高麗史
国立中央博物館所蔵 | |
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編集者 | 鄭麟趾ら(一覧) |
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国 | 李氏朝鮮 |
言語 | 漢文 |
分野 | 紀伝体歴史書, 朝鮮史 |
出版社 | 李氏朝鮮 |
出版日 | 景泰2年8月25日(1451年9月19日) |
巻数 | 137巻 (書籍一覧) |
『高麗史』(こうらいし、고려사)は、朝鮮の高麗王朝(918年 - 1392年)のことを記した紀伝体の官史。編纂は李氏朝鮮の鄭麟趾らによって行なわれ、文宗元年(1451年)に完成した。成立の際、高麗国王歴代の実録をはじめ多くの公私文書[1]・書籍が参照されたが、すべて焚書または消失[2]し、大部分は現存しないので、この『高麗史』と独立に編纂された春秋館編纂の編年体形式の『高麗史節要』(1452年)が高麗時代の史書となる。
概要
[編集]1392年に李成桂の命で、鄭道伝を中心に編年体の『高麗国史』が1395年に完成した。ただし、高麗は国内的に皇帝を称していたため、朱子学的に中国明朝への配慮で、用語を格下のものに改める必要があったこと、李成桂が権力を握り簒奪するまでの経緯の記述などが問題となった。1398年に第一次王子の乱で鄭道伝も倒れる。1414年に太宗が河崙・卞季良らに改修を命じ、世宗の代になって1421年に卞季良・柳観らが完成させた。1424年に柳観らが再び改修を行い、更に辛禑・辛昌を偽の王族とする名分論が高まり、1443年に権踶・申槩らが改修したが、不出来として公開されなかった。最終的に金宗瑞・鄭麟趾らによって、編年体を紀伝体に改めて『高麗史』が成立した。従来の編年体の原稿は、『高麗史説要』の編纂に活用されている。
日本では江戸時代に1部のみ輸入され、前田綱紀と徳川光圀が競り合った結果加賀藩が入手したが、コレクションとして死蔵されている。日本において朝鮮半島史・日朝関係史の典拠となったのは、光圀が刊行させた『東国通鑑』であり、これは明治初期まで続いた。『高麗史』を参照した研究書は、1891年の山田安栄による『伏敵編』が最初とされる。
構成
[編集]高麗史は
- 世家 巻第1 - 巻第46 初代太祖から恭讓大王までの王の記録
- 志 巻第1 - 巻第39(天候気候、天文等)
- 志のうち、巻24 樂一には雅樂 巻25 樂二には俗樂 三國俗樂 用俗樂節度が記載されており、高麗史樂志ともよばれる。
- 表 巻第1、2の2巻(高麗の宗主国の暦年と高麗暦年の表)
- 列伝 五十巻の50巻 后、子、重臣、逆臣等
合計 137巻となっている。
内容
[編集]序
[編集]巻1 - 46:世家
[編集]巻47 - 85:志
[編集]巻47 | 天文1 | 日薄食・暈・珥及日変 |
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巻48 | 天文2 | 月五星凌犯及星変 |
巻49 | 天文3 | 月五星凌犯及星変 |
巻50 | 暦1 | 宣明暦 |
巻51 | 暦2 | 授時暦 |
巻52 | 暦3 | 授時暦 |
巻53 | 五行1 | |
