ノート:ミサ
この記事は2011年12月8日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
由来について
[編集]「ミサ」という名称は式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est」(ミサを終わります。行きましょう。)というフレーズの中の語に由来している。
という記述に関してですが、ミサという名称は語源的にmissaではあれ、元となっているmissaはmissio(派遣する)という動詞から派生している名詞形です。つまり従来の典礼訳語であった 行け、退散なり が正しい意味です。この記述を数度にわたって書き直していますが、いつも元に戻されています。おそらくこの記述をされたのは改宗者であると思いますが、伝統に対するただしい認識を求めたいと思います。--こすとか 2009年5月31日 (日) 09:12 (UTC)
当方、正教会の記事にばかり携わっております門外漢ですので、本件についての最終判断は保留させて頂きます。が、ことすかさん仰る御判断は多分正しいと思われます(すっかり忘却の彼方にありますが、小生、ラテン語を齧った事も大昔に御座います、文法関係の御説明に間違いがあるとは現時点では思えません)。「この記述を数度にわたって書き直していますが、いつも元に戻されています。」とただボヤかれるのではなく、再度出典を明示なさった上で編集されては如何でしょうか。妥当な編集であれば歓迎されるでしょう。なお、「おそらくこの記述をされたのは改宗者であると思いますが、」といった憶測の記述は、カトリック教会における少なからぬ改宗者に対して全く無益な不快感と悲しみを与えるものでありましょう。こういった蛇足は控えられた方がこすとかさん及び記事にとって有益であると考えます。どうか御自重下さいますよう。--Kliment A.K. 2009年5月31日 (日) 18:50 (UTC)
加筆報告:他教派の礼拝まで一緒くたに「ミサ」と呼ぶ誤用が後を絶たない状況に対応
[編集]冒頭部を中心に加筆しました。他教派との用語の違いについての説明が多過ぎるなどと関係者の皆様からは思われるかもしれません。しかし現状、正教会の奉神礼も、聖公会やプロテスタントの礼拝も、はたまたカトリック教会におけるレクイエム・ミサの形式に拠らない葬儀に至るまで、礼拝一般を「ミサ」と呼ぶ誤用が後を絶ちません。これは、カトリック教会関係のjawp編集者およびカトリック教会の信徒にとっても、最も大事な秘跡の用語を無頓着に使われているというのは、あまり良い状況とは思えません。門外漢が加筆してしまいましたが、どうか御理解を頂きたいと思います。特にマスメディアにおける誤用は酷いものですね。記事を書いたり番組を作ったりする前に、一遍ググれと言いたいです。だからマスゴミとか言われるんですよ。--Kinno Angel 2011年12月19日 (月) 12:27 (UTC)
もう一つ、これはまとまった削除というか。「メディア」とだけ書いたのはちょっと私のミスです、申し訳ないです。語義的に「マスメディア」と書くべきですね。それから削除した二節ですが、他教派における表現は既に冒頭で書いているため不要と判断しました。英語圏の正教会事情については、削除するかどうか迷いましたが、そこまでマニアックに書く必要があるかどうか、ちょっと「?」が付きました。それに近年では英語圏でもDivine Liturgyと書く事が一般的であって、教会公式サイトなどで「missa」などと書かれているのは(少なくとも私個人は)見た事がありません。節「キリスト教以外の用例」については、確実に事典的説明には不要でしょう。これを載せるのならむしろ私としてはデーモン閣下の黒ミサを挙げたいところですが余談。一万歩譲って関連項目扱いですかね(しかしそれをあっさり認めてしまうと関連項目の肥大化なんてことにもなりかねないので、何らかの合意があってからでないと載せるべきではないと思う次第です)。--Kinno Angel 2011年12月19日 (月) 12:43 (UTC)
