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Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしない

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提案/「いつまでも納得しない」の部分改訂

[編集]

いつまでも納得しない」の部分改訂を提案します。具体案は次のとおりです。改訂の目的は、これを「主張を否定された側」にも受け容れやすいものにすること、「合意」を優先することを明確にすることです。詳細は後述します。変わる部分に下線を引いてあります。

現在の文(oldid=53107588) 改訂案
いつまでも納得しない

ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後も ぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。そして、しばしばこのような編集者は、要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、納得の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

いつまでも自説を曲げない

ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

この様な振る舞いは、ウィキペディアを妨害するものです。自身が「正しい意見」を持っていると信じているからといって、その意見をコミュニティに受け入れさせる権利があるわけではありません。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「主張を収める」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、合意形成の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

改訂の主旨は次の点です。

  • 判断基準を「主張者目線」から「コミュニティ目線」へ移動する。
  • 「悪意」や「攻撃」といった観点をはずす。
  • 「納得」を「自説を曲げない」「合意形成の拒否」に置き換える。

変更後の文のベースは英語版の最新のen:Wikipedia:Disruptive editingと、その訳文であるWikipedia:妨害的編集(提案中)です。Wikipedia:妨害的編集は12月以降議論が停まっていますが、今回はその訳文から一部を導入するものです。全文だと「制裁」に直接言及したり、日本語版にない文書を参照しており、現時点では時期尚早と考え、穏当な一部のみの導入提案としました。

1段落め
  • 大きく変える前半部分について、現在の文案のもとになった古い英文と、いまの英文、それらの訳文を比較のために引用します。(違いを明確にするため、個人的な訳文も併せて書いておきます。)
旧版Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない(oldid=14229128)より 最新の版en:Wikipedia:Disruptive editing(oldid=653339050)より
In some cases, bad-faith editors have perpetuated disputes by sticking to an allegation or viewpoint long after it has been discredited, repeating it almost without end, and refusing to acknowledge others' input or their own error. In some cases,      editors have perpetuated disputes by sticking to an allegation or viewpoint long after the consensus of the community has decided that moving on to other topics would be more productive.
個人的直訳 個人的直訳
ときに悪意ある編集者は、主張や観点が否定されたあとも他者の記述を加えることや自らの間違いを認めるのを拒絶し、自説にしがみついて際限なく繰り返して延々と続ける。 ときに編集者は、コミュニティの合意によって「次の話題に移ることが生産的だ」と決めたあとも、自説にしがみついて際限なく繰り返して延々と続ける。
現在の文書 改訂案
ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。 ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

原文を比べていただくと違いが明確になると思うのですが、いまは「悪意」「自説が否定された」がトリガーになっています。しかし、「俺は正しい・俺はまだ論破されていない・まだ否定されていない・こちらの質問に答えていない・間違っているのはそっちだ」と主張することで、トリガーの発動自体を拒むというケースがあるように思います。トリガー発動条件を「コミュニティの合意」へ移すことで、イニシアチブを「いつまでも納得しない人」からコミュニティの側へ移すことになります。

「ぐだぐだと固執」というような表現はマイルドになります。「他者の言葉を受け入れる・過ちを認める」も関係なくなります。「正しい/間違い」ではなく、合意があるかどうかが基準になります。合意に参加することは「自分が間違っていると認めた」ことになる・「謝罪しなければいけない」、というわけではないです。

2段落め

中段部分はWikipedia:妨害的編集(提案中)からほぼそのまま持ってきています。主語を「利用者」から「自身」へ修正しています。

3段落め

後段部分はほぼ従前のままです。

  • 「納得」を「自説を曲げない」「合意形成の拒否」と言い換えています。
「納得」は内面的ですが、「自説を曲げない」「合意形成の拒否」は外形的です。納得してなくても自説を撤回する・合意形成に参加する、ということを可能にします。この「いつまでも納得しない(Refusal to 'get the point')」はもともと「結論の拒否」と訳されており、2007年に訳語の置き換えが行われ、そのままでした。この訳に異論は出てきませんでしたが、「納得する=自分の間違いを認め、相手の正しさを認める」というニュアンスが、「俺が正しい」と考える人にとっては歩み寄りの障壁になっているようにも思います。そこで「合意形成」とか「主張をおさめる」というようなニュアンスに変えることで、「まだ自分のほうが正しいと思っているけど、みんながいうならしょうがない」ということで合意形成に参加する、ということを促す効果を期待しています。

以上、賛否、修正、ご意見を頂きたく思います。--柒月例祭会話2015年4月19日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

  • (賛成)いい変更だと思います。bad-faithを悪意としたのは誤訳でむしろ無礼とか不誠実といった意味だと思います。LTAになってしまっている方々も悪意というよりは、彼等なりの善意でこうした方がいいに違いないという想いが行きすぎて、そうなってしまったということは十分考えられます。同様に、下線がついていませんが「善意に基づいた編集」のgood-faithも善意というよりは礼儀とか誠実さを意味しているように思います。--Sureturn会話2015年4月19日 (日) 15:27 (UTC)[返信]
    • 提案自体は良いと思います。「結論の拒否」を「いつまでも納得しない」に変えたのは私ですが、草案の作業中の一案としての編集ですし、それこそ「納得」という語にこだわるものではありません(ずいぶん昔のことなので何を考えて変えたのか正確には思い出せませんが、おそらく、硬い表現を避けつつ、英語のget the pointのニュアンスを出そうとして「納得」を選んだのだと思います)。ただ、提案された改定案の「ときに編集者は〜論争を続けようとします」は、日本語としてかなり座りがわるいと感じます。「論争を続けようとする編集者がいます」とか、「一部の編集者によりいつまでも論争が続けられることがあります」などのほうが良いのではないでしょうか。もし英語版の完了形のニュアンスを尊重するのであれば、「これまでしばしば〜編集者がみられました」とかも考えられますが、そこまでする必要もないかなと個人的には思います。あと、2段落目と3段落目はやや冗長なので、もう少しコンパクトにまとめられるのでは?個人的には、いきなり「これは妨害だ」と来るよりも、「ウィキペディアは協力的で〜」というのが先にあったほうが、感じがよいかなと思います。また、ここでのfaithは礼儀よりはやはり意図ではないかと思います。誠実というのはよいと思いますが、礼儀を持ちだしてしまうと、論点がずれてしまうように思います。--Aotake会話2015年4月20日 (月) 02:13 (UTC)[返信]
  • コメント 提案自体は悪くはないかなと思いますが,2段落目の振る舞いにつながっていくことを考えれば,改訂案の1段落目は改訂の趣旨に基づいたものとはいえ,あっさりし過ぎです。1段落目については「悪意」あたりの文言の手直しは必要でしょうけども,現状の文面も残していただきたいです。なお,2・3段落目に異存はありません。--かげろん会話2015年4月21日 (火) 01:07 (UTC)[返信]
  • 1週間ほどたちましたが、方向性としては3名の方にご賛同いただけました。ありがとうございます。細かい文言は調整を行いたいと思います。文言の修正案については少しお時間を頂いて案を作成したいと思いますが、その間も引き続きご意見があればいただければと思います。--柒月例祭会話2015年4月28日 (火) 05:51 (UTC)[返信]

第2案(2015.4.28)

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  • ひとまず第2案です。現行版と比べるとだいぶ変わりますが、第1案を下敷きにしています。第1案は現行文をあまり変えず・直訳的な感じでしたが、第2案は日本語的なスムーズさを重視しました。「(カッコ)」で括った部分は、冗長さを考えるとなくてもいいかな、と感じた部分です。
第1案 改訂案 その2
|いつまでも自説を曲げない

ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

この様な振る舞いは、ウィキペディアを妨害するものです。自身が「正しい意見」を持っていると信じているからといって、その意見をコミュニティに受け入れさせる権利があるわけではありません。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「主張を収める」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、合意形成の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

いつまでも自説を曲げない

「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、一部の編集者がいつまでも論争を続けようとすることがあります。

