黒原拓未
広島東洋カープ #24 | |
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2022年4月24日 マツダスタジアム | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 和歌山県海南市 |
生年月日 | 1999年11月29日(25歳) |
身長 体重 |
173 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2021年 ドラフト1位 |
初出場 | 2022年3月29日 |
年俸 | 3400万円(2025年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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黒原 拓未(くろはら たくみ、1999年11月29日 - )は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]海南市立日方小学校1年生の時に軟式野球を始め、海南市立海南中学校では軟式野球部に所属していた。
高校は智辯学園和歌山高等学校に進学し、1年秋からベンチ入り。2年秋からエースとなった。3年夏は左肘を痛め、登板が制限された。チームは和歌山県大会で優勝し第99回全国高等学校野球選手権大会に出場。興南との1回戦では登板がなく[2]、続く大阪桐蔭との2回戦で先発して大会初登板を果たし、6回途中1失点と好投したが敗れた[3]。1学年下には林晃汰、2学年下に東妻純平、黒川史陽がいた。
卒業後は関西学院大学社会学部[4]に進学し、1年春からベンチ入りを果たす。3年時の2020年11月には、左肘遊離軟骨の除去手術を受けた[5]。4年春は自己最速の151km/hを記録するなどエースとして活躍し、リーグ優勝に貢献[6]。MVPとベストナインを受賞した[7]。その後、2021年9月3日にプロ志望届を提出した[8]。
10月11日に行われたドラフト会議にて隅田知一郎・山下輝の抽選を外した広島東洋カープから1位指名を受け[5][9]、11月12日に契約金1億円、年俸1500万円で仮契約を結んだ(金額は推定)[10]。背番号は過去に大野豊などが背負った24に決まった[11]。
広島時代
[編集]2022年は開幕一軍入り。中継ぎとして起用され、4月8日の対阪神タイガース戦では初ホールドを記録した。しかし、同月21日の対読売ジャイアンツ戦、自身初の回またぎの登板で2失点を喫してからは調子を落とし、5月4日の対巨人戦では吉川尚輝に死球を与えるなど立て直せず、翌日に再調整のために登録を抹消された[12]。以降はコンディション不良もあってシーズン終了まで二軍公式戦への登板もなく、7月中旬には新型コロナウイルスの陽性判定も受けた[13]。また秋のみやざきフェニックス・リーグのメンバーにも選出されなかった。11月4日に100万円ダウンの年俸1400万円で契約を更改した(金額は推定)[14]。
2023年の春季キャンプは二軍スタートとなったが、実戦で結果を残して開幕一軍入りを果たした[15]。4月12日の中日ドラゴンズ戦で同年初登板し、1回を4球で三者凡退に抑えた[16]が、19日の阪神タイガース戦では四球と暴投で1回3失点を喫し、21日に二軍落ちとなった。二軍降格後は首脳陣の判断で先発に転向すると、二軍で好成績を記録[17]。特に7月以降は二軍の防御率1点台と安定感を示した[18]。一軍での先発登板機会も3度得たが、そのうち2度は5回を投げ切れず、5回を投げ切った試合も5失点を喫して敗戦投手となっており[19]、初勝利は得られなかった[20]。最終的に二軍ではチーム最多の6勝を挙げながらも[21]、一軍では5試合の登板で、0勝1敗、防御率10.66に終わった[22]。11月11日、現状維持となる推定年俸1400万円で契約を更改した[22]。
2024年の開幕ローテーション争いには敗れたものの、3月30日の開幕2戦目で先発予定だった森下暢仁が右肘の張りで登板を回避することになり、黒原が代役に抜擢された[23]。しかし、その対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では初回先頭打者度会隆輝の頭部付近へ死球を投じてしまい、僅か3球で危険球退場となった[24]。8日後の4月7日の対中日ドラゴンズ戦(マツダスタジアム)で再度の先発登板機会が与えられ、2敗目を喫したものの自己最長の5回を投げて1失点の力投を見せた[25]。結果を残したことで監督の新井貴浩は「ファームでスタンバイしておくのがもったいない」と評価し、森下の復帰後もリリーフとして一軍に残留することになり[26]、配置転換後も好投を続ける[27]。