巻54 | 五行2 | |
巻55 | 五行3 | |
巻56 | 地理1 | |
巻57 | 地理2 | |
巻58 | 地理3 | |
巻59 | 礼1 | |
巻60 | 礼2 | |
巻61 | 礼3 | |
巻62 | 礼4 | |
巻63 | 礼5 | |
巻64 | 礼6 | |
巻65 | 礼7 | |
巻66 | 礼8 | |
巻67 | 礼9 | |
巻68 | 礼10 | |
巻69 | 礼11 | |
巻70 | 楽1 | 雅楽 |
巻71 | 楽2 | 唐楽・俗楽・三国俗楽 |
巻72 | 輿服1 | 冠服・輿輅・印章・儀衛・鹵簿 |
巻73 | 選挙1 | 科目1 |
巻74 | 選挙2 | 科目2・学校 |
巻75 | 選挙3 | 銓注 |
巻76 | 百官1 | |
巻77 | 百官2 | |
巻78 | 食貨1 | 田制 |
巻79 | 食貨2 | 戸口・農桑・貨幣・塩法・科歛・借貸・漕運 |
巻80 | 食貨3 | 祿俸・常平義倉・賑恤 |
巻81 | 兵1 | |
巻82 | 兵2 | |
巻83 | 兵3 | |
巻84 | 刑法1 | |
巻85 | 刑法2 |
巻86 - 87:表
[編集]巻86 | 918年~1170年 |
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巻87 | 1171年~1392年 |
巻88 - 137:列伝
[編集]巻88 - 91
[編集]巻88 | 后妃1 | 神恵王后柳氏・荘和王后呉氏・神明王太后劉氏・神静王太后皇甫氏・神成王太后金氏・貞徳王后柳氏・献穆大夫人平氏・貞穆夫人王氏・東陽院夫人庾氏・粛穆夫人・天安府院夫人林氏・興福院夫人洪氏・後大良院夫人李氏・大溟州院夫人王氏・慶州院夫人王氏・小広州院夫人王氏・東山院夫人朴氏・礼和夫人王氏・大西院夫人金氏・小西院夫人金氏・西殿院夫人・信州院夫人康氏・月華院夫人・小広州院夫人・聖茂夫人朴氏・義城府院夫人洪氏・月鏡院夫人朴氏・夢良院夫人朴氏・海良院夫人・義和王后林氏・後広州院夫人王氏・清州院夫人金氏・宮人哀伊主・文恭王后朴氏・文成王后朴氏・清州南院夫人金氏・大穆王后皇甫氏・慶和宮夫人林氏・献粛王后金氏・献懿王后劉氏・献哀王太后皇甫氏・献貞王后皇甫氏・大明宮夫人柳氏・文徳王后劉氏・文和王后金氏・延昌宮夫人崔氏・宜正王后劉氏・宮人金氏・元貞王后金氏・元和王后崔氏・元城太后金氏・元恵太后金氏・元容太后柳氏・元穆王后徐氏・元平王后金氏・元順淑后金氏・元質貴妃王氏・貴妃庾氏・宮人韓氏・宮人李氏・宮人朴氏・敬成王后金氏・敬穆賢妃王氏・考思王后金氏・李氏・劉氏・容信王后韓氏・容懿王后韓氏・容穆王后李氏・容節徳妃金氏・延昌宮主盧氏・仁平王后金氏・仁睿順徳太后李氏・仁敬賢妃李氏・仁節賢妃李氏・仁穆徳妃金氏・貞懿王后王氏・宜禧王后金氏・長慶宮主李氏・貞信賢妃李氏・思粛太后李氏・元信宮主李氏・明懿太后柳氏・敬和王后李氏・文敬太后李氏・文貞王后王氏・淑妃崔氏・廃妃李氏・廃妃李氏・恭睿太后任氏・宣平王后金氏・荘敬王后金氏・荘宣王后崔氏・光靖太后金氏・宣靖太后金氏・成平王后任氏・思平王后李氏・元徳太后柳氏・安恵太后柳氏・順敬太后金氏・慶昌宮主柳氏 |