ウィキペディアは協力的で、(礼儀正しく、) 誠実な編集、そして合意の上に成り立っています。

自身の意見を「正しい」と信じていても、その意見が必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。そのなかで、(他者のささいな発言を根拠にして次なる攻撃を続けたり、) 自説にしがみついて延々と繰り返すような態度が常識的な程度を超えると、妨害的になります。

方針や根拠を示した複数の熟練した編集者や管理者の仲裁や調停にもかかわらず、「主張を収める」ことを拒否し続けたり、妥協や合意形成を拒絶し続けることは、もはや正当性のある態度(、方針に準拠している態度) とはいえません。自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

賛否、修正、ご意見ををお願い致します。--柒月例祭会話2015年4月28日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

  • コメント 概ね賛成いたしますが、4〜5人などある程度の人数ではなく、ほとんどの場合は、一人の人が自説を通そうとする場合だと思いますので、「一部の編集者がいつまでも論争を続けようとすることがあります。」→「いつまでも同じ主張を繰り返して、論争をやめようとしない人がいます。」など、ほとんど一人による議論への固執であるニュアンスに、より近い表現のほうが良いのではないかと思います。--Childofacrow会話2015年5月2日 (土) 09:34 (UTC)[返信]

コメント 少し気になったのが、「常識的な程度を超えると、妨害的になります」の部分です。「常識的な程度」の基準が分からない利用者がいるから延々と自説を通そうとする試みが続くものだと思います。そういった事から「常識的な」を少し明文化しておく必要があるかと思います。また、「Disruptive editing」を「妨害的編集」と訳すのもどうかと思います。「妨害的」というのは完全に悪意がある場合に用いられるべき言葉であり、意図せず妨害行為になってしまった時に使うべき表現ではないです。「非建設的」とした方がマイルドな表現になるのではないでしょうか。

  • 参考までに、以下の文章は英語版において「Disruptive editing」を行った者に対して先ず案内する文章です(「いつまでも自説を曲げない」とは関係がありません)。
Welcome to Wikipedia. At least one of your recent edits did not appear to be constructive and has been reverted or removed. Although everyone is welcome to contribute to Wikipedia, please take some time to familiarise yourself with our policies and guidelines. You can find information about these at the welcome page which also provides further information about contributing constructively to this encyclopedia. If you only meant to make some test edits, please use the sandbox for that. If you think I made a mistake, or if you have any questions, you may leave a message on my talk page. Thank you.
  • 以下の文はそれでも改善しない場合に用いる案内です。
Please refrain from making unconstructive edits to Wikipedia. Your edits appear to be disruptive and have been reverted or removed.
  • If you are engaged in an article content dispute with another editor then please discuss the matter with the editor at their talk page, or the article's talk page. Alternatively you can read Wikipedia's dispute resolution page, and ask for independent help at one of the relevant notice boards.
  • If you are engaged in any other form of dispute that is not covered on the dispute resolution page, please seek assistance at Wikipedia's Administrators' noticeboard/Incidents.
Please ensure you are familiar with Wikipedia's policies and guidelines, and please do not continue to make edits that appear disruptive, until the dispute is resolved through consensus. Continuing to edit disruptively could result in loss of editing privileges. Thank you.

--Infinite0694会話2015年5月2日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

コメント まず,1文目に「「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後」となっていますが,いきなり最初からその段階? という点が何でかなあと不思議に思います。改定案の2段落目の,自説が必ず他のウィキペディアンやコミュニティに受け入れられるとは限らないことを最初に持ってきた方がいいのではないでしょうか。その上で,現状の文面の1段落目をベースとして,改定案2案の1段落目を足して問題行為の事例というか系統を示し,こういう行為はウィキペディアの目的を妨げる行為ですよと〆た方が通りがいいと思います。その後,改定案の4段落目はほぼそのまま利用する感じで,再構築した方がいいのではないでしょうか。--かげろん会話2015年5月2日 (土) 14:31 (UTC)[返信]

コメント このままGW開けぐらいまでは、さらにほかの方のご意見も待とうと思いますが、Infinite0694さんのご指摘に関しては、私もなるほどと思いました。

  • 「常識的」というのは扱いにくい表現ですね。「常識」を説明しようとするよりも、「常識」という言い回しを止めるか、別の表現に変えるかしたほうがいいように思います。
  • 「Disruptive」を「妨害的」と訳すのが妥当かどうかはなんとも言えませんが、ウィキペディア内ではぼちぼちみられる訳し方ではあります。おっしゃるように、やってる側は悪意を持って妨害してやれというつもりではないのでしょうけども、コミュニティの側からはもはや妨害にほかならない、ということでしょうね。つまり「Disruptive」と判断する主体は、やってる側ではなくコミュニティの側だということです。「非建設的」というのはいい表現ですね。--柒月例祭会話2015年5月2日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia‐ノート:妨害的編集で「Disruptive editing」は「妨害的編集」ではなく「破壊的編集」と訳すべきだと主張していたipです。議論場所は違えど「妨害的」どころか「非建設的」などという超訳にしようという意見が出てきたので、また口を挟ませていただきます。en:Wikipedia:Disruptive editingの冒頭を読んでください。曰く「This page in a nutshell: Disruptive editors may be blocked or banned indefinitely.」だそうです。en-0なりに訳してみますと、「破壊的な編集をするとブロックされるぞ」、となります。まあ破壊なんかしたらブロックされてもしょうがないですね。次に日本語版のWikipedia:妨害的編集(提案中)も見てみましょうか。「この文書の要旨:妨害的編集を行う者は無期限のブロックや追放の対象となり得ます。」だそうです。なんだかよくわからないけど日本語版では妨害したらブロックされちゃうそうです。怖いですねー。まだ提案中でよかった。で、今度はこれを「非建設的な行為をすると無期限のブロックや追放の対象となり得ます。」と書きかえて正式な方針にしてみましょうか? ますますよくわからなくなったけど非建設的だと判断されたらブロックされちゃうことに! うわ、もしかすると私なんかはブロック対象!?

とはいえ。「非建設的」だの「妨害的」だのでブロックできたら、すごく「楽」になるのは事実です。たとえば、定期的に現れる、井戸端やコメント依頼で上から目線で語るだけの利用者たちとか。問題を解決する気などなく、ただ他の利用者を罵倒し、自分のちっぽけな自尊心を満足させるためだけにコメントする連中の行為は、まさに「非建設的な行為」そのもの。他にも、プロジェクトで合意されている基準を守らず速報的に立項する利用者とか、出典を付けずに好き放題書き逃げしていく利用者とか、注意されたら次々とアカウントを乗り換えていく確信犯とか、無責任なこのipとか、後始末をさせられる方からすれば、まさに「妨害的編集」でしょう。連中をまとめてブロックできればすごく「楽」ですよね。でもこの連中が「破壊的」かというと微妙なところです。なので現状ではコメント依頼なんかの面倒な手順を踏まないと追い出せない。日ごろから問題利用者の対処に悩まされている執筆者の皆様にはご愁傷様です、としか。「楽」をさせてあげたいなあとは思うところです。

要するに。日本語版全体に影響が及びかねないので慎重にお願いします、ということです。多数の利用者の合意で「非建設的」や「妨害的」が採用されるなら、いいんです。--210.197.220.22 2015年5月3日 (日) 14:41 (UTC)修正--210.197.220.22 2015年5月3日 (日) 15:51 (UTC)[返信]