5月25日の対DeNA戦(横浜スタジアム)において延長11回裏同点の場面に8番手で登板し、1死球を与えながらも1回を1奪三振、無失点に抑えると、直後の12回表に広島が3点を勝ち越してそのままチームが勝利したため、プロ初勝利を記録した[27][28]。7月9日の対巨人戦(マツダ)にて2点ビハインドの8回表二死一塁の場面で3番手登板、打者に初球を投じる前に一塁牽制し走者挟殺に成功、“「0球」リリーフ”を完了した。裏で逆転すればNPB史上初「0球勝利投手」の権利が生まれたがその後スコアが動かず、公式記録の付かないリリーフ珍記録となった[29]。最終的には一軍完走を果たし、先発2試合を含む53試合に登板して4勝(3敗)3ホールド、防御率2.11と大きく飛躍した[30]。オフに、2000万円アップの推定年俸3400万円で契約を更改した[30]。また、新人王の投票でも有効票302票のうち2位となる41票を集めた[31]。
選手としての特徴・人物
[編集]最速152km/h[32]を記録した力強い速球と打者の手元で鋭く曲がる「魔球」と称されたカットボールが武器[33]。高い奪三振能力を誇る[33]。変化球はその他スライダー、ツーシーム、チェンジアップ、スプリットと多彩に操る[10]。
遠投110m、50m走のタイムは6秒3を記録[34]。
愛称は「クロ」、「クロちゃん」[35]など。広島入団後は前者が球団OBの黒田博樹を連想することから「(クロと呼ばれることは)カープではないと思います」と恐縮していたが[35]、同学年の遠藤淳志から「クロ」と呼ばれている[36]。
幼少期から真面目にひたむきに努力を重ねてきた練習の虫[37]。広島スカウトで黒原の担当を務めた鞘師智也は「黒原に惚れたのは、投球とかよりも取り組みの方が先かな。(智弁和歌山の)中谷(仁)監督から“凄く練習をする”と聞いたのが最初だった。それから誰に聞いても“めちゃくちゃ練習する”と言うし、そう聞くと大学1年からの変身していく過程も納得できた」と語り[37]、黒原の母も「(拓未は)ずっと真面目に練習していました。高3の夏の甲子園で負けてからも、毎日練習をしていて感心したほどです。とにかく練習が好きなんです」と語っている[37]。
家族によると、黒原がプロ野球選手を目指したきっかけとして小学生低学年時、当時のTVバラエティ「関口宏の東京フレンドパーク」にプロ野球選手が出演した回を視聴し、子供心に自分もプロになれば出演出来ると決心した出来事があったという[38]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2022 | 広島 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 44 | 9.2 | 11 | 0 | 4 | 0 | 1 | 11 | 0 | 1 | 7 | 7 | 6.52 | 1.55 |
2023 | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 69 | 12.2 | 21 | 1 | 10 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 15 | 15 | 10.66 | 2.45 | |
2024 | 53 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 3 | .571 | 244 | 59.2 | 40 | 2 | 20 | 0 | 3 | 67 | 0 | 0 | 15 | 14 | 2.11 | 1.01 | |
通算:3年 | 70 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 4 | .500 | 357 | 82.0 | 72 | 3 | 34 | 0 | 4 | 91 | 2 | 1 | 37 | 36 | 3.95 | 1.29 |
- 2024年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最多
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2022 | 広島 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- |
2023 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | |
2024 | 53 | 1 | 13 | 1 | 0 | .933 | |
通算 | 70 | 1 | 16 | 1 | 0 | .944 |
- 2024年度シーズン終了時
記録
[編集]- 初記録
- 投手記録
