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Wikipedia‐ノート:表記ガイド/表記の統一の指針関連1

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表記の統一関連文言改訂提案

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Wikipedia:表記ガイド#その他の文言について、二点、改訂を提案をします。

たとえば、項目では、「タケ」と「竹」が文脈によって使い分けられています。また、記事の記述対象に複数の表記がある場合に、冒頭文でそれらを列挙し、そのうち一つを用いて「以下、○○と表記する」などとする記事は枚挙に暇がありません。これらはいずれも常識の範囲だと思いますが、厳密にはWikipedia:表記ガイド#その他「表記はページ内で統一します」に反します。そこで、「原則として」を挿入してこうした場合を許容する方がよいと思います。

二点めは、それに続く「ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません」という表現についてです。表現としては「過度にこだわらない様にしてください」「こだわりすぎない様にしてください」あるいは「こだわる必要はありません」のいずれかであって、「過度」と「必要はありません」を組み合わせるのは意味内容としておかしいと思います。意図としては「項目間でも表記が統一されていることが望ましいが、分野ごとの違いなどにも配慮せよ」というあたりでしょうから、「こだわる必要はありません」だと弱すぎる気がします。

以上をあわせて、現行の

  • 表記はページ内で統一します。ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません。

を、

  • 原則としてページ内の表記は統一しますが、ウィキペディア全体での統一にこだわりすぎない様にしてください。

とすることを提案します。--Jms 2009年6月27日 (土) 10:48 (UTC) 指摘を受け表現修正 --Jms 2009年7月1日 (水) 11:23 (UTC)

「過度にこだわらない様にしてください」「こだわりすぎない様にしてください」を「過度にこだわらないでください」「こだわりすぎないでください」としてください。理由は「~のように」を「~の様に」と書くのは好ましくないためです。そのうえでそもそも「~のように」の表現がないほうが婉曲的表現を避けられます。規約・ガイドラインの類は無駄な婉曲的表現は極力避けたほうがよいと思います。--Goki 2009年6月30日 (火) 23:46 (UTC)
たしかに。「こだわりすぎないでください」に修正しました。「過度にこだわらないでください」としなかったのは、漢字づかいのバランスからです。「過度に拘らないでください」とすると「読めない」といわれかねないな、と。かんがえすぎー? --Jms 2009年7月1日 (水) 11:23 (UTC)

一週間経過しましたが、反対意見はありませんでしたので、修正意見に従いWikipedia:表記ガイド#その他に反映しました。--Jms 2009年7月4日 (土) 10:51 (UTC)

表記の統一関連文言を旧の文に戻し原状回復する提案

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提案

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この7月4日に改訂されたWikipedia:表記ガイド#その他 の文言を改訂以前の文章に戻して原状回復することを提案します。 具体的には現行の

  • 原則としてページ内の表記は統一しますが、ウィキペディア全体での統一にこだわりすぎないでください

を、改訂前の

  • 表記はページ内で統一します。ウィキペディア全体での統一に過度にこだわる必要はありません

に戻します。 理由は次に述べる通り、主として上記改訂のプロセスが著しく不当であることです。

まず、ガイダンスはウィキペディア構築の基礎となる重要なものですから、その文章改訂はきわめて慎重に行うべきものです。 とくに広く意見を募ってその圧倒的賛同を得ることが重要なプロセスと考えます。 前記改訂の提案者は形式的には提案から1週間待って改訂を行うという手順は踏んでいますが、肝心の多数の人の意見を集めるということにはむしろ背を向けて当然行うべき公示作業を行いませんでした。 そしてその結果、意見がほとんど集まらなかったことを幸甚に「反対意見がなかった」として改訂作業を行いましたが、これはきわめて不当な行為だと思います。

具体的には次のようなことです。 まず現在、Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いにおいて、「関数」と「函数」の2つの表記について、項目内で「統一する」という意見と「混在していても構わない」との意見との間で熱い議論が繰り広げられていますが、そこではこのガイドラインが議論の1つの要となっています。 そして上記改訂の提案者Jms氏はこの論戦の中でも「構わない」派のもっとも活発な論者の一人です。 ですから Jms氏がこの問題を念頭に改訂を提案したことは明らかだと思いますが、提案にはこのことにまったく触れずに隠しているのは不誠実だと思います。 そしてそれにも増して私が問題だと思うのは、上記論戦の中でも改訂提案したことにまったく触れずに通したことです。 上記の事情により、この論戦参加者はこのガイダンス文には多大の関心を持っています。 そしてほかの手段で知らされなければ、人がこの提案の存在を知るには「表記ガイド」のノートページを見なければなりませんが、通常「表記ガイド」は見に行っても、特に必要がなければノートページまでは見に行きませんから、その存在を知る機会はほとんどなかったと思います。 私自身、この改訂に関して何かを初めて知ったのは、上記論戦記録に「表記ガイド#その他が改訂されました」というアナウンスが載ったことによってでした。 こうして論戦参加者を始めとするどなたもが提案の存在を知らず、したがって上の「改訂提案」節の記録を見て頂けば解るとおり、意見がほとんど集まらないままに1週間が経過し、「反対意見がなかった」として文の改訂が行われました。 したがってこの改訂では当然関心をもつであろう人々の意見がまったく無視されていますので、きわめて不当であると考えます。 改訂内容についてもいくつか問題点がありますが、ここでは話の焦点がぼけることを避けて詳述するのを控えます。

以上によりプロセスの不当性を主体とする理由で、取りあえず旧の文章に戻して原状回復することを提案します。 今度はこの提案をしたことを論戦の場でアナウンスして論戦参加者多数に広く知っていただく予定ですが、ほかにもウィキペディア全体に目を配って下さっている管理者諸氏のご意見を頂ければ幸いです。 --Midz 2009年7月8日 (水) 03:59 (UTC)

議論(1)

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プロセスを理由とした復帰はありえない。なぜなら日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスはまだないからだ。Wikipedia:合意形成は草案でまだ拘束力をもたない。つまりJmsが行った行為がアナウンス不徹底かどうかのコンセンサスもない。あんたができることは変更の問題点をあげて復帰を求めることができるだけで、現状ではプロセスを根拠にすることはできないと考える。プロセスを理由にしたかったらWikipedia:合意形成がガイドライン文書化してからの話だ。--Ginz 2009年7月8日 (水) 04:49 (UTC)
(Ginz氏の意見に賛成)もう「何言ってんだか、この(以下自粛)」という状態。Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いでもきわめて卑怯な表現を使用していたので発言の撤回・取消を要求します(謝罪は要らないよ)。--Goki 2009年7月8日 (水) 04:56 (UTC)
仮に、Ginz さん御指摘の問題点をクリアできたとしてもなお、手続きの瑕疵を根拠とするのは以下の理由より不適当だと思います。当該改訂は、広く受け入れられ、運用上の問題点の指摘のないWikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことで推奨される冒頭文での複数表記言及に表記ガイドを適合させる改訂であり、またその改訂に伴い問題視されていない方式の追認を目的とするものです。すなわち、基本的に広く受け入れられている内容の追認でしかありません。全面改訂ならまだしも、デファクトスタンダードに適合させる改訂についてまで、「お知らせ」で告知する類の事は不要でしょう。逆に、そのレベルのものまで「お知らせ」で広く告知したのでは、「お知らせ」を使いにくいものとするばかりです。また、函数/関数問題に触れなかったことを問題視していますが、上記の様に函数/関数問題とは関係のない、ガイドライン間の整合をはかることとそれにともなう現状追認のための提案ですから、触れる必要はないどころか、触れるべきでないと考えて触れませんでした。このことを問題視するのは、提案の内容を理解していないか、または、単なる邪推でしょう。
手続き論はこれくらいにして、話の焦点をぼかすという内容についても吟味したいと思います。「原則」を取り除くということは、次のいずれかを含意します。
  1. 前述した冒頭文での複数表記言及や項目での文脈による書き分けをすべて除去するとともに、Wikipedia:記事名の付け方#正式な名称を使うことを変更する。これにより、ワンセグイギリスの正式名称を読者は記事からは知り得なくなる。
  2. 前述した冒頭文での複数表記言及や項目での文脈による書き分けは温存し、現実と「表記ガイド」を乖離させる。
後者の立場は、事実上「原則」を挿入することと同値か、または、「表記ガイド」を形骸化することと同値です。事実上の「原則」挿入は原則除去提案と矛盾しますし、「表記ガイド」を形骸化するならば当該部分について手続き上の瑕疵を主張することは論理的整合性を欠きますから、Midz さんの提案とその理由は後者とは整合しません。従って、Midz さんの提案は前者であり、それはコミュニティの事実上の合意や、なにより記事のあるべき姿と明らかに対立するものであり、到底受け入れられる筈もありません (説得する努力までは否定しませんが)。その意味で、Midz さんの提案は内容において現実との矛盾を孕むものであると思います。なお、それでも提案なさるなら、「原則」挿入は現実に存在する問題点を解消するためのものであることに鑑み、「原則」挿入の孕む問題の可能性ではなく蓋然性において議論されることを望みます。--2009年7月8日 (水) 11:33 利用者:Jms会話 / 投稿記録 / 記録
◆自分が気づかないうちに不本意な改定が行われることというのはあまり珍しいことではないような気がしますが、その場合には「気づかなかった自分の不明を恥じて、受け入れる」というのが適切な第一ステップではないかと思います。その上で、再改定の提案を行い、説得をしてそれを通すというのが正しい手続きでしょう。プロトコルを理由として無効を主張するというのは、おれが知る限りでは「前代未聞の横車」であると思量します(まあ多分、誰かが同じようなことをやって顰蹙を買ったことはあるでしょうけれども)。--Nekosuki600 2009年7月8日 (水) 12:27 (UTC)