コメント まず、Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしないにおいては「非建設的」とした方がマイルドな表現になるのではないかという提案であり、Wikipedia:妨害的編集全般に「非建設的」を適応するべきだとは思いません。実際、「破壊的編集」は「荒らし/Vandalism」の意味も含まれています。というのも、日本語版では考えられないことかもしれませんが、英語版では「荒らし=破壊的」[1][2][3][4]のような行為が、ひどい時では数秒に1回の割合で発生し、基本的に4回繰り返すと管理者の裁量で投稿ブロックされます(項目の除去も含める)。また、「Not to be confused with Wikipedia:Vandalism.」と書かれており、その中に「破壊的」という言葉が出てきています。
良い機会なので(IP氏を批判してるつもりは全く無いです)これらについて例え話を用いて説明させて頂きます。上のIP氏が言う「で、今度はこれを…正式な方針にしてみましょうか?」の部分は本項目のWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例に抵触しているような感じがします。さらに、これに対して、私が「では、訳として『非建設的』としかならないような英語にすれば良いのなら、英語版で議論しガイドラインを変えてきます。そしたら翻訳として『非建設的』で問題ないでしょ? 他の表現は誤訳。よって方針の悪用とみなし反対する人には投稿ブロックを依頼します(WP:悪用)」とコメントしたらどうでしょうか。これは「破壊的」にあたるのでしょうか。恐らく、グレーゾーンですが議論としては悪くはないです。しかし、このような「非建設的」な議論を続けていたら合意形成されるものもされなくなるのではないかと思われます。もしかすると傍から見たら「茶番」としか思われなく、コミュニティ全体のやる気を削ぐ行為に繋がりかねません。また、議論が紛糾し、仲裁に入られた他の利用者に「妨害行為」だと言われても恐らく当事者たちは「ウィキペディアのため思ってやっている行為」であると主張することでしょう(破壊活動が目的なら、わざわざ英語版まで赴いてガイドラインを変えたりしようとはしないでしょう)。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「Disruptive editing」はそういう事を言わんとしているのだと思います(まあ、独自解釈として聞き流してください)。
最後に、こちらの主張としては無理して翻訳にこだわるのではなく、臨機応変に語句を選んで使ったほうが良いのではないかと思います。--Infinite0694会話2015年5月3日 (日) 16:40 (UTC)[返信]
コメントノー文案なので茶々入れみたいになってしまうのですが………
自身の意見を「正しい」と信じていても、その意見が必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。
どうも私の経験から、この「信じて」いる人の中には、それまでの議論の中で「他の議論参加者が論点回避をしたり揚げ足を取ったり発言を曲解したり話を無視したりしている(=誰も真面目に話を聞いてくれない)」と認識しているケースが何割かを占めているように思えます。なのでこの部分の後半(と次の文)が、「いつまでも駄々捏ねてんじゃねぇ」という言葉と共に此処へのリンクを提示された時に、その「信じている人」が状況を理解し建設的な行動を執れるようになる文面であったら嬉しいなぁ、と思います。以前からそうでしたがこの部分の内容はつまり、「皆はお前の意見を気に入らないと思っているんだから黙れよ」なわけですし、酷い言い方をすれば「多数派に従え」なわけですから、「正しいと信じている人」は余計依怙地になるんじゃないかと。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月4日 (月) 15:28 (UTC)[返信]

第3案(2015.5.12)

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  • ひとまず予定していましたGWが終わりました。以前より幅の広い意見をいただけたように思います。
基本的な考え方として最初に示しましたように、この文書は「(一人が主張する)正しさ」よりも「コミュニティの合意」を重視しましょうという考えに基づいています。
今回の提案は「自分はこっちのほうが正しいと今でも思うが、合意があるならそれに従う」という選択肢を示すもので、言ってみれば「名誉ある退路」というようなものを用意してあげる、というようなものだと考えています。合意に従うことが「自説が正しくない/間違っていることを認めた」というわけではないよ、という感じです。
「こうするべき」というポジティブな文書はWikipedia:合意形成です。この文書はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないという「べからず集」なので、「こういうのはダメよ」という表現や文意に傾くのは自然な成り行きでしょう。その中でも「こうするべき」という観点を盛り込みました
第3案では「disruptive」(「破壊的」「妨害的」)という表現を避けました。「生産的」・「建設的」に対する「非建設的」・「非生産的」という表現にとどめています。一般に「非生産的」「非建設的」という言葉にはネガティブな(建設的じゃない、よくない、悪い)という意味があるように思いますが、字面からいけばこんな感じになるはずです。
いきすぎると「合意形成の方針の悪用」とみられる、というのにとどめました。
  • ご意見をお願い致します。
建設的
よい行動
非建設的
ニュートラル 破壊的
ダメな行動
非破壊的

「常識的な程度を超えると」とかいろいろな表現はありますが、「建設的ではない」のが行き過ぎると「破壊的・妨害的」(disruptive)に至るわけで、IPさんが心配されているように、非建設的だと即ブロック、というようなものでもないと考えます。

改訂案 その3
いつまでも自説を曲げない

自身の意見が「正しい」と確信があったとしても、その意見が常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。

自説を何とか通そうとして、競合する観点の受け入れを一切拒んだり、同じ主張を何度も繰り返したり、他者を攻撃したり、論争を蒸し返そうとするのは、建設的とはいえません。

ウィキペディアは共同作業です。協力的誠実な編集、そして合意の上に成り立っていることを忘れないで下さい。論争を解決して合意をはかるためには、他者の意見を汲んだり、時には譲歩や妥協も必要です。合意を形成するために譲歩や妥協をすることは、その人の主張が「正しくない」「間違っている」と決めつけるものではありません。(Wikipedia:論争の解決

これに対し、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意にもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、一歩も譲らない姿勢をとっていつまでも妥協や合意形成を拒絶し続けることは、非生産的とみなされます。

方針や根拠を示した複数の熟練した編集者や管理者の仲裁や調停にもかかわらず、「主張を収める」ことを拒否し続けたり、コミュニティの合意を否定し続けることは、もはや正当性のある態度とはいえません。自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

--柒月例祭会話2015年5月12日 (火) 09:01 (UTC)[返信]

  • コメント だいぶいい感じになってきたと思います。文面のブラッシュアップに関することでは,「たり」を使うのであれば他の「たり」を使っていないところも「たり」を使用して体裁を揃えた方がいいでしょう。あと,3段落目についてですが,「他者の意見を汲むことや、譲歩や妥協も時には」とした方がいいかなと。それと,「(Wikipedia:論争の解決)」を句点の前に移動して「(Wikipedia:論争の解決も参照)」と変えるぐらいでしょうかね。4段落目の「これに対し」というところだけがちょっと違和感を感じます(「これ」は自説を曲げないことに対応しているのだと思いますが)。そういう意味では4段落目は次ぐらいの感じでいいかもしれません。

「中には、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意が形成されたにもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、いつまでも譲歩や妥協・合意形成を拒絶し続けたりする利用者もいますが、こういう利用者の態度は非生産的とみなされます。」--かげろん会話2015年5月12日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

  • コメント 既に入れた茶々を除けば、基本かげろん氏と同意見です。異論としては「(Wikipedia:論争の解決も参照)」のある場所は「合意を形成するために譲歩や妥協をすること」の次、「は、」の前が良いかな、と思う程度です。
気になる点としては、第一段落の「「正しい」と確信があったとしても」という表現が多分に第三者視点であり、「俺は「正しいと確信している」のではない、俺の主張は誰がどう見ても客観的に正しいのだ」と思い込んでいる問題行為者が「俺の場合には当てはまらない文書だ」と誤認するかも知れない点があります。口が悪い私からすると、第一段落は「どんなに正しい意見であっても、それが常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。」ぐらいの勢いでも良いのではないかと考えます。そうするなら第二段落の頭も「自説を何とか通そうとして」よりは「正しいというだけの理由で」のようにしないとテンションが合わなくなってしまいますが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月12日 (火) 11:18 (UTC)[返信]
  • コメント 提案の趣旨には賛成します。細かい表現を修正することで内容がより理解しやすくなると思います。4段落目の「他の議題に移るのが生産的なことだ」という表現は、婉曲的な表現ですので、意訳して「この議題についてこれ以上議論することは生産的ではない」、あるいはさらに意訳して「この議題についてこれ以上議論する意義はない」としてよいように思います。5段落目の冒頭は、「示した」のかかる語句が離れていてやや分かりにくいので、「複数の熟練した編集者や管理者によって、方針や根拠を示した仲裁や調停がなされているにもかかわらず」とすると、より分かりやすいかと思います。その次の「主張を収める」という表現は、日本語として馴染みがない表現ですので、「主張を取り下げる」か「自説の展開をやめる」とした方がよいと思います。--Alive会話2015年5月14日 (木) 14:32 (UTC)[返信]

