Wikipedia:コメント依頼/田中智隼 20161222
利用者:田中智隼(会話 / 投稿記録 / 記録)さんの方針・ガイドラインの理解度、対話姿勢、今後の処遇についてコメントを依頼します。--Kinketu(会話) 2016年12月22日 (木) 09:30 (UTC)
これまでの経緯
[編集]連続投稿・検証可能性について
[編集]田中智隼さんは2016年5月6日 (金) 04:03 (UTC)にアカウントを作成後、やがて魔剱のアリスベルやソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン、ダーウィンズゲームといった記事で編集を行っています。しかし、田中智隼さんの編集には連続投稿を行う、Wikipedia:検証可能性を満たさない、といった特徴があり、それぞれ利用者‐会話:田中智隼#注意、利用者‐会話:田中智隼#出典を元にした加筆を行ってください・利用者‐会話:田中智隼#ダーウィンズゲーム・利用者‐会話:EULE#お聞きしたいのですが・ノート:ダーウィンズゲームといったページにて編集方針について注意を受けています。
特に検証可能性については、出典付き記述を除去し無出典の記述に置き換える([1] [2] [3])、出典の明記テンプレートを除去するなどの行為を行っており([4])、2016年12月11日 (日) 03:30 (UTC)には3日間のブロックに至っております。
ブロック明け後は、ダーウィンズゲーム#書誌情報にて単行本の発売日とISBNに対して出典の明記が行われましたが([5])、その後の編集では登場人物に関する加筆が行われたものの([6] [7])、これらに対しては出典の明記が行われず、さらに出典の明記タグの除去が行われました。ノート:ダーウィンズゲームにて注意をし([8])、単行本の出典の明記の方法を具体的に教えたものの([9])、田中智隼さんからは(出典を明記すると)「あれもこれも出典だらけになってしまっても、読みにくい、ページの表示に時間がかかるなどの問題が発生します」(出典が)「必要だと判断されるのならそちらが書いても良いのでは無いのでしょうか?」といった返信があるだけでした。再三読むように勧めているWikipedia:検証可能性には、検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側にと明確に書いておりますが、この方針を全く読んでいないか読んだ上で方針に賛同していないと感じました。
そこで再び管理者伝言板へ報告したところ([10])、被依頼者から逆に当方へ対する無期限ブロック依頼が提出されたこともあり([11])、二人だけの話し合いでは問題解決が不可能であると判断して本コメント依頼の提出に至りました。--Kinketu(会話) 2016年12月22日 (木) 09:30 (UTC)
対話姿勢について
[編集]他にも対話姿勢についても下記の出来事がありました。
- 複数の方から注意を受けた際に、説明が悪いと言わんばかりの責任転嫁と思えるコメント([12])。
- 会話ページで複数の方から少なくないアドバイスを受けた上で、「善意を善意として受けとれず、叩くばかりで編集者へアドバイスを言わず、削除や差し戻しは不快なだけ」というコメント。
- 他者の利用者ページ、投稿記録を精査したとは思われない、「『出典の明記のテンプレートの貼り付けや、削除依頼と差し戻し』のみというユーザーはあなたのことです」というコメント([13])。
依頼者のコメント
[編集]執筆意欲が旺盛なこともあり、検証可能性について理解・賛同し、他者の発言に対してもう少し耳を傾ける姿勢を見せていただければ、Wikipediaでの活躍を期待出来ると思うのですが。しかし、注意した相手に対しWikipedia:投稿ブロックの方針に当てはまるとは思えない理由で無期限ブロック依頼をするようでは、共同作業が困難であると考えます。--Kinketu(会話) 2016年12月22日 (木) 09:30 (UTC)
