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[[Image:Wiener_Saengerknaben.jpg|300px|thumb|right|男子児童服としてのセーラー服の使用例([[ウィーン少年合唱団]])]]
[[Image:Wiener_Saengerknaben.jpg|300px|thumb|right|男子児童服としてのセーラー服の使用例([[ウィーン少年合唱団]])]]
欧米では海軍の制服となる以前からセーラー服が子供服として着られるようになっていたため、男児の制服として使われてきた。特に1900年代初頭のドイツにおいて、盛んに採用された。現在は商船学校などでの採用を除き、普通学校の制服として用いられる例はアジアに多い。例えば、[[学校制服#中華人民共和国|中国]]、[[学校制服#台湾|台湾]]、[[学校制服#スイス|スイス等の一部の小学校]]等の一部の小学校で、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例が見られる。
欧米では海軍の制服となる以前からセーラー服が子供服として着られるようになっていたため、男児の制服として使われてきた。特に1900年代初頭のドイツにおいて、盛んに採用された。現在は商船学校などでの採用を除き、普通学校の制服として用いられる例はアジアに多い。例えば、[[学校制服#中華人民共和国|中国]]、[[学校制服#台湾|台湾]]、[[学校制服#スイス|スイス等の一部の小学校]]等の一部の小学校で、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例が見られる。

*台湾 (子供服のデザインを踏襲したセーラー服が採用されている。後述の中国とは異なり、海軍とは関係がない。一部の学校は、式典のある日のみに制服着用としている。)
**[http://www.thps.tp.edu.tw/ 台北市敦化國小]
**[http://cla.dases.tc.edu.tw/gallery3/index.php/101-67 台中市大秀國小]
**[http://www.wcps.tcc.edu.tw/ 台中縣文昌國小]
**[http://www.stps.tcc.edu.tw/ 台中縣三田國小]
**[http://www.dhp.ks.edu.tw/ 高雄縣大華國小]
**[http://163.26.53.130/index.htm 台南市天主教私立寶仁國小]
**[http://www.savs.ilc.edu.tw/ 蘇澳高級海事水産職業學校]
など。

*中国 (もともとセーラー服だった学校がどれほどあったかは不明だが、海軍少年軍校に指定された小学校および海軍が財政的な援助をした小学校で、男子・女子ともにセーラー服が採用されている例が目立つ。男子はズボン、女子はスカートまたはズボンをあわせる。式典や課外活動時のみに着用する学校も多い。)
**[http://www.xq3x.com/s_photo/2011_5/7ad1b22c65dcdee8710_201156_537.html 銀川市第三小学校]
**[http://dspsxx.bokee.com/ 蓬山小学]
**[http://mzthxx.com/show.asp?kind=%D0%A3%D4%B0%BF%EC%D1%B6&aid=309 綿竹市天河小学]
**[http://www.foredu.com.cn/xinwen/view_news_detail.jsp?query=18457 大連市桃源小学]<ref>http://hp.vector.co.jp/authors/VA001148/fdai4.htm http://hp.vector.co.jp/authors/VA001148/fdai6.htm http://www.foredu.com.cn/xinwen/view_news_detail.jsp?query=24499</ref>
など

*スイス
**[http://www.ondinegenevoise.ch/5/ オンディーヌ音楽学校]

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===日本===
===日本===
日本では男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県の[[リンデンホール小学校]]が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の幼稚園で採用されている他、西日本を中心として多くの合唱団で採用されているたとえば下関少年少女合唱隊小倉少年少女合唱団、東京荒川少年少女合唱団など。中学校以上では、大洗高校マーチングバンド部が夏期衣装として採用している。
日本では男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県の[[リンデンホール小学校]]が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の幼稚園で採用されている他、西日本を中心として多くの合唱団で採用されている
たとえば
*下関少年少女合唱隊 (福岡県)
*小倉少年少女合唱団 (福岡県)
*樫の実少年少女合唱団 (福岡県
*波佐見児童合唱団 (長崎県)
*防府少年少女合唱団 (山口県)
*倉敷児童合唱団 (岡山県)
*今治少年少女合唱団 (愛媛県)
*森の木児童合唱団 (東京都)
*ひばりが丘少年少女合唱団 (東京都)
*杉並児童合唱団 (東京都)
*東京荒川少年少女合唱団 (東京都)
*あさひ少年少女合唱団 (千葉県)
*小山児童合唱団 (栃木県)
*草津中央少年少女合唱団 (群馬県)
*上田市少年少女合唱団 (長野県)
など。

