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阿部眞之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1952年

阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年明治17年)3月29日 - 1964年昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。筆名は野山草吉[1]

東京日々新聞主筆、日本エッセイスト・クラブ初代理事長、第9代NHK会長を務めた。

恐妻家を自称していることで知られ、「恐妻会」会長を名乗ったとされるが、阿部の著書『恐妻一代記』(文藝春秋)によると、友人の大宅壮一が群馬県の青年団と会った時に、「東京に恐妻会という組織があり、阿部が会長だ」という話を創作したもので、そんな組織はないし、自分で名乗った覚えもないという。「恐妻とは愛妻のいわれなり」との名言を残した。日本における「小さな親切」運動の草分けの一人でもある。

人物

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「恐妻とは愛妻のいわれなり」が刻まれた「恐妻碑」。信越本線磯部駅

1884年、埼玉県熊谷市に生まれ[2]、少年時代は群馬県富岡市で過ごす。

旧制群馬県立富岡中学校旧制第二高等学校卒業[3]。1908年(明治41年)に[2]東京帝国大学文学部社会学科を卒業。

東京帝大卒業後、満州日日新聞社に入社[4]。1911年(明治44年)ストライキを首謀したとして馘首[5]。同1911年(明治44年)、東京日日新聞に入社[4]。1914年(大正3年)に大阪毎日に転じ、1929年(昭和4年)東京日日に戻る[2]。その間、名古屋支局長[6]、京都支局長、社会部長[7]、政治部長、学芸部長、編集局主幹、取締役主筆、毎日新聞社顧問ほかを歴任[4]

1933年(昭和8年)東日学芸部長時代に[8]菊池寛を学芸部顧問に、久米正雄横光利一吉屋信子大宅壮一高田保木村毅三宅周太郎を学芸部社友とした[9]

1934年(昭和9年)、やはり学芸部長時代に、囲碁及び将棋の「実力名人戦」を企画し、1935年(昭和10年)から将棋名人戦、1939年(昭和14年)から囲碁本因坊戦が開始(なお、本因坊戦開始にあたっては、阿部の部下であり後のパリーグ理事長の黒崎貞治郎が担当)[10]

やはり学芸部長時代に、女性作家・書家の交流団体「東紅会」を創り、メンバーは、長谷川時雨野上弥生子真杉静枝らであった[11]

1938年(昭和13年)、阿部が編集局主幹となった際[12]、学芸部長には久米正雄が就任[13]

1944年定年退職[14]した後、政治評論家として活動する他、明治大教授、中教出版社長、NHK経営委員長など歴任[2]大宅壮一がその文章を「マクラの阿部真之助、オチの高田保」と評したのは有名[15]。その大宅壮一も含めて、「マクラの真之助、サワリの壮一、オチの保」と言われたこともあるという[16]

1953年に日本エッセイストクラブを創立して会長になる[2]。1955年、「自由且つ気骨ある政治評論家として、民衆の政治意識を高めた近年の活動」により、第3回菊池寛賞を受賞。

1960年10月17日、NHK会長に就任。

1962年、日本で初めての広域通信制高等学校である「学校法人日本放送協会学園」創設に尽力し初代理事長に就任する。[17]

1963年原安三郎日本化薬社長・茅誠司東京大学総長・上田常隆毎日新聞社長・上代たの日本女子大学学長・栗田確也栗田書店社長・評論家の坂西志保渋沢敬三日銀総裁とともに「小さな親切」運動を提唱する。

多磨霊園にある阿部眞之助の墓

1964年7月9日午前7時、NHK会長在職中に心筋梗塞で急死した[18]。死去後、妻のさだがその遺志を継ぎ、生徒・学生の育英事業を行うことが発議され、1964年10月1日に「財団法人阿部育英基金」が誕生した[19]

1972年、富岡市の名誉市民に選出された[20]

甥(弟の子)に、読売新聞社記者の阿部幸男、西洋史学者の阿部玄治[21]

受賞[2]

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編著書

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  • 『犯罪問題』冬夏社 現代社会問題研究 1920
  • 『非常時十人男 彼等は何をしたか』編 創造社 1933
  • 『新人物論』日本評論社 1934
  • 『現代世相読本』東京日日新聞発行所[ほか] 1937
  • 『新世と新人』三省堂 1940
  • 『人間と社会』三省堂 1940
  • 『日本の自覺』東洋経済新報社出版部 1943
  • 『自由と責任』日東出版社 1948.
  • 『一問一答 第9輯 (暁に祈る)』吉村隊長共著 問答社 1949
  • 『老記者の想い出話』比良書房 1950
  • 『現代日本人物論 政界・官界・財界・労働界・文化界の人々』編 河出書房 1952
  • 『近代政治家評伝』文藝春秋新社 1953 
  • 『失礼御免』共著 要書房 1953
  • 『当世うらおもて』要書房 1953
  • 『現代政治家論』文藝春秋新社 1954
  • 『恐妻一代男』文藝春秋新社 1955
  • 『毒舌ざんげ わたしの時評』毎日新聞社 1955
  • 『現代女傑論 現代日本女性を代表する十二人』朋文社 1956
  • 『阿部真之助選集』大宅壮一木村毅浅沼博高原四郎編 毎日新聞社 1964

脚注

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  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b c d e f 日外アソシエーツ現代人物情報より
  3. ^ 阿部眞之助[多磨霊園のに眠る偉人・著名人|霊園・墓地検索サイト『ハナミズキ』]”. www.hanami-zuki.com. 2023年12月25日閲覧。
  4. ^ a b c http://www.wakei.org/library/data/kouen/profile/3002.htm
  5. ^ 川村湊・守屋貴嗣編『文壇落葉集』(毎日新聞社)解説(守屋貴嗣)P.428
  6. ^ 阿部幸男「恐妻 知られざる阿部真之助」(冬樹社)P.182
  7. ^ 阿部幸男「恐妻 知られざる阿部真之助」(冬樹社)P.185
  8. ^ 夏堀正元『風来の人 小説・高田保』(文春文庫)P.160
  9. ^ 川村湊・守屋貴嗣編『文壇落葉集』(毎日新聞社)解説(守屋貴嗣)P.431
  10. ^ 『現代囲碁大系 別巻 現代囲碁史概説』(林裕)P.46
  11. ^ 『恐妻一代記』(文藝春秋)P.63
  12. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 46頁。
  13. ^ 夏堀正元『風来の人 小説・高田保』(文春文庫)P.182
  14. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  15. ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
  16. ^ 大隈秀夫『大宅壮一を読む』(時事通信社)P.35
  17. ^ 阿部育英基金と創設者について
  18. ^ 「阿部NHK会長を憶う / 西本三十二」『放送教育』第19巻第5号、日本放送教育協会、1964年8月1日、19頁、NDLJP:2341240/10 
  19. ^ 阿部育英基金と創設者について
  20. ^ 名誉市町村民
  21. ^ 阿部幸男、阿部玄治著「恐妻 知られざる阿部真之助」(冬樹社)1965

関連項目

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外部リンク

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