- 本文を一部編集しました。「ラテン語」の節の中の編集と「御ミサ(ごみさ)」と呼ばれることもある。の部分を「日本語名」の節に移動し、また、「ミサの式次第」の節も一部修正して、特に以前私の会話ページでKinno Angelさんのご指摘を受けて説明した「会衆」→「信徒」の置き換えについて、用語の意味合いとして不十分でしたので改めて修正しました。もうひとつ、「全実体変化」の節の末尾にあった「そこで、現代のカトリック教会は、新しいミサにおいて、もはや…(中略)…聖体におけるキリストの現存を捉えていないと言えるだろう。」の部分は、第二バチカン公会議を否定する聖ピオ十世会かその支持者の(あからさまな)主張・演説と考えられるため削除しました。(そもそもこの節の記述自体が、また「ミサの本質」や「ミサの目的」の節も聖ピオ十世会のサイトからの引用・主張など現在のカトリック教会の教えとは必ずしも一致しない内容が多いので、いずれ現在の教義の根拠を示して大幅改稿を考えています。)
- また、冒頭文や「名称」の節などのKinno Angelさんの編集について、いくつかのコメント(失礼ですが異議も)を述べさせていただきます。
- まず、冒頭文の「カトリック教会において聖体の秘跡が行われる典礼。」についてですが、間違いではないんですけど厳密に言うと、信者が「聖体の秘跡」(聖体拝領)を受ける典礼(祭儀)はミサだけとは限らず、たとえば司祭が不在の場合に(事前にミサの中で司祭が聖別=聖変化した)聖体を助祭や聖体奉仕者が信者に拝領させる祭儀などもありえます。ですから、「カトリック教会において、パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)。」と加筆するほうが、よりわかりやすく正確になるのではないかと考えます。また、「すなわち「ミサ」とは、本項で詳述する…(中略)…これは用語の違いに鈍感な誤りである。」の部分は、「名称」の節の「外国語においては…(中略)…ふつう「聖餐式」と呼ぶ。」の次に移動させる方がいいのではないかと思います。
- 次に、その「名称」についてですが、「ミサは日本のカトリック教会において、「感謝の祭儀」「主の晩餐」「聖餐式」「ミサ聖祭」とも呼ばれる。」という記述は、たしかに「日本カトリック司教協議会/監修(2003年)『カトリック教会の教え』197頁」にそのように書かれているんですけど、これは私自身その本を読んだ時に「言葉の意味としてはわかるけど実際そんなふうには呼ばれないだろw」と、とても違和感を覚えた記述です。「感謝の祭儀」と「ミサ聖祭」はミサ式文の中にも出てくるのでまだいいとしても、「主の晩餐」「聖餐式」はカトリック教会では一般的には呼ばれない(使われない)呼び方です。たとえばカトリック教会の中で現実の会話・表記において「○○日の○○教会のミサは○時からです。」と言う時に、「ミサ聖祭」「ごミサ」はありえますが「○○教会の感謝の祭儀は…」と言ったり書いたりすることはまずありませんし、「主の晩餐」や「聖餐式」と言い換えたら意味が通じないおそれさえあります。この箇所=第二部は岡田武夫・カトリック東京大司教が執筆されたそうで、エキュメニズムの観点から他の教派や他宗教の読者に配意してこのような記述をしておられるのかな?とも思いますが。そのためこの部分の変更案として、
「ミサはカトリック教会において「感謝の祭儀」とも言いあらわされる。これは「イエス・キリストの死と復活を記念し、その復活の恵みに与る、喜びに満ちた感謝の祭儀」であることを示しており、ミサ式文の最後の部分では「感謝の祭儀(またはミサ聖祭)を終わります。」という言葉が司式司祭によって唱えられる。このほかにミサを意味する言葉としては「主の晩餐」「聖餐式」がある。「主の晩餐」は、ミサが最後の晩餐に起源をもつこと、「聖餐式」は聖なる会食であることを示している。また、日本のカトリック教会では「ミサ聖祭」や「御ミサ(ごみさ)」と呼ばれることもある。」
と書くほうが適切ではないかと考えます。また、同じ理由で、冒頭文の「感謝の祭儀とも呼ばれる 」の部分は、削除するか「感謝の祭儀とも言いあらわされる 」と変更するほうがいいのではないか、と提案します。 --Lorettibarrend 2012年1月13日 (金) 13:40 (UTC)- すみません、ただ今、超多忙につき、簡単にしか返事しないこと、お許し下さい。
