稲田穣
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稲田 穣(いなだ じょう[1]、1902年〈明治35年〉10月8日[2] - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。花蓮港庁長。
経歴
[編集]茨城県水戸市に生まれる[2][3]。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学法学部を卒業し、在学中の1925年(大正14年)11月に高等試験行政科に合格する[2]。大学卒業後直ちに台湾総督府に奉職し交通局逓信部書記を拝命する[2]。海事課船舶掛長、基隆郵便局長、台中郵便局長、本部為替貯金課長、庶務課長兼為替貯金課長、監理課長、兼海事課長[2]、本部保険課長兼為替貯金課長を経て、1941年(昭和16年)10月、台北州総務部長に就任した[3]。1943年(昭和18年)3月、花蓮港庁長となり[4]、その後、台湾総督府港務局長に就任した[5]。1944年(昭和19年)退官した[6]。
戦後は東京電気土木相談役となった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 建設日本紳士録刊行会 1966, 45頁.
- ^ a b c d e 台湾新民報社 1937, 18頁.
- ^ a b 興南新聞社 1943, 31頁.
- ^ 帝国秘密探偵社 1943, 台湾7頁.
- ^ 『元北海道庁技師高田善蔵外十四名位階追陞ノ件〇元専売局理事原辰次郎、退職判事伊佐早信外二名、元愛知第一師範学校教授長田寿隆外二名、元運輸通信技師萩野泰男外二名、元朝鮮総督府裁判所通訳官林久次郎外一名、元台湾総督府港務局長稲田穣』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和20年1月10日。
- ^ 秦 1981, 526頁.
参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 建設日本紳士録刊行会 編『建設日本紳士録 1965年版』光元社、1966年 。
- 秦郁彦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。