ジャニーズJr.解散グループ (1990年以降)
ジャニーズJr.解散グループ(ジャニーズジュニアかいさんグループ)では、ジャニーズ事務所に所属するジャニーズJr.内に過去に存在したグループを取り挙げる。この記事では1990年代のグループを取り挙げる。他の年代についてはジャニーズJr.解散グループ (1990年以前)、ジャニーズJr.解散グループ (2000年以降)を参照。
なお、個人については「過去のジャニーズ所属者」、バックバンドグループは「ジャニーズ事務所 過去のバックバンド」、その他関連グループは「ジャニーズ関連企画ユニット」・「ジャニーズ関連OBユニット」の項目をそれぞれ参照。
グループ結成順
SMAP学園
[編集]1990年にテレビ朝日『アイドル共和国』の中から生まれたグループ。SMAPのバックダンサーを務めた[1]。
- メンバー
J-Eleven
[編集]雑誌『Wink up』では1994年1月号で初登場[2]。主にサッカーが好きだったり、得意なJr.が参加していたが[2]、メンバーの入れ替わりは流動的で、雑誌に登場する度に構成が違っていた。
ジャニーズSr.
[編集]1995年より、ジャニーズJr.の年長組だった坂本と長野をメインボーカルに置き、サポートメンバーとして佐野・井ノ原・喜多見・原といった、Jr.内でも長身な6人で結成された。その後、徐々に代理メンバーが混ざるようになったり、新たな二代目Sr.が誕生した。
- 初代メンバー
- 初代サポートメンバー
- 初代サポートメンバーの代理メンバー
- 二代目メンバー
- 出演番組
-
- アイドルオンステージ(1995年 - 1996年、NHK BS2)[4]
金八トリオ
[編集]実際に活動をしたのは初代と第二期のみ。それ以降はTBS系ドラマ『3年B組金八先生 』出演Jr.の総称。なお第1シリーズはたのきんトリオと呼ばれ、第2・3シリーズは人数が足りないためトリオにならなかった。
怪談トリオ
[編集]1995年にフジテレビ系ドラマ『木曜の怪談』に出演した3人[7][8]。
ヤラえもんず
[編集]1996年の KinKi Kidsのコンサートにて披露された[9]、屋良朝幸をリーダーとするユニット。堂本剛ソロ曲「ラップ版ドラえもん」でのバックとして[9]ドラえもんの格好をして踊った。
少年新撰組
[編集]1997年、舞台『KYO TO KYO』('97年夏公演)の出演者として結成。
Hi! See Me IN KYOTO
[編集]1997年、舞台『KYO TO KYO』('97年夏公演)の出演者として結成。グループ名を和訳すると「京都で僕たちに会いに来て!」という意味。上記「少年新撰組」と、既存だった関西Jr.によるユニット「B.O.Y.S」の主なメンバーが合体したユニット。 原と大野以外は全員関西Jr.だった。
TOKYO
[編集]1997年結成。「TOKYO浜松町」の兄貴分。舞台『KYO TO KYO』('97年秋公演)の出演者として結成。
TOKYO浜松町
[編集]1997年結成。舞台『KYO TO KYO』('97年秋公演)の出演者として。
- メンバー
- 出演
-
- 『KYO TO KYO』プレビューイベント・ジャニーズJr.コンサート(1998年3月30日 - 4月4日、京都シアター1200)[11]
翼翔組
[編集]1997年結成[12]。1997年8月号の『Kindai』では“翼と翔を中心としたちびっ子4人組”として二本樹顕理と矢代徳久と共に紹介されていた[13]。略称は「翼翔(つばしょう)」。ジャニー喜多川の「YOUたち、2人とも飛んでいきそうな名前だからいいじゃない」という提案からこのユニット名になった[12]。当時小柄だったメンバーで結成されたため、「Littleチーム」という別名でも呼ばれていた[12]。
MAIN
[編集]1997年結成[14]。ミュージカル『Stand By Me』の出演者で結成され[12]、ミュージカルのテーマ曲でもあった「Midnight Train」(男闘呼組のカヴァー)を劇中で揃って歌っていた[12]。1997年8月号の『Kindai』では「J-BOYS」というユニット名で紹介され、舞台への意気込みを語っていた[15]。1998年2月号の『Wink up』のグラビアでは松本と生田が「B.I.G.」[16]、相葉と二宮が「B.A.D.」として登場しているが[17]、同年9月号の同誌[18]や1998年8月号の『Mannish』[19]では再び「MAIN」として4人でグラビア登場し、夏のコンサートにも「MAIN」として出演している[20]。
- メンバー[12][21]
- 出演
-
- Stand By Me(1997年7月26日・27日、大阪ドラマシティ / 8月8日 - 21日、アートスフィア)[22]
- Johnny's Summer Concert(1998年7月29日、大阪城ホール / 8月5日、名古屋レインボーホール / 8月24日、横浜アリーナ[23])[20]
B.I.G.