第4案(2015.5.22)

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ご意見ありがとうございます。修正案その4です。

頂いたご意見はいずれもなるほどというものです。私としても文章がこなれていないなあと思っていた箇所にご意見が集中しており、おおむねそのまま使わせていただきました。

世界最狂の魔法使いCray-Gさんがおっしゃる「俺の主張は誰がどう見ても客観的に正しいのだと思い込んでいる人」に関するご指摘はその通りだと思います。ただ、文章への反映のさせかたが難しいですね。『どんなに正しい意見であっても・・・』とすると、なんだかまるで正しい意見を否定するような感じになってしまいます。『どんなに「正しい」意見であっても・・・』とするとニュアンスが出てくるように思いますが・・・。

この文書の肝要なところは「合意優先だよ」、ということだと思うんですよね。ここまで議論に参加してくださってる皆さんには釈迦に説法になりますが、「正しい」というのは観点や立場やロジックが変われば正しいとはいえなくなることもあり、「正しさ」が衝突することもある。(Wikipedia:空が青いということに出典は要らないVSWikipedia:空が青いということに出典は要る

だから多数参加のウィキペディアとしては合意を優越させましょう、ということでしょう。「正しい」という表現を使ってしまうことで、まるで「正しい意見を否定する」ような感じが出てしまうのはちょっとアレかなあと思うんですよね。というわけで、冒頭の部分の表現を変えてみました。どうでしょう。

改訂案 その4
いつまでも自説を曲げない

どんなに強固な根拠に基づいた意見でも、その意見が常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。

自説を何とか通すために、競合する観点の受け入れを一切拒む、同じ主張を何度も繰り返す、他者を攻撃する、論争を蒸し返す、などというのは建設的とはいえません。

ウィキペディアは共同作業です。協力的誠実な編集、そして合意の上に成り立っていることを忘れないで下さい。論争を解決して合意をはかるためには、他者の意見を汲むことや、譲歩や妥協も時には必要です。合意を形成するために譲歩や妥協をすることは、「主張の誤りを認めた」のとは違います。

中には、「この議題についてこれ以上議論することは生産的ではない」というコミュニティの合意が形成されたにもかかわらず、自説が正しいと主張したり、いつまでも譲歩や妥協・合意形成を拒絶し続けたりする利用者もいますが、こういう利用者の態度は非生産的とみなされます。

複数の熟練した編集者や管理者によって、方針や根拠を示した仲裁や調停がなされているにもかかわらず、「自説の展開をやめる」ことを拒否し続けたり、コミュニティの合意を否定し続けることは、もはや正当性のある態度とはいえません。自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

--柒月例祭会話2015年5月22日 (金) 09:46 (UTC)[返信]

◆Cray-Gです。ん~~~~、私はどちらかと言うと「なんだかまるで正しい意見を否定することを露骨にして欲しいなぁ、と考えています。
これまで私は何度か井戸端で、「wikipediaは事実を書く場所ではありません、正しいことを書く場所でもありません、誰も知らないことを書く場所でもありません」と書き込んでいて、しかもその通りだと信じて疑っていません。何しろ「wikipediaは特筆性のあることを書く場所であり、中立的な観点に立脚したことを書く場所であり、検証可能なことを書く場所である」のですからね。
極端な言いようであるのは確かですが、中途半端に言ったところで伝わらないなら無意味ですから。最大の被害者は「腕尽くでしか解決出来ないと思い込んでしまった人」なわけですし、助けてあげられればなぁ、と。
  • 「そりゃ意見が分かれるような内容なら合意は重要だというのは理解出来るよ? でもさ、話を聞く気も理解する気も無い何人かの人達が強情に言い張っているのならば誰が見ても明らかに正しく出典まである内容を否定することに合意するべきです、だなんて、そんな明らかに間違ってる非常識なことをしなさいとか方針やガイドラインに書いてあるわけが無いよね? これは今回のことには当てはまらない、もっと一般的なことについて書いてあるんだよ。つまりコイツラは自分達の主張を通す障碍となっているウィキペディアの目的と他の編集者を故意に妨害するために、悪意を持ってウィキペディアの方針とガイドラインを使用しているんだ。要するにコイツラはウィキペディアの信頼性を下げ評判を落とそうとしているんだから絶対に認めちゃ駄目だ! 最後まで戦わないと! コイツラの駄々を最後まで徹底的に否定し続けないと! ウィキペディアの為に! ウィキペディアが質量ともに史上最大の信頼される百科事典になる為に!」
まぁ、希望として。飽くまで希望でしかないので、「いつまでも自説を曲げない」で「ぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けよう」とするつもりはありません。今回の投稿で言いたいことは言い尽したと考えているので、もしも今回の投稿を見ても「ちょっとアレかなあ」と思うようであれば、無視して戴いて構いません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月22日 (金) 12:59 (UTC)[返信]
コメント とりあえずの感想です。この段階にきてこれを言うのはちょっと気が引けるのですが,2・4・5段落については内容(話の根っこの部分)の重複が目立つなあと思いました。何回も読み返すにつれてその思いを強くしています。そういう意味では,一文一文としては悪くはないんですが,全体を眺めてみるとかえってバランスが悪くなってるかなあと思いました。--かげろん会話2015年5月26日 (火) 08:25 (UTC)[返信]
コメント 第一段落の最初の「正しい」、「強固な根拠」の部分について、私の考えは柒月例祭さんの考えに近いです。単に「正しい」とすると、冒頭から順に読む読み手には、正当性のある、客観的に、コミュニティから見て「正しい」という意味にも読めます。続きを読めば、主張する個人から見て「正しい」という意味かと推測できるにしても、読み手には分かりにくいか思います。最初の部分は、「ウィキペディアをもっとすばらしいものにしようとして出した意見であっても、その意見は(略)」という書き方でもよいのではないでしょうか。
さて、内容の重複の指摘ですが、たしかに少し気になります。節の順を入れ替えるなどしつつ、もう少し整理することで、この節の趣旨がより明確になるように思います。--Alive会話2015年5月28日 (木) 15:27 (UTC)[返信]
ちょっと伺いたいだけなので気分を害さないで戴きたいのですが、「冒頭から順に読む」ぐらいに真面目で落ち着いた状態の読み手がほんの数段落を読むあいだ首を傾げるのを防ぐことが、読めと言われたから仕方が無くちらりと一瞥しに来ただけの「腕尽くでしか解決出来ないと思い込んで」しまう程に冷静さを失っている問題行為者に意図通りに伝えることよりも、優先されるべきだというお考えのように見受けました。私は何をどう勘違いしているのでしょうか。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月29日 (金) 14:30 (UTC)[返信]
私は、問題行為者本人にとってもそれ以外の人にとっても趣旨を理解しやすい文面がよいと考えています。その考えに基づいて、書き方の案を提示しています。--Alive会話2015年5月30日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
なるほど理解しました。有難う御座居ました。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月1日 (月) 06:00 (UTC)[返信]

第5案(2015.6.2)

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おおよそのゴールは見えている感じだと思うんですが、詰めの作業というのは難しいものですね。

  • 「露骨な」いい回しに関しての世界最狂の魔法使いCray-Gさんの発言には、心情的には共感できます。ただ、現実的には、開眼してしまった方にに対しては、どんなに強烈な表現をしても一笑に付されるだけのような感じもします。
  • 内容の整理・重複の解消と、わかりやすさ・伝わりやすさはバランスの難しいところです。今回の案は「概要」と本文の2段建てとしてみました。
改訂案 その5
いつまでも自説を曲げない