小学校の合奏団・合唱団での採用例もある。
*[http://www.kitanodaira-e.sapporo-c.ed.jp/bb/bb.html 札幌市北野平小学校合奏団] (通常の衣装)
*徳島県千松小学校 (NHK合唱コンクール出場時のみ)

中学校以上では、
*大洗高校マーチングバンド部
が夏期衣装として採用している。


==== コミック・アニメ ====
==== コミック・アニメ ====

2012年8月1日 (水) 05:54時点における版

イギリス海軍水兵のセーラー服

セーラー服( - ふく)は、セーラーカラーと呼ばれる独特の形状をした大きなが特徴のトップス。世界中で海軍の軍服として使われ続けている他、19世紀後半から20世紀初頭にかけて子供服や女性のファッションとして世界的に流行した。また、その頃日本で採り入れられ、使用され続けてきたセーラー服タイプの女子学生の制服は、コスプレ文化と共に"Sailor fuku" の名で世界中に広がっている。軍服としてのセーラー服を旧日本海軍では当初「水火夫服」、後に「フロック」と称していた(明治8年11月12日太政官第168号布告別冊)。

概要

エドワード皇太子(1846年)
ヴィルヘルム2世一家(1896年)

セーラー服は、19世紀に水夫(セーラー、英語:sailor)の甲板衣として誕生した。セーラー服の独特な大きな襟(「ジョンベラ」と呼ぶ。由来は「John Bull」から)は甲板の上では風などの影響で音声が聞き取りにくくなるので、襟を立て集音効果を得るためとか、セーラー服が出来た頃の貴族階級の男性の髪型長髪を後ろで括ってポマードで塗り固めていたため、なかなか洗濯が出来ない船乗りにとっては後ろ襟や背中がすぐに脂やフケで汚れてしまったためと言われているが、定かではない。セーラー服の胸元が大きく開いて逆三角形になっているのは、海に落ちた時にすぐ服を破り、泳ぎやすくするためと言われている。装飾として胸元にタイ(スカーフ)があり、その起源は水兵が手ぬぐい代わりに使うための物であったと言われている。

ヴィクトリア女王は、王室ヨットHMY Victoria and Albert乗組の水兵の制服として揃えられた[注 1]セーラー服が気に入り、同じデザインの子供服を誂えて1846年のクルージングの際皇太子エドワードにその服を着せた。女王は他の王子達にもセーラー服を与え、孫であるプロイセンヴィルヘルム王子にも贈った。このことから、イギリスでは王室に倣い、海軍好きの国民性も相俟って子供服として流行した。また、この流行はその後20世紀初頭にかけて世界的なものとなった。また、19世紀のフランスでは女性のファッションとしてセーラー服が着られるようになり、その後ボーイッシュ・ブームの一環としてヨーロッパ各国やアメリカで女性のファッションとして流行した。[1]