[編集]1998年2月号の『Wink up』で2人組として登場[16]。1998年9月、「B.I.G. East」に新たに5人が加わり、7名で再編成[12]。雑誌『Winkup』では1998年11月号で登場している[24]。その後、同時期にB.I.G.のバックとして結成された「B.B.A.」[25]からメンバーを増員[12]。グループ名は「Bad Image Generation」の略[12]で、「わんぱく少年」の意味。
- メンバー
-
- 最終メンバー
-
- 山下智久、生田斗真
B.A.D.
[編集]1998年結成、2004年再結成。
B.B.A.
[編集]「B.I.G.」のバックとして結成[12][25]。正式名称は「Boys Be Ambitious」[12][25]。
- メンバー変遷
- 出演
B.B.B.
[編集]「B.A.D.」のバックとして結成[37] 。正式名称は「Best Beat Boys」[38]。
- メンバー変遷
MAIKO&お国
[編集]1998年4月に舞台『KYO TO KYO』('98年春公演・4月18日 - 7月12日)の出演者として結成。グループ名はそれぞれの頭文字からとられた。国分・鎌田・尾身以外のメンバーが、当時関西Jr.。なお、女寺・清水が追加招集された。清水はそれまで下記の「T.O.P-J」のメンバーだったが、レッスン中の怪我で1998年4月〜6月にかけて療養していたため、新たにこのMAIKOチームでの復帰となった。牧山は9月6日から始まった秋公演で「T.O.P-J」へ移ったが、その後すぐに事務所を退社した。
- メンバー
T.O.P-J
[編集]1998年4月、原・大野・田中の3人を主要メンバーとして、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者として結成(夏公演からサポートメンバーだった北山が加入して4人に)。なお、大野・原以外のメンバーは全員関西Jr.(当時)である。
- サポートメンバー
-
- 福原一哉、高黒徹、小川修平、武藤雅博、後藤大祐、木村廣太郎、清水大輔(レッスン中の怪我により脱退)、中嶋慶介(1998年の夏公演のみ参加)、中島省吾(日根野谷省吾、中嶋慶介のいとこ)、牧山雄亮(1998年9月6日からの秋公演のみ参加)
ヤングジャニーズ
[編集]1998年4月18日から公演中[39]の舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO 春公演』に「ヤングジャニーズ・チーム」として出演することが急遽決定したと告知され[注釈 1]、6月7日の公演で「ヤングジャニーズ with B.I.G - West」として初お披露目された[41][注釈 2]。愛称・ヤンジャニ[42]。
B.I.G. WEST
[編集]1998年6月7日の公演で「ヤングジャニーズ with B.I.G - West」としてお披露目された[41]。「B.I.G. West」と表記されることもある[45]。
- メンバー
- 出演
-
- ジャニーズファンタジー KYO TO KYO 春公演(1998年6月7日 - 、シアター1200)[41]
B.I.G. East
[編集]1998年6月、舞台『KYO TO KYO』('98年春公演)の出演者で結成された2人組ユニット[12]。同年9月には7名編成の「B.I.G.」となる[12]。
KYOTO大原村
[編集]1998年7月に、舞台『KYO TO KYO』('98年夏公演)の限定ユニットとして結成された。原・大野・国分・鎌田・尾身以外は当時関西Jr.。
- メンバー[41]
- 出演
小KinKi
[編集]1998年7月結成。KinKi Kidsのコンサートでバックダンサーをつとめた[50]。
Musical Academy
[編集]FiVe
[編集]1999年に「Ⅴ」のユニット名で結成発表された[51]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “V6井ノ原 初雑誌撮影の全力笑顔で社長が怒「ユー!ひどいよ」”. デイリースポーツオンライン. (2017年1月12日) 2017年5月20日閲覧。
