ノート:イコン
この「イコン」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
日付 | 選考・審査 | 結果 | |
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1. | 2021年4月16日 | 秀逸な記事の選考 | 不通過 |
全面的改稿提案
[編集]全体的に出典付与が殆どなされていない現状は問題だと考えます。内容的にも見通しが良いものとは言えません。可能な限り元からある文章を保存しようとは考えておりますが、抜本的な全面的改稿を提案します。4日間反対が無ければまず全面的に改稿します。プロジェクト‐ノート:キリスト教にも提案報告しておきます。--Kinno Angel 2010年10月28日 (木) 00:57 (UTC)
- 大変遅くなっておりまして恐縮ですが、全面改稿に近いうち(早ければ今日、遅くとも二週間以内)に取り掛かります。よろしくお願いします。--Kinno Angel 2011年1月14日 (金) 23:11 (UTC)
全面改稿実施
[編集]第一報告
[編集]報告 特に1年以上も御異議がありませんでしたので、ただ今から全面改稿に入ります。まずこの編集から説明します。
- 現時点での記事全体に言える事なのですが、ざっと見て「大間違い」は無いと思います。しかしながら定義文からして脚注形式の出典が無いのはちょっと問題がありました。定義文を脚注形式の出典を付けてより洗練したものとするよう配慮しました。
- それから「西方教会でも用いられない訳では無いし、概念についてはカトリック教会も共有している部分が多分にある」のは事実ですが、「イコンと言えば正教会」という現象があるのもまた事実です。事実、日本のカトリック教会におけるイコンがズラリと並べられた教会の全体からの比率と、日本の正教会におけるイコンがズラリと並べられた教会の全体からの比率をみればそれは明らかでしょう。それは世界的に見ても共通する特徴でもあります。そこでこの「西方にも無い訳ではないが、イコンと言えば大体正教会のものを指す」という現実を、正確さを損なわずしかし冒頭文に相応しく最短で表現するよう苦心しました。
- で、今後の記事構成についても、「正教会のイコン=メイン」で構成していく予定ですが、西方教会についての記述も従前のものを出来るだけ残す予定でもあります。--Kinno Angel 2011年12月23日 (金) 03:24 (UTC)
- 現時点での記事の問題なのですが、言葉を濁さないに抵触するもの、あるいはする疑いのあるものが多く見受けられます。視点によってイコンは様々な捉え方がされます。ふつうプロテスタントは「偶像崇拝であるが、レトリックによって偶像扱いされていないもの」と解釈しますし、世俗の非正教徒のイコン学者の多くは「4世紀以降になって広まった平面図像表現が伝統的になったもの」と解釈しますし、正教会は「古代教会以降の伝統であって、各種の理論補強は弁明のために行われたに過ぎない」と解釈します。現状の記事はこれらの視点が混ぜこぜになって記述されており、評価に係る記述であるにも関わらず「誰による視点(Template:誰にかかる問題になる)」が不明瞭な箇所が、大変多いのです。従いまして今後、去年の予告どおり、抜本的に新たに書き直す蓋然性も排除出来ません。--Kinno Angel 2011年12月23日 (金) 04:11 (UTC)
中間報告
[編集]報告 この編集につき報告します。
- 今回の編集では加筆のみ行い、特に削除等はしておりません。しかし「2 形像拒否 3 象徴モチーフ 4 イコン敬拝の全地公会議による公認 5 聖像の神学的意義 6 聖像の様式」節については、今後、節構成も含めて抜本的に節「正教会」節「西方教会」に分別吸収させるか、もしくは必要に応じて出典が確保出来ない部分については削除していくことを予定しています。
- 「崇敬」を「敬拝」に改めました。今後部分的には「崇敬」の語彙を使う事も有り得ますが…。別に「崇敬」の語彙が間違っているというわけではありません(公式サイトはじめ日本正教会でも頻繁に使われます)。しかしながらこの「崇敬」の語彙が厳密に何を指すのか、外国語との対応関係が不明な問題が色々出て参りました。カヴァルノス著高橋訳の著作にも出て来る「敬拝」を導入することで、長屋房夫訳の『正教徒と福音派の対話』における「聖なるものへの伏拝」との用語上・概念上の整合性を確保することも狙っています。--Kinno Angel 2011年12月29日 (木) 15:43 (UTC)
- かなり加筆を進めてはおりますが、まだ工事中テンプレがある部分について、加筆の見通しが立ちませんため、一旦節スタブタグに代えます、申し訳ありません。出来るだけ早く、この二節を完成させるつもりです…--Kinno Angel 2012年1月11日 (水) 13:55 (UTC)
アイコンについての繰り返し編集
[編集]英語iconの用法について執拗に編集を繰り返すIPさんが居るのですが、この記事は「イコン」の記事であって「アイコン」の記事ではありません[1][2]。「生き仏」が近い、と繰り返し書きたいようですが、イコンが生き仏などという浅慮に基く出典無き記述は(「イコンは生きているわけではありません」「仏教にイコンなんてあるわけがありません」「ギリシャ語から転写された片仮名表記のイコンに存命人物を指す用法はありません」などと一々指摘しなければならないのでしょうか)、読者を徒に混乱させるものでしかありません。jawpでは宗教系の記事はどうしてこうよく調べもせずに書けるのか頭が痛くなるのですが、編集者には理系記事と同様の精緻さで取り組まれることを節に望む次第です。--Kinno Angel(会話) 2012年3月3日 (土) 16:55 (UTC)