- 全部にお返事することは出来ないのですが、取り敢えず、現時点での編集内容には全く異存ありません。また御指摘の内容についても、心底「そうだったんですか、勉強になりますm(_ _)m、御教示ありがとうございます」としか思いません。色々御配慮をありがとうございます。私は西方教会については完全に門外漢であり、お助け頂けると助かるのです。今後異議のあることも有り得るかとは存じますが、現時点では感謝しかありません。ありがとうございます。--Kinno Angel 2012年1月15日 (日) 11:48 (UTC)
- さて、細かく、具体的提案について、賛同する部分と、異議のある部分を申し上げます。
- (賛同する部分)
- 「カトリック教会において、パンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)。」←異議ありません。蛇足ですが正教会においても同様の論点があり、領聖は病者に対して病室などでも行われることがあります。助祭や執事による分餐といった、カトリック教会や聖公会にある伝統は、正教会の輔祭にはありませんが。
- 「ミサはカトリック教会において「感謝の祭儀」とも言いあらわされ(中略)では「ミサ聖祭」や「御ミサ(ごみさ)」と呼ばれることもある。」←異議ありません。お疲れ様です。
- (異議のある部分)
- >「すなわち「ミサ」とは、本項で詳述する…(中略)…これは用語の違いに鈍感な誤りである。」の部分は、「名称」の節の「外国語においては…(中略)…ふつう「聖餐式」と呼ぶ。」の次に移動させる
- ローマカトリック以外の他教派に多く関わる部分に身を置いておりますと、日本人が礼拝全般を「ミサ」と呼んでしまう誤用にはほとほとウンザリする現状があります(これはローマカトリック関係者には実感が湧きにくいかもしれませんが)。たとえば佐川急便の宅配サービスについて「宅配便」と言うべきところを、「クール宅急便」(宅急便の中のさらに一種別)と、佐川急便の営業所で堂々と言ったり、あるいはTVで呼んだり、書籍で書いたりするような現状が横行している訳でして、こういう現実がある以上、「ミサというのはカトリック教会の、カトリック教会による、カトリック教会のための表記である」ことは、定義文において強調する必要があると考えております。J.S.バッハのロ短調ミサ曲のようなカトリック限定のものと言えるかどうか微妙な例外的表記はあるにはありますが、これは例外でしかありません。--Kinno Angel 2012年1月16日 (月) 00:43 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。こちらの書き込みが遅くなってすみません。「ご教示」だなんてとんでもない、私の方は西方どころかカトリック教会のことしかわからないので、こちらこそたくさん教えていただいているんですが…ご指摘の異議については納得いたしました。まったく仰るとおりだと思います。冒頭文があまり長くならない方がいいかな、ぐらいにしか考えてなかったのですが、反省しております。ただ、その後の「名称」の節までよく読むと、一部重複するような記述も見られるので、次のような修正案を考えました。(脚注は、ここでは省略しました)
- (冒頭文)
- ミサ(ラテン語: Missa、英: Mass)は、カトリック教会においてパンとぶどう酒を聖別して聖体の秘跡が行われる典礼(祭儀)。司教または司祭が司式し、信者全体が捧げるものと位置づけられおり、カトリック教会で最も重要な典礼儀式である。
- カトリック教会における他の典礼や、キリスト教の他教派における礼拝(公祈祷)一般をまとめて「ミサ」と呼ぶ事例がマスメディアや書籍などでさえも多く見られるが、これは用語の違いに鈍感な誤りであり、「ミサ」とは、本項で詳述するカトリック教会における聖体の秘跡にかかる典礼だけを指す語彙である。カトリック教会のミサは、正教会では聖体礼儀に、聖公会では聖餐式に相当する。特に正教会およびプロテスタントでは、「ミサ」という表記は全く使われない。