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巻89 | 后妃2 | 斉国大長公主・貞信府主王氏・淑昌院妃金氏・薊国大長公主・懿后・静妃王氏・順和院妃洪氏・妃趙氏・順妃許氏・濮国長公主・曹国長公主・慶華公主・明徳太后洪氏・寿妃権氏・徳寧公主・禧妃尹氏・和妃洪氏・銀川翁主林氏・魯国大長公主・恵妃李氏・益妃韓氏・定妃安氏・慎妃廉氏・順妃盧氏 |
巻90 | 宗室1 | 太子泰・文元大王貞・戴宗旭・安宗郁・王位君・仁愛君・元荘太子・助伊公・寿命太子・孝穆太子義・孝隠太子(林禎)・元寧太子・孝成太子琳珠・孝祇太子・太子稷・広州院君・孝悌太子・孝明太子・法登君・資利君・義城府院大君・興化宮幹・太子済・慶春院君・孝和太子・平壌公基(楽浪侯瑛・承化伯禎・承化侯温・永寧公綧・寧仁侯稹・淮安公侹・斉安公淑・順正大君璹・順寧公聃・咸寧伯璞)・太子忠義・悲殤君昉・洛浪侯璥・開城侯暟・大覚国師煦・常安公琇・道生僧統竀・金官侯㶨・卞韓侯愔・楽浪侯忱・聡恵首座琼・朝鮮公燾・扶余侯㸂・辰韓侯愉・漢山侯昀・上党侯泌・円明国師澄儼・帯方公俌・大原公侾・斉安公偦・通義侯僑・大寧侯暻・元敬国師冲㬢・孝霊太子祈・小君善思 |
巻91 | 宗室2 | 襄陽公恕(司坐瑋・定原府院君鈞・鶴城府院君珦・永興君環・瑞興君琠)・昌原公祉・始寧侯禕・慶原公祚・大禅師鏡智・冲明国師覚膺・安慶公淐・始陽侯珆・順安公琮・江陽公滋(丹陽府院大君珛・瀋王暠・瀋王篤朶不花・延徳府院大君塤)・小君湑・世子鑑・徳興君塔帖木兒・龍山元子・釈器・世子奭 |
公主 | 太祖九女・恵宗三女・定宗一女・光宗三女・成宗二女・顕宗八女・徳宗二女・靖宗一女・文宗七女・宣宗三女・粛宗四女・睿宗二女・仁宗四女・毅宗三女・明宗二女・神宗二女・熙宗五女・康宗一女・高宗一女・元宗二女・忠烈王二女・忠恵王一女・恭譲王三女 |
巻92 - 120
[編集]巻121 - 132
[編集]巻121 | 良吏 | 庾碩・王諧・金之錫・崔碩・鄭雲敬 |
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忠義 | 洪灌・高甫俊・鄭顗・文大・曹孝立・鄭文鑑 | |
孝友 | 文忠・釈珠・崔婁伯・尉貂・徐稜・金遷・黄守・鄭愈・曹希参・鄭臣祐女・孫宥・権居義(盧俊恭)・辛斯蕆女・尹亀生・潘腆・君万 | |
烈女 | 胡寿妻兪氏・玄文奕妻・洪義妻・安天倹妻・江華三女・鄭満妻崔氏・李東郊妻裴氏・康好文妻文氏・金彦卿妻金氏・景徳宜妻安氏・李得仁妻李氏・権金妻 | |
巻122 | 方技 | 金謂磾・李寧・李商老・伍允孚・薛景成 |
宦者 | 鄭誠・白善淵・崔世延・李淑・任伯顏禿古思・方臣祐・李大順・禹山節・高龍普・金玄・安都赤・申小鳳・李得芬・金師幸 | |
酷吏 | 宋吉儒・沈于慶 | |
巻123 | 嬖倖1 | 庾行簡・栄儀・金存中・鄭世臣・白勝賢・康允紹・廉承益・李汾禧(李槢)・権宜(蔡謨・李徳孫)・林貞杞(閔萱)・朱印遠・李英柱・李之氐(高宗秀・金儒)・印侯(印承旦)・張舜龍(車信・盧英)・曹允通 |
巻124 | 嬖倖2 | 尹秀(尹吉甫・宋和)・李貞(金文庇・李㻂・張公・李平)・元卿・朴義・朴景亮・全英甫・康允忠・裴佺・閔渙・尹碩・孫琦・鄭方吉(林仲沇・姜融)・申青(朴青)・王三錫(梁載・曹莘卿・崔老星・尹賢)・安珪・崔安道(李宜風・金之鏡・李仁吉)・盧英瑞(朴良衍・宋明理)・金興慶・潘福海・申元弼 |
