青柳高一
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青柳 高一 あおやぎ たかいち | |
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出生地 | 埼玉県 |
没年月日 | 1976年7月24日(63歳没) |
所属政党 |
(日本進歩党→) (日本民主党→) (無所属/民主クラブ→) 民主自由党 |
青柳 高一(あおやぎ たかいち[1]、1913年(大正2年)2月20日[2] - 1976年(昭和51年)7月24日[1])は、日本の政治家、衆議院議員。
来歴
[編集]埼玉県出身[1]。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)卒[1][2]。1934年(昭和9年)、青柳製作所を創立、社長となり[2]、このほか関東産業、群馬工業、帝国車輛工業、日本化成工業、大建工業各(株)取締役社長となる[1]。
戦後の1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から立候補し当選した。日本進歩党、民主党、民主自由党、自由党に所属した。埼玉3区では荒舩清十郎らと競った。衆議院鉱工業委員会委員、衆議院鉱工業委員会理事、衆議院災害地対策特別委員会委員、衆議院労働委員会理事、衆議院商工委員会委員、衆議院水害地対策特別委員会理事などを務めた。1948年(昭和23年)11月12日の衆議院災害地対策特別委員会では、委員として出席。椎熊三郎を委員長に推挙する動議を提出した[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「ペン偽らず 本庄事件」(朝日新聞浦和支局同人、昭和24年)
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大衆人事録』第19版、東日本篇、帝国秘密探偵社、1956年。