返信 (EULEさんの2016年12月22日 (木) 13:48 (UTC)のコメント宛) 出典付き記述に対して「大した価値があるように見えません」「よくわからん出典がいくらか付いているだけ」というのはいささか過激な発言だと感じますが……。それと、「何のフォローも弁解も無い」というのは事実誤認かと思います。EULEさんにとっては、「『ダーウィンズゲーム』 第X巻、Y頁」や「『ダーウィンズゲーム』 第X巻、第Z話」のように出典を明記すればよい話です」と、具体的に出典の明記の方法を助言するのはフォローに値しませんか? そう考えるのであれば、どういった行為を初心者に対して行うとベスト・ベターであり、フォローに値するのか助言してくださると今後に役立ちますので嬉しく思います。--Kinketu(会話) 2016年12月22日 (木) 14:10 (UTC)
返信 (田中智隼さんの2016年12月27日 (火) 07:41 (UTC)のコメント宛) 「Wikipediaの出典についての方針から見直すべき」と仰っていますが、残念ながら当コメント依頼で方針の修正意見を述べても、方針が変わることはまずありません。これは方針の修正意見が支持されているとかいないとかは関係なく、議論場所が異なるからです。方針の修正などはその方針のノートページで話し合うことになっています。この場合ならWikipedia‐ノート:検証可能性ですね。--Kinketu(会話) 2016年12月27日 (火) 21:37 (UTC)
田中智隼さんのコメント
[編集]- 色々と皆様に仰ってもらってありがとうございます。
- それでは出典の数についてです。この「ダーウィンズゲーム」の記事で出典を付ける法則性。キャラクターのプロフィール(身長、年齢、親や兄弟の有無)など、で原作漫画の本編内で触れた物は除外して、あとがきや単行本のミニコーナーで紹介された詳細情報は細かな出典を付けるべきだと思うのですがどうでしょう?大まかな出典として公式サイトでの各単行本のリンクを付けました。--田中智隼(会話) 2016年12月23日 (金) 17:00 (UTC)
- kinketuさんとHaetenaiさんへの返信。出典の数について、自分の言いたいことが書いてあったので載せます。Wikipedia:脚注過剰をご覧ください。Haetenaiさんの投稿履歴を遡り、灼熱の卓球娘(出典数120超)のようにダーウィンズゲーム内での出典数を増やし過ぎるなら、この問題は考えるべきです。
- 少なくとも上記の方針を見る限り、自分と同じ考えの人は存在しています。この際、Wikipediaの出典についての方針から見直すべきではないでしょうか?
- そちらで本格的に議論をした方が、この先のWikipediaという百科事典を良くする事に繋がると思います。--田中智隼(会話) 2016年12月27日 (火) 07:41 (UTC)
- kinketuさんへ。確かにここで言っても方針が変わるわけがないのは明白ですね。貴方が示したノートで述べてみます。--田中智隼(会話) 2016年12月28日 (水) 11:18 (UTC)
- なんか逐一自分の投稿が(監視という意味で)見られているのは気分が悪いのですけど。アカメが斬るのノートで示した「帝具は特殊な武器」なんですけど、今までその1つ1つは作中で少なくとも各1ページくらい使って説明があったので普通の武器だと思っただけのことです。
- まぁ、こういった「○○である」と明確に分かるように出典が必要であるとは思いますが(今回の場合、罠の帝具については台詞1つに全て収束されていた)、どこまで出典をつけるかは個人の裁量によるものだと判断します。
- HaetenaiさんがEULEさんへの返信で仰ったのは、それこそEULEさんが言っていることをちゃんとした意味で理解されていないように思えます。必要な箇所にある出典こそ価値があると言えます。--田中智隼(会話) 2017年1月6日 (金) 01:47 (UTC)
- それとダーウィンズゲームでのことなんですけど、現時点で自分が過剰脚注だと思っている箇所(主要人物など)には未だに手を加えていないのですけど、自分風に変えても良いのでしょうか?消した消されたでこれ以上問答するのも嫌なので確認を取りたいです。
- 自分風にというのは、自分なりに分かりやすい出典に変更するという意味です。--田中智隼(会話) 2017年1月6日 (金) 12:09 (UTC)
- Haetenaiさんへ。物語に不必要な人物ばかり追加と言われるのは腹が立ちます。それを判断するのはあなたではなく、その記事を編集する他の編集者であると思います。話し合いの結果で余分だと結論がでれば良いのであって、関わっていない記事についてとやかく言われる筋合いはありません。それにまだ編集途中だというのが分からないのでしょうか?