巻125 | 姦臣1 | 文公仁・朴昇中・崔弘宰・崔褒偁・朴喧・宋玢・王惟紹・宋邦英・呉潜(石胄)・金元祥・柳清臣・権漢功・蔡河中・辛裔(田淑蒙)・李春富・金元命・金鋐・池奫 |
巻126 | 姦臣2 | 李仁任・林堅味・廉興邦・曹敏修・辺安烈・王安徳 |
巻127 | 反逆1 | 桓宣吉・伊昕巌・王規・金致陽・康兆・李資義・李資謙・拓俊京・妙清 |
巻128 | 反逆2 | 鄭仲夫(李光挺・宋有仁)・李義方・李義旼・鄭方義・曹元正(石隣) |
巻129 | 反逆3 | 崔忠献(崔怡・崔沆・崔竩) |
巻130 | 反逆4 | 韓恂(韓多智)・洪福源・李峴・趙叔昌・趙暉・金俊・林衍(林惟茂)・趙彝(金裕・李樞)・韓洪甫・于琔・崔坦・裴仲孫 |
巻131 | 反逆5 | 曹頔・趙日新・金鏞・奇轍・盧頙・権謙・崔濡・洪倫・金文鉉・金義 |
巻132 | 反逆6 | 辛旽 |
巻133 - 137
[編集]巻133 | 辛禑1 | 1374年~1378年 |
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巻134 | 辛禑2 | 1379年~1382年 |
巻135 | 辛禑3 | 1383年~1385年 |
巻136 | 辛禑4 | 1386年~1387年 |
巻137 | 辛禑5・辛昌 | 1388年~1389年 |
- 列伝の括弧内小字は附見
- 国書刊行会本, 1908, 国立国会図書館デジタルコレクションとウィキソース中国語版を基に作成
脚注
[編集]- ^ 朝鮮王朝実録に相当する高麗王朝実録があったとされる。この実録の存在は、世宗実録からも存在が確認されるが、高麗史成立後の存在は不明となっている。具体的には、高麗の実録は世宗 22年までは忠州開川寺史庫に収蔵されてから 高麗史纂修のために京中に輸送されて、纂修が終わった後の行方ははっきりしない。 出典は[1]である。 また史庫に関する詳細は、 [2]を参照されたい。 なお、焚書された元天錫の「野史」6巻によれば、高麗史は高麗王朝実録の書き換えであり、「高麗実録」を「高麗史」に書き換えた事情が書かれ、高麗末の禑王は辛旽の子ではなく、恭愍王の子と書かれていたという。現存は転記の耘谷集等詩歌の部分と記録のみである。
- ^ 李氏朝鮮 太祖の時代に 「書雲觀」等の記録を焚書した。さらに一般民の史書の所持と輸入は厳しく禁止していた。具体的には明朝會典 皇明通紀 明紀輯略等多岐にわたる。 例えば、平安道の儒生 桂徳海が中国からの史書を所持していた事件(1771年)で断罪されている。
関連項目
[編集]- 高麗史節要
- 高麗王 王の系図
- 高麗王后 王妃の一覧など
- 高麗年表 高麗王朝と周辺国の年表
- 歴史書一覧
- 倭・倭人関連の中国文献
- 倭・倭人関連の朝鮮文献
- 古代朝鮮半島関連の中国文献
- 元寇
- 倭寇
参考文献
[編集]- 『高麗史編纂始末』(申奭鎬、韓國史學會)
- 『麗朝忠烈錄』 編者未詳 2冊 筆寫本(ソウル大学奎章閣 Ref.奎12713)
- 『高麗史』(国書刊行会、1908年)
- 『高麗史日本伝(上・下)』(岩波文庫、2005年。武田幸男編訳。 日本関連記事の抜粋。)