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Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Alex K

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コメント 利用者‐会話:HideokunにHideokunさんへの返信を移させて頂きました。
少しだけ今後コメントされる皆様向けにも申し上げたいと思います。
「国」かどうかで見解の差が有名な日本近隣の国として台湾がありますが、そして台湾人の中には日本語に堪能な人物もウクライナに比べて遥かに多いと思われますが、台湾を巡って日本語版ウィキペディアで同様の事態(「台湾語も解らない無知な状態で台湾について書かないで下さい」「北京語表記は台湾語表記とは違います」「正しい歴史知識を持って下さい」「台湾語の出典を用意して下さい」などと言って改名強行したり議論を無視したり)が生じているでしょうか。
仮に同様の事態が台湾語ネイティブによって生じた場合、「台湾語ネイティブは貴重だから」という理由で、同様の行動が許されるのでしょうか(あるいは「問題はあるが今回はブロックは見送り」という結論に至るのでしょうか)。
何年間にわたって問題行動が続けられてきたか、そしてこれは「他の地域でこのような事が起きたら」許される行為なのか、よくご検討頂きたく存じます。これで「貴重な書き手だから許される」のでしたら悪しき前例になるでしょう。--Kinno Angel会話2013年2月6日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
ちょっと個人攻撃がありましたので、「黙っているのが美徳」とは私は考えない性質ですので、一応短く指摘しておきます(見事に日本の美徳に反して居ますね…)。
  • 依頼者の理由にウソに近い誇張が多すぎる
  • 自らの宗教的立場からは受け入れがたい内容を、編集者ごと除去されようとの強いご決心が、この依頼の目的
  • かかるご依頼は報復的依頼として断固排除されるべき
Wikipedia:善意にとるに反するこうした中傷に対して抗議しましたら、反論するなといった趣旨のことを言われましたが、「自らの視点のみを絶対視している」のはどちらなのでしょう。利用者:HASIDATEさんはブロック依頼の場はそれについて粛々と審議する場だ、という第三者の指摘のうち、一部だけを読んでおいでではありませんか?
さて
本文でも申しましたし繰り返しになりますが、「依頼者の言動に問題があるから被依頼者の言動に問題無し」は論理としておかしいのです。
私は別に「自分を絶対視している」のではなく、「自己弁護」をしている以上でも以下でもありません。後は批判者と私の自己弁護を見比べて、第三者の皆様が判断すれば宜しい事と考えております(自分の視点を絶対視していないからこそ、「判断・評価」は第三者に委ねます)。これはコメント依頼の被依頼者となった際の姿勢でも一貫していることです。
仮に「依頼者(私)の言動に問題がある」とお考えであれば、私(依頼者)についても同等の問題行動を集め、ブロック依頼ないしコメント依頼をなされば宜しいかと存じますし、それを止める権限権利は私にはもちろんありませんので、どうぞご自由になされば大変結構かと思います(嫌味や挑発ではなく、実際そうなさった方が手続き的にも「場を弁える」的にも正しいでしょう)。その場合、私(被依頼者)の自己弁護と依頼者の批判を見て、第三者がどう判断されるかが明らかになり、プロセスも明瞭です。
くどいかもしれませんが、ここはAlex K氏がブロック依頼に値するかどうかを審議する場でありまして、依頼者(私)に問題があるかどうかを審議する場ではありません。利用者:HASIDATEさんこそ、本依頼の趣旨から外れておいでですので、どうぞ場を御移し下さいませ。--Kinno Angel会話2013年2月19日 (火) 15:26 (UTC)[返信]
大変失礼な言い方になり恐縮いたします。
まず、今回反論されるならば、『あらし同然の大量削除[1]とのことですが、なんら出展のない部分のばっさり削除を、依頼者様は出典を一切示さず復帰させていらっしゃいます(あらし同然の公知の事実の削除なら、なぜありふれているはずの出典をお加えになられなかったのでしょうか?)。』について、
