第三者様のコメントを待ちたいと思います。

[1] 1つめの誤解:「一次資料」「二次資料」の定義について:
Aoiuoiさんによると、
・一次資料:「半ズボンを使っている学校の資料(一次資料)」
・二次資料:「半ズボンをこれこれの学校が使っていると第三者が書いている資料」
とのことです。「Wikipediaに(本文や記事を記載するときに)必要なのは二次資料」であることに、私は異論はありません。
一方で、「一次資料」と「二次資料」の定義については、Aoiuoiさんは誤解していらっしゃるのではないかと考えています。(「半ズボン」記事のノートにおいては、私はこの誤解釈に気づかず、Aoiuoiさんに返信を送ってしまいました。その後、訂正を行っています。従って、議論がやや煩雑になっています。)

WP:PSTSによりますと、
・「二次資料は、一次資料に基づいてそれを作成した人物によるその人自身の【考察を提供するもの】」と定義されています。したがって、半ズボンの記事における二次資料は
・「半ズボンをこれらの学校が採用していることについて、第三者が【経緯や理由を分析・考察している資料】」などでなると私は考えます。

一次資料は、「各学校の出版する書籍やホームページ」ということになるのでしょう。

[2] 2つめの誤解:「記事が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。」というWikipedia編集方針の意図について
WP:PSTSを読む限りでは、Wikipediaの記事が二次資料、三次資料に基づくべきとされる背景には、「解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張 について、Wikipedianが独自の解釈を加えることを避る」という目的があると理解しました。だからこそ、「一次資料は注意深く使えば出典とすることができます」と記載されていますし、解釈を含まない記載であれば一次資料にもとづいて記載することも許容されるのだと理解しました。

この件については、編集方針の日本語の記載がやや曖昧であったため、私は英語版の記載も確認しました。もちろん、英語版Wikipediaと日本語版Wikipediaとは必ずしも編集方針が同じとは言いません。英語の方が日本語よりも厳密な表現をする傾向にあるため、私の理解の一助となると考えました。その旨をAoiuoiさんへの返信にも記載していますが、Aoiuoiさんは「この質問には意味がありません。」と一蹴しています。「本筋ではない」と指弾されたことは私にとって不本意です。

なお、英語版には
・「記事全体を一次資料に依拠してはいけません。」に対応する表現として、
・「Do not base an entire article on primary sources」
と書かれてありました。

WP:PSTSに記載された内容の文脈も考慮すると、「記事は一次資料に書かれた【解釈】に基づき構成すべきでない」がWikipedia編集方針の意図する内容であり、「記事や段落内に一次資料のタイトルを列挙してはいけない」とはならないと私は考えました。これは、「一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみ」とも整合性が取れていると考えております。これについてAoiuoiさんに意見を求めたところ、以下のようなお返事を頂きました。

「厳密に定義するのも結構ですけれども、とにかく第三者が書いた二次資料を使ってください。ここでGustafYasminさんと二次資料の本質について語り合うつもりはありません。第三者が書いたものという認識が一致していればこの議論には事足ります。」議論は平行線のままでした。
※ホームページを見て、制服に半ズボンが存在することを確認する営みは、「解釈」には該当せず、単なる「事実確認」にすぎないと私は認識しています。

※Aoiouiさんの考える二次資料:「半ズボンをこれこれの学校が使っていると第三者が書いている資料」に該当する資料は、あいにく私は存じ上げません。検索を試みましたが、短時間のうちには見つけることが出来ませんでした。おそらくはこの世に存在しないのではないかとさえ思っております。そのような「発見・証明の難しさ」が存在する状況下で、二次資料の提出を強く求められている私の境遇は、さながら「悪魔の証明」をさせられているかのごとくです。Aoiouiさんは「出典を探すことは「悪魔の証明」ではありません」と述べておられますが、「極めて存在する可能性が低い資料を探す営み」は「悪魔の証明」に近いことだと私は感じました。