日本では20世紀前半までに主に女子生徒用の制服として定着した。

軍服

1854年のイギリス水兵

セーラー服を水兵の制服として全面的に採用したのはイギリス海軍が最初とされている。1841年にはアメリカ海軍がジャケットタイプの制服を下士官・兵用として制定していたが[3]、その頃イギリス海軍では水兵の制服を規定しておらず、一部の艦の艦長が自分好みの制服を艦の資金で誂えていた。しかし、全乗組員に支給するには多額の費用がかかるため、人目につくことが多い艦長艇のクルーのみ制服を揃える場合もあった。特に軍艦ブレザー号(HMS Blazer)の艦長が1845年に誂えた制服は評判となり、乗組員の制服を揃えることが艦長の間で流行した(ブレザー#語源参照)。一方、ハーレクイン号HMS Harlequin)のウィルモット艦長は1853年、自艦の艦長艇クルーに道化師(Harlequin)の服を着せた。しかしこれは顰蹙を買い、新聞にも大きな問題として取り上げられた。1857年、このハーレクイン騒動が契機となり、海軍本部はセーラー服を水兵の制服として制定し、支給することにした[4][5]

そして、イギリス海軍がセーラー服を採用したため、アメリカ海軍でも1862年に水兵用の制服をセーラー服に変更した[6]。また、フランス海軍も1858年にセーラー服を水兵の制服として採用し[7]日本海軍でも1872年に水火夫の制服として採用してた。但し、フランス海軍に関してはイギリスの影響があったか否か定かではない。

このようにして、セーラー服は水兵の象徴となり、水兵であるという設定のポパイも劇中でセーラー服を着用している。またドナルドダックの服装も水兵をイメージしている。

セーラー服は現在でも多く国の海軍で水兵の制服として使用されており、海上自衛隊も男性海士の制服として採用している。海上自衛隊では男性の幹部海曹は冬はブレザー、夏は詰襟が制服であり、女性自衛官はダブルのスーツまたはシングルのスーツが制服である。

日本の女子生徒用制服

セーラー服を着た女子生徒

日本で最初に女子生徒用の制服としてセーラー服を採用したのは1920年京都府平安女学院であるとされ[8]、そのセーラー服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型だった[9]

現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服として最初に採用したのは福岡県福岡女学院であるとされる。当時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、活動しやすい体操服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができるよう動きやすくするため上着だけで3年を費やしたという。1920年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰っていたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され、1921年に制服として採用された[9]。同年、愛知県金城学院でも制服としてセーラー服が採用され[9]、その後女子生徒用の制服として徐々に普及し現在に至る。セーラー服が全国に広まった背景には、東京大学を始め多くの学校が男子の学生服として立襟陸軍式の5つボタンのチュニックを採用していた[10]ため、「それならば女子には海軍の軍服を」という理由があったとも言われている[誰によって?][要出典]。しかし、学習院等一部の学校では男子も海軍式の隠しホック留めの上着を採用しており[11]、海軍でも下士官服はフランス陸軍由来[12]の5つボタンチュニックである。

ファイル:School girls in japan.jpg
セーラー服を着た女子生徒

「セーラー服=女子中高生」というくらいまで普及していた1980年代に、いじめ校内暴力など学校の荒廃が社会問題化した。当時不良女子中高生の間では、セーラー服のスカート丈を地面に付くくらいまで長くするなど制服を改造することが流行っていた。学校側は「服装の乱れは生活の乱れ」という標語を掲げ服装チェックなど実施して対抗したが効果は上がらなかった。そういうこともあり、一部の学校では着崩すことが難しい制服として、それまでのセーラー服からブレザーチェックのスカートの組み合わせへと変更した。チェックのスカートは丈を延ばすとまるで安手のカーテンのようになり格好が悪いため[要出典]改造する者が激減した。また「どうせ行くなら、かわいい制服の学校に」という女子が制服を変えた学校に集まり、結果的に偏差値が上がり問題の多い生徒が減るなどの効果があったため、1980年代後半から1990年代にかけて特に郊外や地方都市の私立高校などでブレザーの制服に改める学校が増えた。中には有名なブランド、デザイナーによる制服を採用する高校もあった(「制服向上委員会」の活動を参照)。その一方で「名門」と呼ばれる学校ではブレザーに変更しないで、かたくなにセーラー服のままにしていた所もあった。

