高原逸人
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高原 逸人(たかはら はやと[1]、1899年〈明治32年〉1月23日[1][2] - 1977年〈昭和52年〉9月[3]2日[4])は、昭和時代の台湾総督府官僚、陸軍司政長官。高雄州知事、花蓮港庁長。旧姓は早川[2]。
経歴
[編集]高原金治の長男として福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町豊津)に生まれる[1]。豊津中学(現在の福岡県立育徳館高等学校の前身のひとつ)、旧制第五高等学校を経て、1925年(大正14年)3月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する[1]。在学中の1924年(大正13年)11月[5]に高等試験行政科に合格[1][2]。
大学卒業後直ちに渡台し、台湾総督府専売局書記庶務課勤務を拝命[1][2]。ついで専売局副参事、台南州内務部地方課長、府中央研究所事務官庶務課長、府審議室事務官、新竹州警務部長、高雄州内務部長[2]、府事務官殖産局農務課長を経て、1942年(昭和17年)9月、陸軍司政長官に任命され[1]、高雄州知事を務めた[6]。ほか、花蓮港庁長を務めた[7]。
戦後は1946年(昭和21年)5月に退官したのち、全国町村議会議長会事務局長などを歴任した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 興南新聞社 1943, 232頁.
- ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 214頁.
- ^ 社会教育協会 1977, 79頁.
- ^ a b 全国町村議会議長会 1977, 70頁.
- ^ 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、247頁。
- ^ 『陸軍司政官南益次郎外十三名任免官等陞叙並休職被仰付ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和20年3月3日。
- ^ 太田 1940, 609-610頁.
参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 太田肥州 編『新台湾を支配する人物と産業史』台湾評論社、1940年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 社会教育協会 編『国民 No.937』社会教育協会、1977年 。
- 全国町村議会議長会 編『地方議会人 : 議員研修誌』中央文化社、1977年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。