なお、上述のような「一次資料のタイトルを列挙する」というスタイルは、Wikipediaにおいては一般に見受けられるスタイルであります。Aoiuoiさんの基準に照らし合わせれば、不適格な記事なのかもしれません。そういった記事が、Aoiuoiさんの目にどのように写るかは、議論を前に進めるする突破口として役に立つ可能性があります。そこで、ためしに「遊園地」の記事について、例示してみました。


 https://ja-two.iwiki.icu/wiki/遊園地 には、遊園地の一覧がリストアップされています。 これらには対応する二次資料が提示されていません。が、それぞれ遊園地であることは容易に確かめることができます。

するとAoiuoiさんは「ほかにも悪い記事があるじゃないかというスピード違反の論理に付き合うつもりはありません。」と返信なさいました。同様の表現は、Aoiuoiさんのノートの『「自己スタイル的編集」という表現について』にも登場します。おそらく、「警察官がスピード違反の車を取り締まり、免許証の提出を求めている最中に、他の車が猛スピードで警察官の目の前を通り過ぎる」ような状況を想定している表現なのでしょう。

この返答を目にして、私の心の中には一つの仮説が浮かび上がりました。
Aoiouiさんが「半ズボン」の項目に非常に強い興味をもち、一方で「遊園地」の項目を度外視する態度は、態度こそ私のような者には不自然に感じられます。(Aoiuiさんが、Wikipedia編集者としての態度の一貫性を自ら否定しているかのような行為だからです。)もしかするとAoiouiさんは「半ズボン」というテーマ自体に思い入れがあり、該当の記事を削除したいという非常に強い動機を持っているのではないか?という仮説です。(違ったら申し訳ありません。)


※私はAoiuiさんに「Wikipedia 運営本部に解釈を確認することは、Aoiouiさんにとっても、今後の編集活動を正確に行える点で有意義な行為だと私は思います。いっしょに問い合わせてみませんか?」と持ちかけてみましたが、その提案に対する返信はなく、このページ(コメント依頼)が予告なく作成されました。



■「対話の態度も問題です」「個人攻撃の問題があります」について:

まず第一に、Aoiuoiさんの当初から表現に棘のある文章を私に置くっていらっしゃりました。ご本人さんにそういった意図はないのかもしれませんが、私は、指導教官に論文を初めて出したときのことを思い出しながら拝読していました。

その後も私は時折「困惑しています」「辟易しております」といった感情を表す表現を文中に織り込んでおりましたが、Aoiouiさんの口調は終始攻撃的なままでした。

Aoiuoiさんは、私が「正気の沙汰ではない」と述べたことに失望していらっしゃりました。
これについては反論させてください。特定の字面だけを抜き出さずに、文脈で理解してください。
わたしは「わずか数分のうちに長文をお返しくださりありがとうございます。この入力速度と頭の回転速度は、正気の沙汰ではないと感じました。」と述べております。Aoiuoiさんが「直前に私が投稿してから31分以内に1016文字(ワードでカウントしました)の返信を記入・投稿した」という状況においては、「正気の沙汰ではない」が「非常に能力が高い」という意味合いの賛辞であることをAoiouiさんが認識できると私は期待していました。(「ヤバイ」と同じような用法です。)特に、「正気の沙汰でない」という表現は、「入力速度と頭の回転速度は」という肯定的な表現を修飾しているわけですから、なおさらです。

>「今後の参考までにお伺いしたいのですが、Aoiouiさんは、文脈により相反する意味を持つ単語は苦手ですか?」と当てこすりまで行ってきました。
についても、Aoiouiさんが当てこすりだと認知されたことに私は幻滅しています。皮肉ではなくて、今後の文章表現をスムーズに行うために必要な知識であったため、確認をしたのです。

個人的な経験で恐縮ですが、私は2015年ごろに、2チャンネル掲示板等においてAoiouiさんと似た口調で文章を書き、かつ非常に詳細な点にこだわって議論を進行するお人と文章で会話した経験がありました。(その方は、私を含めた多くの人が目にすると心がひるんでしまいそうな強い単語を頻用していました。おそらくその方にとっては、ご自身が伝えたい概念を的確に表現できるという理由でそれらの単語を選んでいたのでしょう。また、その方は、ご自身が発した質問に対する私の返答に抜けている要素があると、ひどくご立腹になっていました。立腹が頻繁に起きたことにより、議論に時間を要したことを私は思い出しておりました。)

