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飯野八幡宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
飯野八幡宮

鳥居と楼門
所在地 福島県いわき市字八幡小路84
位置 北緯37度03分37.3秒 東経140度52分55.6秒 / 北緯37.060361度 東経140.882111度 / 37.060361; 140.882111 (飯野八幡宮)座標: 北緯37度03分37.3秒 東経140度52分55.6秒 / 北緯37.060361度 東経140.882111度 / 37.060361; 140.882111 (飯野八幡宮)
主祭神 品陀別命
息長帯姫命
比売神
社格県社
創建 康平6年(1063年)もしくは文治2年(1186年
本殿の様式 入母屋造杮葺
例祭 9月14日
主な神事 古式大祭(9月15日)・流鏑馬(9月15日)
地図
飯野八幡宮の位置(福島県内)
飯野八幡宮
飯野八幡宮
地図
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幣殿拝殿

飯野八幡宮(いいのはちまんぐう)は、福島県いわき市に鎮座する八幡宮である。旧社格は県社。社家は伊賀氏の庶流である飯野氏である。

祭神

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歴史

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社伝によれば、源頼義前九年合戦後の康平6年(1063年)に京都石清水八幡宮を勧請したという。文治2年(1186年)に関東御領好嶋荘の総社として、源頼朝の命により、本社石清水より御正躰を奉じて、岩城郡飯野郷(村)の赤目埼見物岡(現在のJR常磐線いわき駅北側の高台)へ奉祀した。

浜通り南部でも最大級の神社であり、岩城氏磐城平藩主など当地を本拠地にした権力者たちから崇敬を受けてきた。

しかし、関ヶ原合戦後に岩城氏は追放され、代わって徳川譜代の鳥居忠政が入ると、慶長7年(1602年)に現在地である八幡小路(福島地裁いわき支部の近く)に飯野八幡宮は移設され、移設後の飯野八幡宮跡地に磐城平城が建設された。なお、安藤氏が磐城平藩主だった時期(1756年 - 1868年)には、八幡小路に藩校施政堂が立地していた。

摂末社

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摂社

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  • 若宮八幡神社(わかみや はちまんぐう)

末社

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  • 五社
    • 武内社 - 祭神:武内宿禰(たけうちのすくね)公
    • 白旗社 - 祭神:源頼朝(みなもと の よりとも)公
    • 春日社 - 祭神:天児屋命(あめのこやねのみこと)
    • 愛宕社 - 祭神:軻遇突智命(かぐつちのみこと)
    • 事代主社 - 祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)

文化財

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重要文化財(国指定)

いわき市指定有形文化財

  • 飯野八幡宮幣拝殿 など

参考文献

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  • 「新指定の文化財」(『月刊文化財』第471号、2002年)建造物の解説あり

脚注

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関連項目

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外部リンク

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