1992年のJリーグカップ
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Jリーグヤマザキナビスコカップ | |
開催国 | 日本 |
---|---|
開催期間 | 1992年9月5日 - 11月23日 |
参加チーム数 | 10 |
優勝 | ヴェルディ川崎 |
準優勝 | 清水エスパルス |
アジア選手権出場 | ヴェルディ川崎 |
試合総数 | 48 |
ゴール数 | 151 (1試合平均 3.15点) |
観客動員数 | 533,345 (1試合平均 11,111人) |
得点王 | 三浦知良(川崎・10得点) |
最優秀選手 | 三浦知良(川崎) |
1993 → |
1992年のJリーグカップは9月5日に開幕、11月23日に国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で決勝戦が行われた大会。1993年のリーグ戦開幕を翌年に控えたプレ大会として開催された、Jリーグ初の公式大会である。
大会名称
[編集]ヤマザキナビスコを冠スポンサーとしてJリーグヤマザキナビスコカップとして開催された。
レギュレーション
[編集]1992年のJリーグカップのレギュレーションは以下の通りである。
- 参加クラブは翌年から始まるJリーグに参加する事が決定していた以下の10クラブ。なお、以下のチーム名表記については Jリーグデータサイト における公式記録の表記に基づくものとし、括弧内に当時メディアなどで取り上げられていたチーム名を付記する。
- 前年度成績は1991年-1992年のJSLの成績(清水エスパルスは除く)を記載した。
チーム名 | 監督 | 所在 都道府県 |
日本リーグ時代の母体 | (参考) 前年度成績 |
---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | 宮本征勝 | 茨城県 | 住友金属工業蹴球団 | 2部2位 |
浦和レッドダイヤモンズ (三菱浦和フットボールクラブ) |
森孝慈 | 埼玉県 | 三菱重工業サッカー部 →三菱自動車工業サッカー部 |
1部11位 |
ジェフユナイテッド市原 (東日本JR古河サッカークラブ) |
永井良和 | 千葉県 | 古河電気工業サッカー部 →東日本JR古河サッカークラブ |
1部7位 |
ヴェルディ川崎 (読売日本サッカークラブ、読売ヴェルディ) |
ペペ | 神奈川県[1] | 読売サッカークラブ | 1部1位 |
横浜マリノス (日産F.C.横浜マリノス) |
清水秀彦 | 日産自動車サッカー部 | 1部2位 | |
横浜フリューゲルス (全日空佐藤工業サッカークラブ、ASフリューゲルス) |
加茂周 | 全日空横浜サッカークラブ | 1部8位 | |
清水エスパルス (清水FCエスパルス) |
レオン | 静岡県 | 清水FC | 静岡1部 (順位不明) |
名古屋グランパスエイト | 平木隆三 | 愛知県 | トヨタ自動車サッカー部 | 1部12位 |
ガンバ大阪 (パナソニック・ガンバ大阪) |
釜本邦茂 | 大阪府 | 松下電器産業サッカー部 | 1部5位 |
サンフレッチェ広島 (サンフレッチェ広島F.C) |
バクスター | 広島県 | 東洋工業サッカー部 →マツダサッカークラブ |
1部6位 |
- 各チームが1回戦総当たりのリーグ戦(各チーム9試合、全45試合)を戦う。完全決着方式を採用し、90分で決着が付かない場合はサドンデスゴール(後にVゴール・ゴールデンゴール)方式の延長戦→PK戦(PK戦も1人目からのサドンデス)方式を採用。サドンデスゴールは世界の主要サッカーリーグでは第2回コニカカップ(1991年)に続いての採用であるが、プロリーグを対象としたものとしては世界初である。
- 試合ごとに勝ち点を与え、リーグ戦終了時点の勝ち点上位4クラブが決勝トーナメントに進出。勝ち点の付与方法は以下のとおり。
- 勝者には勝ち点4が与えられる(90分勝利・延長戦勝利・PK戦勝利に関係なく一律)。
- 90分以内で2得点挙げる毎に、勝敗に関係なくボーナス勝ち点1が加算される。
- 例えば90分で3-2の試合の場合、勝者に勝ち点5(勝利点4+ボーナス点1)、敗者に勝ち点1が付与されることになる。
- このボーナス勝ち点制度は本大会でのみ採用され、以後のカップ戦・リーグ戦では採用されなかった。
- 準決勝・決勝戦はそれぞれ1試合のみで決着を付ける。
この年は多くのホームスタジアムがJリーグの開催基準を満たす工事をしていたこともあり、各チームが以下のような会場でホームゲームを実施した(太字は1993年シーズンに本拠地・準本拠地として使用したスタジアム、「†」はこの年以降、Jサテライトリーグを除く公式戦を開催したことがないスタジアム)。
- 鹿島:笠松運動公園陸上競技場、国立競技場、京都市西京極総合運動公園陸上競技場
- 浦和:埼玉県営大宮公園サッカー場、川越運動公園陸上競技場†