出典なしで復帰したことが正当と評価できるかをお書きになられるべきでございましょう。
つぎに、同様の事柄は問題とされているボフダン・フメリヌィーツィクィイについてもご指摘できると思われます。
 **(AlexK)英語版を調べればすぐに分るような事実に反する編集(「正教会に残った」→「東方典礼カトリックに残った」)をする
 **英語版に反する記述を修正したら要出典タグを貼り付ける
 **(AlexK)要出典タグの復帰理由として、(本依頼者)Kinno Angelによる差し戻しを挙げる(AlexK氏の記述へのWP:RSを理由とした要出典タグの再添付)。報復?
などとご指摘されています。しかし、英語版は出典ではありえません。また、Kinno Angelによる差し戻しは理由としてあがっていないようにも見えます。
また「比叡山は中世日本の文化・思想・教育の中心。中世ウクライナの文化・教育の中心はキエフ洞窟大修道院です。なぜそうのうように反対する必要があるかわかりません」というのは独自研究かといえば、文献の提示がないからという理由ならば独自研究ですが、大乗戒壇たる延暦寺で、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍、は比叡山で当然修行したから僧なので被依頼者様の疑問も理解はできます。しかし、依頼者様は独自研究としてこれを排除しながら、自らは「英語版を見ればわかる」との理論から、「独自研究」による編集を繰り返しているようにも見えます。このあたりは依頼者さまの独善性が対立の原因の一つでございましょう。
ところで、このノートにおいてもKinno Angelさまはご自身の感想だけをつづられておられ、批判は、中傷である、個人攻撃である、として、意見を述べた者に対して論難をあびせかけられ、本来、反論されるべきところは放置されて、おおよそ議論をなさるお気もないかのようにすら見受けられます。そして、被依頼者様と長年編集合戦を繰り返してこられた依頼主様のご依頼の理由には、すべてではいにしても、誇張されたウソにちかい理由があると感じましたところでございます。
以上のような理由から、禁止されている報復ブロックではないか?というのが、わたくしの見解でございます。また方針の無理解も、ご自身への反対意見への反論など注意を受けても、自制されないなどあきらかであり、ブロック依頼においてさえもルールを無視される方からのご依頼を受け付けることは、悪い先例となりかねず、わたくしはこのご依頼に反対いたします。--HASIDATE会話2013年2月19日 (火) 18:36 (UTC)[返信]
おおよそ議論をなさるお気もないかのようにすら見受けられます。
繰り返しますがここは私の行いについて議論する場では無いからです。加えて、これだけ難しい宗教・民族・国家が絡む問題に、多くの方が賛成票を投じているわけですが、安易に賛成票を投じられていると思われますか?貴方の言い分は他の利用者の賛成票を「軽率」と言うに等しいですし、これまでの議論の経過を無視していると言わざるを得ません。
ただ指摘されている問題についてのみ簡潔に申し上げます。ノートできちんと議論し、各種コメント依頼で先行する議論があり、このような行為を問題視してきたのは私一人ではないことを一切御考慮されないのはなぜなのでしょうか?
  • ノート:ウクライナ#大量除去への抗議では被依頼者から一切返答がありません一度返答がありましたが、その後こちらから「分割提案をすれば良い、問題ある記述については適宜修正すれば良いのであって一斉差し戻しの正当化は出来ない」と申しましたが、その後返答がありません(対話不能性)。(大変申し訳ありません、「一切返答無し」とは言い過ぎでした、深くお詫び申し上げ訂正させて頂きます:訂正日時付署名:--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 09:49 (UTC)[返信]
  • ノート:ボフダン・フメリニツキー#フメリヌィーツィクィイが正教徒かどうかについてでは既に日本語で信頼できる出典が挙げられているにも関わらず、それを認めないのがAlex K氏です。
  • 英語版を理由の一つに挙げたことはありましたが、英語版のみが争点では無い上に、どういう文脈で出したかと言えば「日本語版にはウクライナ史の専門家は居ない」とAlex K氏が(ある意味大変日本語版に対し失礼な事を仰ったので)、「英語版はこうなっていますが、英語版にもウクライナ史の専門家は居ないと仰るのですか?」(英語版はウクライナ史について日本語版以上に編集合戦・論戦が頻発する版です)という問い掛けの中で出て来たものです。
あまりに安直な個人攻撃と言わざるを得ません。
このような「宗教を理由とした対立だろう」という先入観から安易に介入し、周囲から逆に問題視された方は一人既にいらっしゃいましたが、大変申し訳ありませんが「またか」という思いです。論難なさるなら、相手が本当に「対話に応じて居ないのか」「一方的編集をしているのか」きちんと議論の経過を精査した上でにして下さい。お互い時間の無駄です。
なお、ノート:キリスト教等を御覧頂ければ分りますが、jawpにおいて私ほどキリスト教の各教派のバランスに腐心してきた執筆者はほぼ居ないという自負があります(必ず超教派の記事では正教、カトリック、聖公会、プロテスタントの資料を揃え、バランスある記述に腐心して参りました、なお必ずしも正教をトップにするわけではないのは、聖母マリア地獄 (キリスト教)を御覧下さい)。
ノート:ミサノート:聖ピオ十世会ではカトリック系執筆者達と協力して記事の向上に取り組んでおります。プロジェクト:キリスト教では多くのカトリック、プロテスタントの執筆者とともに、全キリスト教関連記事の向上に中立的観点を満たす方向性を堅持しつつ取り組んでおります。
これまでのこのような努力を一切否定しかねない貴方の言説に、少なからず不愉快を禁じ得ない事を申し上げます。--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 03:14 (UTC)[返信]