- ダーウィンズゲームの出典についてですが、より良い物に変更するならこちらとしては良しとします。--田中智隼(会話) 2017年1月6日 (金) 17:50 (UTC)
みなさまのコメント
[編集]- 被依頼者は熱心で積極的な執筆者です。コミュニケーションも良好です。が、客観性が少し足りない気がします。それから、各種方針文書は「読まれた」ようですが、方針を「理解」しているかは疑問が残ります。出典は大事だけどいちいちいつけていたら読みづらくなる、などという発言は、(善意にとれば)一応認識はしているけれど、なぜその方針があるのか、という奥までの思慮が不足しているように思います。この辺りの前提が周囲と異なるから、苦言を不快に感じるのではないでしょうか。もし今後もウィキペディアで活動していくつもりならば、なぜそんな苦言を受けるのかを、私情を去って客観的に考えてみる機会を持ったほうが良いと思います。--maryaa(会話) 2016年12月22日 (木) 12:08 (UTC)
- コメント 被依頼者に関しては依頼文にリンクを貼られているように会話ページでも直接対話していますし、熟練者の方々から見た通りの初心者なので、ここでは特に言いません。ただノート:ダーウィンズゲームで起こったことに関して、感想を述べさせていただきます。
- さて、まず発端となった「被依頼者が手をいれる直前のダーウィンズゲームの記事」ですが、被依頼者が削除して、依頼者らが守ろうとしたという出典が、大した価値があるように見えません。ただ、話数だけあるし、名前にあるかといえば本文にある場合もあるし、無いのも多いし、規則性がまったくわからない。これを初心者が無意味なものだと見做すことは、そう変なことではないと思います。とはいえ、個人の勝手で除去するのは不味いし(せめて事前にノートで確認をとる)、元の記述は尊重すべきで、それに対して依頼者らが注意したこともそう変なことではないと思います。
- ただ、その後、初心者が曲がりなりにも注意を受けて出典付きで加筆を始めた時に、その記事で何の実績も無い者が、これはダメだ、あれはダメだと言うだけで、終いには、ただ元々よくわからん出典がいくらか付いているだけの記事で、新たに加筆するのは完璧な逐次出典が必要かのごとき注意したら、そりゃあ反感を持ちますよ。何のフォローも弁解も無いんじゃ「じゃあ何で私をブロックしてまでお前が守った版には出典要求タグを貼らなかったんだ!」なんて、普通の人なら思うでしょ。それで、なんだその態度は!なんてやってたら、ますます話が拗れて、で、こうなると。--EULE(会話) 2016年12月22日 (木) 13:48 (UTC)
- 返信 (Kinketu氏へ宛)
- >いささか過激な発言だと感じますが。
- 過激も何も実際にそうじゃないですか。では、Kinketu氏は、当初時点で出典の有無について初心者が規則性がわかるものだったといえますか。杜撰であっても出典が付いていれば上等みたいな意見は時たまありますが、杜撰であることに違いはないです。
- >フォローに値しませんか?
- 不十分だと思います。その説明は、出典の付け方の説明であって、何で出典を付ける必要があるのかの説明ではないです。被依頼者は出典の付け方がわからないんじゃなくて、あるレベルでも出典を付ける必要性があるのかを疑問に思ってる(思ってた)人です。その点においてKinketu氏の言い方や立ち位置は相手を納得させられないし、実際に納得させられていないからこうなったというのが私の感想です。
- (補足)
- 出典の粒度に関してはKinketu氏やHaetenai氏は少し教条主義すぎるように思います。私論「Wikipedia:空が青いということに出典は要らない」のように自明なことにまで果たして出典は必要かという立場あります(反対にWikipedia:空が青いということに出典は要るのもあるわけですが)。フィクション分野において、作品それ自体は、1つの自明な事実として扱われるので、何でもかんでも逐次的に出典が必要かといえば疑問があります。
- そうすると、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)には「すべての情報に情報源を明示してください」とあるじゃないかという当然の返答があるかと思います。実際にそれを根拠にされてる部分もあるでしょう。で、このガイドラインは英語版を翻訳したものなのですが、元の英語版にはどう書いてあったかというと、これも同じように書いてあります。では、なおさら問題無いじゃないかと言われるかもしれませんが、じゃあ、実際に英語版の秀逸な記事や良質な記事はどうなってるか見てください(スタイルマニュアルの英語版にサンプルとして載ってます)。例えばあらすじや、登場人物の説明など、逐次的に出典が無くとも選出されてるのが多いです。『en:The Mummy (1999 film)』のあらすじに逐次出典がなくとも、それは作品自体が出典という自明な事柄です。一方でen:List of Naruto characters(NARUTOの登場人物一覧)のように逐次出典しているものもあります。作品自体が一定の規模になったり、記事構成において自明とは言えない場合には逐次出典すべき場合もあるでしょう。私が私の会話ページで被依頼者に話したような観点で出典が必要な場合もあるでしょう。ただそのような出典があった方が良いパターンでも、Refタグを使わずとも、文中の中で「(○巻)」や「○○編では」と書かれていれば問題はないでしょう。