- ミサの様式は世界共通で、大多数の地域のカトリック教会で…(以下、現在の版と同じ)
- (名称・教派用語)
- 「ミサ」とはラテン語(Missa)から転写されたカトリック教会用語であるが、片仮名で(日本語で)「ミサ」と言えば、カトリック教会における主の晩餐(最後の晩餐)に由来する聖体の秘跡(聖変化)が行われる典礼(祭儀)のみを指す名称であって、カトリック教会における他の典礼をも「ミサ」と呼ぶのは誤りである。たとえばカトリック教会における時課も、典礼ではあるが、ミサではない。
- なお、外国語においては「ミサ」(ラテン語: Missa)あるいは「マス」(英: Mass)という表記は聖公会、ルーテル教会、復古カトリック教会などにおいても使われることがあるが、日本で片仮名表記で「ミサ」と書くのは日本聖公会では稀であり、日本のルーテル教会に至っては皆無である。聖公会、ルーテル教会では、主の晩餐に由来する礼拝をふつう「聖餐式」と呼ぶ。
- 教会で行われている祈祷について、キリスト教の教派や祈祷内容が不明な場合は、単に「礼拝」と呼ぶのが無難である。
- (日本語名)
- カトリック教会において、ミサは「感謝の祭儀」とも言いあらわされる。これは「イエス・キリストの死と復活を記念し、その復活の恵みに与る、喜びに満ちた感謝の祭儀」であることを示しており、ミサ式文の最後の部分では「感謝の祭儀(またはミサ聖祭)を終わります。」という言葉が司式司祭によって唱えられる。このほかにミサを意味する言葉としては「主の晩餐」「聖餐式」がある。「主の晩餐」は、ミサが最後の晩餐に起源をもつこと、「聖餐式」は聖なる会食であることを示している。また、日本のカトリック教会では「ミサ聖祭」や「御ミサ(ごみさ)」と呼ばれることもある。
- なお、かつてはミサのことを漢字で「弥撤」とも書き、いまでも書籍などで漢字表記が紹介されていることがあるが、現代の日本のカトリック教会ではこのような漢字表記が使用されることはほぼ皆無である。
- …以上の案、名称について以外にも、以前の版にあった「カトリック教会で最も重要な典礼儀式」という文言や、漢字表記についての一文(この部分の脚注として、1869年に発行された「弥撒礼拝式」 http://www.yushodo.co.jp/press/petitjean/index.html 「プティジャン版集成」(雄松堂書店)など)も加えております。まだまだ推敲の余地はあるかと思いますが、いかがでしょうか。またご意見いただければ幸いです。 --Lorettibarrend 2012年1月23日 (月) 12:51 (UTC)
- コメント 基本的に現時点で異議ありません。申し訳ありませんが加筆後に「…、すみません、後から気付いたんですが」的な修正もしくは異議を唱えさせて頂くことも有り得るのですがm(_ _;)m現時点では大筋で賛同します。編集お疲れ様です。--Kinno Angel 2012年1月25日 (水) 13:41 (UTC)
- コメントありがとうございます。上記修正案に基づき、一部再修正・脚注追加のうえ本文を編集しました。漢字表記については2012年1月28日 (土) 13:20 の版で再度補足・修正しました。なお、脚注に付け加えた「御弥撒料」や香典についての記述は「ここで書くことではないかな」とも思ったんですが、やはり誤った記述が書籍などあちこちで見られるので書きました。不備やお気づきの点などありましたら、またよろしくおねがいします。 --Lorettibarrend 2012年1月27日 (金) 12:18 (UTC) 一部補足 --Lorettibarrend 2012年1月28日 (土) 13:26 (UTC)
一部削除・移設提案
[編集]本文中の節・ミサの本質、ミサの目的、さらに全実体変化の節について、一部削除と移設転記を提案したいと思います。