それと今一つ。[2]を挙げておられますが、そのみっちさんは賛成票を投じておられるのです。そういう事情については考慮されましたか?--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 03:32 (UTC)[返信]
本当は私の行為を問題にする場ではないと思うんですけれどね…ここまで論難されると…
大量除去については、私は一貫して否定的な態度をとっています(出典無き記述であってもです)。別にAlex K氏に対してのみこのような態度をとっているのではありません。私と利用者:Wikiemonさんが、利用者‐会話:Lorettibarrendにおいて、大量除去ではなく、記事の修正改善に動かれるようお願いしているケース、ノート:イコンノート:正教会において、十分な告知の上で抜本的修正をしているのを御覧下さい。なおLorettibarrendさんとは現在、大変良好な協力関係を築いて居ます。余計な対立が起きないよう、注意深く編集活動に当たって参りました。
ノート:ウクライナで被依頼者が対話に応じて居ないのは明らかでしょう。一体なぜここまで私が「報復依頼」だの何だのと論難されなければならないのか見当もつきません。--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 04:02 (UTC)[返信]
まとめますが、
  • 「不当な依頼内容」かどうかにつき「動機を詮索する」のはWikipedia:善意にとる違反以外の何物でもありません。強く抗議いたします。
  • 何よりも、Alex K氏の言動が問題あるかどうかに、依頼者の動機は本質的に関係ありません。「依頼者に問題あるから被依頼者に問題無し」は通りません。
  • 依頼内容の一部に「ウソに近い誇張があるから」問題無し、というのであれば、他の改名強行や連続投稿(ブロックに至りました)等、依頼者以外の人からも指摘されてきた問題行動は、問題ではないのでしょうか。これまでの各種コメント依頼の場で、多くの方がAlex K氏に苦言を呈してきている現状を考慮下さい。
  • 本質的に当ページは私(依頼者)の言動を論じる場ではなく、Alex K氏の言動を論じる場です。ここで議論をしても、何の決着にもなりません。従いまして、ここで私に対し論難がなされても、今後、お応えしない事も有り得ます。理由は以下の通りです。
  • これは「対話拒否」ではありません。もしこれ以上「依頼者の方にこそ問題有り」と仰るのであれば、どうぞ私に対するコメント依頼、ブロック依頼を出して下さい。そこで決着を付けた方が良いでしょう。なぜなら、目的も手段もよりクリアな上に、第三者がコメントし易くなり、かつ終結の見通しが第三者によっても立て易くなるからです。ここでは「お前の動機はこうなんだろう」「いや違う」の堂々巡りにしかなりません。そのような堂々巡りにリソースを費やすほど、時間にも余裕はありません。またここで私の動機を明らかにしようとしても、判定する第三者も居なければシステムないしプロセスもありません。延々堂々巡りになるのが目に見えております。
以上、繰り返しになりますが、これ以上何かありましたら、私に対するコメント依頼ないしブロック依頼を御出し下さい。どうぞ何とぞ、宜しくお願いします。--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 10:00 (UTC)[返信]
コメント Kinno Angelさん、HASIDATEさん、こんばんは。Ashtrayです。今夜はあまり調子が良くなく、乱文にて失礼します。
御二方とも、まだまだ言い足りないかと思います。が、とりあえずは最低限、言うべきことは言っていると思いますので、ここいらで止めにしませんか。しばし、第三者からのコメントを待つことにしましょう。
私とHASIDATEさんとでは意見を異にし、票が割れてしまったわけですが、まぁ、それはそれで尊重いたします。ただ、事実誤認があれば、御指摘はさせていただきます。その上で、あとは管理者さんの判断に委ねることにいたしましょう。
(以下、ひとり言)今回はいろいろ悩みました。普段から「記事貢献とブロックは別物」と公言して参りましたが、いざその時になってみると、なかなか…。気軽に「依頼者に同意。--~~~~」と書ければよかったんですがねぇ。改めて過去議論を読み返し、履歴を確認し、考えた末の答えが、表でのあの票です。--Ashtray (talk) 2013年2月20日 (水) 13:16 (UTC)[返信]
コメント Ashtrayさん、御仲裁に感謝申し上げます。取り敢えず私からは(今のところはこれ以上)申し上げる事はありません。HASIDATEさんに置かれましてはこれ以上私につき問題をお感じであれば、(くどいようで大変恐縮ですが)コメント依頼でもブロック依頼でもなされば宜しいかと存じます。難しい問題に対し賛否を投じて頂いた上に御仲裁までして頂き、誠に申し訳ありません…--Kinno Angel会話2013年2月20日 (水) 14:03 (UTC)[返信]
コメント こんにちは。いぇ、仲裁ができるほど今は元気がないのですが、やはり私も黙ってはいられない性分でして。記事書きをそっちのけで、またコメントを。
Kinno Angelさんが、「正教」分野を専門としているのは周知の事実でしょう。一方で、長年Wikipediaの「中立」に腐心なされ、他宗派のことも勉強なさり、ノートでの話し合いを積極的に持たれ、両論併記を心がけていらっしゃることも、よくよく存じております。ゆえに、「自らの宗教的立場からは受け入れがたい内容を、編集者ごと除去されようとの強いご決心」 との批判は、まったくの誤解といえましょう。気にやむことはありません。--Ashtray (talk) 2013年2月22日 (金) 03:30 (UTC)[返信]