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太田 吾一(おおた ごいち、1885年(明治18年)7月 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。弁護士。台北市尹、高雄州知事、台中州知事。
静岡県出身。旧制浜松中学[1]、第六高等学校[2]を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、文部属となった。1913年(大正2年)、高等文官試験に合格し、静岡県小笠郡長、同周智郡長を務めた。その後、台湾総督府に転じ、台北州内務部教育課長、新竹州警務部長、台北市尹、高雄州知事、台中州知事を歴任した。
退官後の1933年(昭和8年)に弁護士を開業するが、後にやめて大日本聯合婦人会総務部長、満洲製糖株式会社参事を務めた。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
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五州三庁時代 |
- 冨島元治1920.9.1-1924.12.25
- 木村英俊1924.12.25-1924.12.28
- 三浦碌郎1924.12.28-1926.10.12
- 高橋親吉1926.10.12-1927.7.27
- 太田吾一1927.7.27-1931.1.20
- 平山泰1931.1.20-1931.9.12
- 野口敏治1931.9.12-1933.8.4
- 西沢義徴1933.8.4-1935.9.2
- 内海忠司1935.9.2-1939.1.28
- 赤堀鉄吉1939.1.28-1941.5.14
- 坂口主税1941.5.14-1943.11.13
- 高原逸人1943.11.13-1945.10.25
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カテゴリ |
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五州三庁時代 |
- 加福豊次1920.9.1-1921.2.1
- 立川連1921.2.1-1922.5.15
- 常吉徳寿1922.5.15-1924.12.23
- 本山文平1924.12.25-1926.10.12
- 三浦碌郎1926.10.12-1927.7.27
- 佐藤続1927.7.27-1928.7.21
- 生駒高常1928.7.21-1929.7.9
- 水越幸一1929.7.9-1931.1.20
- 太田吾一1931.1.20-1932.3.15
- 竹下豊次1932.3.15-1935.1.15
- 日下辰太1935.1.15-1936.10.16
- 松岡一衛1936.10.16-1939.12.27
- 奥田達郎1939.12.27-1941.5.14
- 森田俊介1941.5.14-1944.3.20
- 清水七郎1944.3.20-1945.10.25
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カテゴリ |
- ^ 『第六高等学校一覧 明治38-39年』第六高等学校、172頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/812957/1/197。
- ^ 『第六高等学校一覧 明治39-40年』第六高等学校、173頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/901613/1/93。