賛成 以下の理由により合意形成のプロセスに瑕疵があるため無効だと判断できるから。

  1. 提案者はあらかじめ審議期限を定めていないにもかかわらず1週間かつ賛同者1名という状況で審議を打ち切ったこと。(重大な瑕疵)
  2. 広く影響のあるガイドラインにも関わらずコメント依頼などでの意見収集の努力をしていないこと。
  3. 提案理由の「竹」「タケ」の事例はJms氏による予想であり実際に起きている問題ではなく急いで改定する必要性はないこと。
  4. 提案者Jms氏はWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数において改訂の翌日に当該加筆部を根拠に議論に対応している。差分[1] 個人的な主張を優位に進めるために共有物であるガイドラインの改定を急いだ疑いがある。
本件は井戸端などでガイドラインの改定プロセスのあるべき姿を議論すべきだと思います。--みや1229 2009年7月8日 (水) 12:29 (UTC)
◆インデントレベルがよくわからなくなっていますが…。
  1. 異論が出ないか一週間様子をみる、というのはウィキペディアで普通に用いられている期限でしょう。
  2. コメント依頼の必要な案件でない理由は既に述べました。こんなのまで一々コメント依頼にかけていたらコメント依頼は機能しません。
  3. タケは孟宗竹だけではありません。指定された記事を参照してください。なおモウソウチク冒頭には「別名○○」の例があります。
  4. Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数との関連は全くの言いがかりです。「表記ガイド」の当該箇所が引かれていたのでその解釈について言及しているに過ぎません。
で、こうして反論 (論にすらなりませんが) を書いてみるに、「合意形成のプロセスに瑕疵があるため無効」というのは半分しかないのですが、残り半分は理由ではない、ということでよろしいでしょうか。--Jms 2009年7月8日 (水) 15:20 (UTC)

事前に期限を提示していたらならともかく意見1名という状態での審議打ち切りは極めて不自然です。Jms 氏は自己の主張のためにガイドラインの改定を行ったという疑いに対して説明責任があります。--みや1229 2009年7月9日 (木) 12:49 (UTC)

極めて不自然だ、というみや1229さんの感想は承りましたが、一週間で異論がなければ、というのはウィキペディアではよくやるやりかたでしょう。わたくしの主張の「ため」というのは全くの言いがかりであることは既に述べた通りです。--Jms 2009年7月9日 (木) 14:03 (UTC)
ところで、わたくしの主張とは、具体的に何でしょうか。--Jms 2009年7月9日 (木) 14:13 (UTC)

反対 表記ガイドの冒頭に張られたTemplateには以下のように明記されています。

「この文書はウィキペディア日本語版の考慮すべきガイドラインです。多くの利用者が基本的に同意しており、従うことが推奨されますが、公式な方針ではありません。必要に応じて編集することは可能ですが、大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。」
Jms氏が改訂のために取った行動は最低限の基準を満たしており、「プロセスの瑕疵」を根拠とした原状復帰の提案には反対します。--125.1.110.165 2009年7月9日 (木) 14:51 (UTC)

他の改定の審議状況は以下のようになります。これらと比べるととても合意形成を得たとは言えないと判断できます。

  1. 「表記の統一関連文言改訂提案」(差し戻し対象案件)2009年6月27日(審議期限の提示なし)~2009年7月4日 審議期間1週間 発言者2名
  2. 「学術用語」 2009年5月9日~2009年6月28日 審議期間50日 発言者7名
  3. 「「数字」節の改変提案」2009年1月28日~審議継続中 発言者3名
  4. 「漢数字について 「正式表記の場合」」2008年12月17日~2009年2月5日 審議期間50日 発言者4名
  5. 「段落の途中の改行」 2008年11月28日~2008年12月6日 審議期間8日 発言者5名
  6. 「仮名書きと漢字を使い分けるもの」2007年9月7日(1週間の審議期限を提示)~2007年9月14日 審議期間1週間 積極的な賛成がないため提案取り下げ
--みや1229 2009年7月9日 (木) 15:07 (UTC)
その他に、ノートで提案のない改訂もありますが、それはさておき、それらのうち、今回の様な、現状追認と意味内容に影響しない言い回し修正に該当するのはどれですか。--Jms 2009年7月9日 (木) 15:14 (UTC)
今回の様な、現状追認と意味内容に影響しない言い回し修正 あなたの仮定に基づく質問には答えようがありません。--みや1229 2009年7月9日 (木) 15:50 (UTC)
では質問を変えましょう。それらのうち、現状追認であるもの、意味内容に影響しない言い回し修正であるもの、一週間以内に反対意見が出されなかったもの、は、それぞれいくつあり、どれですか。--Jms 2009年7月9日 (木) 16:30 (UTC)
自分の考えを言わずに質問をすることはやめましょう。二度も繰り返されると誘導的に思えます。--みや1229 2009年7月10日 (金) 10:43 (UTC)
事実を確認するための質問に、なぜ考えが関係するのですか。また、なぜ事実を確認するのに、考えを述べる必要があるのですか。考えるために事実確認しようとする場合もあるのですが。--Jms 2009年7月10日 (金) 10:52 (UTC)

コメントいつくか意見が出ましたがプロセスの瑕疵という面では意見が分かれると判断できます。一方、改訂に異論があることは明白ですしそのことについてはどなたも異議をはさんでいません。よって本件は新たな提案による見直し審議に移行することが妥当と考えます。--みや1229 2009年7月9日 (木) 15:37 (UTC)

見直しは結構ですが、その前に問われていることに答えていただければ幸いです。また、「異論」についてすでに指摘されている問題点についてもお答えください。その上で、なお改訂に問題があれば、見直しましょう。--Jms 2009年7月9日 (木) 15:41 (UTC)
2009年7月8日12:29(UTC)付けの 提案理由の「竹」「タケ」の事例はJms氏による予想であり実際に起きている問題ではなく についても事実であるかどうか確認をお願いします。--Jms 2009年7月9日 (木) 21:34 (UTC)
◆私は「異論」に対して明確に反対表明をしております。--125.1.110.165 2009年7月9日 (木) 17:07 (UTC)

ガイドラインの理念

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提案者として、まず私のもつガイドラインの理念を述べ、改めて提案の理由を述べます。

Wikipedia は「常識」と「善意」の上で成り立つ構築物です。 そしてその「常識」を文書化したものが「方針・ガイドライン」です。 したがって、ガイドラインは基本のところで常識と離れることはありません。 しかし、細かい点になると各人の「常識」はしばしば互いに食い違います。 そこで広く人を集めて議論を闘わせ、その合意をまとめてガイドラインを文章化します。 こうして広く「常識」に裏打ちされた信頼できるガイドラインがつくられます。 事実、以前に私は「項目内の表記の統一」は「ルール以前の暗黙の了解」と述べて叱られましたが、その直後に実際ここに同様趣旨のガイドラインがあることが指摘されました。 また、「表記の統一」は「中立的な観点」に違反するという議論に対しては漠然とおかしいと感じていましたが、実際に当該ガイドラインを読んでみて、「常識」で考えていたとおり、「中立的な観点」の対象は「内容」であって「表記」にはまったく触れていないことを確かめました。 このようにガイドラインを正しく使うためにも「健全なる常識」はきわめて重要です。 そしてガイドラインは多数の人の常識をすりあわせることで初めて信頼出来る指標になったものですから、それを改訂する必要が生じたときにも出来るだけ多数の意見を集めて行わなければならないのもまたまさに「常識」でしょう。 したがって今回行われた改訂のように、多数の意見が集まることをむしろ避けて、それにより「反対意見がなかった」からと恣意的な改訂を行うことはガイドラインの信頼性を著しく損ない、Wikiprdiaの理念に照らして不当であると考えます。 「原状回復」を提案する所以です。

 こうしてガイドラインは執筆・編集するときにまず最初に参照すべきよりどころとなります。 ガイドラインは複数の見解から1つを選ばなければならなくなったとき、その選択の基準となるべきものですから、選択に幅をもたせる語句、例えば「原則として」というような語句はなるべく避けるべきです。 そしてもしも例外が必要となったときは、その都度その例外が満たすべき要件を明確にして書き加えるのがよいでしょう。 今回は Jms氏は改訂の必要性を具体的に論証することなく「原則として」の語句を付け加え、しかもすぐ後で書くように、「改訂」直後に提案で理由としたものとはまったく関係ない事案でそれを根拠として強引な論説を繰り広げています。 このようにこの条文の「原則として」はまったく有害無益なので、それを含まぬ条文に復帰することも「原状回復」の1つのねらいです。 Wikipedia を愛する多数の皆様のご意見をお待ちしています。 --Midz 2009年7月10日 (金) 04:19 (UTC)

「それにより「反対意見がなかった」からと恣意的な改訂を行う」ってあんたの主観でしかないので無視。恣意的に井戸端で印象操作してるのはどっちなんだと。あほらしくて話にならない。--Goki 2009年7月10日 (金) 06:30 (UTC)
◆いろいろとツッコミどころは満載なのですが、まず第一にこの「表記ガイド」がどういった性格のものであるかを明記した本文冒頭の記述と、この表現が導入される際に行われたこちらの議論(表記ガイドの過去ログの「拘束力・効力に関しての記載」節)を御確認いただきたいと思います。--125.1.110.165 2009年7月10日 (金) 12:34 (UTC)

