印侯
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印侯 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 인후 |
漢字: | 印侯 |
日本語読み: | いんこう |
印侯(いんこう、인후、1250年 - 1311年)は、高麗の宮廷に仕えたモンゴル人の文官。荘穆王后の従臣。朝鮮の氏族の延安印氏の始祖である。
本来のモンゴル名はクラ(忽剌)では、忠烈王に降嫁したクビライの娘のクトゥルク・ケルミシュ(荘穆王后)の「家の子郎党(ゲルン・コウン)」[1]として高麗宮廷に入った。
昭勇大将軍鎮辺万戸、副知密直、判密直知都僉議賛成事、光政事参知機務、重大匡僉議侍郎賛成事判兵曹監察司事、咨議都僉議司事平壌君、僉議密直、検校政丞を歴任した。また、忠勤輔佑功臣の称号を得る。
脚注
[編集]- ^ 印侯,本蒙古人,初名忽刺歹。齊國公主怯怜口,怯怜口華言私屬人也。 — 高麗史、巻一百二十三
参考文献
[編集]- 伊藤英人『朝鮮半島における言語接触 : 中国圧への対処としての対抗中国化』東京外国語大学語学研究所〈語学研究所論集 (18)〉、2013年、72頁。
- “인후(印侯)”. 韓国民族文化大百科事典. オリジナルの2022年10月25日時点におけるアーカイブ。