概要:どんなに強固な根拠に基づいた意見でも、その意見が常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。ときには譲歩や妥協も必要です。コミュニティが合意を形成しようというときに、一歩も譲らない姿勢を貫いて立ちふさがり、合意形成を妨げようとするのは、「腕ずくで解決しようとしない」に反します。


ウィキペディアは共同作業です。協力的誠実な編集、そして合意の上に成り立っています。

ウィキペディアをもっとすばらしいものにしようとして出した意見であっても、コミュニティに採用されないこともあります。

建設的・生産的な利用者は、ときには他者の意見を汲み、譲歩や妥協を行い、論争を解決します。合意形成のための譲歩や妥協は、「主張の誤りを認めた」とはみなされません。

これに対し、コミュニティが合意形成をはかろうとしているときに、自説の正しさだけを訴える、同じ主張を何度も繰り返す、論争を蒸し返す、競合する観点の受け入れを一切拒む、譲歩案や妥協案をつっぱねる、納得できないと言い続ける、他者を攻撃する、などというのは建設的ではありません。

複数の熟練した編集者や管理者によって、方針や根拠を示した仲裁や調停がなされているにもかかわらず、こうした態度を変えない場合には、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

--柒月例祭会話2015年6月2日 (火) 02:57 (UTC)[返信]

今にも開眼しそうな人を引き止められれば、と思ったのですが、これ以上は辞めておきます。
「主張の誤りを認めた」とはみなされません。
<「主張の誤りを認めた」ことにはなりません。
これは開眼しそうな人にとってもそれを眺めている人にもそれ等に遭遇する前の人にも、正しく伝えた方が良いと思います。「看做す」という用語には「実際はそうじゃないんだけど、そうだとして扱う」という意味があるので。逆に最後の「みなされることになります」は、「実際はそうじゃないとしても、そうだとして扱う」わけですから適切と考えます。
自説の正しさだけを訴え~~他者を攻撃する、などと
これ、「他者を攻撃する」と「論争を蒸し返す」と「同じ主張を何度も繰り返す」を前に移動した方が良いのではないかと考えます。これ等は譲歩や妥協をしない以前に議論自体の停滞をもたらし、結果として議論が消化不良=対話不充分になります。それは議論を激化させ、双方に「腕尽くでの解決」を試みさせることに繋がり易くなります。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月2日 (火) 06:11 (UTC)[返信]
コメント 少し気になったので一点。「自説の正しさだけを訴える、同じ主張を何度も繰り返す、論争を蒸し返す、競合する観点の受け入れを一切拒む、譲歩案や妥協案をつっぱねる、納得できないと言い続ける」これって無理に一文の中に入れる必要があるのでしょうか。
これに対し、コミュニティが合意形成をはかろうとしているときに、以下の姿勢でのぞむことは建設的であるとは言えません。
  • 自説の正しさだけを訴える
  • 同じ主張を何度も繰り返す
  • 論争を蒸し返す
  • 競合する観点の受け入れを一切拒む
  • 譲歩案や妥協案をつっぱねる
  • 納得できないと言い続ける
  • 他者を攻撃する

こんな感じでも良いのではと思います。--Infinite0694会話2015年6月2日 (火) 10:49 (UTC)[返信]

