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鬼ヶ城暖地性シダ群落

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鬼ヶ城暖地性シダ群落。2023年5月11日撮影。

鬼ヶ城暖地性シダ群落(おにがじょうだんちせいシダぐんらく)は、三重県度会郡南伊勢町押淵にある国の天然記念物に指定された暖地性シダ植物群生地である[1][2][3]

海岸線が入り組んだリアス式海岸が続く志摩半島南岸の、五ヶ所湾の奥深い入り江へ流れ込む押淵川上流部の山中にある暖地性シダの大群落で[4]、鬼ヶ城と呼ばれる洞窟周辺の岩壁に着生して、本州では稀な[5]種類を含む暖地性シダ類が多数生育している[3]。希少植物、稀有な珍種も多くみられ[3]、当時の指定要目15「欄類、羊歯類、石松類、蔓植物、地衣、蘚苔等盛ニ発生したる土地又ハ是等ノ植物ノ多ク着生シタル林樹[6][7]」として、1928年昭和3年)1月18日に「鬼ヶ城暖地性羊歯群落」の名称で国の天然記念物に指定された[1][2][8][9][10]

隣接する細谷暖地性シダ群落とともに指定当時の昭和初期には、今日では絶滅危惧種となっているキクシノブ(菊忍、学名Pachypleuria repens (L. fil.) Kato)の純群落が形成されており、ヒカゲノカズラ科着生植物ナンカクラン(南郭蘭、学名Huperzia fordii (Baker) Dixit)、オシダ科アツイタ(厚板、学名Elaphoglossum yoshinagae (Yatabe) Makino, 1901.)など、この地が分布の北限と見るべきシダ植物の宝庫として知られていたが[6]、乱獲や盗採により今日では見られなくなってしまったものも多い[3][4][11][12]

同じ三重県内の熊野市にある地質・鉱物天然記念物として国の天然記念物に指定された「熊野の鬼ヶ城獅子巖」の鬼ヶ城とは別のものである。

解説

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鬼ヶ城暖地性シダ群落の位置(三重県内)
鬼ヶ城 暖地性 シダ群落
鬼ヶ城
暖地性
シダ群落
鬼ヶ城暖地性シダ群落の位置

天然記念物指定の経緯

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鬼ヶ城暖地性シダ群落は志摩半島南岸の南伊勢町押淵おしぶち(はかまごしとも呼ばれる)鬼ヶ城に所在する[2]。字名にもなっている鬼ヶ城は、志摩半島の脊梁をなす度会(わたらい)山地から東南東へ伸びる支脈、標高318メートルを最高所とした旧南勢町と旧南島町境界の尾根筋の北側斜面中腹にあり、高さ3メートル、幅10メートル、奥行き9メートルほどの洞窟で、後述する伝承から一帯の岩山は「鬼ヶ城」と呼ばれている[2][3]

この場所は五ヶ所湾北西部最奥の穂原地区を流れる、押淵川の上流部右岸に位置しており、年間を通じて降水量も多く常に小さな水の流れがあり、周囲を深い樹林帯で覆われ岩壁にも囲まれ直射日光が遮られるため、林床はシダ類にとって好適な陰湿環境が維持され[4][12]、温暖な気候の南勢地域でも一段と暖帯性亜熱帯性植生が色濃い場所である[13]

この暖地性シダ群落について最初に発見し、その価値に着目したのは地元押淵地区出身の植物学者広出泰助である[3]。広出は当地の植物調査の案内人を務め1936年(昭和11年)に天然記念物保護の功績で文部大臣から表彰を受けた人物である[14]

押淵川上流一帯の植物相は複数の植物学者が現地調査に訪れ、広出の案内によりその価値が知られるようになる[3]。文献上に残る主な記録だけでも、1923年大正12年)11月に現地調査を行った四日市市の川崎光次郎による『三重県天然記念物調査報告書5』の「穂原鬼ヶ城植物調査」にはじまり[15]1927年(昭和2年)8月に現地調査を行った槌賀安平による『史蹟名勝天然紀念物第二号』の「鬼ヶ城」、同じく本田正次による同書「伊勢国穂原村鬼ヶ城並に細谷に於ける暖地性羊歯群落に就て」、1927年(昭和2年)12月に現地調査を行った三好学による『天然紀念物調査報告 植物之部 第八輯』の「鬼ヶ城暖地性羊歯群落」といった[16]、著名な生物学者や植物学者が訪れ、周辺一帯のシダ群落保護の必要性を説いた[17][3]

鬼ヶ城暖地性シダ群落のアツイタ。
鬼ヶ城暖地性シダ群落のキクシノブ。
鬼ヶ城暖地性シダ群落のナンカクラン。
昭和9年5月5日撮影の鬼ヶ城暖地性シダの画像

こうして鬼ヶ城とその西に位置する細谷地区の暖地性シダ群落1928年昭和3年)1月18日に国の天然記念物に指定された。指定地の地番と面積は押淵字鬼ヶ城1383番の1山林内の実測218、および同1383番の3山林内の実測618歩で、当時はいずれも民有地であった[13]

昭和初期、当時の穂原村が作成した鬼ヶ城暖地性シダ群落の地籍図。

暖地性シダ群落として国の天然記念物に指定されたが、他の植物も豊かで、ヒカゲツツジホンシャクナゲといったツツジ属や、つる植物シタキソウ着生ランマメヅタランセッコクムギランフウランなども見られが、指定に際して植物学者らが最も重視したのは希少種とされる冒頭でも挙げた次の3種の自生である[18]

