陽勝
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陽勝(ようしょう、貞観11年(869年) - 延喜元年(901年))は、平安時代中期の天台宗の僧。俗姓は紀氏。修行によって仙術を身につけたという伝説から陽勝仙人とも呼ばれる。
生涯
[編集]貞観11年(869年)に能登国に生まれる。11歳の時に比叡山勝蓮花院に入り空日に師事する。法華経の持経者となった後、金峯山と吉野の牟田寺で山林修行を行った[1]。
『大日本国法華験記』『扶桑略記』など多くの書において、『法華経』を読誦し、次第に食を絶つ修行によって仙人となったと記されている[2]。『元亨釈書』や『今昔物語』によれば、登仙した陽勝は骨と皮だけの姿で、全身に長毛を生やし、2枚の翼で自在に空を飛んだといい[3]、『本朝神仙伝』では歩行が敏捷で翼がなくても空を飛んだとある[4]。
天台座主静観のもとに立ち寄った陽勝が帰ろうとしたところ、人の気配のために自力で飛び立てなくなり、香炉の煙に乗って飛び立ったという逸話や、行き倒れとなった修行僧を神がかった方法で救った逸話がある[2]。
没年は定かではないが、『法華験記』によれば延喜元年(901年)に尸解し、遺品となる袈裟を常原寺の延命禅師に贈ったという[5]。
脚注
[編集]- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『陽勝』 - コトバンク
- ^ a b 吉元昭治 『不老長寿への旅:ニッポン神仙伝』 集英社 1998 ISBN 4-08-781139-5 pp.67-71.
- ^ 松田智弘 (1990). “古代日本に於ける仙人信仰について”. 東方宗教 (日本道教学会) 76: 24-42. NAID 40002637255.
- ^ 李育娟 (2007). “僧侶の神仙術としての避穀:『本朝神仙伝』を中心にして”. 詞林 (大阪大学古代中世文学研究会) 41: 20-36. doi:10.18910/67563.
- ^ 袴田光康 (2002). “「金峯山浄土」形成の基盤--「日蔵夢記」と五台山信仰”. 明治大学人文科学研究所紀要 (明治大学人文科学研究所) 51: 53-88. NAID 120001440224.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『今昔物語集』巻十三 春陽堂書店 1937 p.201 Google Books版 2019年12月11日閲覧。