- 市原:太田市運動公園陸上競技場†、千葉県総合運動場陸上競技場†、国立西が丘サッカー場、平塚競技場
- V川崎:国立競技場、等々力陸上競技場
- 横浜M:平塚競技場、国立競技場、愛媛県総合運動公園陸上競技場
- 横浜F:長崎県立総合運動公園陸上競技場、鹿児島県立鴨池陸上競技場、平塚競技場、国立西が丘サッカー場
- 清水:清水市日本平運動公園球技場、静岡県営草薙陸上競技場
- 名古屋:名古屋市瑞穂球技場、三重県営鈴鹿スポーツガーデン
- G大阪:神戸市立中央球技場、京都市西京極総合運動公園陸上競技場、岡山県陸上競技場 桃太郎スタジアム、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場
- 広島:広島スタジアム
予選リーグ
[編集]順 | チーム | 試 | 勝 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | VER | SSP | GRA | ANT | RED | JEF | MAR | GAM | SFR | FLU | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ヴェルディ川崎 | 9 | 6 | 3 | 18 | 11 | +7 | 29 | 準決勝進出 | — | 1–0 | 1–0 | 5–2 | 3–0 | ||||||
2 | 清水エスパルス | 9 | 5 | 4 | 16 | 12 | +4 | 27 | — | 4–1 | 2–2 | 2–1 | 1–2 | 0–1 | ||||||
3 | 名古屋グランパスエイト | 9 | 6 | 3 | 14 | 10 | +4 | 27 | 0–1 | 3–0 | — | 1–7 | 3–0 | 2–1 | ||||||
4 | 鹿島アントラーズ | 9 | 4 | 5 | 25 | 20 | +5 | 25 | 4–3 | 1–4 | — | 1–2 | 4–2 | |||||||
5 | 浦和レッドダイヤモンズ | 9 | 5 | 4 | 15 | 16 | −1 | 25 | 0–1 | 3–2 | — | 2–3 | 2–1 | |||||||
6 | ジェフユナイテッド市原 | 9 | 5 | 4 | 8 | 7 | +1 | 22 | 1–0 | 0–1 | 1–0 | — | 0–1 | |||||||
7 | 横浜マリノス | 9 | 5 | 4 | 14 | 14 | 0 | 22 | 2–1 | 1–0 | 4–3 | — | 3–2 | 1–2 | ||||||
8 | ガンバ大阪 | 9 | 4 | 5 | 13 | 18 | −5 | 21 | 0–3 | 1–2 | 1–0 | 2–0 | — | 1–3 | ||||||
9 | サンフレッチェ広島 | 9 | 3 | 6 | 15 | 18 | −3 | 18 | 2–3 | 0–3 | 2–3 | 0–1 | — | 5–1 | ||||||
10 | 横浜フリューゲルス | 9 | 2 | 7 | 10 | 22 | −12 | 10 | 0–3 | 1–2 | 0–0 | 3–2 | — |
決勝トーナメント
[編集]準決勝
[編集]決勝
[編集]57分、戸塚哲也のパスから三浦知良がゴールを決めてヴェルディが先制、その後、エスパルスが猛攻を仕掛けゴールに迫るも、そのままタイムアップし、読売が初代王者となった[1]。
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- 当時の背番号は、先発選手が1番から11番を、そして控え選手が12番から16番をつける「変動背番号制」が採用されていた。
- 優勝したヴェルディ川崎(読売クラブ)はアジアクラブ選手権1993-94に出場した。
- テレビ中継
- テレビ東京系列
表彰
[編集]- 大会MVP 三浦知良(ヴェルディ川崎)
得点ランキング
[編集]順位 | 選手 | 得点 |
---|---|---|
1 | 三浦知良(V川崎) | 10 |
2 | 長谷川祥之(鹿島) | 7 |
エバートン(横浜M) | ||
4 | ジーコ(鹿島) | 6 |
柱谷幸一(浦和) | ||
6 | 小倉隆史(名古屋) | 5 |
永島昭浩(G大阪) | ||
8 | 高木琢也(広島) | 4 |
福田正博(浦和) | ||
黒崎比差支(鹿島) | ||
武田修宏(V川崎) | ||
大榎克己(清水) |
出典
[編集]- ^ “大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第150回「知られざるルヴァンカップの真実」(4)「文句なしのエース」選手として全盛期のカズダンスと「世にも珍しい」大会復活後のキングの姿”. サッカー批評 (2024年11月7日). 2024年11月7日閲覧。
関連項目
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