現在では、セーラー服を採用している中学・高校はかつてに比べれば減ったものの、女子中高生にはまだ主流の制服である。また近年は、セーラーブラウスとジャケットを組み合わせた変形型・複合型などといったようなセーラー服を採用する中学・高校も出てきた。またかつてはファスナーは横に着いており被るように着るのが主流だったが現在は前開きが主流である。

なお、ボトムスについては大部分の学校では通年スカートを組み合わせるが、一部の学校(仙台市常盤木学園高等学校など[13])では冬期にスラックスを選択することが可能である。また、冬期のスラックス着用を義務づけている学校もある(坂井市立鳴鹿小学校安曇野市立明科中学校など)。

海外への波及

タイでは、一部の学校において日本風のセーラー服に変えたところ、高校によっては志望者が大幅に増えたところもあった[14]

サウジアラビアでは女子高生の制服として採用されている。アラビア語でسايلر فوكوと書いて「セーラーフク」と読みそのまま日本語由来の外来語として定着している。 ただし、サウジアラビアでは女性がアバヤ以外の服装で外を歩くことが刑事罰の対象となるため、学校内のみの服装であり通学時も含めて学校から出る時はサウジアラビアで一般的なアバヤに着替えなければならない。このためセーラー服を着て歩いている女性を見かけることは無い。

現在でもサウジアラビアではセーラー服に対して極端な嫌悪感を示す人が多く、極端な男尊女卑思想が一般的で女性が高等教育を受けることに否定的なサウジアラビア人の間では害悪の象徴として激しく憎悪する人も多く、2002年3月11日にマッカにあるファイサル女子高等学院が火事になった時に女子生徒たちのセーラー服が違法だから外に出てはならないという理由で火事の中に閉じ込め15人が死亡50人が負傷する事件が起きている。この一件で火事の中に女子高生を閉じ込めた勧善懲悪委員会サッターム王子は刑罰を受けないどころか正義を行ったと自慢した。

コスプレ

コスプレ用のセーラー服の例(米国で撮影、モデルは姫野愛

近年、インターネットによる通信販売(以下:ネット通販)で、学校指定のないセーラー服の購入が増加の傾向にあるという。主にコスプレ用として購入する女性が多いという。ネット通販で購入できる学校指定のないセーラー服は、デザインや色などの種類が豊富。

通信販売も運営している人気のセーラー服メーカー「KURI-ORI」は、2007年夏に放送されたドラマ「花ざかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」や「ライフ」へ衣装提供をした。

主なメーカー・ブランド

男子生徒用の制服

男子児童服としてのセーラー服の使用例(ウィーン少年合唱団

欧米では海軍の制服となる以前からセーラー服が子供服として着られるようになっていたため、男児の制服として使われてきた。特に1900年代初頭のドイツにおいて、盛んに採用された。現在は商船学校などでの採用を除き、普通学校の制服として用いられる例はアジアに多い。例えば、中国台湾スイス等の一部の小学校等の一部の小学校で、男子・女子ともにセーラー服(男子はズボン、女子はスカートまたはズボン)が制服となっている例が見られる。

など。

  • 中国 (もともとセーラー服だった学校がどれほどあったかは不明だが、海軍少年軍校に指定された小学校および海軍が財政的な援助をした小学校で、男子・女子ともにセーラー服が採用されている例が目立つ。男子はズボン、女子はスカートまたはズボンをあわせる。式典や課外活動時のみに着用する学校も多い。)

など

日本

日本では男子生徒用の制服としてセーラー服を採用している学校は無いに等しい。かつて、福岡県のリンデンホール小学校が夏期のみ男子の制服としてセーラー服を採用した例があるが、現在は別の制服に変更されている。学校制服に限らなければ、一部の幼稚園で採用されている他、西日本を中心として多くの合唱団で採用されている。 たとえば