- ^ a b c 「初めまして、ボクたちJ-Elevenです。」『Winkup』1994年1月号、ワニブックス、1993年、135-137頁。
- ^ a b c d 平本淳也 (2013年9月30日). “「40歳のジャニーズJr.」佐野瑞樹が存在する理由...を平本淳也が解説”. 東京BREAKING NEWS. 2017年5月20日閲覧。
- ^ “番組表検索結果”. NHKクロニクル. NHK. 2018年7月8日閲覧。
- ^ “金八トリオ 麻薬・自殺未遂 重いテーマに10代が体当たり”. nikkansports.com. (2005年). オリジナルの2005年12月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d e 「「はじめまして!僕たちが“金八Jr.”ですっ!」」『ポポロ』2008年3月号、麻布台出版社、2008年1月23日、46-49頁。
- ^ 竹上尋子 (2016年7月16日). “嵐の活躍にタッキーは不可欠だった?櫻井翔と滝沢秀明13年ぶりの共演で見えた新たな関係性”. Real Sound. 2017年5月20日閲覧。
- ^ こじへい (2017年5月16日). “タッキーの『怪奇倶楽部』が大人気だったあの頃……ドラマ『木曜の怪談』を振り返る (2/3)”. エキレビ. 2017年5月20日閲覧。
- ^ a b “放送内容”. 嵐にしやがれ. 日本テレビ (2014年12月13日). 2018年7月1日閲覧。
- ^ a b c d “ジャニーズ「翼翔組」「TOKYO浜松町」…今井翼が明かすデビュー前のJr.ユニットに「懐かしさが爆発」と話題”. モデルプレス (2017年2月16日). 2017年5月20日閲覧。
- ^ a b c d 「Jr.のお仕事 ジャニーズJr.コンサート」『Mannish』1998年6月号、双葉社、1998年、82-83頁。
- ^ 「翼&翔+二本樹&矢代ちびっ子カルテット!」『Kindai』1997年8月号、近代映画社、1997年、32-33頁。
- ^ 向原康太 (2018年5月31日). “生田斗真、TOKIOも驚愕のエリート経歴を披露 「“第2のキムタク”って書かれたんですよ」”. Real Sound. 2018年7月1日閲覧。
- ^ 「4人で舞台がんばるよ!」『Kindai』1997年8月号、近代映画社、1997年、46-47頁。
- ^ a b c 「B.I.G.の、'98年はこんな年にしたい!」『Winkup』1998年2月号、ワニブックス、1998年、80頁。
- ^ 「B.A.D.の、'98年はこんな年にしたい!」『Winkup』1998年2月号、ワニブックス、1998年、81頁。
- ^ 「夏の日に。」『Winkup』1998年9月号、ワニブックス、1998年、23-28頁。
- ^ 「"M.A.I.N"in love.」『Mannish』1998年8月号、双葉社、1998年、32-35頁。
- ^ a b 「Johnny's Junior Gazzette EAST Vol.35 オールジュニア完全燃焼の夏!」『Winkup』1998年10月号、ワニブックス、1998年、142-143頁。
- ^ “生田斗真は“旧”嵐? ジュニア時代の幻ユニットの存在を告白”. モデルプレス (2015年11月5日). 2015年11月7日閲覧。
- ^ 『ジャニーズJr.名鑑 1997 SUMMER』 2巻、J-STATION、1997年、118-119頁。
- ^ 「Johnny's Junior Gazzette Vol.33 ジュニアの夏コンスケジュールだ!」『Winkup』1998年7月号、ワニブックス、1998年、145頁。
- ^ a b c 「The Latest News!」『Winkup』1998年11月号、ワニブックス、1998年、78-79頁。
- ^ a b c d 「Futuristic」『Winkup』1998年11月号、ワニブックス、1998年、80頁。
- ^ MINA MURASHIMA「B.I.G. Winter Wonderland」『Wink up』1999年1月号、ワニブックス、73-75頁。