コメント この文面案は恐らくここまでの参加者の皆さんにとって想定外の理由で、現行より問題が起きやすい文面です。これは、「いつまでも自説を曲げない」というタイトルが「悪用」しやすいためです。ただでさえ、スクラムを組んで腕ずくで押し切ろうとする案件が目立つのに、このタイトルでは、「多数派だから正しい」という暴論を後押します。それは、Wikipediaの理念とは正反対の行動になります。そもそも議論参加者全員が反対しても、日本語版全体の人数からすれば取るに足りませんしね。ここで解決すべきは、「自説を曲げないこと」でも「納得しないこと」でもなく「他者・異説との調整を行わず、合意形成を阻害する」ことですから、本文と異なる問題のある表記をタイトルに持ってくるよりは、本文を反映したタイトルを考えた方が良いでしょう。「いつまでも合意形成を阻害する」ぐらいでいいんじゃないでしょうか。文面に入りますと、その理由で「同じ主張を何度も繰り返す」と「納得できないと言い続ける」はまずいです。客観的に間違ってる事を主張されて、それに対する反駁が繰り返しになるのは当然ですから。ここは、「議論を進展させないために」ぐらいの但し書きを付けた方がいいですね。なお、Infinite0694さんの案は、当座の案としては素晴らしいんですが、その方式個別に説明が加わって肥大化するんですよ。それよりは文章化して、幅もたせて肥大化を防ぐ方がましと考えます。--Open-box会話2015年6月2日 (火) 23:48 (UTC)[返信]
まずはより良くするための議論が続いていることに敬意を表します。全体としていい方向に向かっていると思いますので、今更意見を言うのもと思っていたのですが、なかなか着地点が見えないようでもあるので、少し思い切った提案をしてみようと思います。もしいまさら、ということであれば、無視して頂いてもいいのですが、改めてもともとのご提案の「「主張を否定された側」にも受け容れやすいものにする」「「合意」を優先することを明確にする」ために改訂する、という目的を思い出してみると、もう「自説を曲げない」といった否定的ニュアンスを含みうる表現はぜんぶやめにして、「ぐっとこらえる」「できる限り妥協する」くらいまで表現を変えてしまってもいいのかなと思います。いずれにしても、「コミュニティ対自説を曲げない人」のようになるのは、あまりよい効果はないのかな、と思います。原則としては「コミュニティ」側だって妥協しなければならないはずですし。この文書のいちばんいいところは「具体例」のとこだと思うんですが、例えばその中の「もし延々と議論をしても、解決策が見出せないとき」の内容をもう少し膨らましたような内容だと、実地で使いやすい節になるんじゃないでしょうか。--Aotake会話2015年6月3日 (水) 01:25 (UTC)[返信]
◆論拠には首肯出来る部分が多々あるのですが、そもそも「~~というタイトルが「悪用」しやすい」に異論があります。むしろ「悪用する」側はこれでは「多数派だから正しい」という暴論を後押しする効果が無いので明に多数決を導入しなければならないという案が出されるぐらい「これでは悪用は難しい」と考えています。
本件文案は「その論敵の主張を客観的に間違ってる」と考えている人を対象としているので、Open-box氏が「この文案には問題がある」と考えれば考えるほど本件文案がより適切であると評価出来ると「私は」考えています。
わかり易く乱暴な言葉で言うとOpen-box氏は現在、実在する開眼してしまった人の例として私の藁人形になっているのです。即ち、本件文案の最初を「どんなに正しい意見であっても、それが常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。」とするのが適切であるという私の主張を補強してくれているわけです、Open-box氏の意に反して。
それは私にとって都合の良いことですが、私は自分の主張を腕尽くで解決する為にミートパペット募集の貼り紙をしに行ったわけではありませんので、お手伝い戴かなくても結構です。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 01:40 (UTC)[返信]
明白な論拠も示さず議論相手を藁人形扱いしますとね、議論なんて成り立ちませんよ。必要なのは論拠であり、また相手の意見を反射的に採り上げることは、反論としては有用ではないのです。加えて、現状と変更する提案で多数決がやりやすくなる問題であるのに、過去の議論持ち出すのは論点がずれています。さて、Maddestmagicianさんの意見ですが、現状では柒月例祭さんの提案に含まれていませんので、別案となります。Maddestmagicianさん自身の考えとしてはつながっていますが、どのように盛り込みたいのか、それを第三者に示して下さい。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 01:53 (UTC)[返信]
コメント 建設的・生産的であるかぎり、議論の参加者が増えて新しい視点が加わるのはありがたいことです。
Open-boxさんのご指摘に関して、私はいくつかのことがいえるかなあと思います。
この項目が、ともすれば多数派によって悪用されるのではないか、という懸念についてですが、Open-boxさんは「多数派が腕ずくで押し切ろうとする」と表現なさいましたけども、その「腕ずく」と、この文書の「腕ずくで解決しようとしない」の「腕ずく」は、まるで別のものではないでしょうか。多数と少数にわかれたときに多数が優勢になるというのは自明であり、それを「腕ずく」というのは少数派の見方です。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないで言う「腕ずく」は、(たとえ正しい目的でも)目的のために「破壊的な」手法を使う、というようなことを指しています。
「正しいかどうか」と「多数・少数」は見極めにくいです。普通はどちらも自分たちが「正しい」と考えているわけで、「客観的に間違ってる」という主張が、本当に客観的に間違っているかどうかはわかりません。堂々巡りになってしまいます。<正しい・正しくない>という見方ではなく、もっとシンプルに<意見が割れている>とみなしたほうがよさそうです。要は、「客観的に間違ってる(と当事者は思っている)事を主張」に対して「同じ反論を繰り返す」という手法がダメなのであって、ダメじゃない手法を使いましょうということです。
この案の最後の段には「複数の熟練した編集者や管理者によって、方針や根拠を示した仲裁や調停がなされているにもかかわらず」という条件が示されています。限られた中での単なる“多数派”ではなく、「複数の」「熟練した編集者や管理者」が関わるわけですから、もしも「実は少数派のほうが正しそうだ」という場合には、「熟練した編集者や管理者」からそういう指摘が出るのではないでしょうか。もしも彼らの介入によってもそういう指摘がなされないのであれば、“多数派”の主張が妥当っぽい、ということを(暗に)支えることになり、「多数派による悪用」の心配はなくなるということになります。
うえのほうで世界最狂の魔法使いCray-Gさんが指摘してくださったことなんですが、「~です」ではなく「~とみなされます」との違いも重要でしょう。
これは確かに今までの文案に無かったことなんですが、要するに「多数と少数に分かれてしまった時に、少数派はテロリズムに走るなよ」ということであり、「腕ずく」ではない方法で解決しろよ、という話でしょう。Aotakeさんがおっしゃったように、「不適切な態度」だけでなく「適切な態度」にも言及するとよさそうです。
次の「文案」はもうちょっと先に考えることにしたいと思いますが、次のような方向で考えてはどうかなと思います。
  • 今の文案の下から2段落目の最後「などというのは建設的ではありません。」を「建設的ではない(非生産的)とみなされる」に変える。
  • 少数派になったときに「腕ずく」で解決するのではなく、コメント依頼をするとか、妥協や譲歩をするとか、「腕づく」ではない、なんかまともな方法で解決を目指すようにしましょう、的な文章を盛りこむ。(こうするとダメ、こうするといいよ)
こうするといいよ案は、「コメント依頼」のほかにどういうのがありますでしょう?「(数日とか1週間とかの割と短い単位で)ちょっと時間をくれ、と言って、その間によく考える」というのはどうでしょう。状況によってはただの引き伸ばし作戦とか、遅延行為にもなりかねませんけども。急を要する案件でなく、乱発しなければ、「同じ主張を繰り返す」よりはだいぶいいと思うんですけども。よく考えてるうちに、妥協してもいいかなという気分になったりすることもあるでしょうし。
文章全体は、短くてシンプルな方がいいという方と、説明が多い方がいいという方がいるので、悩ましいところではありますね。--柒月例祭会話2015年6月3日 (水) 03:02 (UTC)[返信]
腕ずくの想定に差があるようですが、私の想定はそのどちらでもありません。Wikipediaとしては、論拠に基づいた議論が平穏に進行し、合意を形成できるって前提があると考えます。ところが、実際には対立が発生して暗礁に乗り上げることは多々あります。もちろん、合意を形成する意図が無いのはまずいんですが、ここで想定したもう一つのまずい事態は論拠に基づかない意見の大量投入です。特に問題となる事例として、ファンが集まって(ファンなんだから論拠出そうよってのは別として)強引に話を進める、ミートパペットの動員あるいは自然発生で議論自体を押し流すといったことが想定されます。このケースを考慮すると、単純に少数派を問題視し多数への妥協を強いるのはまずいです。少数派であれ、多数派であれ議論は論拠を持って行いましょうってところが基盤であって、支持の多寡はその次に来る問題であろうと。反復については、「同じ意見を出している」か「既に他の意見に対する回答でカバーされていることを気付かずに意見している」といった回答側ではなく質問側に問題があるケースが含まれます。ですから、反復を防ぐなら、直接止めるのではなくその前段階で押さえが必要です。「堂々巡りの議論は避けましょう」ぐらいでしょうか。ただ、現実問題としては仲裁が行える立場の人がいないですよね。管理者が最後にまとめることになっている各種依頼は例外的であり、基本的に議論は当事者で結論を出すものになっていますから(「仲裁を求める」とか「合意形成に努める」とか「10:0を求めるな」とか「相手を倒すことを目的にするな」などの精神的な規定は考えられますが)。ですから、「これやっちゃだめ」的に上手くまとまらなかったら「腕ずくで解決しないために」って事例に変更するのは有益でしょう。--Open-box会話2015年6月3日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
Open-boxさんがおっしゃっていることはごもっともだと思います。ただ、その観点は、どちらかといえばWikipedia:合意形成Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんあたりにあたるのではないでしょうか。
現実の論争に当てはめるときにはビシっと弁別するのは難しいのですが、理屈としては、この文書では「合意形成そのものは適切な論拠によってまともに行われている」という状況を前提としていると思います。
Open-boxさんの観点は、この文書ではなく別の文書(Wikipedia:合意形成)を参照、ということになるんじゃないかなあと思うのです。--柒月例祭会話2015年6月3日 (水) 04:10 (UTC)[返信]
「ちょっと時間をくれ、と言って、その間によく考える」というアドバイスはとてもいいと思います。それと、具体例は下にもたくさんあがっているので、必要であればそちらを拡張することにして、この節はなるべくシンプルにまとめていくほうがいいと思います。--Aotake会話2015年6月3日 (水) 06:16 (UTC)[返信]
返信 (Open-box氏宛) そうですね。私はwikipediaの理念を信望し方針を理解し従う「多数派」なので、後は多数決さえ明に容認されさえすれば、方針無理解/方針不服従である「少数派」を黙らせられるので都合が良いです。ですが同時に、多数決は大抵の場合はwikipediaの理念に反しているので私を含めた「多数派」の多くは強く警戒しています。その為本件文案は、方針無理解/方針不服従である「少数派」が方針への理解を拒絶している場合に主に使用されることになります。
理想はこんな文案なんぞ無くとも「少数派」が方針を理解して協力的になってくれることなのですが、厄介なことに、方針を理解できていないのに「自分は方針を理解出来ている」と考えている者は「相手が方針を理解出来ていない」と考えてしまいがちであり、そして少数の方針の文言のみを根拠にし、他の方針は関係無いので無視して良いと主張して相手を批判することに注力し聞く耳を持たなくなってしまいがちだという現実です。これを少しでも何とか出来る文案であって欲しいと考えて「主張」や「文案」、「見解」を既に提示したわけですが、まぁ、「駄々を捏ねる」つもりはありません。
返信 (柒月例祭氏宛) そもそも、「ちょっと時間を~~よく考える」と言えるような精神状態の者に対して本件文案を提示するのは提示した者の方に問題があるんじゃないかと思います。主要な問題は「この文を読めと言われた側から見ると、この文を読めと言った側はまともに話を聞こうとしていない」という現実だからです。この点に於いては、私はOpen-box氏と同じ認識を持っています。なのに最終的な主張が真逆なのは、私が大抵の場合は「多数派」に属しているからです。
「客観的に間違ってる」という主張が、本当に客観的に間違っているかどうかはわかりません。
問題は、そうやって「論点をはぐらかされ」て「話を聞いてもらえない」状態が作られてしまっていることに起因しています。
例えば「この記述は出典○○にその通りに書いてあり、○○はWP:RSを満たしている」と主張していて、実際その通りである場合です。それに対して「本当に客観的に~~」とか言われたら「はぁ? リンク張ってんだから実際に行って見てみろよ。実際記述してある通りに書いてあって、その情報源は信頼出来るものの内の一つだってWP:RSに書いてあるよね? 書いて無いの? 俺の言ってることの何処が間違っているのかちゃんと言ってくれよ」ってなるわけです。でも論点が違うならそんな主張は問題ではないし反論も無意味です。なので「俺の言ってること」は何処も間違っていないし、「俺の言ってることの何処が間違っているのかちゃんと言って」もくれません。だから「堂々巡りに」なってしまうのです。
要は~~に対して「同じ反論を繰り返す」という手法がダメなのであって
「それは論点が違います、問題はそれが検証可能かとか信頼出来る情報源であるかとかではなく、その内容に特筆性が無いのでWP:IINFO違反だからです。特筆たる出典をお願いします」と反論されたら、そんな「相手の話を聞かずに自分の主張を繰り返す不誠実な議論態度を執る相手」に対しては「いや待てよ無根拠に否定しないでちゃんと質問に答えろよ。書いてあるよね? 書いて無いの? 俺の言ってることの何処が間違っているのかちゃんと言ってくれよ」と「同じ反論を繰り返す」しかありません。当然、相手も「同じ反論を繰り返す」しかありません。
この例では「明らかにおかしいのがわかる」例を使いましたが、これは論理構造の問題なので、主張や内容を変えても同じ例を作れます。
他の例では「この記述は参議院が正式に刊行し国会図書館にも保存されていてオンラインでも検証可能な文書にこうこうこれこれと書いてあることを根拠にしており、参議院が正式に刊行している文書なのだから常識的に考えてWP:RSを満たしている」と主張していたこともあります。その根拠(の中の言葉の彩レベルの一単語)が明らかに法律に適合していなかった為に疑義が出され、「参議院が正式に刊行している文書と一ウィキペディアンの意見とでは信頼性が違い過ぎる/間違っているという出典を出せ」と「信頼性に疑義を出されているんだから合意を形成しろ」とで、お互いに「同じ反論を繰り返す」騒ぎになりました。これは実際にはWP:SYNに相当する問題だったのですが、お互いにそれに気付くことがなかったので議論は紛糾し続け、井戸端までWP:FORUMSHOP(←これはテロリズムの一つと看做した悪い表現)しに来た揚句に利用者コメント依頼にまで発展する事態となりました。結果として該ウィキペディアンは(井戸端の件とリバートして自分の記述を戻してから保護依頼を提出した以外では)「腕尽く」での解決をしようとはせず、そして偶然に該議論以外の場所で方針理解へのヒントを得たことで「誠実な議論を行なおうとしない相手と無駄な言い争いを続ける」よりも「ちょっと時間を~~よく考える」ことを選択し、意見を取り下げました。意見を取り下げたのは単なる偶然であり議論の結果ではありません。
故意か否かに関わらず事実上の論点回避がされている場合、いづれの側でも大抵の場合は「同じ反論を繰り返す」ことになります。誰も彼もが議論や論理や詭弁に達者なわけではありません。
その「腕ずく」と、この文書の「腕ずくで解決しようとしない」の「腕ずく」は~~
本当はそうなのですが、それは少なくとも本件文案からは伝わっていませんし、また実際に本件節を使われる(提示される)場面を見てもそうと伝わっているとは思えません。この辺が私の主張が「ちょっとアレ」に見える理由なのかも知れません。次の段落に続きます。
多数と少数に分かれてしまった時に、少数派はテロリズムに走るなよ
合意の字義より当然に全会一致が原則となります。「話を聞こうとしない/質問に答えないなどの不誠実な態度を執る」ことは「テロリズムに走」ったことになるのでしょうか? それを行なっているのが多数派であっても? 多数派ならば「いつまでも自説を曲げない」という「テロリズムに走」っても良いのでしょうか?
本文書全体であれば「多数と少数に分かれてしまった時に、少数派はテロリズムに走るなよ」であることに異論はありません。ですが本件文案ではその「テロリズムの一つである誠意の無い議論態度により議論を停滞させること」に関して特別に節を設けて説明しているのであり、そしてその「テロリズム~~議論を停滞させること」は「現に多数派が多用しているもの」であるのも事実です。
まぁ、私はそんな「おまえだって論法」を認める気は全く無いのですが、柒月例祭氏の言いようがちょっと公平ではないように感じましたので。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月3日 (水) 06:58 (UTC)[返信]
コメント 第5案の文面を拝見いたしました。意見を考慮してくださったことはありがたく思います。ただ、同じような内容の繰り返しによってかえって趣旨が分かりにくいという感はまだ残っている印象です。概要の段落をなくして、その後の部分のみにした方がよいように思います。--Alive会話2015年6月4日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