- Kinketu氏やHaetenai氏が個人で逐次出典を行うことは別にいいのですが、ご自身の信条に反する記述がなされた時に、ただ機械的に「逐次出典が無いからこの記述は不当」などと判断しないで頂きたいと思います。もちろん、絶対に他者の編集を掣肘するなという意味ではなく、例えば逐次出典で綺麗に整っている記事に対して、唐突に出典のない記述がされたら、それをリバートするのは問題無かろうかと思います。--EULE(会話) 2017年1月3日 (火) 03:38 (UTC)
- 現状、熱意が空回りしている感じでしょうか。確かに記事の拡充を図ってくれるのはとても嬉しいのですが、出典のないまま記述されてしまうと、それが正しい記述なのかの検証ができず、また検証できる文献が手元にあったとしても膨大な資料の中からその記述を探すハメになるため、編集を歓迎できません。Wikipedia:検証可能性を蔑ろにした「記載内容が乏しい記事で先ずは内容を充実させてから、後々出典を付ける[14]」などという編集方法はお辞めになっていただきたいと思います。少なくとも私がダーウィンズゲームにてあとから付けた出典は調べるのに数時間もの間、調べることになりました。Wikipediaの現状の方針は真偽不明な状態の記事を増やすのではなく、信頼の出来る記事を作ることのはずです。でなければWikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:中立的な観点という三大方針が規定されている意味がなくなります。ですので、被依頼者には現状の無出典で記事を拡充を図るのでなく、しっかりと出典をつけて記事を作成していただきたいと思います。--Haetenai(会話) 2016年12月26日 (月) 12:25 (UTC)
- Wikipedia:脚注過剰は「私論」であり広く受け入れられるものではないですし、またその趣旨を理解されないままこの場に出すのであればお門違いもいいところです。「その一文を説明するのに多数の脚注(出典)をつけるのは過剰である」というものであり、「記事に細かく脚注(出典)を付けないでいい」と言うものではありません。「この際、Wikipediaの出典についての方針から見直すべき」そう思うのであれば井戸端で聞いてみるなり、各種方針のノートなりで議論を立ち上げてコメント依頼でもして下さい。現状はWikipediaの方針、ガイドラインを守らずに自分の考えが正しくこの方がいいと言って行動しているだけです。--Haetenai(会話) 2016年12月27日 (火) 11:53 (UTC)修正--Haetenai(会話) 2016年12月27日 (火) 11:55 (UTC)--Haetenai(会話) 2016年12月30日 (金) 09:18 (UTC)
- 脚注過剰についてはWikipedia:井戸端/subj/過剰脚注・出典についてが直近で参考になる議論になるかと思います。--Haetenai(会話) 2016年12月27日 (火) 16:34 (UTC)
- 私との会話では納得していただけなかったようですが、利用者‐会話:Koshiyou、Wikipedia‐ノート:検証可能性などから、[15]、[16]と出典をつける行動に移行したようです。理解、納得しているのかは不明ですが、Wikipedia:検証可能性を満たすように出典を示していただけるのであれば、最低限、形にはなるかと思います。しっかりとした記事を作るのであれば、まだまだいろいろな方針やガイドラインとぶつかることになるかと思いますが、これからも精進していってくださればと思います。--Haetenai(会話) 2016年12月30日 (金) 09:18 (UTC)
- 返信 (EULE氏 補足宛) 自明である、と言うのはその作品の全てを読んだ人だけであり、作品を読んだことがない人には自明ではないため、やはり必要でしょう。また、ほぼ万人の人が何をしなくとも見て認識することが出来る空と、自分の意志で見たり読んだりしないと認識できないフィクション作品を同列に扱っていいのか疑問の余地があるかと。あと、空を見たことがない人にとっては「空とは青いものである」という出典はやはり欲しいでしょう。フィクションの記事に限らず一次資料を参照する場合は容易に独自研究(誤解、誤読など意図しないものも含む)が入り込むため、出典を示しながら執筆した方が後々論争になる可能性を低減できるのではないかとおもいます。