その方とのやりとりを通して得た知見として、
・主語述語を省略せずに記載する
・比較対象は厳密に表記する(例:「今日は昨日よりあたたかい」ではなくて「今日の気温は昨日の気温よりも高い」)
・文脈により相反する意味を持つ単語は使用を避ける
・答えてもらいたい論点は番号を振って箇条書きにし、文末に「?」を付する。
といった点に気を配って文章を作成すると、誤解が少なく通じ合えるということが分かりました。

しかしながら、これらの表現を存分に盛り込むと、できあがった文章は日本語として不自然な表現になりかねません。大多数の人たちは、そういった日本語を「回りくどい」として忌避する傾向にあります。ですから、私がAoiouiさん嗜好傾向を把握しないまま「回りくどい」表現を書いてAoiuoiさんに読んで頂くことは、Aoiouiさんにとってかえって失礼になるのではないかと私は心配しておりました。(余談ですが、日本語では回りくどく感じられますが、同様の表現は英語ではごく自然な表現に仕上がるのですよね。)

■まとめ
大変長い返信になってしまいました。これほどの長さを有していても、Aoiuiさんの論点の全てに答えられているかどうか、私には自信がありません。もし抜けがありましたら、箇条書きなどの形式でご教示くだい。

私が第三者様にご意見を頂きたい点は3つです。
(1) 二次資料の定義は「半ズボンをこれこれの学校が使っていると第三者が書いている資料」ではなくて、「半ズボンをこれらの学校が採用していることについて、第三者が【経緯や理由を分析・考察している資料】」なのではないか?
(2) 記事中に「一次資料のタイトルを列挙する」ことは、許容されるかどうか?(実際にそのようなスタイルの記事は多数存在しています。)
(3) 仮に(2)が許容されるとすると、他の記事(たとえば「遊園地」の記事)の編集は行われるべきか?

ご多忙の所大変申し訳ございませんが、何とぞよろしくお願い申し上げます。--以上の署名のないコメントは、GustafYasmin会話投稿記録)さんが 2022年1月31日 (月) 12:13‎ (UTC) に投稿したものです(Aoioui.による付記)。[返信]

(以下、わたしのコメント節から移動--Aoioui. 2022年2月1日 (火) 07:25 (UTC)[返信]

私の履歴を全て目視で確認してくださったのですね。
今回、Aoiuoiさんが追記をしてくださったことにより、Aoiuoiさんが持っていらっしゃる問題意識の一つを、私は明確に知ることができました。(私が、最初にコメントを返信した際に ※印をつけて記載した内容でもありますが、)
写真を見て、ここに写っている子はこういう制服を着用しているな、とGustafYasminさんが判断しているとしか考えられません。」が、Aoiouiさんの問題意識であったのですね。
写真を見て、制服に半ズボンが存在することを確認する営みは、「解釈」や「判断」には該当せず、単なる「事実確認」にすぎないと私は認識しています。とくに、対象物が鮮明に描写されている場合は、半ズボンの画像を半ズボンだと認識することは自然なことだと私は考えます。
Aoiouiさんが今回新たに提示してくださった問題意識についても、私は第三者からのコメントを待ちたいと思います。--GustafYasmin会話2022年2月1日 (火) 07:19 (UTC)[返信]

(以下、第三者のコメント欄から移動--Aoioui. 2022年2月1日 (火) 13:42 (UTC)[返信]

  • 紅い目の女の子さん
    ご返信くださり、ありがとうございます。

    まずそもそも、制服の画像を見るだけを以て「これは半ズボンである」「半ズボンでない」と執筆者が判断することが問題です。
    写真だけを見て半ズボンであると「確認」するというのは、実質的には執筆者の判断・解釈です
    明確にお答えくださり、ありがとうございます。やはり、Aoiouiさんの問題意識は上記のポイントにあったのですね。
    私は、Aoiuoiさんが「追加」において述べてくださった問題意識を知って以降、Aoiouiさんの述べておられる「出典」「一次資料」「二次資料」について、すんなりと理解することが出来ました。
    だからこそ、Aoiouiさんは 二次資料のことを「半ズボンをこれこれの学校が使っていると第三者が書いている資料」だと定義されたのだと、納得できました。
    逆に、私がAouiuiさんの問題意識を共有できなかったからこそ、資料についての議論がまったくかみ合わなかったものと分析しております。