  • 下関少年少女合唱隊 (福岡県)
  • 小倉少年少女合唱団 (福岡県)
  • 樫の実少年少女合唱団 (福岡県)
  • 波佐見児童合唱団 (長崎県)
  • 防府少年少女合唱団 (山口県)
  • 倉敷児童合唱団 (岡山県)
  • 今治少年少女合唱団 (愛媛県)
  • 森の木児童合唱団 (東京都)
  • ひばりが丘少年少女合唱団 (東京都)
  • 杉並児童合唱団 (東京都)
  • 東京荒川少年少女合唱団 (東京都)
  • あさひ少年少女合唱団 (千葉県)
  • 小山児童合唱団 (栃木県)
  • 草津中央少年少女合唱団 (群馬県)
  • 上田市少年少女合唱団 (長野県)

など。

小学校の合奏団・合唱団での採用例もある。

中学校以上では、

  • 大洗高校マーチングバンド部

が夏期衣装として採用している。

コミック・アニメ

1990年代後半以降の作品を中心として、セーラー服が男子制服として採用されている例が見られ、近年増加傾向にある。

私服

私服のデザインとしてセーラーカラーを取り入れたものは「ミディ」(ブラウス・ワンピース等)と呼ばれる。この名前の由来は海軍兵学校生(midshipman)の愛称である。