「原状回復」提案の根拠としてはプロセスの不当性だけで充分だと思いますが、改訂内容にも問題があることを示してご判断の参考に供します。

  • まず、Jms氏が「原則として」を挿入する根拠とした例、「タケ」と「竹」ですが、これは同氏が「常識の範囲だと思いますが」と言われているように、今回の氏の改訂前でも混乱を招くことはありませんでした。 つまりそこでは文脈による使い分け方がはっきり定義されており、その意味では別の語と定義されたと同じことになって統一の対象にならないのは明らかだからです。 もしもそれでも気になるのであれば、そのための注意事項、「「タケ」と「竹」のごとく文脈で使い分けられている語は、それぞれの文脈にしたがって統一します。」とでも書き加えておけばよいことですが、Wikipediaでは関係する人には常識があることを前提にしていますから、それも無用でしょう。 しかもこの例で言えば、「原則として」という曖昧な言葉を挿入することにより、「厳密に言えば」文脈を無視した表記を使うことも許される、とも解釈出来る悪い副作用が生ずるだけで何の利益もありません。
  • Jms氏は「「複数表記言及」に「表記ガイド」を適合するため」と述べておられますが、どこがどう互いに矛盾しているのか見当もつきません。 それから、もしもその「適合化」が改訂の目的でしたら、何故 改訂提案でそれを言わずに、問題のない「「タケ」と「竹」の使い分け」を表にだして改訂提案したかも説明を要するところです。 私には「原則として」を押し込むことが目的で、口実は何でもよかった現れに見えます。
  • 次にこうして挿入された「原則として」をJms氏がさっそくどのように「活用」されたかを示して、それがまともな論理であるかどうか、皆様のご判断を仰ぎたいと思います。 
問題はWikipedia:ウィキプロジェクト 数学/函数と関数において白駒さんが移動・編集合戦を防ぐためのローカルルール草案をつくり、その中で
「項目名やカテゴリ名は、原則として「関数」を用いる。 ただし、項目内では必ずしも関数に統一する必要はないし、関数と函数が混在していても構わない」
という条項を設けたことから発します。 この条文の後半は改訂前の表記ガイドの条文に明らかに反し、改訂後の「原則的にページ内では表記を統一します」にも反する規定であると私は考えます。 ただこの案は白駒さんが編集合戦を防ぐために苦心して纏められた案ですから、当面それで様子をみることはよかろうと思っていますが、上記項目のノートにおいてこれが「表記ガイド#その他」と相容れない規定であることは認識しておく必要があると注意を喚起しておきました。 するとJms 氏がこれにかみついて、「表記ガイドには「原則として」という文言があり、これは例外の存在を認めているのだから、「混在しても構わない」は例外として表記ガイドの範囲内にある」という論理で、「表記ガイドに「反していない」」と主張されました。 この論理でいくと、「原則として」を頭にもつ全ての規定は、常にその本文と正反対の内容を無条件に許していることになり、その存在理由を失います。  これは明らかにおかしな話だと思いますが、いかがでしょうか。 そしてJms氏が「原則として」の挿入をしたのも、このような使い方をすることが目的だったように思われます。 このような強引な論法が可能になるのは「原則として」が頭にあるからですから、その論法の当否で議論を紛糾させることはひとまず横に置いて、まずは不当な改訂からの原状回復という形で、原因の語句を含まない改訂前の文章に戻すことを提案している次第です。 --Midz 2009年7月10日 (金) 04:37 (UTC) --Midz (微少加筆)--Midz 2009年7月10日 (金) 04:57 (UTC) (1字修正)

議論(2)

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「改訂提案でそれを言わずに」とのことですが、改訂提案の際、わたくしは項目への言及に続けて記事の記述対象に複数の表記がある場合に、冒頭文でそれらを列挙し、そのうち一つを用いて「以下、○○と表記する」などとする記事は枚挙に暇がありませんと述べております。これには表記ガイドで言及されている正式名称以外を記事名とする場合が含まれます。「常識の範囲だと思いますが」を引用なさっているので、当然当該部分もご覧になった上で「改訂提案でそれを言わずに」と仰っているのだと思いますので、「改訂提案でそれを言わずに」と仰っているということは、上記部分をその様にはご理解いただけなかったのでしょう。もしかしたらこのあたりは表現に対するトレランスの違いに起因していて、それが表記の統一指向の違いに表れているのかもしれないと思わなくもありませんが、なんにせよ書いてあっても (同意不同意は別として) ご理解いただけなかったのですから、同じ様な表現を繰り返したところでご理解いただけないのではないかと思いますし、(同意不同意以前の問題として) ご理解いただくためにはやりかたを変える必要があると思います。書かれていることが互いに理解できているかどうか確認せずに進めても主張をぶつけ合うだけですから、一つ一つ確認しながら進める方が、時間はかかりますが結局は「議論がかみ合わない」という事態を避けられると思います。そこで、まとまった量の主張をするのではなく、ポイントをしぼって一回の記述は二、三文、多くてもせいぜい五文程度とし、互いに確認しながら進めるのが良いのではないかと思いますがいかがでしょう。--Jms 2009年7月10日 (金) 11:08 (UTC)
私はこの提案では
  •  広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。
という一点に話を絞って皆様の判断を仰いでいます。 今はこれに集中する必要があると考えていますので、これに対する正面からの反論には議論に応じますが、その他の議論をする気はありません。 よろしくご了解下さい。 --Midz 2009年7月11日 (土) 03:19 (UTC)
  • 元改定の提案理由について

元改定の提案理由についての見解を示します。Jms氏は項目竹では、「タケ」と「竹」が文脈によって使い分けられています。(中略)厳密にはWikipedia:表記ガイド#その他「表記はページ内で統一します」に反します。そこで、「原則として」を挿入してこうした場合を許容する方がよいと思います。としています。次に、項目では現在「竹」から「タケ」への改名審議が行われています。つまり、実際に提案にあるような状況が存在することが確認できました。さてそのノート:竹#タケへ改名での経緯は以下のようになります。

  1. 2009年6月10日 生物の記事名はカタカナで表すのが原則なので、タケへの改名が提案される。
  2. 2009年6月17日 賛成2、賛成寄りコメント1、反対寄りコメント1のため改訂することを宣言。反対寄りコメントはJms氏による。
  3. 現在Jms氏により異論が出され、提案者との間で議論継続中。
  4. 表記ガイド#その他の規定に「原則として」を入れることはJms氏の主張にそっていること。
(補足)提案は生物記事として「タケ」を記事名にすべきとしているが、「原則として」があると内容とは関係なくそれをつけてよいと解釈できるようになります。
これらからJms氏は自分だけが合意形成に反対している提案に対し、自己の主張にそうよう表記ガイドの改定を行ったことになります。
--みや1229 2009年7月10日 (金) 11:25 (UTC)補足追記--みや1229 2009年7月10日 (金) 13:04 (UTC)
記事名の話と記事内での表記の話を混同しないでください。関係ないことを根拠に「自己の主張にそうよう表記ガイドの改定を行った」とするのは全く理解できません。--Jms 2009年7月10日 (金) 12:19 (UTC)
(追記) 改名提案があることから「つまり、実際に提案にあるような状況が存在することが確認できました」とは言えないと思いますが、それはさておき、状況を確認できたということは、提案理由の「竹」「タケ」の事例はJms氏による予想でありと断じたのは取り下げていただけるのでしょうか。--Jms 2009年7月10日 (金) 12:40 (UTC)
確かに「竹」と「タケ」の混在表記は確認できました。しかし、それが問題になっていないことも確認できました。唯一、Jms氏による改名提案への異議が討議されていることくらいです。つまり急ぐ必要などまったくない。そんな最中にそれに関するガイドラインの改定を行うということはその正統性に疑いを持たれても仕方ないと思います。--みや1229 2009年7月10日 (金) 13:20 (UTC)
「しかし」ではないでしょう、表記混在自体が問題なのではなく、改訂前の表記ガイドを厳密適用すると表記混在を排除しなければならなくなるということが問題なのですから。そのこととの改名には関係がないにもかかわらず、提案は生物記事として「タケ」を記事名にすべきとしているが、「原則として」があると内容とは関係なくそれをつけてよいと解釈できるようになります。などという全く的外れな指摘をしてまで関連づけようとするのか、理解に苦しみます。の改名についての議論の要点は、文化的側面を少なからず含む記事について、単系統群でない属超分類群についてまで生物記事だから記事名を片仮名というのを適用すべきかどうかにあるのであって、表記混在とは全く関係ありませんし、表記ガイドに「原則」があろうとなかろうとの改名議論には影響がありません。Wikipedia:記事名の付け方は表記ガイドを参照してはいますが、記事「内」での表記統一に関する規程が記事「名」に影響するはずがありません (逆はあり得る)。--Jms 2009年7月10日 (金) 14:20 (UTC)