- 初登板:2022年3月29日、対阪神タイガース1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に2番手で救援登板、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、7回表に糸原健斗から空振り三振
- 初ホールド:2022年4月8日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、10回裏に5番手で救援登板、1回無失点
- 初先発登板:2023年5月26日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、3回1/3を3失点で勝敗つかず[39]
- 初勝利:2024年5月25日、対横浜DeNAベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、11回裏に8番手で救援登板、1回無失点
- 打撃記録
- 初打席:2023年5月26日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、2回裏に高梨裕稔からバント三振
- 初安打・初打点:2024年4月25日、対東京ヤクルトスワローズ4回戦(明治神宮野球場)、4回表に高橋奎二から左越適時三塁打
- その他の記録
- 先発投手が打者1人で危険球退場:2024年3月30日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、1回裏に先頭打者度会隆輝へ頭部死球 ※史上2人目
- 先発投手が3球で危険球退場:同上 ※佐々木健と並び史上最少投球数タイ[24]
背番号
[編集]- 24(2022年 - )
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 「広島 - 契約更改 - プロ野球」『日刊スポーツ』。2024年11月27日閲覧。
- ^ 「智弁和歌山、師弟コンビ復活で0-6から興南を逆転」『日刊スポーツ』2017年8月12日。2021年10月10日閲覧。
- ^ 「大阪桐蔭、春夏連覇へ智弁和歌山との名将対決制した」『日刊スポーツ』2017年8月17日。2021年10月10日閲覧。
- ^ 「硬式野球部」『関西学院大学』2021年9月29日。2023年7月30日閲覧。
- ^ a b 「【ドラフト】関学大・黒原拓未は広島1位、関西大学生NO・1左腕」『日刊スポーツ』2021年10月11日。2021年10月31日閲覧。
- ^ 「プロ注目の関学大・黒原が自己最速151キロマーク」『日刊スポーツ』2021年4月5日。2021年10月10日閲覧。
- ^ 「関学大の黒原がMVP 関西学生野球」『時事ドットコム』2021年5月31日。2021年10月10日閲覧。
- ^ 「関学大の151キロ左腕・黒原 プロ志望届提出、12球団OK 阪神など上位候補でリストアップ」『スポニチ Sponichi Annex』2021年9月3日。2021年10月10日閲覧。
- ^ 「広島 外れ外れ1位で関学大・黒原拓未を指名 小柄な体格からも150キロ超えの直球が魅力の左腕」『スポーツニッポン』2021年10月11日。2021年10月31日閲覧。
- ^ a b 「広島ドラ1関学大・黒原拓未「初心を忘れず、貪欲に」色紙に「新人王」」『日刊スポーツ』2021年11月12日。2021年11月14日閲覧。
- ^ 「広島1位黒原拓未は大野豊氏「24」継承、2位森翔平「16」背番号発表」『日刊スポーツ』2021年12月10日。2021年12月10日閲覧。
- ^ 「大勢、黒原拓未、ブライト健太、小園健太…セ・リーグ6球団 「ドラフト1位」の現在地は?」『週刊ベースボールONLINE』2022年6月7日。2022年10月10日閲覧。
- ^ 「森木大智、大勢、ブライト健太、小園健太…セ・リーグ6球団「2022年ドラフト1位入団」の現在地は?」『週刊ベースボールONLINE』2022年9月13日。2022年10月10日閲覧。
- ^ 「【広島】黒原拓未「来年こそ力に」昨年のドラ1が100万円ダウン 1年目は12試合で防御率6・52」『スポーツ報知』2022年11月4日。2023年2月8日閲覧。
- ^ 「【広島】黒原拓未が逆転開幕1軍猛アピール「昨年を取り返す」1軍合流即登板で左打者3人斬り」『日刊スポーツ』2023年3月21日。2023年4月12日閲覧。
- ^ 「4球で三者凡退、黒原「やっと僕も開幕」 4月12日中日戦」『中国新聞デジタル』2023年4月11日。2023年4月12日閲覧。
- ^ 長谷川凡記「広島・黒原 21年ドラ1に初勝利のチャンス到来! 先発ローテ欠員で26日ヤクルト戦にプロ初先発へ」『Sponichi Annex』2024年5月23日。2024年4月8日閲覧。