- 『Kinketu氏やHaetenai氏が個人で逐次出典を行うことは別にいいのですが、ご自身の信条に反する記述がなされた時に、ただ機械的に「逐次出典が無いからこの記述は不当」などと判断しないで頂きたいと思います。』これについては、信条というよりも推奨された方針やガイドラインに従って、出典を示して欲しい、と言っているだけです。EULE氏が示したようにWikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#結論(ガイドライン)には『記事中のすべての情報は信頼できる情報源に基づいた検証可能なものである必要があります。またすべての情報源(一次資料を含む)は記事の中で適切に参照されていなければなりませせん。すべての情報に情報源を明示してください。』とあり、Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に(方針) → Wikipedia:出典を明記する(ガイドライン)には『多くの人が編集するウィキペディアでは、本文中に注釈を入れる方式が推奨されています。』と、本文中に注釈形式で入れることを推奨しています(推奨ですので『文中の中で「(○巻)」や「○○編では」』などでも出典が明示してあればよいと思います)。その記事の信頼性の担保として示す資料であり、それが一次であろうとも巻数、話数、ページ数などを記載し、あとから見た人が記事について疑問を持ったとしても容易に検証出来るようにしているのが今の方針、ガイドラインだと思っています。なお、私的には出典がなくともよっぽどの記述でない限り即座に記述を削除するほどのことではない、と思っています。EULE氏が示されたリバート例であれば確かにやるかもしれませんし、記述を疑問に思ったら要出典タグなどはつけるかもしれませんが。
- ガイドラインでもなんでもないですがプロジェクト:フィクション#一次情報の扱いにも『(前略)しかし、登場人物の性格などの細かい設定に関しては、編集者の憶測が含まれていることも多いため一次、二次資料を問わず出典を明記することが推奨され、出典が示されていない場合は除去されるおそれもあります。(後略)』とあるため、記述を誰かに除去される可能性のある状態のままにしておくよりは出典を示すように促しておくほうが後々の活動ではプラスになるではないでしょうか。直近の被依頼者関連で「ノート:アカメが斬る!#帝具について」という行動を見ればやはり出典は必要であるという方向になるでしょう。出典を提示してあればこのような質問はされなかったはずですし。
- あらすじであれば、それは作品全体の流れを要約したものであるため、作品全てが出典であると明示していなくても、と言うのは分かります。プロジェクト:フィクション#一次情報の扱い『経験則から言って、作品全体のあらすじや登場人物が物語にどう係わるかといった記述は、脚注等を用いて出典を示さずとも作品そのものを参考に書かれていることが明白であるため、検証は可能です。(後略)』ともありますし。ですが、それでも連載中であるのならば、節の最終段にでも「:この節の出典[1]」みたいなのがついてれば、とは思います。長く続いているのであれば、節で分け「○○巻から○○巻まで」とか、強調なら「章題[1]」などのように記していただければ出典も示せて良いと思いますし。『登場人物が物語にどう係わるか』については、あらすじ節ではなく登場人物節に書くのであれば出典を示して欲しいところです。
- 導入部については、そのページの要約として記述され、要約対象の部分に出典がついているのであれば、導入部に出典がなくても許容されるのではないか、と見ています。もちろん、論争になるようであれば出典は必要だと思います。
- 私が英語版で漫画関連のページとして参考としたのはEULE氏が提示したen:List of Naruto charactersとその関連ページです。同じフィクションであるとはいえ映画と比較するよりは漫画作品の方で比較した方が適切でしょう。en:template:Gnn、いいですよね。「○○である[ch. xx]」と表示されて脚注ではなく直接単行本に行けるのは理想の一つだと思います。導入には作品ごとに合意を取らなければいけませんが。--Haetenai(会話) 2017年1月5日 (木) 13:59 (UTC)
- 返信 (田中智隼氏 2017年1月6日 (金) 01:47(UTC)宛) 逐次と言うほどではないですが監視に近いでしょうね。ある程度の期間はそんな感じでしょう。コメント依頼が出されるほどのことをあなたはなさっていたのだと自覚下さい。会話ページでの注意に耳を傾け、方針、ガイドラインに従って活動していれば出されなかったものです。
- 今回のように論争の種になる可能性があるなら文中に注釈形式で出典を示し潰しておくべきでしょう。この件については田中智隼氏が出典をつける側ではなく、記載しておきたい人が付ける例の話ですが。名前が出ておらず作品全体にとって重要ではないのであれば「ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」、「プロジェクト:漫画/過剰な内容の整理」を理由に整理除去の対象である旨をノートで示してから出典ごと除去出来ます。
- 「妄想高校教員 森下」のキャラ追加についても「プロジェクト:漫画/過剰な内容の整理#登場人部」『作品全体にとって重要ではない登場人物の説明が記載されているもの。』に該当しそうな説明の人物ばかり追加されてますが、大丈夫ですか?