(インデントを戻す)表記混在自体が問題ではないことに意見の一致をみました。さて、表記ガイドを厳密適用した場合という見方ですがそもそも表記ガイドは絶対の規定ではないことは表記ガイドの冒頭に述べられています。もちろん、無視してよいわけではありませんが執筆者の常識により問題なく運用されているならばそれでよいと思います。一方、「原則として」を入れることで新たな問題が起きることがここの議論からも明らかです。ならば、現状から「原則として」を省くことが妥当であると主張します。--みや1229 2009年7月10日 (金) 15:26 (UTC)

「原則として」により新たな問題が生ずるというのは、とりもなおさず、執筆者の常識はあてにならないと考えているということだと思います。その一方で、執筆者の常識を前提として「問題なく運用される」表記ガイドからの逸脱を是認するというのはダブルスタンダードではありませんか。執筆者の常識を前提とできるなら「原則として」があっても問題はないでしょうし、逆に「原則として」が問題となるなら執筆者の常識を前提とせずに表記ガイドを厳密運用すべきでしょう。--Jms 2009年7月10日 (金) 15:36 (UTC)
「原則として」がない場合に問題が起きていないということには異論がないようですね。しかし、「原則として」をつけたことにより本来の提案理由である文脈により分かれる表記だけではなく、同じ意味の用語にさえ表記混在の問題が起きることは「関数/函数」の例であきらかです。もし表記ガイドを厳密運用するならばガイドラインも細かく規定すべきであり「文脈により分かれる表記」に限定する表現に変えるべきでしょう。--みや1229 2009年7月10日 (金) 16:00 (UTC)
 「原則として」がない場合に問題が起きていないということには異論がないようですね。いいえ。Wikipedia:記事名の付け方が「表記ガイド」からの逸脱を指示しているのは問題だというのは既に述べました。Wikipedia:記事名の付け方の当該箇所は妥当だと思いますし、また複数の表記を冒頭で述べるのは一般的ですから、改訂すべきはWikipedia:記事名の付け方ではなく「表記ガイド」だと判断して後者の改訂を提案しました。「原則として」を挿入しておいてそれ以上の細部は執筆者集団の常識に委ねるのが人間の理性を信ずる百科全書派末裔のとるべき態度だと思います。「関数/函数」は執筆者集団の常識があてになる例だという考えでおります。「異論がないようですね」論法に従い、みや1229さんの「原則として」を除くべきというのはダブルスタンダードであるという点には同意していただいたと考えてよろしいでしょうか。--Jms 2009年7月10日 (金) 16:16 (UTC)
Wikipedia:記事名の付け方が「表記ガイド」からの逸脱を指示しているのは問題と新たな問題が提示されましたが、「原則として」をつけて表記混在を認めればそれにつられて記事名までが混在してしまいます。むしろそれはWikipedia:記事名の付け方に問題があると見るべきですし、ご懸念の事例からも「原則として」という表現には規定を緩めすぎる欠点があることがご理解いただけるかと思います。やはり「原則として」にかわる表現を探すことがこの議論の課題だと思います。--みや1229 2009年7月10日 (金) 16:52 (UTC)
新たな問題が提示、といわれましても、直接的には 2009年7月8日11:33UTC に述べていますし、そもそも改訂提案時の冒頭文での複数表記への言及が当然含意していることですから、新たな問題提起ではありません。記事名は記事に一つですので、記事内で複数表記を認めたところで、記事名は一つしかありえず、したがって「記事名までが混在」などということは理論的にありえません。蓋然性以前、可能性すらない、問題になり得ない事柄を問題だとして取り上げる意図は何でしょう。むしろそれはWikipedia:記事名の付け方に問題があると見るべき、という点については理解しかねますので具体的に説明をお願いします。ご懸念の事例からも「原則として」という表現には規定を緩めすぎる欠点があることがご理解いただけません、全く。わたくしが何を懸念していると仰っているのでしょうか。で、みや1229さんの「原則として」を除くべきというのはダブルスタンダードであるという点には同意していただいたと考えてよろしいでしょうか、というのに御回答いただいておりませんが、同意とみなしてよろしいでしょうか。--Jms 2009年7月10日 (金) 17:32 (UTC)
(追記) 「原則として」という表現が規定を緩めすぎる、という事を確認できる事実がある程度発生すれば、具体的に考えられるので「原則として」にかわる表現を探すこともできるでしょうが、現状では「問題」とやらが発生する可能性ばかりがいわれて蓋然性すら示されておらず、その段階で「原則として」にかわる表現を探すことに意味があるとは思えません。他の表現を探すにしても「原則として」で実際に問題が発生してからのことでしょう。--Jms 2009年7月10日 (金) 21:16 (UTC)

議論(3)

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恐らくこういう議論になるであろうことは予見できていたので、私はこの提案で

  •  広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。

という一点に話を絞って皆様の判断を仰いでいます。 「原則として」の功罪など、内容の議論は原状回復した後でいくらでもできることですから、まずはこの提案の当否を正面から論じて下さい。 特に反対の方は、この提案のどこにどういう理由で反対なのかを明記して反対して下さい。 よろしくお願いします。 --Midz 2009年7月11日 (土) 02:54 (UTC)

正面から論ぜよとのことですので、新たに反論をつのる前に、まずは既に出されている以下の点についてお答えいただけるものと期待します。
  1. 日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスがない以上、プロセスを理由とした復帰はありえない。(Ginz 2009年7月8日04:49UTC)
  2. 表記ガイドの冒頭に張られたTemplateにある最低限の基準を満たしており、プロセスの瑕疵を根拠とした原状復帰はすべきでない。(125.1.110.165 2009年7月9日14:51UTC)
  3. 現状追認の改訂であり、求められているほどの手順を踏む必要はない。(Jms 2009年7月8日 11:33UTC)
なお、三点目への回答は一点目、二点目が解決してからで結構ですが、三点目については現状追認の改訂かどうかということが論点に含まれますので、結局は内容についての議論が必要になります。--Jms 2009年7月11日 (土) 03:15 (UTC)
「コンセンサスがない」も「最低限の基準を満たしている」もいずれも私の提案を禁止するものでないことは明らかでしょう。 そしてその提案理由としてプロセスを挙げるのは私が前に述べた「ガイドラインの理念」(Midz2009071004:19)に鑑み、充分に説得力のある理由だとと思います。 もしも理念が間違っているというのであれば論点をお示し下さい。 そして理念はもっともだけど、というのならばその先の当否の判断は読者に任せます。
また「原状追認」云々は貴方の主観であって客観性はなく、もし仮にそうであったとしても、ガイドラインという重い公共の規定の改訂に「広く多くの意見を集める」という基本的手続きを省く理由にはなりません。 --Midz 2009年7月11日 (土) 04:13 (UTC)
(Midz09071102:54氏へのコメント)細部の議論に対応しノートがだらだらとしたものになり申し訳ありません。ご提案の件に関しては原状復帰に賛成であることには変わりはありません。--みや1229 2009年7月11日 (土) 04:18 (UTC)
◆なぜ明らかだといえるのか、またそれが答えになっているのかどうか、その段階からしてわたくしにはわからないので、取りこぼしのない様一つずつ御説明いただく必要がありそうです。その過程で議論が迷子にならない様、議論の方向性をまず確認させてください。議論の正面と仰っているのはプロセスの是非を論ずることだと思いますが、そこからそれてしまった「こういう議論になるであろうことは予見できていた」の、「こういう」というのは、どの議論のどの様な様相を具体的に指すのか、お教えいただけますか。議論の方向性の参考 (ガードレールの外側の指標のようなもの) としたいと思います。なお、「原状追認」がわたくしの主観に過ぎないかどうか、仰る理念がコンセンサスの得られたものであるか、またそれを根拠として手続き論を遡及適用することが妥当であるかどうかも含めて、すべて保留とさせてください。ひとつずつ確実に片付けましょう。--Jms 2009年7月11日 (土) 15:02 (UTC)
そういう議論にお付き合いするとまさに議論が迷子になります。 私のお答えの正否は記録をすなおに読めば解ることですから、そこから先は読者の判断に任せます。 すぐに本題に入って下さい。 正面からのまともな反論がなければ、人は貴方に反論の種がないのだろうと判断するだけでしょう。--Midz 2009年7月11日 (土) 21:16 (UTC)
そうですか、お答えいただけませんか、それは困りました。手続き上の瑕疵を根拠とすることについては既に論破されており、それに対する Midz さんからの有効な反論もなされていないので、わたくしは本論というのは改訂の内容の是非だと思っています。そう考えないための「こういう」についての問いなのだったのですが、お答えいただけないならしかたありません。さて、わたくしは本論は手続き上の瑕疵ではなく改訂内容だと思いますが、本論についての意見の相違についてはどうしましょう。どちらが本論かという観点はひとまずおいて、手続き上の瑕疵について再度どうしても論じたいというのならおつきあいできなくもありませんが、手続き上の瑕疵が本論であるとおっしゃるなら、その論は既に論破されておりこれ以上議論継続の意義はないと思います。「読者の判断に任せ」るというのは具体的に何をお考えでしょうか、コメントした時点で読者でなくなるという意味でしょうか、読者は判断をどの様に述べるのでしょう。--Jms 2009年7月11日 (土) 21:54 (UTC)
一番ごまかしてるのはあなただと思うけど。「広く意見を集めることなく改訂を行った」から怒ってるんじゃないでしょ?「自分が気がつかないうちに決められたから怒ってる」んでしょ?いい加減に自分を「物言わぬ読者の代表」みたいな立場に置くのはやめてもらえんかな。--211.9.45.73 2009年7月11日 (土) 04:57 (UTC)