    >例えば個別の学校記事において、こうした学校側が提供している一次資料を用いて「××高校では、●●な制服が着用されている」くらいを書くなら・・・・許容されるでしょう
    >最低限、一次資料として提供されている学校側からの情報として「これは半ズボンですよ」ということが書かれている必要があるでしょう
    承知いたしました。実は、紅い目の女の子さんが直上に書いてくださった内容は、ちょうど私が追記しようとしていた質問に対する答えでした。

    >各学校からの一次資料を収集して実際に書きたいことは「半ズボンは制服として使われている事例がある」ということなのではないでしょうか。
    おっしゃるとおりです。その内容が、もし文化的・社会的に意味のあることなら、すでに第三者により分析され、書籍等の二次資料中に記載されているはず。ということですね。
    二次資料があってこそ、一次資料の集合は「独自研究」の域を脱するのですね。

    私の言葉遣いについても、ご教示くださりありがとうございます。これは、後から書けばいいわけになってしまうかもしれませんが、私のノートを見ていただければ分かりますように、私は今回初めて「ノート」に対して返信を行いました。Aoiuiさんから強い口調での質問がきていましたので、早めに返信しなければと思い、私がいつもメールなどで使用する文体で返信を書きました。この「コメント依頼」への投稿を終えた後、Wikipedianさんたちのやりとりの事例をいくつか拝読しました。Wikipediaの議論においてどのような文体を心がけるべきか、学ぶことができました。皆様が、文字の表現そのものをベースとして意思疎通を図っていることも認識しました。

    >正気の沙汰、やばい
    上記二つの単語の意味を改めて確認してみました。「やばい」については、「研究者 日本語口語表現辞典」に肯定的な意味が記されていました。「正気の沙汰ではない」については、「日本語シソーラス類語検索辞典第2版」をLogoVista辞典ブラウザで検索したところ、類語として「とんでも無い(程度)」と記載されていました。私が「正気の沙汰でない」を肯定的な意味合いで用いるのは、必ずしも間違えとはいえないと考えます。もし私の意図が伝わらなかったのでしたら、「正気の沙汰ではな」を「非常に能力が高い」に置き換えていただければと思います。(とはいえ、今から元の記事を編集すると、議論を追うときに混乱の元になりそうですので、元の記載は残しておきます。)

    >悪魔の証明
    については、ご指摘くださり誠にありがとうございます。デジタル大辞泉で改めて確認したところ、「否定的な命題の証明が困難であることを比喩的にいう言葉。」と記載されていました。私は、「存在証明が困難であること」という部分のみを切り取って理解していたようです。「悪魔の証明」という単語を使ったことで混乱を来してしまったこと、申し訳ありません。私がいいたかったのは、単に「該当する二次資料を探し当てることは非常に大変です」ということでした。

    とはいえ、Aoiuiさんが私に書く文章が高圧的だと私が感じたことは、申し添えさせていただきます。
    また、私からの返信が3時間程度途絶えたことを根拠として「この話し合いが不調に終わっている」と判断し、コメント依頼を作成したことに対して、私が不愉快に思っていることも、表明させていただきます。私が、仕事の合間を縫って返信を書いていたことは、私が投稿した文章の質とは無関係の事象ではありますが、Aoiuiさんにはもうすこしご配慮をいただければ、私ももっと安心して投稿を作成できたはずだと思っております。

    >もしかすると他の記事にも同様の問題があるのになぜ自分が編集した記事だけ、と思われるかもしれません。・・・それはそういうものです。
    承知いたしました。編集者ごとに、その時々で興味の対象が変わりゆくことは十分あり得ることで、許容されうる。ということですね。(Aoiuiさんが半ズボンについて特別な思い入れを持って編集作業を進めていたとしても、大きな問題ではないのですね。)一方で、私の抱いた違和感についても、一定の理解をいただければ幸いです。加えて、Aoiuiさんは私の過去の投稿を目視で一通り確認したと伺いました。採点の対象になることはWikipediaの世界ではありふれたことなのかもしれませんが、私のような〔日常生活の人間関係における感覚〕からの切り替えがまだ完了していない者にとっては、「つきまといの被害に遭っている」という感情に近い心情になっています。紅い目の女の子さんは、私が今抱いている心情を、どのように処理すればよいと思いますか?ご助言をいただければ幸いです。