- 『必要な箇所』というのは方針ガイドラインに沿って説明できますか? 必要と判断する観点は全ての執筆者が共有できますか? できなければ推奨されている方針やガイドライン、それらに反しないプロジェクトやヘルプの案内などに倣うべきでしょう。--Haetenai(会話) 2017年1月6日 (金) 15:08 (UTC)
- 返信 (田中智隼氏 2017年1月6日 (金) 12:09(UTC)宛) 田中智隼氏独自の観点からただ単に出典を取り除くという信頼性を損ない百科事典の品質を故意に低下させようとする編集であれば反対します。文章を再構成してその文の情報の出典を示せるのであれば反対はしません。物語にどう関わるのかの情報を登場人物の節から除去し、あらすじへ組み込んでしまうのであれば、本編全てを出典とみなせるため、それほど反対はしません。性格など細かい設定に関しては何であれ除去に反対します。--Haetenai(会話) 2017年1月6日 (金) 15:08 (UTC)
- 特にまとめ等もないことからこちらにコメントさせていただきます。被依頼者の存在について認識したのはWikipedia:コメント依頼/サトル・ニシナが最初ですが、私はその時点で発言の数々には違和感を覚えました。サトル・ニシナさんが聖女の魔力は万能ですにおいて、1人で持論に固執しコミュニティの合意を得ることなくあらすじ等の編集を強行するなど問題を引き起こしていたのは間違いないのですが、被依頼者はコメント依頼の中で「サトル・ニシナさんがへんしゅう、加筆した部分を他の方達が取り消しや削除などを行っているだけの履歴として自分には映りました。(中略)時々サトル・ニシナさんの編集箇所に加筆している利用者もいましたが、多くの方が消すだけの編集です。(中略)それならばどういう感じにすればいいか(あらすじなどの見本)を他の利用者の方がノートにでも記載すれば良いだけですから。」と、10月15日にコメントされました。実際にはあらすじについて幾つかの改定案が出され、それらは複数の利用者によって指示され、サトル・ニシナさんのみが頑なに拒絶している状態でした(ノート:聖女の魔力は万能です#あらすじ節改定の合意形成、ノート:聖女の魔力は万能です#第2巻までのあらすじ案 2017年10月3日(火)版)。それら事情を全くご存知ないと思われる田中智隼さんのコメントについて、私が誤認であることを指摘させていただきました[17][18]。それに対し田中智隼さんは、「「サトル・ニシナさんの書いたあらすじを他の利用者が批判や否定をするだけして、言うだけの編集ばかりが目立った」と、やはりノートページにしっかりと目を通されないまま発言をされており、再度こちらから誤解について指摘しました[19]。この件に関してはその後田中智隼さんからは特に反論などはありませんでしたが、その後コメント依頼の中で、趣旨とは明らかに異なるチャットのようなやり取りがサトル・ニシナさんと田中智隼さんとの間で行われたことで、その点を指摘し一度はご理解いただけたかと思いましたが[20]が、その後も継続されるので他の方からも注意を受け、Wikipedia‐ノート:コメント依頼/サトル・ニシナに一部コメントを移動しました。その後、個人的なやり取りは、利用者‐会話:サトル・ニシナ#「聖女の魔力は万能です」についてに移られたようです。