Jmsさま。 貴方が「論破」したおつもりだったと読んで、心当たりのない私はちょっととまどいましたが、どこでと詮索しても仕方ないことですから横におきます。 しかし、その「論破」の内容には興味があります。 それに今までの経過を見ていると、いずれ「コメント依頼」で第三者の意見を求める必要が生じそうですので、その方への礼儀のためにも両者の論点が一箇所で読める場所をつくることは有意義だと考えます。 そこでこの場にその役割をもたせるとよいと思いますので、今までの「論破」を含めて、以下に私の提案に対する貴方の正面からの反論をお書き下さい。 念のため、わたしの提案を要約したものを再録しておきますので、これのどこにどういう理由で反対なのかを明記して頂くと幸いです。

  • 広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。

以上です。 よろしく。 --Midz 2009年7月12日 (日) 05:19 (UTC)

一方が論破したつもりになっているか、または、他方が論破されたのに気づいていないとしたら、なかなか話がかみ合わないのも当然ですね。やはり、一つずつ確認しながら誤解のない様に進めてゆくのが確実だと思います。そのためには、あらたな問い、今までの「論破」を含めて、…提案に対する貴方の正面からの反論を、をたてる前に、既に問われている問い、「読者の判断に任せ」るというのは具体的に何をお考えでしょうか、コメントした時点で読者でなくなるという意味でしょうか、読者は判断をどの様に述べるのでしょう。、にお答えください。答えたくなければ「答えたくない」という答えでも結構です。そうした確認をひとつひとつしてゆかないと、単純な見落としなのか、あえて無視したのか、答えたつもりになっているのか、答えているのに答えられた側が理解できないのか、といった混乱がなかなかなくなりません。読者に関するわたくしの問いに答えていただければ、もちろんお求めの答えを、誤解なきよう一段階ずつお答えするつもりでおります。どうぞよろしくお願いします。--Jms 2009年7月12日 (日) 07:51 (UTC)
そういう議論の立て方が議論を迷子に誘い込むのです。 いつまでもそのようなことを続けて本題に入らなければ、その状態をそのまま第三者に見て頂くだけです。 まずは一つでも主面からの反論を書き込んで議論を前進させて下さい。 確認の必要があればその反論応答が一段落した時に互いの認識を確認して、次に進めばよいことですから。 --Midz 2009年7月12日 (日) 11:27 (UTC)
「答えない」と答える、というオプションを用意してもなぜお答えいただけないのか、甚だ理解に苦しみますが、一度に一問に制限すれば、お答えいただけなければ「答えない」と答えたと看做せばよいので、少なくとも確認はとれます。「確認の必要があればその反論応答が一段落した時に互いの認識を確認して、次に進めばよい」とのことですが、これまでのやりとりを見るに、すでにその確認が必要な段階に来ていると考えています。さて、読者については「答えない」とお答えいただいたと看做して次に進みましょう。わたくしが論破だと考えているのは、既に挙げた
  1. 日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスがない以上、プロセスを理由とした復帰はありえない。(Ginz 2009年7月8日04:49UTC)
  2. 表記ガイドの冒頭に張られたTemplateにある最低限の基準を満たしており、プロセスの瑕疵を根拠とした原状復帰はすべきでない。(125.1.110.165 2009年7月9日14:51UTC)
  3. 現状追認の改訂であり、求められているほどの手順を踏む必要はない。(Jms 2009年7月8日 11:33UTC)
の、三点です。三点目は内容に踏み込む部分があるので、Midz さんの仰る本論からは少し逸れるかもしれません。これに対する Midz さんの回答が 2009年7月11日04:13(UTC) 付けのものですが、それがどう回答になっているのかがわからないので、この回答自体について一つひとつ確認させてください。
まず、「コンセンサスがない」も「最低限の基準を満たしている」もいずれも私の提案を禁止するものでないことは明らかでしょうの、「コンセンサスがない」、というのは、上に挙げた Ginz さんの 2009年7月8日04:49UTC 付けの意見のうち、前半のみ (コンセンサスがない、まで) を指すのでしょうか、それとも「プロセスを理由とした復帰はありえない」を含む全体を指すのでしょうか。この回答次第で Midz さんの回答の解釈が変わってしまうので、この問いについて「答えない」を選択されると先に進めません。是非答えていただきますようお願いします。--Jms 2009年7月12日 (日) 14:21 (UTC)
Jms氏へ。ここではMidz氏の提案に対する答えを探ることだけが目的ですから、提案に対する賛否の意思表示とその理由を述べるに留めてください。--みや1229 2009年7月12日 (日) 14:49 (UTC)
Midz さんの提案を論破しているとわたくしが考えている論点についての Midz さんの回答が、各論点について有効な反論となっているかどうか検討するための前段階としての内容の確認を行っています。回答を誤解しているかもしれない状態で判断しても無意味ですから。それをすべきでないとしてしまうと、言いっぱなしの集合になって議論にならないでしょう。--Jms 2009年7月12日 (日) 15:01 (UTC)
言いっぱなしで結局「俺様の意見を受け入れやがれ」という意図しか見えないので話にならん…。違うなら、Jms氏の質問に(「答えない」「答えたくない」という回答も含め)回答しないとダメだね。--Goki 2009年7月13日 (月) 02:43 (UTC)
現時点では意見の表明はしないけど、冒頭に『あなたの記事執筆の妨げになる時には、無理に従う必要はありません』と書いてあるのだから、個々のケースに『原則として』というような注釈をつける必要は無いと思う。--Route78 2009年7月12日 (日) 15:37 (UTC)
反対 提案者殿がその提案理由に挙げられた「ガイドラインの理念」とやらですが、その冒頭に提案者として、まず私のもつガイドラインの理念を述べ、改めて提案の理由を述べますと明記されていることから、提案者御自身の独自解釈であると判断します。要するにこの提案は「おれのポリシーに反するから元に戻せ」と言っているにすぎません。そのような暴論に同意できるはずがありません。--125.1.110.165 2009年7月12日 (日) 16:48 (UTC)
反対  ガイドライン文書を変更する上での手続き上のルールは、現在、{{Guideline}}にある「大きな変更を加える場合は、先にノートページで提案してください。」と「ページの編集は大胆に」があるだけだ(Wikipedia:合意形成はまだ草案だ)。「ガイドラインの理念」なるものは、残念ながらガイドライン文書には存在しない。--Ginz 2009年7月13日 (月) 09:51 (UTC)

幕間狂言

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 流れを豚切った空気読まない発言で恐縮ですが、『原則としてページ内の表記は統一しますが、ウィキペディア全体での統一にこだわりすぎないでください』この文章自体変なんだよな。『、』の前後でなんとなく文が繋がってないし。
 『原則として』みたいに予防線を張るくらいなら『解説の対象を明確にするためにはページ内の表記は一貫しているほうが望ましいですが』などと理由を明記して意図を明確にした方が良いし、
 『しないでください』みたいな理由を伏せた要請よりは『特に必要が無ければそれらの表記をウィキペディア全体で統一することは要求されていません』(異なる表記は[[表記1|表記2]]のようにリンクを張ることでも対応できます)と事実をそのまま書けば良いと思う。個人的には要請の類よりは単に理由と事実を述べてもらった方が受け入れやすい。まあここまでは無視してもらっても構わないです。
 それで、過去の終わった話に言及すると話がこじれるので、要はこれからどうするのが良いかだけを話し合えば良いのではないでしょうか。私は今の文章は変だと思います。どちらかというと災い転じてなんとやらというふうに現在の文章を、みんなで知恵を出し合ってより良い表現に変えることに挑戦したら良いのではないかと思います。あとガイドライン改訂のような重要議題は参加者全員に告知されるべきだと思うので、そういう機能をメディアウィキに実装できないものだろうか。そうすれば無益な争いも減ると思うのですが。--Route78 2009年7月11日 (土) 22:17 (UTC)
  • 「空気読まない発言で恐縮」なさる位なら、節をわけていただけませんか。「手続き上の瑕疵があるから差し戻せ」という議論と「ここをこうすると良い」という提案は明らかに違う内容でしょう。
  • 改訂提案者として当該文の意図を平たく説明すると、「多少の例外はあるかもしれないけど項目内ではできるだけ表記を統一してね、だからといってどの項目でも同じ表記にするというのは行き過ぎの場合もあるからよく考えてね」ということです。この内容を表現できるなら、かならずしも二つの文を「、」で接続しなくとも良いと思います。
  • 「特に必要が無ければそれらの表記をウィキペディア全体で統一することは要求されていません」という表現は論理的に二重否定でありわかりにくいと思います。また、「特に必要が」ある、ない、という判断基準の問題を惹起するので、現状の表現の方が適切だと思います。
  • 一律適用ではなく例外があるということが表現できれば「原則として」でなくとも良いと思います。しかし、「ページ内の表記は一貫しているほうが望ましいですが」とすると、「望ましいだけであって…」となり、「原則として」よりも制限が弱いと解釈されかねないので、「原則として」の方が良いと思います。この手の文章は親切さと読む気になるコンパクトさのバランスも重要ですので、「解説の対象を明確にするためには」というのはない方が良いと思います。
  • 「ガイドライン改訂のような重要議題は参加者全員に告知されるべき」というのは程度問題ですし、またそれ故に考慮すべきガイドラインのテンプレートでノートでの提案が明示されていると思います。たとえばガイドラインの全面改訂といった場合には「お知らせ」で告知するのが望ましいでしょうが、明らかな誤字脱字の修正、意味内容に影響を与えないてにをはの変更、白い白馬の様なおかしな文の修正などはせいぜいノートでの提案で改訂の合意をとれば十分だと思います。なにをもって「重要」議題とするか、という線引きについて、現状では、ノートで提案された内容について検討を加える過程で「重要」にあたると判断した人が、その時点で「お知らせ」に告知する、というやりかたで処理されていると思います。いかにも難しそうな「重要」の一般的定義を議論する位なら、そうした都度検討で対応する方が現実的だと思います。--Jms 2009年7月11日 (土) 22:58 (UTC)