生き仏という表現が妥当かどうかはともかく、各業界で尊敬を集める象徴的な人物という意味の『アイコン』はもちろんこの『イコン』から派生した用法ですので備考的にここに書くのが適当かと思いますがどうでしょうか?--Mmm222(会話) 2013年6月4日 (火) 09:52 (UTC)
- >各業界で尊敬を集める象徴的な人物という意味の『アイコン』
- でしたら記事「アイコン」に書くのが順序として先でしょう。ただし、「アイコン」の方に記述する事が認められるかと言えば、怪しいと私は思いますが。
- たとえばアイドルですが、一々「アイドル」の本来の語義、派生している意味、固有名詞等を全部記事本文に書いてありますでしょうか?「英語からの片仮名で転写された語彙の概念・語義については「アイコン」を」とある、現在のOtherusesで必要十分です。--Kinno Angel(会話) 2013年6月6日 (木) 13:18 (UTC)
- アイドルが例に出たので調べていたらちょうど良いのがありました。偶像#転用
- イコンとアイコンの関係もこの偶像と芸能産業におけるアイドルの関係と同じですので記載しないのは逆に不自然であると考えます。--Mmm222(会話) 2013年6月7日 (金) 04:07 (UTC)
- 横から失礼します。いま議論になっている『アイコン』についての記述うんぬんは、Kinno Angelさんが言われるように冒頭のOtherusesに書かれている内容で充分だと思いますが、どうしても書くなら、せいぜい冒頭文の下の方にでも『英語の icon(アイコン)と語源は同じ言葉である。』ぐらいの説明を入れる程度でよいのではないでしょうか。英語の“icon”という単語に「肖像、画像」の意味以外に「各業界で尊敬を集める象徴的な人物という意味」があるのか(“idol”=「アイドル」じゃなくて?)、私自身はよくわかりませんが、Kinno Angelさんがご指摘の編集内容にある『生き仏として崇敬の対象となる存在を指すことが多い。各業種で生きている著名な人や生きている有名な人を指し、日本語での意味は、生き仏、生き如来、生き菩薩が意味として近い。』という記述は、正教会のイコンやカトリック教会の聖画像の意味とはまったく違う不適切・不正確な説明であり、断じて認めるわけにはいかない、と考えます。
- なお、さきほど冒頭文などを含め編集をおこないましたが[3]、カトリック教会での「御絵」「御像」はあくまでも通称で、カトリック教会のカテキズムなどの文書においては「聖画像」が正しい呼び方なので(例えて言えば、「神父」と「司祭」の違いのようなものかと思います)、その旨などを加筆・編集しましたことをご報告いたします。不備があれば適宜修正してください。--Lorettibarrend(会話) 2013年6月8日 (土) 12:26 (UTC)
- Lorettibarrendさん、加筆修正をありがとうございます。
- 現状、編集内容に異議ありません。特にカトリック教会に関する加筆につき、ありがとうございました。--Kinno Angel(会話) 2013年6月10日 (月) 12:27 (UTC)
- Lorettibarrendさんがよくわからないと書いておきながらまったく違うと仰っているのはよくわかりません。象徴としての"イコン"をあえて日本語に訳すのなら生き仏という表現はそれほど間違っているとは思えません。参考までにどのような訳なら適当と考えるのか教えてください。--Mmm222(会話) 2013年6月13日 (木) 10:47 (UTC)
- 生き仏→1 高徳の僧など、生きたまま、仏としてあがめられる人。また、仏のような心を持った徳のある人。生き如来。生き菩薩(ぼさつ)。2 容姿のうるわしい女性。生き如来。生き菩薩。(大辞泉)、1生きたまま仏として崇拝される人。高徳の僧など。生き如来(によらい)。生き菩薩(ぼさつ)。2補説死者を単に「仏」というのに対して俗に、生きている人。(大辞林)
- イコン→聖画像。特にギリシャ正教で崇拝されるキリスト・マリア・聖者の像や聖伝の場面を描いたもの。板絵が多い。アイコン。(大辞泉)、(ドイツ)ギリシャ正教会やロシア正教会などの東方教会で礼拝の対象とした聖画像。多くは板絵で、キリスト・聖母・聖者・聖伝などを描いた。図像。アイコン。(大辞林)
- すなわち
- 生き仏=人、菩薩、女性。(人)
- イコン=聖像、図像、板絵。(図像)
- 結論として「イコンに生き仏という訳語は適切」ではありません。全くの別物です。--Kinno Angel(会話) 2013年6月16日 (日) 14:01 (UTC)
生き仏という意味での"アイコン"は図像の"イコン"から派生した用法だと思っていたのですが、 そもそもアイコン(イコン)に元来そのような意味が含まれていてむしろ図像としての"イコン"がそこから派生したものであるということを知りました。 そういうわけで前言を撤回します。すいませんでした。--Mmm222(会話) 2013年6月19日 (水) 02:15 (UTC)
- Mmm222さん、わざわざ撤回のお知らせを頂きありがとうございました。--Kinno Angel(会話) 2013年6月24日 (月) 08:36 (UTC)