    今回は、紅い目の女の子さんが『制服の画像を見るだけを以て「これは半ズボンである」「半ズボンでない」と執筆者が判断することが問題です』という認識を提示してくださったことにより、私は「出典」「一次資料」「二次資料」の定義およびその取り扱いについて、スムーズに理解することができました。誠にありがとうございました。

    ここで、2点ほど知りたいことがございます。『制服の画像を見るだけを以て「これは半ズボンである」「半ズボンでない」と執筆者が判断することが問題です』という思考は、私の日常生活においては全く意識したことがないほど厳密なものでした。半ズボンの写真を目にして、被写体が半ズボンであると認識・同定することは、極めて自明の行為として成り立っていたからです。これは私だけでなく、私が日常生活を送る圏域においても同様でした。被写体が明確に描写されている画像を見たときに「この被写体が○○だとは限らない」と述べる人に、私は出逢ったことがありませんでした。そこで、知りたいと欲する点が2つでてきました。

    [1] 『特定の被写体が写った画像を見たときに、それを特定の被写体だと同定してはいけない』という認識様式は、Wikipediaの世界において一般的なものなのでしょうか? 本当に一般的な認識様式なのかどうか、私の心の中ではいまだに疑念として残っております。

    [2] 紅い目の女の子さんは、日常生活において半ズボンの写真を目にしたときに、「これが半ズボンなのかはわからない」と即時的に思うのでしょうか? ([2]は、私が自分自身を安心させたいために、質問してみました。)

    このたびは誠にありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。--GustafYasmin会話2022年2月1日 (火) 12:30 (UTC)[返信]

(以下、第三者のコメント節から移動--Aoioui. 2022年2月2日 (水) 13:45 (UTC)[返信]

ご返信くださり、ありがとうございます。本日はまとまった時間を取れませんので、手短に返信し、後日追記させていただきます。

私としましてもストレートな議論を望んでおります。Aoiouiさんと議論が噛み合わなかったのは、私が「半ズボンの画像を見て、半ズボンだと認識してはいけない」という原則を持ち合わせていなかったからです。そもような原理が存在することにすら、全く想像ができませんでした。なので、コミュニケーションの不和がどこに原因があるのか探るべく、議論が拡散したのだと自省しています。もし、編集方針に「半ズボンの画像を見て、半ズボンだと認識してはいけない」といった原則が明記されていればもっと早く議論を終結できたはずだと思っています。(私が見つけられなかっただけかもしれませんが。)

「半ズボンの画像を見て、半ズボンだと認識してはいけない」を受け入れれば、Aoiouiさんの主張の大部分をすんなりと理解することができました。一方で、「半ズボンの画像を見て、半ズボンだと認識してはいけない」という原則が本当に正しいのかどうかについては、まだ疑念を拭えないでおります。

私の返信について、紅い目の女の子さんが「誠実でない」とお感じになっていらっしゃることを、私は残念に思います。
> 私からの返信が3時間程度途絶…… お読みいただくとよいでしょう。 詳しく書かれてあります。
については、私は紅い目の女の子さんのご返信の内容に衝撃を受けております。自分心の中に生じた強烈な違和感を、まだ処理しきれておりません。少しクールダウンの時間をいただき、また返信させていただきます。(そのほかの論点については、議論を進めていただいて構いません。)

とりいそぎ--GustafYasmin会話2022年2月2日 (水) 13:13 (UTC)[返信]

(以下、依頼者のコメント節から移動--Aoioui. 2022年2月2日 (水) 13:45 (UTC)[返信]