- ^ 「広島のCS秘密兵器はドラ1左腕 2軍で躍進の23歳…“魔球”の衝撃数値は「3.27」」『Full-Count』2023年9月22日。2024年4月8日閲覧。
- ^ 「【広島】黒原拓未が登録抹消 27日に先発登板し6点の援護もらうも3回4失点で降板」『日テレNEWS NNN』2023年8月28日。2024年4月8日閲覧。
- ^ 「広島・黒原拓未 この2年を取り返す気持ちで/秋の収穫」『週刊ベースボールONLINE』2023年11月30日。2024年4月8日閲覧。
- ^ 「【記念】黒原拓未プロ初勝利Tシャツ」『広島東洋カープオフィシャルグッズショップ』2024年5月26日。2024年6月28日閲覧。
- ^ a b 「【広島】2年目・田村俊介は200万円増の年俸700万円 11選手が契約更改」『東スポWEB』2023年11月12日。2024年4月27日閲覧。
- ^ 「【広島】森下暢仁が右肘張りで30日の開幕2戦目回避 代役は黒原拓未」『日刊スポーツ』2024年3月26日。2024年3月30日閲覧。
- ^ a b 「広島 先発・黒原が3球で危険球退場 度会の頭部死球で球審が宣告 スタンドから怒号 わずか7分のマウンド」『デイリースポーツ online』2024年3月30日。2024年3月30日閲覧。
- ^ 長谷川凡記「広島・黒原 3球で危険球退場の悪夢払拭!自己最長5回を投げ1失点の「ナイスピッチ」」『Sponichi Annex』2024年4月8日。2024年4月8日閲覧。
- ^ 前原淳「【広島】黒原拓未3球降板から防御率2点台に 復調を見守ったチームメートの“いつも通り”」『日刊スポーツ』2024年4月17日。2024年5月27日閲覧。
- ^ a b 「広島・黒原拓未が3年目でプロ初勝利 謙虚に思い語る 今季はリリーフで奮闘中」『日テレNEWS NNN』2024年5月26日。2024年5月27日閲覧。
- ^ 「広島・黒原の初勝利に恩師万感「プロになるとブレなかった」努力見守った関学大監督、前日連絡取り合い…」『Sponichi Annex』2024年5月25日。2024年5月25日閲覧。
- ^ 「広島“珍記録”「0球」リリーフ 3番手・黒原、プロ野球史上初の「0球勝利投手」誕生はならず」『Sponichi Annex』2024年5月25日。2024年5月25日閲覧。
- ^ a b 前原淳. “【広島】黒原拓未「1年間1軍に帯同できたのは大きな経験」1400万円から2倍超3400万円 - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年11月26日閲覧。
- ^ 一般社団法人日本野球機構. “投票結果(最優秀新人) | 2024年 表彰選手”. NPB.jp 日本野球機構. 2024年11月26日閲覧。
- ^ 「【広島】1位黒原拓未 強さの原点は中2の冬 駅伝で培った下半身 当時の軟式野球部監督明かす」『日刊スポーツ』2022年6月13日。2024年2月11日閲覧。
- ^ a b 「広島のCS秘密兵器はドラ1左腕 2軍で躍進の23歳…“魔球”の衝撃数値は「3.27」」『Full-Count』2023年9月22日。2024年2月11日閲覧。
- ^ 「硬式野球部・黒原拓未さんが広島東洋カープから1位指名~プロ野球ドラフト会議」『関西学院大学』2021年10月11日。2024年2月11日閲覧。
- ^ a b 「広島1位の黒原拓未が広島入り「落ち着いた雰囲気があった。僕は好き」」『日刊スポーツ』2021年12月9日。2024年2月11日閲覧。
- ^ 「ドラ1黒原、愛称「クロ」襲名 黒田博樹さんにあやかる」『中国新聞デジタル』2022年1月18日。2024年2月11日閲覧。
- ^ a b c 河合洋介「(2ページ目)誰に聞いても“めちゃくちゃ練習する” 広島・黒原拓未にみんなが期待する理由」『文春オンライン』2023年9月18日。2024年2月12日閲覧。
- ^ 「意外すぎる!プロ初勝利の広島・黒原がプロ野球を志したきっかけ 母にとって思い出深いTV番組」『デイリースポーツ』2024年5月26日。2024年8月6日閲覧。
- ^ 「【広島】黒原拓未、プロ初先発初勝利ならず…大量援護もらうも4回途中3失点で降板」『スポーツ報知』2023年5月26日。2023年5月26日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 黒原拓未 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
- 選手プロフィール - 広島東洋カープ公式サイト
- 選手情報 - 週刊ベースボールONLINE
- 黒原拓未 (@kuro_carp24) - Instagram