- 記事の方に目を通すと、ニシナ・サトルさんのコメント依頼で論争を知ったようで10月12日にノート:聖女の魔力は万能です#出典についてを立ち上げられておりますが、その中でサトル・ニシナさんによる、自分以外の利用者に対して責任を押しつける一方的な発言に対し、「そんなことがあったんですか、それは流石に困りますね。発言者の考えにこちらの頭が痛くなりますね。」と、それまでのやり取りをしっかりと確認しないままサトル・ニシナさんの主張を鵜呑みにし他の発言者を非難するようなコメントをされ、コメント依頼での私からの指摘と同様に、伊佐坂安物さんによって議論にひととおり目を通してから発言するよう言われています[21]。それに対し、「各議論内容を見てきます。[22]」とコメントされ、ご本人の中ではあくまで「Wikipediaで頻発する「意見の食い違いによる編集合戦」」であるとの認識を持たれたようです。コメントした日時としてはこちらが先行していますので、田中智隼さんは、伊佐坂安物さんからの指摘を受けた後に、上記のコメント依頼では「被依頼者よりも、あらすじの見本を出さない反対するだけのコミュニティがおかしい」との趣旨の発言をされていたことになり、本当に隅々までノートの議論に目を通したのか疑わしく、逆にノートに目を通したのであればどうすればそういった意見が出るのか逆に理解に苦しむところです。その疑念は、その後もこのようなコメント[23]をされていることからも明らかです(こちらでも私は被依頼者に対し、認識の間違いについて指摘しています)。また、この呼びかけ[24]によるものなのか、本日になってWikipedia:投稿ブロック依頼/サトル・ニシナでは氏のブロックに反対されていますが、その理由が理論整然であるならば特に気を留めはしないのですが、「聖女の魔力は万能ですという作品が好きな1ファンであるだけですし、ファンであるがゆえにWikipediaの記事を作る利用者としての原動力になっていると思います。」と正直申し上げて理解不能なコメントを残されています。コメント依頼、ノートの件と合わせて、被依頼者は議論を精査することなく、もしくは精査したとしても、ご自身の考えに近い人物に対し同調するようなスタンスを持っているのではないかとの疑いを抱くには十分であると考えます。
- 新たにコメント依頼を提出しようかとも思ったのですが、被依頼者の上記以外の編集についての精査も必要かなとは思ったのですが、基本的な編集内容といいますか、現在の活動は一次出典さえつければどんどん登場人物などの節の内容を増やすもしくは些細な内容含めて除去されないよう維持する作業が大半のようで(登場人物節の肥大化については[25][26]などを見た際に既に疑念があり、利用者‐会話:田中智隼#登場人物・用語についてなど、基本的に登場人物の肥大化は問題視せず、あらすじの充実には興味がないという姿勢の一旦がうかがえます。)、ノート:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか#記述整理についてでは、目を疑うかのような発言をされています。また、その中での検証可能性を軽視したこのコメントは大いに問題があるといえます。そもそも、聖女の魔力は万能ですに関連したノートやコメント依頼では、作品を読んでいない[27]と言っておられた方が、「知らない作品にまで口を出すのは止めたほうがいいですよ。」などと主張するのは完全にダブル・スタンダードに他なりません。また、これらの[28]利用者:Haetenaiさんに対する発言は、Wikipedia:善意にとるを無視した中傷・個人攻撃であり、サトル・ニシナさんの行動はいいように捉える被依頼者の言動とは矛盾が生じています。
…と、ここまで書きましたが、いち意見というよりは個別にコメント依頼を再立項出来るほどの情報量、分量になってしまいましたので、少し推敲した上で依頼を提出しようかと思います。--Aiwokusai(会話) 2017年12月7日 (木) 05:20 (UTC)
- 報告 予告だけして放置したままになって申し訳ありませんが、Wikipedia:コメント依頼/田中智隼 20171207を提出済みです。--Aiwokusai(会話) 2017年12月8日 (金) 04:51 (UTC)