- まず、ミサの本質の節について。ここではまずトリエント公会議の宣言内容について、聖ピオ十世会のサイトから引用されています。そこまではいいとしても、それに続く箇所(「そこでカトリック教会の公教要理では次のように、・・・(中略)・・・と教えている。」)の部分は、削除したいと考えます。ここで引用されている「公教要理」は、現代のカトリック教会の教え・講座等ではほとんど用いられないもので、これを使って教えることは、まずありません。これを読んだ読者が「カトリック教会ではこのように教えている」と思われては、それは誤解の元で、現実に沿っているものではないと思われるからです。ちなみに、2003年にカトリック中央協議会から発行された「カトリック教会の教え」では、『ミサは、わたしたちがイエス・キリストの死と復活を記念し、その復活の恵みにあずからせていただく喜びに満ちた感謝の祭儀だからです。』と書かれています。
- 次に、ミサの目的の節ですが、ここでも「公教要理」から引用されています。やはり現代のカトリック教会で教えられる内容とは違う「古い」もので、ここは節ごと削除したい考えます。その後に続く排斥(アナテマ)についての記述も、ここで本文に特記すべき内容なのかどうか疑問です。(これに代わる「ミサの目的」を、「カトリック教会のカテキズム」など現代の要理本から引用して書きこみたいとは思っているものの、ピッタリくるものを見つけられないでいます。)
- そして全実体変化の節について。ここでも、「トリエント公会議によれば、・・」以降の部分は聖ピオ十世会のサイトから引用されていますが、この内容は本記事ではなくて聖変化の記事に移設転記するのが相応しいものではないかと考えます。もっとも、後半部分(「ただ、現代のカトリック教会は中世のカトリック教会のように・・」以降)は、現代のカトリック教会を批判する聖ピオ十世会の主張を色濃く匂わせるものではないかと思われ(?)、ここから移設転記したとしても記事の中立性に疑問は無いのか?と個人的には思うのですが・・
以上、削除・移設を行うにあたって、賛成・反対等いろいろなご意見を伺いたいと思います。 --Lorettibarrend(会話) 2012年9月23日 (日) 11:44 (UTC)
- 全くの門外漢なので全面的賛成まで表明するのには躊躇するのですが、
- トリエント公会議の決議事項ではなく現代のカトリック教会の視点を中心にする(「カトリック教会のカテキズム」「カトリック教会の教え」を主に使う
- ピオ十世会の視点や同会からの引用に偏った現状を改善する
- の二点の方向性での改善提案とお見受けします。反対する理由は見当たらず、基本的に賛成表明をさせて頂きます。--Kinno Angel(会話) 2012年9月24日 (月) 14:45 (UTC)
- ご意見、ありがとうございました。特に反対意見はなかったようなので、一部削除&転記を実行しました。編集の方向性としては、だいたいそのとおりです。(トリエント公会議の決定事項については、その後全面的に覆されたわけでもないようなので、過剰にならない範囲で記述を尊重するべきかな、と考えました。しかし「公教要理」については、引用元を参照しても使われている言葉が古いものが多く、教えの内容や意味としても現代の「カトリック教会のカテキズム」などとは少し違うものがあるので、そのまま載せるのは好ましくないと考えました。)
- なお、転記先の聖変化の記事について、冒頭文など他の部分の編集も行いましたが、もしよろしければこちらも内容を精査していただき、不備な点等ありましたら適宜修正していただけると幸いです。これからもご指導よろしくお願い申し上げます。 --Lorettibarrend(会話) 2012年10月7日 (日) 14:05 (UTC)
ピオ10世会はローマ聖座から破門された過去があるので、カトリック教会の情報源としては不完全かと思われます。
引用元としては扱えないでしょう。
--Aj aidepikiW(会話) 2016年1月9日 (土) 20:19 (UTC)
祭日、祝日、記念日、が記事中で区別されていない。
[編集]ミサの重要度としては、祭日>主日>祝日>記念日、らしいのですが、記事では祝日と混同している表現です。
加筆と修正を出来る方はお願い致します。
証拠としてカトリックアラカルトという司祭が作ったウェブサイトを示しておきます。