含意

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Midz さんの「主面からの反論」というのとは違うかもしれないので、別の節にしました。わたくしはこれがむしろ本質かもしれないと思っていますが…。

論破されているかどうかの認識が共有されていないというのは衝撃でしたが、「もしも理念が間違っているというのであれば論点をお示し下さい。そして理念はもっともだけど、というのならばその先の当否の判断は読者に任せます。」(Midz 2009年7月11日04:13UTC) というのがヒントになり、なぜその様な事態が生じたかという説明にたどり着きました。事実かどうかはさておき、可能な説明の一つとして示したいと思います。

Midz さんの提案

  • 広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。

の前提を命題論理の標準的な形式で書くと、

  • Midz さんの考えるガイドラインの理念についてウィキペディアでの合意があるならば、(「お知らせ」などにより?) 広く多くの意見を集めなかった今回の改訂プロセスは不当である (不当という語は Midz 2009年7月10日04:37UTC より) 

という含意の形式 (p ならば q) になるでしょう。「もしも理念が間違っているというのであれば論点をお示し下さい。そして理念はもっともだけど、というのならばその先の当否の判断は読者に任せます」というのは、p ならば q のうち、p についての真偽だけを問うており、「ならば q」の判断は読者に任せる (というのがどの様にして合意に結びつくのか未だにわかりませんが、それはおくとして) ということは、「ならば q」については問うまでもない、ということなのでしょう。理念、すなわち p の部分について独自解釈である自覚があるはずという指摘 (125.1.110.165 2009年7月12日16:48 UTC) はなされていますが、論破されてはいないと思います、なぜなら、理念の部分は相手にされていないからです。なぜ相手にされていないかというと、以下に示す理由により検討の必要がないからです。

含意命題「p ならば q」というのは、「q であるか、または、p でない」と等価です。すなわち、Midz さんの提案が成立するためには、「広く多くの意見を集めなかった今回の改訂プロセスは不当である」が真であるか、または、Midz さんの考えるガイドラインの理念についてウィキペディアでの合意がない、の、いずれかが必要です。「プロセスが不当である」については、一般論としては「日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスがない以上、プロセスを理由とした復帰はありえない。」(Ginz 2009年7月8日04:49UTC) により、考慮すべきガイドライン固有の条件については「表記ガイドの冒頭に張られたTemplateにある最低限の基準を満たしており、プロセスの瑕疵を根拠とした原状復帰はすべきでない。」(125.1.110.165 2009年7月9日14:51UTC) により、否定されています。したがって、Midz さんの提案が成立するためには、「Midz さんの考えるガイドラインの理念についてウィキペディアでの合意がない」ことが示される必要があります。しかし、それが示されたとしても、それは偽命題からは任意の命題が帰結するというだけのことであり、仮に理念についての合意がないということが示されると (独自解釈という指摘はおくとして)、命題論理としてはよくとも通常の論理として Midz さんの提案が根拠を失うので、理念についての合意があるかどうかを問う必要はありません。

つまり、提案全体としては論破されているのですが、理念については必要がないので論破されていない (いなかった)、そのため論破されているかどうかの認識が異なった、ということではないかと思います。

前述の様に「原状回復」(という呼称もどうかと思いますが) を求める提案は論理的に否定されていますので、その提案は取り下げていただき、必要なら、Midz さんの考えるガイドラインの理念についてウィキペディアでの合意を広く求めていただくのがよろしいかと思います。なお、仮にガイドラインの理念について合意が得られても、手続きについて合意がなければやはり手続き上の不備とは言えませんし、また仮に手続きについて合意が得られたとしても、遡及適用されるとは思えませんから、今回の改訂が手続き論を理由に取り消されるということはないと考えています。なお、#幕間狂言で述べた現在の告知方式は十分機能しており、考慮すべきガイドラインの改訂手続きについてあらためて合意をとる必要性は低いと思います。

ところで、この原状回復提案は、広く多くの意見を集めるべく「公示作業」がなされているのでしょうか。もし「原則として」を挿入したのがそうした公示を必要とする事例だったとしたら、「原則として」を除くのにもそうした公示が必要でしょうし、逆にこの原状回復提案ではそうした公示をせずに、「原則として」の挿入だけを不当だとするのはダブルスタンダードなのではないかと思います。--Jms 2009年7月13日 (月) 09:51 (UTC)

Jms 氏の煩瑣な論理は普通の人が読んで理解出来る代物ではなく、よってただ「提案全体として論破されている」という神話だけが一人歩きする恐れがありますので、それの防止のために私の見解を述べておきます。
まず私の提案を、「ガイドラインの理念」で書いたものなどを整理して書いておきます。
  1.  Wikipedia は「常識」と「善意」の基礎の上に立つ構築物です。
  2.  ガイドラインは編集に役立つ「常識」を文書化したものです。
  3.  「常識」は細かいところでは人によって異なりますので、多くの人の「常識」意見を集めてすりあわせて、万人に信頼されるガイダンスがつくられます。
  4.  ガイダンスの改訂を行う時にも、やはり沢山の意見を集め、すりあわせて初めて信頼性が維持されます。
  5.  今回の、意見を集めることなく行った改訂は信頼性に著しく欠けていますので、ひとまず「原状回復」することを提案します。
以上です。 そしてここで注意すべきは、提案内容が「挿入された語句の削除」ではなく、「原状回復」であることで、その意義は後で述べます。
こうして提案を起源も含めて箇条書きしてみるとすぐに解ることは、これが外のルールなどに依存しない、これだけで閉じた存在であることです。 各条はそれそれ独立で、みなそれぞれに常識で裏打ちされ、それ自身で理性の判断対象になっています。  たとえば第3条の「多くの意見を集めてすりあわして万人に信頼されるガイダンスがつくられる」は、常識があって「意見収集と信頼性」とでもいうテーマが与えられば誰でも書くことが出来る文章です。 私は理性と常識を持つ人ならば誰でも上の条項を順々に正否を判断しながらたどっていって、「提案」にたどり着けるものと思っています。 それは違うというのであれば、どの条項のどの部分がどういう理由で違う、ということ提示して下さい、というのが私の「正面からのまともな反論を」という要請です。
提案文要約で「ガイドラインの理念」と言ったものの内容は上の第3条で述べたもので、それはすでに以前の文章で詳しく述べられています。 そしてそれは提案文を読む人が自分でその正否を判断して最終判断に使うものです。 それを無理に独立させて合意の有無という形で形式論理の種に用い、提案自身を玄関払いするのに用いたのは、それ以外に「正面からの反論」を出すことから逃れる口実がなくなっての苦肉の策だと私には見えます。 またこの論理を生み出す前から「論破」したと考えておられたようですので、その論理にも興味があります。
ここで「原状回復」の話に戻ります。 ここで「原状回復」という提案にしたのは、それがプロセス不当を理由とした提案にふさわしいということと共に、そうしておけばそれが実現した暁にはまた何でも提案出来るようになるとい自由度を重んじたからです。 もしも貴方が純粋なお気持ちで「原則として」という語句を挿入することがWikipedia にとってとてもよいことで、大多数の賛同を得られると判断しても、「挿入語句の削除」という提案で成立すればその語句挿入提案は当面は排除されますが、「原状回復」という提案であるためそういう改訂提案も出すことが出来ます。 なお私はガイドラインはWikipedia 全体の執筆者・編集者が利用するものですから安定性が重要で、具体的なはっきりした改訂の必要性が示されないかぎり改訂すべきでなく、改訂と存続の意見が拮抗するときはもとのまま存続するのがよい、との意見を持っています。
このような論争が今も続くことから見て、やはりしがらみのない第三者から、Wikipedia 全体の視点からのご意見を要請するのがよいようです。 でもまだ収拾の望みがまったくなくなった訳ではないので、もう何日か様子をみてから「コメント依頼」を出したいと思います。 その際にはこれまでの論議内容の要約を書く必要があります。 私の論点は「原状回復提案」の文で尽きていますので、貴方の論点も纏めておいて下さい。 --Midz 2009年7月14日 (火) 05:58 (UTC)
#含意節の主たる意図は論破されているかどうかの認識の違いがなぜ生じたかの説明を示すことであって、この説明にたどり着く以前から論破されていたと考えていますし、その根拠も既に延べました。それについて理解いただけていないか、無視なさっているのか、あるいは他の可能性なのか、それはまだわかりませんが、その点については#議論(3)で確認しようとしているところです。この節の冒頭でも断りました通り、この節の説明は Midz さんの「主面からの反論」というのとは違うかもしれませんので、まずは、#議論(3)での問いに答えていただければ幸いです。--Jms 2009年7月14日 (火) 09:09 (UTC)
なお、#議論(3)でのやりとりを優先するという意味から現時点では#含意節での御主張に対する反論を留保しているのであって、反論がない、ということではありません、念のため。--Jms 2009年7月14日 (火) 15:01 (UTC)
◆コメント依頼を検討されているとのことですのでコメント等は保留しておきますが、一点だけ確認したいことがあります。「こうして提案を起源も含めて箇条書きしてみるとすぐに解ることは、これが外のルールなどに依存しない、これだけで閉じた存在であることです」の一文にある「外のルール」と「ここだけで閉じた存在」は何を意図した言葉でしょうか。前後の流れから自分なりに解釈をしていますが、このあたりの解釈が食い違うと議論になりませんので念のために確認させてください。--125.1.110.165 2009年7月14日 (火) 15:42 (UTC)
◆コメント依頼はすでになされていますが、あらためてなさるおつもりなら、議論の範囲、つまり、Midz さんのおっしゃる「本論」「正面」といったものを明確にしていただく必要があり、そのためには「こういう議論」とはどの様な議論か、という、お答えいただけていない (あえて過去形にはしません) 問いに答えていただかねばなりませんし、手続き論でない部分、たとえば現状追認であるかどうか、Midz さんの用語では「原状追認」云々は貴方の主観であって客観性はなくといった事柄は内容に踏み込む部分であって手続き論ではありませんので、論点に含めない様にしていただかねばなりません。コメント依頼の際に「お答えいただけていない質問のリスト」などということはしたくありませんので、一つ一つお答えいただいた上でコメント依頼していただければ幸いです。--Jms 2009年7月14日 (火) 19:51 (UTC)
 私は昨日までコメント依頼が出ていることを知らず、昨日初めて依頼文を読んで、これではコメントを頂けないのは無理もないと思いました。 今度のコメント依頼では細かい内容にはもちろん立ち入らず、広く興味を持ってコメントを頂けるような文章を心掛けます。--Midz 2009年7月14日 (火) 21:09 (UTC)
そうお考えならば、Midz さんの求めている「Midz さんの考えるガイドラインの理念に関するウィキペディアでの合意」にWikipedia‐ノート:表記ガイドは適切な場ではありませんし、また御提案の「原状回復」と関連させることも適切ではありませんので、提案場所ならびに提案内容について適切なもとのして仕切り直していただくのがよろしいかと思います。これまでの御主張を拝見するに、お求めなのは「Midz さんの考えるガイドラインの理念に関するウィキペディアでの合意とすること」であって原状回復は理由付け (にすらなっていませんが) でしかないと判断せざるを得ませんし、それならば、対象となるのは少なくとも考慮すべきガイドラインすべてですから、Wikipedia‐ノート:表記ガイドは議論に適当な場所ではないでしょう (これについては次段落で説明します)。「原則として」を挿入した改訂がプロセスとして不当だと主張なさるならば、「Midz さんの考えるガイドラインの理念に関するウィキペディアでの合意とする」プロセスについては少なくとも「Midz さんの考えるガイドラインの理念」において妥当な方法によるべきでしょう。#議論(3)の宿題もお忘れなく。--Jms 2009年7月14日 (火) 21:50 (UTC)
宿題を増やすのは「一つずつ着実に」という観点からは不本意なのですが、重要なポイントとなり得るのでおたずねします。およそ一週間ほど前に提出されていたこの件についてのコメント依頼に、昨日までお気づきではなかったとのことですが、コメント依頼をしてもその様な事が起こるという現実を前に、「広く多くの意見を集める」手法としては具体的にどの様なものを想定なさっているのでしょうか。「広く多くの意見を集め」ていない、という主張をなさっているのですから、「広く多くの意見を集め」たかどうかを判断できる基準をともなった有効な手法をお考えのことだと思います。是非その手法についてお聞かせください。--Jms 2009年7月14日 (火) 23:53 (UTC)

