香川県立坂出高等学校
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(香川県立坂出女子高等学校から転送)
香川県立坂出高等学校 | |
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北緯34度18分38.24秒 東経133度51分12.42秒 / 北緯34.3106222度 東経133.8534500度座標: 北緯34度18分38.24秒 東経133度51分12.42秒 / 北緯34.3106222度 東経133.8534500度 | |
過去の名称 |
香川県立坂出高等女学校 香川県立坂出女子高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 香川県 |
学区 |
第二学区 全国募集(普通科自宅通学生10名、音楽科10名)有り[1] |
設立年月日 | 1917年(大正6年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 音楽科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D137220300027 |
高校コード | 37114K |
所在地 | 〒762-0031 |
香川県坂出市文京町二丁目1番5号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
香川県立坂出高等学校(かがわけんりつ さかいでこうとうがっこう, Kagawa Prefectural Sakaide High School)は、香川県坂出市文京町二丁目に所在する公立の高等学校。通称は「坂高」(さかこう)。
概要
[編集]- 校是・校風
- 「高邁自主」(こうまいじしゅ)、「パティマトス」(ギリシャ語で「英知は苦難を通じて来たる」という意味)の二語を行動の拠り所としている。「校訓」は存在しない。
- 校歌
- 作詞は戸枝弘、作曲は田中梅芳。歌詞は3番まである。
- 制服
- 女子が県下の高校では唯一のセーラー服、男子は学ラン。
- 進学状況
- 大学合格者数(延べ人数)では、国公立大学では香川大学・岡山大学等中国・四国地方の大学、私立大学では中国・四国のほか関関同立・産近甲龍の合格者が多い。
- 同窓会
- 「松濤会」(しょうとうかい)。
- ・松濤会
- ・関東松濤会
- ・関西松濤会
沿革
[編集]- 高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
- 1917年(大正6年)4月1日 - 香川県女子師範学校に併設される形で「香川県立坂出高等女学校」が開校する。修業年限を4ヶ年とする。
- 校長は女子師範学校長が兼任することとなる。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 修業年限を4ヶ年から5ヶ年に延長。
- 1929年(昭和4年)2月 - 創立10周年を記念し、松韻館が完成。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 家庭科を設置。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 香川県立女子師範学校が香川県立師範学校と統合の上、官立(国立)に移管され、香川師範学校女子部となる。
- 高等女学校は県立のままであったが、併設は継続し、校長は師範学校女子部長が兼任の形をとる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)。
- 高等女学校の生徒募集を停止。
- 高等女学校1・2年修了者を新制中学校の2・3年生として収容。併設中学校は暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年のみであった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校の在籍(4・5年)とする。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により高等女学校が廃止され、新制高等学校「香川県立坂出女子高等学校」が発足。
- 高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年、高等女学校4年修了者を新制高校2年に編入。併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- 併設中学校は在校生が3年生(1946年(昭和21年)4月入学生)のみとなる。
- 1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 商業学校、新制高等学校時代
- 詳しくは香川県立坂出商業高等学校#沿革を参照。
- 1914年(大正3年)3月27日 - 「綾歌郡立綾歌商業学校」の設立が認可される。
- 1922年(大正11年)4月1日 - 香川県に運営が移管され、「香川県立坂出商業学校」に改称。
- 1944年(昭和19年)4月1日 - 「教育ニ関スル戦時非常措置方策」(1943年(昭和18年)10月12日閣議決定)により、「香川県立坂出造船工業学校」に転換。
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 終戦により、「香川県立坂出商業学校」に戻る。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併設(以下・併設中学校)。
- 商業学校の生徒募集を停止。
- 商業学校1・2年修了者を新制中学校の2・3年生として収容。併設中学校は暫定的に設置されたもので、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年のみであった。
- 商業学校3・4年修了者はそのまま商業学校の在籍(4・5年)とする。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により商業学校は廃止され、新制高等学校「香川県立坂出高等学校」(男子校)が発足。
- 全日制課程2学科(普通科・商業科)、定時制課程2学科(商業科・工業科)を設置。
- 商業学校卒業生(希望者)を新制高校3年、商業学校4年修了者を新制高校2年に編入。併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。
- 併設中学校は在校生が3年生(1946年(昭和21年)4月入学生)のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。
- 新制高等学校(男女共学)
- 1949年(昭和24年)4月20日 - 高校三原則に基づき公立高校再編に伴い、以上の新制高校2校が統合され、総合制高等学校「香川県立坂出高等学校」が発足。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 定時制課程の商業科・工業科を香川県立坂出商工高等学校[2] に移管し、定時制課程は普通科1学科のみとなる。
- 1959年(昭和34年)6月30日 - 松韻館を改築。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
- 1963年(昭和38年)3月31日 - 家庭科を廃止。
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 音楽科を設置。
- 1969年(昭和44年)3月31日 - 体育館が完成。
- 1971年(昭和46年)3月18日 - 特別教室が完成。
- 1976年(昭和51年)5月31日 - 音楽棟(第一期工事)が完成。
- 1978年(昭和53年)12月25日 - 大正園を復元。
- 1979年(昭和54年)1月22日 - 音楽棟(第二次工事)が完成。
- 1981年(昭和56年)3月31日 - 武道場を増築。
- 1982年(昭和57年)3月 - 定時制課程の募集を停止。
- 1984年(昭和59年)3月31日 - 図書室・食堂特別棟を改築。
- 1985年(昭和60年)3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 1987年(昭和62年)2月28日 - 普通教室を増築。
- 1989年(平成元年)3月30日 - プレハブ平屋建ての特別教室を増築。
- 1991年(平成3年)3月 - 音楽ホールが完成。
- 1993年(平成5年)5月 - 第1回音楽科海外交流演奏旅行(ドイツ、オーストリア)を実施。
- 1998年(平成10年)12月16日 - 松濤会館が完成し、香川県へ寄付採納。
- 2000年(平成12年)3月30日 - 屋外運動場照明設備を整備。
- 2001年(平成13年)11月14日 - 第2体育館が完成。
- 2002年(平成14年)
- 2007年(平成19年)3月 - 部室棟を改築。
- 2015年(平成27年)
- 4月1日 -本館改築工事のため、プレハブ校舎となる。
- 2016年(平成28年)12月 - 新校舎完成。
- 2017年 (平成29年) 1月 - 新校舎落成。4月 - 普通科に教育創造コースを新設。
100周年を迎えた。
交通・アクセス方法
[編集]学校行事
[編集]- 坂高祭
- 毎年9月に開催される文化祭。
部活動
[編集]カヌー部、ボート部は全国大会制覇の経験がある。水泳部も個人において全国的に有名である。また吹奏楽部、合唱部はともに全国大会の常連である。合唱部は全日本で1961年に全国大会初出場。NHKでは高等学校部門の全国大会最多出場回数を誇る。
- 運動部
- 文化部
著名な出身者
[編集]声楽
[編集]漫画
[編集]芸能
[編集]- 岡部征純(俳優)
- 塚田良平(『天才てれびくんMAX』プロデューサー、作曲家)
- きん(お笑い芸人、ビスケットブラザーズのツッコミ担当)
その他
[編集]脚注
[編集]- ^ “全国からの生徒募集の実施校・学科と合格者数の上限”. 香川県教委. 2020年7月24日閲覧。
- ^ a b この時同時に、旧・香川県立坂出高等学校の全日制課程1学科(商業科)は分離の上、香川県立坂出工業高等学校と統合され「香川県立坂出商工高等学校」として独立。