意見の確認と整理(2015.06.08)

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  • (形式的なこと)Aotakeさんは「具体例」を膨らます、Infinite0694さんは具体例を箇条書きするスタイルを提案されています。一方で、Aliveさんはもっと簡潔にすることを望んでらっしゃいます。Wikipedia:方針とガイドラインにもあるように「できる限り簡潔に」「冗長さを避ける」ことは必要なんですが、「直接的に、曖昧さを避け、具体的に」とのバランスがどのあたりかなあというところです。。
  • 「タイトル」に関しては、いったん後回しにしましょう(内容が落ち着いてから。)
  • (内容的なこと)Open-boxさんからは「議論を進展させないために」ぐらいの但し書きを付けた方がいいといただいているのですが、私はそれは書かないほうがいいと思っているんです。世界最狂の魔法使いCray-Gさん風にいうと、『俺は議論を進展させないために反対しているんじゃない、議論をまともなほうに進めるために言っているんだ』みたいな事になってしまうと思うんですよね。<やってる側>の意図は関係なく、結果として議論の進展を妨げてしまっているというのがマズいんじゃないかなあ。
  • また、「テロリズム」は、多数派でも少数派でもダメですね。で、この文書はその「テロリズムとはこういうものですよ」を定義する文書ということになるかな?とすると、テロに走るなよ、と言ってしまうと循環参照になってしまいますねえ。ふむ。
  • Open-boxさんのおっしゃる「論拠に基づかない意見の大量投入」「ミートパペットの動員」というのは、合意形成の過程自体に瑕疵があることになります。この文書はあくまでも「合意形成」そのものは適正に進んでいるというのを前提にしないと、話があっちこっちに拡散してしまうと思うんです。そこらへんの話はWikipedia:合意形成Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんWikipedia:論争の解決Wikipedia:多重アカウントWP:MEATなどに譲る、ということではいけませんか?また、Wikipedia:論争の解決では「第三者を交えて議論する」というのも示されているので、管理者が最後にまとめることになっている各種依頼じゃなくても、第三者の見解によって議論を進展させることはできるはずです。
シンプルなルール・原則論に対して、実際の揉め事の現場はもっと複雑になっているというのはしかたがないかなあというふうにも思います。実際にはコメント依頼を出しても誰も来ないとか、揉め事が「コミュニティの合意」と言えるほどの規模じゃない1対1とか3対1ぐらいの人数で起きていて、1人、2人の新しい参加者によって「多数派・少数派」が容易にひっくり返るとか、そういう感じなんでしょう。
  • この文書の使い方をどう想定するかも違いがあるように思います。「これに違反したらペナルティな」というような規則のようなスタイルなのか、「困ったときはこうするといいよ」的なヒントになるものなのか。私自身もちょっと迷走したかもしれないんですが、基本的には私は後者をイメージしています。ただ一方で、実際問題としてはCray-Gさんが何度か示唆しているように、お前の意見は違うと言われヒートアップしている人が、これ読んでこいと言われて読んで、問題が解決に向かうということが本当にあるか?と言われるとどうかなあというのも正直なとこですね。この文書に限らず、論争の場面で、お前は間違ってる、○○読んでこい、と言われて本当に○○を読んできて「私が間違っていました」と言う人なんてなかなかお目にかかれない。難しいなあ。
  • さてどうしようか、という感じでして、新しい修正案を出すよりは、今の案でいちど皆さんの意見を整理したほうがやりやすいように感じます。このままでいいところ、変えたほうがいい・無くした方がいいところ、を端的に○していただけないでしょうか?
タイトルはあとまわしで。
No. 文章
1 どんなに強固な根拠に基づいた意見でも、その意見が常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。
2 ときには譲歩や妥協も必要です。
3 コミュニティが合意を形成しようというときに、一歩も譲らない姿勢を貫いて立ちふさがり、合意形成を妨げようとするのは、「腕ずくで解決しようとしない」に反します。
4 ウィキペディアは共同作業です。[[Wikipedia:善意にとる|協力的]]で[[Wikipedia:エチケット|誠実な]]編集、そして[[Wikipedia:合意形成|合意]]の上に成り立っています。
5 ウィキペディアをもっとすばらしいものにしようとして出した意見であっても、コミュニティに採用されないこともあります。
6 建設的・生産的な利用者は、ときには他者の意見を汲み、譲歩や妥協を行い、[[Wikipedia:論争の解決|論争を解決]]します。
7 合意形成のための譲歩や妥協は、「主張の誤りを認めた」とはみなされません。
8 これに対し、コミュニティが合意形成をはかろうとしているときに、・・・などというのは建設的ではありません。
9 自説の正しさだけを訴える、
10 同じ主張を何度も繰り返す、
11 論争を蒸し返す、
12 競合する観点の受け入れを一切拒む、
13 譲歩案や妥協案をつっぱねる、
14 納得できないと言い続ける、
15 他者を攻撃する、
16 複数の熟練した編集者や管理者によって、方針や根拠を示した仲裁や調停がなされているにもかかわらず、こうした態度を変えない場合には、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

