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1959年の西鉄ライオンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1959年の西鉄ライオンズ
成績
パシフィック・リーグ4位
66勝64敗14分 勝率.508[1]
本拠地
都市 福岡県福岡市
球場 平和台野球場
球団組織
経営母体 西日本鉄道
監督 三原脩
« 1958
1960 »

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1959年の西鉄ライオンズでは、1959年西鉄ライオンズの動向をまとめる。

この年の西鉄ライオンズは、三原脩監督の9年目のシーズンである。

概要

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この年は球団初の4連覇が期待されたが、不動の4番中西太がフルスイングの影響で腱鞘炎を患い、また大下弘関口清治日比野武といった黄金期の主力メンバーが衰えるなど、チームは誤算が続出。それでも5月末は首位の南海と3.5ゲーム差と、まずまずの成績だったが7月以降大毎山内一弘榎本喜八田宮謙次郎(この年阪神から移籍)などを擁するミサイル打線で一気に浮上するとチームは南海・大毎に突き放され、東映との3位争いに終始するが、中西の故障、大下・関口らベテランの衰えもありチームは優勝の南海に22ゲーム差、2位大毎に16ゲーム差の4位に終わり三原監督が就任した1951年以来続いた連続Aクラスが8年でストップした。親会社の西鉄本社、フロントとの確執もあり三原監督はこの年限りで勇退し、後任には稲尾和久の入団まで投手陣の大黒柱だった川崎徳次ヘッドコーチが昇格した。監督交代によりチームは若返りを図るが、優勝争いには絡めず1963年の優勝まで苦闘の日々が続く。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 高倉照幸
2 小淵泰輔
3 豊田泰光
4 大下弘
5 関口清治
6 田中久寿男
7 城戸則文
8 和田博実
9 島原幸雄
1959年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 --
2位 西鉄 1.0 西鉄 3.5 大毎 7.0 大毎 5.0 大毎 3.0 大毎 8.0 大毎 6.0
3位 東映 2.5 東映 5.0 西鉄 7.5 東映 8.5 西鉄 12.0 西鉄 20.5 東映 21.0
4位 大毎 4.0 大毎 5.5 東映 9.5 西鉄 10.5 東映 15.0 東映 25.0 西鉄 22.0
5位 近鉄 8.0 阪急 11.0 阪急 20.5 阪急 29.5 阪急 35.5 阪急 38.5 阪急 40.0
6位 阪急 8.5 近鉄 17.0 近鉄 24.5 近鉄 36.5 近鉄 39.5 近鉄 49.0 近鉄 49.0
1959年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 南海ホークス 88 42 4 .677 優勝
2位 毎日大映オリオンズ 82 48 6 .631 6.0
3位 東映フライヤーズ 67 63 5 .515 21.0
4位 西鉄ライオンズ 66 64 14 .508 22.0
5位 阪急ブレーブス 48 82 4 .369 40.0
6位 近鉄バファロー 39 91 3 .300 49.0

[1]

オールスターゲーム1959

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監督 ファン投票 監督推薦 補充選手
三原脩 豊田泰光
高倉照幸
稲尾和久
島原幸雄
和田博実
河合保彦

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
豊田泰光 遊撃手 2年ぶり3度目
高倉照幸 外野手 初受賞

出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1959年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月24日閲覧。
  2. ^ 西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 埼玉西武ライオンズ. 2017年4月24日閲覧。
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7