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王三錫

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王三錫
各種表記
ハングル 왕삼석
漢字 王三錫
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王三錫왕삼석、生没年不明)は、第27代高麗王忠粛王の師傅である。 南蛮人の出身。才能はなかったが、医術をもって忠粛王に取り入り、忠粛王の寵愛を受けた[1]。『高麗史』巻一二四に伝記がある。

王三錫,本南蠻人,性狙詐輕躁,無才術。嘗隨商舶至燕,糊口於人。忠肅在元,三錫因幸臣求見,王悅之,遂從王東還。以醫術媚王,得近幸,寵眷無比,稱爲師傅。妬賢嫉能,賣官鬻獄,至於庭辱臺官,王不悟。三錫以陰陽幻術,勸王幸漢陽、富原、龍山久留。公主在龍山,生元子而薨,時有飛書云:「禪師祖倫、師傅王三錫,誘王久留龍山濱海下濕之地,使公主免身氈幕,遘疾不救。若達帝聰,二人之罪,在所不赦。」三錫嘗爲儒學提擧,欲塑文宣王像,成均館閉大成殿不納。三錫譖之,囚博士李暄,學錄申諿於理問所,並罷其職。其專恣如此。 — 高麗史、列伝第三十七

脚注

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  1. ^ 西川孝雄高麗時代の「嬖幸伝」研究(2)立伝人物の分析愛知学院大学〈愛知学院大学文学部紀要 (33)〉、2003年、40頁。ISSN 02858940NAID 110004621875https://cir.nii.ac.jp/crid/1520853832136548352