紅い目の女の子さんへの返信で記しましたように、出典や一次資料の定義についてAoiuoiさんがおっしゃっていたことは、すんなり理解することができました。二次資料に基づかない情報の網羅が独自研究に該当するため、Aoiuoiさんの理解する編集方針に照らし合わせると削除の対象になることも理解できました。一方で、「半ズボンを見て半ズボンだと認識してはいけない」については、本当に正しい原則なのかどうか、まだわからない状態でおります。

>人を小馬鹿にしたような
申し訳ございませんが、なぜAoiouiさんがそのように感じてしまったのか、私は理解できておりません。
--GustafYasmin会話2022年2月2日 (水) 13:26 (UTC)[返信]

> 「つきまといの被害」とは何でしょうか? 勝手に加害者にしないでください。
とお感じになったことについても、全く理解できないでおります。Aoiuoiさんがそのようなご返信をされたことに対して、私は困惑しております。自分の心の中に生じた強烈な違和感をどのように処理すれば良いのかわからずにおります。Aoiuoiさんが緻密な論理展開をする方だということはわかりましたので、きっと理由があるはずなのですが、私はそれをまだ見つけられないでおります。

上記2点については、少しクールダウンの時間をいただき、また後日返信することにさせてください。それ以外の議論は進めていただいて構いません。

とりいそぎ--GustafYasmin会話2022年2月2日 (水) 13:25 (UTC)[返信]