以上の3種はいずれも稀有なもので珍重すべきものであると、三重県天然記念物調査委員の服部哲太郎は1936年(昭和11年)発行の『三重縣に於ける主務大臣指定 史蹟名勝天然紀念物 第二册 名勝並天然紀念物』で指摘している[7]

鬼ヶ城の伝承と指定地の現状

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鬼ヶ城暖地性シダ群落。2023年5月11日撮影。

鬼ヶ城という地名の由来は、岸壁の景観が鬼の住処を連想させることからもあるが[19]、次のような恐ろしい伝説が残されている。その昔、押淵に身体の大きい屈強な男がいたが、他人と関わることを嫌い、山中の岩穴に住むようになった。すると近隣の旧一之瀬村中村に住むもう一人の屈強な男を仲間にして、松の木から松明用の油を作り生計を立て始めたが、子供らを捕まえてその肉を食べるようになり、恐れた土地の人々は彼らを鬼人と呼んで、この洞窟のある一帯を鬼ヶ城と呼ぶようになったという[2]

今日の指定地は押淵地区から南西へ2キロメートルほど入った静かな山間部にあり、町道左手に見える白滝権現(白滝神社)の鳥居をくぐり、押淵川を渡った先の植林されたスギの深い森の中にある[20]

押淵川の橋を渡った先は2手に分岐しており、右手側に進むと白滝神社の小さな社と白滝があり、周辺の濡れた岩壁に多くのシダ植物が繁茂している。一方の左手側を進み少し登ると垂直に近い岩壁があり、その先の鉄梯子を上がると鬼ヶ城の洞窟がある[4][12]。周辺は古いコンクリートの支柱と鉄線が巡らされたがあるが、一部は破損したり消失している[4]

周辺は山腹の北面に面し小さな流れが多くあり、シダ類の生育には適した環境であるが、天然記念物指定後、多くの希少な植物が盗掘の被害に遭い、希少植物は種類や量ともに少なくなってきており、三重県教育委員会に委託され1990年平成2年)頃に当地を調査した三重県立津西高等学校の橋本清は、現地の管理不備を指摘し、定期的な巡視強化の必要性を訴えている[4]。地元の押淵地区では自宅の裏庭などで大型暖地シダを育成する個人宅もあり保護に務めている[11]

交通アクセス

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所在地

  • 三重県度会郡南伊勢町押淵[21]

交通

出典

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  1. ^ a b 鬼ヶ城暖地性シダ群落(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2023年7月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e 南川 1995, p. 594.
  3. ^ a b c d e f g h 南勢町誌 2004, p. 616.
  4. ^ a b c d e f 三重県産生物目録編集委員会 1991, p. 145.
  5. ^ 南川 1995, p. 592.
  6. ^ a b 本田 1957, p. 13.
  7. ^ a b 服部 1936, p. 141.
  8. ^ 文化庁文化財保護部監修 1971, p. 81.
  9. ^ 服部 1936, p. 129.
  10. ^ 鬼ヶ城暖地性シダ群落 三重県教育委員会 文化財情報データベース 三重県教育委員会事務局 社会教育・文化財保護課、2023年7月9日閲覧。
  11. ^ a b 白井・志賀・岡田 2000, p. 151.
  12. ^ a b c 三重生物目録編集委員会 1992, p. 145.
  13. ^ a b 服部 1936, p. 131.
  14. ^ 穂原小学校のダイオウショウ 三重の巨木・古木 公益社団法人 三重県緑化推進協会、2023年7月9日閲覧。
  15. ^ 服部 1936, p. 142.
  16. ^ 服部 1936, p. 143.
  17. ^ 三好 1928, pp. 77–78.
  18. ^ 服部 1936, pp. 138–142.
  19. ^ 三好 1928, p. 76.
  20. ^ 押淵白滝 伊勢志摩観光ナビ 公益社団法人 伊勢志摩観光コンベンション機構 、2023年7月9日閲覧。
  21. ^ 白井・志賀・岡田 2000, p. 150.
  22. ^ a b 押淵鬼ヶ城 伊勢志摩観光ナビ 公益社団法人 伊勢志摩観光コンベンション機構 、2023年7月9日閲覧。

参考文献・資料

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  • 加藤陸奥雄他監修・南川幸、1995年3月20日 第1刷発行、『日本の天然記念物』、講談社 ISBN 4-06-180589-4
  • 本田正次、1957年12月25日 初版発行、『植物文化財 天然記念物・植物』、東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会
  • 文化庁文化財保護部監修、1971年5月10日 初版発行、『天然記念物事典』、第一法規出版
  • 三好学 著、史蹟名勝天然紀念物保存協会 編『天然紀念物調査報告. 植物之部 第八輯』刀江書院、1928年5月20日。doi:10.11501/1139904https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1139904/69 
  • 服部哲太郎、1936年5月5日 発行、『三重縣に於ける主務大臣指定 史蹟名勝天然紀念物 第二册 名勝並天然紀念物』、三重縣
  • 三重県産生物目録編集委員会 編、1991年3月31日 発行、『三重県内の天然記念物(動植物,地質鉱物)に関する実状調査報告書』、三重生物教育会 全国書誌番号:91068432
  • 三重生物目録編集委員会 編、1992年10月1日 発行、『三重県の天然記念物』、三重生物教育会 三重県立松阪高等学校
  • 白井伸昴・志賀靖二・岡田文士、2000年1月20日 第1版発行、『東海の天然記念物』、風媒社 ISBN 4-8331-0081-9
  • 南勢町誌編纂委員会、2004年12月20日 発行、『改訂増補 南勢町誌(下巻)』、南勢町 全国書誌番号:20737725

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯34度19分9.0秒 東経136度36分59.0秒 / 北緯34.319167度 東経136.616389度 / 34.319167; 136.616389