- ^ a b 「Johnny's Jr. Fresh Spring Concert'99」『Mannish』1999年9月号、双葉社、1999年、39-40頁。
- ^ 「B.B.A.の、'98年はこんな年にした〜い!」『Kindai』1998年2月号、ワニブックス、1999年、82頁。
- ^ 「4人の性格はバラバラすぎ!?」『Kindai』1999年9月号、近代映画社、1999年、52-53頁。
- ^ 「B.B.A. 千葉・動物王国ムチャ修行」『Myojo』2000年2月号、集英社、1999年、171頁。
- ^ 『ジャニーズジュニア名鑑 2000 SUMMER』 8巻、J-STATION、2000年、29-33頁。
- ^ a b 『ジャニーズジュニア名鑑 2001 SPRING』 9巻、J-STATION、2001年、54-59頁。
- ^ 「Johnny's Jr. Report『愛ラブB.I.G.』制作発表」『POTATO』1998年12月号、学研、1998年12月1日、108頁。
- ^ 「J.J.N.」『Kindai』1999年9月号、近代映画社、1999年、58-59頁。
- ^ 「JOHNNY'S Jr. B.B.A.」『Kindai』1999年9月号、近代映画社、1999年、ピンナップ。
- ^ 「ジャニーズJr.コンサート 春コンの感動を大阪で再現!」『Kindai』1999年9月号、近代映画社、1999年、57頁。
- ^ a b 「B.B.B.の、'98年はこんな年にした〜い!」『Kindai』1998年2月号、ワニブックス、1999年、83頁。
- ^ a b 『ジャニーズジュニア名鑑 2000 SUMMER』 8巻、J-STATION、2000年、34-37頁。
- ^ “Biography(関ジャニ∞)1998”. Johnny's net. ジャニーズ事務所. 2018年12月6日閲覧。
- ^ a b 「New Kids on Stage」『Winkup』1998年7月号、ワニブックス、1998年、80-81頁。
- ^ a b c d e f g h i 「J.J.J. ジャニーズ ジュニア ジャーナル」『Kindai』1998年8月号、近代映画社、1998年、108頁。
- ^ a b c 「特別ゲストに滝沢秀明×生田斗真×山下智久を迎えて“ヤンジャニ”KYO to KYOデビュー!」『Winkup』1998年8月号、ワニブックス、1998年、53頁。
- ^ 「成長率200%!ヤングジャニーズ in Kyo to Kyo」『Winkup』1998年8月号、ワニブックス、1998年、54-55頁。
- ^ 「Johnny's Junior Gazzette WEST Vol.1 ヤンジャニの魅力全開!『KYO TO KYO』レポート」『Winkup』1998年9月号、ワニブックス、1998年、166-167頁。
- ^ a b 「10000字ロングインタビュー「裸の時代〜僕がJr.だったころ〜」」『Myojo』2012年5月号、集英社、2012年3月23日、159-163頁。
- ^ a b c “関ジャニ∞のレアなデビュー前映像が公開!テレ東「Ya-Ya-yah」も(1/2)”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2019年3月19日). 2019年3月21日閲覧。
- ^ 「Pick up Graffiti Vol.3 錦戸亮 関西Johnny's Jr.」『Winkup』1998年11月号、ワニブックス、1998年、73頁。
- ^ a b c 「クリスマス。B.I.G. WEST」『Wink up』1999年1月号、ワニブックス、76頁。
- ^ 「Johnny's Junior Gazzette EAST Vol.2 『Kyo to Kyo』夏公演は“KYOTO大原村”のメンバーが大活躍!」『Winkup』1998年10月号、ワニブックス、1998年、144頁。
- ^ a b 『ジャニーズJr.名鑑 1998 WINTER』 5巻、J-STATION、1998年、78-79頁。
- ^ 「気になる4人の性格は…?」『Kindai』1999年9月号、近代映画社、1999年、54-55頁。