お手数ですが、1から16の全てについて、◎(このままでよい・ぜひ残したほうがよい)、○(よい)、△(なくてもいい)、×(ぜひ削るべき)、その他、で示していただけませんか?(全てに明示的なご意見がないと判断しにくいので、メンドウですが全てになにがしかの明確なご意見をいただきたいです。)

これこそ、これを多数決としてこれで決めるというつもりはありません。現時点で合意できるところと、そうでないところを確認して、論点を明確に絞りたいのです。

  • この表を編集してください
お名前 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16
柒月例祭会話
Cray-G会話
Aotake会話
Alive会話 × ×
Infinite0694会話
かげろん会話

端的に○×では示し難いというときには※とかにしていただき、別途ご意見を書いて頂いてもいいです。よろしくお願いします。--柒月例祭会話2015年6月7日 (日) 16:10 (UTC)[返信]

「「具体例」を膨らます」というのは、なるべく前向きな感じで行くのがいいのではないかという趣旨です。形式としては、なるべく簡潔にすることに賛成します。--Aotake会話2015年6月8日 (月) 04:02 (UTC)[返信]
1から3はもともと「概要」として4以降と区分されていた部分なので当然ともいえますが、1と5、2と6・7、3と8から15は内容的にはそれぞれほぼ同じのため、繰り返しになって冗長に感じてしまいます。長い文章であれば、冒頭で要旨をまとめることで分かりやすくなりますが、この文章の長さであれば、そうとはいえないと思います。前回の投稿では、1から3の「概要」の部分はなくした方がよいのではないかと申し上げましたが、個々の文としてみると、6より2の方が簡潔でよいと思います。--Alive会話2015年6月10日 (水) 13:45 (UTC)[返信]
少し気になったのでコメントします。#15は#4の中に含まれているのではないかと感じました。また、Aliveさんが仰るように内容が殆ど重複しているところは統合するなりした方が良いかと思います。--Infinite0694会話2015年6月10日 (水) 16:16 (UTC)[返信]
コメント 1~3,5・8については趣旨はこの節の中で述べるべきですが,概要節を設けずに圧縮・再構築が必要という意味で※を打ちました。そういう点では一度,現行の文に立ち返って組み直した方がいいのかもと思っています。ここの節は1~8の考え方と9~16あたりの例示の2つの肝で構成されているものなので,削るのはいかがなものでしょうか。9~16の方の書き方としてはInfinite0694さんが提案された箇条書き形式もありかなと思います。--かげろん会話2015年6月17日 (水) 11:25 (UTC)[返信]
あぁ、なるほど。箇条書き形式は色々と書き難いんじゃないかと思っていましたが、説明と例示という二部構成だと考えるなら合点の行く表記方法ですね。
例えばWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんのような、或いは説明部分が長いですがWikipedia:善意にとる#善意とはのような感じで、それぞれに関して
  • 譲歩案や妥協案をつっぱねる――確かにその案は受け入れ難い内容なのかも知れません。ですが単につっぱねるだけでは誰からの理解も得られません。どのような条件であれば受け入れられるのか、どのように修正すれば受け入れられるのかを説明し理解を求めることは、論争の解決を促します。
のような記述を並べていくのは良い案だと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年6月17日 (水) 12:41 (UTC)[返信]
  • コメント 柒月例祭さんが提案された本案件ですが、しばらく議論が滞っております。一週間を目途に議論が再開しないのであれば、このまま放置というわけにもいかないのでコメント依頼を提出もしくは、一旦、クローズした方が良いかと思います。--Infinite0694会話2015年9月19日 (土) 14:05 (UTC)[返信]
  • どうもすみません。○×をしてもらったら、思った以上にバラけてどうしたもんだろうと思っているうちに、私自身も含め何人かの方が全く別のところで重たい案件に巻き込まれ、それが一段落してからと思っているうちに、また全然無関係の別案件がらみでしばらくブレイクしてしまいました。ごめんなさい。
私自身は、ここからどうしたらいいかなあ、というのがうまく思い浮かびません。もしも他の方が引き続きうまくまとめてくれるのであれば、それはとてもありがたいことです。しかしそういう方が現れないのであれば、いったんクローズもやむなしと思います。--柒月例祭会話2015年9月22日 (火) 15:28 (UTC)[返信]

具体例の追加の提案

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ソックパペットと疑われた場合の対処方法の良い例と悪い例を追加することを提案します。意見がなければ追加したいと思います。--Pppppppoi会話2015年6月7日 (日) 14:16 (UTC)[返信]

まず意見がなければ追加したいというのは、おかしな理屈ですので反対します。また、どんな具体例を追加することを提案しているか示しておらず、そうしたことからも提案には反対です。--Tiyoringo会話2015年6月7日 (日) 14:20 (UTC)[返信]
『意見がなければ追加しない』に意見を修正します。反論があればどうぞ--Pppppppoi会話2015年6月8日 (月) 23:01 (UTC)[返信]
どうしてソックパペットと疑われた場合の対処方法を明示する必要がないのですか?腕ずくで解決を試みようとする利用者に対して、良い解決方法を提示するわけですから、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの意図から大きく逸脱はしていないと思います。--Pppppppoi会話2015年6月7日 (日) 14:38 (UTC)[返信]

ソックパペットと疑われた場合の対処方法

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Pppppppoiさんが提案した「ソックパペットと疑われた場合の対処方法の良い例と悪い例」の追加を提案します。Pppppppoiさんは現在ブロックを受けていますが、この提案自体は有用だと思います。例えば、チェックユーザーの手違いによって巻き込まれてしまう場合も、ないとは言い切れません(実際、巻き込まれたと主張されちる方もおり、現在ブロック解除申請を行っている方もいます)。良い例・悪い例としては

  • 良い例:自分の会話ページで丁寧に主張する。
  • 悪い例:さらにソックパペットを作り、荒らし活動を行う。

といったところでしょうか。書いておいて損はないように思います、いかがでしょうか。--ミランブラジル会話2016年5月14日 (土) 17:39 (UTC)[返信]

コメント 確かにそうですね。強く勧めるものでもないので、提案は引っ込めます。--ミランブラジル会話2016年5月15日 (日) 04:51 (UTC)[返信]