セーラー服が印象的な人物・グループ・作品等

  • イモトアヤコ
    • 日本テレビ系『世界の果てまでイッテQ!』で珍獣ハンターとして一躍有名になったタレント。、自称“魅惑の女子高生”といったキャラクターで、セーラー服姿で出演しているが、大半は夏用の格好で長期ロケに出ていることが多い。
  • スケバン刑事シリーズ
    • 主人公、麻宮サキをはじめ他の登場人物(女子高生)も濃紺のセーラースーツ(ロングスカート)に赤のスカーフ、白のハイソックスにローファー姿で登場している。亜流作品『セーラー服反逆同盟』、後継作品『少女コマンドーIZUMI』などその姿を見かけることもある。
  • スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇
    • 第7話「水の中に舞え! セーラー服の死闘」で主人公、風間唯が風魔の娘を倒すために仕向けられた刺客、天上院滝子とセーラー服着用のままプールに潜って水中戦を行っていた。
  • 80年代の学園ドラマ
    • スケバン刑事シリーズ以外でも女子学生のセーラー服姿は見かけることはあった。大半は濃紺のセーラースーツ(ロングスカート)に赤のスカーフ、白のハイソックスにローファー姿。作品によっては激しいアクション物もあり、高いところから飛び降りるシーンではスカートが捲り上がり、濃紺のブルマーが見えてしまうこともあった。
  • ビー・バップ・ハイスクール
  • 榎本加奈子
    • 1998年秋のスーパークイズスペシャルの優勝決定バトルで、巨大水槽に潜って正解の物をとってくるというあまりにも無謀な企画が行われ、しかも衣装着用のまま巨大水槽に潜って正解の物を採るというルールだった。セーラー服姿のまま巨大水槽に飛び込み、途中でミニスカートが捲くり上がり、中から黒の見せパン(黒パン)が見えてしまっても、最後は正解の物を手にして全身びしょ濡れになりながら優勝をつかみ取った。
  • ぐるぐるナインティナイン
  • 三菱モーニングハンディシャワー
    • 1988年冬から春にかけて芸能雑誌等の広告欄にセーラー服姿(濃紺のセーラースーツ(ロングスカート)に赤のスカーフ、白のハイソックス姿)の女子高生がシャワーを持って笑顔で微笑んでいる写真が掲載されていた。写真の横に「服を着たままシャンプーができるハンディシャワー。」という、女子高生がセーラー服着用のまま風呂場に入って、シャワーで髪を濡らした後にシャンプーで髪全体を白く泡立てながら洗い、最後はシャワーで髪を洗い流すだけでなくセーラー服まで濡らし全身びしょ濡れになるという結末を想定させるようなキャッチコピーが掲げられていた。
  • B.C.ビューティコロシアム
    • タイトル「丸刈りで応援団に強制入部....男顔に悩む女性が涙の整形」で男顔のために中学時代いじめに遭い、高校時代には応援団に強制入部させられつらい日々を過ごしてきた女性のエピソードが再現シーンとして流れた。再現シーンに登場する女子生徒の服装は、濃紺のセーラースーツ(ミニスカート)に赤のスカーフ、白のハイソックスに上履き。いじめにあった女子生徒役は体が大きくてバレーボール選手並みのムチムチ体系でセーラー服につつまれた大きな胸とミニスカートに覆われた大きなお尻にきれいな脚、後ろから見る三つ編み姿で登場。顔が男顔のために中学時代は男女生徒達からかなりのいじめをうけてきた。高校進学してからは濃紺のセーラースーツ(ミニスカート)に赤のスカーフ、白のハイソックスに上履き。髪型も三つ編みからロングヘアーにして楽しく過ごせると思っていたら数日後に、男子生徒数人にさらわれてしまい、女人禁制の応援団の部室に閉じ込められたうえに強制入部。その条件に頭を丸刈りにするハメとなってしまう。翌日から丸坊主にセーラー服姿で通学。生徒たちの笑いものにされたうえに、部活動では学ラン姿の男子部員数人と一緒に丸坊主にセーラー服姿で練習していたという設定で描写された。
  • キングオブチェアー
    • 2010年10月11日から2011年1月1日までTBSにて放送されたバラエティ番組。番組のゲームに参加する出演者は全員、学校の制服に着替え、頭にヘルメットを装着した姿にならなければならなかった。一般的な子どもの遊びである椅子取りゲームをモチーフとしたゲームが行われており、広大なフィールドの中にある膨大な椅子の中から正解の椅子「トゥルーチェアー」を探し出し、いち早く座った参加者の勝利となるルールであった。中にはプール等の真ん中に浮いている場所に設置されているところもあり、特にセーラー服着用の女性参加者は、濃紺の冬用セーラー服(臙脂色のスカーフ)に濃紺のミニスカート。黒の膝サポーター、白のハイソックスに白の運動靴。黄色のヘルメットはウォータースポーツ用のものを装着し、濃紺のミニスカートの下は、白のショーツの上に黒か濃紺のブルマーまたはマイクロスパッツを着用して、プール等の真ん中に浮いている場所にある椅子を目指してプールに潜って泳ぎながら全身びしょ濡れにならないと行けないところもあった。
  • 山上兄弟

注釈

  1. ^ 当時イギリス海軍の水兵には統一された制服がなく、艦によって制服を揃える場合があるだけだった(#軍服参照)。

脚注

参考資料

  • 中村省三「セーラー服の研究」『mono スペシャル Workwear 5』ワールドフォトプレス〈​​W​​​o​​​r​​​l​​​d​​​ ​​​M​​​o​​​o​​​k 823号〉、2011年6月5日。ISBN 978-4-8465-2823-2 
  • 辻元 よしふみ,辻元 玲子『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』彩流社、2008年3月。ISBN 978-4-7791-1305-5 
  • 小林幸雄『図説イングランド海軍の歴史』原書房、2007年1月。ISBN 978-4-562-04048-3 
  • 田所昌幸 他 著、田所昌幸 編『ロイヤル・ネイヴィーとパクス・ブリタニカ』有斐閣、2006年4月。ISBN 978-4-641-17317-0 
  • Wilkinson-Latham, Robert (1977.6). Royal Navy, 1790-1970. Illustrated by Gerry Embleton. London: Osprey Publishing. ISBN 978-0-85045-248-8 
  • 刑部芳則『洋服・散髪・脱刀 : 服制の明治維新』講談社、2010年4月。ISBN 978-4-06-258464-7 

関連項目

外部リンク