第三者のコメント

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  • コメント コメント依頼からまいりました。全体としてはAoioui.さんのご意見を支持します。
Aoioui.さんがご指摘の通り、一次資料の取り扱いには相当の注意が必要です。まずそもそも、制服の画像を見るだけを以て「これは半ズボンである」「半ズボンでない」と執筆者が判断することが問題です。半ズボンの冒頭部にも書いてありますが、「服飾業界でも明確な定義はない」のでしょう。だとすれば、写真だけを見て半ズボンであると「確認」するというのは、実質的には執筆者の判断・解釈です。明確な定義がない以上、人によっては半ズボンでないと判断するかもしれないのですから。最低限、一次資料として提供されている学校側からの情報として「これは半ズボンですよ」ということが書かれている必要があるでしょう。
ただ、ここまで満たしても一次資料は一次資料でしかありません。あくまで事実を記載することにしか使うべきでなく、解釈を生じそうな記述に使うべきではありません。例えば個別の学校記事において、こうした学校側が提供している一次資料を用いて「××高校では、●●な制服が着用されている」くらいを書くなら、Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源に照らしても許容されるでしょう(それでも二次資料があるなら当然そちらを用いるべきです)。しかし半ズボンではどうでしょうか。既にAoioui.さんも指摘されているように、ここで各学校からの一次資料を収集して実際に書きたいことは「半ズボンは制服として使われている事例がある」ということなのではないでしょうか。一次資料を並べているだけで事実しか書いていないと仰るかもしれませんが、実際には半ズボンを着用する学校は想定より多いのかもしれません。あるいは逆に、非常にごく少数で実は全国的に見ても半ズボンを指定している学校は出典として挙げられている4校しかないのかもしれません。むしろ本来この節にはそういった事実以上の解釈を記述すべきところですが、そこに一次資料だけを使用していては読み手に誤った印象を与えかねません。
  • こういったことを避けるにはどうすればよいか。簡単なことです。信頼できる二次資料を用いればよいのです。我々が一次資料を勝手に解釈するわけにはいきませんから、代わりに既に信頼されている分析結果・考察結果を引けばよいのです。そうした資料にはきっと具体例も載っているでしょうから、実際に制服が着用されている例についても二次資料から引けば、わざわざ一次資料を使わずに済みます。逆にそういった資料がどうしても見つからないのであれば、あなたが書こうとしていることは実は大して重要なことではないのかもしれません。Wikipedia:中立的な観点にもありますように、どのような切り口で記事を書くべきか、というのもまた信頼できる情報源に依らねばなりません。信頼できる情報源でどこにも提示されていないことなのに、それを一つのトピックとして記述しようとすることもまた、一つの独自研究です。その意味からも、一次資料のみを用いて書くことは望ましくありません。一次資料の寄せ集めで何か段落を構成して何かを伝えようとする、それ自体が執筆者の解釈・判断の表れになってしまうのです。
  • 以上述べた通り、一次資料と二次資料の扱いについては全面的にAoioui.さんを支持します。もしかすると他の記事にも同様の問題があるのになぜ自分が編集した記事だけ、と思われるかもしれません。しかし一人一人の編集者が使えるリソースには限界があります。たまたま見つけた記事、関心がある記事に絞って問題点が指摘されることもあります。それはそういうものです。それに記事によってそれぞれ、背景や状況は異なります。この記事で××という判断が出たので、別の記事でも同じ判断を直ちに適用する、という話にはできません。是々非々です。
  • また、被依頼者さんの対話姿勢についても問題であると感じました。「正気の沙汰ではない」は文字通り、正気ではなしえない判断・言動を指す言葉です。相手を正気でないと表現しているのにそれを誉め言葉であると受け止めろ、というのは無理があります。自分が想定している解釈を期待するだけであれば結構ですが、正気とは思えない入力速度と頭の回転速度=狂ったようにこの案件のことしか考えていない、と全く逆の意味に受け取られて解釈されたことに対して「文脈で理解してください」「文脈によって相反する意味を持つ単語は苦手ですか?」というのは責任転嫁です。そもそも本来の使い方とは異なる言葉の使い方をしたのですから、誤った受け取られ方をされうる表現をした自分の責任として受け止めてください。
  • 言葉の使い方でいえば「悪魔の証明」にしてもそうです。悪魔の証明は「ないことを証明するのは不可能」という概念であり、今回被依頼者さんに求められている「出典となる文献があることを示せ」というのは悪魔の証明の対極です。なぜなら、実際にそういった文献を持ってくれば良いからです。「きわめて存在する可能性が低い資料を探す営み」に失敗したのなら、「やはり現時点ではそういった資料はなさそうですね」という結論に落ち着けばいいのです。被依頼者さんはもしかしたら勘違いされているかもしれませんが、Aoioui.さんは単に「そうした文献があることを証明せよ」と仰っているのではなく、「記事として書きたいならば、そうした文献があることを示せ」と仰っておられるのです。「記事として書きたい」という前提をやめるという選択肢があることを忘れておられます。
  • 少々細かいところを指摘しましたけれど、結局のところ、こういった誤った表現であったり、(結果的に)相手の受け取り方を考慮できていない表現を用いることによって、議論が拡散しています。意図的にやっているなら勿論許されませんし、もしこれが意図的でないのだとしたら、なおさら自分がそういった表現をしがちであるということを重く受け止め、コミュニケーションを図る際に十分注意を払う必要があると存じます。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月1日 (火) 09:14 (UTC)[返信]
  • コメント 依然として、このコメント依頼の本旨である被依頼者さんの一次資料の多用についてどのように向き合われるのか、その点について明言されることなく議論が拡散されていることを残念に思います。私は上でも述べたように、「誤った表現であったり、(結果的に)相手の受け取り方を考慮できていない表現を用いることによって、議論が拡散」することは許されないと明確に申し上げているのであり、類義語辞典に載っているから誤りとは言い切れない、といった話には意味がありません。事実として混乱を招いています。
  • > 私からの返信が3時間程度途絶えたことを根拠として「この話し合いが不調に終わっている」と判断
Aoioui.さんが指摘を抑えておられるところ大変恐縮ですが、一点だけ明確な事実誤認があることは見過ごせませんので指摘します。Aoioui.さんは「問題を解決するべく議論を行う場において、このような発言はまったく必要ありません。このような発言を見るに及んで、これ以上の対話は無理であると感じ」たからコメント依頼を提出したと#依頼者のコメントではっきりと書いておられます。返答がなかったことを根拠にされている、などと誤った決めつけを行うのは極めて失礼です。Aoiouiさんのために訂正させていただきます。
その他、つきまといのように感じた(これもAoiouiさんを加害者と言っているのと同じで、極めて失礼です)だとか、日常生活の人間関係における感覚だとか仰っている点については、大変失礼ですがWikipedia:児童・生徒の方々へを一度熟読いただくべきかと存じます。こちらには今疑問に思われていることの回答が間接的に書かれております。併せてWikipedia:説明責任Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにも目を通されるべきでしょう。
>知りたいと欲する点が2つでてきました。
被依頼者さんの知識欲を満たすために私は参加しているわけではないのですが、この質問に回答することによって、一次資料の使い方に関する理解に資することを強く期待してお答えします。
とはいえ既にお答えしています。状況次第で是々非々に判断するしかありません。まず[2]についてはお答えする必要がありません。ここは日常生活の場ではなく百科事典を作る場ですので。
その上で[1]については、私論ですがWikipedia:空が青いということに出典は要るWikipedia:空が青いということに出典は要らないをお読みいただくとよいでしょう。詳しく書かれてあります。
以上あらためてお返事をしたのは、あくまでもAoiouiさんも仰っているように一次資料の取り扱いについて今後どうするのか、という本題について議論することが有益だと考えているためです。Aoiouiさんはあくまでも本題に絞ってまっすぐお話をされる方ですので、私は少し切り口を変えて、多少脱線してでも被依頼者さんのお話の内容にも触れることで、結果的に本題に戻ってきてくださることを期待しています。これ以上本題と関係ない脱線を主に続けられるのなら私も被依頼者さんのことを、対話のためのコストだけがかかる方だと認識せざるを得ません。誠実なご対応を期待します。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月2日 (水) 04:45 (UTC)[返信]
紅い目の女の子さん、追加のご返信ありがとうございます。