自然言語での論理で明白なことを御理解いただけない様ですので命題論理による説明をしましたが、それが「煩瑣な論理は普通の人が読んで理解出来る代物ではな」いとのことですので、自然言語による別の説明をしておきましょう。

Midz さんの提案

  • 広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。

は、

  • 「原則として」を挿入した改訂プロセスは不当なので、まずは原状回復すべき。

という主張です。なぜ「原則として」を挿入した改訂プロセスは不当と考えるかというと、

  • Midz さんの考えるガイドラインの理念に反しているから、「原則として」を挿入した改訂プロセスは不当である。

であり、どういう点で Midz さんの考えるガイドラインの理念に反しているかと考えているかというと、

  • Midz さんの考えるガイドラインの理念ではガイドラインのすべての改訂は広く多くの意見を集めることが必要である。

ということです (広く多くの意見を集める、の具体的プロトコルの指定がないという問題があるのですが、それは置きます)。このうち、「原則として」を挿入した改訂プロセスは不当という部分については、「プロセスが不当である」については、一般論としては「日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスがない以上、プロセスを理由とした復帰はありえない。」(Ginz 2009年7月8日04:49UTC) により、考慮すべきガイドライン固有の条件については「表記ガイドの冒頭に張られたTemplateにある最低限の基準を満たしており、プロセスの瑕疵を根拠とした原状復帰はすべきでない。」(125.1.110.165 2009年7月9日14:51UTC) により、否定されています。従って、

  • 「原則として」を挿入した改訂プロセスは不当なので、まずは原状回復すべき。

には根拠がありません。Midz さんが問えるのは

  • Midz さんの考えるガイドラインの理念ではガイドラインのすべての改訂は広く多くの意見を集めることが必要である。

ということと、その前提となる「Midz さんの考えるガイドラインの理念」の是非そのものです。前者はガイドライン一般の改訂プロセスに関する議論であり、その前提である「Midz さんの考えるガイドラインの理念」の是非そのものはガイドラインに関する議論ですから、議論を提起すべき場所はWikipedia‐ノート:表記ガイドではありませんし、またその議論は「原則として」を挿入した改訂 (プロセスではなく、内容としての改訂) の是非とも直接の関係ありません。仮に、広く多くの意見を集める、の具体的プロトコル指定も含めて

  • Midz さんの考えるガイドラインの理念ではガイドラインのすべての改訂は広く多くの意見を集めることが必要である。

ということがウィキペディアで合意されたとしても、事後的な手順の合意が過去の改訂プロセスそのもの遡及適用されることはまずないでしょう (誰がそれを網羅的に調べ上げ、だれがそれを検証するのでしょうか、また、その事後的合意のプロセス自体の正当性はどうなるのか、ということを考えれば遡及適用はまずあり得ないでしょう) から、「原則として」を挿入した改訂プロセスの是非には影響しません。「原則として」を挿入した改訂に問題があるとすればそれは改訂内容に関する議論によるべきであり、それは現在でも可能であるばかりか実際にその議論が行われてもいますから、改訂プロセスを根拠とすることは全くの失当であり、その議論を続けることを強いるのは議論のための議論ないし議論のための議論を誘発する行為でしかないと思います。邪推となりかねないのであまり考えたくはありませんが、改訂内容に関する議論が実際に行われてしまうと改訂プロセスを論拠とすることが無意味になりますし、また改訂内容を元に戻すという主張は自己矛盾を含んでいることが示されてしまう (#議論(2)参照) ので、「恐らくこういう議論になるであろうことは予見できていた」と仰ったのではないかと想像してしまいます。適切な議論の場で、適切な議論を提起されます様。--Jms 2009年7月14日 (火) 21:50 (UTC)


コメントの場

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新たにコメント依頼をしましたので、それを書き込む場としてこの節を用意しました。 コメントを下さる方への便宜のためまず私の主張を書き込んでおきますので、反対者の主張も纏めてお書き下さい。--以上の署名のないコメントは、Midz会話投稿記録)さんが 2009年7月15日 (水) 04:13 (UTC) に投稿したものです(--Makotoy 2009年7月15日 (水) 09:00 (UTC)による付記)。

「コメント」欄の見易さ維持のため新たに「コメントと直結する議論」欄を設け、長文の議論をそちらへ移しました。 これからもコメントと直結する議論、ならびにコメントが長文になる場合は「コメント」欄には要旨だけ書き込み、本文は「コメントと直結する議論」欄へ書いて下さい。--Midz 2009年7月18日 (土) 00:44 (UTC)

提案者の主張

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前に示した提案理由の整理したものを再録します。

  1.  Wikipedia は「常識」と「善意」の基礎の上に立つ構築物です。
  2.  ガイドラインは編集に役立つ「常識」を文書化したものです。
  3.  「常識」は細かいところでは人によって異なりますので、多くの人の「常識」意見を集めてすりあわせて、万人に信頼されるガイダンスがつくられます。
  4.  ガイダンスの改訂を行う時にも、やはり沢山の意見を集め、すりあわせて初めて信頼性が維持されます。
  5.  今回の、意見を集めることなく行った改訂は信頼性に著しく欠けていますので、ひとまず「原状回復」することを提案します。

それからこれが内容を定める提案ではなく、原状回復ですので、そこから新たな改訂提案を出すことは自由だということに注意しておきます。--以上の署名のないコメントは、Midz会話投稿記録)さんが 2009年7月15日 (水) 04:13 (UTC) に投稿したものです(--Makotoy 2009年7月15日 (水) 09:00 (UTC)による付記)。