[1]について、「空が青いということに出典は要る」などの私論、大変わかりやすかったです。おかげさまで、「半ズボンの写真を見て半ズボンだと認識してはいけない」の原則について、納得することが出来ました。わたしは、こういった私論をもっと早いうちに読んでおくべきでした。連鎖的に、「一次資料」「二次資料」の定義や、「出典」が意味する内容などについても、スッキリと理解することが出来ました。

[2]について、私は紅い目の女の子さんのお返事を見て、そしてよく考えているうちに、悟ったことがあります。それにより、いままで腑に落ちなかったことが一気に解消しました。紅い目の女の子さんが答えてくださった書き方は非常に示唆に富み、言い得て妙だと思いました。以下の【】内には、私が得た知見を記載しています。意味不明な箇所もあるかと思いますので、適宜読み飛ばしていただいて構いません。大切なのは、私が【】を得たことによる効用のほうです。
【Wikipediaという百科事典を作る世界で編集活動を行う私は、現実世界を生きる私とは、別個の存在として切り分けて考えることができるのだ、ということが分かりました。Wikipediaの世界において生じる議論は、あくまでWikipedianとしての私が認知し反応すべきで、現実世界の私の感情はWikipedianとしての私の感情に連動します。もし、現実世界の私が、Wikipedianとしての私の視点を介さずに直接議論に参加してしまうと、おかしなことになってしまいます。また、Wikipediaの世界での議論において、現実世界の私の事情を書くことは、決して有意義なこととは言えません。必要最低限に止めるべきです。】

紅い目の女の子さんが、「Aoiouiさんはあくまでも本題に絞ってまっすぐお話をされる方です」と改めて述べてくださったことも、私にとって有意義でした。そのことを念頭に置きながら、【】で得た知見に照らし合わせて私の過去の投稿を見返すと、なんと回りくどい話をしていたのかと恥ずかしくなるほどでした。

Wikipedianとしての私は、つい3日前までは極めて未熟でした。ごく一部の記事に対して投稿するしたことはあっても、議論に参加した経験はなく、また、議論の様式についても無知でした。この3日間、先人たちの交わす議論を垣間見、編集指針をもう一度よく読み直し、さらには紅い目の女の子さんが的確な示唆を与えてくださったことにより、成長への一歩を歩み始めることができました。いままでの私は、会話コストの大きな、大変な問題児でしたね。

続いての返信は、Aoiouiさんへの返信と重複する内容を含みますので、Aoiouiさんへの返信にまとめさせていただきます。--GustafYasmin会話2022年2月3日 (木) 11:33 (UTC)[返信]

まとめ

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報告を忘れていましたが、コメント依頼の状況を鑑み、Wikipedia:投稿ブロック依頼/GustafYasminを提出しました。--Aoioui. 2022年2月3日 (木) 15:44 (UTC)[返信]