(念のための補足)反対者は提案内容に立ち入らずに門前払いする目的でいくつかの論点を提起しましたが、それらが当提案に関係ない所以を「提案に直結する議論」欄の「Makotoyさんへのお答え」に詳しく述べておきましたのでご覧になって下さい。 --Midz 2009年7月24日 (金) 01:15 (UTC)

反対者の主張

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◆提案者の以下の主張、

  • 広く多くの意見を集めることなく改訂を行ったプロセスはガイドラインの理念に反するので、まずは原状回復することを提案する。

は、以下の様に三段論法風に(も)表せます。

  1. 提案者の考えるガイドラインの理念に、「原則として」を挿入したプロセスは反している。
  2. 提案者の考えるガイドラインの理念は、理性と常識を持つ人ならば誰でも合意するものである。
  3. 従って、「原則として」を挿入したプロセスは不当であり、原状回復すべきである。

このうち、3. については、

  • 日本語版に合意形成のプロセスについてのコンセンサスがない以上、プロセスを理由とした復帰はありえない。(Ginz 2009年7月8日04:49UTC)
  • 表記ガイドの冒頭に張られたTemplateにある最低限の基準を満たしており、プロセスの瑕疵を根拠とした原状復帰はすべきでない。(125.1.110.165 2009年7月9日14:51UTC)

によって明確に否定されており、それに対する提案者による有効な反論もない (あるいは、有効な反論かどうかの確認をするための質問に提案者が答えていない) 以上、提案は全体として取り下げられるべきです。

◆「原則として」の挿入自体は、ウィキペディアで用いられている表現を追認し、それによりWikipedia:表記ガイドで指定されている表記方法との整合をもはかるものであって、その意味ですでにコミュニティに広く受け入れられている内容をガイドラインに取り込んだものであり、提案者の主張する「意見を集めることなく行った改訂は信頼性に著しく欠けていますので」には該当しませんが、提案者は上記追認の背後にある事実を改訂者の「主観であって客観性はな」いとして退けています。提案者の主張する「原状回復ですので、そこから新たな改訂提案を出すことは自由だということに注意しておきます」についても、改訂後さらに改訂する提案を出すことは可能ですし、実際にその議論もなされていますから、改訂により取り除かれた問題点を再度導入してまで「原状回復」する必要性もありません。提案者は手続き上の瑕疵を理由とした原状回復のみを主張してこうした検討を事実上拒否しており、また提案者の反論?について内容確認の問いにも答えていないなど、提案者の目的がどこにあるのか、理解しがたく困惑しております。

以下補足。
提案者の主張のうち残るのは 1. と、その理由たる 2. ですが、2. については独自解釈であるという指摘がなされており (125.1.110.165 2009年7月12日16:48UTC) 提案者からの反論はありません。それについて検討しウィキペディアの合意としようとするのであれば、その内容はウィキペディアのガイドライン全てに関連することであって「原則として」の挿入とは直接関係しませんから、提案者の主張の検討はこのノート以外の、より適切な場でなされるべきでしょう。また仮にその主張がウィキペディアの合意として採用され、対応するガイドライン改訂プロトコルが規程されたとしても、そのプロトコルを「原則として」の挿入にも遡及適用する根拠はありませんから、その意味でも提案者の主張は提案者の提案とは無関係だと考えるべきす。
--Jms 2009年7月15日 (水) 12:16 (UTC)

コメント

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  • Midzさんが、いままでに出ている批判(Jms 2009年7月12日 (日) 14:21 (UTC)にまとめられている3点および、125.1.110.165 2009年7月12日 (日) 16:48 (UTC))に対し再反論を提示するべき段階にあると存じます。また、「提案者の主張」であげられている項目のそれぞれについて根拠となる文書や具体的なウィキペディアにおける慣行の例を示していただきたいです。--Makotoy 2009年7月15日 (水) 09:00 (UTC)
(「コメント」欄の見易さ維持のため、「Makotoyさんへのお答え」を新設の「コメントに直結する議論」欄に移しました。 --Midz 2009年7月18日 (土) 00:44 (UTC) )
  • まあなんだね。改定に反対する意見が説得力を持たなかったことがもっとはっきりするまで待ってから改定するという選択肢もあったんじゃないかとは思うものの、それは政治的な判断にすぎず、手続き的には問題なかったと考えます。で、改定にあくまでも反対なんだったら説得力のある再改定提案を出してコミュニティを説得すれば足りるわけで、手続き的瑕疵を主張してちゃぶ台返しのような復帰要求をするのは、それこそ手続き論としておかしい。--Nekosuki600 2009年7月15日 (水) 10:14 (UTC)
  • 1.も2.もMinz氏が考える「常識」であって、Wikipedia内で合意されたものではないし、その「常識」の具体的なすり合わせもろくに行わないまま「常識」「常識」で話し続けるのであれば、もう議論を打ち切ってもいいと思う。時間の無駄。--Goki 2009年7月16日 (木) 00:36 (UTC)
  • 提案はたった一つなのになぜ議論セクションが3つもありさらに#含意などという意味不明なものまでできてしまうのでしょうか?提案に不明点があれば議論してもかまいませんが限度があると思います。それと一部の方ですが1000文字を超える長文の書き込みはそれだけで読む価値がないとみなされるばかりか、無駄な文字が増えて議論の邪魔でしかありません。他人に読んでもらうということをよく意識して文章を練ってください。--みや1229 2009年7月16日 (木) 11:36 (UTC)

コメントと直結する議論

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  • (Makotoyさんへのお答え)Makotoy さんご指摘の3点の批判は、Jms2009年7月11日(土)03:15(UTC)と同じものですが、後者に対しては対してはすでにそこで私の回答を述べてあります(Mdz2009071104:18)。 ただしそこでは少し簡明に書き過ぎたのでご理解が得られなかったのかも知れません。 真面目なMakotoyさんに心配をお掛けするのは本意でありませんので、ここで改めてその回答を敷衍して詳しい説明にします。 なお、Jms 氏はこれをもっぱら私の提案を門前払いして議論を提案内容に入らせない口実としていますので、ここではそれらを門前払いの根拠とすることは出来ないということに焦点を当てます。
まず私の提案は、外のここにこう書いてあるから、というような外部のルールなどにまったく依存せず、内部で完結する論理を基礎に「原状回復」を提案していることに注意します。 つまり、「意見を集めることなく、ガイドラインというWikipediaの重要要素について行った改訂は」、「(常識に基づく〕Wikipedia の理念に反するから」、まずは原状復帰する、と提案しているのであって、「どのガイドラインに違反するから」といった外部ルール依存はまったくありません。 そこでは素直に論理を追えば誰でもその結論に達するように構成してあります。 それは大多数のウィキペディア人がそれぞれ「常識」と「善意」を発揮して正しく読み、理解し、判断をしてくれる、という信頼の上で成り立っている提案です。 その代わりその人は自主的に論理を追い、考え、判断するという責務を負います。 大多数のウィキペディア人はそれは当然として受け入れ、真面目に行動して下さると期待しています。
以上のようにこの提案はそれを読んだ一人ひとりが自分で考え、理由を付けて賛成か反対かの意見表明をすればよいもので、論議自身を門前払いするようなものではありません。 そしてご指摘の3点は、上で述べたようにこの提案とは関係しませんし、それが以前のお答えで「明らか」と表明した理由ですか、それはそれで読者がそう思うのであれば、そういう理由を付けて個人として反対表明すればよいことです。 提案者としては、その際、なかに書かれた理念についても意見を頂きたいとは思いますが、故意に無視したい人にそれを求めても、ないものねだりかも知れません。 
それからもう一つご指摘の125.1.110.165 2009年7月12日(日)15:37(UTC)の「独自解釈」非難は「門前払い」との関係がもっと薄い議論ですからどうということもありません。
以上です。 ご理解頂ければ幸いです。--Midz 2009年7月16日 (木) 08:40 (UTC)

「井戸端」へ「原状回復提案」の告知を載せました

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この度、「井戸端」へ「Wikipedia:井戸端#ガイドラインの改訂提案は「井戸端」で告知を」という文章を載せ、その中で「原状回復提案」を告知しました。 ご意見をお寄せ下さい。 --Midz 2009年8月14日 (金) 02:46 (UTC)

コメント依頼に応じた最終コメントから一ヶ月が経過したため、Wikipedia:コメント依頼のエントリが除去されました。Wikipedia:コメント依頼によるコメント依頼 (まわりくどい…) は一旦クローズだと理解しますが、新たに井戸端へなされた告知についてはどう扱いましょう。わたくしは、自分がコメントする際、コメントに応じて依頼者が議論を展開するは望ましくない (但し議論のリードを依頼し、それを受ける方が現れた場合を除く) と考えているので、「自分の嫌なことは他人にもしない」という原則からコメント依頼後は議論を進めておりません。もし、井戸端経由についてもコメント依頼形式を継続するなら、引き続きコメントの様子を見守ります。この件自体をまだ続けるのか、という声もありそうですが…。--Jms 2009年8月16日 (日) 03:50 (UTC)

議論の仕方について

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以下のような振る舞いは厳に慎んでいただきたい。うっとうしいだけだから。

  • サイレントマジョリティが存在するかのように振舞う行為。また、具体的根拠のない「サイレントマジョリティ」を味方にした意見の主張。(物言わぬ奴らは「棄権」もしくは「委任」である。)
  • 明確な根拠がない「常識」の主張。

--Goki 2009年7月22日 (水) 04:58 (UTC)